火曜日は、隔週で14時半から訪問医が来る日で、
毎週16時半過ぎからは訪問入浴があり、
その間の時間で夫の昼食分の経管栄養と投薬、入浴の準備をする。
今日はさらに、今使っているのとは別の呼吸器の紹介のため、
15時からC社の人たちがやってきた。
今使っているバイパップは、音が静かで加湿器が一体となっていて使い勝手が良いのだが、
バッテリーが外付けのため、もし停電になった場合、人手がないと差し替えることができない
という課題がある。
同じ会社のバッテリー内臓タイプは音が大きく、加湿器の回路も複雑だったため、
採用にいたらなかったのだ。
今回紹介されたC社の機器は、音は静かで、さまざま微調整ができるのだが、
やはり加湿器が外付けで、たぶん、その分回路が長くなっているせいで
呼気吸気の切り替えのタイミングに不満が残り、
また加湿器のメンテナンスもいまより複雑になるので、やはり採用しないことになった。
とはいえ、夫は試した感想を、
「僕の呼吸の波形で言うと、○○のときにはねる感じがある」
とか
「つばをのみこんだりするときに、この部分で空気漏れを感じる」
とか、具体的に言葉で説明できるし、
さらに問題の原因は、機器のどういうところにあるかを自分なりに分析して
こうではないか、と言ったりしていたので、
C社の人たちにとっては、かなりいいフィードバックが得られたと思う。
それに気を良くしたのか、
セットで貸し出そうとしていたカフアシストに替わる機器も、
ぜひ試してご意見をお聞かせください、と言われたので、それも試した。
カフアシストがその名の通り肺の力のない人に咳をさせる発想で作られているのに対し、こちらの機器はゆっくり肺を広げて痰を引き出す、という発想のため、
これも夫のニーズには合わず借りないことにしたのだが、
こういう症状の人がどう感じるかについての情報は提供できたので、
C社の役には立っただろう。
今日集めた情報が、機器の改善につながって、
より多くの人がこうした機器の恩恵に浴すことができれば、私たちも嬉しい。
そんなこんなでみんなが帰ったのが16時。
大急ぎで、投薬・栄養、テーブルと椅子を動かして浴槽のスペース作り、
猫たちを寝室に隔離しタオル・着替え等の準備と、なんとか訪問入浴に間に合ったけど、
私のお昼はアミノバイタルゼリーのみ。
18時すぎにお風呂が終わって片付けて、
ささっとレトルトカレーを温めてがつがつと食べたのだった。
2014年5月27日火曜日
2014年5月14日水曜日
休日散歩
久しぶりに午後ゆっくり時間が取れるので美容院に行こうと思ったのに
担当者不在。。。
家で片付けるべき仕事は山ほどあるのだけど、ちょっと気持ちが内向しているので
やはり出かけることにして、まずは港の見える丘公園へ。

去年来た時はもうバラのシーズンが過ぎていたけど、
きょうはまだまだ花盛りでよい香りが公園に広がっていた。
母校の前を通ってかつての通学路を歩くと在校生とすれ違う。
ランドセルの上から副かばんを斜めがけにしている小学生たち。
私たちのころは副かばんは手提げ型で、背骨が曲がるからとショルダーは禁止だったのに。
この辺の町並みもずいぶん変わってしまった。
中途半端な(つまり、洋館でも日本家屋でもない)家がこれ以上増えないでもらいたいものだ。
代官坂を元町に向かって降りる。この道もなにやら新しい店が増えている。
卒業式に先輩に贈る花を買ったり、何かとお世話になった花屋さんは昔のまま。
ほっとしたのも束の間、元町に出ると正面に見慣れていた店が閉まっている。
隣のブティックの人に聞いたら、もう1年以上経つはず、という。
そのブティックも以前の店とは代わって、1年余り前に開いたのだそう。
ほかにもずいぶん店が変わったところもあるけれど、老舗はしっかりそこにあって、
ちょっと安心する。
休憩は、カフェでなく珈琲店で丁寧に淹れたドリップ珈琲を飲む。
いつも飲む目覚ましのコーヒーと違って、心がゆったりしてとても美味しかった。
また元気に歩き出して今度は中華街へ。
いつもと違う方向から入ったので、うろ覚えの地理がますます怪しくなるも、
目当てのお茶屋さんに無事到着。
丸く粒になったジャスミン茶を買おうとしたら、こっちの新茶がいいわよ、
と勧められ、ついそっちに。。。
食材店をいくつか冷やかして、以前夫と行ったワンタンの美味しい店を探す。
同じ辺りを3回回って見つからず、携帯で地図を検索して改めて探し、
やっとたどり着いたら、きょうは定休日。。。
さて、そうなると一人で入りやすい店は・・・と市場通りに回ってみると
「春の中華粥セット」が目に付いたのでそこにする。
この暑い日になんでこんな熱いものを、と思ったのは
どーんと熱い粥が出てきたあとだった。
(オマケ)
途中で見た変な看板
6月生まれ 去年と同じ って何?
担当者不在。。。
家で片付けるべき仕事は山ほどあるのだけど、ちょっと気持ちが内向しているので
やはり出かけることにして、まずは港の見える丘公園へ。

去年来た時はもうバラのシーズンが過ぎていたけど、
きょうはまだまだ花盛りでよい香りが公園に広がっていた。
母校の前を通ってかつての通学路を歩くと在校生とすれ違う。
ランドセルの上から副かばんを斜めがけにしている小学生たち。
私たちのころは副かばんは手提げ型で、背骨が曲がるからとショルダーは禁止だったのに。
この辺の町並みもずいぶん変わってしまった。
中途半端な(つまり、洋館でも日本家屋でもない)家がこれ以上増えないでもらいたいものだ。
代官坂を元町に向かって降りる。この道もなにやら新しい店が増えている。
卒業式に先輩に贈る花を買ったり、何かとお世話になった花屋さんは昔のまま。
ほっとしたのも束の間、元町に出ると正面に見慣れていた店が閉まっている。
隣のブティックの人に聞いたら、もう1年以上経つはず、という。
そのブティックも以前の店とは代わって、1年余り前に開いたのだそう。
ほかにもずいぶん店が変わったところもあるけれど、老舗はしっかりそこにあって、
ちょっと安心する。
休憩は、カフェでなく珈琲店で丁寧に淹れたドリップ珈琲を飲む。
いつも飲む目覚ましのコーヒーと違って、心がゆったりしてとても美味しかった。
また元気に歩き出して今度は中華街へ。
いつもと違う方向から入ったので、うろ覚えの地理がますます怪しくなるも、
目当てのお茶屋さんに無事到着。
丸く粒になったジャスミン茶を買おうとしたら、こっちの新茶がいいわよ、
と勧められ、ついそっちに。。。
食材店をいくつか冷やかして、以前夫と行ったワンタンの美味しい店を探す。
同じ辺りを3回回って見つからず、携帯で地図を検索して改めて探し、
やっとたどり着いたら、きょうは定休日。。。
さて、そうなると一人で入りやすい店は・・・と市場通りに回ってみると
「春の中華粥セット」が目に付いたのでそこにする。
この暑い日になんでこんな熱いものを、と思ったのは
どーんと熱い粥が出てきたあとだった。
(オマケ)
途中で見た変な看板
6月生まれ 去年と同じ って何?
2014年4月28日月曜日
ばね指とか腱鞘炎とか
右手に痛みを感じたのは、去年の10月下旬だったか。
朝、手首から甲にかけてこわばって、その痛みで目が覚めるということが何日が続いた。
そのころは、夫が自分の足で立つことが難しくなっていて、
ベッドから車椅子、車椅子から昇降機といった移動や入浴の際に
介助するこちらへの負担が日に日に増していた。
私が倒れてしまうわけにはいかないので、腰など痛めないよう、
夫に介助ベルトをつけ自分も腰ベルトをして、身体全体で支えるようにしていたけど、
やはり介助ベルトを握る手に負担がかかっていたことは確かだから、
おそらくそのせいだろうと想像はついていた。
起きて動いているうちにこわばりも取れてくる、という時期がすぎると、
今度は親指と中指に「ばね指」の症状が出てきた。
ネットで調べてみると、ばね指は腱鞘炎からくるので、
とにかく手を休めるしか治る道はないらしい。
さらに、更年期でも親指と中指にばね指が出やすい、とまで書かれると、
どうしようもないな、という気になる。
11月に入って、夫が毎日シャワーを浴びることをやめたので、
えいや、と介助する回数が減り、少しは良くなるかと思ったけれど、
清拭をするためにやはり手は使うので、「休める」からはほど遠く、
関節がカクカクするだけでなく、親指の付け根が痛んで力を入れられず、
ビンのふたを開ける、なにかをつまんでひねる、といった動作が難しくなっていった。
年が明けて、夫がベッド生活になり、力仕事の介助は少なくなったので
これで手も良くなると思ったけれど、腕のハリは確かに減ったものの
指関節の不具合は続いていた。
特に困ったのが、字を書くのが一番関節に痛みを感じて辛かったこと、
そして右手の親指を使わないと携帯のメールが書けないことだ。
薬局で手首から手の甲を覆うサポーターを買ってきて使ってみたが、
却って握る力が弱くなって危ないのと、親指の保護になっていない気がして、
さらに探してみて見つけたのが「かぐや姫」という代物。
朝、手首から甲にかけてこわばって、その痛みで目が覚めるということが何日が続いた。
そのころは、夫が自分の足で立つことが難しくなっていて、
ベッドから車椅子、車椅子から昇降機といった移動や入浴の際に
介助するこちらへの負担が日に日に増していた。
私が倒れてしまうわけにはいかないので、腰など痛めないよう、
夫に介助ベルトをつけ自分も腰ベルトをして、身体全体で支えるようにしていたけど、
やはり介助ベルトを握る手に負担がかかっていたことは確かだから、
おそらくそのせいだろうと想像はついていた。
起きて動いているうちにこわばりも取れてくる、という時期がすぎると、
今度は親指と中指に「ばね指」の症状が出てきた。
ネットで調べてみると、ばね指は腱鞘炎からくるので、
とにかく手を休めるしか治る道はないらしい。
さらに、更年期でも親指と中指にばね指が出やすい、とまで書かれると、
どうしようもないな、という気になる。
11月に入って、夫が毎日シャワーを浴びることをやめたので、
えいや、と介助する回数が減り、少しは良くなるかと思ったけれど、
清拭をするためにやはり手は使うので、「休める」からはほど遠く、
関節がカクカクするだけでなく、親指の付け根が痛んで力を入れられず、
ビンのふたを開ける、なにかをつまんでひねる、といった動作が難しくなっていった。
年が明けて、夫がベッド生活になり、力仕事の介助は少なくなったので
これで手も良くなると思ったけれど、腕のハリは確かに減ったものの
指関節の不具合は続いていた。
特に困ったのが、字を書くのが一番関節に痛みを感じて辛かったこと、
そして右手の親指を使わないと携帯のメールが書けないことだ。
薬局で手首から手の甲を覆うサポーターを買ってきて使ってみたが、
却って握る力が弱くなって危ないのと、親指の保護になっていない気がして、
さらに探してみて見つけたのが「かぐや姫」という代物。
赤ちゃんを抱っこして腱鞘炎になるお母さんのことを考えて作りました、
というので、ああ、これなら狙いどころは同じようなものだろう、
と考えてネットで購入したのが2月。
にわかに痛みが取れるとか、そういう改善はなかったけど、
これをはめていればなんとか字を書くことはできたし、
力がかかって「イテッ」となる前に支えてくれる安心感があった。
それでも、関節をカクカクいわせているグリグリしたものは、けっこう頑固で、
このまま固定化してしまうのではないか、とさえ思わせる感じだった。
4月に入って、友人でテーピングの名手と言われている人に久方ぶりに会う機会があったので診てもらった。この関節のグリグリの正体はよくわからないけど、腱鞘炎ならこのテーピングで痛みはとれるはず、という処置をしてもらった。そして、炎症なのだから、お風呂でマッサージはNG、などの注意を受け、やっぱりとにかく使わないようにすること、とも言われた。
テーピングは4日くらいではがれてきたのではずしたけれど、
その間は「はってある」ということが「動かさない」という意識につながって、
今までより極力使わないでいることができたと思う。
それと並行して、ここ数年かよっているカイロプラクターにも関連するストレッチを教えてもらって実行していたら、ここにきて症状はだいぶ改善してきた気がする。
少なくとも、「固定化する」ことはなく、「よくなるんだろうな」という感じになってきた。
しかしなにごとも治りがけが肝心。
痛みがすくなくなったぶん、ついつい動かしているのだけど、
完治するまでまだまだ休ませてやらなければ。
それにしても、
今やっている楽器がヴァイオリンだからなんとか痛い指でも弾くけれど、
これまでやっていたほかの楽器(ピアノとか筝とか三味線)だったらアウトだから、
さらに欲求不満が募っただろうな。
不幸中の幸い。
2014年4月14日月曜日
夢のカケラ
春の太陽はまだ低くて、日当たりの悪い我が家でも、
朝の光が刻々と変化するのが感じられる。
日差しの動きを感じようと感覚を澄ませていると、
さっき見た夢のカケラが、ふっ、と通り過ぎる気がしてはっとする。
夢はあんなにはっきりしていたのに、
起き出した今はすべてが曖昧でぼんやりしている。
誰がいて、何をしたのかも思い出せない。
なのに、光の揺らめきの中に、誰かの顔が一瞬浮かんだり、
夢の中で心を満たした感情がさっと横切っていったりするので、
ああ、そうだった、それで、ええと、と深追いしたくなる。
けれど追えば追うほど、その姿はむしろぼやけて、遠ざかっていくのだ。
陽の光とともに、心もゆらゆらと落ち着かないとき。
日が高くなり、日差しも一様に注ぐようになると、
うそのように気分も落ち着く。
春眠暁を覚えず、とはこんなことをいうのかもしれないけど、
それにはちょっと遅いか、と思った今朝のこと。
朝の光が刻々と変化するのが感じられる。
日差しの動きを感じようと感覚を澄ませていると、
さっき見た夢のカケラが、ふっ、と通り過ぎる気がしてはっとする。
夢はあんなにはっきりしていたのに、
起き出した今はすべてが曖昧でぼんやりしている。
誰がいて、何をしたのかも思い出せない。
なのに、光の揺らめきの中に、誰かの顔が一瞬浮かんだり、
夢の中で心を満たした感情がさっと横切っていったりするので、
ああ、そうだった、それで、ええと、と深追いしたくなる。
けれど追えば追うほど、その姿はむしろぼやけて、遠ざかっていくのだ。
陽の光とともに、心もゆらゆらと落ち着かないとき。
日が高くなり、日差しも一様に注ぐようになると、
うそのように気分も落ち着く。
春眠暁を覚えず、とはこんなことをいうのかもしれないけど、
それにはちょっと遅いか、と思った今朝のこと。
2014年3月31日月曜日
『雨のち晴レルヤ』
NHK朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」が終わった。
市井の人々の生活を描きながら、
次第に息苦しくなる時代の空気を現在に重ねる
なかなか見ごたえのあるドラマだった。
大阪局は、去年の「純と愛」でも、
外見からはわからない、人の苦しみや悲しみに寄り添う生き方を描く意欲的な取り組みをしていたが、あれは「暗い」とか言われてあまり評価されなかったらしい。
「ごちそうさん」は、明るくコミカルな表現を使いながら、
市民が声を上げることの大切さや、戦争の愚かさ、
最後には自然エネルギーの話までたどり着いて、ずいぶんがんばったと思う。
ドラマも好きだったが、主題歌の「雨のち晴レルヤ」も好きだ。
自分に重ね合わせて、ついつい口ずさんでしまうのだ。
突然 偶然 それとも必然
始まりは気付かぬうちに
予報通り いかない模様
そんな時こそ 微笑みを
ポツリポツリと町の色 変わってゆけば
傘はなくとも雨空に 唄うよ
どんな君でも アイシテイル
顔を上げてごらん 光が照らす
涙の河も 海へと帰る
誰の心も 雨のち晴レルヤ
夫が難病になるなんて、もちろん予報通りじゃなかったし、
ポツポツ降ってきた雨は、あっという間に土砂降りになり、
頬を伝う雨と汗と涙でぐしゃぐしゃになりながら走ってきた気がする。
そう、病気がどんどん進んできたけど、どんな君でもアイシテイル。
一番好きなのは、「涙の河も 海へと帰る」というくだりだ。
浜っ子の私にとって、海は広い世界へつながる場所であり、
希望と力をくれるものなのだ。
さすが、ハマ出身のゆずの歌だ、とナットクする。
とは言っても涙涙の日々を送ってきたわけではなく、
この曲調同様、けっこう明るく光を見て歩いてきたのだ。今も。
だから、
誰の心も雨のち晴レルヤ
だといいな、と思うのだ。
市井の人々の生活を描きながら、
次第に息苦しくなる時代の空気を現在に重ねる
なかなか見ごたえのあるドラマだった。
大阪局は、去年の「純と愛」でも、
外見からはわからない、人の苦しみや悲しみに寄り添う生き方を描く意欲的な取り組みをしていたが、あれは「暗い」とか言われてあまり評価されなかったらしい。
「ごちそうさん」は、明るくコミカルな表現を使いながら、
市民が声を上げることの大切さや、戦争の愚かさ、
最後には自然エネルギーの話までたどり着いて、ずいぶんがんばったと思う。
ドラマも好きだったが、主題歌の「雨のち晴レルヤ」も好きだ。
自分に重ね合わせて、ついつい口ずさんでしまうのだ。
突然 偶然 それとも必然
始まりは気付かぬうちに
予報通り いかない模様
そんな時こそ 微笑みを
ポツリポツリと町の色 変わってゆけば
傘はなくとも雨空に 唄うよ
どんな君でも アイシテイル
顔を上げてごらん 光が照らす
涙の河も 海へと帰る
誰の心も 雨のち晴レルヤ
夫が難病になるなんて、もちろん予報通りじゃなかったし、
ポツポツ降ってきた雨は、あっという間に土砂降りになり、
頬を伝う雨と汗と涙でぐしゃぐしゃになりながら走ってきた気がする。
そう、病気がどんどん進んできたけど、どんな君でもアイシテイル。
一番好きなのは、「涙の河も 海へと帰る」というくだりだ。
浜っ子の私にとって、海は広い世界へつながる場所であり、
希望と力をくれるものなのだ。
さすが、ハマ出身のゆずの歌だ、とナットクする。
とは言っても涙涙の日々を送ってきたわけではなく、
この曲調同様、けっこう明るく光を見て歩いてきたのだ。今も。
だから、
誰の心も雨のち晴レルヤ
だといいな、と思うのだ。
2014年3月28日金曜日
便乗値上げ? Taking advantage of a tax hike?
(English to follow.)
消費税率引き上げ前に、ということでホームセンターに日用品を買いに行った。
が、しかし。。。
1)その店が他店より安くしているからそこで買っているメジャー商品は
軒並み他店並みの値段になってるし
2)安いし十分に用を足すので愛用してきたオリジナルブランド商品は
ほとんど売り切れ状態
で、結局「増税前の買いだめ」にはならず。
けど、上の 1)って、便乗値上げじゃないのかな。
便乗値上げって、調査するのは4月1日以降なのかしら。
いちいち値札の写真撮って報告するほどヒマではないのでしないけど、
貴重な買い物の時間が思うように使えなくて
なんだかなあ、の午後だった。
In Japan, the consumption tax (an equivalent of VAT or sales tax) will be raised by 3 %
from April 1st. So, I went to the store to buy some daily necessities to stock up.
But I found the price of major brand items the store used to sell at the lowest price in the area having raised to the level of other stores, and the store's original band items that are low-priced with satisfactory quality have already been sold out.
It seems like the store is taking advantage of the tax hike to raise the price of major-brand items.
I don' have time and energy to do research and report the case to the authorities, but I do feel as if my afternoon shopping spoiled.
消費税率引き上げ前に、ということでホームセンターに日用品を買いに行った。
が、しかし。。。
1)その店が他店より安くしているからそこで買っているメジャー商品は
軒並み他店並みの値段になってるし
2)安いし十分に用を足すので愛用してきたオリジナルブランド商品は
ほとんど売り切れ状態
で、結局「増税前の買いだめ」にはならず。
けど、上の 1)って、便乗値上げじゃないのかな。
便乗値上げって、調査するのは4月1日以降なのかしら。
いちいち値札の写真撮って報告するほどヒマではないのでしないけど、
貴重な買い物の時間が思うように使えなくて
なんだかなあ、の午後だった。
In Japan, the consumption tax (an equivalent of VAT or sales tax) will be raised by 3 %
from April 1st. So, I went to the store to buy some daily necessities to stock up.
But I found the price of major brand items the store used to sell at the lowest price in the area having raised to the level of other stores, and the store's original band items that are low-priced with satisfactory quality have already been sold out.
It seems like the store is taking advantage of the tax hike to raise the price of major-brand items.
I don' have time and energy to do research and report the case to the authorities, but I do feel as if my afternoon shopping spoiled.
2014年3月26日水曜日
フィギュアスケートに思うこと
世界フィギュアスケート選手権が始まり、
ソチ五輪に続いて、日本選手の活躍に期待が高まっている。
フィギュアスケートは、自分では数えるほどしかやったことはないが、
縁あって国際大会での通訳を10年あまり務めたことがある。
ルールブックを隅々まで読み、ビデオを繰り返し見て勉強して臨んだ初年は、
まだパソコンも使われていないころで、レリースの英訳タイプ打ちもしたし、
同時に開かれていたISUセミナーの資料も作ったり、ずいぶん勉強させてもらった。
東西冷戦構造の時代、東側の選手が文字通り命懸けでやっている姿も
強く印象に残っている。
そして、伊藤みどりが女子で初めてトリプルアクセルを成功させ、
カナダのカート・ブラウニングが世界で初めて4回転ジャンプに成功し、
これからはジャンプの時代、と言われるようになった。
ほかのスポーツに比べて、芸術性のウェイトが大きかったフィギュアだけれど、
そういう人たちを前に「フィギュアはスポーツなんだ!」と言わんばかりに
アクセルを決めるみどりの姿は、とても頼もしく、誇らしかった。
みどりの功績は、日本でのフィギュアスケートの大衆化の面でも記憶されるべきだ。
それまでは、スケートに親しんでいる人もホッケーやスピードが中心で、
フィギュアは限られた人のものだったし、一般の関心も決して高くなかった。
それでも、アイスショーなど見慣れた東京のお客さんより、
ホッケーやスピードに馴染んだ北海道のお客さんのほうが、スケートの見方は良く知っていた。
某地方都市で新しくできた施設の杮落としとして大会をやったとき、
シャトルバスに乗り遅れたロシアのコーチがタクシーで会場入りしようとしたが、
運転手が会場の名前を知らず(新しいから?)、フィギュアスケートと言ってもわからず、
「Midori Ito!」と言ったらちゃんと連れてきてくれた、というのは本当の話だ。
みどりに続いてアクセルに挑戦する女子選手は限られたものの
その後女子は、3回転の精度が上がり、アクセル以外の種類はみんなこなすようになったし、
男子では4回転がマストの時代になったのだから、
確かにフィギュアスケートは技術的に進歩したと言えると思う。
ソルトレーク五輪でのスキャンダルをきっかけにルールが改正され、
どの技術がどう評価されているか、見る方にもわかりやすくなったし、
選手もどうやって点を取るのか、目指しやすくなったことも、技術の進歩につながったのだろう。
しかし、正直言って今の採点方式になってから、フィギュアスケートはつまらなくなった。
フィギュアスケートだからできる表現というものの評価が
採点がわかりにくいからという理由で軽視されているように見えてしまう。
かろうじて3種類しか3回転ジャンプを飛べなかったカタリーナ・ビットだけれど、
彼女の「カルメン」に勝る「カルメン」を私はまだ見たことがないし、
ベステミアノバ=ブーキン、ウソワ=ズーリン、クリモア=ポノマレンコらの
ロシア(ソ連)勢や、フランスのデシュネー兄妹のように、
ルールすれすれあるいは違反のテクニックを使用しながら
それがアクロバットではなく芸術的必然性からであると認められ、
ルールのほうが変えられてきた、そういうプログラムは、
今の競技会では見ることはできないだろう。
芸術性の話をすると、そんなのはスポーツではない、
むしろフィギュアスケートを競技からはずすべきだ、と言う人もいる。
それなら、カーリングは頭脳ゲームじゃないか
しかし、フィギュアで用いられる芸術表現は、フィギュアスケートを履いているからこそ
可能な表現であり、従ってフィギュアスケートというスポーツの一部分をなしている。
その部分について、継承されていかないのは大きな損失ではないのか、と思うのだ。
いや、こんなことは私が言わなくても、
長年フィギュアスケートに関わってきた人たちはみんなわかっていることだ。
きっとんまた良い方向に、変化し進化していくことだろう。
ソチ五輪に続いて、日本選手の活躍に期待が高まっている。
フィギュアスケートは、自分では数えるほどしかやったことはないが、
縁あって国際大会での通訳を10年あまり務めたことがある。
ルールブックを隅々まで読み、ビデオを繰り返し見て勉強して臨んだ初年は、
まだパソコンも使われていないころで、レリースの英訳タイプ打ちもしたし、
同時に開かれていたISUセミナーの資料も作ったり、ずいぶん勉強させてもらった。
東西冷戦構造の時代、東側の選手が文字通り命懸けでやっている姿も
強く印象に残っている。
そして、伊藤みどりが女子で初めてトリプルアクセルを成功させ、
カナダのカート・ブラウニングが世界で初めて4回転ジャンプに成功し、
これからはジャンプの時代、と言われるようになった。
ほかのスポーツに比べて、芸術性のウェイトが大きかったフィギュアだけれど、
そういう人たちを前に「フィギュアはスポーツなんだ!」と言わんばかりに
アクセルを決めるみどりの姿は、とても頼もしく、誇らしかった。
みどりの功績は、日本でのフィギュアスケートの大衆化の面でも記憶されるべきだ。
それまでは、スケートに親しんでいる人もホッケーやスピードが中心で、
フィギュアは限られた人のものだったし、一般の関心も決して高くなかった。
それでも、アイスショーなど見慣れた東京のお客さんより、
ホッケーやスピードに馴染んだ北海道のお客さんのほうが、スケートの見方は良く知っていた。
某地方都市で新しくできた施設の杮落としとして大会をやったとき、
シャトルバスに乗り遅れたロシアのコーチがタクシーで会場入りしようとしたが、
運転手が会場の名前を知らず(新しいから?)、フィギュアスケートと言ってもわからず、
「Midori Ito!」と言ったらちゃんと連れてきてくれた、というのは本当の話だ。
みどりに続いてアクセルに挑戦する女子選手は限られたものの
その後女子は、3回転の精度が上がり、アクセル以外の種類はみんなこなすようになったし、
男子では4回転がマストの時代になったのだから、
確かにフィギュアスケートは技術的に進歩したと言えると思う。
ソルトレーク五輪でのスキャンダルをきっかけにルールが改正され、
どの技術がどう評価されているか、見る方にもわかりやすくなったし、
選手もどうやって点を取るのか、目指しやすくなったことも、技術の進歩につながったのだろう。
しかし、正直言って今の採点方式になってから、フィギュアスケートはつまらなくなった。
フィギュアスケートだからできる表現というものの評価が
採点がわかりにくいからという理由で軽視されているように見えてしまう。
かろうじて3種類しか3回転ジャンプを飛べなかったカタリーナ・ビットだけれど、
彼女の「カルメン」に勝る「カルメン」を私はまだ見たことがないし、
ベステミアノバ=ブーキン、ウソワ=ズーリン、クリモア=ポノマレンコらの
ロシア(ソ連)勢や、フランスのデシュネー兄妹のように、
ルールすれすれあるいは違反のテクニックを使用しながら
それがアクロバットではなく芸術的必然性からであると認められ、
ルールのほうが変えられてきた、そういうプログラムは、
今の競技会では見ることはできないだろう。
芸術性の話をすると、そんなのはスポーツではない、
むしろフィギュアスケートを競技からはずすべきだ、と言う人もいる。
それなら、カーリングは頭脳ゲームじゃないか
しかし、フィギュアで用いられる芸術表現は、フィギュアスケートを履いているからこそ
可能な表現であり、従ってフィギュアスケートというスポーツの一部分をなしている。
その部分について、継承されていかないのは大きな損失ではないのか、と思うのだ。
いや、こんなことは私が言わなくても、
長年フィギュアスケートに関わってきた人たちはみんなわかっていることだ。
きっとんまた良い方向に、変化し進化していくことだろう。
登録:
投稿 (Atom)