2019年8月12日月曜日

近況


横浜みなとみらい地区で「ピカチュウ大量発生チュウ」なるイベントが始まったのは何年前だったか。段々に商業施設も整備されて人が集まるようになり、ランドマークプラザに「ポケモンセンター」があったためか、夏休みに時期にピカチュウの着ぐるみがみなとみらいのあちこちに隊列を組んで闊歩したのが最初だったと思う。
たまたま買い物などに行っていて遭遇すると、ピカチュウファンでなくても、黄色く丸っこいピカチュウが大勢で笛に合わせて歩いているだけでなんだか楽しくなる。
そのうち赤レンガ倉庫にステージを組んで観客にも水がかかる(暑いから)スプラッシュショーなども始まり、すっかり夏の定番行事になった。

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ここ数年の厳しい猛暑で、中の人たちはもちろん、観覧する人たちの熱中症の危険も高くなったせいか、今年は行進もショーも夜だけ行われることになったので、お目にかかることはないかなあ、と思っていたら、姪が見てみたいというので妹も誘っておばさん3人で日本丸パークでの「大行進」を昨日見に行った。待ち時間中にピカチュウたちが船に乗って愛嬌を振りまいたり、ショーもカラフルに変化するライトを身につけたピカチュウたちが機敏なダンスを見せたり、通路を一周して後ろのほうのお客さんにも見えるように工夫したり、なかなか楽しいイベントだった。写真はあまり上手く撮れなかったので、超接近した瞬間を1枚だけ。
 

7月はずっと雨だったし、8月は暑いだろうからと仕事は減らした上に、年初からの肩の不調を治すべくヴァイオリンのレッスンも夏休みにしたのに、梅雨がやっと終わったら猛暑でまったく出かける気にならず、このままだとボーっと夏が終わりそうだったから、ちょっとはイベントらしいことができてよかった。

7月鬱陶しかったのは、選挙があったこともひとつの理由だ。
日ごろ情報収集のために見ているSNS上が妙に騒がしくなり、批判のための批判、脊髄反射で誰彼構わず、根拠なく揶揄したり中傷する投稿が増えて、見ているだけで気分が悪くなった。

選挙ではALS患者の船後靖彦氏が当選し、それに対して、家族がALSを自称(のちに詐称とわかる)する人物を含め様々な人が「ALS患者に議員が務まるわけがない、山本太郎は利用してるだけ」などといった投稿をし、拡散し、これもまた不愉快だった。

ALSという病気は本当に不思議な病気で、100人居たら100通りの病気の進み方があり、ひとくくりには到底できないから、その人がどの時点で何ができるか、できないことをどう補完するかは直接その人に会っていなければわからないし、会っていない人たちが会っている山本氏を批判するのはよろしくない。また、「能力」の部分ではなく「機能」においてできないことは、できるように工夫して補うのが社会の向かうべき方向であって、切り捨てるのは間違いだ。

ついでに言えば、船後氏のように気管切開をして人工呼吸器をつければ社会で仕事ができるのに、地域格差や制度の不備によってそれがかなわない現状をなんとかしたい、というのが彼らが議会を目指した理由で、それは結構なことだ。ただALS患者の中では3割の気切・呼吸器を選択した人たちが、あたかも残りの7割の人たち誰もが「家族の負担になっては申し訳ないから」という理由だけで呼吸器をつけない選択をしたかのように言ったり、ことさらに「呼吸器をつけてみんながんばりましょう」といったニュアンスの発言を繰り返すのもあまりいい気分ではない。ひとりひとり本当に違う状況の中で、ひとりひとりそれぞれの価値観があるのだから、簡単にくくって欲しくない。

他にもいろいろ思うことはあったけれど、夫が亡くなって1年半を過ぎても、それまでの6年間、世の中がずっと先に行ってしまった一方自分はへたりこんだまま、まだ一歩も踏み出せずにみんなの背中がどんどん遠くなる感は相変わらずで、思いを「発信」などする気力もなく、暑い暑いと言って日々をやり過ごしている。

今年の8月は、メディアもここ数年よりは多くの時間とスペースを割いてかの戦争に関わる番組や記事を組んでいるようなので、できるだけそれらを見るようにしている。戦争経験者から直接話を聞くなど、私の世代にとっては当たり前だったけど、いまやいい大人でもこの国が焦土となったさまを「想像できない」と言って憚らない時代になったことに急に気づき、ちょっと慌てている。今は先に行ってしまった世の中のに追いつく気力はわかないけれど、過去を振り返ることは難しくないので、せいぜい見聞き読めることには関心を向けることにしよう。


ピカチュウの大行進でちょっと夏休み気分を味わった後は、先に輸入が始まったパタゴニア産アルゼンチン・ビーフを出すと聞いた野毛のビストロへ。雰囲気もお味もよく、また来たい店だ。