2018年4月22日日曜日

タンゴ・オリジェーロ

夫と一緒だったから踊っていたタンゴ。
タンゴは音楽を聴いたり、踊ったりする楽しみのジャンル、というだけでなくライフスタイル、価値観でもあるから、タンゴを通じて一生の友を得られたけれど、夫がいなくなっても踊りたいのか、自分でもよくわからなくなっていた。踊らなければ、レッスンに行くこともなくなるだろう、とか。

でもみんなには会いたいから、師匠のケンジ&リリアナが主催するミロンガ、「タンゴ・オリジェーロ」をミロンガ復帰としよう、と決めていた。

実は、その前にMarcelo&Analiaがサンバのデモをするというミロンガがあり、
やっぱり見てみたかったので出かけてしまった。
で、出かけてしまうとやっぱり踊ってしまい、踊るのはいいのだけれど、二人で来ていた場所だっただけについ、いない人の姿を探してしまい、ちょっと辛かったのだ。

きょうのオリジェーロは吉祥寺のスタジオで、ここは夫が病気になってからケンリリさんが使うようになったところで一人でしか来たことがないからたぶん大丈夫。
ゲストのToki&Midoriが引き寄せたのか、お客さんいっぱい。冬ポンの洒落た選曲で、穏やかな時間が過ぎていく。Toki&Midoriは組んでまだ数ヶ月、というけれど高い身体能力を活かした力強いパフォーマンスだった。「もう少しぐーん、というのがあるといいのにな」と思ったプログラムは、この日下ろしたばかりだったそうで、これからこなれてくると、きっと素敵になるだろう。

(この日のケンジさんのブログはこちら。)

気づくと師匠に「今度の水曜日はレッスンありますか?」と尋ねている自分。
え?行くんだ、レッスン?
この木曜日からは、TLFとともに恒例の「タンゴの節句ツアー」に出る師匠たち。
水曜日はレッスン有りとのこと。じゃあ、起きられたら行きます、と返事して帰る。

2018年4月17日火曜日

プラド美術館展~ミッドタウン日比谷

国立西洋美術館に、ベラスケスの作品7点を擁した「プラド美術館展」が来るというので、
スペインに留学経験のある姪を誘ってでかけた。
 

平日ながらそこそこの混雑で、それでもちょっと待てば見たい作品をちゃんと見ることができる感じ。
ベラスケスの本物はこれまで見たことがあったかどうか。
とにかく光と影の扱いが素晴らしく、また、宮廷で守られてきたから保存状態が良いので、絵の具が400年以上前のものとは思えない艶やかさで、本当に美しかった。

外に出たら雨だったので、美術館内のカフェで休憩。
プラド展に合わせてチュロスをフィーチャーしたメニューがあったけど、あのスペインのチュロスとチョコラテの甘さに比べたら、相当上品だった。

雨は本降りになっていたけれど(傘忘れた私。でもフード付きコートで凌ぐ。)
新しくできた「東京ミッドタウン日比谷」を冷やかしに。
 
1階中央の大きな吹き抜けは、KITTEもそうだけど最近の流行りなんだろうか?
各フロアを歩くには大変不便なのだけど。
Lexusのショップがあって、でも車を売っているのではなく「Lexusにお乗りになる皆様にこんなライフスタイルを提案します」的な店で、傘が(忘れたので買うかと思って、見た)イタリア製35,000円でびっくり~ くだらない。。。

一通りショップを冷やかして、晩御飯は地下の粕漬け屋さんで定食。美味。
 


食後、同じ地下のスタバでコーヒー飲んで帰ろう、と入ってみると、そこは普通のスタバではなかった。
 
Starbucks Reserve。なんでもここにしかないメニューとここでしか売ってないグッズがあるとか。せっかくだから、ここにしかないメニューにしようと、タルトレットとアイスフォームマキアートを注文。
 



アイスフォームマキアートは、バリスタが淹れてちゃんとしたグラスでテーブルまで運んでくれて、味もとても美味しかった。だって800円だから。。。

美しいものを見て、美味しいもの食べて、姪とも沢山おしゃべりして楽しい一日だった。

2018年4月15日日曜日

NHK Symphony rehearsal~Buhrle Collection オーケストラ~美術展~花展

Yesterday (April 14th), I had a chance to hear NHK Symphony Orchestra's rehearsal with Herbert Blomstedt conducting Berwald's Symphony No.3 and Berlioz's Symphonie fantastique.  It's been so long that I can't remember when was the last time I heard live orchestra, so I was very much looking forward to this opportunity.  Blomstedt, NHK's honorary conductor laureate, betrayed his age of 90 in presenting the two pieces under the influence of Beethoven.  Powerful yet sensitive. NHK Symphony's string section has always enjoyed high reputation, and they sounded even much better than what I remembered, especially with Berwald.

In the afternoon, I went to the National Art Center in Roppongi to see an exhibition of Buhrle Collection.  The collection is going to be transferred to the Zurich Museum of Art, so this is said to be the last opportunity for so many pieces of the collection to be shown together.  It was cetainly full of masterpieces, and worthy of a visit, but I was a bit disappointed to learn that Buhrle built his wealth to collect these paintings by making weapons. 

On my way home, I stopped by at a flower exhibition where my sister had her piece presented.  I hadn't told her that I was coming, because I wasn't sure of the time.  Fortunately, I ran into her just before she was leaving.  I never learned flower arrangement myself, and still cannot tell what's good as I look at various arrangements.  I liked my sister's piece anyway, and I guess that's what it counts.

昨日は職場のオケの関係でN響の公開リハーサルを聞くことができた。
生オケを聞くのはいつ以来か思い出せなかったのだが、たぶん夫がALSと診断された直後の放送記念日式典のN響記念演奏の「未完成」だったか。(あの時は夫も私たちの前座を聞きに来てくれたっけ。)

名誉桂冠指揮者ブロムシュテットがベルワルドの「風変わりな交響曲」とベルリオーズの「幻想交響曲」を振ったのだが、ブロムシュテットは90歳とは思えないエネルギッシュかつ繊細な指揮ぶりで、N響も定評のある弦がさらに充実していて、ユニゾンの揃いぶりがものすごく、いいものを聞かせてもらった。

そのあと六本木に出て国立新美術館でビュールレ・コレクションを見た。
今後コレクション全てがチューリッヒ美術館の管理下になるため、全体像を見られる機会はこれが最後になるだろうとのことで、会期末で混み合う前に行っておくことにした。確かに傑作ぞろいだし、印象派が生まれる以前からその後マチス、ピカソへの流れがわかるコレクションで楽しめたのだが、中盤に用意されたビデオでビュールレがその富を武器製造によって築いたというのを聞いて、ちょっと興ざめだった。なんだかな。。。

横浜に戻り、地元百貨店で開かれている小原流の花展に妹が出品しているので立ち寄ってみた。 何時に行けるかわからなかったので妹にも連絡はしていなかったのだけど、ちょうどあと少しで帰るところだったという妹にも会えて、作品の解説もしてもらった。妹は名前ももらってるくらいお稽古してるけど、私は華道はやったことがなく、こういうものを見てもなにがいいのか正直よくわからない。妹の作品はいいと思ったし、まあそれでいいんじゃないか。



 
 

 

2018年4月13日金曜日

三拍子

イースターまでは「服喪」ではないけれど、まあレントだし。出かける気分でもないし、「ひま」だけど特にどこにも行かずにおとなしくしていよう、と思っていたところに、Marcelo&Analia来日の報。
4年前の来日時は、なんとかワークショップ2回出たけれど、1シリーズちゃんと続けて出ないとあまり意味がないと思い、その後彼らに限らず、来日レッスンの類には出なくなっていた。

今なら続けてレッスンも出られるけれど、しかし3月半ばから始まってしまう。それにタンゴはやっぱり夫と踊っていたものなのでまだやる気がしない、でも彼らのレッスンは取りたいなあ、と迷っていたら、仕事と重ならない金曜日にフォルクローレのレッスンが組まれた。やったことないけど、やってみるか、と出かけて行った。
3月30日は聖金曜日だったので、さすがにそこはお休みして、その代わり日中にプライベートレッスンを取ったので、トータルでは一応皆勤。

内容は私が出たときは、チャカレラが主で、最後の1回だけサンバをやった。
フォルクローレはみんな横に並んで踊るので、横を見ながら、パートナーにも教えてもらいながら踊れるから、初心者でもなんとか動くことができるのはいい。
しかーし!タンゴの場合、男性のリードによって踊るから女性が動きを作ることもあるけれど、それは上級者の話で、私などは完全に受身でなにも考えずに踊っているのに、フォルクローレの場合は、チャカレラにしろ、サンバにしろ、一人で動かなければいけないので、まずステップを覚えなければならず、今まで使っていなかった脳みそをたたき起こすのがまず大変だった。

そして難しいのが三拍子。
例えばチャカレラのステップの場合、1はちゃんと踏む、2は小さく踏む、3はちゃんと踏む、しかし1,2,3の長さは同じ、でも、アクセントは1にあり、これが「チャカレラ・トゥルンカ」になるとアクセントは3にあるので、1のステップを音楽の3に当てる~~~とか。

日本文化論の常識で言えば、日本人は定着稲作民族なので、しっくりくるのは二拍子で、騎馬狩猟民族の三拍子は苦手。三拍子を一小節ひとくくりにしてとるのはできても、三拍を分解して取るには訓練が必要で、何も考えずにできてしまう彼らとは違うのだ。
というようなことをMarceloたちに話したら、初めて聞いた、すごく興味深い、と言っていた。

語学にしてもなんでも、異文化のものに取り組む場合、自分の文化との違うところが難しいから、そこを意識して勉強するのが大事なんだけど、それを教える人が気づいてくれてるとさらに
ありがたいことなので、この話はしてよかったな、と思っている。

ああ、それにしても、あちらじゃみんな気軽に踊っているはずのフォルクローレがこんなにいろいろ注意することがあって、いざ踊るとなると全部吹っ飛んじゃってめちゃくちゃになっちゃうくらい難しいとは思わなんだ。「今年はここまでしかできなかったから、来年もまた来ます」と言ってくれたMarcelo&Analia。こちらもぼーっとして全部忘れないようにしないとね。

2018年4月5日木曜日

それから

夫が亡くなって、まず思ったのは

ひま

ということ。
急に日々の生活のリズムを変えるのは良くないと思って、基本的に同じスケジュールで暮らしていたのだけれど、これまでは、午前3時くらいに寝て9時くらいに起きて、猫の世話、夫のケア、洗濯などして、自分の朝食は昼12時ころ、だったのに、夫が亡くなってしまったら、10時半にはやることがなくなってしまうのだ。
夜も寝る前に月間文芸誌の連載小説を、せいぜい2分の1回分ずつ(時間にして7~8分)読むのがささやかな楽しみだったのだが、まるまる1回分読んで、コラムまで読んでも、寝る時間が以前より1時間早いという。。。

ああ、世の中の人は、みんなこんなに余裕がある生活をしていたのか。

諸々の事務処理などやることはあっても、毎日秒針を見ながら「いまやらなければ」と追いまくられていたの比べれば、せいぜい数日のうちにやればよいことなど、急ぎでも何でもない。遺品の整理など時間を要するものはなにも慌てて手をつけることもないし、ふと目に付いたものをその都度片付けて、少しずつ「病室」だったリビングを本来の形に戻していったり、そもそもひと月くらいはインフルエンザの余韻を引きずっていたこともあり、ゆるゆると波間をたゆとうがごとくに過ごす。

ぽっかりと空いたのは時間だけではない。
「心にぽっかりと穴が開く」という表現があるけれど、まさにそれだ。
身体の中心にまん丸の球状の空洞を抱えているような、そんな感じなのだ。
外側だけで、「表面的に」暮らしていくことはできるけれど、玉乗りをしているようなものだからすぐバランスを崩して転んでしまう。

それに、夫婦は一体、夫が病気になったのは自分の半分が病気になったのと一緒。
いろいろケアしなければならなくなったといっても、それは自分とは別の誰かの為にやっていることではなく、自分の半分が必要なことだから当たり前のこととしてやってきたこと。その半分が突然なくなってしまったことで、文字通り身体が半分どこかに行ってしまった感覚で、どうにもバランスを取れない感覚がずいぶんと続いた。

暇な時間にしても、心の空洞にしても、なにか別なことで埋め合わせよう、というのは申し訳ない気がするし、それ以前に「夫を生かしておくことと自分が倒れないこと」だけが肝心で、それ以外のことはもはや意味のないこととして放り出してしまったから、それらを再び取り上げる気にならない。また、新しいことに手を出す気力もなかった。

仏教ではだいたい四十九日くらいに納骨をして、各方面への挨拶状を出したりするのだろうけれど、キリスト教ではそういう決まりはないから、どうしようか、と思っていた。
今年は4月1日がイースターで、夫が亡くなった翌週からその準備期間のレント(悔い改めの期間)に入るので、じゃあ、イースターを区切りにしようか、となんとなく思いついた。連絡のリストなどを作っていて、ふと数えてみたら、それが丁度四十九日だったのでびっくり。クリスチャンでない親戚筋などに挨拶するにも絶好のタイミングじゃあないか!なんと好都合な。前項で書いた葬儀のことといい、やはりこのタイミングしかなかったのかな、と思わされた。

だからといって、やはり私が死なせてしまった、という思いが消えるわけではなく、それとどう付き合って行こうかと毎日思いを巡らせてしまうのだ。
自分で決めた一区切りがイースターだったけれど、その日を過ぎてもまだ答えは出ていなかった。