2013年12月23日月曜日

「できる」練習 マイホーム・ライブ反省会 あるいは 言い訳

前記事がマイホーム・ライブのご報告なら、こちらは個人的反省記事。

私の担当が司式のほか賛美歌ソロ1曲、じゅんこさんと輪唱1曲、
じゅんこさん、谷本さんと3人の歌に徹さんのベースが入る四重唱奏2曲と決まり、
そろそろ練習を始めようした10月末、はたと気づいた。

そういえば、聖歌隊を離れてもう4~5年になる。
しかも、終わりのほうは指揮が多くて自分では歌っていなかった。
礼拝に通っていれば、毎週5~6曲は歌っているけど、それも今年に入って休んでいる。

歌えるのか?

久々に声を出してみると、かつてFisまでらくらく出ていたのが、Eもやっとという感じ。
練習にさける時間は限られるけど、毎日少しずつ声出ししていかなくちゃ。
前半2曲はよくわかっているから大丈夫、合唱の音取りだけしっかりやろう、
と決める。

合唱曲は2曲とも、現代の賛美歌を合唱にしたもの。
1曲はこの編曲で歌ったこともあるが、
今回はメロディーをしっかり出してもらうためじゅんこさんがソプラノ、
私は慣れないアルトなので、改めて勉強し直しだった。

合唱の場合、アルト、テナーの中声部は、取りにくい、覚えにくい音がよくある。
すらりといかないところはキーボードで確認しながら何回も練習して身体に入れた。

直前になって、他のパートを弾きながら歌う、という練習をしたら、
難しくないと思っていたところが曖昧になってしまい少々慌てたが、
夫も「アルトはなくてもいいようなもんだから」と言っていたので、
まあ、落ちこぼれたらそのときのこと、ごめんなさいだなあ、とのんきにしていた。

当日のリハ。谷本さんが、まず合唱の2曲をやりたいという。
「不安なところが。。。」
谷本さんでもそうなんだ、とちょっとほっとする。(←間違った反応である)
実際、テナーのパートはとっても複雑な音になっていて、
そこへ持ってきて、本来助けになるはずのアルトがふらふらしているから、
谷本さんが合っていても、そう聞こえないため、何度も確認することに。
ごめんなさい。。。

さらに、じゅんこさんの声質が、クォリティーという意味ではあちらがぐっと上なのだが、
キャラクターという意味で私ととても似ていることがわかった。
だから、カノンはとっても楽しいのだけど、
ハモる時はついついじゅんこさんの声につられてしまうのだ。
まずい。。。聞かないように聞きながら歌わなきゃ。

そして本番。
教会の礼拝の司式であがったことなどないのに、妙にどきどきしている。
そうか、司式もかれこれ3年くらいやってないかも、
それにしては準備足りなかったかも、と今頃思ってもどうにもならない。
どきどきのまま突入。案の定、ソロで歌う声も出ない。

プロのお三方は、さすが、タンゴも、南米の現代賛美歌も
しっかり自分たちのものにして演奏していく。

谷本さんの楽しい説教も終わり、いよいよ合唱。
先ほど練習した箇所に来ると、谷本さんが迷いのない声でぴたりの音を出す。

プロだ。

プロというのは本番でちゃんとやってなんぼ、の世界。
そこに到達するために、できないところはできるようになるために練習する。

歌にせよ、ヴァイオリンにせよ、できないところはできるように練習するものだけど、
できないところをできないままに、闇雲に練習していると、
それは「できない練習」になってしまい、「できない」がどんどん固定化するから、
ちゃんと「できる練習」をしなければならない、とは、夫とよく話すことだ。
さっきの谷本さんの練習は、まさにそれだったのだなあ、と改めて感心する。

そこへいくと私は、「できなくてもみんなの邪魔にならなければいいや」
くらいの甘えがあったのだと思う。
確かに、演奏のほかにいろいろ気を配らなければならないことがあって
気持ちに余裕はなかったけど、目指すべきところにちゃんと注意を向けていなかった。
それは、ご一緒してくださったみなさんに大変失礼なことだったと反省している。
このメンバーと一緒にやれるなんて、ものすごいことなのに、
自分ちで気心の知れた仲間が集まってのイベント、ということで、油断してしまったのだ。
もっと全身全霊でぶつかっていけばよかったのに。

ああ、もったいないことをしたもんだ (>_<)






2013年12月22日日曜日

感謝と希望のマイホーム・ライブ

というイベントを、昨日(あ、もう一昨日?)12月20日に拙宅で行った。

夫の友人である、ベーシストの齋藤徹さんとヴァイオリニストの谷本仰さんが、
病床にある夫に、なにか音楽のコラボをしようともちかけ、
夫の「生の音が聞きたい」という希望に応えて我が家でライブをすることになったのだ。

企画を進めるうちに、夫の中では「礼拝をしたい」という思いが強くなり、
「賛美礼拝形式による家庭集会」に、タンゴや南米の賛美歌を盛り込むことにした。
谷本さんは牧師でもあり、うたうたいでもあるので、ヴァイオリン、歌、説教と大活躍だ。
ライブには、以前にも登場した餃子の会の人たちを中心に、
私たちのことを日ごろ見守り、支えてくれるタンゴの友人たちを招くことにし、
歌モノが入るということで、徹さんがしばしば共演している歌い手のさとうじゅんこさんにも参加してもらい、私が礼拝の司式と歌の一部を担当することになった。

北九州に拠点を置く谷本さんが仕事で上京するとき、ということで決まったの日取りが
12月20日(金)。
連休前の金曜日、忘年会、Xmasパーティーのピークと思われる日だから、
声をかけても予定のある人が多いよね、と思いながら連絡をしてみると、
全員、「空けておきます」「喜んで伺います」の返事。

普段、ふたりと猫2匹で暮らすこの家に、私たちと奏者も含めて
19人!
(みんな、他に行くとこないのか・・・いやいや無理してくれてるのはわかってるけど)
みんなが入るスペースを作るには、今リビングにあるものを移動する場所をまず作るために他の部屋を片付ける必要があるのだが、平日は看護師やらヘルパーやらやってくるので、週末ごとに少しずつ準備して、なんとか入るだろうというめどはつけた。

実は、10月後半夫は風邪気味で、呼吸の状態が悪くなっていて、
果たして12月20日を迎えることができるのか、わからない感じだった。
夫は「僕に何があっても、ライブはちゃんとやってね」と言ったくらいだ。
私も毎日、「あと50日、生かしてください」「49日・・・」「48日・・・」と祈っていた。
風邪が治った後も、おなかの調子が悪かったりして、不安材料はつきなかった。
なんとか大丈夫と思えたのは、10日前くらいだろうか。

直前の準備や、当日のこまごましたことはみんなに手伝ってもらって、当日を迎えることができた。

徹さん、谷本さん、じゅんこさんは、とてもよく準備してすばらしい演奏とお話を提供してくれた。プロの備え方というのはこういうものかと、隣に立って改めて圧倒される思いだった。
私は、進行やらキッチンの様子やら、夫の世話やら、いろいろなことに気が散っていて、なんだか肝心の内容に集中できずにいたり、歌もお三方の足を引っ張るだけだった感じで、反省ばかりなのだけれど、来てくれたみんなは、「ライブに来てね」といいながら礼拝に参加させてしまうというだまし討ちにも関わらず楽しんでくれて、私たちが伝えたかったこと、感謝と希望をちゃんと受け止めてくれたみたいで、ほっとした。

この19人が、タンゴという共通項で集まり、このような時間を共有できたこと自体が、
タンゴが、ただ音楽やダンスのジャンルではない、ということの証だとつくづく思った夜だった。




2013年12月18日水曜日

たかが、されど、タイヤ交換

関東地方にも、雪の予報。
タイヤ交換に行った某大手オートショップでも、
スタッドレスタイヤやチェーンを選ぶ人が続々やってきていた。

初めて自分のクルマを持ってから、今4台目だが、
冬タイヤはずっとホイールなしで保有し、シーズンごとに買った店に持ち込んではめ替えてもらってきた。車も店も変わったけど、やり方は同じ。
特に、今の家に越してきてからは、徒歩3分にタイヤ屋があり、
親切なおじさんが、「今度この冬タイヤを履き潰して、来シーズン新しくしましょう」
とか、「夏はまだ大丈夫だね」などとチェックしていてくれたので、
すっかりお任せだった。
タイヤ交換費用は1本2,100円×4本=8,400円だった。

ところが!

この秋、ふと気づくとタイヤ屋の様子がおかしい。
商品が少なくなり、しばらくすると、事務所も空になって閉まってしまった。

困ったなあ。。。
と思っていたところに、「12月は点検です」とディーラーからお知らせが来た。
そうだ、点検のついでにやってもらおう!

電話して聞いてみると、
「外して、はめて、バランスとって…13,800円くらいかかっちゃいますね。」
時間もちょっとかかってしまい、点検日は都合が悪かったので、改めて相談、
ということで電話を切る。

点検日。
一旦クルマを預けて、歩いて近所にもう一軒あるタイヤ屋へ。
持ち込みのタイヤ交換料金を尋ねると
「うちで買ったのじゃないと。。。1本3,800円だから15,000円超えちゃいますね」
との答え。

使えん

点検終了後、ディーラーの話。
ホイール付いてて付け替えだけなら2,100円でやれるし、
ホイールは40,000円位から買えるので、もしあと2シーズン今のタイヤを使うなら、
今ホイール買っても同じくらいになりますねえ〜
消費税のこともあるから、もし来シーズン買い換えるつもりなら、
いま、純正ホイール付きのタイヤを買うのもありかもですね〜
いや、うちでタイヤ買っても高くないですよ、こないだもオートショップ周って、
結局うちが安いって買ってったお客さんいましたから。

今持っている冬タイヤは、この冬が3シーズン目になるが、
何せおじさん任せだったので状態を把握していない。
そもそも、タイヤキならともかく、タイヤ買う余裕は、ない。
なので、「検討してみます」と答えてディーラーを後にする。

どうしようかなあ、まだ雪降らないから年明けにしようかなあ、
と思っていたところに、雪の予報である。
たまたま今日は、少し時間が自由になる日だったので、
某大手オートショップの最寄り店に電話してみた。
 
「持ち込み、ホイールなしですか?16インチ?えーと、8,400円です」
 やった!しかし、混んでるだろうなあ。
「きょうって、混んでますよね?」
「はい、3時間待ちで、それから作業になるので、4~5時間ですね。」
「待ってないとだめですか?」
「申し込みして、外出していただいて大丈夫ですよ。」

どうせ買い物や郵便局や用事もあることだし、今日を逃すと日もないから、行くことにした。

家で用事を済ませて行ったので、着いたのは電話をしてから小一時間後。
タイヤ交換待ち時間表示のところには「係員にご相談ください」の貼り紙。

「タイヤ交換お願いします」
「今4時間待ちですけどいいですか?」
「あ、さっき3時間だったのに」
「どんどん混んでまして」
「いいです、お願いします」
「えーと、夏から冬、ホイールなし、ローテーションは無料なのでやっときますね。
4,200円です。」
「え?電話では8,400円って聞いたけど??」
「あ、普通からラジアルとかだとその値段なんですけど、夏→冬なら4200円で大丈夫です。」

やった~~!\(^o^)/

待ち時間のおかげで、混んでる郵便局も、混んでるレジもイライラせずに並んで用事済ませたし、
ゆっくりおそばなんか食べちゃったし、作業待ちの間にブログの下書きも半分できたし、
なにより、例年より安く済んで次の対策をゆっくり考える猶予ができたのはよかった。
それにしても、この金額の差っていったい。。。

帰るころには外はすっかり冷え込んでいたけれど、気分はほんわか、ゆったりだった。

2013年12月5日木曜日

¡Vamos, Trio Los Fandangos!


友人であり、敬愛するミュージシャンであるトリオ・ロス・ファンダンゴスが、
タンゴの本場、アルゼンチンはブエノスアイレスで演奏旅行中だ。
3人のメンバー、同行カメラマンのぢゅんぼうさん、私のダンスの師匠でもあり、
TLFとはいつも一緒にステージを作っているケンジ&リリアナさん、
ツアーを仕切ってあれこれとお世話くださっているチノみほさん、
それぞれがライブ感いっぱいの現地報告をブログやFBに上げてくれているので、
こちらもいっしょにブエノスに行っている気分だ。
(37℃の暑さはNo, gracias.だけど)

今回のツアーの前に、ヴァイオリンの谷本さんが自身のブログ
「限界の外に向かう演奏について」メンバーで話し合った、と書いていた。

曰く

限界を、覆いを突き破ってその向こう側に突出したい、
その向こう側の音を出したい。

これで思い出したのが、「Johari's window ジョハリの窓」だ。
心理学やコミュニケーション学をかじった人なら、その入り口で必ず習ったと思うのだけど、
「自分」と言う存在は、自分に見えている部分と、他者から見えている部分、
両方に見えている部分、どちらにも見えていない部分、から成る、と考え、図式化したものだ。


 
私がこれを教わったのは、大学のコミュニケーション概論Iという講座だったのだが、
恩師のS教授はこの図を黒板に書いたあと、「未知の窓 unkonwn self」の部分の枠を、
黒板消しでちっちっちっ、と点線に変えた。
 
こんな感じ  (拙い絵で申し訳ない<m(__)m> )
 
 
つまり、unknown self というのは、|未知、誰にもわからない部分なのだから、
それがどこまであるか、その限界もわからない、線は引けないでしょ、というのだ。
そして、教授は言った。
 
みなさんには無限の可能性があるんです!
 
この言葉に、これまでどれだけ支えられてきたかわからない。
もうだめ、無理、と思うとき、この先どうなるんだろう、と不安なとき、
この「窓」と教授の言葉を思い出して、顔を上げて前に進んできた。
 
夫が難病になって、いま身体能力という意味では限界が狭まっているといえるかもしれない。
けれど、一人の人間の存在としての限界は、必ずしも狭まってはいないと思う。
夫も私も、こうなって初めて見えてきたもの、病気がなければわからなかったことが多々あり、
新たな地平を見ている気がするからだ。無限の可能性がある、私にも、あなたにも。
 
 
ファンダンゴスのみんなも、今、三度目のブエノスアイレスで
14年前の結成時には思いもよらなかった景色を見ていることだろう。
それは、この間ひとつひとつ積み上げてきた努力の結果であり、
人と人との結びつきがもたらしたものであり、音楽がその力で産み出したものであるけれど、
限界と思えたところは、たぶんいくつもあって、
それを越えてきたのは無限の可能性があったからだ。
 
限界はある、けれど、可能性は無限。
だから、きっと、目指す「限界の向こう側」にあなたたちは行くだろう。
 
羽ばたけ、ファンダンゴス!¡Vamos, Trio Los Fandangos!
 



2013年12月3日火曜日

Good bye, Optiplex!

日本語は後半です Japanese text to follow.

I just sent my 17-year-old DELL Optiplex out for recycle.
It was not exactly my first PC, as I had IBM DOS-V notebook earlier.
But Optiplex was the one that connected me to the Internet.

When I was trying to decide which PC to buy, my husband (though he wasn't my husband then) came forward to help me, and accompanied me to a big PC Fair.
On our way back, we had dinner at an Italian restaurant, and talked about a lot of things.
When my DELL arrived at my condo, he came over to set it up,
and made lentil soup as well.
That was how it started, and here we are.

Back then, search engines were not as clever as today,
and I often ended up on a website completely unrelated to the original idea
and in a completely different country.
But actually, it was the fun of the internet those days.

Today, things got much easier.
As I struggled to get the heavy desktop and CRT monitor out at the front door,
I thought of my iPad and its lightness reminded me how things got lighter as well.


17年前に買った、最初のデスクトップPC、DELL Optiplexをリサイクルに排出した。
その前に、IBMのDOS-Vノートを使っていたから、私にとっては2台目だった。

ちょうどWindows95が出て、インターネットが一般家庭に入り始め、
メーカー各社が個人ユーザー向けモデルを投入してきた頃だった。

私も仕事の調べ物や会計帳簿の電子化のために、PCを導入しようと思い、
どれを買おうかと思っていた時、幕張でPCフェアがあるから行ってみよう、
と言ってくれたのが、今の夫である。
ずっとコンピュータ畑で仕事をしてきた夫は、フェアも仕事絡みで行くことになっていたのだった。

帰りに寄った恵比寿のイタリアンで、レンズ豆が出てきて、
これはスープもおいしんだよ、と言って、
その後、注文したDELLが届いた日にセットアップを手伝いながらスープも作ってくれて
今日に至る、である。

あの頃は、馴れ初めを聞かれて、
「パソコン買ったら、ついてきた」
と言うと、ウケたっけ。

当時、検索エンジンは今ほど力がなかったから、
とりあえず開いたところから、まるで連想ゲームのようにサイトを渡っていくうちに、
始め見ていたのと全然関係ない国の、全然関係ないサイトにたどり着くこともしばしばだった。
でも、それで世界が急に身近に感じられて楽しかったのも懐かしい。

 
今、夫は病気で動けないから、排出の準備も手伝ってもらえず、
本体もCRTディスプレイも滅茶苦茶重くて、梱包して玄関に運ぶのも大変だった。
愛用のiPad-mini との差に17年の月日を感じたのであった。

2013年11月27日水曜日

療養生活を支えるもの 2 吸引器


肺の機能が落ちてくると、喉に絡んだ痰を出すことも難しくなってくる。
そこでお世話になるのが「吸引器」である。

去年6月の胃ろう建造のための入院の際、在宅療養の準備も色々したのだが、
そのとき吸引器も選んでもらっって購入した(補助あり)。
吸引チューブの先には細いカテーテルを付けて使うのが一般的だが、
夫は自分で吸引するので、その場合カテーテルは取り回しが悪いので、
スティック状のレディケアプローブというのを使っている。

段々に手の力が無くなって、吸引器のスイッチを入れるのが難しくなったので、
去年の暮れぐらいからは、同じタイプでバッテリーはないがフットスイッチ付きの機種(写真)を
全額自費で購入して使っている。


 
 
レディケアを手で持つことも難しいので、写真のようにマイクスタンドにセットして、
吸い口先が夫の口元に来るようにセットしておき、
痰を出すときは、自分でフットスイッチを入れて吸引する。

以前使っていた機械は、寝室のベッドサイドに置き、
そちらでの吸引は私が介助して行っている。

メンテナンスとしては、タンクは毎日洗浄、
レディケアとチューブは階下用は就寝時にミルトン消毒液のタンクに付けておき、
寝室用は逆に日中消毒しておく。
チューブとレディケアは、汚れによって4~6週間くらいで交換している。

一台しかなかったときは、朝晩,5.5キロの機械を上へ下へと運んでいたから、
結構重労働だったし、チューブの清潔を保つのも大変だったけれど、
2台になってからは、そのあたりは楽になっている。





2013年11月20日水曜日

療養生活を支えるもの 1 バイパップ

夫の自宅療養生活を支えるものについて、いくつか書いてみよう。

夫が難病だ、というと、
「入院してるの?」
という人がけっこういるが、
病院というのは「病気や怪我を治療するところ」なので
治療法のない患者はおいてもらえない
のである。

なので、夫も自宅で、色々な器具や人の助けを借りて生活している。

ALSは筋肉を動かす神経ニューロンが壊れていくために筋肉が動かなくなる病気で、
中でも呼吸筋が動かなくなることが命取りとなるため、
生き延びるためには病気の進行に合わせて、人工呼吸器を使うことになる。

人工呼吸器には、気管切開をともなう侵襲型のものと、
顔にマスクを装着して用いる非侵襲型のものがある。

侵襲型は、気管切開するため、つけてしまうと口から食事したり
自分の声で話すのが困難になる。
また、普通の人なら手術のときなどに一時的に使って、その後取り外すことはできるが、
「生命維持装置」と言う位置づけになっているため、
ALS患者のように、それをはずしたら呼吸が止まる恐れが大きい場合は、
いったんつけたらもうはずすことができない。

一方、非侵襲型は、取り外し自由なので、
症状がさほど進んでいないときから時間を限って使う、ということもできる。

夫が使っているのも、この非侵襲型タイプの「バイパップエーバップス」というもの。
 

黒いボックスが本体。マスクの下になっている右半分は、加湿タンクが納まっている。
真ん中においてある「鼻マスク」を鼻に当てて、頭にベルトで固定し、
スイッチを入れると、空気が送り込まれて呼吸を助けるというもの。

鼻マスクは、口を開けていると空気が抜けてしまうので、
寝るときは口まで覆う「口鼻マスク」にはめ換えて使っている。

去年の3月にALSの診断を受けた後、4月に入院して機械の調整と練習をして、
最初は夜寝るときだけ使っていたバイパップだが、少しずつ使う時間が増えて、
先月後半くらいからは、朝晩、2階の寝室と1階の居間を移動する間以外は
ほとんど外さずに生活している。

この機械は1台しかレンタルできないので(自費で調達すると高価)、
移動の度に私が1階→2階→1階と運んでいる。
加湿器のタンクの水は毎日1回いっぱいにして、ちょうど無くなる感じ。
マスクは毎日アルコールを含むウェットティッシュで拭くほか、2日に1回水洗い、
ベルトも毎日洗濯したものに交換している。

半年くらい前までは、食事のときは外していて、
それが段々苦しくなってきたときは、もう、口から食べるのはあきらめるか、
と思ったのだが、ためしに鼻マスクをしたまま食べてみたら、
案外大丈夫なことがわかり、今も、私が夜仕事でないときの夕食は、
マスクをしたまま普通食を食べている。

このバイパップは、小型軽量で音も小さいのだが、
電源がACのみのため、停電になったらバッテリーに差し替えなければならない、
というのが難点だ。なにせ、夫は手が使えないから、人が居なければできないからだ。

太陽光発電にすれば、停電の心配がない、と気づいたのはつい最近のことだけど、
まだその可能性については探っていない。

2013年11月14日木曜日

さのすけ音頭

(ブログネタがまとまらないので、「暇ネタ」です)

猫と遊ぶのに、ちょっとした節をつけて歌いながら遊ぶ人は意外と多いと思う。
私もそのひとりで、うちの猫の好きなことをしてやるとき(おなかを撫でるとか)
お囃子のように口ずさむ歌がいくつかある。

民謡の合いの手に「サノヨイヨイ」というのがあるけど、
うちの猫「さのすけ」のことは、普段「さのちゃん」と呼んでいるので、
あるときふと

「サノヨイヨイ」で「さのすけ音頭」ができるなあ

と思って作ったのが、これ。

♪サーノヨイヨイ、サノヨイヨイ
さのちゃんは よい猫 サノヨイヨイ

うちのさのちゃん よいニャンコ
茶色と白のまるい猫
「さのちゃん」と呼べば やってくる
「さのちゃん」と呼べば 返事する
人のことばがよくわかる~

さのすけ さのすけ よいニャンコ
さのすけ さのすけ よいニャンコ

サーノヨイヨイ サノヨーイヨーイ♪


      

2013年11月4日月曜日

冥土の土産

前回投稿以後、夫が上気道炎(風邪?)を起こして
微熱があったり、痰がひどくて呼吸が苦しくなったりしたため、
日々のさまざまな手順を調整することになり、
ちょっとばたばたしていた。

今はようやく落ち着いてきたのだけれど、
一時は、口から食事をするのも疲れるからと控えていたりして、
ああ、もっと美味しいものをちゃんと食べさせておけばよかった、
このまま食べられなくなってしまうとかわいそうだなあ、と思ったのだが、
なんとかまた食べられるようになったので、ちょっと安心した。

夫の場合、身体の他の部分の病気の進行に比べて、
嚥下障害や言語障害はまだ進んでいないので、
話もできるし、鼻マスクで呼吸器を使いながら、食べたり飲んだりもできている。
とはいえ、徐々にその部分も弱ってくることが考えられ、
実際、ちょっと誤嚥が疑われるところもあるので、
誤嚥性肺炎に至らないように注意しなければいけない。

ALSの場合、栄養状態を維持することはとても大切で、
夫の場合は、去年6月(診断を受けて2ヵ月半後)の段階で
呼吸機能が落ちてしまう前に、という主治医の勧めで胃ろう建造手術を受けた。
(この手術は、呼吸機能が下がってしまうと受けられない)
体調や暮らしのスケジュールの必要に応じて
食事と胃ろうからの栄養注入を組み合わせて、きょうまで来ている。

だから、食べられなくなった場合の備えはあるわけだけれど、
やっぱり人間、口から食べる楽しみというのは大きいから、
食べられるうちは、できるだけ食べさせてあげたいと思う。

去年、まだ仕事に行っていたころは、病気の進行も早かったから、
もう、先は長くない気がして、食べる機会のあるときは
「冥土の土産」と称して、普段は手を出さないものを買ってきたりしたけれど、
この春くらいから、比較的落ち着いた日々になって、
食事もまた、普段着になり、けっこう手抜きもしていたから、
ここでちょっと、またねじを巻き直すかな。

2013年10月21日月曜日

できなくなるということ

先日、夫の介助が大変だ みたいなことを書いたのがいけなかったのか、
その後、夫が熱を出したり、腰が痛くなって姿勢を維持するのが難しくなったりして、
シャワーもお休み、トイレも行かないで済む方法に変えることになった。

私たちは、できることをできるところまで、という姿勢で病気の進行と付き合ってきて、
徐々に不自由になっていく身体を、不自由なりに使えるように工夫したり、
道具を探してきたりして対応してきてのだけど、
「なんとかできている」のと「できなくなる」のは大きな違いだ。

例えばお風呂の場合、
最初は蛇口を回すのが難しくなったので、ワンタッチ水栓に交換
腕を上げるのが難しくなったら、頭と背中は私が洗ってあげる
風呂椅子が座りにくくなったら、背のあるシャワー椅子を投入
湯船に浸かって立ち上がるのが難しくなったときは、電動の「バスリフト」を
浴室への段差まで足が上がらなくなったら、踏み台を置き、
さらに、敷居と浴室床の段差をなくすためにすのこを導入
そして車椅子ごと脱衣場に乗り込めるように、入り口ドアを引き戸に改修し、
今は、浴室入り口に回転椅子を置いて、車椅子からそれに乗り移り、
回転することで足を浴室内に運ぶ、というやり方で段差を上がれない問題を解決し、
なんとかシャワー椅子にたどり着いてシャワーを浴びていた。

それが先週急にできなくなって、なんだかとても残念な気分だった。
熱が出て汗をかいてもさっぱりさせてあげられないのがかわいそうだったし、
もう一度、自分の手で洗ってあげたいなあ、としんみりしたりしていた。

入浴に限らず、なにごともこんな風に段々なにかをするのが難しくなっていくのが
ALSという病気だ。
ただ、いつそれができなくなるかはわからない。
できなくなって初めて、ああ、あの日がこれは最後だったんだな、と思うのだ。
もちろん、良くなる希望を捨てたわけではないから、
「最後」と言っても、今から見ての「最後」なわけだけれど、
こう言う状況だと、しょっちゅう「これが最後かも」と思いながら暮らしていることになる。
去年診断を受けてからの1年は、特に進行が早かったせいもあって、
毎日そういう緊張感があったのだが、ここ数ヶ月はわりあい落ち着いて暮らしていたので、
ちょっと油断していた。
それで、もうシャワーは無理かも、となったことがとても残念だったのだ。

でも

おととい、熱が下がったのと、訪ねてきてくれた友人が首をマッサージしてくれて
体調がよくなったのとで、お風呂入れそう、ということになり、
やってみたら、またシャワーを浴びることができた!

せめてもう一度、と思ったけれど、まだもう少し続けられそうでうれしいな。

2013年10月9日水曜日

歯を食いしばって

ヴァイオリンを弾くときは、あごで楽器を支えているので奥歯を噛みしめることが多く、ヴァイオリニストの多くが奥歯をすり減らしている、と聞いたことがある。
私などはたいして弾くわけではないけれど、ふと気がつくとぐっと噛みしめていることもある。特に、このところはチャイコのコンチェルトを通して弾いたりしていたので、脳内再生中も噛みしめていたりした。

さらにここにきて、夫の移動介助がかなりの力仕事になってきて、
そのたびに、気合を入れてぐっと歯を食いしばり、腹筋を使ってがんばっている。

朝は、
(1)ベッドから車椅子へ
(2)車椅子から階段昇降機へ
(3)階段昇降機から階下の車椅子へ
(4)車椅子からトイレへ
(5)トイレから車椅子へ
(6)車椅子から日中を過ごす「ストレスレス・チェア」へ
と、都合6回、せーの、よいしょ!と移動。

夜はこの逆をたどり(トイレを除く)、いったんベッドで休憩し(10)
(11)ベッドから車椅子へ
(12)車椅子から浴室の段差を越えるための中継椅子へ
(13)中継椅子からシャワーチェアへ
と移動して、シャワーを浴びさせ、
(14)シャワーチェアから中継椅子へ
(15)中継椅子から車椅子へ
(16)車椅子からベッドへ
と、よいしょが続くのである。

尿道カテーテルを使っているので、トイレに行くのは通常朝1回だけれど、
昨日はちょっとおなかのリズムが変わっていて、
起床前に一回、夜も一回行ったので、
それぞれに4回よいしょ、が入るから、トータル24回になり、ちょっと大変だった。

先々週、奥歯の角にざらざらした部分を感じた。
「ここ、かけてたのよね。。。」
と思っていたのだが、二日位して(←にぶい)
「あれ、ここ、治療したよね?」
と思い出した。そうだ、確かに以前治療したのだ。
ということは。。。また取れた?

そんなわけで、明日(もう、今日だけど)は、歯医者へ。

2013年10月2日水曜日

虹を見たよ Saw a rainbow

(English text to follow.)

この夏、けっこう夕立があって、そのあと虹が出ることも多くて、
FacebookやTwitterで、いろんな人が虹の写真をアップしてるのも見たし、
自分でも遠目に虹を見ることはあったのだけど、
きょうは、今までになく心が沸き立つような虹を見た。

仕事に行く途中の車の助手席の窓から、弧でいうと4度分くらい(?)の虹が見えた。
すごく、太くて窓の角から角に届く感じに、ビルの間から見えたのだけど、
七色がすごくくっきりきれいだった。

目的地について、地下駐車場に車を停めて、
取り急ぎ、わくわくな気持ちをiPadからアップしたんだけど、
外に出てみたら、あれれ、カメラを向けてる人が、あっちにもこっちにも。
振り向いたらそこに、大きな虹が!
さっき見たときより、だいぶ遠くて細くなっていたけど。

  
 
 
 
職場に向かって歩きながら、振り向いてみたら、
この左の立ち上がりのところが、この写真では暗かったのに、
綺麗な七色にまた、輝き始めていた。
 
虹のこんな変化を見たことはなかったので、なんだか嬉しかった.。
こんなふうに気持ちがわくわくするなんて、虹には何か力があるのかな。
 
 
As I was driving to work late afternoon, I had a glimpse of a big rainbow.
It was a rather big rainbow, so maybe I could see 4 degree of it filling the passenger side's window of my car.  But in that short moment, I could clearly see the seven colors, sparkling with bright light.
 
After I parked my car, I came out of the underground parking lot to find a rainbow still appearing close.It was no longer as big as I had seen, but still, it was a beautiful rainbow.
 
What was impressive about it was that it was changing its form and brightness continuously.
The left bottom of the rainbow in my photo is dark, but soon, it started to become brighter with dintinct seven colors.
 
This past summer, we had lots of late afternoon showers followed by apperance of a rainbow.
But today's rainbow was special.
It reminded me of the power the rainbow has: it lights up one's heart wth a sense of hope.
 
 


2013年9月25日水曜日

やっぱりお買い物が好き

きょうは久しぶりに、あまり時間を気にせず買い物に出かけた。

「何かを買いに行く」ことが「買い物」かもしれないけど、
私の場合、その合間に、ぶらぶらとお店を覗いて、
目に留まったものを手にして見たりする、
そして運よくちょっといいものに出合って、それが買えればいい気分、
というのが「お買い物」である。
きょうもいくつかの用事と、買わなければならないものもあったけど、
「お買い物」の余裕があって、気分転換になった。

思えば、夫が病気になる前、仕事のない平日は、食料品や日用品の買い物に出ると、
ぶらぶらして、お茶を飲んでひと休みしながら本を読んだりして過ごしていた。
今は長時間夫を一人にしておくのは心配だし、
そもそも買い物にあてられる時間が限られるのでいつも落ち着かない気持ちで、
商品をあれこれ迷って選ぶ、ということもなく、
あわただしく決まったものを買って帰宅する。

気分転換や気晴らしの方法は、人それぞれあるだろうし、
それに費やすことのできる時間によってもいくつかあるだろうと思う。
私の場合、最も手っ取り早いのが、たぶん「お買い物」なのに、
その一番手っ取り早いことにすら費やす時間が限られるのは、ストレスだ。

だから、きょうは気分がいい。
気に入ったパシュミナも買えたしね!

2013年9月16日月曜日

我が家の猫物語エピローグ みいみちゃん再び

猫小屋の撤去を決意したものの、冬間近だったため、
実際に撤去したのは翌春、2007年の春だ。

もともと、野良猫の多いこの地域で、
「一匹くらいうちに居ついてくれないかな」という思いと、
野良たちが台風に遭うのを見るに見かねて、という事情とで設置した猫小屋だった。

結局、二匹の目の不自由な猫を保護し、
一匹の可愛いだけが取り柄の子がうちの子になった。
彼らのエピソードは、これからも登場させると思うが、
猫物語はこれでひとまず終わる。

その後、外の猫との関わりは、来た猫にはごはんをやる、
ということにとどめていたが、みいみちゃんもきさんたも、
また、この物語をmixi日記に書き始めた2009年暮れに秋に来るようになったブッチーも、
この稿を書いていた2010年時点では、まだまだ毎日のようにやってきていた。


  
うちの三匹は、みんなみいみちゃん↑の子どもなのだが、
以前書いたようにみいみちゃんは 
3軒下のKさん宅の縁の下にいたのが、Kさんが引っ越してしまったために
うちに来るようになったのだ。
根っからの自由猫で、触らせないし、
かつてうちに上がりこんでいたときに勝手口を閉めたら、 大パニックして暴れたことがある。

だから、みいみちゃんは「Kさんちの子」で
うちとは元々関係ないのに、というつもりだった。
ところが、猫物語を書く前に古い写真を見ていてびっくりした。

 
 
我が家に最初にやってきたふーちゃんの子どもの中の
この一匹はみいみちゃんじゃないか!
があん。

我が家と縁もゆかりもあった猫だったのだ。どおりでいつも堂々・・・
今は自由を謳歌しているみいみちゃんだが、よぼよぼで動けなくなったら、
その時は面倒見てやらなきゃいけないだろうか、と思っていた。

その後、きさんたは2011年にシンバとレオを産んだあと
 
冬の訪れとともに次第に姿を見せなくなり、みいみちゃんもどこかにねぐらを移したのか、
ぱったりと来なくなった。
 
近所でも猫を見かけることはめっきり減った。
そんな中で、ポン太だけは、春の恋の季節になるとどこかからやってきて、姿を見せる。
どこで見つけてくるのか、毎年新しい彼女を連れていたりするから、隅に置けない。
 
そんな風に、これまで出会って去って行った猫たちとも、
またいつか再会できると嬉しいと思う。
 
(mixiから転載の猫物語は今回で終了です。
 その後のうちの猫たちのことをパート2で書く。。。かも。)


2013年9月9日月曜日

丑三つ時なんかこわくない

ニュースの仕事に行った日は、帰宅が11時ごろになる。

それから猫のご飯をやったり、台所を片付けたりしてから、
夫にシャワーを浴びさせ、寝かせ、自分が入浴して、日記を書いたりしていると、
寝るのはだいたい2時半か3時になる。

以前は、すぐに
あーもうこんな時間になってしまった、睡眠時間が足りない
と、焦っていたけれど、慣れというのは恐ろしいもので、
火曜日、訪問入浴サービスが来るので、夫のシャワーがない分早く寝られたりすると、
それだって1時半とか2時なのに、
きょうは早いわあ!と、喜んでそこから本読んだりしている。

先日、例によって階下の翌朝の準備を終えて、ベッドに入るべく二階に上がり、
3時か、と時計を見て、ふと思い出した。

子どもの頃、
午前3時に鏡を見ると、自分の霊が映って見える
とか
トイレに入って四隅を順に見ていくと、
4つ目にもう一人の自分がいる
とか、そういう話がいっぱいあったことを。

いくつくらいまでだっただろうか。
夜中にトイレに目が覚めても、
ゼッタイに鏡は見ないようにしたり、3時だけは避けるようにしていたのは。

それが今、気付けばまさに午前3時に鏡をのぞきこんでいたり、
トイレに入っていることはざらで、もちろん何事も起こらないのである。

子どもの私に教えてやりたいものだ。
丑三つ時なんてこわくないよ!


2013年8月30日金曜日

我が家の猫物語(17)豆千代


(ちょっといやな話です。気の弱い人は読まないでください。)
前回はこちら

数週間後、
それまで連れ立ってごはんを食べにきていたみいみちゃんときさんたが
一匹ずつしかやって来なくなった。
どうやら、うちではなく、どこか別の場所で出産し、一緒に面倒を見ながら
交代でごはんを食べに来たようだ。
その後しばらくすると、
日中3~4匹(よく覚えていない)の仔猫を連れてくるようになったが、
うちの小屋に落ち着くことはなく、またどこかへ行ってしまった。

ある朝、出かけようとした夫がとんでもないものを発見した。
「玄関の前に、猫の脚みたいなのが落ちてる!」
私はそれを見なかったのだが、どうやら仔猫の死骸の一部らしい。
なんなんだ?なぜ玄関前に、脚だけ?

その後のことは、実はあまり覚えていない。
記憶しているのは、食いちぎられたような仔猫の死体を二匹家の周りで見つけ、
片付けたことだ。
このころ私は、仕事のこと、実家の家族のこと、知人の病気など、
落ち着かないことが続いていたし、
例の困ったペットシッターの一件が起きたのは、この直後のことだったのだ。
そんななかで、いやな記憶はどこかに押しやってしまったのだろう。
そしてまた、みいみちゃんときさんた、弁慶がご飯を食べにくる日々が戻ってきた。


猫というのは、放っておくと年に4回妊娠可能なのだそうだ。
そのころはそんなことは知らなかった。
きさんたをなんとかしなければ、またどんどん子どもを産んでしまう、と思いつつも、
としはまだ何度も頻尿、血尿を繰り返していたし、そのほかのもろもろもあり、
手が回らないうちに、秋になると、またきさんたとみいみちゃんが妊娠、
そして、またどこかで出産し、二匹で交互にごはんを食べに来るようになった。

その日、家の中の猫たちが突然騒ぎ出して、窓の外を見ているので、
なにごとかと覗いてみると、なんと、 仔猫が6匹!
柄もばらばらなら、いったいどれとどれがみいみちゃんの子で、
どれがきさんたの子かもわからない。
どれも見るからに弱々しく、育ちそうもない感じだ。
表の猫小屋と裏の別荘は、死骸の一件以来、怖くてずっと放ってあったのだが、
これから寒くなるので今度は入居するかもしれないと思い、
勇気を出して掃除することにした。
幸い、仔猫のミイラが出てくることはなく、タオルも替えてやることができた。

とはいえ、外の暮らしは過酷である。
6匹のうち1匹は、すぐに死んでしまい、ハンカチに包んで埋めてやった。
残った猫たちは、うちの周りにいたり、他所に行ったりを繰り返した後、
表の小屋に落ち着いたが、既に授乳期を過ぎたのか、
親猫二匹も出かけてばかりで、あまりきちんと面倒をみていない様だ。
子猫用のミルクを与えたり、餌をいろいろ与えてみたりしたが、
数週間のうちに、一匹、また一匹と死んでいった。
その間、その死骸をみいみちゃんが食べているところを見てしまったり、
頭のない死骸を片付ける羽目になったりで、私は精神的にかなり参ってしまった。

最後に、白地にちょっとぶちの入った、豆大福のような一匹「豆千代」が、
なんとか危機を乗り越えて生き残った。
親猫たちに負けずにもりもりごはんを食べるようになり、
うちの前の道を渡ってお向かいの庭先でひなたぼっこをするまでになっていた。
私にもなついていたので、この子をうちの子にすることができるだろうか、
4匹目を飼うのは無理だろうか、と考えていた矢先。

夜帰宅して、いつものように勝手口にごはんを出すと、豆千代の姿がない。
弁慶、きさんた、みいみちゃんは、先を争ってごはんを食べている。
改めて家の周りを探してみると、裏の家と塀の隙間に横たわっている姿が見えた。
首から肩先にかけて何かの傷。カラスにやられたのか、まさか親にやられたのか、
人間か?ともかく、豆千代は死んでしまった。

それまで辛いことが続き、それでもなんとか心を支えていたものが、
この瞬間折れてしまった私は、夫に穴を掘ってもらって豆千代を埋めながら、
これまでなかったほど大泣きに泣いた。

豆千代を、もっと早く保護しておけば助けてやれた、という以上に、
猫と中途半端な関わり方を続けてきた自分を責めた。
私にはできないことなのだから、もう、やめよう。

この日、猫小屋の撤去を決めた。

2013年8月24日土曜日

E-mail fraud  インターナショナル「オレオレ詐欺」

(日本語は後半です)

Last week, I got an e-mail from my father's old friend in California whom I've known for many years as well.
It was titled, "Horrific Trip --- XXXX(his name)".

And the text read as follows:

I really hope you get this fast. I could not inform anyone about our trip, because it was impromptu. we had to be in Philippines for Tour.. The program was successful, but our journey has turned sour. we misplaced our wallet and cell phone on our way back to the hotel we lodge in after we went for sight seeing. The wallet contained all the valuables we had. Now, our passport is in custody of the hotel management pending when we make payment.
I am sorry if i am inconveniencing you, but i have only very few people to run to now. i will be indeed very grateful if i can get a short term loan from you ($2,390). this will enable me sort our hotel bills and get my sorry self back home. I will really appreciate whatever you can afford in assisting me with. I promise to refund it in full as soon as soon as I return. let me know if you can be of any assistance. Please, let me know soonest.
Thanks so much


It ended with his name and his e-mail address.

It was a complete hoax, of course.
First, including his name in the title is not what he usually does.
Second, not addressing me by name to begin the text is not his usual style, either.
Thirdly, I wouldn't be the person he would turn to even if he were really in trouble.
He's got great children and grandchildren.  He got relatives all over the states,
and even in Italy where he tracked down during his "finding his family roots trip" some years ago.
And fourth, even though the email address given in the text was the correct one,
the return address attached to the email was not.

Checking these points, I concluded that I just ignore the e-mail.

Then it occurred to me that my father might have gotten the same e-mail,
and might respond to it.  So, I e-mailed to my sister to warn him about it.

A couple of days later, my father telephoned me to say he did receive the same e-mail.
Now, the fact that we got a same e-mail without any reference to each other proves that this was a hoax.

I don't know something like this can happen to my readers.
But I do remember having received a very similar e-mail from a different person long time ago.
So, just be careful, my friends!


先週、父の古い友人で私もいろいろお世話になったことのあるアメリカ人の名前でメールが来た。
タイトルは「恐ろしい旅ーXXX(名前)」
本文は、フィリピンを旅行中、財布と携帯を失くしてしまい、
ホテル代を払わないとホテルがパスポートを渡してくれないので、
2390ドル貸してもらえないか。急に決めた旅行なので、事前に知らせていなかったけど、
他に頼る人もいないのでよろしく頼む、
との内容。

これ、メールによるオレオレ詐欺である。

第一に、タイトルに自分の名前を書くのは、この人の流儀ではない。
第二に、まともな大人なら誰でもそうであるように、本文の最初には私への呼びかけがあるはず。
第三に、この人は立派な息子も娘も彼らの孫もいて、全米に親戚が大勢いるばかりか、
何年か前に「ルーツを探る旅」でイタリアに行き、そちらの親戚も見つけ出して交流がある。
「他に頼る人」は山ほどいるのだ。
そして、第四に、本文に書かれたメールアドレスは本人のものだが、
メールをよく見ると、これに返信する為のアドレスは別物が入っている。

従ってこのメールは無視!と決め、PCを切ったあとで、
もしや父にもこのメールが行っているかもしれない、と思い当り、
携帯から妹にメールして、父に警告しておくように頼んでおいた。

はたせるかな数日後、父から電話で、やはり来た、と言ってきた。
そもそも、父と私に、それぞれに言及することなくこの知人からメールが来ることなどありえないから、それ自体が、こいつが偽物であることの証だ。

こんなことは滅多にないかもしれないけれど、
そういえば同じようなメールを何年か前に他の名前で受け取ったことがあるので、
誰かの身にも起こる話かもしれないと思い、書いてみた。

2013年8月19日月曜日

我が家の猫物語(16)きさんた

少し時系列は前後するのだが、
困ったペットシッター騒動(前回までのお話)の前年
静の避妊手術を考えているとき、市の助成の情報を見つけた。
犬や猫の避妊・去勢手術の半額を補助する、というもので、
うちのかかりつけの動物病院でも使えるようだった。
時期的に静には使えそうもなかったのだが、とりあえず申し込んでみると、
市から申し込み受付の紙が届いた。

この際、外にいるみいみちゃんに避妊手術をして、
これ以上猫を増やさないようにすべきか。

しかし、みいみちゃんはぜったいに身体を触らせない猫だ。
なんとか捕まえたとしても、その動物病院では、普通の飼い猫と同様に対応する、
ということなので、術後のケアはこちらがしなければならない。
一週間家の中でケージに入れておいて、留守にしたらどうなるか。
身体も触らせないのに抗生物質の投与などさせてくれるか。
どう考えても無理だったので、断念することにし、市の方にはその旨連絡をして
予算が無駄にならないようにお願いした。

その時点で、我が家にごはんを食べに来ていたのは、みいみちゃんのほかには
我が家の猫となった静といっしょに生まれた弁慶ときさんたというきょうだい

あとはポン太や、数匹のオス猫が季節になるとちらりと姿を見せる、
という具合だったので、メスはみいみちゃんだけ。彼女もいい歳だから、
もう子どもも産まないだろうから、まあ、いいか、と思っていた。

としの尿路結石も落ち着き、
餌の管理は大変ながらも「日常」というペースが戻ってきたある日、
ふと見ると、きさんたのお腹がふっくらしている
 
  
きさんたって、オスじゃなかったの?
信じたくなかったが、日に日にお腹は目立っていった。

そういえば、三匹が子猫で現れたとき、静と弁慶は目やにがひどかったので
捕まえて拭いてやったので、そのとき確認していたのだが、
きさんたはきれいだったし、すばしこくてつかまらなかったので、
そのすばしこさにてっきりオスだと思っていたのだった。

そしてこのころ、なんと、
みいみちゃんもいっしょにお腹が大きくなっていった
(つづく)

2013年8月15日木曜日

40年前のきょうは

生まれて初めての海外旅行で、韓国に行っていた。
父が所属しているロータリークラブと、姉妹関係のソウルのロータリークラブの間で
子弟の交流をしようということになり、中高生6~7人に大人の引率が付いて出かけたのだった。

少しは事前の勉強もしたはずなのだが、8月15日が彼の地では「独立記念日」であることに、
私は現地に着くまで気づいていなかった。
40年前の日本では、8月と言えば今とは比べ物にならないくらい、敗戦のこと、原爆のこと、
平和のことでマスコミの情報が溢れ、それも、現在よりはずっと
「被害者意識」に染まったものだったから、
ソウルに着いて、まったく逆の現実を目にしたときは、本当にびっくりした。

広場で民族衣装で踊る人々、日本を爆撃した「英雄」B29の展示、「加害者」としての日本。。。
日本の8月15日とはまったく逆の世界がそこにあった。

今にして思えば、この時の体験が、
「物事にはいつも別の面がある」「学校で教わることは一面に過ぎない」
という意識を私に与えたのかもしれない。

年配の方たちは、みなさん日本語ができるから日本語で話してくださるわけだが、
そのたびに、いちいちなにか後ろめたい気持ちがして、居心地が悪かったのを覚えている。
一方で、同年代の中高生や、お世話係を務めてくれた比較的若いロータリアンの方は、
日本語ができないし、私たちも彼らのことばは話せないので、英語を使った。

既に英語には強い関心を持っていた私だったが、
それまでアメリカ、あるいはアメリカ的なるものと強く結びついていた英語という言語が、
別の国の人々と交流するためのことばになりうることを身をもって知ったのも、この旅だった。
 (こうしてみると、あの一週間は私の人生でかなり重要だったのかもしれない。)

朴政権下、韓国からの渡航はまだ難しく、結局韓国側子弟が日本に来ることはできなかった。
人もモノも、かつて禁じられていた流行歌や映画も、自由に行き来するようになった今、
日韓関係は、あの頃とは別な意味でぎくしゃくしているように見える。
戦争の記憶を受け継ぎながら、若い世代が交流することで新しい時代を拓こう、
そんな思いが親たちにあったかどうかはわからないが、
こうした地道な努力の継続が、やはり本当に未来志向の関係を築くのに必要なのではないか、
などと思ってみる、2013 敗戦の日。

2013年8月10日土曜日

Do cats use telepathy?  猫のテレパシー

My answer is Yes.

Yesterday, I was going to give Shizuka, our female cat, parasite protection agent.
I looked at the little tube on the shelf just to check where it was, without saying anything,
and then, look at Shizuka, and, as soon as our eyes met, she dashed away!
She KNEW what I was up to: hold her down to get her back a little wet, which she doesn't like.

Actually, this kind of thing happens often with both of our cats.
Not only they get what I'm thinking, it also happens that, when our eyes meet,
I literally hear what they want spelled out into my head.

But most mysterious of all was with Haru, the cat at my parents home that died a few years ago at 21.
Haru liked milk, and, whenever anyone would drink milk,
she would get her share in her dish.
Now, I used to visit their home once or twice a week
to cook dinner after my mother had a stroke 19 years ago.
Sometimes, I would cook things like white stew or "gratin", which would require milk.
Haru would usually be sleeping upstairs when I arrived,
so she wouldn't see me putting the milk carton in the frigde.
But when I satarted cooking, Haru would emerge out of nowhere.
She would stay put, sitting down in front of the fridge expectantly, until I reached for the milk.
Now that she passed away a few years ago, it remains a mystery how she knew about the milk.

What did I do with Shizuka's protection agent?
Well, she is not very smart, so by the time I came back from errands a few hours later,
she had totally forgotten about it, and she was easily caught and applied the drip. :)

猫がテレパシーを使うかと言えば、答えはイエスだ。
昨日は、静に虫よけ薬を付けようと思っていたのだが、
薬の容器が置いてあるのを目で確認したあと、静と目があった途端、
なにも言っていないのに察知して、すっ飛んで逃げて行った。

実はこのテのことはよくある。
こちらの思いを読まれるだけでなく、
猫の思いがはっきりとしたことばで頭の中に飛び込んでくることもあるのだ。

それでも、いまだに不思議なのは、以前実家で飼っていたハルである。
ハルは牛乳が好きで、誰かが牛乳を飲むときは必ずお皿にうっすら分けてもらっていた。
19年前、母がくも膜下出血で倒れてから10数年間、
私が毎週実家に通って晩御飯を作ったりしていたことがあった。
クリームシチューやグラタンを作るときは牛乳を買っていくわけだが、
そのことを誰にも話していないし、もちろんハルにも言ってないし、
実家に着いたとき、ハルはたいてい2階で寝ているから、
牛乳を冷蔵庫に入れるのを見たわけでもないのに、
夕食の準備を始めると、どこからともなくハルが現れて冷蔵庫の前に座っているのだ。
調理が進んで、私が牛乳を出すために冷蔵庫を開けるまで。
数年前にハルは亡くなったから、いったいどうして牛乳のことがわかったのかは、
謎のままだ。

さて、静の虫よけ薬だが、逃げられたのでその時は知らん顔をして買い物に出かけ、
数時間後に戻ってきたときにはあっさり忘れていたので、まんまとつかまり、
無事に塗布することができましたとさ。

2013年8月5日月曜日

PCリテラシー

夫の病気ALSは、筋肉を動かす神経細胞が原因不明で壊れ、
筋肉を動かすことができない→筋肉が再生しない→筋肉が落ちていく→動けなくなる
という病気で、この「筋肉」には「呼吸筋」も含まれるため、
呼吸ができなくなって死に至る、とされている。
発症の仕方は個人差が大きく、また進行速度も速い人遅い人色々なので、
10万人に2~3人という数の少なさもあり、他人のケースがあまり参考にならない病気である。

夫の場合は、最初に指の震えを感じてからほぼ2年となる今、
手や腕を自分で動かすことはほとんどできなくなっている。
手が少しでも使えていた間は、一日中iPhoneを手に持って、ネットで調べ物をしたり、
SNSで友人とやり取りしたり、看護スタッフやドクターと電話したりしていた。

手を使うことが難しくなってきたとき、今度はまだ自由の利く足を使ってPCが使えないか、
と調べ始め、横浜市福祉機器支援センターに相談したところ、
もともとは手で使うための大ぶりのトラックボールをマウスの代わりにし、
それとクリック用のスイッチを試作してきてくれた。
どうやらそれでいけそう、と発注したものの、なかなかできてこないので
 (これにひと月近くかかったのは、この病気に対する認識が甘いと言わざるを得ない)
夫はさっさとトラックボールを右足用、左足用と2個購入し、
片足だけ疲れないように工夫して使い始めた。

普通手でPCを扱っていると、例えば文字入力の際、キーボードをたたく必要があるのだが、
夫はソフト・キーボードを画面上に出し、トラックボールでキーを一定時間ポイントすれば
クリックしなくても叩いたのと同じことになるように設定したり、
キーからキーへの移動が大きくなると疲れるので、キーボードを小さくしたり、
使い勝手を工夫している。

PCが使えるとなると、PCを介してできることをどんどん思いつくらしく、
リビングに置いた自慢のステレオとPCをつなぐ仕組みを考え、
そういう事柄に明るい友人たちに来てもらってセットアップ。(ありがとう、Rueda de tango)
PCの中に取り込んだ膨大な音源を、好きな時にステレオで再生して楽しむようになった。
(ステレオとPCがつながっていると、PCからの音はステレオから出るので、
 DVDやYouTubeを見る時も迫力満点である。)

さらに、家電のリモコンをPCから動かす機器もネットで探し出して購入。
友人(Fくん、ありがとう)に手伝ってもらって、無事設置。
一人の時でも、テレビのスイッチを入れ、好きなチャンネルを好きな時に楽しんでいる。

新聞は電子版で読んでいるし、電子化されていない文字で読みたいものは
スキャナで取り込んで読んでいる。 (ただ今自炊ボランティア募集中)

仕事でずっとコンピュータを使ってきたとはいえ、
自分の「こういうことがしたい」を、「こうしたらできるはず」に変え、実現していくところは、
見ていて感心する。
こういう病気になって、PCと、そこからつながる世界を知っている、扱えるのと
そうでないのとでは、きっと暮らしぶりも違うのではないかと想像する。
と同時に、患者の近くにいる人たちが、必ずしもPC利用の可能性について明るくないこと、
患者自身が声を出さないと、なにができるようになったらいいのか気づいてもらえない現状に
歯がゆい思いもある。

「Steve Jobsが、がんじゃなくてALSになっていたら、
きっと色んな便利なものを考えてくれただろうな」
とは夫の弁だが、居ない人のことを言っても仕方ない。
元気な開発者たちが、大量消費や金儲けだけでなく、
ハンディのある人にも目を向けてくれることを期待しよう。
それはたぶん、それ以外の多くの人の役に立つに違いないから。


2013年8月1日木曜日

我が家の猫物語(15)転機

2日後、社長から封書が届いた。が、単なる詫び状。
としを逃がしたこと、不用意にドアを開けて帰ったことなど、とにかく申し訳ない、というだけ。

そうじゃないだろう! 

早速電話する。


「今回の1日分については仕事をしてもらったので、請求して頂いて・・・」
「あっら~、とーんでもございません、○○さまぁ、御請求だなんて」

この口調に、ああ、まともに話す相手ではないな、と気が萎えるのをなんとか立て直し、
請求するつもりがないなら、そしてそれで今回のことをチャラにするつもりなら、
そのように伝えるべきではないのか?
ただ放っておいて、「とんでもございません」ですむつもりなのか?
まともな事業体なら、問題を調査した報告書とともに、
今後どうするつもりなのか改善提案を出すものだろう、
と言う。
なんで私が、事業体の責任の取り方を指南してやらなきゃならんのだ。
この社長、もちろんこういう場合の対応手順は用意しているので、報告書を作って送ります
とのたもうた。


さて、最初の診察から一週間、としの状態はだいぶ改善してきたようだったが、
エコーでみると結石があるようなので、尿のサンプルを家で取ってみてほしい、
と言われる。
うちでは普段紙砂を使っているので、そのままでは尿はとれない。
砂を新聞紙をちぎったものに置き換えて、吸い取られない部分をスポイトで採取するのだ、
と言うが、他にも2匹いるし、いつするかもわからないのだから、
「やってみます」とは言ったものの、まず無理だと思ったし、実際無理だった。

その後さらに2週間余り経つころには、やはり排尿困難になり、
やむなくカテーテルを入れて尿をとってもらうことに。
結石が確認されたので、尿のpHを下げるための療法食を食べさせることになった。
療法食というのは、だいたい2キロで4000円位する。
それまで食べさせていたのが、2キロで698円とか、
せいぜい1000円のものだったことを思うと、とんでもなく出費が増える話だ。
そして、としは食いしん坊なので、他の子のごはんもすぐに食べてしまうから、
同じものを与えるか(ひえー、高くつく~)
じっと見張っているか(手間かかる~)しなければならず、
これまでのように留守のときは適当にごはんを置いて、ということもできないし、
日々この手間に取られるエネルギーと時間はかなりのものになって行った。

そういうことについて、一体シッターの会社に補償を求めることはできるのだろうか、
などと思っていたのだが、この会社から「報告書」なるものが郵送されてきたのは、
先の詫び状から一ヵ月後のことだった。
その内容は、
「私たちは全員でミーティングを重ねて、こういうことが起きないように確認しました」
というもの。また、
としが「本当に今回のことが原因で病気になったのなら」その治療費は払う、とも。
なったのなら」である。「証明できるならしてみな」と言わんばかり。

さらに、
「なにかありましたら、同封の返信用封筒でご連絡ください。」と書きながら、
その封筒が入っていない
あまりのことに、また電話をかけ、受けたスタッフにそのことだけを伝え、
近々消費者センターに届けることで決着しよう、と考えた。


結局、その届けは出さなかった。
身近で葬儀が続いたり、父が入院したり、なんだかんだあって
とてもそのエネルギーがなかったのだ。
そして、相手からもなにも言ってこなかった
つまり、社長とはついに顔を合わすことがなかった、ということだ。
この会社が今も営業していることを思うと、
なんらかのアクションをとった方がよかったのかもしれないが、
この無責任な人たちと、これ以上係わり合いになりたくなかった。

以後、我が家では、何回か泊まりで出かけることがあり、
その度にいろいろなペット・シッターに出会った。
それぞれに長短あり、また相性というのもあると思う。
うちでよかったところが他の人にもよいかどうかはわからないが、
良し悪しの見分け方はだいぶわかった気がする。

としの病気持ち生活が始まったことと、
それによって私たちの生活にも制約が出てきたという意味で、
この事件は我が家の猫との暮らしの「転機」となったのだ。

(猫物語はつづきますが、この件は一応終わりです)

2013年7月28日日曜日

オルケスタYOKOHAMA 友の会スペシャルライブ 飯泉昌宏X専光秀紀

夫が参加していたタンゴ楽団、「オルケスタYOKOHAMA」の現メンバーである
ギタリスト飯泉昌宏さんとヴァイオリニスト専光秀紀君のデュオによるライブが
オルケスタの本拠地、横浜の三田教育研究所ホール「タンゴの家」であった。

  


土日はヘルパーさんや看護師が来る予定はないので、長時間の外出は避けているのだが、
この会場は地元で近いこともあり、夫が
ちゃんと聞いてきて欲しい
というので出かけてきた。

友の会の皆さんは、オールドタンゴファンが中心だが、今日は幾分若いお客さんの姿も。
三田塾ホールの席はほぼ満席の盛況だった。

タンゴというとオルケスタやコンフントの編成が主流と思われるかもしれないが、
もともと娼館で男たちが待つ間に生まれてきた音楽、
ギターやヴァイオリン、フルートと言ったポータブルな楽器のソロやデュオがその始まりだ。
だからこのデュオは、いわば「原点回帰」(飯泉&専光談)のスタイルなのだ。

プログラムは古典タンゴからピアソラまで、オリジナルやアルゼンチンサンバの曲も含め、
ヴァラエティに富んでいて、飯泉さんのMCも、曲や作曲者について過不足ない説明で
とてもわかりやすく、楽しめた。

出だしのUna Noche de Garufa、El Chocloあたりは、もう少しギターの低音が欲しい感じだったが、
プログラムが進むにつれ、二人のやり取りも面白くなっていった。

一番印象に残ったのは、ピアソラのEscualo。
ヴァイオリン超絶技巧の曲だが、専光君のまったく無駄のない弓遣いから繰り出される
音の正確さと安定感が素晴らしかった。

これまで多くの楽曲をギターのために編曲し、自ら録音してきた飯泉さんの音作りも、
奇をてらわず、あるべき音をキチンと立たせていて、安心して聴くことができた。

暑い午後だったけど、「タンゴの家」でいい音に浸ることができて英気を養えた。


さて、このデュオ、10月27日(日)14:30から
今度は飯泉さんの地元のさいたま市民会館うらわでライブを行う予定。

また、11月10日(日)には、
この秋横浜で行われる「横濱音祭り2013」の連携イベントとして
オルケスタYOKOHAMAとそれを母体にして生まれたユニットが出演する
「港横浜タンゴフェスティバル」に、平田耕治クワルテート、Mentao と共に参加する。
こちらは横浜市開港記念会館で13:00から。

乞ご来場!

2013年7月24日水曜日

我が家の猫物語(14)困った人々

前回のつづきです)

家の中は、一見何もなかったように見えたが、
プロの泥棒は、物色した痕を残さず貴重品だけ持っていくというから、
細かく見てみなければわからない。

一見してわかったのは、
 1)4個の猫トイレの置き方が間違っていて、内1個の入り口が塞がるように置かれている
 2)猫砂は紙なので袋の口を紐で縛って湿気が入らないようにしているのだが、
  その紐は、はらり、とひと巻きしてあるだけ
 3)カリカリの袋の口も、プラスチックの留め具で閉じているのに、ひょいとかけてあるだけ

何もちゃんと出来ていないじゃないか!!

そうこうするうちに、シッターAが打ち合わせ時にも同行したMさんとやってくる。
Mさんは、以前から知っていた人だし信頼していたので、専らMさんに話す。
「Mさ~ん、これどういうことよ~」

上記3点は見ての通り、Mさんも、「これではだめね」とAに言う。
勝手口を開け放して帰ってしまったことについては、
「私もそれでいいのかと思いましたが、換気のために窓を開けて帰ったりすることは
他のお宅でもあるので・・・」
「全然違うでしょう!少しでも変だと思ったら、確認すべきじゃないんですか?」
「おっしゃる通りですが・・・盗難とかはなかったんですよね?」
「さっき帰ってきたばかりで、まだ調べてませんよ!」

私が個別の事柄について、かなりきつい口調で文句を言った後、
夫が、彼らのやっていることが、如何に職業倫理に欠けているかを淡々と説く。
さすがお役人である。事務的な口調が、かえってコワイ。
こいつが敵じゃなくてよかった
と思うのはこういう時だ。

とにかく、としを逃がしたこと、
仕事がきちんとできていなかったこと、
家を無用心な状態にしたことについて
どう責任をとるのか、示すように言って二人を帰す。

その後、社長の女性とも電話で同じ様なやりとりを繰り返す。
こちらは、相手が事業体としてどう責任を取るつもりなのか、
こういう場合どういうポリシーを持っているのか、
を聞きたいわけなのだが、

 起きたことは申し訳ない
 損害があれば弁償します←なにそれ、弁償すればそれでいいの?
 とし君はおうちの近くにいることが確認できているので←どこに?私は見てないよ
 責任を持って見つけます←どうやって?

などと言うばかり。
としが帰って来なかったら、チラシを作るなどの手段を講じる用意があるのか、ないのか、
なければ、どうするつもりなのか、と言った具体的な台詞が出てこないのだ。
挨拶ぐらいしに来るかとも思ったが、それもなかった。

その夜、結局としは戻って来なかった。

翌朝、起きてしばらくしてとしが戻ってきた。
掃きだし窓の方からいったん入ろうとしたのに、
勝手口に回ってしまい、そっちにはみいみちゃんと弁慶がいて、
彼らを入れずにとしを入れるのに苦労したが、何とか成功。

ア○ールにも知らせなければ、と、営業開始の10時になるのを待って電話すると、
なんとまだ留守電。呆れて開いた口が塞がらない。

20分ほどして、社長から電話が入った。

「あ、さっき電話したんですよ」
と言えば、「ご用件は」と聞くのが礼儀だろう。ところがこのひとは、
「緊急連絡のために、わたくしの携帯の番号をご連絡しようと思いまして~」と言う。

「その必要はないと思うんですけど」
と言えば、「あら、どうしてですか」と普通は言うだろうが、このひとは、
「それで、としくんのお写真をお借りしたいと思いまして~」と言う。

「あんた、バカか」と言いたいのをぐっとこらえ、
「さっきお電話したのはですね、としが戻ってきたからですよ!」
と言って、やっと事の次第を呑み込んだようす。疲れる・・・

ともかく、起きたこと、したことについてどう責任をとるつもりなのか、
整理して改めて連絡するように言って電話を切る。

としは怪我はしていなかったが、尿の出が悪いようだったので、翌日病院へ。
結石も膀胱の腫れもみられないので、ストレスだろうから、
消炎剤の注射と抗生剤の飲み薬で様子を見ることに。
これではまだ、一件落着とはいかないな、と思う。
今回のことで病気になったとしたら、どこまで補償を求めるべきなのだろう。

夕方、近所の花屋から、
ア○ールから花を届けたいので在宅時間を知らせて欲しい、
という留守電が入る。
花?しかも、近所なのに、自分でじゃなくて届けさせる?
なにそれ?
花屋に電話して、受け取る理由がないので断る、と言うと、
花屋の兄さん、ククッと笑いをかみ殺していた。

(つづく)

2013年7月21日日曜日

Reading e-books on iPad mini     続・iPad miniで電子書籍を読む

(日本語は後半にあります)

I've been looking for English titles to puchase at iBooks store,
but couldn't find the kind of books I'd like to read.

Then, I came across a blog entry talking about using Kindle on iPad.
I didn't have time to check out if I can do the same on iPad mini,
so asked my husband to check it out for me while I was out.
He came back to tell me that I can use Kindle by downloading an application
and registering my iPad mini on Amazon.

Did that, and, Wow, I could purchase my favorite writer's books
at about one-third the price of a paper book!

I know I don't have much time for pleasure reading nowadays,
but buying e-books and having to leave them untouched makes me feel less guilty
than piling up paperbacks on my desk.

E-books, yes, I do think they're great invention.


以前 iPad miniで電子書籍を読む ことについて書いた。

その後、洋書も取り入れようとiBooksのストアをいろいろ検索してみたが、
なかなか好みの作品に当たらない。
何かの折に、どこかのブログで iPadでKindleを使う、という記事があって、
これって、iPad miniでもできるのかなあ、と夫につぶやいたら、
アプリをダウンロードしてAmazonで登録すれば使えるよ、
と調べて教えてくれた。

早速アプリをダウンロード、AmazonのKindleサイトを覗くと、
大好きな作家のまだ読んでいないタイトルが既に電子化されて、
紙の本を買うのの3分の1位の値段で買えることが分かった!

当面読む時間はないけれど、紙の本を積読よりは、iPad miniの中に収まっている方が
罪の意識は少なくて済むというものだ。
ぽちっとしたのは言うまでもない。

2013年7月14日日曜日

我が家の猫物語(13)事件発生

福岡に着いた翌日の日曜日、土砂降りの中南小倉バプテスト教会に出席。
事前に何も知らせていなかったので、たにもとさん、
「なんでこいつらがここにおんねん?」とばかりにきょとん。
それを狙っていた私たちは大満足。(ごめんなさい)
TLFのブエノスツアーから帰国したばかりだったので、
土産話満載の楽しい説教を聞き、礼拝後にはドゥルセデレチェ風味のオレオを頂いて
また、夜ティエンポで会うことを約して博多に戻る。

夕方、ホテルで一休みしてティエンポに出かけよう、という時、私の携帯が鳴った。

「ア○ールの△△ですが」(ペットシッターである)
「はい」
「としちゃんは、いつもはどこにいますか?」
「え?どこって、いつもは側に来るけど。
 じっとしてるとすれば箱の中とか、ソファの上とか?」
「ちょっと姿が見えないので」
「あなた、外に逃がしたの?」
「いえ、逃がしてないです」
「あなたが出さなきゃ他に出す人いないんだから、家の中にいるでしょ。
知らない人が来たんで隠れるとすれば、ベッドやソファの後ろだろうから、
よく見てみて。」
「わかりました。」

外に出てしまったのだろうか、いや、出していないと言うからには違うのだろう、
でも。。。

とにかく、携帯がいつ鳴ってもいいように気にしながら、ティエンポのミロンガを楽しみ、、
TLF、徹さんと一緒に海鮮丼やらごまさばやら、おいしいものを食べて、打ち上げ。
その間も携帯は鳴らなかった。

ケイトさんの車でホテルまで送っていただき、部屋に帰ると、
携帯がない。
ホテル玄関から部屋までの足取りをなぞるが、ない。
店では持っていたので、店に電話してみるが、ない、と言う。
とすると、車の中か?
先ほど徹さんを降ろしたホテルの電話番号を電話帳で調べて、夫にかけてもらい、
徹さんからたにもとさんの携帯番号を教えてもらってかける。
車の中を探してもらうと、あった!
お手数だが宅急便で送って頂くようお願いする。<m(__)m>

ア○ールにも、今後の連絡は夫の携帯にするようにと、留守電にメッセージを入れ、
ようやくベッドに入った。

翌朝、夫の携帯に電話が入る。
やはり、としは外に逃げていたというのだ
夜中もずっと確認していたけれど、家には入って来ようとしない状態。
それでは、他の二匹を廊下の方に閉め出しておいて、
勝手口を開け放して入ってくるのを待ってみるようにしてはどうか、
と言って電話を切る。

昼ごろ、また連絡があり、やはり入って来ない、という。
たぶん、知らない人がいるので入りにくいのだろうと思い、私たちも夕方には帰るので、
いつまでもシッターさんがそこにいても仕方がないから、としはそのままで、
ごはんだけ食べられるように外に出して、帰ってください、と言って電話を切る。

家の外には母猫もいるし、としは臆病なので通りに出て車にはねられたりしないだろうから、
危なくはないだろうけれど、参ったなあ、と思いながら帰路についた。

夕方帰宅すると、勝手口の戸が半開きになっている
あれ?帰っていいって言ったのに、待っててくれたのかな。
玄関を入っても誰も出てこない。あれれ
二階からさのすけとシズカが降りてくる。え?
LDKへの扉が閉まっている!ええっ??

としをおびき寄せるために勝手口を開放し、
そこから他の子が出ないようにLDKへの扉を閉めておく、
というのは、あくまで短時間の措置で、
そのまま閉め出されていては、さのすけやシズカはキッチンに行けないので
ごはんも水も摂れないしトイレにもいけないのに!
(おかげで2階の寝室の床が惨憺たる有様に)

第一、勝手口開けっ放しじゃあ、としが入ってきたって、また出て行くだけだし、
他の猫も出入り自由、

泥棒さんも出入り自由じゃないかあああ
私が家の電話で事務所に電話する間、
夫は自分の携帯に残っている番号から担当者の携帯にかけている。
「すぐ来い。一人で来るな。責任者を連れて来い。」


(つづく)

2013年7月8日月曜日

我が家の猫物語(12)3匹生活

突然飛び込んできた静を加えて、3匹となった我が家の猫たち。
  

  

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
同じ親から生まれた1歳違いなのだからか、どちらかが凶暴にどちらかをいじめる、
というようなこともなく、3匹生活がスタートしたが、 平穏無事だったわけでもない。
    

  
  













ワクチン接種のため静を動物病院に連れて行くと、幾つも寄生虫を飼っていることが判明。
他の2匹もトイレを共有しているので、うつっている可能性があり全員に虫下しを飲ませることに。 その後虫がいなくなったことを確認するために検便もしなければならず、
一週間ほど(?)大変だった。

トイレも問題になった。

としとさのすけだけの時は、トイレは2個で、3匹でもそのままいけるかと思っていたが、
としやさのすけがトイレに入っていると、静が覗き込むので(エッチ!)、
さのすけがこれを嫌い、トイレ以外の場所でするようになってしまったのだ。
すぐに1個増やしたものの、事態は改善せず、インターネットなどで調べると、
多頭飼いの場合は「頭数+1」が望ましいとあり、
キッチンに置ける限界の4個設置することになった。

キッチンの床の半分は猫トイレに占拠され、さのすけは便秘癖がついたため、
カリカリにふかし芋をトッピングしたり、いろいろ苦労した。

水溶性繊維の入った療法食とオリゴ糖配合のウェット、さらに猫草サプリで
最近は排便がスムーズになったものの、トイレが汚れているとすぐ床でしてしまう癖は直らない。


    
  













としとさのすけが視覚障害猫なのに対し、静は目に問題はない上、おてんば盛り。
兄貴たちが絶対にしなかった、テーブルやキッチン・カウンターに飛び乗って物を落とす、
といういたずらを盛んにしてくれた。

朝階下に降りてくると、

ダイニング・テーブルの周りに塩と胡椒がばら撒かれていたり
急須が割られていたり、愛用のボールペンがおもちゃになっていたり。
それも、人がいないときにやるのだから、いけないとわかっているのだろう。
キッチンの棚に置いていたフリ○キーの袋がかじられるに至って、
猫餌は別の部屋に隔離されることとなった。

  今でも夜中に高いところに上がってはパトロールしているらしく、
  昨日まではなかったものが置いてあると、間違いなく床に落としている。

  さらには、夫の目の前でキッチンの調理台に飛び乗り、カウンターを飛び越える、
  を繰り返しているらしい。

そんな生活も徐々に落ち着いてきた2006年6月、私たちは
齋藤徹さんとトリオ・ロス・ファンダンゴスの共演を聞くために、福岡に出かけることにした。
ティエンポのミロンガでの演奏は日曜日の夜。
土曜の晩に福岡入りし、日曜の朝はたにもとさんの教会に行き、
夜ミロンガの後もう一泊して帰れるよう、月曜は休みをとった。

ブエノス旅行を含めて3回ペットシッターをお願いしていた家事サービスの会社に連絡すると、
ペットシッター部門を新たに設けたので、来てくれる人が替わり、料金体系も変わった、 という。
打ち合わせにみえたのは、二十歳そこそこのお嬢さん。一抹の不安がよぎるが、
同行した責任者は以前と同じ方だったし、細かく指示を与えていたので、

このままお願いすることにする。

その数日前から、としがなんとなく落ち着きをなくしていて
外に出ようとする様子が見られたので、
もともと外にいた子なので心配はないが、留守の間なので

出ないように扉の開け閉めには注意して、 とお願いし、
私たちは福岡に飛んだ。

(つづく)