2013年12月23日月曜日

「できる」練習 マイホーム・ライブ反省会 あるいは 言い訳

前記事がマイホーム・ライブのご報告なら、こちらは個人的反省記事。

私の担当が司式のほか賛美歌ソロ1曲、じゅんこさんと輪唱1曲、
じゅんこさん、谷本さんと3人の歌に徹さんのベースが入る四重唱奏2曲と決まり、
そろそろ練習を始めようした10月末、はたと気づいた。

そういえば、聖歌隊を離れてもう4~5年になる。
しかも、終わりのほうは指揮が多くて自分では歌っていなかった。
礼拝に通っていれば、毎週5~6曲は歌っているけど、それも今年に入って休んでいる。

歌えるのか?

久々に声を出してみると、かつてFisまでらくらく出ていたのが、Eもやっとという感じ。
練習にさける時間は限られるけど、毎日少しずつ声出ししていかなくちゃ。
前半2曲はよくわかっているから大丈夫、合唱の音取りだけしっかりやろう、
と決める。

合唱曲は2曲とも、現代の賛美歌を合唱にしたもの。
1曲はこの編曲で歌ったこともあるが、
今回はメロディーをしっかり出してもらうためじゅんこさんがソプラノ、
私は慣れないアルトなので、改めて勉強し直しだった。

合唱の場合、アルト、テナーの中声部は、取りにくい、覚えにくい音がよくある。
すらりといかないところはキーボードで確認しながら何回も練習して身体に入れた。

直前になって、他のパートを弾きながら歌う、という練習をしたら、
難しくないと思っていたところが曖昧になってしまい少々慌てたが、
夫も「アルトはなくてもいいようなもんだから」と言っていたので、
まあ、落ちこぼれたらそのときのこと、ごめんなさいだなあ、とのんきにしていた。

当日のリハ。谷本さんが、まず合唱の2曲をやりたいという。
「不安なところが。。。」
谷本さんでもそうなんだ、とちょっとほっとする。(←間違った反応である)
実際、テナーのパートはとっても複雑な音になっていて、
そこへ持ってきて、本来助けになるはずのアルトがふらふらしているから、
谷本さんが合っていても、そう聞こえないため、何度も確認することに。
ごめんなさい。。。

さらに、じゅんこさんの声質が、クォリティーという意味ではあちらがぐっと上なのだが、
キャラクターという意味で私ととても似ていることがわかった。
だから、カノンはとっても楽しいのだけど、
ハモる時はついついじゅんこさんの声につられてしまうのだ。
まずい。。。聞かないように聞きながら歌わなきゃ。

そして本番。
教会の礼拝の司式であがったことなどないのに、妙にどきどきしている。
そうか、司式もかれこれ3年くらいやってないかも、
それにしては準備足りなかったかも、と今頃思ってもどうにもならない。
どきどきのまま突入。案の定、ソロで歌う声も出ない。

プロのお三方は、さすが、タンゴも、南米の現代賛美歌も
しっかり自分たちのものにして演奏していく。

谷本さんの楽しい説教も終わり、いよいよ合唱。
先ほど練習した箇所に来ると、谷本さんが迷いのない声でぴたりの音を出す。

プロだ。

プロというのは本番でちゃんとやってなんぼ、の世界。
そこに到達するために、できないところはできるようになるために練習する。

歌にせよ、ヴァイオリンにせよ、できないところはできるように練習するものだけど、
できないところをできないままに、闇雲に練習していると、
それは「できない練習」になってしまい、「できない」がどんどん固定化するから、
ちゃんと「できる練習」をしなければならない、とは、夫とよく話すことだ。
さっきの谷本さんの練習は、まさにそれだったのだなあ、と改めて感心する。

そこへいくと私は、「できなくてもみんなの邪魔にならなければいいや」
くらいの甘えがあったのだと思う。
確かに、演奏のほかにいろいろ気を配らなければならないことがあって
気持ちに余裕はなかったけど、目指すべきところにちゃんと注意を向けていなかった。
それは、ご一緒してくださったみなさんに大変失礼なことだったと反省している。
このメンバーと一緒にやれるなんて、ものすごいことなのに、
自分ちで気心の知れた仲間が集まってのイベント、ということで、油断してしまったのだ。
もっと全身全霊でぶつかっていけばよかったのに。

ああ、もったいないことをしたもんだ (>_<)






2013年12月22日日曜日

感謝と希望のマイホーム・ライブ

というイベントを、昨日(あ、もう一昨日?)12月20日に拙宅で行った。

夫の友人である、ベーシストの齋藤徹さんとヴァイオリニストの谷本仰さんが、
病床にある夫に、なにか音楽のコラボをしようともちかけ、
夫の「生の音が聞きたい」という希望に応えて我が家でライブをすることになったのだ。

企画を進めるうちに、夫の中では「礼拝をしたい」という思いが強くなり、
「賛美礼拝形式による家庭集会」に、タンゴや南米の賛美歌を盛り込むことにした。
谷本さんは牧師でもあり、うたうたいでもあるので、ヴァイオリン、歌、説教と大活躍だ。
ライブには、以前にも登場した餃子の会の人たちを中心に、
私たちのことを日ごろ見守り、支えてくれるタンゴの友人たちを招くことにし、
歌モノが入るということで、徹さんがしばしば共演している歌い手のさとうじゅんこさんにも参加してもらい、私が礼拝の司式と歌の一部を担当することになった。

北九州に拠点を置く谷本さんが仕事で上京するとき、ということで決まったの日取りが
12月20日(金)。
連休前の金曜日、忘年会、Xmasパーティーのピークと思われる日だから、
声をかけても予定のある人が多いよね、と思いながら連絡をしてみると、
全員、「空けておきます」「喜んで伺います」の返事。

普段、ふたりと猫2匹で暮らすこの家に、私たちと奏者も含めて
19人!
(みんな、他に行くとこないのか・・・いやいや無理してくれてるのはわかってるけど)
みんなが入るスペースを作るには、今リビングにあるものを移動する場所をまず作るために他の部屋を片付ける必要があるのだが、平日は看護師やらヘルパーやらやってくるので、週末ごとに少しずつ準備して、なんとか入るだろうというめどはつけた。

実は、10月後半夫は風邪気味で、呼吸の状態が悪くなっていて、
果たして12月20日を迎えることができるのか、わからない感じだった。
夫は「僕に何があっても、ライブはちゃんとやってね」と言ったくらいだ。
私も毎日、「あと50日、生かしてください」「49日・・・」「48日・・・」と祈っていた。
風邪が治った後も、おなかの調子が悪かったりして、不安材料はつきなかった。
なんとか大丈夫と思えたのは、10日前くらいだろうか。

直前の準備や、当日のこまごましたことはみんなに手伝ってもらって、当日を迎えることができた。

徹さん、谷本さん、じゅんこさんは、とてもよく準備してすばらしい演奏とお話を提供してくれた。プロの備え方というのはこういうものかと、隣に立って改めて圧倒される思いだった。
私は、進行やらキッチンの様子やら、夫の世話やら、いろいろなことに気が散っていて、なんだか肝心の内容に集中できずにいたり、歌もお三方の足を引っ張るだけだった感じで、反省ばかりなのだけれど、来てくれたみんなは、「ライブに来てね」といいながら礼拝に参加させてしまうというだまし討ちにも関わらず楽しんでくれて、私たちが伝えたかったこと、感謝と希望をちゃんと受け止めてくれたみたいで、ほっとした。

この19人が、タンゴという共通項で集まり、このような時間を共有できたこと自体が、
タンゴが、ただ音楽やダンスのジャンルではない、ということの証だとつくづく思った夜だった。




2013年12月18日水曜日

たかが、されど、タイヤ交換

関東地方にも、雪の予報。
タイヤ交換に行った某大手オートショップでも、
スタッドレスタイヤやチェーンを選ぶ人が続々やってきていた。

初めて自分のクルマを持ってから、今4台目だが、
冬タイヤはずっとホイールなしで保有し、シーズンごとに買った店に持ち込んではめ替えてもらってきた。車も店も変わったけど、やり方は同じ。
特に、今の家に越してきてからは、徒歩3分にタイヤ屋があり、
親切なおじさんが、「今度この冬タイヤを履き潰して、来シーズン新しくしましょう」
とか、「夏はまだ大丈夫だね」などとチェックしていてくれたので、
すっかりお任せだった。
タイヤ交換費用は1本2,100円×4本=8,400円だった。

ところが!

この秋、ふと気づくとタイヤ屋の様子がおかしい。
商品が少なくなり、しばらくすると、事務所も空になって閉まってしまった。

困ったなあ。。。
と思っていたところに、「12月は点検です」とディーラーからお知らせが来た。
そうだ、点検のついでにやってもらおう!

電話して聞いてみると、
「外して、はめて、バランスとって…13,800円くらいかかっちゃいますね。」
時間もちょっとかかってしまい、点検日は都合が悪かったので、改めて相談、
ということで電話を切る。

点検日。
一旦クルマを預けて、歩いて近所にもう一軒あるタイヤ屋へ。
持ち込みのタイヤ交換料金を尋ねると
「うちで買ったのじゃないと。。。1本3,800円だから15,000円超えちゃいますね」
との答え。

使えん

点検終了後、ディーラーの話。
ホイール付いてて付け替えだけなら2,100円でやれるし、
ホイールは40,000円位から買えるので、もしあと2シーズン今のタイヤを使うなら、
今ホイール買っても同じくらいになりますねえ〜
消費税のこともあるから、もし来シーズン買い換えるつもりなら、
いま、純正ホイール付きのタイヤを買うのもありかもですね〜
いや、うちでタイヤ買っても高くないですよ、こないだもオートショップ周って、
結局うちが安いって買ってったお客さんいましたから。

今持っている冬タイヤは、この冬が3シーズン目になるが、
何せおじさん任せだったので状態を把握していない。
そもそも、タイヤキならともかく、タイヤ買う余裕は、ない。
なので、「検討してみます」と答えてディーラーを後にする。

どうしようかなあ、まだ雪降らないから年明けにしようかなあ、
と思っていたところに、雪の予報である。
たまたま今日は、少し時間が自由になる日だったので、
某大手オートショップの最寄り店に電話してみた。
 
「持ち込み、ホイールなしですか?16インチ?えーと、8,400円です」
 やった!しかし、混んでるだろうなあ。
「きょうって、混んでますよね?」
「はい、3時間待ちで、それから作業になるので、4~5時間ですね。」
「待ってないとだめですか?」
「申し込みして、外出していただいて大丈夫ですよ。」

どうせ買い物や郵便局や用事もあることだし、今日を逃すと日もないから、行くことにした。

家で用事を済ませて行ったので、着いたのは電話をしてから小一時間後。
タイヤ交換待ち時間表示のところには「係員にご相談ください」の貼り紙。

「タイヤ交換お願いします」
「今4時間待ちですけどいいですか?」
「あ、さっき3時間だったのに」
「どんどん混んでまして」
「いいです、お願いします」
「えーと、夏から冬、ホイールなし、ローテーションは無料なのでやっときますね。
4,200円です。」
「え?電話では8,400円って聞いたけど??」
「あ、普通からラジアルとかだとその値段なんですけど、夏→冬なら4200円で大丈夫です。」

やった~~!\(^o^)/

待ち時間のおかげで、混んでる郵便局も、混んでるレジもイライラせずに並んで用事済ませたし、
ゆっくりおそばなんか食べちゃったし、作業待ちの間にブログの下書きも半分できたし、
なにより、例年より安く済んで次の対策をゆっくり考える猶予ができたのはよかった。
それにしても、この金額の差っていったい。。。

帰るころには外はすっかり冷え込んでいたけれど、気分はほんわか、ゆったりだった。

2013年12月5日木曜日

¡Vamos, Trio Los Fandangos!


友人であり、敬愛するミュージシャンであるトリオ・ロス・ファンダンゴスが、
タンゴの本場、アルゼンチンはブエノスアイレスで演奏旅行中だ。
3人のメンバー、同行カメラマンのぢゅんぼうさん、私のダンスの師匠でもあり、
TLFとはいつも一緒にステージを作っているケンジ&リリアナさん、
ツアーを仕切ってあれこれとお世話くださっているチノみほさん、
それぞれがライブ感いっぱいの現地報告をブログやFBに上げてくれているので、
こちらもいっしょにブエノスに行っている気分だ。
(37℃の暑さはNo, gracias.だけど)

今回のツアーの前に、ヴァイオリンの谷本さんが自身のブログ
「限界の外に向かう演奏について」メンバーで話し合った、と書いていた。

曰く

限界を、覆いを突き破ってその向こう側に突出したい、
その向こう側の音を出したい。

これで思い出したのが、「Johari's window ジョハリの窓」だ。
心理学やコミュニケーション学をかじった人なら、その入り口で必ず習ったと思うのだけど、
「自分」と言う存在は、自分に見えている部分と、他者から見えている部分、
両方に見えている部分、どちらにも見えていない部分、から成る、と考え、図式化したものだ。


 
私がこれを教わったのは、大学のコミュニケーション概論Iという講座だったのだが、
恩師のS教授はこの図を黒板に書いたあと、「未知の窓 unkonwn self」の部分の枠を、
黒板消しでちっちっちっ、と点線に変えた。
 
こんな感じ  (拙い絵で申し訳ない<m(__)m> )
 
 
つまり、unknown self というのは、|未知、誰にもわからない部分なのだから、
それがどこまであるか、その限界もわからない、線は引けないでしょ、というのだ。
そして、教授は言った。
 
みなさんには無限の可能性があるんです!
 
この言葉に、これまでどれだけ支えられてきたかわからない。
もうだめ、無理、と思うとき、この先どうなるんだろう、と不安なとき、
この「窓」と教授の言葉を思い出して、顔を上げて前に進んできた。
 
夫が難病になって、いま身体能力という意味では限界が狭まっているといえるかもしれない。
けれど、一人の人間の存在としての限界は、必ずしも狭まってはいないと思う。
夫も私も、こうなって初めて見えてきたもの、病気がなければわからなかったことが多々あり、
新たな地平を見ている気がするからだ。無限の可能性がある、私にも、あなたにも。
 
 
ファンダンゴスのみんなも、今、三度目のブエノスアイレスで
14年前の結成時には思いもよらなかった景色を見ていることだろう。
それは、この間ひとつひとつ積み上げてきた努力の結果であり、
人と人との結びつきがもたらしたものであり、音楽がその力で産み出したものであるけれど、
限界と思えたところは、たぶんいくつもあって、
それを越えてきたのは無限の可能性があったからだ。
 
限界はある、けれど、可能性は無限。
だから、きっと、目指す「限界の向こう側」にあなたたちは行くだろう。
 
羽ばたけ、ファンダンゴス!¡Vamos, Trio Los Fandangos!
 



2013年12月3日火曜日

Good bye, Optiplex!

日本語は後半です Japanese text to follow.

I just sent my 17-year-old DELL Optiplex out for recycle.
It was not exactly my first PC, as I had IBM DOS-V notebook earlier.
But Optiplex was the one that connected me to the Internet.

When I was trying to decide which PC to buy, my husband (though he wasn't my husband then) came forward to help me, and accompanied me to a big PC Fair.
On our way back, we had dinner at an Italian restaurant, and talked about a lot of things.
When my DELL arrived at my condo, he came over to set it up,
and made lentil soup as well.
That was how it started, and here we are.

Back then, search engines were not as clever as today,
and I often ended up on a website completely unrelated to the original idea
and in a completely different country.
But actually, it was the fun of the internet those days.

Today, things got much easier.
As I struggled to get the heavy desktop and CRT monitor out at the front door,
I thought of my iPad and its lightness reminded me how things got lighter as well.


17年前に買った、最初のデスクトップPC、DELL Optiplexをリサイクルに排出した。
その前に、IBMのDOS-Vノートを使っていたから、私にとっては2台目だった。

ちょうどWindows95が出て、インターネットが一般家庭に入り始め、
メーカー各社が個人ユーザー向けモデルを投入してきた頃だった。

私も仕事の調べ物や会計帳簿の電子化のために、PCを導入しようと思い、
どれを買おうかと思っていた時、幕張でPCフェアがあるから行ってみよう、
と言ってくれたのが、今の夫である。
ずっとコンピュータ畑で仕事をしてきた夫は、フェアも仕事絡みで行くことになっていたのだった。

帰りに寄った恵比寿のイタリアンで、レンズ豆が出てきて、
これはスープもおいしんだよ、と言って、
その後、注文したDELLが届いた日にセットアップを手伝いながらスープも作ってくれて
今日に至る、である。

あの頃は、馴れ初めを聞かれて、
「パソコン買ったら、ついてきた」
と言うと、ウケたっけ。

当時、検索エンジンは今ほど力がなかったから、
とりあえず開いたところから、まるで連想ゲームのようにサイトを渡っていくうちに、
始め見ていたのと全然関係ない国の、全然関係ないサイトにたどり着くこともしばしばだった。
でも、それで世界が急に身近に感じられて楽しかったのも懐かしい。

 
今、夫は病気で動けないから、排出の準備も手伝ってもらえず、
本体もCRTディスプレイも滅茶苦茶重くて、梱包して玄関に運ぶのも大変だった。
愛用のiPad-mini との差に17年の月日を感じたのであった。