2017年12月27日水曜日

今年を振り返る

どうもこの時期は年末でばたばたするのか、ブログが放置されるようだ。
去年もこんなことを書いていた。

今日は、このひと月、ではなく、ブログに書かなかったことを中心に今年の振り返りを。

まず年初から春までは、さのすけの入院・手術があった。
おかげさまで、以降さのすけは元気いっぱい、ご飯を食べる量も増え、
体も一回り大きく。巨大結腸による便秘は相変わらずなので、
冷房を使う夏、そしてこの寒い時期はたびたび病院のお世話になるものの、
心配事は少なくなった。

夫の体調も、たびたび感染症を起こすこともなく落ち着いていたので、
ここ数年放置していた家の中のことがらに、少しずつ目が行くようになり、
6月には自宅1階トイレを改修した。
以前から水がきちんと止まっていなくて、他の水回りの修理を頼んだ時に見てもらったら、
これは型が特殊なのでメーカーに頼まないとダメ、と言われ、
それならリフォームしてしまおう、ということになった。
幸い、うちのすぐ近くに施工業者が見つかり、主にメーカー請負工事をしているので
中間の費用がない分安くやってもらえてよかった。

7月には夫の主治医が交代した。
今までのDrより診ている人数が多いのか、既に伝えた基本情報(ナースが入るスケジュールとか)を全然覚えてくれず、毎度確認されたりして、なんだか心配になることもあるし、緊急時のオンコールも、最初でたのがナースだともう一往復しないと話が先に進まなかったりと、困ったこともあるのだけれど、半年経ってようやく慣れてきたかな。

この夏は、雷が多かった。
去年、家庭用蓄電池を設置して停電時に呼吸器の電源が落ちる心配がなくなり、
雷の中でも落ち着いて過ごすことができた。
実際一度は短時間ながら停電が起き、ちゃんと切り替わることが確認できた。
 (その後の復旧手順を私が聞き逃していたため、翌日電器屋さんに来てもらうことになったけど。
 でも、そのおかげで、蓄電池からの給電が呼吸器のコンセントだけになっていることがわかり、
 部屋の夫のいる側全体に設定し直してもらうことができたのだった。)

それはよかったのだけど、雷のあと、夫のステレオシステムが鳴らなくなった。
正確には、高音のスピーカーしか鳴らなくなった。
ラックの裏は人が入るスペースはなく、ケーブルが重なっていて手前に引き出すのも難しいため、空いている段を引き抜いてそこから自動車修理工のように仰向けに潜り込み、ケーブルをたぐったり抜き差ししたり、夫に聞きながらなんとかスピーカーは無事、低音と中音のアンプがダメなことを確認。更新するものを注文し、でも届いたらケーブルが入ってない、とか、修理に出すアンプがめちゃ重くて難儀したり、いろいろ大変だったけど、なんとか完了。実はかなり以前から、左側の音が鳴らないことが多かったこのステレオ、今回直してすっかりいい音を取り戻したのだった。ああ、ピアノの音がピアノの形に聞こえる・・・ 少し前に、CDプレーヤーも新しいものに替えていたので、音楽を聴く環境はこれで著しく改善した。

あとは、シズカがバリバリにしてしまった、一番大きいスピーカーの前面カバーの張替えをしたいところなのだけど、買ったお店では対応しておらず、自分で生地を買って張り替えたくても、木枠にホッチキスを打ち込んで止める、などという工作はしたことがないので、さてどうしたものか。どこかからお助けが来ないかなあ。

そして、私としてはこれが今年一番のハイライトなのだけれど、
夏の終わりにKindle Paperwhiteを手に入れた。
今までも、手元に取って置くほどでもないけれど読みたい本は、スマホやiPadで読むために電子版を購入していたのだけど、やはり目が疲れるのであまり読まずに積ん読ならぬ溜め読状態だった。それが、このPaperwhiteは、ついいまどきの言い方で「やばい」と言ってしまいたくなる良さで、溜めておいたものがどんどん読めるようになった。(とはいえClifton Chronicle 7巻は長いよ~)寝る前に読んでもブルーライトの影響がないのが特に良い。軽くてバッグにぽんと入るし、メガネを忘れたら字を大きくすればいいし、買って本当によかったと思っている。

夫を長時間一人にしておけないので、週末や夜のお出かけは難しく、従ってミロンガやライブはとんとご無沙汰だ。レッスンだけはいつも早退ながら、今年後半はなんとか月1は行くことができた。日頃のコンディショニング不足を痛感するだけに終わってしまっているけれど。

来年はどんな年になるのか、社会や国の動きを見る限り、さっぱり良い兆しは見えないのだけれど、今年かなりの進展を見たiPS細胞を使った難病治療の研究が、さらに飛躍的に進んでくれることを願ってやまない。




2017年11月19日日曜日

私はだまされない

数日前の昼時、家の電話が鳴った。

ーもしもし。

>・・・こちらは、三井住友VISAカードです。

 と録音ヴォイス。機械と話す気はないけど・・・

>・・・ご利用のお客様に重要なお知らせがありますので・・・

 どうせキャンペーンだろうけどちょっと聞いてみるか・・・

>・・・オペレーターにおつなぎしますのでこのままお待ちください。

 え?オペレーター?

>三井住友VISAカード コールセンターの〇〇です。

 まだ機械みたいな話し方だなあ。

>これから重要なお知らせをお伝えします。御本人様確認のため、お名前とご住所をお願いします。

 はあ?そういうお知らせなら郵便で来るものじゃない?
 だいたい、本人確認って、電話かけてきておいて私の名前を聞くわけ?
 アヤシイ。。。

ーあの、そっちからかけてきた電話でなんで名前聞くんですか?
 あなたはどこに掛けてるつもりなんですか?

>それは、個人情報になりますので、こちらからは・・・

 なんじゃそりゃ?アヤシイ。。。

ーそれに、何のカードですか?

>VISAカードです。

 や、そりゃわかってるけどさ、私もカード複数持ってるし、中にはVISA付いてるのあるかもだけど、「三井住友VISA」で請求とか来たことないし、普段使ってないから、△×百貨店の、とか×〇量販店の、とかそういうこと聞いてるんだけど。アヤシイ。。。

ーVISAは・・・たぶん持ってないと思いますよ。(持ってるけど、使ってないって意味で・・・)

>・・・ 持っていない・・・

ブチッ!(切れた)

 え?切れた?

 え~~~!ほんとに詐欺だったの~~~!

 なるほどね~、わたしは手元にカードがなかったし、自分から情報を先に出そうとは思わないから引っかからないけど、ホイホイ名前を言っちゃって、カード番号言っちゃって、セキュリティコードも言っちゃう人もいるのかもね。

それにしても、少し前には法務省を騙るはがきも来たし、
60過ぎると騙される世代に分類されちゃうってことなのかな。
備えよ常に。私はだまされない、だにゃ。

2017年10月31日火曜日

Ernesto, Cold, 選挙

(Some highlights from the second half of October)

Ví la pelicula 'Ernesto', una colaboración de Cuba y Japón.
Se trata de Ernesto 'Che' Guevara y un  Boliviano de origen japonés, Freddy Maemura Hurtado, que luchó junto con el Che en la guerra para doccocar al gobierno militar.  El Che le dió a Freddy su propio nombre Ernesto como el nombre luchador.
La revolución de Cuba, la crisis de los misiles en Cuba, la revolución de Bolivia... todo ocurrieron cuando era niña y no son de historia lejana.  Pero estas obras recientes como esta pelicula me recuerda que lo que nos enseñaron en la escuela fue la versión a favor de los SSUU.  Tal vez lo que leemos en las noticias hoy es así todavia.


And the shopping mall where I went to see the movie was rather chilly that I caught a cold for the first time in more than 5 years.  I can say so, because, ever since my husband was diagnosed with ALS, I've been very careful not to get sick as I can't afford to be sick in bed.  Considering the fact that I used to catch a cold at least once every winter before, I must say it's solely thanks to the grace of our Lord that I could avoid catching a cold.  I managed to get over it in a few days, so it was nothing serious.  Hopefully, I'll stay well for the next 5 years, or more!


そして衆院選があった。実に目まぐるしい一ヶ月で、傍観するだけなら興味深い部分もあったかもしれないが、国の先行きを思うとなんとも情けないことが続き、多くの国会議員は国民より自分が失職しないことが大事だと思っていることを改めて確認することになった選挙だった。そんな中で、有権者もコイケにそうそう騙されることはなく、公示一週間前に立ち上がった立憲民主党が善戦したのは心強かった。民進党の中で自分のことが大事な人たちは希望に走り、選挙のなんたるかを心得た人たちが立民に立った、ということだったのか、とにかく立民は選挙のやり方がうまかった。とはいえ、日本人の気質に合わない小選挙区制が維持される限り、強権政治へ突っ走っていくことは明らかで、これはなんとかならないのかと改めて思う選挙だった。

2017年10月10日火曜日

連休

10月の連休中日は、久しぶりにいつもの仲間を自宅に招いてパーティー。
8月に結婚した仲間がいて、私たちも8月で結婚20周年だったので8月に、
と思ったのだけど、いろいろあって10月になった。
私たちは、式は8月、入籍は9月、今の家で一緒に暮らし始めたのが10月だから、
10月でも全然問題はなかったし、季節もいいときになってよかったかと。

お料理は、20年前まだ珍しかったイタリアンで披露宴をしたことを思い出して、
「イタリアンらしきもの」を用意。
生ハム、トマトとアボカドのサラダ、サーモンマリネ、チキンの悪魔風、
ジローラモさんちのラグーとパスタ。それにHちゃんお持たせのキッシュも。
  


デザートはお取り寄せティラミスとKさん手作りのレモンムースだったけど、写真は取り忘れ。

私たちの20年前のビデオや、新婚さんの8月の結婚式の映像を見て、その日の思い出話をしたり、久しぶりの人もいたので、お互いの近況やタンゴの話で盛り上がったけど、最近踊り場にあまり行っていない人が、いろんな人の様子に一番詳しかったのがびっくりだった。



9日の祝日は、岩波ホールにアルゼンチン映画「笑う故郷」を見に行った。
なぜこの邦題になったのか知らないけど、原題の「名誉市民」でもいいんじゃないかという気がした。それにしてもアルゼンチンのユーモアって、以前見た映画もそうだったけど私からするとブラックだなあ。

滅多に行かない神保町に行ったので、映画のあと、タンゴ仲間では有名な「ミロンガ」に行ってみた。タンゴの店だから年配のお客さんを想像していたのだけど、ドアを開けてみると中は若者ばかり。さすが神保町。もしかすると、普段聴き慣れた音楽とは違うものがかかっているから、落ち着いて話したり勉強するのにいいのかもしれない。閉店まで30分あまりだったけど、食事もオーダーできるというのでメキシコ風ジャンバラヤを。
 




 


落ち着いた雰囲気でコーヒーもとても美味しかったから、またいつかゆっくり行きたいと思う。
 



2017年9月8日金曜日

対話

dialogue 「対話」と訳されるこの言葉は、元をたどると「横切って」+「話す」というところから、主に二人あるいは二つの集団の間でやりとりする、という意味に使われるようになった言葉だ。

これに「一人で」を意味する solo を付けて、"Solo Dialogues"と銘打ったライブを続けているのが、タンゴのTrio Los Fandangosでヴァイオリンを弾いいている谷本仰だ。今の時代、対話が失われているのではないか、という思いから始まったライブは、演奏家だけでなく演技者やダンサーなどいろいろな人との対話とともに、谷本仰自身の中での対話やその「場」との対話の表現として続けられてきたものと聞いている。

Solo と Dialogue とは矛盾するように聞こえるが、そもそも谷本さんはタンゴだけでなくロックやジャズや即興や劇音や教会音楽や、いろんなところでヴァイオリンを弾いているし、歌うたいでもあるし、牧師だし、ホームレス支援活動者だし、音楽療法士だし、5人の子の父親だし、他にもあれやこれやいろいろ、それらの「対話」が音になったらと思うと、仕事の自分とそうでない自分くらいしかない我が身に比べたらどんなに多彩かとわくわくするではないか。

以前出た1枚目のCDを聞いたとき、多重録音ではなくライブ同様に演奏したものを録音したのだと聞いて、いったいどうやったらこんなふうにできるのか、一度見てみたいと思っていた。このたび出来たての2枚目のCDをひっさげて、関東での"Solo Dialogues"ツアーをするというので、横濱エアジンでのライブに行ってきた。
   

用意されたしかけはこんな感じ。
  
これらを素足で器用に操作して、先に弾いた音を残したり繰り返したり、効果音を被せたりしながら、エレクトリックとアコースティックのVnを持ち替えながら、ときには「今一番お気に入りの楽器=泡立て器(!)」を奏でての即興演奏。一人なのに、ヴァイオリン(泡立て器)一本なのに、分厚い音の渦。
音の面白さは確かにあったけれど、それ以上にやはり、そこに投げ出された谷本仰という存在が温かく、愛おしく、会えてよかった、神様ありがとう、という思いが満ちてくる時間だった。

即興以外にもAmazing Grace や演劇のために作られた自作曲など、私は家庭の事情で前半しか聞けなかったけど、秋の初めの夜にふさわしいライブだった。

対話といえば・・・
NHKの夏休み編成の中で、健常者と障害者がガチで対話するという番組があった。NHKはEテレでバリバラ=バリアフリーバラエティという番組をやっていて、この番組は某民放の24時間ナンタラの裏を出演した障害者自らが告発したことでちょっと話題になったりもしたのだが、今回の番組は総合テレビの方でバリバラのレギュラーの人も入って、健常者がこんなところで障害者のことを勘違いしているよ、と対話を通じて気づくような企画だった。


ゲストのタレントたちが、普段は障害者に聞きにくい、聞いては失礼だろうか、と思っているような質問をして、それに対して障害者の人たちがストレートに答え、やりとりしていくのがとても興味深かった。
その中で浮き彫りになったことの一つが、多くの健常者が障害をネガティブにしか捉えていない、ということだ。つまり、障害は不幸、あるのはよくない、と決めつけているのだ。そして、障害者は言うのだ、「障害は不便だけど、不幸じゃない。」


一番びっくりしたのは見えない人たちの以下のエピソードだ。
「見えなくても彼氏がイケメンとか関係ありますか?」
「もちろんですよ~ 彼氏がブサイクだったらやじゃないですか~」
「でも、わかるんですか?」
「わかりますよ、声で。」「わかるよね、ハゲとか」
!!
「ハゲがわかるんですか?」
「ええ。」「声が禿げてるもんね」「そうそう」
!!!
そして、ゲストの男性たちに一言ずつ発言してもらい、ハゲかどうか聞いてみると、彼女たちはことごとく正解したのだ!


見えない人たちは、私たちのようには見えていないけれど、見えている。
こういうことだって、対話してみれば、なあんだ、ってことなのに、話さないといつまでもミステリーで距離が縮まらず勘違いし合っていて、相手を思いやろうと思っても的外れになってしまったりするのだ。


対話といえば・・・
「対話と圧力」と言いながら、ICBMまで来てしまった某国との関係のこともあれこれ思うのだけれど、長くなるのでそれはまたの機会に。



2017年8月31日木曜日

夏の思い出

8月ももう終わり。
月初こそ暑かったけど雨が多くて猛暑にはならず、なんとか今年も生き延びたかな。

猛暑の予報だったから、8月は少しは仕事を入れない日も作っていた。
以前だったら休みといえば、目覚ましをかけずに思い切り寝て、起きたら自分のペースで片付けものをしたり、ちょっと手の込んだ料理を作ったり、猫とゴロゴロしたり、カフェにでも行って本を読むとかで一日過ごしたものだ。


いまは病人のスケジュールに夏休みもなにもないから、こちらも夏休みというほどのこともなく、たまった書類の片付けをしたり、雷でステレオアンプがどうやら壊れてそのあとの対応をしたり、呼吸器の会社の担当者が替わって挨拶に来ると言っていたのに来なかったり、なんてことで日々が過ぎていった。

ひとつ変わったことをしたといえば、フェイシャルシェービング、所謂顔そりなるものをやってみたくらいか。行きつけの百貨店から系列の店舗の特典案内のはがきが来たので行ってみたのだ。シェービングは20年前の結婚式前に一度だけそういうサロンでやったことがあり、そのときもお肌がツルツルスベスベになって気持ちが良かった記憶があり、トリートメントが特典で付くしこれを「夏休みのイベント」にした。

日頃の寝不足もあり、お昼寝しているうちに終わってしまったけど、確かにお肌はツルスベになり、お化粧のノリも良くなった。月に一度くらいやるといいそうで、次の予約も誘われたけど、こちらは「イベント」なのでお断りして帰った。


月末の5週目も仕事を入れない日を作ったものの、さてどうしようか、となってしまった。久しぶりにぎんぶらでもして、新しくできた商業施設を冷やかしたり、ヴァイオリンの楽譜を物色したりするか、とも思ったのだけど、どうやら気温が高く、かつ突然の大雨の恐れ有り、という予報だったので、レオナルドとミケランジェロ展と連動して入場料が割引になるアルチンボルド展に行ってみることにした。


西洋美術館は上野駅からすぐなのでたとえ雨に遭っても大丈夫、と思ったけど、降っていたのはちょうど中にいる間だけだった。
 

 
 
アルチンボルドの寄せ絵は以前も目にしたことはあったけれど、「変わった、面白い絵」という印象しか持っていなかったので、その美術史上の意味がわかる展示は期待以上にためになるものだった。

会場の入口には自分の顔をアルチンボルド風にして見せてくれる装置があったりして面白かった。
    


ミロンガこそ行けなかったけど、月初と月末にはケンリリ師匠のレッスンに顔を出すことができたから、そこそこよい8月になったということにしよう。

2017年7月31日月曜日

7月(長文注意)

なんだか7月は早く過ぎた気がする。
いろいろ考えさせられることもあってブログに書きたいなあと思っているうち
にもう月末だ。

17日の祝日はミロンガに行こうかと思ったけれど、どこも遅刻か早退になってしまう感じで、
そういうのがちょっと気が進まなかったので、丸の内に「レオナルドとミケランジェロ」を見に行った。素描を中心に同時代に活躍した二人の巨匠を対比する展覧会。祝日とはいえ展示の性格ゆえかひどい混み方ではなくじっくり作品を鑑賞することができた。



レオナルドもミケランジェロも「天才」と言われるけれど、
天才とはやはり努力することにおいて天才なのだと改めて感じ入るほどに
二人の素描の徹底ぶりは並外れていた。「なにごとも基礎が大事」とはよく言うし聞くけれど、
実際に彼らが生み出してきた作品群(モナリザとか最後の晩餐とかシスティーナ礼拝堂天井画とかダビデ像とか)を思うとき、その影に膨大な素描があったことを想像し本当に圧倒された。


折しも大相撲では白鵬が前人未到の勝ち星記録を更新し、この人も相撲の基礎
である「四股・すり足・テッポウ」を今でも欠かさず丁寧にやっていると伝え
られる。タンゴで基礎と言ったらやはりカミナータ、ヴァイオリンなら開放弦とスケールだろう。さて我々通訳者が
日々続けるべき基礎演習は?


26日は相模原の障害者施設での殺傷事件から1年ということで、この前後メ
ディアでも特集報道が続いた。地元県内の事件だしその後のことも地元紙が継
続的に伝えているのでより身近に感じている事件である。
障害者に関わることでいつも思うのは、私が子どもの頃に比べて障害者福祉が
制度的には整備されたものの、その他の人々から切り離されてしまっている、
ということだ。普段の生活の場を共有していればお互いの個性として認め合え
るはずのことが、見慣れない別の世界の人同士になってしまったり、一方的に
何かを与える人受ける人、という関係になってしまうことで、差別やヘイト行
動に繋がっているのではないか。
もうひとつ気になるのは、「障害者は不幸だ」と決めつけた加害者のことばを
発端とした「幸か不幸か」の議論だ。人が生きているって、幸せだったり不幸
だったり、どっちでもなかったり、いろいろじゃないのか?それに、傍から見
てある人を「幸せ」というとき、その幸せの元になっている要素も別の角度か
ら見れば不幸だということもあろう。例えば皇太子妃雅子さん。暮らしの心配
がないことは多くの人からすればとても幸せに見えるだろう。しかしどこかの
大統領のように好き勝手にツイッターで物をいうこともできない、ちょっとコ
ンビニまでお散歩することもできない、そんな暮らしを安定した生活と引き換
えて「幸せ」と思う人もあるかもしれないが、不幸だと思う人もいるだろう。
ご本人がどう思っているかは知らない。幸か不幸か、そんなことを言っても意
味がない、だって代わりはいないのだから、とでも思っていらっしゃるか。
なんにせよ、それぞれ、なのだ。障害者は周りを不幸にするか、いやそうでは
ない、とか部外者が言うことでは、ないとおもう。ひとりひとりの命を同じよ
うに尊重する、それだけだ。

20年以上前になるが、ACCアジア教会協議会の障害者の会議に出席する機会があった。その中で「神は自らに似せて人を造ったというが、私たちは違うのか」という切実な問いかけをした参加者があった。足の萎えた私、見えない私、腕のない私は神に似ていないのか。その少し前の議論で、医学がどれだけ進歩しても、社会における障害者の割合は変わっていない、という話が出ていたのを私は思い出して、こう言った。ここで聖書が言っている「人」というのは個人個人ではなくて人間全体のことなのではないか、そして一定の数の障害者が含まれている人間社会というのが神が造られた「人」の姿なのではないか。
私の解釈にみんなが同意したわけではなかったが、あながちそう的外れでもないのではないかと思っている。望ましいのは自分の交友関係の中に1割からの障害者が含まれていることなのだが、自ら求めていかないとなかなかそこに至らないのがいまの隔離社会だ。普通にみなが肩を並べて暮らせる社会であってほしいものだ。


29日、NHK-BSで近衛秀麿が戦時中のヨーロッパでユダヤ人音楽家の亡命を助
けていたのではないか、という謎を追う番組があった。杉原千畝は外交官としてビザを発給することでユダヤ人を助けたから、その行為の証拠も残っているわけだが、秀麿に限らずユダヤ人を支援した様々な国の人々はその証拠を残さなかったし、戦後も多くを語らなかったから実際どれだけの人がそのような働きをしたか、またそのために命を落とした人がどれだけいるか、どのくらいのユダヤ人が助けられたのか、おそらくは永遠にわからないのだろう。番組でも詳細なことは結局わからなかったという結末だった。秀麿の行為は、ノブリス・オブリージェであったり、文麿の弟として自らの音楽を政権に利用されるのならば自分もその立場を利用して音楽を助けようという気持からだったりしたのではと想像する。いずれにしてもその背景にあったのは、なんの罪もない人々の命が理不尽に奪われていったという悲惨な歴史である。
先月、「ローマ法王になる日まで」というフランチェスコ法王の若き日を描いた映画を見た。70年代後半から80年代前半、軍政下のアルゼンチンで国家テロにより多くの国民の命が奪われた「汚い戦争」のことは知識として知っていたが、拷問や睡眠薬を注射して飛行機からラプラタ川に落として殺す様子が映像化されたものを見て、その理不尽さに胸が苦しくなった。
何の咎もない人が謂われなく突然殺される。考えてみればそれは何も大戦中や軍政下のアルゼンチンだけの話ではなく、いまもシリアで、イラクで、南スーダンで起きていることなのだ。


アルゼンチン、相模原事件、ユダヤ人迫害、
気づけば今月は無辜の民、理不尽に命を奪われた罪のない人々のことをずっと考えてきたなあ。8月前半はまた先の大戦の報道を振り返る番組があるだろうから、もうしばらく思い巡らすことになるだろうか。

2017年7月5日水曜日

主治医の交代

夫の主治医が7月から交代した。

事の発端は、胃瘻交換を担当していたもうひとりの医師が、市の医師会の理事に選出されたこと。

以前、胃瘻交換後内視鏡での確認が必要となったとき
これまでの主治医は、自分の手に余るので胃瘻交換だけ別の医師に依頼したのだった。
(この医師も訪問診療の経験が豊富なのでうちとしてはいつも自動的にセカンドオピニオンがもらえるありがたい環境にあった。)

ところがこの先生が忙しくなってうちに来るのが難しくなり、主治医も自分ではできないので、ほかの人にまた頼みたいところだけれど、本来1医療機関で行うべきことなので、この際交代したい、と言ってきたのが、6月15日。
うちとしては、毎月胃瘻交換のために入院するという選択肢は考えていないので、交代はやむを得ないとして、きちんと引き継いで頂けるなら、と了承した。

5日後、引き受けてくれる先生が見つかりました、とメールが来たのだが、幾つか問題が。
 1)場所が隣の隣の区で遠い。
   主治医は時間的には自分と変わらない、と言うが、
   私の実家の近くなので、時間的距離も心理的距離もこちらはちゃんとわかっている。
   首都高やバイパスに繋がる、なにかあれば渋滞必至の道路を通ってくることもわかっている。
   その上て、やっぱりこの距離は訪問診療を受けるにはちょっと、という感じだ。
 
 2)訪問時間が、こちらの都合と全く合っていない
   ちゃんと相談してあったのに、あれはなんだったんだ!

 3)胃瘻交換では内視鏡は使用しない。
   え?それってダブル・スタンダードじゃないですか。
   自分は内視鏡必要だからできないと言っていながら、やらない人に引き継いじゃうの?

 4)胃瘻のタイプを変更したい。
   今までの交換過程でいろいろ試しながら今の良い状態までこぎつけたのに、
   簡単に「うちはこれです」って変えちゃうわけ?


訪問医には、訪問看護師や介護ヘルパーなどほかのスタッフとも連携してもらわなければいけないので、その点で一番気になったのは上の(1)だ。今うちに入っている訪問看護ステーションの長でありケアマネも兼任しているOさんは、区内の診療所・医師事情に詳しいので、彼女の話を聞いてみたいところ。とりあえず、(2)(3)(4)について返信しておくことにした。


翌日Oさんが来たとき話してみると、まず、今回の交代の話自体、Oさんも事前に聞かされておらず、一斉メールで初めて知った、とちょっと不満そうだった。
そして、別の区のクリニックとの連携にはやはり不安があるし、区内でよさそうなところはいくつかあるという。

我々利用者からすれば、近いところから探すのが当たり前だが、どうも主治医は胃瘻のことが念頭にあってそちらの条件からクリニックを探したのではないか。近隣を当たってダメだった、というわけではないのではないか、という気がしてきたので、そこは率直に話してみようと思っていたら、先に主治医からメールが来た。

先の候補のクリニックは、訪問時間が合わないし内視鏡は使わないつもりなので、受けてもらえないことになりました、というもの。ああ、よかった。
そこで、Oさんが情報を持っているので、先生には先生のつながりもあるでしょうけれど、参考にしてみてください、とお願いしたのが6月22日。

そうすぐには決まらないかと思ったのだけれど、24日にはうちからかなり近いところにあるクリニックが引き受けてくれることになったと連絡があった。ただ、私が一度外来で出向かなければならず、指定された曜日で一番早く行けるのが30日。果たしてそれで7月から交代になるのか、次月になるのかわからなかったのだが、蓋を開けてみれば今度のクリニックの方では、もう7月から担当するつもりで日程も決めていた。今までの主治医の訪問予定とちょっとずれるので、その間に不足するであろう処方薬の手当や医材の在庫確認など、いろいろ相談することもあってけっこう時間はかかったけれど、話はとてもしやすい先生なので、これからもうまくやっていけるだろう。

翌日には一度様子を見に来るといって、予定の訪問日とは別に来宅し夫とも顔合わせすることができた。この機会に薬局も今度のクリニックに近いところに替えることにした。医師にしても薬局にしても、それぞれの慣れたやり方というものがあるから、これまでとは違うことも出てきたり、先方に変えてもらうこともあったりしてしばらくは調整期間になるだろうけど、急な話であったにもかかわらず、まずまずの形に収まっていきそうで安心した。



2017年6月12日月曜日

歳を重ねる

私が子どもの頃は、公式には満年齢が使われていたけれど、まだ数えで歳をいう習慣もあり、正月には祖父母から「あんたはいくつになったんだい」と聞かれたものだった。そもそも誕生日より正月、お盆、命日というのが伝統的には大切な日だった。作家など有名人についてもその誕生日より命日を「〇〇忌」として覚えるのが日本的なのであって、「生誕〇〇年」を祝うのは西洋の習慣だった。

だから誕生日を祝うのはかつては主に子どものためにすることだった。せいぜい小学校の低学年までが友だちを招いてお誕生会なるものをするのであって、それもお茶とおやつのくらいであれこれご馳走を出すというようなことはしなかったと思う。大人が誕生日、というか年をとったことを祝うのは還暦過ぎてから。だからこそ、喜寿だのハトだの米寿だの白寿だのというのがあるのだろう。

それはおそらく歳を重ねた人を敬うこととも繋がっている。昨今は若さにばかり価値が置かれて中高年、あるいは高齢者になっても年齢より若く見えることや若者同様に何か出来ることばかりが良いことのように言われている。テレビを見ていてもそうしたことを実現するためのサプリのCMが次々に放送される。しかし歳を重ねた人には「亀の甲より年の功」というだけのものがあり、だからこそ目上の人を敬ってきたのがこの国の文化だったのだ。

確かに近代以降、教育制度が発達、充実し、昔の年寄りより今の若者の方が多くの知識を身に付けるようになったしそういう意味で「年の功」が感じられない年寄りも増え、それで年長者を敬わなくなってきたのかもしれない。私の大学の恩師がよく言っていたのだが、「教育は経験のショートカット」である。昔の人が何年もかかって体験したことを、いまは教育のおかげで効率よくなぞることができる、という意味だ。自分自身もその恩恵に与りつつこのフレーズを思い起こす時、ショートカットできない経験がある、とも思うのだ。それが歳を重ねる、ということだ。年月を経る、それだけの時間の経過の体験そのものは、体験してみなければわからない。決してショートカットはないのである。だから、だから自分より長く生きている人はそれだけで敬うべき存在なのだ、ということをかつての社会では教えられてきたのではなかったか。世の中は少しずつ変化するけれど、私自身は「伊達に年をとってないよね」と言われるような歳の重ね方をしたいと思っているのだ。

と言って、誕生日にはそれほど重きを置いてはいない。成長する過程で家族に祝ってもらうこともほとんどなかったせいかもしれない。結婚してからは夫婦で互いに祝い合ってきたけれど、そのくらいで、誕生日なんて、格別悪いことがなければそれで上々、なのだが、大阪の池田小の事件とか秋葉原通り魔事件の日になってしまったとなると、やはりちょっとアンビバレントな感じになる。


さらに、一昨年の私の誕生日の朝、父が死んだ。
誕生日が命日。聞けば血縁の中でそういうことはわりあいよくある話だそうで、それがつながり、まさに「縁」ということだそうだ。私の場合そうでもなければたぶん親の命日は記憶できないだろうからまあいいのだ。父の8か月前に亡くなった母の命日の日付は間違えてばかりだし、祖母は12月25日だから覚えているけど祖父の方は怪しい。。。

そういうわけで去年の誕生日は墓参りに行った。
今年もそのつもりで空けていたのだけれど、ちょうどそのころ福岡から Trio Los Fandangosがやってくるという知らせが届いた。スケジュールをチェックしてみるとこの日なら行ける、いや、そこしか行ける時がない、と判明。しかし夜のミロンガだ。普段仕事で遅くなる時に夫の見守りをお願いしている友人に、仕事ではないので心苦しいもののここはひとつお願いして、行ってしまおう、と決めた。お墓に行ったってどうせ♫わたしは~そこにいません~~ だし、たぶん。それこそ私、今回は還暦だしね、許されるよねお祝いしたって、と正当化。

先月出かけたミロンガで今度のミロンガ主催のマーシー&マギのお二人に会ったので、
「6月8日は伺います。私、誕生日なんです!」
と予告。(つまりはお祝いしてねと暗におねだり)

しかしなんといってもTLFは「嵐を呼ぶバンド」、台風が来て自分たちのライブが飛んでしまったこともあるくらい。彼らと雨男マーシーが一緒になったらどんな大嵐になるかと期待心配したけれど、雨にはならず、TLF東京ツアー初日のミロンガに大勢の人が集まったのだった。

メンバーや友人たちと再会を喜び、おしゃべりし、踊り、そしてTLFの生演奏。
音はキレッキレなのにメンバーの表情は余裕。最近増やしたレパートリーも長く弾いている曲も同じようにフロアとのやりとりを大切に演奏している。

TFLの第1ステージの終わりにマーシーさんが私をフロアに呼び出してくれてしばしのバースデー・セレモニーの時間を取ってくれた。TLFの演奏で歌ってもらったバースデー・ソング、エアコンの風で一気に消えたろうそくの火、なかなか点かないチャッカマン・・・常連でもない私のためになんだかんだと時間をとってしまったのに付き合ってくださったみなさんありがとう。マーシーさんの暖かいハグ、美味しかったケーキ、などなど思い出に残るひとときとなった。

 




帰りの時間があるのでマーシー・マギのデモの途中で失礼することになってしまって申し訳なかったけど、そんな風に甘えさせてもらえるのがタンゴの仲間。夫も一緒だったら何倍も楽しかっただろうとは思うけれど、夫と出会っていなければおそらくつながることのなかったこのコミュニティで節目の誕生日を過ごすことができて良かったと思う。

今月はまだ墓参りに行く時間が取れそうな日が1日あるから、と思っていたけれど、映画Chiamatemi Francesco - Il Papa della gente も見に行きたいし、温泉施設から今月末まで有効のこんなはがきも来ちゃったし、どうしようかなあ。
 

2017年5月17日水曜日

山下公園界隈散歩  Afternoon in Yamashita Park, China Town & Motomachi

(日本語は下に)

Spent a few hours in Yamashita Park on the port of Yokohama where Flower Festival is going on.  Roses and many other flowers were forming a beautiful garden.  Sweet smell from the roses filled the area and it was quite soothing.  Then, I went down to China Town, where I could shop at my favorite tea store and the Chinese sweets store.  Had some Chinese noodles, took a short stroll down the Motomachi Shopping street before coming home. 

休みの日。家ですることはあっても、ナースやらヘルパーやらが出入りする中でそれをする気になれないので外出してしまう。(そのため家の中はこの5年間の蓄積でとんでもないことになっているのだが。)

きょうは、初めはスパに行こうと思っていたのだけれど毎日歩かない生活なので少し歩いたほうがいいと思い、「全国都市緑化よこはまフェア」をやっている山下公園に行ってみた。





 
 
 
思っていたよりずっと花の種類が多くて、メインになっているバラも様々な品種があり、好きな人なら何時間でも過ごせそうな感じ。きょうは平日で天気も曇りだったので人が少なくてちょうど良かった。久しぶりに見た海も気持ちよかったし。(ここが母港の飛鳥II帰港中)
 
 
もう少し、と思ったところで小学生の団体がやってきたので退散。向かいのホテル・ニューグランドに寄るも、入っていたショップが百貨店の出店に変わっていてがっかり。改装が終わったら戻ってくるのかな。
 
そこから中華街へ。前2回、なぜかたどり着けなかったお気に入りのお茶屋さんを目指す。
強い決意のおかげで無事発見。お湯を注ぐとお花が開くお茶を買おうとしたら、もう現地で作っていないのでそこにあるだけ、とのこと。以前は数種類あったのに一種類とは残念。
お茶を買ったらもちろんお菓子も。これはもちろん翠香園で。
 


中華街での食事は大抵グループで来るものなので、一人で入れる店というのを実はあまり知らない。海老ワンタン、と思ったら定休日。お粥屋さんは開店前。さてどうしたものかと思いながら歩いていたら保昌が目に入った。ここも友人たちと来たところ。どうかな、と思っていると客引きのお兄さんがどうぞ、という。もともとの店の隣に新しい店もできていてそちらに入店。(「同じ店」だというのだけど本当か?まあいいか。)海老そばを注文。
胃の弱い私はラーメンはあまり得意ではないけれど、中華そばは美味しく食べられる。これも美味しかった。

まだ少し時間があったので、元町も少し歩く。随分店が変わったし、滅多に来ることもないのだけれど、来てみればやっぱり母校の足元のこの街は「地元」感があって落ち着く。

きょうは3回乗れば元が取れる、市営バスのIC一日乗車券を使っての移動だったけど、特に時刻表を気にしていなくてもバスの連絡が実によくて、帰宅まで気分良く過ごせたのだった。

2017年5月7日日曜日

連休

今年の黄金週間はうちのあたりについて言えばずっと天気が良かった。
これだけ好天に恵まれたのは久しぶりのことのように思う。

もともと人ごみが好きではないので、祝日の外出はむしろ避けたい方なのだが、この時期はさすがに気候がいいので、連休が近づいてくるとなにかそれらしいことがしてみたいとも思うのだ。

祝日でもナースやヘルパーは普段通り来てくれるので、仕事が入っていない日は15時頃から21時頃まで外出できる。とはいっても、都内に出るなら、実際使える時間は16~20時くらいだかかなり中途半端な時間帯では、ある。

幸い5月3日は、恵比寿のラ・バルドッサで16:30~19:30という絶好の時間帯でミロンガがあったので大喜びで出かけた。ミロンガは普通20~23時くらいの開催だけれど、バルドッサは祝日にこういう企画をしてくれるので、昨秋も伺うことができた。ここでレッスンしたりしていたわけでもないのに、「ホーム」な感じで温かく迎えてくださるのでたまにしか行けなくても敷居が低くて嬉しい。たとえ知り合いが少なくても、踊っている人たちの幸せな表情を見て良い音楽に浸れれば十分なのだけど、行ってみれば案外顔見知りの方もいらしたし、週末の韓国選手権に出場する仲間たちを励ますひとときもあって楽しい時間になった。

5月4日は、東京国際フォーラムで開かれた「ラ・フォル・ジュルネ」に行ってきた。
このイベントはテレビでも度々紹介されているので知っていたけれど、これまでは行く機会がなかった。少し前にひょんなことからアコーディオン奏者のリシャール・ガリアーノがここに来るというのを聞いてタイムテーブルを調べてみたら、4日17:45~18:30という奇跡的に私が行ける時間だったので、残り数枚になっていたチケットの1枚をゲットしておいたのだ。せっかくだから、もう一本前の時間帯のコンサートも聞こうかとも思ったのだけど、イベント全体を楽しむ企画もあるようなので、今回は聞くのはガリアーノ1本にした。
16時前に会場に着くと、屋外の屋台村からいい匂いがしてくる。ケバブ、ソーセージ、カレー、焼きそばなどなどある中から、「エビパッポンカレー」をチョイス。思ったより辛くなくて美味しかった。
そのあと地下のホールEに降りると無料コンサートが始まっていた。席はもちろん埋まり大勢の立ち見。メキシコとコロンビアのアーティストによるフォルクローレ系の音楽だったのだけど、ああいうビートのある音楽をあまりに大勢の人が微動だにしないで聞いているのがなんだか居心地が悪くなったので、2曲半聞いてそこを離れ、周りに置かれた音楽関係企業のブースや物販コーナーを見て回る。実は私、こういう場所の物販コーナーを見るのが好きである。たいして珍しいものがあるわけではないとわかっていても、ひょっとすると気に入るものがあるかもしれない、とついつい端から端まで見てしまう。
  


Tシャツと少しお土産を買ったらレジで結構並んだので、トイレに寄ってホールCに入ったときはもう開演寸前!あまりにぎりぎりだったせいかプログラムをもらえなかったのだけど(周りの人が持っていたのでそういうものが配られていたと知る)、ピアソラ~ハチャトリアン~バッハ~ヴィヴァルディと知っている曲ばかりだったのでノープロブレム。口開けのピアソラのとき音が丸い感じで、3階席だからこんなものなのだろうか、と思っていたらあとになってもっとキレが良くなってきたので、PAの作りの問題だったよう。ホントはピアソラが一番とんがってて欲しかったんだけど。アコーディオンと弦楽六重奏というスタイルはたぶん初めて聞いたけれど、弦はやはりバッハ~ヴィヴァルディがよかった。ガリアーノのアコーディオンは「どうだ!」という感じがなくて、なのにすごく難しいことをさらっと弾いていてかっこよかった。でも、やっぱりフランス人、アンコールのミュゼット調自作曲が一番しっくりきてたかな。
それにしても、ホールで聴くコンサートっていったいいつ以来だっただろう。。。

5月5日、鹿児島から夫の従兄が東京に用事があるので寄りたい、と言ってきたのが数週間前。午後の早い時間、ナースが来る前なら、とわがままを言い、バスに乗ったというメールを見てバス停まで迎えに出ると、最初に降りてきた従兄の後ろからお連れ合いとふたりの娘さんも!え~みんなで来るなんて聞いてない~ 嬉しいサプライズ。みんなに会うのは5年前夫の病気が分かって、この先もう来られないかもしれないからと二人で鹿児島を訪れて以来。あの時も5月4~5日一泊だったので、きっかり5年ぶりだ。今回は長男の結婚相手が決まり、そちらのご家族への挨拶のために新潟と東京に出かけてきたのだという。(長男は一足先に鹿児島に帰ったので我が家には来られず。)みんな全然変わってないし従兄も老けてない、と思ったけど、この間心臓ペースメーカーを入れたり弁を生体弁に替えたりと大手術も経験したそうで、鹿児島人だから芋焼酎をぐいぐい飲んでいた従兄が今は飲まないと言う。それでも飛行機に乗ってこちらまでやって来られるほど元気なのだから、それがなによりだ。義母の話やほかのいとこたちの話、夫が小学生の時一家で鹿児島を訪れた時の写真を持ってきてくれてその時の話もして、楽しいひと時を過ごすことができた。
考えてみれば、盆暮れ正月ではないときに親戚と会うには、この連休はいい時期なのかもしれない。行事に振り回されず、明るい光の中で思い出話や若い人たちの将来のことを話すのは実に気持ちの良いものではないか。

とまあ、こんな感じの連休だったわけだけど、実は前週末は夫の体調が芳しくなかった。
気管の痰がなかなか排出できず呼吸困難状態で、度々カフアシストを使ったりタッピングをしたりしていて、ひとりの時に急変することも考えられますとDr.にも言われるくらいだったのだ。
幸い頑固に張り付いていた痰を取ることができて、また新たに処方してもらった薬の効果もあって落ち着いたので、私も連休を予定通りに過ごすことができたのだった。
ALSの場合「突然の呼吸困難により・・・」というのは度々耳にしていたことで、その覚悟はできているのだけど、あまり苦しいのはかわいそうなのでなんとか穏やかに過ごしていければなあ、と思うのである。

2017年4月10日月曜日

Gyoza de 誕生会

 
雨の週末、いつもの仲間と夫の誕生会をした。
 
ALSと診断されたのが5年前の3月だから、それから6回目の誕生日を迎えたことになる。(あと1年か2年と言われていたのだから、医者なんてあてにならない。)
 
5年前は地元で屋外ミロンガに行って、そこで落ち合った友人たちと中華街のシュラスコ屋に行って、「もうこんな機会はないかもいしれないから」と夫がご馳走したのだった。
 
いまは口から食べることはやめてしまっているので、いっしょにご馳走を食べる、というわけにはいかないけれど、誕生日という機会に気のおけない友人たちが訪ねてくれるのはとてもありがたく、楽しみなひとときだ。
 
いつも声をかけるメンバーの中心は、まだ夫が病気になる以前からGyoza de tangoと称して餃子を作って食べるホームパーティーをしていた仲間で、タンゴが共通項であるものの、他の音楽やダンス、旅、料理といったそれぞれの趣味が複雑に重なり合っているので、おしゃべりがすこぶる楽しい人たちだ。みんなのハブ的存在だったカップルが今年に入って転勤で引っ越してしまったので、今回初めて欠席だったのがちょっと寂しかったけど、餃子は(私が初めて餡を提供したのも含めて)美味しく出来たし、エジプト旅行や、幸手や千葉や浅草の桜の写真も見せてもらって夫も花見ができたし、よい日になった。みんな、ありがとう。
 
 
PS:手術から一ヶ月、さのすけのカラーもようやく外れました。

 
 
 












2017年3月16日木曜日

猫の入院・手術 再び

2月15日、カラーも取れてあとは膀胱が膨らんで以前のように用たしできるのを待つばかり、になっていたさのすけ。手術のあとはあまりお腹マッサージをできないので、きっと便秘対策のためにまた通院することになるから、術後のチェックもその時に、と思っていたら、数日おきに薬を飲ませれば排便があったので、病院に行かないまま月末まで過ごしてしまった。

そういえば、なかなか尿の出方が回復しないなあ、そろそろひと月だし一度病院に行こうか、と思っていた3月6日、何度もトイレに行くのにポタポタくらいしか出なくなってしまった。
この日は担当医が休みだとわかっていたけれど、このまま腎不全になっては大変なので急いで病院へ。診てくれた院長によれば、先に小さい結石のかけらが詰まったところが、石をカテーテルで押し返したりまた詰まったりしたことで閉塞してしまっていて、それで尿が出なくなっている、とのこと。この可能性は先月の手術前にも指摘はされていて、その場合は会陰尿路増設手術というのをするのだけど、巨大結腸との兼ね合いもあるので一緒にはやらないで様子を見ましょう、ということだったのだ。やはり詰まってしまったので、ここは手術のほかに選択肢はなく、このまま入院、翌日手術、ということになった。

思いがけず入院になって、不満そうなさのすけ。
 
 
手術は翌日無事終わり、傷口が落ち着くまで数日入院、とのこと。
二度目の入院・手術のせいか、さのすけは余裕綽々。
 
   
 
 
病院に居るとあまりご飯も食べないので、ぎりぎり大丈夫なところで10日の金曜日に退院。
本当は午後早めに退院して、何かあったら診療時間中にもう一度行けるようにしたかったのだけれど、先生も手術等あって忙しいので18時過ぎにと言われ、18時半ころ迎えに行った。
今回はもともと中にあった粘膜を反転させて外に出す処置をしているので、そこが綺麗なるには約1ヶ月かかり、それまで舐めたりすると傷が開いてしまうのでカラーは絶対外さないでください、とのこと。これはなかなか大変だ。
 
 
帰宅して夕食の支度などで忙しくしていてふと見ると、さのすけのカラーに血が付いている!
前回より大きいカラーなので傷を舐めようとしても届かないはずなのに、なぜ?
見ていると、届かなくてもお尻を舐めようとするので、その首を振る動作でカラーの縁が傷口に当たって擦れている模様。
 
とりあえず手近にあったサージカルテープをカラーの縁に貼ってみる。それでもまだ固くて刺激になっていそうなので、さらに脱脂綿を細長く切って巻きつける。猫を押さえていてくれる人手があれば、カラーを外してきれいに貼って改めて装着するのだが、なにせ手がないのでさのすけの首にカラーを付けたままでの作業。不器用な私なりに、なんとかぐるりに貼ってみる。
しばらくして傷口にアルコールティッシュを当ててみると、出血はどうやら収まった模様。
しかし本当に大丈夫か、確信が持てない。
 
病院に電話してみたけれど、既に留守電。しかたなく、病院で紹介している夜間診療センターに電話してみる。ここは、あくまでも夜間専門で、かかりつけへのバトンタッチ診療をやっているところ。うちのかかりつけの病院はかつては24時間対応をしていたのだけれど、当直一人では対応しきれない件数が夜中に来てしまうので、数年前にこの方式に変わったのだ。
電話で状況を説明すると、「見てみないとわからないですけれど、『お母さんが』ご心配ならいらしてください」と、まあ、当たり前の返事。
 
 てか、お母さんとか言うな!
 私は猫の母ではない!
 
それはともかく。
今は混んでいないというので出かけていく。
新しくて明るくおしゃれな雰囲気。診察室のドアがいくつも並んでいる。夜中はここがいっぱいになったりするのかな。
診てくれた若い男の先生、丁寧に話を聞きメモを取る。さのすけのことを「さのすけさん」と呼んだのはこの人が初めてだ。新鮮 ( ̄▽ ̄)
傷は開いておらず大丈夫だと思うけれど、どういう手技でやったかわからないので、かかりつけでチェックしてもらってください、とのこと。カラーの擦れの問題を相談すると、こういうのがあります、と少し細身の透明のカラーを持ってきてくれた。ちょっと長いのでこのままだとごはんが食べられそうもないけれど、とりあえず購入する。きょうの診察のことはかかりつけ病院にファクスしておいてくれるそうだ。そうそう、診療代は提携病院ということで一般の半額だった。
 
帰宅してみると、この透明のカラー、見通しが良くていいかと思ったら、むしろ距離感が取りにくいらしく、さのすけが持て余している。つけているとやはりごはんが食べられないし、ごはんはまだしも、好きな時に水が飲めないのはとても困るので、もとのブルーのカラーに戻し、この問題は翌日かかりつけで相談しなおすことにした。
 
翌11日(土)朝、かかりつけ病院の会長から電話。
「ファクス受け取りました、きょうは9時から19時までやってますので、なにかあったらいらしてください。」
ありがとうございます。でも8時に電話してくれなくていいから。。。眠い。。。
 
午後さのすけと病院へ。傷が大丈夫なことを確認してもらい、カラーのことを相談する。
緩衝材を巻きつけることも検討したりしたあと、フチ取りのあるカラーがあることがわかり、少々小ぶりながらたぶんお尻までカバーできるだろうということでこちらを採用。念のため、同じタイプのもう少し大きいものと、前に使っていたブルーのカラーも借りてくる。
 
  
 
 
さらに、カラーが後ろにずれてしまわないように、筒状の布を切ってネックウォーマーのように首に通してカラーの後ろで留める。
これでなんとか傷を舐めることは防げそうでほっとする。
とはいえ、カラーをしていると毛づくろいもできずストレスもたまるので、初日は落ち着かずわあわあと鳴いていた。朝出窓に乗せてやり、モーツァルトを聞かせたらかなり落ち着いたあたりはさすがさのすけである。
 
朝晩カラーとネックウォーマーを外してブラシをかけてやり、傷口もアルコールティッシュで軽く押さえ、カラー自身も汚れを拭き取って傷が汚れないようにする。やれることはやっているのだけれど、いったいどういうふうに傷が治っていくのかイメージがわからないので、なかなか乾いた状態にならず、縫い目が立ってきたりしてだんだん不安になる。明日の夕方はもう連休前で道も混んでしまうから、きょうは本当は美術館に行くつもりだったのだけど諦めて、摘便も兼ねて病院に連れて行った。傷の状態は、粘膜なのでまだ時間がかかるだけで、あれで大丈夫です、と言ってもらい一安心。それでも、カラーがカバーしているのはお尻の手前ぎりぎりなので、何かの拍子にお尻を舐めていないかチェックするのは忘れないようにしよう。
 
カラーをしていると鼻先より前に障害物がある格好になり、床に置いたお皿からごはんを食べるのは難しかろうと、二個のお皿を底合わせに貼って高さを出してやっていたのだけれど、ふと気づけば床に置いたシズカの皿からごはんを食べているし、2階に行こうとしないので、やはりカラーを付けて階段を上るのは難しいんだな、と思っていたら、昨日は人が来たらひょいひょいと2階に避難して行った。なんだ、大丈夫なのか。恐るべし、猫の適応力。(^_^;)
 
あと2週間あまり、カラー生活が続くけど、早く良くなって欲しいなあ。



2017年2月23日木曜日

猫の入院・手術 3

12日、さのすけは少しずつ食欲も元気も戻っているのだけど、尿の出方がまだちょびちょびなので病院に電話してみると、膀胱を切っているのですぐには元通りに膨らまないため少しずつしか貯められないからだと思うけれど、見てみないと確実なことは言えないので心配なら連れてきてください、と言われる。やっぱり念のため、は必要な気がして連れて行く。

幸い病院は空いていて、A先生にすぐ診てもらえた。お腹を押してみるときれいな尿が出たので、ああ、これなら大丈夫です、ということで、このあと問題がなければ一週間後に抜糸に来てください、ということでほっとして帰宅する。ただ、お腹の傷が治るまではマッサージができないので、便秘の方が先に来てしまいそうで気がかりだった。

翌日は私も仕事に行って、さのすけのこともあまりちゃんと見ていなかったのだが、度々トイレに行くのでおしりの方は気にしていたけれど傷口を舐めている様子はなかったので、引き続きカラーは使っていなかった。
ところが夜中にふと見ると、お腹を舐めているように見えるではないか!

「さのちゃん!」と声をかけると、お腹を覗き込んだその格好で固まるさのすけ。。。
やっぱり。。。
即カラーを付けたものの、椅子やテーブルが混み合って動きづらいところでカラーはやっぱり難しいのではないか、いまはそこで夫が寝んでいるのでガタガタ動かすわけにはいかないし、明日また考えようと思い、カラーを外して床に戻った。

なんだかドキドキして眠れないまま、放っておいて傷が開いてしまったらどうしよう、ここでカラーを付けなかったために傷が化膿したりすれば却って大変なことになるかもしれない、いや、多分大丈夫、でも、とあれこれ考えてしまう。さのすけは勘の良いコだから障害物があっても大丈夫だろう、やっぱりカラーは付けたほうがいい、と思い直し、また起き出してカラーを装着。少し椅子の位置などを変えて通り道を確保し、トイレの蓋を外してカラーを付けていても中には入れるようにしておく。なにかあれば、きっと大声で鳴くから大丈夫、と自分に言い聞かせて眠りにつく。

翌朝見てみると、あちこちぶつかったりかすったりしながらも、なんとかやりくりしているし、トイレは無事使えている様子で一安心。傷のところを見ると、どうも糸がほどけて縫い目もよじれているように見える。今日はまたA先生は休みかも知れないから、明日電話してみることにする。

15日(水)、電話した上で一応診てもらうためにまた病院へ。
ひと目で「あー、これなら大丈夫ですね~ あ、この糸も抜けちゃいますね」と2センチほどの糸を引く。これは一番外側をばってんにしてるだけで、この下も縫ってあるので大丈夫です、とのこと。やれやれ。でもカラーは外さないでくださいね、ということなので、帰宅してから外してしばらく首の周りを掻いてストレスを発散させてから付け直す。

カラーにも慣れてきたさのすけは、カラーのままいつの間にか私のベッドにも潜り込んでいるし、心配したほど不自由していない様子。動物の適応力には感心させられる。これであとは日曜日に抜糸に行けば・・・と思いきや。

元気が出てきてもりもりごはんを食べていたけれど、傷があるのでお腹マッサージが思うようにできず、やっぱり便秘が出てしまい、金曜日にまたまた病院へ。3日に上げず病院通いとは、とほほである。

そしてやってきた日曜日。ヘルパーが来る少し前に家を出て病院に向かう。
このところ割合空いていたのに、この日は激混み。駐車場に車が入れない。
前に停めて受付で名前を書いて、「外に居ます」と言おうと思うのだが、カウンターの人はほかの飼い主さんに薬の説明を延々していて手があかないので、車に戻って車から電話する。
暫くしてスペースが空いたので車を入れて中で待つ。
例によって小型犬を二人がかり、三人がかりで連れてきた人たちで待合室はいっぱいだ。隅っこのキャリーの中で猫が一匹具合悪そうな声で鳴いている。ああ、かわいそうに。そしてさのすけも、未だかつてない1時間あまりの待ち時間に、途中二回「うおーーん」と怒りの声を上げる。ごめんね。。。

やっとA先生が空いて見てもらったら
「ああ、もうこないだほとんど抜けちゃってますね~。この残ってるのは内側のとくっついてるので、そのうち自然に取れると思います。」
はあ?じゃあ、きょう来なくてもよかったの?1時間以上待っていたのは何?

カラーを返して帰路に着く。ああ、もう当分来ないで済むといいんだけど。

帰宅して、邪魔なので片付けておいたテントベッドを出してやると、さっそく中でお寛ぎ。
お疲れ様だったね。

  

2017年2月22日水曜日

猫の入院・手術 2


8日、昼前になっても連絡がないのでこちらから電話する。A先生、カテーテルで石を押し戻すことはできたので、いまはカテーテルを入れた状態で尿を流しているという。ああ、じゃあ今日は麻酔処置はなしなのね。。。仕事キャンセルしなくてもよかったか。。。
根本的にはやはり手術で石を取るしかないだろうという話になったのだけれど、じゃあいつやって頂けるのですかと聞くと、「今日は無理だし明日もー、金曜日はちょっと大きい手術が入っていて、土日も今度は連休なので混むと思うんですよね」と宣う。「いまの状態で来週まで大丈夫なんですか?ご飯も食べてないそうだし、それまで家に帰った方がいいんじゃないかと思いますけど、カテーテル入ってたら難しいですよね?」と言うと、「腫瘍などでカテーテル入れてご自宅で生活する子もいますけど・・・ちょっと院長と相談してみます。」
その後、「明日ほかの手術の合間を縫って割り込ませます」との連絡が入り、長々待たされる心配はなくなったものの、いよいよ本当に全身麻酔をかけての手術になるので、一応腎機能の数値は悪くなっていないから大丈夫だろうけれど、時間も確定しないしやはり心配なので翌日の仕事も休ませてもらうよう連絡する。連日のドタキャン、ごめんなさい。

病室のさのすけを覗いてみると、ごはんは食べないもののケージには少し慣れたようす。
 
 
 

手術当日、13:30頃からになりそうというので13時過ぎを目標に家を出る。
病院まであと数分のところで「そろそろ始めます」と電話が入る。「今から行くのでちょっと待ってください」とお願いし、麻酔を待ってもらい面会。「大丈夫だからね。終わったら楽になるからね」と声をかけて送り出す。いったん家に帰って夫の身の回りの世話をしてから再度病院へ。予定通り1時間半ほどで手術は終わり、無事に石は摘出、さのすけもまだぼんやりとしていたけれど麻酔から目覚めてきた。ケージの奥に頭を向けてへたっていたのに、「さのちゃん」と呼んだらふらふらしながら急いでがさごそとこちらに向き直るところが健気で可愛い。
  
 
ひとしきり声をかけて撫でてやったら満足したのか、さっさと奥に入って落ち着いたので、またあしたね、と言って帰る。やれやれ無事に済んでよかった。
 
夕方A先生から電話が入る。普通なら4日くらいは入院して傷の具合等を見ておくのだけれど、さのすけはごはんもほとんど食べていないので家に帰ったほうがいいと思うから、あす1日様子をみて問題がなければあさってお帰しします、とのこと。土曜日はヘルプがないから普段外出はしないのだけれど、夫もいまのところは落ち着いているから迎えに来ることはできるだろう。早く病院のストレスから解放してやりたいもの。
 
翌日面会に行くと、もうカラーを外している。
  
傷口をあまり気にしていないようなので、ストレスになることでもあるので外している、とのこと。
ふうん、切ったところを舐めたりしないんだ。偉いぞ、さのすけ。
でも痛みがあるのかちょっと情けない表情。「明日はおうちに帰れるからね、もう少し我慢してね」
 
 
11日土曜日、5日ぶりに帰宅。おなかに力が入らないのかよたよたと歩いている。
うちには猫ベッドやら、ガリガリ・ラウンジやら、ダンボールにタオルやセーターを敷いたものや、猫が入ってくつろぐ場所がいくつもあるのだが、2日かけて一つずつその寝心地を確認していた。
 
手術して障害が取り除かれたら、すぐに尿がよく出るようになるのかと思っていたのだが、まだまだトイレには頻回に通い、少しずつ出している。石はなくなったけれど切ったことによる血片が詰まる可能性はあるので注意しておくようにと言われたのだが、この状態が大丈夫なのか確信が持てない。血尿にはなっていないのでたぶん大丈夫なのだろうけれど、まだ安心はできない。
(つづく)
 


2017年2月20日月曜日

猫の入院・手術 1

さのすけに膀胱結石があることがわかったのは、去年の夏、なんだか元気も食欲もなくなって超音波検査をした時だった。

  (思えばあの日はさのすけを病院に連れていくために、
  楽しみにしていた喬太郎の会を泣く泣く諦めたのだった。
  平日午後地元なんて機会は、もうそうそうないだろうなあ。(´;ω;`)シクシク…
  こないだテレビで見た「ハンバーグ」は良かった。いつか生で聴きたい。。。)

そのときの不調の原因はNa値の低下で、それはステロイド剤の投与であっさり改善したものの、結石については自然に出てくるような大きさではなく、かといって手術で取るとなると全身麻酔になり、12歳という年齢を考えると麻酔から覚めずにそのまま逝ってしまう可能性もあり、止血剤や抗生剤で様子をみましょう、ということになった。

一方、さのすけは他にも巨大結腸による慢性的な便秘があり、月に1回から数回病院で摘便してもらっている。何とかその頻度を減らそうとマッサージをしたり、薬を飲ませるタイミングを計ったりする毎日で、多少の血尿はしかたのないことと結石の方はあまり気に留めずにいたら、2月4日、トイレに行っても尿が数滴しか出ない状態になってしまった。

翌日病院に連れていくと、果たして結石のかけらが尿管を詰まらせていた。
カテーテルを入れて押し戻し尿も出したけれど、また詰まってしまう可能性が高いので、しばらくは通ってもらわないといけないと思う、と主治医のA先生。
先生が翌日休みなのは小耳にはさんでいたので、いま処置したことだし、当面は大丈夫かな、と思ったけれど、家に帰ってさのすけトイレに行くも、やはりちょびちょびしか出ない。
まずい。。。

6日月曜日、本来なら午後看護師が来るまで外出はしないのだけど、できるだけ早く診せたほうが良いと思い、なんとか午前の診療時間終了間際に駆け込む。
代わりに診てくれた先生がカテーテルの挿入を試みるも難しく、お腹に針を刺して尿を抜く処置をし、家では対応できないので入院させてA先生が出てきてからどうするか相談することに。

さのすけは入院するのが初めてなので、帰る前にちゃんと話しておこうと入院室に行くと、ケージの奥で固まっている。「さのちゃん」と手を伸ばすと、振り返って「シャーーー!」生まれた時から12年一緒だけど、「シャー」を聞いたのは初めてだ!さのすけは目が不自由なので、訳がわからなくて怒っていたのだろう。「おうちに帰ってもちゃんとみてあげられないから、ここにお泊りしてね。としちゃんも入ったことがあるし、さのちゃんはエライから大丈夫だよ。御飯をもらったら食べるんだよ。」などなど言い聞かせるうちに、少し身体の緊張が解けてきたので、「また明日来るね」と言って帰る。

翌7日、病院に電話してみると、なんとA先生実は今日までお休みでした、って。。。
午後病院に行ってみると、やはり緊張しているせいかごはんは食べていない由。これだけストレスがかかっている状態が続くと、体調もますます悪くなるなあ、かわいそうに。ケージから出して、話しかけながらたくさん撫でてやる。明日A先生がカテーテルをやってみてダメだったら麻酔をかけて切開することになるかも、という話。麻酔の危険はあるけれどほかに方法がないのなら仕方がない。万一に備えて翌日の仕事をほかの人に代わってもらうようお願いする。
(つづく)

2017年2月2日木曜日

トリさん

夫が病気になる前は、週一度はタンゴレッスンに通い、週末は夫とミロンガに出かけていた。
夫が踊れなくなっても、レッスンには通い、月1くらいはミロンガに行けるだろうと思っていたが、
徐々にスケジュール調整が難しくてレッスンにも行けなくなり、
夜と週末は人の手配をしなければ出かけられないのでミロンガからも遠ざかり、
去年はなんと、レッスン1回、ミロンガ2回、という有様だった。

踊ることそのものが大好きならば、なんとしてでもやりくりして踊る場に行くのだろうけれど
私にとってミロンガは夫と行く場所だったので、二人で行っていたところに一人で行くのはあまり気が進まず、積極的に行く努力をしないでいたらこういうことに。

女性の場合、身体のコンディションさえ整えておけばいつでも踊れるはずなのだけれど、
そちらのほうもかなりサボっていたため、1月の祝日に午後のミロンガがあったので出かけたところ、なんだか自分の動きに確信が持てなくて、やっぱりレッスンはしないとダメだなあ、と痛感したのだった。

そんなとき、師匠のケンジさんが
誕生日にもらった電動彫刻刀で今年の干支の酉を彫ったとブログに書いていた。

トリさん、かわいい。。。

いつもは干支を聞かれると
「私は猫年です」
と相手をケムに巻く私だけれど、ここはキッパリ

「私、酉年です、よろしくお願いします」

とおねだり。
めでたく頂戴できることになり、受け取りがてら久しぶりにレッスンに顔を出すことにした。

21時にヘルパーが帰ってしまうから、それよりあまり遅くならないうちに帰宅するため
レッスンは早退したけれど、半年以上ぶりに師匠と踊り、身体もストレッチしてもらい、
顔なじみの方たちの元気な様子を見て、きょうが4回目という21歳の若者にも出会い、
楽しく、充実した時間だった。

うちから吉祥寺まで車だと1時間弱と事前の検索で出ていたけれど、環八の渋滞にも関わらずほぼ1時間で到着。帰りはすいすいと40分弱で帰ってきてしまった。これじゃあ、渋谷からより早いくらいじゃあないか!次回行く時は、もう少しレッスンしてても大丈夫かな。

あ、頂いたトリさんはこちら。

   

2017年1月4日水曜日

2017年正月

*元日
二年連続喪中だったので、今年はおせちを食べたいと思い、
ひとりで食べきれるくらいのを探してデパートに注文しておいたものと、
義母のふるさと鹿児島風に焼きエビで出しをとった雑煮とで正月を味わう。
雑煮は大晦日の夜中に作ってあとは餅を入れるだけにしておいたのだが、
床に就くときに鶏肉を入れ忘れたことに気づき、朝食べる時に慌てて入れてホッとした
のも束の間、FBの友人がアップした雑煮の写真を見て、あっ!
なるとも買っといたのに、忘れた~~
年の初めは認知症の始まり?

年賀状が届いている。夫は自分の分については来た人に出せばいい、と言っていたので、
年末のうちには自分の分と連名で出していた分だけ出し、
夫の分のはがきを予想して用意しておいた。
実際来たものを数えてみると、おおよそ当たっていて、残り2枚。
あー、でもきっとまだ来るからなあ。。。

*二日
午後、訪問看護が入っている間、デパートの初売りを冷やかしに行く。
ポイントをお買い物券に替えて勇んで行った割に欲しいものがなく、
ジューススタンドで喉を潤して帰ろうと地下に降りる。
私の前に小学生の兄弟が並んでいて、横にお財布を持った母親と祖母と思しき人。
「何にするの?」と聞かれ、下の子は「みかん」と答え、
どうやらその子は今まで自分では決められなかったらしく、
ちゃんと選べたことに嬉しそうな母親。
と、兄の方は「マスクメロン」を指差して、「これ」と言う。
「あんた、いつもいちばん高いもの、だめよ」「やだ、これ」
「サイズは?どうせビッグなんでしょ?1,150円?だめよ、そんなの。」「へへへ~」
小学生に1杯1,150円のジュース??え、まさか買わないよね?
という私の心の声はあっさり裏切られ、母親は「みかんラージ、マスクメロン ビッグ」を注文。
おばあちゃんには一番安い「ミックスジュース レギュラー」を注文し、
それを二人で分け合っていた。マスクメロンも一口よこせ、とは言ってたけど。
ああ、こういう親がこの国をダメにするのだ。ったく、正月早々。

*三日
16時半から夫の訪問入浴があるので、それまでの午後の時間であれをして・・・という目論見は
13時から17時半までお気に入りのドラマのスペシャルがあるおかげで吹き飛び、
やれやれと思っていたら、FBがお節介に教えてくれる「過去のこの日」で
3年前も同じことを書いていたことが判明。
ああ、1月3日はそういう日なのね。よく覚えておかなくちゃ。

年賀状の配達第2弾。やっぱり足りなくなった。
県版の絵入りはがき、まだ買えるかしら。



そんな正月三が日。
あ、はがきは買えました。