2019年7月10日水曜日

谷本仰 2days

Trio Los Fandangos のヴァイオリニスト、谷本さんがソロの関東ツアーに来ている。
ソロと言っても、ソロの日もあれば他のミュージシャンやダンサーとの共演もあり、すべてプログラムが違う8日間8ステージ。

横浜では10日にエアジンであるので、その前にうちで昼ご飯を食べてもらって、夜はライブに行こう、と予定していたのだが、前項「徹さんとすごす会」の時に、9日に同じ会場の「いずるば」で行われるライブのチラシをもらい、その谷本さんの文章が素敵だったのと、「いずるば」がとても心地よい空間でもう少しここで過ごしたいと感じたこと、そして、予定が空いているのだったらやはり来るべき、「また」「いつか」「今度」は”ない”のだから、と思い、9日も足を運ぶことにし、思いがけず2日連続のライブとなった。

9日「いずるば」共演はダンサー岩下徹さん。この日の谷本さんはすべて生音のみの演奏。セッティングはこんな感じ。
泡だて器やボウル、鶏の人形、果てはシャボン玉まで。いや、確かに生音ですけど。

なんとなく勝手に休憩挟んで2本かな、と思っていて、途中でこれは50分1本勝負だ、と気づき慌てて写真を撮る。


岩下さんのダンスは本当に流れるようで停滞がない。身体を動かしているのではなく、その場の空気の一部になって動いている感じ。「気」が身体をめぐっていて、滞りがない、こんな人っているかしらと思う感じだった。
谷本さんの音と反応しながら、二人が動かす場の空気と観衆の生み出す揺らぎすらも取り込んでデュオが「奏でられて」いく。そんな感じ。
普段私たちが「楽器」とは認識していない様々なものから音が生まれていく。
「いずるば」という場所がそうさせるのか、確かにそこに居た徹さんの魂がそうさせたのか、パフォーマンスの間、私の頭の中にはいのちについて、生きることについての様々な断想が飛び交っていた。日曜日に聞こえた、「胸を張って自分として生きる」こと、がだんだんと腑に落ちていく。

この日はタンゴを通じての知り合いや徹さんのお連れ合いもみえていて、リラックスして楽しめる1時間になった。



10日、昼過ぎに谷本さんをライブのための大荷物と共に横浜駅で迎え、わが家へ。
食事をしながら、去年夫が亡くなってからいろいろ思っていることを聞いてもらったり、谷本さんのツアーの話、TLFの話、教会の話など、お互いあちこち飛びながら楽しいひと時を過ごした。なかなか二人だけで話す機会もないので、こういう機会が与えられてありがたかった。私のヴァイオリンも弾いてもらった。ちっともうまくならないのはこいつが弾きにくいせいではないのか、と疑っていたのだけど、谷本さんが弾いたらいい音は出るし、「よく育ってますね。丁寧に弾いておられるのがわかります。バランスもいいし良い楽器だと思います」と言われてしまい、あー、やっぱり私の力不足なのね、と結論。ちえ。

夕方谷本さんをエアジンに送り、一度帰って動物病院に猫の薬を取りに行き、改めて夜ライブに出直す。今日の共演者はホッピー神山さん(音楽プロデューサー、キーボーディスト)。セッティングはこんな感じ。

  

二人とも様々な仕掛けを用意している。同じような機材もあるけれど、使い方はそれぞれで被らないところが面白い。ホッピーさんはエアジンのグランドピアノをエレピに変身させる仕掛けまで作っていて、22年前ブエノスアイレスのあるタンゲリア(タンゴを聞かせるレストラン)のピアノが恰好だけグランドピアノでエレピの鍵盤がはめ込んであってびっくりしたのを思い出した。けど、今日のはもっと高度な仕掛けなのだろうと想像する。

正直に言えば、私は電気的な仕掛け、しかも即興をちゃんと受け止めるのは苦手だ。何がなじむかと言えばアコースティックな調性音楽や自然の音だ。たぶんそれは、そういうものが一番身近だったことや、機材のつまみやスイッチをいじる行為と「演奏」とが脳内で別の引き出しにしまわれているらしいこと、そして「役に立つ」ことが大事と教えられて育ったこと、などのせいなのだろうと思う。だからと言って、こうした即興演奏は受け入れられない、ということはないし、「なんだか変わってて面白い」という以上に関心もある。

谷本さんとホッピーさんは、つい5日前に福岡で共演したばかりだったからかとても息が合っていて、それぞれ勝手に好きな音を出してるみたいなのにそれはちゃんとデュオになっていて、どういう仕掛けをどう使っているかがわかればもっと面白いのだろうか、いや、私には無理だけど、などと思いつつ、休憩をはさんで2部2時間半のライブは終わった。昨日とは違って、生み出される音のことに思いをはせた時間だった。



谷本さんのライブは、このあと
11日富阪キリスト教センター
12日千歳烏山Tubo
13日祖師谷 カフェムリウイ 共演タカダアキコ、Safi
14日国立地球屋 共演石原雄治
と続くので、ぜひ聞きに行ってみてほしい。


谷本さんが「これが一番おいしいと思う」とお土産にくれた福岡のポテトチップ、ほんとかなあと食べてみたら本当においしくて、ああ、夜中なのにどうしよう。

  
  

2019年7月7日日曜日

Memento mori メメント・モリ

(日本語は下に)
"Memento mori" was the theme of a special gathering today to remember the late bassist and our dear friend, Tetsu Saitoh, who succumbed to cancer on May 18th.  
The program ran for 4 hours, featuring music, dance, poetry reading and talk by wide range of performers who worked with Tetsu over the years, as well as Tetsu's video. Visitors were free to come and go at any time, and place flowers by his bass.

I arrived just after the opening speech started.  I wasn't sure if I would stay the whole time, but as it turned out, I hung around till the end.  I ran into some of our old friends, met new ones, and, of course, took some time talking with Tetsu's wife.I suppose the grief of losing loved one is different from person to person.  Still, there is something that we can feel out for each other like no other people.

Strangely-- or maybe not so strangely-- there were few tears.  All the performances and talks and video in remembrance of Tetsu actually celebrated life.  It was a strong reminder that each one of us has life to live as what we are.  For me, it's almost scary to think presenting myself as I am, but maybe Tetsu was telling me that it's OK, and it's the best thing.
Here's what he said in one of the videos:
Pay attention to the sound, 
Don't try to possess your heart or body, 
And your will have both wings and root.

Thank you, Tetsu.




メメント・モリ ということばとであったのはいつのことだったか。
中世の修道院では修道士の枕元にこのことばが刻まれていた、と何かの小説かエッセイで読み、クリスチャンの癖にそのことばを知らなかった自分を恥じた、と記憶している。

「自らを死すべき者と知れ」を意味するこのことばが、去る5月18日に亡くなった齋藤徹さんのお別れの会のテーマだった。
「徹さんとすごす会ー齋藤徹のメメント・モリー」と題されたこの会は、徹さんのホームベースだった「いずるば」で、日曜日の午後2時から6時まで開かれ、縁のダンサーや音楽家、詩人などなどのパフォーマンスやお話と記録映像の上映が行われる中、来会者は好きな時間に来て、出会った人とおしゃべりをしたり、たぶんそこに居る徹さんの魂とも対話して、好きな時間に帰る、というものだった。徹さんの長年の相棒だったダンサーのジャン・サスポータスさんともネット中継を結んでメッセージをもらうなど、徹さんの活動(守備範囲?)の広さを改めて感じる会だった。

私は開会挨拶の終わるころに着いて、いつまでいるか決めずにいたのだけど、よい気の満ちていたせいか時の流れるのも忘れ結局最後まで残っていた。お久しぶりの方と会ったり、新しく知り合った方があったり、もちろん徹さんのお連れ合いの玲子さんともお話した。愛するものを失った思いは人それぞれだと思うから、簡単に「気持ちはわかる」なととは言いたくない。それでも同じ立場だからかけられることばというのはあって、そんなことばを交わすことができた。これからも折々に話すことができればと思う。

徹さんが亡くなったとき、私を含めて多くの人が「悲しくてたまらない」「どうしてこんなに涙が止まらないんだろう」と言っていた。しばらくして思ったこと。徹さんという人はものすごく多様で多彩な人たちと繋がって、その一人ひとりに自分を惜しみなく投げ出し、さらけ出してきて、私たちはそんな徹さんをハブにして広い世界に繋がっているつもりだったのに、要の徹さんがいなくなったことで、命綱が切れて宇宙に投げ出されたような心細さを感じたのではないか、それであんなにわあわあ泣いたりおろおろしてしまったのだ。
あれからまた少し時間がたって、徹さんはいなくなったのではなくて、私たちの中にちゃんといる、だから大丈夫なんだ、ちゃんと私たちは繋がっているのだ、と思えるようになって私は少し落ち着いたのだけど、みんなはどうだっただろう。聞いてみてはいないからわからないけれど、今日の集まりはその徹さんの存在と繋がりを再確認する機会になったと思う。そう、確かに「徹さんとすごす会」だった。

メメント・モリということばが口にされることはなく、いわゆる「お別れの会」だけど「涙涙」にはならず、むしろ、一人ひとりが生きている、いろんな人がその人として生きていることを喜ぶ、そんな時間だった。「胸を張って、自分として生きればよい」、そんなフレーズが頭をよぎる。それはちょっと怖い、と私は思う。でも徹さんは決まり文句で答える。「大丈夫」、と。

最後に紹介されたビデオの中で徹さんは言っていた。
 音に注意をはらい、自分の身体と心を所有しようとしなければ
 羽と根っこの両方を持つことができる

ありがとう、徹さん。