2019年5月19日日曜日

港と薔薇と



毎年この時期は、港の見える丘公園や山下公園に薔薇を見に行く。
週末は混雑するし、病人が居たときはそもそも平日しか出かけられなかったから平日に出かけていたのだけど、今年は前後の予定と天気を考えるとこの週末に行くしかないか、と思っていた。
昨日からの悲しい思いを共有する人たちのいるミロンガに行くことも考えたけれど、海を見てぼーっとするほうが今の気分だし、むしろ大勢の他人の中にいるほうがほっとするだろうと思って出かけることにした。

まずは県庁の一般公開へ。ゴールデンウィーク中に一度行ったのだけど、その時は下調べ不足で「正庁」を見逃し、屋上にも上がり損ねたのでリベンジ。そして、屋上は山下公園なんかよりきっとすいているだろうから、海を眺めるには最適の場所じゃないか、という目論見。




思ったとおり人は少なく、縁にもたれてしばしボーっと港を眺める。
海と空と風を感じていると、ああ、地球が回っているんだなあ、人が生きて去っていっても、地球は回ってる、私もその上に乗っかって、きょうも明日も進んでいくんだなあ、などと思う。



港の見える丘公園に行くバスが来るまでの合間に近くのキッチンカー(?)で「シュワシュワコーヒー」なるものを購入。トニックソーダとコールドブリューコーヒーを半々にしたもの。意外に美味。

  

港の見える丘公園は思ったとおりすごい人だったけど、それ以上に薔薇が満開に咲き誇っていて、人の多さが気にならないくらい、薔薇のパワーが勝っていて、明日夜から雨の予報だということと考え合わせてみても、きょう行ってよかったと思った。










元町におりると、クラッシックカーの催しがあったらしく、私より年寄りのクルマがずらりでびっくり。


山下公園は朝から昼過ぎまでトライアスロンの大会をやっていた名残で人が多かったけど、こちらの薔薇も見事に満開だった。

 



予報より天気が良過ぎて、花の撮影には難しい条件だったけど、花の咲き方としては今までで一番いいタイミングで見ることができたし、今年は特に香りがよかったので、心がなごむ午後になった。

2019年5月18日土曜日

報せ

一週間のうちに、身近な人三人の訃報を聞くなどそうあることではないだろう。

教会の友人Y子さんのお連れ合いが亡くなられたのが一週間前。
Y子さんは、音楽家であり青年海外協力隊でコスタリカにいたことがあったりして、南米つながりもあって夫とも仲が良く、夫が病気になっても私に仕事を続けてほしいから手伝う、と言ってくれて、毎週一回夜ヘルパーが帰った後私が帰宅するまでの時間、うちに来てくれていた。Horacio Ferrer のラジオ番組 Flor de Tangos y Poemas を聞きとって訳したものを夫に読み聞かせてくれるなど、夫もY子さんの訪問を楽しみにしていた。その間、お連れ合いが難病の多発性硬化症と診断され、それでも予後が長い病気だからまだ大丈夫、とずっと訪問を続けてくれて、本当にありがたかった。
連休前に誤嚥性肺炎になられて、誤嚥が心配なので胃瘻を作るために来週入院する、というメールを受け取ったばかりのところに亡くなられたと聞いて、本当にびっくりした。これからは私が力になってあげる番だと思っていたのになにもできなかったことを後悔した。

週明けにY子さんを弔問して夜帰宅すると、アメリカの母教会から教会員のSが亡くなったとメールが来た。Sは私より4~5歳若い。就寝中に亡くなったとのことで誰もがただただ驚いている。Sは教会の中心的存在で、誰もが彼を一番の友人と思っても不思議ではない、そんな存在だった。私自身は、アメリカを離れて10年くらいは毎年帰っていたから、その時はいっしょに活動したり聖歌隊で歌ったりしたけれど、もう久しく教会を訪れていないしそういう意味では「身近な人」とは言えないのかもしれないけれど、そんな私でもいつでも「やあ、元気」とハグできると感じられる人だった。教会にとってあまりの損失に神様はいったい何を考えているのだろうと思ってしまった。

SのためのMemorial Serviceの様子をFBのライブ配信で聞いたのが昨夜。
そしてきょう入ってきたのが、先の投稿で書いた齋藤徹さんの訃報。
夫が亡くなった時もすぐには泣けなかった私も、今度ばかりは涙が溢れて止まらなかった。残り時間が少ないことはわかっていたけれど、先月末のライブの後「またね」と握手して別れた。「また」とか「今度」ってのはないんだと思わないとね、なんて話もしたけど、それでもあと10日もすればまたファンダンゴスとのライブで会える、と思っていたし、来月の私の誕生日にはエアジンでの予定が組まれていたからそれには行かなくちゃね、と思っていたのに、もっともっと聞きたかったのに...

徹さんとは、夫と出会っていなければ一生接点はなかったのだろうと思う。
夫はジャズのライブハウスに足を運んでミュージシャンたちと懇意になる中で、フリージャズでちょっと行き詰まったりしてる人たちをどんどんタンゴに誘い、徹さんには「楽団がブエノスアイレスに行くのだけどベーシストが逃げちゃったから徹さん行かない?」と誘い、徹さんはかねてから関心のあったタンゴの世界にどっぷり浸かることになった。(のちにピアソラ楽団に入りたいと真剣に願い、アルバムを作ってピアソラに届けたものの、ピアソラが他界したため共演は実現しなかった。)
私たちが結婚するとき、披露宴で夫の参加していた楽団で演奏してもらおうと思ったのだけど、スケジュールの都合がつかなかったので、徹さんにベースを弾いてもらって私がピアノを弾いて一曲やろう、ということにして、徹さんに譜面を書いてもらい、Oblivion を演奏した。本番一週間前くらいに徹さんの家で行った数時間のリハーサルは、私の音楽人生(←大げさ)でとても意義深い時間になった。音楽に技術は重要だけれど、音楽が音楽になるのはそれとは別のところにあること、いま、ここで、この出会いだからできることがあること、を教わった。その後の10年くらい、徹さんのライブには二人でかなり頻繁に足を運んだのだが、この時期がちょうど徹さんの世界が出来上がっていく時期だった気がする。それを目撃できたことはとても貴重な、そして幸せな体験だった。徹さんの世界がやがて「いま、ここ、わたし」に集約していったのは偶然ではなかったと思う。

徹さんの5月5日のライブに向けてのFB投稿にあったことば。
「この場のため、人のため、わたしのため、幸せのため、愛のため。他に何が必要だろう?何のために生きるかのすべての解答を含めて臨みたいです。

もう会えないことは悲しいけれど、徹さんがくれた沢山の音や感動は確かに私たちの中にあって、これからも一緒に生きる力になってくれることがなによりの慰めだと思う。
   

2019年4月29日月曜日

音楽とダンスとことばと

10連休、10連休、と大騒ぎの上、あたかも元号が変わることで世の中も変わるような雰囲気作りに流されそうになるけれど、実際に起きた様々な事象を振り返れば、1989年1月6日から2019年4月30日がひとつのまとまりをなしているわけではないことは明らかで、時代の変わり目と言うにふさわしいときは、たとえば1995年であったり、2006年であったりするわけだけど、まあ、それはもっと後の時代にきちんと評価されることなのだろうと思う。そもそも、平安時代、鎌倉時代、と言った区切りで言えば、われわれは当分東京時代に生き続けるのだし。

連休の一日、エアジンに松本泰子(歌)、庄崎隆志(ダンス)、齋藤徹(コントラバス、作曲)によるDVD「Sluggish Waltz」発売記念ライブに行ってきた。
3・11を契機に「うたをつくりたい」という徹さんの思いに、さまざまな詩人のことばが集まり、歌とダンスとともに演じられた記録のDVDである。
私は収録された公演は見て(聞いて)いないので、今日がお初だった。

徹さんが松本さんを含むメンバーで即興をやったり、他のダンサーと共演するライブもこれまで経験したけれど、きょうはそこに「詩」そして「詩人」(実際に朗読で参加。ピアノの下に潜り込んで即興演奏に参加した詩人も約一名。)の存在が前面に出る形のライブだった。

私にとって一番身近な音楽は、クラッシック(古典派に限らず)など楽譜に書かれたものを解釈して表現するものだし、言語を扱う仕事をしているけれども、それは「事実、或いは事象を極力誤解の余地を排除して伝える」ための道具であって、ある意味音楽の場合と同様、解釈して表現する、という性格のものだ。徹さんや共演者の即興表現を見聞きするたびに感じていたのは、彼らには「いまこの音」「この動き」を選ぶことで自分自身をそこに投げ出していける力がある、ということだ。勇気があるなあ、といつも思っていた。

きょうはそこに、「音」「動き」に加えて「ことば」も入ってきた。「ここで何故このことば」「ここはひらがな、こっちは漢字(しかも常用漢字じゃない)」「段落分け」など、幾つもの決断を経て完成された詩たち。それが、詩人自らの声と息遣いで朗読されていく。それは、私が慣れている「いつどこで誰が何をした」が明確に伝わると言う文章とは違うところにあって、でもそこには確実に伝えたい心があって、その作り出す世界に、音楽と歌とダンスが重なり合って訴えかけてくる。

正直、圧倒されるばかりで、なにかを受け止めたとは到底言えない2時間ではあったのだけど、終わってみると不思議と「1番、2番、リフレイン、終わり」のような定型的な「歌」よりも強く印象に残っている断片がいくつもあることに気づいた。演者と観衆というのでなく、その場にいた者皆で作られていたパフォーマンスの中に私も確かにいた、ということか。

きょうのライブはこうこうでした、とうまくまとめることはできないけれど、思ったことを書きとめておきたくてここに書く。

DVDは完成・発売されているので、この世界を覗いてみたい人は買って見て欲しい。


2019年4月14日日曜日

自然の変化

日曜日、この表紙に絵が採用されている友人の個展に立ち寄り購入。
彼女は画材を担いで山に登り、その場で作品を描くスタイル。どっぷり都会生活の私と違って自然に入り込んで暮らす彼女に、たとえば丹沢などの身近な山で気象変化などの影響を感じているか尋ねてみたら、びっくりするような話が返ってきた。
山がとにかく荒れていて、彼女自身はもう行く気がしないし危ないところになっている、というのだ。長年の東名高速道路からの排気ガスと沿岸工業地域から風に乗って流れて来る汚れた空気、獣害、気候変動など、もろもろの影響で、いま斜面に下草が全くない状態のところが多く、それは「掃除機をかけたみたい」にまったくないそうだ。そこへ、以前に比べて増える豪雨、そして去年の24号のような猛烈な風の台風が来襲することで、木は倒れ、その倒れ方と言ったら「割り箸を100万本ばらまいたみたい」でかつて林道であったところももはやそこを通ることはあきらめるしかない状態。そして、木が倒れ下草の藪もないところに雨が降れば山の地面自体が持ちこたえられず崩れていく。
もっと登山客が来るような所ならお金をかけて整備もするのだろうけれど、丹沢のようなところはそのまま。そして、そうしたところに、身近な山だからと経験浅い年配登山者が入っていくことを想像するとちょっとぞっとするし、山体崩壊など起きれば大災害だ。こういう場所は、丹沢以外にも全国いたるところにあって不思議ではない。

今のこの国の社会は、本当によくない方向にまっしぐらでそれも暗澹たる思いにさせられるのだけど、自然環境も危ない方向にどんどん変化しているとしたら、なんだか救いがないなあという気にさせられた。

2019年3月31日日曜日

3月

一度も投稿をしないうちに3月が終わろうとしている。
何もなかった、というわけでもないが、文章を書く気力が全然なかった。
まあ、生存証明のようなもので何を発信しているというわけでもなく
困る人もいないだろうから、いっか、と言ってるうちにひと月である。

3月15日に、参加しているオーケストラが放送記念日式典のオープニング演奏をしたので、3月前半はそれに向けての練習中心だった。これは毎年恒例になっていて、夫が病気になる前までは参加していたので、今回が7年ぶりになる。
朝7:50集合という、私にとってはとんでもなく早い時間なのだけれど、何と言ってもNHKホールでの演奏機会と言うのはそうあるものではないのでがんばって参加。
曲目は、1月の名曲コンサートでも演奏した「ローマの謝肉祭」と合唱も入ってヴェルディの「アンヴィル・コーラス」。今回は弦の要所にN響メンバーも参加して下さっての演奏。
2ndVnのトップには大宮臨太郎さんが座ってくださり、私はその真後ろだったので、腕の使い方、ピチカートのニュアンスの変え方など、間近で見て学ぶことが多い貴重な数十分だった。いや、だって、移弦が続いて難しいところも前に合わせて腕を動かしたら楽に弾けてしまうのだもの、やっぱりプロってすごい。短い曲で、あっという間に終わってしまうと思っていたけど、予想していたよりずっと一つ一つの音を楽しんで味わって弾くことができてとても楽しかった。早起きしてよかった。

3月後半は、映画2本ー「Green Book」と「運び屋」ーを見たり、オケのコンマスであり1月は指揮をしてくださった松田さん参加のアンサンブルを聞きに上野に行ったり、頂いたチケットでバッハ「マタイ受難曲」を聞きに行ったり、姪と食事や買い物に行ったりして過ごした。

その間、イチローが引退したり
  1年かけてちゃんと花道を作ってあげたマリナーズ、すごいな
ショーケンが亡くなったり
  父の親友の義弟に当たり、横浜にも住んでいたから身近に感じていた人
白石冬実が亡くなったり
  私はオールナイトニッポンのほうが好きだったけど、ナチチャコパックは別格だった

そして明日は新年度、新元号発表。
中学生のころから私の中では基本西暦、必要があるとき元号に置き換えをやってきたから、元号が何だろうとどうでもいいのだけど、一強支配の総理が自分の好みを皇太子に押し付けてるとか、いろいろ聞こえてくると、そういうのはいやだなあ、と思う。変な騒ぎにならないとよいのだけど。




2019年2月26日火曜日

Haunted Manor 幽霊屋敷

(日本語は下に)

"Haunted Manor" is a Polish opera by Sanislaw Moniuzko.  It was written in 1861-1864 when Russia controlled most of Poland.  The story depicts the life and the values of the respected class of soldiers in Poland at the time.  It is one of the most popular operas in Poland, but is little known outside the country.

I had a chance to hear the opera presented in a concert format as the choir my sister takes part in was part of the production last Sunday.  It was the first time the the work was to be presented in Polish in Japan.  Singers had to spend a lot of time learning to sing in the unfamiliar language.

Many people showed up to the hall in the suburbs of Tokyo maybe because they were interested in this rare opportunity to hear this opera.

I'm not a great opera fan, and have seen only a few operas in my life.  I didn't have much expectation with this opera because so little is known about the work.  But as it turned out, it was very enjoyable work, both in terms of story and music.  I would love to see and hear this work with costumes and all some day.

One of many Polish among the audience who was sitting near us was apparently enjoying the opera very much.  She was singing along some of the arias, which showed that this is truly a very popular opera in Poland.

I don't imagine that there will be many occasions for "Haunted Manor" to be put on stage anywhere in the world except Poland.  But if you have a chance, I recommend to hear it.



「幽霊屋敷」はポーランドの作曲家、スタニスワフ・モニューシュコが1861年~1864年に書いたオペラである。当時ポーランドは、ロシア、プロイセン、オーストリアの分割統治下にあり、この作品も上演までに何度もロシア当局の検閲を受けた挙句、「士族」の暮らしを通して愛国心や勇気を強く感じさせる内容があまりにも観衆を熱狂させたため、3回の上演で舞台から下ろされてしまったという。(プログラムより)

2月24日、姉が活動している合唱団がこの作品の本邦初ポーランド語での上演(コンサート形式)に参加するというので、はるばる立川まで見に行った。

私はオペラファンではないし、今まで見たオペラも数えるほど。ましてや今回の作品はあまり知られていない作品だし、正直余り期待はしていなかった。
この珍しい機会を逃すまいとした人が多かったのか、会場は満席に近い盛況だった。ポーランド人の姿もそこここに。なんだかみんな、ワクワクしている様子。なんでもポーランドで一番人気のあるオペラだとか。そうなのか。

実際に聞いてみると、これはなかなか優れた作品だった。(えらそーに言う)
ストーリーも面白かったし、音楽もよく構成されていた。
ポーランド語での演奏で、出演者は本当に大変だっただろうと思うけれど、感情表現も豊かで聞きごたえがあった。歌詞にはけっこう聖書や信仰生活を下敷きにしたことばが使われていたのだけど、「神の存在を感じて暮らしている人の台詞」であるために歌手の人たちも感情移入しやすかったのか、深いよい表現になっていた気がする。これがいわゆる宗教曲の場合だと、信徒でない人が歌っているとどうもしっくり来ないことが多いのだ。そういうところでも、今回は聞きやすい公演だった。

私たちの前の列にいたポーランド人の女性が終始ノリノリで楽しそうに聞いていて、アリア(バリトンなのに)を一緒に歌っているのを見て、ああ、この作品が国民的作品だというのは本当だったのだ、と印象付けられた。

ポーランド以外ではめったに演奏されることのないであろうこの作品、いつか演奏会形式でなくオペラで見てみたいものだ、と思う。

2019年2月10日日曜日

1年経って

当然のことながら、キリスト教では法事は、ない。
そもそも西洋では命日より誕生日で亡くなった人のことを覚える習慣だ。
それでも、クリスチャンであっても日本的風習から逃れられない人は、家族の命日に「記念会」なるものを持つことも多い。短い礼拝をして会食する、というのが定番か。

うちでは義父母のために記念会はしなかったので、夫も別にそういうことは望んでいないと思ったし、親戚もみんな遠いしクリスチャンではないし、なにもしないつもりでいたものの、この日に横浜でとしゆき&菜穂子さん主催の定例ミロンガがあることに気づいた。ここでは、夫の病気がわかったときに徹さんとTLFがミロンガをしたいと言ってくれたのをとしゆきさんが引き受けてミロンガをしてくれたのだった。あんなミロンガがまたできないか、という妄想をとしゆきさんに持ちかけたら、是非実現しましょう、と言ってくださったのが11月。それから声をかけた方々がみなさん二つ返事で引き受けてくださり、思いがけず豪華版のミロンガが開けることになった。

ミロンガのまとめはケンジさんがうまく書いてくださったのでそちらを。

そこに書いてない裏話をいくつか。

夫の部屋にオルケスタYOKOHAMAのライブ録音CDがあったのを、ミロンガ来場者にプレゼントすることを思いついたのだけど、あるのは35枚。人を選んで、というわけにもいかないので受付でくじ引きをしてもらうことにした。くじ引き係りはTLFなおこさんのお子さん二人。何人来るかわからない中ではずれくじを幾つ入れるか悩んだ挙句、確率2分の1に設定。全員への参加賞としてチョコレートの小箱80個用意。最終的には入場者は86名だったそうだから、全員にはチョコは渡らなかった模様。ごめんなさい。でも、確率2分の1とは知らないみなさん、当たりですごく喜んでくださってこちらも嬉しかった。

夫のもう一組のダンスの師匠、Eugene y Alisaにも実は出演依頼をかけていた。生憎他のイベントの先約がありNGとのことで、アシスタント時代をよく知っているMarcy & Magiに代役をお願いしようかとも思ったのだけど、いや、彼らには他の仕事があればそっちを優先して欲しいから声をかけないでおこう、だいいち、TLFだけだって雪を降らせそうなのに、Marcyさんを呼んだら荒天確定してしまう、と思って声はかけずにおいたのだ。でも、親の心子知らず(?)スケジュールをあけてやってきてくれた。去年、Marcy&MagiのところでTLFがライブミロンガをしたとき、誰も踊りださなくてMarcyさんと私がデモ状態になってしまったことがあった。今回は守さんの歌がはじまったところでMarcyさんが目配せしてきたので、意図的にデモ状態を再現。あー、面白かった~。

なので、彼らも招待して太田なわのれんで打ち上げ。
 




予想以上に大勢の方が来てくれたミロンガ。
半分以上の人はおそらく夫のことは知らなかったと思う。
いつも来ているところだから、ファンダンゴスが来るから、ケンリリさんが踊るから、いろんな理由で来てくれた人たちが、みんなとてもいい顔をして踊っていた。
早い時間から来ていた常連さんとおぼしき人たちからしてすごくいい表情で踊っていたから、これまでここでとしゆきさんたちが積み上げてきたものが本当に大切にされているのだと思った。そこに後から来た人たちも溶け込んでいく。
それから、特別な企画であることを通して、タンゴを介してこれだけの人たちが直接間接につながり合って奇跡のようにいま、ここに一緒にいる、と感じることで、今目の前にいるこの人との時間を大事にしよう、とみんなが感じていた気がする。
TLF+徹さんの音楽の力が、ノーギャラなのに本気でいい音作りを手伝ってくれたえじーさんによってさらに増幅され、場を作っていったのだと思う。

私はもともと、自分が楽しみたいという欲求よりは、他の人の役に立ちたいという思いのほうが大事で、ひとりになってからは余計に自分ひとり楽しいからってそれが何?と感じることが多く、そんな思いをもてあます日が続いていた。このミロンガで、みんなが楽しんでいるのを見て、口々によいミロンガだった、楽しかったと言って帰っていくのを聞いて、本当に嬉しく、ああ、私はやっぱりそういう人間なんだなあ、と改めて思ったのだった。


以下はあれこれ頂き物。



2019年1月22日火曜日

名曲コンサート


去年、6年半ぶりに復帰した職場のオーケストラのコンサートが1月20日にあった。

8月に譜面をもらったときは、およそ弾ける気がしなかったものが、
まがりなりにもみんなと一緒に弾くことができたのだから、
練習は裏切らない、とつくづく思う。

このごろライブやコンサートを聴きに行く機会もまた戻ってきたけれど、
やっぱり自分でやるほうが、うまい下手は別にして面白いと思う。
それはみんなが「いま、ここ」に集中することとそれが生み出す音の魅力。
復帰してよかったと思う。

夫の療養中オケは休んでいたけど、ヴァイオリンをやめてしまうと弾けなくなるので、
細々と個人レッスンは続けていた。
それでも、一日に弾く時間は30分くらいのもので、全く弾かない日もあったから、
秋からどんどん練習時間が増えて、オケの練習日も12月には半日から終日になる中で、
もともと首肩の硬い私の右肩~右腕の筋肉は、年明けにはパンパンで悲鳴を上げていた。
おかげで、肝心の直前の自習が満足にできず、それがちょっと残念だったから、
これからはもっとコンディションの整え方を考えなければいけないと思う。

それにしても、本番になると今まで一度も間違わなかったところで間違うのはなぜ?



2019年1月5日土曜日

年末年始

喪中なので年末年始は格別の予定も入れず、おせちももちろん買わず過ごした。

冷蔵庫に焼き海老を発見したので、鹿児島風のお雑煮だけは作ったけれど。

元日はデパートの初売りを冷やかしに行き、すこしだけ買い物。
2日は駅伝の中継を見た後、ラグビーの試合の最後だけ見た。
ラグビーはよくわからないから余り見なかったけど、
夫の母校が今回は勝ちあがっていたので見る事に。
ちょうど姉が来ていて、義兄はラグビー愛好家なので姉は私よりラグビーを知っているので教えてもらいながら見た。めでたく夫の母校勝利。
以前より見ていてわかるようになったのは、
たぶんデジタル化のおかげで昔は何やってるか見えなかったところが見えるようになったからではないかと思う。

3日は駅伝の復路を見た。地元東海が勝ったのはよかったけど、
夫の母校はシード落ちしてしまい、また来年も予選会からでかわいそう。

4日にはヴァイオリンのレッスンが始まり、平常運転。
とはいえ、年末から21日の演奏会に向けて集中練習していたせいか
右肩から右腕が重痛い。弾くのは大丈夫なのだけど、ちょっと炎症起こしてるかも。
弾けなくなっては困るので、難儀している箇所だけ抜き出して練習することにする。