2019年12月31日火曜日

At year's end 年末に

(日本語は下に)

It's time to look back 2019.
I continue to hold a void in the center of my heart that I know will never be filled.
I'm still searching ways to live with it although I'm doing better with it than last year.  This year, my eyes turned more to things around me, and I notice the world is changing.  Places we went together are no longer there, new buildings are being erected here and there, new technologies are available, and everyone appears to be keeping in pace.  I feel as if I remain collapsed on the roadside, looking at the back of my friends who are moving forward, fast. 

Some of the expressions that came from people who had the same experience of losing their spouse caught my attention as I heard them on the radio or on TV this past year.

One said, "you should not forget but it's OK to try not to recall."
Another said, " there's no long hope or dream for me/ I don't say this out loud, but I whisper, 'I'll live as long as possible for your part, too.'"

Maybe I'll hang onto these words for the time being.

It was good that we had a special milonga on the anniversary of my husband's passing back in February.  I'm planning to have another one next year again with Trio Los Fandangos.  It should be a wonderful time.

May 2020 bring you happiness and joy!


年の瀬に今年を振り返ってみれば、相変わらず心に空いた穴は厳然とそこにあり、おそらくそれはずっとそこにあるものだから、付き合っていく道を見つけ出すということなのだろう。
今年半ばぐらいになって、ようやく家を留守にすることに不安を感じず外出できるようになった。病床の夫がいつも家にいて、誰かがやってきていた時期が5年もあると、家を空けることが不安で、用事が済めば飛んで帰る毎日だったのだ。それがようやく心があまり乱されずに出かけられるようになったのが今年。
外に出たら出たで、世の中の変化の大きさに改めて呆然とする。
二人で出かけた場所や店は幾つもなくなり、新しい構造物が立ち上がり、技術もいつのまにかものすごく進歩している。
自分は相変わらず道端にへたり込んで立ち上がれず、遠くなっていくみんなの背中を眺めているような、そんな感じに襲われる。

そんな毎日の中でふと心に留まるのは、ラジオやテレビから流れてくる、同じ体験をした人の言葉。

 「忘れない、思い出さない、でいいんじゃない?」
 「もう夢も希望もないよ。でもさ、大きな声じゃ言わないけど、
  『あんたの分まで長生きするよ』ってね、思ってる」

そんな言葉を握りしめて、今は暮らしている。

今年夫の命日にミロンガができて、大勢の人に来てもらえたのはよかった。
来年もTLFに来てもらってミロンガをやる予定。
時期が時期なので、雪だけが心配だけど、きっとよい時が過ごせるはず。

新しい年、すべての人に祝福がありますように!

2019年12月23日月曜日

Ausencias(不在)

Ausencias は、今年亡くなった齋藤徹さんが1998年に出したアルバムのタイトルである。
意味は「不在」。徹さんがそのグループに入りたいと強く望みながら叶わなかった、
Astor Piazzola の楽曲を「卒業」するつもりで録音したアルバム。
ピアソラは95年亡くなった。ピアソラはもう、いない。しかし、その不在こそがその存在の大きさを感じさせる、との思いが込められてのタイトルだったと記憶している。

その徹さんとベースアンサンブルを組んでいた、田辺和弘、田嶋真佐雄、瀬尾高志の3人が
12月21日「Travessia de Tetsu」と題したライブを横濱エアジンで行なった。
3人とも、様々な形で徹さんの薫陶を受け、共演し、それぞれ個性的な活動をしているベーシストたち。その彼らが徹さんの楽曲を演奏するというのを楽しみにしていた。


 街
 Tango Eclipse 全3楽章
 西覚寺~トルコマーチ~Invitation
 フリーインプロヴィゼーション
 オンバク・ヒタム桜鯛 全3楽章
 Travessia


徹さんの音楽、徹さんの奏法が生き生きと蘇り、徹さんが演奏している姿が目に浮かぶ。
そこに、田辺さんのカンジェンゲ、田嶋さんのピチカート、弓を持ち替えて音色を変えるなど技ありの瀬尾さん、それぞれの魅力が加わる。
それはそれは特別な、素晴らしい音楽のひとときだった。

でも。
やっぱり徹さんはもういないんだなあ、とも感じてしまった。
徹さんの音楽はそこにあるけど、徹さんの「音」は聞こえなくて、
徹さんの不在が徹さんの存在が大きかったことを改めて知らせている。
三人の奏者の中に、しっかりと徹さんと徹さんの音楽が生きているからこそ、
そんな風にも思ってしまうわけで、嬉しくて寂しくて切ないような。

それで、
そういえば徹さん、Ausenciasってアルバム作ってたよね、
と思い出した。こんな風に思いがつながる言葉まで残していくところも徹さんらしい。

  


2019年11月14日木曜日

不思議なこと

昨日の朝、階下に下りてきたら、なんか話し声がする。

え?

声はデスクの上に置いてあるラジオから聞こえていた。




このラジオは、スペイン語講座をタイマー録音するためのものなのだけど、
充電器とスピーカーを兼ねたクレードルから少し浮いた格好でONになっていた。
いまはその予約した時間ではない。

なぜ?

位置が動いていたのは夜中に猫が蹴飛ばしたのかもしれないけど、
本体のスイッチはぐいっと押し下げるタイプ。ちょっと動いたくらいではONにならない。




なぜ?

本体をクレードルにカチリとはめると、スピーカーから関西アクセントの男性の声。

え?谷本さん?

いや、そんなはずはない。
でも、聖書の話をしている。
ダビデの詩編がどうとか、キリスト者の国籍は天にあるから天がHomeとか。
さらに聞き進むと、どうやらこれはゴスペルの歴史の番組らしいことがわかる。
それにしても、内容が説教(礼拝におけるみことばの解き明かし)になってる。

誰?

後で調べたら、これだった。

カルチャーラジオ芸術その魅力「ゴスペルソングの歴史」

話していたのはNOBUというゴスペルシンガー。
その世界では有名人らしいけど私はゴスペルはあまり聞かないので知らなかった。
ググってみた限りでは牧師ではないらしい。

どうやら再放送だったらしく、改めてこの回を聞きなおして確認はできないのだけど、
詩編39篇の
 主よ、私の祈りを聞き
 助けを求める叫びに耳を傾けてください。
 私の涙に沈黙しないでください。
という部分を引いて、
 神様を信じたからと言って、毎日がハッピーになるわけではなく、嵐はくる。
 ダビデのようにこう祈らずにいられない日もある。
 でも朝は必ず来て、朝には希望がある、ということをゴスペルは歌っている。
というような内容だったと思う。

たぶんそれは、私がいま必要だったメッセージなのだ。

必要なことはすべて神様が備えてくださる
すべてのことには時がある
というのはある意味信仰的生活の中心で、私もいつも心に思っていること。
だから、きょう私の耳にこのメッセージが届いたのだ。

だけど、ラジオのスイッチ。。。
不思議な出来事だった。

2019年11月12日火曜日

箱根に行ってきた

秋の箱根にドライブに行ってきた。

いつもは湘南から行くのだけど、なぜかナビが東名で行けというのでそっちから。
最初の目的地は山のホテルのティールームなのだけど、
なぜか小田原から箱根は旧道から行けと言う。
この道は交通量は多くないけど、狭くて勾配もきつい。
♬はっこねーのやっまわーてんかーのけん 
よいしょ、とハンドルを切りながら上る。
そんな道をハイキングする人がかなりいる。
普通の格好で歩いている人さえいる。
いったいどこからどこまで歩くのか?
自転車で上ってる人もいるではないか!なんなんだ。

目当てのティールーム、天気が良いのでテラス席はいっぱい。
一瞬空くのを待つことも考えたけどやめて、室内の窓際の席へ。
(これは正しい選択。テラスの人たちは私が食べ終わってもまだのんびりしてた。)

ルイボスティーグレープフルーツ風味。全然ルイボスの癖がなくて美味しかった。
オムレツ ラタトゥイユ添え。

芦ノ湖はすこし波立っていたけど、日差したっぷりでボートで釣りをする人も。


桟橋の先に立てば山影から富士山が。

デザートはパスして、仙石原をめざす。
先月通った時はすこし早かったすすきの原。
先の台風で被害があって一時閉鎖された遊歩道も一部入れるようになったそうなので
きょうは車を降りて歩いてみるつもり。




遊歩道はこんな感じに行き止まり。
すすきはもう終わりに近づいていたけど、広々した草原に揺れる穂は心和むものだった。

そしてポーラ美術館へ。開催中のシンコペーション展を見に。
以前、横浜美術館でも現代アートと過去の巨匠のスタイルとの関連性を扱った展示があり
とても興味深かったので、今回のこの展示も見たいと思っていたのだ。
期待を裏切らない、丁寧でよく考えられた展覧会だった。
ここは少し高いところなので、紅葉が進んでいる。
 

仙石原には親から受け継いだ別荘地(原野)があるのだが、
まさにそのすぐ下で土砂崩れがあり、
そのおかげで宮ノ下方面に抜ける138号線は通行止めになっている。
恐る恐る別荘地の様子を見に行く。
大きな倒木などは起きていなかったけれど、
もともと未舗装の道路がますますすごいことになっていて、ちょっと怖かった。

ここで立ち寄り湯でも使いたいところだけど、
日没の富士山を御殿場に下りる途中の「ふじみ茶屋」から見るにはもう時間がないので
そのまま出発。トンネルを抜け、さあ、と思ったら、なんと
ふじみ茶屋が閉まっていて車が停められず、写真も撮れず。
そのためにこっち側に下りたのに。
ここでお団子でも食べようと、デザート我慢したのに。
こんなことなら温泉に入ってきたのに。(T_T)

少し下ったところで路肩を見つけ、やっと1枚撮ったのがこれ。

またいつかこれもリベンジしないと。

2019年10月29日火曜日

「死者と生者」と「光と闇」と


先週末、大槻オサムさんと谷本仰さんによる
「ひとりの役者とひとりの演奏者による光と闇をめぐる時間」ホシハ チカニ オドル 
の東京公演があった。「ホシハ チカニ オドル」については、上記リンクを見てほしいが、
JOC臨界事故やチェルノブイリで被曝死した人たちに代わって語る試みから生まれたこの舞台は、2011年から公演を重ね、今回東京での公演で50回を数えた。谷本さんの活動を追う中で、いつか見たいと思っていたものの、出演者が広島と北九州なものだから(?)なかなかこちらの方では公演の機会がなく、今回やっと見ることができた。

たまたま初演の直後に福島第一原発事故が起き、一気に反原発・原発推進の議論が活発化したことでこの舞台への関心と要請も高まったので、もっと直截に反原発、あるいは反核を語るものかと想像していたのだけれど、そうではなかった。もはやここで表現されていることはもっと普遍的な、死者と生者、光と闇、そしてそれらをつなぐもの、だった。

光と闇とは対比されるものでありながら、闇があっての光、光があっての闇、という側面があり、どちらがよい、わるい、というものは、ない。(光であるのに闇を必要としないのは聖書の神の光だけだ。)それでも、私たちは光にポジティブなイメージを持ち、闇からは目をそらそうとして暮らしてはいないか。それは、本当に光を見ていることにはならないのではないか。

同様に、死者と生者も、実は分かちがたいものではないのか。生きている私たちの命は死んだ者たちの命とつながっているはずではないのか。それなのに、そのことを忘れて、いや気づかぬふりをして、わが身だけを考えて生きている者が多すぎやしないか。

そんなことを思って、舞台を見つめていた。

私が駆け出しの通訳者だったころ、原発関係の仕事はけっこう多かった。
ちょうど「もんじゅ」のプロトタイプが動き出していたころで、
テーマとなるのは核物質管理(セーフガード)が多かった。
資源を持たない日本のような国で、「もんじゅ」は救世主のように言われていたけど、
こんなうまい話があるわけはない、こんなにうまくいくものか、と私は思っていた。
当時IAEAやアメリカから来ていた技術者の物言いを聞いていると、
表向きは理論上可能なこの技術の推進を支持しても、
実はこれはやっぱり夢物語だと思っているのではないか、と感じることが多かった。
いくつものトラブルを経て、「もんじゅ」の廃炉が決まったことは周知の事実。

そんな様子を見てきていても、当時原発やセーフガードに関わって仕事をしていた人たちは、自分たちが何をしているのか、どんな危険があるかちゃんとわかっていたし、
私は原発についてヒステリックになることなく、むしろ楽観的だった。

JOC事故はもちろん、チェルノブイリ事故の時、私はすでにニュースの仕事をしていた。
ソ連時代、彼の国からの情報は限られ(次の共産党書記長が誰になるかは、革命記念日の軍事パレードの席次を見てあれこれと推論していたくらい)、その中で起きた大事故について我々が詳細を知るようになるのは何年もあとのことだった。そんな時代をイメージすることも、今は難しいのかもしれない。

福島の事故が起きて、非常用電源を海側に置くなどというトンデモナイことが行われていたことに、私はショックを受けた。慎重で綿密だったあの技術者たちの英知は、伝わっていなかったのか。バブル経済を機に、本当に金に魂を売ってしまった日本人が多くなったとは思っていたけれど、電力会社までがそうだったのか。人の命は地球より重い、なにより大切にされるべきということを、どこで忘れてきてしまったのか。放射能汚染より、そのことの方が深刻な問題にさえ思える。

日本の原発は、原子力武装に代わるものとして配備されている、とも言われていた。
これだけあちこちに原発のある日本を攻撃するとえらいことになりますよ、
という抑止だというのだ。
福島でその原発を自分で壊してしまって、影響がどれほどのものかばれてしまったから、
もう原発は抑止の役割を果たさない。某国から攻撃があるかもしれない。
きっとアメリカはもう庇ってくれない。どうするつもりなのだろう。

私が接してきた情報などはたいしたものではないけれど、リアルタイムでこうした出来事を知らなかった人に、知っていた者が伝える必要は、やっぱりあると思う。出来事が、記憶が共有されるためには、それらが語られなければならない。今の時代は幸いにしてさまざまなメディアに記録することが可能だから、体験者が存命のうちに、先の戦争や、大災害などの経験を記録しておいて欲しいし、それらをもとに演劇や映画、小説などを通じて伝えてほしいと思う。情報を伝えるだけでなく、忘れていたことを思い出すきっかけを与えるためにも。「ホシハ チカニ オドル」にもそういう役割があると、大槻さん自身も語っていた。

舞台を見てしばらくしてから、数か月前にどこかで目にした言葉を思い出した。

死者はこの世からいなくなってしまうのではない。
「死者」として我々と共にこの社会に存在しているのだ。

まったく物覚えが悪くて、本で読んだかテレビで見たかすら思い出せないのだが、
とても印象に残ったことばだった。
死者も社会の構成員として、無視してはいけない存在なのだ、
彼らの体験から学び、これからに生かしていかなければいけないのは、
彼らもまたここにいるからだ、というような話だったと思う。
この考えには私も大きく肯いた。
死者とどうつながって生きていけばよいのか、と問う向きには、
「ホシハ チカニ オドル」がきっと答えを示してくれるだろう。
 




2019年10月22日火曜日

Viva Rugby!

(日本語は下に)

Rugby is suddenly IN in Japan.
Quadrennial Rugby World Cup is now being held in Japan,
and the Japanese team won up to the quarterfinal for the first time ever.
At last World Cup in UK 4 years ago,
Japan surprised the world by defeating South Africa.
They won 3 of the 4 pool matches, but was eliminated in the pool stage.
This time, they won all of the 4 pool matches,
defeating powerhouses of Ireland and Scotland.
Many Japanese suddenly began claiming themselves as rugby fans.
The excitement has now subsided a little
as Japan lost to South Africa in the quarterfinals
(of course, the Springboks must have been determined
not to repeat the disgrace of 4 years ago)
but the extensive exposure of this unfamiliar sport to the general public in Japan
should have positive impact in the future.

I was not a rugby watcher, and this has been a great opportunity to learn about the sport.
What I really like about World Cup is that the nationality doesn't matter so much to represent a country in Rugby World Cup. 
You only have to have played 3 years or more in that country to make the national team. 
As a result, every team consists of players of various backgrounds and nationalities.
The Japanese team included players from New Zealand, Australia, South Africa, Tonga, South Korea, etc. 
This arrangement means that rugby is a sport in which  people of different color, ethnic and cultural backgrounds work together for a single goal of winning a match by coordinating and making most of their differences in physical characteristics as well as strong points and weak points .
Our society should be like that, I thought.  Narrow-minded nationalism is rising nowadays, and I hope Rugby World Cup served as a wake-up call to many of us.

Even though Japan has been eliminated, I'm looking forward to watching the semifinals and the final when the world's top class teams (called Tier 1) are expected to play with their full strength.



「にわか」である。

ラグビーのことは仕事上最低限必要な基本知識はあったけれど
試合を見てもよくわからないのであまり見ることもなかった。
今年の正月、
早明戦の後半をたまたま家に来ていた姉(連れ合いはラグビーやる人)や、
FB上の友人から教えてもらいながらTV観戦し、
デジタル化したせいか昔より密集の中が良く見えるようになったこともあり
ああ、これならなんとかワールドカップも見て面白いかもしれないな、
と思っていた。

今回、日本は初戦こそミスが多く不安な出だしだったけど、
プール戦残り3試合は、何が必要かをきちんと準備して実行する、
本当に美しいプレーで、勝ち負けよりプレーを見ることが楽しかった。
体格や能力の異なる選手が互いを生かしながら一つの目的に向かっていく。
なんて素敵なスポーツなんだ!
そしてチームは目標だったプール戦突破を全勝で成し遂げた。

準々決勝の南ア戦は、それまでの速さが影をひそめてしまい、敗退。
これはやっぱり、層の厚さの違いなのだろうと思った。
かねてから思っていることだけど、
MLBでワールドチャンピオンになるチームやサッカーワールドカップで優勝するチームは
その最終段階まで戦うつもりでそれだけの力を蓄えている。
逆に言えば、それだけの層の厚さ、優れた選手をそろえているチームが
そこまで勝ち上がることができるのだ。

ましてやラグビーは身体への負担が大きいスポーツだから、
プール戦を余裕を持って戦えるチームと、全力で行かざるを得ないチームとでは、
ノックアウトステージに入るときの状態は大きく違うはずなのだ。
今回の日本代表は、間違いなく史上最強だっただろうし、
それはメンバーだけでなく、日本のラグビー全体の力がそこまで上がってきた、
ということだろう。
ただ、英連邦伝統のスポーツにおいて、彼らと互角に渡り合うほどには
まだ至っていない、というだけのことだ。

プール最終戦直前に台風が来て、釜石ではカナダーナミビア戦が中止になり、
カナダチームは泥の掻き出しボランティアに参加、
ナミビアチームは避難所を慰問した。

翌日の日本ースコットランド戦は実施され、日本の勝利に沸いたが
選手たちが「被災者に元気を出してもらえれば」
と語ったのを「傲慢だ」という人がいた。
試合などやめてボランティアに行け、とまで言う人も。
そういうことを言う人はおそらくスポーツを「娯楽」
つまりは「必要ではないもの」と思っているのだろう。
そうした考えは「役に立たない」ものを否定することであり、
ひいては障がい者や高齢者、子どもたちを否定する発想とひと続きだと気づかないのか。

それに、スポーツや音楽、美術や演劇などあらゆる芸術は
娯楽でもなければ「役に立たないもの」でもない。
人が生きること、すなわち死に向かって進んでいくことを昇華させるのが
スポーツであり芸術であることを思えば、
災害など困難な時こそ、これらは必要なはずだ。

ラグビーワールドカップでは、ある国を代表するのに国籍は必須ではない。
その国で3年プレーしていて他の国の代表になっていなければよい。
だからどのチームも、色々な背景の選手によって構成され、
生まれや肌の色に関係なく、それぞれの体格や強みや弱みを生かし合いながら
試合に勝つという一つの目的に向かってプレーする。
さらに試合が終わればノーサイド、ラフプレーをした選手には直接謝罪に行くし、
お互いの良いプレーを称えあう。
紳士のスポーツと言われるこの伝統がどこから来たのかは知らないし、
見えないところではきれいごとばかりではなかったことも伝え聞く。
それでも、ラグビーが私たちの社会の在り方に与える示唆は大きいと思う。
大会はこれからがクライマックス、Tier 1と呼ばれる世界の強豪が
どんな真剣勝負をするのか、楽しみに観戦しよう。


2019年9月30日月曜日

Last day of September 10月1日を前に

(日本語は下に)
October 1st is the anniversary of my mother's passing, so I visited our family grave a day early today. (As it turns out, she actually passed away on the 7th, my sis says.  Those days with someone with ALS were too hectic to keep track of dates.) It was cloudy and a little muggy, but was nice enough to drive along the coast and walk up the hill. 
I usually drive on to Hakone when I visit the family grave. Today, I chose to have lunch at an Italian restaurant produced by Toyoo Tamamura who draws, cooks, and owns and runs a winery in Karuizawa.  
This year, October 1st is also the day when the consumption tax is raised in Japan.  So, after lunch, I drove to a big outlet shopping center in Gotemba.  I was looking for a fake-leather jacket, so I can wear it without worrying about rain.  But... I came home with a real leather jacket.  I wonder why... :)


10月1日は母の命日なので(たぶん。ちゃんと覚えてない。父は私の誕生日だから忘れない。)、湯河原の寺に墓参りに行った。
雲が多いながらも、時々日がさして蒸し暑い。

 

  
墓からの眺め。また木が大きくなって、ますます海が見えなくなった。
祖父がここに墓を建てたときは広々と見えたのに。

  

墓参りの後は箱根に回ることにしている。
きょうは初めて元箱根の芦ノ湖テラスに行って見た。
ここは、玉村豊男氏プロデュースのピッツエリアとミュージアムのあるところ。
イタリア色溢れる店内から芦ノ湖を眺めつつ、
ハーフサイズのサラダとサクラマスのピザを頂く。美味。

  





あー、ここに、147に乗っていた頃に二人で来たかったな、と思う。

平日でも観光客はそこそこいて湖畔を散歩している。湖には海賊船も。

  

帰りは御殿場のアウトレットに寄ることに。なんたって明日から消費税が上がるもんね。
だからといってあれこれ買うつもりはなく、雨を気にせず着られるフェイクレザーのジャケットがあれば、と思って一回り。
フォションのスパークリング・ティーで休憩。
  


買ったのはこれ。え、ええ、フェイクじゃないです。あれ?
  

2019年9月4日水曜日

夏の終わりに

普段、土曜の午後と日曜祝日しか休みがない姪が、やっと取れた夏休み最終日の貴重な平日休みに横浜に会いに来てくれた。

ランチはみなとみらい地区にあるJICAのカフェテリアへ。
ここは本格的な各国料理がお手ごろな値段で楽しめて、眺めもよいのだけど、
ちょっと外れた場所にあるのでなかなか来ることができずにいた。

豊富なメニュー
  



写真や見本の前にある食券を取ってレジに持って行き、お金を払うシステム。
用意した数が券の数とはいえ、これだけいろいろな、しかも珍しい料理を出すところはめったにないだろうな。
ラムのミートボール(エジプト)と豚肉のトルティーヤ(メキシコ)を姪と半分こして食べる。どちらも本場のスパイス使用と思われる味付けで美味。

午後のお茶は葉山のマーロウまでドライブがてらプリンを食べに。

 

これは期間限定のほうじ茶くるみブリュレ。
通常のビーカープリンより小ぶりの陶器に入っていて、適量だった。
平日はさすがに空いていて、海を眺めながらのんびりした。


翌日は、タンゴ・ダンサー、インストラクターのとしゆき・なおこ夫妻と
横浜スタジアムにベイスターズの応援に。
変わりやすい天気、急な雷雨に注意、の予報の中、
うちのあたりは昼ごろからすでにザーザーとかなりの降り。
寄る所があって15時ごろ出かけるとまだ降っている。
 

それでも、スタジアムに着くころには青空も見え、やったー!

  

としゆきさんたちが用意しておいてくださったユニフォームを着て、準備万端。
この日はスポンサーが配った「トイレスタンプ」の試供品の匂いと名物の「はまから」(から揚げ)の匂いが交じり合う、なんとも言えない感じだったけど、雨があがってほっとした雰囲気の中、試合前のプログラムが進んでいく。テレビに映らないところで、こんなにいろいろやっていたのね、と感心。
自販機では「誰が出るかお楽しみ」のミネラルウォーターも売っていた。

 

キャンペーンで当選した一般女性による見事な始球式でいよいよ試合開始。
と、黒い雲が北西から迫ってくる。うーん、いやな予感。
1回表、今日は4番に戻った筒香がライナーをファインプレーでキャッチして0に抑え、
さあ、ウラの攻撃。ところが稲光がかなりひどくなってきてワンアウトで中断することに。
それでも、雨が落ちてくる気配はなく、しばらくして再開。
ところがソトに1球投げたところでまたも盛大な稲光。阪神の投手がマウンドを外す。
まあね、あの広いところで一番高いところにいるのはピッチャーだから、
落ちるならあなただからね、わかるよ。

そしてまたも中断。しばらくするとポツポツしてきたので、とりあえず屋内に避難。
30分ほどしてどうやら雨も大して降らずにすんだようなので、また観客席へ。
こういうとき、どのくらい待って判断するんだろうねえ、
中止にすると損害も大きいよね、
雨雲レーダーとか見てる人がいるんだろうね、
などとおしゃべりしていたら、球審が走って出てくる。
え、まさか?

そう、まさかのノーゲーム。
え~~、雷は確かにひどいけど、降らないんじゃない?
と言うそばから大粒の雨が落ちてきた!!なにこれ~?
この判断のタイミングの絶妙なこと!信じられない!

用意したレインコートを出す間も惜しんで、とにかく退席、外に出る。
雨がどんどん強くなる中、1ブロック先にカフェを見つけ、
こんなときだから大勢人が流れてくるかと思いきや空いていたので腰を落ち着ける。
外を見れば、道路に雨粒が跳ね上がる土砂降り。とても歩ける状況ではない。(歩いてる人居たけど)
ちょうどお二人に相談したいこともあったので、1時間ほどおしゃべりして、
小止みになったところで帰途についた。
このリベンジはいつかきっと。

結局出番はなかったレインコート。
 
 

2019年8月12日月曜日

近況


横浜みなとみらい地区で「ピカチュウ大量発生チュウ」なるイベントが始まったのは何年前だったか。段々に商業施設も整備されて人が集まるようになり、ランドマークプラザに「ポケモンセンター」があったためか、夏休みに時期にピカチュウの着ぐるみがみなとみらいのあちこちに隊列を組んで闊歩したのが最初だったと思う。
たまたま買い物などに行っていて遭遇すると、ピカチュウファンでなくても、黄色く丸っこいピカチュウが大勢で笛に合わせて歩いているだけでなんだか楽しくなる。
そのうち赤レンガ倉庫にステージを組んで観客にも水がかかる(暑いから)スプラッシュショーなども始まり、すっかり夏の定番行事になった。

今年の内容はこちら

ここ数年の厳しい猛暑で、中の人たちはもちろん、観覧する人たちの熱中症の危険も高くなったせいか、今年は行進もショーも夜だけ行われることになったので、お目にかかることはないかなあ、と思っていたら、姪が見てみたいというので妹も誘っておばさん3人で日本丸パークでの「大行進」を昨日見に行った。待ち時間中にピカチュウたちが船に乗って愛嬌を振りまいたり、ショーもカラフルに変化するライトを身につけたピカチュウたちが機敏なダンスを見せたり、通路を一周して後ろのほうのお客さんにも見えるように工夫したり、なかなか楽しいイベントだった。写真はあまり上手く撮れなかったので、超接近した瞬間を1枚だけ。
 

7月はずっと雨だったし、8月は暑いだろうからと仕事は減らした上に、年初からの肩の不調を治すべくヴァイオリンのレッスンも夏休みにしたのに、梅雨がやっと終わったら猛暑でまったく出かける気にならず、このままだとボーっと夏が終わりそうだったから、ちょっとはイベントらしいことができてよかった。

7月鬱陶しかったのは、選挙があったこともひとつの理由だ。
日ごろ情報収集のために見ているSNS上が妙に騒がしくなり、批判のための批判、脊髄反射で誰彼構わず、根拠なく揶揄したり中傷する投稿が増えて、見ているだけで気分が悪くなった。

選挙ではALS患者の船後靖彦氏が当選し、それに対して、家族がALSを自称(のちに詐称とわかる)する人物を含め様々な人が「ALS患者に議員が務まるわけがない、山本太郎は利用してるだけ」などといった投稿をし、拡散し、これもまた不愉快だった。

ALSという病気は本当に不思議な病気で、100人居たら100通りの病気の進み方があり、ひとくくりには到底できないから、その人がどの時点で何ができるか、できないことをどう補完するかは直接その人に会っていなければわからないし、会っていない人たちが会っている山本氏を批判するのはよろしくない。また、「能力」の部分ではなく「機能」においてできないことは、できるように工夫して補うのが社会の向かうべき方向であって、切り捨てるのは間違いだ。

ついでに言えば、船後氏のように気管切開をして人工呼吸器をつければ社会で仕事ができるのに、地域格差や制度の不備によってそれがかなわない現状をなんとかしたい、というのが彼らが議会を目指した理由で、それは結構なことだ。ただALS患者の中では3割の気切・呼吸器を選択した人たちが、あたかも残りの7割の人たち誰もが「家族の負担になっては申し訳ないから」という理由だけで呼吸器をつけない選択をしたかのように言ったり、ことさらに「呼吸器をつけてみんながんばりましょう」といったニュアンスの発言を繰り返すのもあまりいい気分ではない。ひとりひとり本当に違う状況の中で、ひとりひとりそれぞれの価値観があるのだから、簡単にくくって欲しくない。

他にもいろいろ思うことはあったけれど、夫が亡くなって1年半を過ぎても、それまでの6年間、世の中がずっと先に行ってしまった一方自分はへたりこんだまま、まだ一歩も踏み出せずにみんなの背中がどんどん遠くなる感は相変わらずで、思いを「発信」などする気力もなく、暑い暑いと言って日々をやり過ごしている。

今年の8月は、メディアもここ数年よりは多くの時間とスペースを割いてかの戦争に関わる番組や記事を組んでいるようなので、できるだけそれらを見るようにしている。戦争経験者から直接話を聞くなど、私の世代にとっては当たり前だったけど、いまやいい大人でもこの国が焦土となったさまを「想像できない」と言って憚らない時代になったことに急に気づき、ちょっと慌てている。今は先に行ってしまった世の中のに追いつく気力はわかないけれど、過去を振り返ることは難しくないので、せいぜい見聞き読めることには関心を向けることにしよう。


ピカチュウの大行進でちょっと夏休み気分を味わった後は、先に輸入が始まったパタゴニア産アルゼンチン・ビーフを出すと聞いた野毛のビストロへ。雰囲気もお味もよく、また来たい店だ。










2019年7月10日水曜日

谷本仰 2days

Trio Los Fandangos のヴァイオリニスト、谷本さんがソロの関東ツアーに来ている。
ソロと言っても、ソロの日もあれば他のミュージシャンやダンサーとの共演もあり、すべてプログラムが違う8日間8ステージ。

横浜では10日にエアジンであるので、その前にうちで昼ご飯を食べてもらって、夜はライブに行こう、と予定していたのだが、前項「徹さんとすごす会」の時に、9日に同じ会場の「いずるば」で行われるライブのチラシをもらい、その谷本さんの文章が素敵だったのと、「いずるば」がとても心地よい空間でもう少しここで過ごしたいと感じたこと、そして、予定が空いているのだったらやはり来るべき、「また」「いつか」「今度」は”ない”のだから、と思い、9日も足を運ぶことにし、思いがけず2日連続のライブとなった。

9日「いずるば」共演はダンサー岩下徹さん。この日の谷本さんはすべて生音のみの演奏。セッティングはこんな感じ。
泡だて器やボウル、鶏の人形、果てはシャボン玉まで。いや、確かに生音ですけど。

なんとなく勝手に休憩挟んで2本かな、と思っていて、途中でこれは50分1本勝負だ、と気づき慌てて写真を撮る。


岩下さんのダンスは本当に流れるようで停滞がない。身体を動かしているのではなく、その場の空気の一部になって動いている感じ。「気」が身体をめぐっていて、滞りがない、こんな人っているかしらと思う感じだった。
谷本さんの音と反応しながら、二人が動かす場の空気と観衆の生み出す揺らぎすらも取り込んでデュオが「奏でられて」いく。そんな感じ。
普段私たちが「楽器」とは認識していない様々なものから音が生まれていく。
「いずるば」という場所がそうさせるのか、確かにそこに居た徹さんの魂がそうさせたのか、パフォーマンスの間、私の頭の中にはいのちについて、生きることについての様々な断想が飛び交っていた。日曜日に聞こえた、「胸を張って自分として生きる」こと、がだんだんと腑に落ちていく。

この日はタンゴを通じての知り合いや徹さんのお連れ合いもみえていて、リラックスして楽しめる1時間になった。



10日、昼過ぎに谷本さんをライブのための大荷物と共に横浜駅で迎え、わが家へ。
食事をしながら、去年夫が亡くなってからいろいろ思っていることを聞いてもらったり、谷本さんのツアーの話、TLFの話、教会の話など、お互いあちこち飛びながら楽しいひと時を過ごした。なかなか二人だけで話す機会もないので、こういう機会が与えられてありがたかった。私のヴァイオリンも弾いてもらった。ちっともうまくならないのはこいつが弾きにくいせいではないのか、と疑っていたのだけど、谷本さんが弾いたらいい音は出るし、「よく育ってますね。丁寧に弾いておられるのがわかります。バランスもいいし良い楽器だと思います」と言われてしまい、あー、やっぱり私の力不足なのね、と結論。ちえ。

夕方谷本さんをエアジンに送り、一度帰って動物病院に猫の薬を取りに行き、改めて夜ライブに出直す。今日の共演者はホッピー神山さん(音楽プロデューサー、キーボーディスト)。セッティングはこんな感じ。

  

二人とも様々な仕掛けを用意している。同じような機材もあるけれど、使い方はそれぞれで被らないところが面白い。ホッピーさんはエアジンのグランドピアノをエレピに変身させる仕掛けまで作っていて、22年前ブエノスアイレスのあるタンゲリア(タンゴを聞かせるレストラン)のピアノが恰好だけグランドピアノでエレピの鍵盤がはめ込んであってびっくりしたのを思い出した。けど、今日のはもっと高度な仕掛けなのだろうと想像する。

正直に言えば、私は電気的な仕掛け、しかも即興をちゃんと受け止めるのは苦手だ。何がなじむかと言えばアコースティックな調性音楽や自然の音だ。たぶんそれは、そういうものが一番身近だったことや、機材のつまみやスイッチをいじる行為と「演奏」とが脳内で別の引き出しにしまわれているらしいこと、そして「役に立つ」ことが大事と教えられて育ったこと、などのせいなのだろうと思う。だからと言って、こうした即興演奏は受け入れられない、ということはないし、「なんだか変わってて面白い」という以上に関心もある。

谷本さんとホッピーさんは、つい5日前に福岡で共演したばかりだったからかとても息が合っていて、それぞれ勝手に好きな音を出してるみたいなのにそれはちゃんとデュオになっていて、どういう仕掛けをどう使っているかがわかればもっと面白いのだろうか、いや、私には無理だけど、などと思いつつ、休憩をはさんで2部2時間半のライブは終わった。昨日とは違って、生み出される音のことに思いをはせた時間だった。



谷本さんのライブは、このあと
11日富阪キリスト教センター
12日千歳烏山Tubo
13日祖師谷 カフェムリウイ 共演タカダアキコ、Safi
14日国立地球屋 共演石原雄治
と続くので、ぜひ聞きに行ってみてほしい。


谷本さんが「これが一番おいしいと思う」とお土産にくれた福岡のポテトチップ、ほんとかなあと食べてみたら本当においしくて、ああ、夜中なのにどうしよう。