2020年3月29日日曜日

つれづれ

新型コロナウイルスによる感染拡大で、日々の生活に様々な変更を強いられている、
と多くの人が感じている、いや、実際強いられているはずなのだけど、
なにか申し訳ないくらい、私の生活は、ほとんど変化が、ない。

日ごろから車通勤、人込みには出ない、買い物などは混まない時間に行く、
仕事はテレワークできないから同じように行くし、
具合が悪ければすぐに休んでください、なので、「休めない」心配もない。
家にはもはや病人もいないし、高齢の親が近くにも遠くにもいないから、
気を遣う相手はいない。
何の心配もなくスキンシップできる猫二匹がいるので、むぎゅむぎゅできる。
今シーズンの花粉症用に1月半ばにマスクを注文してあったから、
マスク難民にもならず、トイレットペーパーその他も然り。
手洗いの回数が増え、除菌ジェルを持ち歩くようになり、
職場ではマスク義務付けとか、入館時の手指消毒とかさまざまあるけど、その程度。
ジムのレッスンがなくなり、プールとマシンしか使えなくなったり、
タンゴは今までも冬場はインフルエンザが怖くて休んでたし、
美術館などが閉まったりと、余暇の過ごし方に変化はあるけれど、
マイナーチェンジというくらいのものだ。
世の中には「休みだととりあえず出かける」という人もけっこういるらしいけど、
私は「用事がなければ出かけない」という家庭に育ったせいか
家にいるのが基本形なので、外出自粛も苦にならない。

だから、社会の変化にほとんど影響を受けず、
世間が静かな分、むしろ心穏やかに過ごさせてもらっている。

私としては同じ暮らしが続いているのに、
友人たちが自宅待機などで時間ができたからとあれこれ始めるのにつられて
自分も新しいことに手を出しそうになるのが、ちょっと困るけど。

そうして同じペースで暮らしながら、この2~3か月の世の中を見ていて思うのは、
不安な人が多いんだなあ、ということ。

トイレットペーパーを買うことに安心を求めるのは、心理学的に理由があるそうだけど、
自分が持っているのに、さらに持とうとする、他人に渡すまいとする、
それはすごく悲しい行為だとなぜ気づかないのか。不安だから。
自分が持っていて、誰かが持っていなければ、それを分ければ心が安らぐのに。
この騒動の中、もちろんそういうエピソードも目にしたから、
それはちょっとほっとしたけど。

それから、インターネットでの情報収集は確かに便利なのだけど、
工夫をしないと、その人が求めている傾向の情報が集まる仕組みになっていることを
あまり知らない人がいる。
そうすると怪しげな情報を信じてる人にはますます怪しげな情報ばかりが集まり、
それを拡散、右往左往する。
そうなってしまうと、正面から間違っていますよと言っても聞かないし、
これもまた、その元になっている不安を取り除かないと、なのだが。

自分が、生かされている、と信じられない、
必要なものは与えられる、と確信できない、
そういう不安、なのだろうと思う。

そして、政府のやり方にひたすら文句をつけるばかりの人がいたり、
逆に自粛を要請されたら、なにがどう危ないのか、ちゃんと理解せずに、
ただやめちゃう人もけっこういたり、そういうのも情けなかったり悲しかったりする。

学校が突然休校になった時、確かにあれは、
安倍政権が国会での追及の目をかわすという意図が見え隠れはしたけど、
これまでインフルエンザが学校で流行、家族に持ち帰る、そこから職場へ、
という連鎖で流行していったことから考えれば、適切な判断だった。
一方、その時点で、
それまでの感染状況から屋外での身体接触を避けた遊びは大丈夫とされてたのに、
休校の子どもが公園で遊んでいるのを教師が見回りにきて家に帰した、とか。

中国、韓国、日本はそれぞれ違う戦略で感染拡大防止に取り組んできたのに、
表に出る数字だけど比較して、日本の政府は隠しているとか批判するのも辟易した。

ライブハウスでのクラスター発生例が出て、でもそれは密室で密集して発話して、
というのがいけないと説明されてるのに、
静かに音楽を聴くライブハウスまでやり玉にあげられる。

そういえば、ここにきて「平日、仕事は自宅で、夜間の外出は自粛して」
と盛んに言うようになり、
確かに居酒屋とかで至近で大声で話をしたりするのは、密閉・密集・密接になるけど、
空いてるライブハウスでおしゃべりせずにジャズを聴くのはいいじゃんね、
と私はへーきで出かけていたものの、いまひとつ、
この「夜間の外出」の意味がはっきりしないなと思っていたらこんな話を聞いた。

実は銀座や六本木のクラブで感染が起きている。
某有名タレントが感染したのはガールズバーである。
あのように近距離でおしゃべりするとうつってしまうから、
みなさん、ああいうクラブに行くのはやめましょうね、
というのが「夜間の外出は自粛して」の本当の意味。

ははーん。

今日になってこの、「夜間の外出」の前に「歓楽街など」のひとことが付いたから、
少しは意味も伝わるのかしらん。


ともあれ、これだけ世界に感染が広がってしまった以上、
落ち着くまで数か月とかいう話ではなくなったと思う。
今は人々の関心は自分の生活とその周辺だけど、
人や物の動きが止まった状態が続くと、生産活動がこれまでのようにはいかず、
物資やサービスの供給が維持できなくなるだろう。
すでに、技能実習生が来日できず作付けを減らさざるを得なくなった農家もある。
介護業界も、これから多くの外国人スタッフの登用をあてにしていたはずだが、
人員確保できなければ、どうなるのか。
いま感じている日常の不自由さなどより大きなスケールの問題がこの先、生じるだろう。

中国、韓国、日本が感染拡大と戦ってるときに、
欧米も同様に、渡航制限、手洗い励行、身体接触の回避などやってたら、
あんなに広がらなくても済んだのではないか、
そうしたら、こんな騒ぎにならなかったのではないか、
と思うのは私だけなのだろうか。

まあ、もう広がってしまったから仕方ない。
過大な負荷がかかる医療従事者を積極的に助ける手立てが私にはないし、
ワクチンが作れるわけでもないから、
せいぜい、自分は最大限の注意を払って医療に負担をかけないようにして、
これから起こるべき未知の事態に対応できるよう、
心と体の柔軟性を保つように意識することにしよう。







2020年3月12日木曜日

Thank you Sir Andras

It was a beautiful concert.

Sir Andras Schiff is now touring in Japan, but the coronavirus scare forced some concerts to be canceled probably because the entire buildings that hold the concert venue got closed.  The Japanese government is also asking people to refrain from holding large-scale events that may create big crowds.

That didn't stop this great pianist from holding his recital at Tokyo Opera City Concert Hall tonight.  I hear he came to play in Japan shortly after the quake and tsunami disaster 9 years ago.  So, this wasn't the first time that he stood by Japan in a difficult time.

The organizer did everything to prevent infection, from closing the bar to keeping staff from making any physical contact by not giving out program booklets and checking tickets only visually.   The hall's ventilation was apparently more powerful than usual.  Disinfectant spray bottles were at the entrance.  So we could feel relaxed as the concert opened.

The program featured Mendelsshon, Beethoven, Brahms, and Bach.
Every piece was wonderful, but I liked Brahms most.  
We had a privilege of listening to as many as 5 encores---one each of the four composers with the addition of Schubert.

Sir Andras plays the piano as if his heart is playing it.  The dynamics were incredibly lively.  He can do this because his technique is superb.  But unlike many pianists who play like boasting their technical skills, Sir Andras draws your attention to the music and the emotion and heart that are behind it, rather than his technique.  Such music has the power to bring out what's in the bottom of our heart as we listen---both positive and negative things.  Thanks to this power, I had lot of reflecting and contemplating, which gave me some enlightenment.

I'm really grateful to Sir Andras for tonight's recital.
Thank you, Sir Andras for coming to Japan and playing for us.
I suppose you'll be quarantined for 2 weeks at your next destination from Japan whether it may be your home country or elsewhere.  I hope things won't be too difficult for you, and you stay well.  May God bless you, Sir.

2020年3月8日日曜日

ライブ2題

この土日はライブ2件。

「ライブハウス」が新型コロナウイルス感染しやすい場所に挙げられてるけど、あれはみんな立ち席で体をゆすって声を出して盛り上がるタイプの場所の話。だというのに、多くのライブが中止になっていて関係者は大変だと思う。

そんななかで、上質なタンゴのライブを提供する雑司ヶ谷のエル・チョクロは席数を減らしたり、消毒液を置いたり、換気タイムを設けたりしてライブを継続しているので、応援も兼ねて須藤信一郎、西田けんたろう、木田浩卓のトリオを聞きに行った。タンゴ以外のレパートリーから始まり、ピアソラ多めの聞き慣れた曲をちょっとjazzyな編曲で。実力派三人のやり取りが楽しいライブだった。




きょうは地元横濱エアジンでの「横浜音楽会いぬねこ3.11」へ。
エアジンの時計は、きょうは2:46。



この音楽会は、3.11で行き場を無くした犬猫たちの保護活動から始まり、犬猫避難所、里親さん探し、自由猫たちの避妊手術などを行っている「清川しっぽ村」を支援するためのチャリティーコンサート。
私はこれまで足を運ぶことができずにいて、きょうも本来ならオケの練習と重なって行けなかったところ、13日の放送記念日式典が中止となり練習もなくなったので参加することができた。しっぽ村は、去年10月の台風19号で敷地がひどい崖崩れに見舞われ、この場所での活動継続が不可能になり、収容していた犬猫たちは一時預かりボランティアさんたちのもとに預けられ、新しい活動拠点の開設に向けてがんばっているところ。こういう趣旨だから、本当に雰囲気が温かで、選曲も元気の出るエネルギー溢れる演奏で、私にとってはよいくつろぎの時間となった。



こちらにも西田けんたろうさんが参加されていて、思いがけず Romance de Diablo を2日連続で聞くことになった。同じ曲を違う編曲で、また各プレーヤーの個性も発揮されて、なかなか興味深くどちらもよかった。チャリティバザーで猫たちへのお土産ににくきうジェルを購入。寒い日だったけど、心はホカホカの午後になった。


2020年2月11日火曜日

E&A Milonga Sp. Megumi's Memorial

夫が亡くなって2年が過ぎた。
仏教でいえば三回忌というやつだけど、私たちはクリスチャンなのでそういうのは、ない。とはいえ、この日に思いを寄せてくれる友人もあるし、私自身、去年同様ミロンガをやりたいなと思い、去年参加が叶わなかった夫のもう一組の師匠であるEugene & Alisaのお二人に話を持っていったら、二つ返事で受けてくださった。日曜夜のE&A Milongaをスペシャルバージョンにしての開催。福岡からTrio Los Fandangosを呼び、E&Aとそのアシスタント時代から親しくしてもらっているMarcy&Magi、そしてKenji&Liliana師匠にデモをお願いした。

TLFのライブ・タイムは、タンゴ3、ワルツ1、ミロンガ1の5タンダ=五反田!
また一段階ヴァージョンアップした、みっちり音の詰まった演奏にみんなノリノリで、オートラ2曲。来るたびにいい曲をどんどんレパートリーに取り入れて、DJ泣かせのTLFだけど、前後のDJタイムもさすがEugeneさん、見事な仕切りだった。なおかつ踊ってたり動画撮ってたり、すごいな~。

後半のショータイム。始めに私からE&AやMarcyさん、そしてMCのセバスチャンには夫がずっとお世話になっていたこと、残念ながら昨年亡くなられた齋藤徹さんが私たちとTLFを繋ぎ、そこでケンリリさんとも出会ったこと、TLFやケンリリさんがブエノスに行くとき連れて行ってもらっているうさこは病床の夫の身代わりであったこと、などをお話しした。うさこ、こないだケンリリさんとブエノス行ったばかりだけど、また行きたいというのでTLFと今年一緒に行けるようにTLFのCDが売れて旅費が稼げるといいなあ。
  



デモはMarcy&MagiがRecuerdo、E&AがEl Dia Que Me Quieras、そしてケンリリさんがQue Falta Que Me Haces(別名「おらーん」笑)と、まあよく考えて下さっていてそれだけで胸が詰まる。そして3組ロンダの中に私もとしゆき先生と混ぜて頂いてDon Juanを。これは私たちとTLFの出会いの曲だったのでここに持ってきたのだけど、しんみりしたところにこれぞTLFらしい演奏のこの曲を持ってきたのは正解だったと思う。最後はセバスチャンのパーカッションを加えたAzabacheを3組で。
長めのショータイムになったけれど、みんな楽しんでくれたようで、最後にEugeneさんがオルケスタYOKOHAMAのLa Cumparsitaをかけるまで、フロアは賑わっていた。

  

以前他のレッスンで顔を合わせたものの自己紹介に至っていなかった方が「きょうはありがとう」と言いに来てくださったり、テーブルに置いた夫の写真に挨拶しに来て下さる方があったり、温かい雰囲気の中でミロンガができてほっとした。
夫が亡くなってからひとりでミロンガに行くと、「不在」がむしろ強く感じられる(「おらーん」)ことが多かったのだけど、この日はフロアのどこかで誰かと踊っている気がして、私も穏やかな心持で過ごすことができた。徹さんも、TLFと一緒に弾いていた気がした。

タンゴがなければ出会わなかったかもしれない人たちが、タンゴのおかげで奇跡的に一堂に会するミロンガ。誰と何曲踊ったとか、DJがどうだったとか言う前に、その出会いとつながりを喜ぶ機会であって欲しいと思うし、このミロンガがそんな一つであればよかったと思う。

この日のことを書いたケンジさんのブログはこちら

2020年1月28日火曜日

裏切らないもの


1月26日は所属しているオーケストラの年に1度のコンサートだった。
夫が病気になって私がお休みしてから始まったコンサートだったので、
参加するのは去年復帰してから今年で2回目。
普段自分だけでへらへらとやりたい曲をレッスンしているのと違い、
みんなに迷惑をかけないようにしなければいけない。
しかし40過ぎて始めた者ゆえの限界と、学生のように練習時間はとれない
という状況の折り合いをつけながら混ぜてもらっている。

今回の曲は、
ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」
チャイコフスキー「組曲 くるみ割り人形」
ブラームス「交響曲第2番」
と、「名曲コンサート」と銘打つだけのことはあるラインナップ。

日頃タンゴのようにビート感、グルーヴ感に満ちた音楽に浸ってばかりいるものだから、
ドビュッシーはすごく難しかった。
カウントに確信が持てたのはようやく本番でのことだったという。。。汗

チャイコフスキーは耳慣れている割に、構成が全然わかっていなかったことに気づき、
練習のたびに発見があったり、うまくいかないところを自分なりに工夫して練習した結果課題が解決できたりして、面白かった。曲の理解の助けになるかと、年末にはキエフ・バレエの公演も見に行ったし、本番はそのイメージを思い浮かべながら楽しんで弾いた。

ブラームスは集中力を試されてる感じで、どうなることかと思ったけれど、なんとか振り落とされずに最後まで行けてよかった。45分の曲の半分が1楽章ってどういうつもりなんだろう。。。勉強のために何度もCDを聞いたけど、いつも「まだやってるよ」と気持ちが途切れていたくらい。お客さんも疲れたんじゃなかろうか。

アンコールにはバレエの「くるみ割り人形」から「パ・ド・ドゥ」を。
単純なスケールをドラマチックに作り上げた名曲を、わーっと広がりすぎずに重厚にというのはなかなか難しかったけど、本番の出来はチェロ、ブラスのがんばりでよかったと思う。

去年は、本番ひと月前くらいの時点で、残された時間を
「弾けないところが弾けるようになるまで最後まで頑張ってみる」

「弾けないところは大事な音だけ抜き出して弾く練習をしておく」
か、で迷って、結局なんだかどっちつかずになって、
弾けたところもあれば落ちたところもある、みたいな結果になってしまった。

今年は早い段階からそれを避けるべく、弾けないところをまず重点的に練習していくことにした。音がつかめていなくて弾けないところは、まず口で言えるようにして(口で言えないものは弾けない)言いながら弾く、とか、弓がいい場所に持っていけない、左手のフィンガリングがうまくいかない、といったケースは、その前の動きを変えて修正する、などしてみた。苦労していたことが、ちょっとした工夫であっさり解決したこともあったり、これはなかなか面白かった。(もう何年もレッスンしてる割に、いまごろ?)

そして思うのは
練習は裏切らない
ということだ。
弾けないところをやみくもに何度もやっていると、それは弾けない練習になってしまい、
どこまで行っても弾けない、という意味でもあるのだけど、
ちゃんとした練習はちゃんと結果につながっている。
弾けるところまでやったつもりで本番では弾ききれなかった部分もあるけど、それでもただ落ちたりせず大事な音は弾けていて、あれだけやった意味はあったのだ、と思えた。

反省すべきは、アンサンブルへの意識が足りなかったことだ。
曲全体に対する理解を深める努力をもう少しするべきだったと思う。
今回は特にハープなど特別な楽器が入る楽曲もあり、そういうパートも含め全員そろっての練習機会は少なかったので、リハーサルの中だけでやりとりを体得していくには無理があった。スペースの都合で座る場所が変わると聞こえ方も全然違ってしまうし、もう少し自分で勉強しておくべきだったと思う。
次回への課題として、忘れないようにここに書いておくことにする。

なんにせよ、寒い中ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。

3月には放送記念日の式典前座で、「葦笛の踊り」と「パ・ド・ドゥ」をやるらしい。
この2曲には、自分なりの課題解決に至らなかった箇所があるので、リベンジしたいものだ。

2020年1月16日木曜日

つれづれ

気が付けば年が明けて半月余り。
今月は26日にオケのコンサートがあるので、とにかく体調管理に万全を期すべく(実力は俄かにどうなるものでもないので)休養を取る、人込みには出ない、人と接触するミロンガにはもちろん行かない、で過ごしている。そういう時に限って楽しそうな企画が次々とSNS上に紹介されていて、ちょっと悔しい。

そして気が付けば、2020年ということは21世紀が五分の一過ぎた、ということだ。
20世紀後半に子どもから大人へと生きた身としては、あのころ「21世紀」という言葉が持っていた希望と期待とは、現実はかなり違っていると感じて悲しい。
よく言われるように20世紀は「戦争の世紀」だった。二つの世界大戦がそれを象徴している。東アジア地域ではその後も朝鮮戦争やベトナム戦争が繰り広げられ、21世紀は戦争のない世紀に、との思いを多くの人が持った。

しかしどうだろう。21世紀を五分の一過ぎた世界は地域間、経済圏間、世代間といったさまざまな局面での「紛争」に満ち満ちているのではないか。地域紛争は、その地域の人々にとってはまさに戦争だ。自分たちの頭の上に銃弾が降ってこないからと言っても、食物や生活の安全が密かに脅かされる結果をもたらす経済圏同士のせめぎあいも、やはり戦争なのだ。

そうなることは、わかっていたのだ。
「これが時代の分かれ目とでも言える契機になるのだろうな」と感じたことがあった。
1989年の年末、米ソ マルタ会談。
この時、夜帰宅したらテレビにパパ・ブッシュとゴルビーが並んで笑顔で会見するようすが映っていて本当にびっくりした。それまでの米ソサミットでは両首脳が一緒に会見するなどありえなかったからだ。
そしてこの時「冷戦の終結」が宣言され、ブッシュはこれからは「New World Order」だ、と語った。

New World Order 新しい世界秩序。
一体それは何なのか。おそらくアメリカは冷戦の終結とは(アメリカ的)民主主義が社会主義に勝利したことだと思いながらも、それは大っぴらに言いたいことではなく、そのために具体的にNew World Orderが何なのかを示すことなく、時が流れていった。すでに始まっていた東欧の「民主化」を見ればわかるように、彼らは別に「アメリカ化」したわけではなかった。しかし彼らは欧州の一部でありその価値観を共有していたから、アメリカの楽観が問題になることはあまりなかったと思う。

問題は、冷戦構造の重しが取れたことで、それまで抑えられていた対立や鬱屈が噴出することが予想された中東やアジアだった。新しい秩序とは何かが提示されない中で、政権の転覆、地域紛争が相次ぎ、アメリカを標的とした同時多発テロも起きた。このテロに対するアメリカの答えは「軍隊の派遣」だった。武力による紛争の解決、それは日本が憲法で永久に放棄すると謳っていることだが、日本はそのことを強く世界に訴えることをせず、アメリカの腰巾着のような振る舞いを今日まで続けている。故中村哲医師のようなごく限られた人々が、命がけで自分にできることをしてくれているだけだ。

21世紀、のちに何の世紀と言われるようになるか、私はそれを見届けることは、ない。
その先の世界が存在するのかどうかがそもそも危ういとは感じるけれど。
世界の秩序、などとマクロな話を書いてしまったけれど、もっと身近なところでも暮らしや社会の崩壊は進んでいる。ネット上で見ず知らずの相手にいきなり侮蔑の言葉を投げつける人々、意味もなくこまごまと定められた学校や職場のルール、気候変動に対処しきれない人間の知恵、などを思うと、かつて「Information Super Highway」を提唱し、映画「不都合な真実」を作ったアル・ゴアというのは、なかなか先見の明があったのだな、と思う。そういう人を指導者にできないで、今現在の自己防衛ばかり考えていては世の中よくなるはずがない。さて、どうするか。