2018年12月30日日曜日

Time flies, or just being lazy. いつの間にか、又は怠け者の自分

(日本語は下に)

December passed quickly without giving me a chance to update this blog.
No. Actually, I did have several opportunities and things to write.
I just didn't feel like writing, and let it pass.
Now, as 2018 is nearing its close, I should put down a summary of the past month, at least.

I've given a lot of of time --to my standard-- to practicing violin for our concert next month.  Our sessions have been quite inspiring and interesting thanks to our conductor.  I still struggle with the music, but, the most difficult part is concentration.  Hopefully, I'll make enough preparations so I can keep myself focused on the music for the duration of the concert.

I saw 3 movies related to Argentina this month---two of them on tango.
The first one was "Milongueros-- El Compas de Buenos Aires-- produced and directed by dancers Rika Fukuda and Jose Luis Ferraro.  It records testimonies of milongueros who know the golden era of tango first hand.  Rika and Jose Luis made this movie out of sense of crisis that legendary maetros are passing quickly, and we'll never be able to learn from their experience soon.  They had no background in film making, but their passion for the theme and sense of mission led to a very find result.  I really appreciate their efforts in making this movie come true.  It was shown only for a limited period of time in Tokyo and Kansai, but I'm sure it will be cherished and viewed widely for a long time into the future.

The second movie was "Piazzolla--- the Years of the Shark."  It told the life of Astor Piazzolla from the viewpoint of his son.  It sheds light on private aspect of the great composer-bandoneonista through testimonies of his son and the late daughter.  The movie is given a Japanese title which means "Libertango Forever."  It's probably because Libertango is the most popular piece by Piazzolla in Japan.  But I don't think it was a good choice for the movie of this title. 

The third movie was ”El Ultimo Traje." It's about a Jewish man who escaped the Holocaust to live in Buenos Aires travels to Poland after 70 years to visit his best friend.  The Holocaust, how it affects survivors today, how their families live today... those scenes make your heart ache, but at the same time, the movie depicts how people can reconcile through reaching out to each other. 

I celebrated Christmas Eve at one of the churches in the city that gave a candle light service. (My church no longer does that.)
It was a good service with lots of scripture reading and music, ending with Handel's Hallelujah chorus.  Surprisingly, I could hit high A quite easily, which made me feel really good.

New Year's is one of the biggest day of celebration in Japan, but customarily families that lost someone in the past year refrain from celebrating. 
So, I'll be spending the New Year holidays quietly, doing some chores that I have kept procrastinating.



いつの間にか月末、いや年末である。
何度かブログを更新しようと思ったものの、「書く」という行為にどうしても気が進まないうちに押し詰まってしまったので、ともかく、12月のまとめを備忘的に。

1月にオケの演奏会があるので、ヴァイオリンの練習はけっこうした。あくまで自分としては、だけれど。一番の課題は集中力だ。なにせ、ここ何年も家での練習は長くても1時間、たいてい30~40分がせいぜいだったから、11月後半~12月の練習が10時ー17時となったときは、意識が朦朧とする感じだった。ともかく、本番でちゃんと弾くだけの準備をしていきたいものだ。

12月に入ってアルゼンチンがらみの映画を3本見た。
1本目は「ミロンゲーロス~ブエノスアイレス黄金のリズム」。
ダンサーのリカさんとホセ・ルイスが、タンゴの黄金期を知るミロンゲーロたちがいなくなってしまう前に、その証言を記録しようと製作したドキュメンタリー。映画製作の経験がないことも、タンゴへの情熱と強い使命感で乗り切って完成させた本作は、今回限られた上映ではあったけれど、きっと将来にわたって長く、広く求められ、鑑賞されていくに違いない作品に仕上がっていた。

2本目は「ピアソラ~永遠のリベルタンゴ」。70年代のエレクトロニコに参加していたピアソラの息子の目から見たピアソラ伝。亡くなったピアソラの娘の証言の録音なども使われて、プライベートなピアソラの内面にも光を当てる作品になっている。日本でピアソラといえばリベルタンゴだからこんなタイトルにしたのだろうけど、内容とはあまり合っていないなあ、と思った。

3本目は「家に帰ろう」。ホロコーストを生き延びてブエノス・アイレスに逃れたユダヤ人の男性が、娘たちに老人ホームに入れられようとするのを契機に、70年前別れたきりの親友との約束を果たすためにポーランドへ向かう、というストーリー。一人の人間の体験として語られるホロコーストは、フィクションであっても、胸に強く迫ってくる。その痛ましさとともに、現代を舞台にして示される人の優しさ、和解する力が印象に残った。

一人になってから就寝時間が以前より早くなってあまり聞くことがなくなっていた「ラジオ深夜便のうた」。先日、12月~1月の曲を始めて耳にした。
作詞と歌 林部智史 作曲 マシコタツロウ 「あの頃のままに」
そのサビの部分の歌詞が胸にぐっときた。

 哀しみは時間(とき)を経て すべて癒えはしないけど
 耐えてゆけ 生きてゆけ 潰されそうな日も

 悔しさは時間を経て すべて消えはしないけど
 耐えてゆけ 生きてゆけ 涙を拭きながら

 思い出は時間を経て 決して消えはしないから
 春を越え 冬を越え 哀しみも越えてゆけ

愛するものを亡くした心に去来するのはまさに哀しみ、悔しさ、思い出。
何度も何度も、潰されそうな思いになるし、涙は枯れることがない。
そして、癒されないかもしれないけど、ではなく、
すべて癒えはしない、すべて消えはしない、と断言してくれていること。
ああ、この人はわかってるんだなあ、自分自身もそんな思いをしたのだろうか、と思って調べてみたら、まだ30歳で、自分の体験というよりは、被災地やいろいろなところで多くの人に会って話を聞いてうまれた曲だという。

夫が亡くなって10ヶ月余。未だ、前を向くと言っても前ってどっち、と立ち止まったままだけど、そういう自分をそのままに受け入れて時を待てばいいのだと思わせてくれる、そんな歌だと感じている。

2018年11月27日火曜日

11月

このところ、不調で寝込んでいた。
月末に大事な友人と会うので、流行のインフルエンザにかかってはいけないと、今まで受けたこともない予防接種をしたのが敗因ではなかったかと疑っている。

だって、その数日後から始まった症状の展開は、まさに昨冬A香港型に罹患したときとそっくりだったのだから。

数時間で収まったものの発熱したので、一応かかりつけ医には行ったものの、彼女は予防接種の影響とか、あるいは予防接種はしたもののインフルエンザにかかった可能性とかにはまったく頓着せず、通常の風邪薬を処方してくれた。だが、これがまったく効果なく症状は淡々と悪化し、結局一週間余り咳と微熱でほとんど外出もせず、うとうとごろごろと過ごしていた。

熱があると、横になればすぐ眠れてしまう。今はこうしてぐうたらしていても誰に迷惑をかけることもないし(仕事をキャンセルした迷惑は別として)世話をしてやらなければいけない同居人がいるわけでもなく、ほわほわぬくぬくと過ごしていた。

本当なら、まだ寒さがさほどではない今のうちの休みの時間を何回かかけて大掃除をすませておきたいところだったのだけど、結局それも師走に持ち越してしまいそうだ。今年は喪中だから年始の準備もさしてすることがあるわけではないから、それでもたぶん不都合はないのだ。「この1時間であれとそれとこれを片付けておかないと、次はひと月後まで手をつける暇がない」という生活をしていた頃との落差!

一昨日は咳も収まってきたので、前回お休みしてしまったオケの練習へ。
2ndVnはまさかの3人でオモテが私しかおらず、トップに座る羽目に。
指揮者が注意したいのをガマンしているのがわかる。音程悪くてごめんなさい。
ずっと避けていたメトロノーム練習がやっぱり必要と再認識したし、まあ、できないから練習するわけだからよいセッションではあったのだ。

昨日は雑司が谷エル・チョクロへ、トリオ・ロス・ファンダンゴスを聞きに。
彼らには異例の今年2回目のエル・チョクロ、そして初めてのTLFのみでの演奏。
今回の東京は3日目とあって、谷本さんのMCも3人の演奏も全速力で駆け抜ける。
駆け抜けるのだけど、タンゴのグルーブは崩さないところが彼らの技術の高さと研究の深さ。聞くたびにその安心感が増して、音楽に身を委ねることができる。同じ時代に同じところに居てくれて、ありがとう。なんたって、大阪弁のCafe Dominguezのレシタードが聞けたもんね!


2018年11月2日金曜日

秋も深まり

ふと気づけば、もう11月。

このひと月ほどの間には、ライブに4回行った。
9月30日の台風の夜にさくらホールでコロール・タンゴ。
なんでも音楽祭期間中の横濱エアジンには10月13日、14日と連日出かけ、
KaZzma&須藤信一郎のタンゴとギレーヌ、ジャン・セバスチャン、齋藤徹のインプロ。
そして10月27日には平田耕治&アリエル・サルディーバルをみなとみらいホールで。

こんな風に立て続けにライブに行ったのも久しぶり、というかあまりないことだったけれど、それぞれに印象深く、心地よい時間を過ごすことができた。

コロール・タンゴは、プグリエーセ直系でオルケスタYOKOHAMAとはいわば兄弟のような楽団。見ていると、第2バンドネオン奏者の弾き方、身体の使い方が夫とそっくり!同じ局を同じ編曲でやっていて同じパートを弾いているからと言えばそれまでだけど、実はバンドネオン奏者も一人ひとり身体の使い方は違う。なのに、この人は本当によく似ていて、なんだか可笑しいやら嬉しいやら。そして、そんなことを思っているのはこの会場に私しかいないだろうと思ったらますます可笑しくて、笑いを堪えるのが大変だった。
そのとき思い出したのだが、2005年にオルケスタYOKOHAMAがブエノス・アイレスのSala Puglieseという会場で演奏したとき、終わってから私が夫と話していると一人の年配の女性がやってきて、私がすこしスペイン語がわかるというと、是非夫に伝えて欲しいことがある、と言う。なかなか言いたいことがわからなくて苦労したのだけど、ようやくわかったのは、「最近のバンドネオン弾きはあなたのようにクラッシックな(昔からの古典的な)スタイルで弾いてくれない。きょうは、あなたの演奏を聞くことができて本当に嬉しかった」ということだった。コロールの2番の人も、同じ先生から同じように習ったのかもしれないなあ、と思いつつも、台風で電車が止まる前に帰らなければいけなかったので楽屋に訪ねることができなかったのが心残り。前回来日時には東京公演のさなか、東日本大震災が起きて公演はキャンセルされてしまい、今度は台風と自然災害にたたられるコロールだけど、いつかまた来て欲しい人たちだ。

KaZzmaと須藤信一郎はそれぞれに別の形で聞いていて、Duoは初めてだったけれど、これからの可能性が楽しみな演奏だった。他では聞けないような曲目にも意欲的に取り組んでいるし、次の機会が待ち遠しい。

徹さんは、がん(ご本人はキャンと呼ぶ)と付き合いながら演奏活動を続けている。なかなか聞きに来られなくてやっとこの日のインプロを聞いたのだけど、ひさしぶりのインプロということもあり、また徹さんの状況ということもあり、毎回のライブは一つ一つ特別なのだ、という、当たり前だけどつい忘れてしまいがちなことを強く感じる、印象深いライブだった。3人からあふれ出るポジティブな気がとてもありがたかった。

平田君とアリエルは最初はカンバタンゴでツアーをしていたけれど、このところはDuoで回っている。夫が病気になってからは、ツアーの合間を縫ってうちに来て演奏してくれていた。みなとみらい小ホールにはアルゼンチン大使、公使もみえていた。一緒にやってもう10年になるという二人の息はぴったりで、ここからまた遊び始めるとどんなに面白くなるだろうとこちらも楽しみな演奏だった。
11月4日横浜パラダイス・カフェが今回のツアーの千秋楽なので、お時間のある方は是非足を運んで欲しい。


ライブに行くことが続いたのは、聞きたいものが続いたこともあるけれど、主体的に何かするための気力がない中で、聞くことは受身でもなんとかなるので行くことができた、というところがある。タンゴを踊るとか、さらにフォルクローレなんかは自分で動かなければいけないから、かなりエネルギーが必要で、このところは足遠くなってしまっている。

それでも11月1日は、マーシー&マギ主催のViva La Milongaがあと2回ということで、仕事も入れていなかったから顔を出すことにした。

午後新宿の美容院に行って夕方には終わるから、軽く食事をして大崎に向かう、
というシンプルな移動だったのに、ちょっとハプニングが。
美容院が早めに終わったので、食事場所を探しがてら新宿タカシマヤをぶらぶらしていたら、ヨガウエアが目に留まった。ここで買い物するとどっかに忘れるだろうなあ、と思ったのだけど、期間限定ショップだったので買うことに。


上階のちょっとよさそうなお蕎麦屋さんに入ってゆっくりしようと思ったら、案外そばが早く出てきてしまったので、少し早めだったけど、どこかで差し入れを買って大崎に向かうことに。湘南新宿ラインが来ればそれに乗ろうと思ったのだけど、10分以上待つ感じだったので山手線に乗り、そうだ、大崎にはあまり店がないから手前で降りて行こう、と思い立ち、目黒で下車。駅ビルのお店をチェックして差し入れを買ってから、さあ行こう、と表に出て歩き出すと様子が違う。あれ?なぜ?

あーーーー!大崎の手前は目黒じゃなくて五反田じゃん!

何やってるんだ、自分。もっと早く気がつけ、自分。
慌ててまた電車に乗り、ばたばたと五反田から小走りに会場へ向かう。
レッスンは始まっていたけど、なんとか準備体操のうちに滑り込むことができた。
とても充実した、大切なことを教えてくれるレッスンで、がんばって来てよかったし、
その後のミロンガもみんなとても大切に踊っていて、予想以上に楽しく過ごすことができた。

よい気分で帰途につき、終バスで座れてほっとして携帯を見ると、マーシーさんからメッセージが来ていた。

「高島屋の袋をお忘れではありませんか?」

あちゃーー、やっぱり忘れた。。。
やり取りの末、来週取りに行きますと言ったのに、ベッドに入ってふと気づいた。
来週は仕事で行かれないから、きょう行ったんじゃん!
なんかダメダメな日だなあ、と思って寝てみた夢は、
何回やってもでんぐり返しができない
というもの。なんなんだ。。。。

いや、無意識にどこか心が落ち着いていない理由はきっとこれだ。

明日、11月3日、教会の墓前礼拝の中で夫の納骨をする。
骨は骨でしかないけど、やっぱりそこにあるものがなくなることに落ち着かなさを感じてしまうのかもしれない。


2018年10月14日日曜日

鉄瓶で白湯

「白湯」がただ水を沸かして湯にしたもの、でない事を知ったのはいつだったか。
とにかく、大人になってだいぶたってからのことだった。
15~20分くらいは沸騰し続けておいたものが「白湯」。
これを薄めないで、熱々でもなくしかし冷ましすぎずに飲むのが身体に良いと、
あちこちで言われるのを目にするようになったのは、ここ数年のこと。
だからといって、自分がどうこうとは思っていなかった。

夫が口からお茶などを飲むのが難しくなってから、水分補給は主にスポーツドリンクになった。1リットルの水に溶かす粉末のものを作っていて、夫が亡くなった後そのストックが残っていたので、外出時に持ち歩く水分として引き続きそれを使っていた。今年は早くから暑い日があったので、ストックがなくなってからも以前と同じように冷蔵庫に作っておく習慣が続き、酷暑時には大活躍だった。

暑さが少し和らいできたとき、ふと「白湯」のことを思い出した。
寒い時期はスポーツドリンクより「白湯」がいいかもしれない。

うちでは普段、お湯は電気ポットで沸かして保温したのを使っていて、薬缶はしまいこんである。それを出して作るか、と思ったとき、そういえば夫が結婚前に持っていた鉄瓶があったな、あれで作ったほうがいいのではないか、と思いついた。
そう、昔の人は長火鉢に鉄瓶かけていて、そこから注いだ白湯を飲んでいたではないか。

屋根裏収納を覗いてみると、果たして鉄瓶があった。
中を見ると点々と赤錆が見える。そうだった、だからもう使わなくなったのだと言っていたっけ。
今は、インターネットという便利なものがあるので、「鉄瓶、赤錆」で検索してみると、いくつか対処法が見つかった。
米のとぎ汁を何度か沸かすというもの、そして緑茶をお茶パックに入れて煮ると言うもの。お茶のほうがすぐあるので、こちらにしてみる。「8分目くらい入れた水が2分目くらいになるまで沸かす、を3度くらい繰り返して、赤水が出なければ大丈夫」とあるので、やってみた。実際には3度やったのでは、まだうっすら赤い感じがしたので、日を改めてまた3度、だいたいきれいになったように見えたけれど、細かい汚れのようなもの{錆のかけら?)が出たので、また別の日にもう1サイクルやった。
それから改めて参考にしたサイトの記事をよく読んでみたら、内側に白い水垢がつくとよい、と書いてあり、これはミネラルウォーターを沸かすとすぐにつく、とあったので、それもやっておいた。だいたい、錆が出ても身体に毒ではないから気にするかどうかのレベルの話だし、これでよしとする。

白湯は、飲むタイミングも気をつけたほうがよいらしく、朝起きぬけ(就寝中に抜けた水分の補給)や寝る前(寝つきがよくなる)はよいが、食後は消化機能が低下してしまうのでよくない、などの注意が必要、というのはさっき見たサイトに書いてあった。
私は夜白湯を作っておいて、寝る前に飲むのと、保温容器に入れておいて夜中に目が覚めたとき、そして朝起きたときに飲んでいる。朝食後の薬を飲むときにも飲んでいるけど、食後はよくないか。。。

鉄瓶で沸かして飲む、というのに慣れてくると、なぜこれを夫のためにしてやらなかったのか、とまた後悔のタネになるしそんな心の余裕もなくなっていた自分が疎ましいけれど、そんなことを言っても仕方がない。せいぜい良い習慣は続けることにしよう。

 

2018年9月28日金曜日

An early autumn drive 初秋のドライブ

We had many rainy days this month.  I took advantage of the first sunny day in 9 days to drive to Hakone to check on a land lot I inherited from my father.  I meant to go there in June, but dense fog forced me to turn around.
久しぶりの晴天を利用して、箱根までドライブ。父から相続した土地(原野)を年に一度くらいは見に行くことにしていて、6月に墓参りのあと行こうとしたものの濃霧に阻まれてかなわなかったので、日が短くならないうちに行くことにした。

 The sun's bright on waves.  日差しが水面にキラキラとまぶしい。

I paid a visit to our family grave in Yugawara as the anniversary of my mother's death comes in a few days.  The "Higan" week when people usually visit their family grave just ended a couple of days ago, so today was a quiet day. 
母の命日も近いので、きょうも湯河原で墓参していくことにする。
お彼岸の直後なので、お寺は森閑としていてよかった。

Then I drove to Lake Ashinoko in Hakone to have lunch at a lakeside cafe I once visited with my late husband.  The reflection of the sun on the lake was beautiful here, too.
奥湯河原を抜けて芦ノ湖へ。以前夫と立ち寄ったことのあるティールームで昼食。ここでも湖面に日差しがキラキラと美しい。

 




After checking on  the land lot, I drove to the other side of Hakone to stop by at an big outlet park in Gotemba.  I meant to take a photo of Mt. Fuji on the way, but missed the spot to pull over.  Instead, I took a photo of view on the bridge at the park where dragonflies were swarming.  Like many other shopping districts across Japan, 80 percent of the shoppers were Chinese.
「原野」にすすきでもあれば切ってきて家に飾ろうかと思ったけれど、未舗装道路を苦労して通って行ってみたそこは木が茂りすぎてすすきなんかありゃしない。早々に引き上げて御殿場アウトレットへ。途中富士山の写真を撮ろうと思っていたのだけど、ベストスポットのふじみ茶屋の看板を見落として通り過ぎてしまい断念。アウトレット内の橋の上にトンボが群れをなしていたのを代わりに撮ったけど、よくわかんないな。
 

I was hoping to buy some shoes, but couldn't find anything appealing, so I had some cafe mocha, bought a pair of sandals to wear on my balcony, and went home.
広いアウトレットを一回りしたけど、格別欲しいものもなく、カフェモカを飲んで、ベランダ用のサンダルだけ買って帰る。東名は集中工事で渋滞したけど、まずまずの初秋のドライブだった。




2018年9月15日土曜日

書くことと見ることと

神奈川近代文学館で開かれている「石井桃子展」。
横浜美術館の「モネ それからの100年」。
夏休み期間は混むからそのあとで、と思っていたら
どちらも24日で終わってしまうではないか!
と気づいたのは先週末のこと。
慌てて調べたら、文学館は17時まで、美術館は18時まで。
ただし、美術館のほうは金曜と土曜は20:30までの日がある!
14日午後、かかりつけ医に行ったあと二つともやっつけることにした。

かかりつけがちょっと混んでいたので、文学館に着いたのは15時すぎ。


10年前に101歳で没した翻訳家・作家、石井桃子が本を読むことのよろこびと大切さを子どもに伝えてきた生涯を追った展示。
入り口に唯一の撮影スポット。


この人のことは、名前と「クマのプーさん」の翻訳をした、ということくらいしか知らなかったけれど、1907年~2008年という、まさに20世紀という時代に一定の環境を与えられた女性だったからこそのしなやかな生き方に、ちょっと圧倒された。「書く人」だったからということもあるだろうけれど、高度成長期以前まではみんな手紙で連絡をしていたから、たくさん手紙のやり取りがあって、それらが保存されていることで文字に現れる書き手の心や置かれた状況も伝わってきて、やっぱり手紙って大事なあ、と思った。しっかし、細かい字でいっぱい書いてること!

1時間ほどかけて展示を見た後は、元町に下りて一休み。
甘いものはできるだけ避けているのだけど、目の前に出現したパンケーキ屋があまりにおいしそうだったので、「甘くてもいっか」と入ってみたら、お食事パンケーキもあったので、サーモンとアボカドのパンケーキを注文。出てきたら全粒粉パンケーキだったので、嬉しかった。味のバランスもよく、満足。


小一時間後、今度は横浜美術館へ。

モネの絵画と後代の作家の作品(絵画・版画・写真・映像)を並べて展示することで、モネが追求した世界がどう受け継がれてきたかを浮き彫りにする展示。


正直そんなに期待はしていなかったのだけど、後代、特に現代の作家の作品をこんなに興味深く見ることができたのは初めてと思えるほど、よく工夫された展示だった。
こういうダイナミックなアイデアは、横浜美術館らしいところ。
少し前にメアリー・カサットとドガのことを書いた小説を読んで、印象派とサロン、モネの立場などのこともちょっとは予備知識があったので、その辺りの説明にはうんうん、とうなづく。

モネがジヴェルニーで日がな水練の池を見つめ、変化する光をキャンバスに捉えようとし続けたことは、その数々の(いったい幾つあるんだ?)「睡蓮」を見ればわかることだけど、後代の作家たちもさまざまな手法を使って、同じように光を捉えキャンバスー或いは別の素材ーに留めようとしてきたのだ、そもそも絵画をはじめとする視覚芸術とはそういうものだったのだと気づかされ、一点だけ別なところでポンと見せられたら「?」だったかもしれない作品からも、光が放たれているのをきちんと見て取ることができた。自分の視覚にそういう部分があったことを改めて発見したような、そんな気分で美術館を後にした。

みなとみらい線に乗って辺りを見回すと、さっきまで刺激を受けていた部分と違う視覚を使っている自分に気づく。ああ、普段はこんな風に「見て」いるんだな、と思う。「見る」と言う行為は光を捉えることなのに、そのことを忘れて「見た」気になっていることがずいぶんあるのだと改めて思う。モネのように、自然の中に身を置いて、「見る」ことを忘れないようにしたいものだ。

2018年9月3日月曜日

An afternoon at the port of Yokohama 港ヨコハマの午後



Japan's Icebreaker Shirase, which is used in expeditions to the Antarctic, was shown to public over the weekend.

自衛隊の砕氷船しらせが大桟橋で公開されるというので行ってきた。(いや、初代しらせは確か「南極観測船」と呼ばれていて、今のが砕氷船だということも、所属が自衛隊だということも、ここで初めて気づいたのだった。(^_^;))



Example of its mission.  Scientists' room.  Barber.
船内展示。調査員居室。床屋もある。
     Hangar for 3 helicopters.
     格納庫。ヘリ3機収容する。

     Explanation of observation system.
     観測システムの説明。うちの会社の機器も載ってる。


     Helm position.
     操舵席。

     View from the deck.
     この高さからベイ・ブリッジ、つばさ橋はなかなか見られない。


On my way back, I stopped at the Yokohama Archives of History to check on its current special exhibit on Yokohama at the time of the Meiji Restoration.  It was very informative and intriguing.
帰りがけ、開港資料館に寄って、「戊辰の横浜」展をチェック。
外国公館の存在が、横浜を当時「日本で一番安全な場所」にしたこと、そのために横浜がになった役割、など興味深い情報とともに、改めてあの大革命が1年足らずの間に起きたことだったという時代の変化の速さに驚かされた。
大河ドラマがまさにここに差し掛かるタイミングでこの展示が見られたのはよかった。


2018年9月2日日曜日

次の季節へ

この5日間は車を出さなかった。
外出しなかったわけではなく、先週後半仕事を入れていなかったのと、外出先と目的が車でない方が都合がよかっただけなのだけど、この夏は暑かったこともあって、近所の買い物でも車で出ていたから、こんなに車に乗らなかったのも珍しい。
車にばかり乗っていると、バス、電車で出掛けるなんてあーめんどくさい、と思うけれど、連日公共交通機関で出かけてしまうと、それなりに慣れてしまうから不思議。

先週は、月曜日に相続税の申告書を税務署に出した。申告書は自分で作成した、というと何人かの人に驚かれた。私は30年も自分の青色申告をやっているから、税務署の書式の読み方書き方の要領というのはなんとなくわかっているし、最初に税務署で話を聞いて、そのあと出てきた疑問は税理士会の無料相談と税務署の電話相談で解決し、できそうだったので2回の週末を潰すくらいでやっつけた。間違っていれば、また直せばいいだけの話だろうし、とりあえず終わってよかった。

水曜日は脳神経外科に行った。母のくも膜下出血を含めその親兄姉、みんな脳血管系の疾患をやっているので、一度検査しなければとずっと思っていたけれどできずにいたのだ。最初は脳ドックとやらに行こうかと思ったのだけど、そうだ、私には耳鳴りと頭痛という症状があるのだから、普通に受診できるし、そのほうが数万円の費用をかけることもない、と気づき、区内のわりと評判のいいクリニックに行ってみたら、頚動脈エコー、頭部MRI、頭部X線、とやってくれた。噂に違わず「グワーングワーン、ゴンゴンゴンゴン」とやかましいMRIだったのに、うっかり寝落ちしてしまい、「何かあったら握ってくださいね」と渡されていたボール状のコールボタンをギュッとしそうになり、ちょっと慌てた。検査の結果は、格段の問題なく、食事と運動はきをつけましょうね、という程度で安心した。

木曜日は、不動産登記の依頼の打ち合わせで司法書士の事務所に行ったついでに、近くの銀行窓口で金利がちょっと優遇される「相続定期預金」を作り、その足で映画「オーケストラ・クラス」を見に恵比寿ガーデンプレイスへ。本当はそのあとミロンガに寄るつもりで靴を持って出かけたのだけど、映画を見たらすぐ帰ってヴァイオリンの練習をしたくなり、直帰。復帰した職場オケの演奏会が1月に予定されており、9月半ばから練習が始まるのだけど、全然弾ける気がしない。。。どうなることやら。

これで税務署からなにも言ってこなくて、登記がすめば、事務的なことがらは終わったことになる。この夏はあまりに暑すぎて、家にいる時間があっても片付けなんかする気にならず、まだやることがほかにあるのを言い訳にしてきたけど、それも終わったことだし少し方向転換をするときかもしれない。

10日ほど前、夢を見た。
夫とミロンガにでも行った帰りか、東海道線の下り電車に乗っている。
それぞれスマホを見ていて、ふと気づくと駅に停車してドアが閉まるところ。
そこは実家の最寄駅で、いつの間にか外は暗く、夫の姿はない。
電車が発車し、「降り損ないました」と夫にメールしようとして、
ああ、そうだ、メールしても家にあるスマホに届いたのを自分が見るだけじゃん、
と思い、そうなんだ、私はひとりでこの電車に乗っていくんだった、
どこまで行くかわからないけど、ひとりで行くんだった、と思ったところで
目が覚めた。
ようやく、夫は手の届かない遠いところに行ってしまったんだ、
と納得したような、諦めがついたような、そんな気分だった。

夫のために自分がやったこと、やりそこなったこと、に対する後悔は
1グラムも1ミリも減ることはないし、それらを思うとやっぱり泣いてしまうから、
「忘れない、思い出さない」でやっていくしかないのだけど、
「思い出さない」ことに後ろめたさを感じることはない、と思い切れそうな気がした。

そんな夢と、現実のひとつの区切りが重なったのは、偶然ではないだろう。
暑かった夏も、虫の声響く秋へと移っている。私も次の季節へ。

(写真は、たまたま寄ったデパートで夫が好きだったミッフィーの特設売り場ができていたのでつい撮ったもの。)


2018年8月25日土曜日

メンターオ ライブ

残暑厳しい土曜日の午後、銀座SOLAでメンターオ五重奏団がタンゴ黄金期の音楽をテーマにライブをするというので聞きに行ってきた。

 

メンターオは、夫と共にオルケスタYOKOHAMAに参加していたバンドネオンの池田達則くんとヴァイオリンの専光秀紀くんが、コントラバスの大熊慧くんと共にブエノス・アイレすに修行に行った時に向こうでもらってきた名前で、そこにピアノの松永裕平さんとヴァイオリンの宮越建政さん(「くん」づけと「さん」づけに深い意味はありません)が加わってキンテートとなっている。

オルケスタYOKOHAMAはいま活動休止になっているのだけど、主宰の齋藤一臣氏がOsvaldo Pugliese に心酔し、交流もあったことから、プグリエーセスタイルを基本にしてきた楽団。

私が初めてタンゴの生演奏を聞いたのはオルケスタYOKOHAMA(その頃はまだ、以前の渾名のシエテ・デ・オロを短くして、シエテYOKOHAMAと呼ばれていた)だったし、夫がダンスもやろうと言い出すまでは、耳から聞くのも楽団のレパートリーやプグリエーセの録音が主だったので、私の中のタンゴのベースはプグリエーセだ。
それが、ダンスからタンゴに入った人とも、戦後のタンゴ・ブームからのタンゴファンとも、90年代後半のピアソラブームからタンゴに触れた人とも、ちょっと違っている、ということに気づいたのは、ずっと後になってのことだ。

ピアソラブームを経て、いま日本でタンゴを演奏する新しい世代が随分育ってきて、ライブやホールでのコンサート、他の分野とのコラボ、ライブ・ミロンガと、彼らの演奏を耳にする機会も増えた。中には耳コピして古典と言われるタンゴを書き起して演奏する人もあるし、自分なりの新しい編曲にチャレンジする人も多い。しかしいかんせん、黄金期のオルケスタというのは10人からの編成で演奏するものだから、それをトリオやカルテット、キンテートでやろうとすると、どこか違うものになりがちなのも事実。それを認めないとか偉そうなことを言うつもりはないが、私が好きなのはやっぱり馴染んだスタイルの演奏になってしまう。

メンターオは、そのプグリエーセが大好きなメンバーが、ガチで王道の演奏をしようと志してやっている。前回聞いたのは、もう2年くらい前のことだと思う。きっとますます腕を上げただろうと期待して今日を迎えた。そして、その期待に応えて余りある演奏を届けてくれた。

しょっぱなのRecuerdo。2005年にオルケスタYOKOHAMAでブエノスに行き、Casa del Tangoでこの曲を演奏し、プグリエーセ夫人のリディアさんが涙していた様子が眼前に蘇ってきた。そう、この音だ。プグリエーセからシエテへ、そしていまメンターオへ、ちゃんと受け継がれている。それがはっきりわかったから、もうずっと安心して聞いていられる。メンバーも以前聞いた時よりずっと自信を深めて胸を張って演奏しているように見えた。「もしプグリエーセがリベルタンゴをアレンジしたら」という意欲的な編曲もあったりして楽しめた。(個人的には、プグリエーセ・ヴァージョンの「夏」も好きだ。)

一部の最後、A Los Viejos では、バンドネオンに夫の音が重なって聞こえた。息遣いというか蛇腹の使い方やフレージングがきっと同じになっていたのだろうけれど、なんだかとても嬉しかった。一緒に弾いてる、ここに生きている、そう思ってよいのだろうか。

二部では、よそではほとんど聞く機会はないだろうけれど、私にすれば定番の Bordoneo y 900 とか Seguime si podes とか A Evaristo Carriego が聞けて嬉しかった。特にA Evaristo Carriegoは、「タンゴこの一曲」を私が挙げるとしたら選ぶくらい好きな曲だ。

アンコールはプグリエーセの代名詞、La Yumba と La Mariposa とこれまたよい選曲だった。

ティピカ編成の楽曲を小編成に作り替えて見劣りしないように演るのはなかなか難しいことと想像できる。そこをどううまくもっていくか、それはタンゴの本質部分をきちんと学んでいるかどうかで決まると思う。バンドネオン1本で900みたいな曲をやるのは特に大変だろうと思うけれど、池田くんはもちろん、メンターオとしてよく考えて、また技術を磨きとても密度の濃い、優れた演奏をしてくれた。

夫が病気になって楽団を抜けてからは、実はほとんどオルケスタYOKOHAMAの演奏は聞いていなかった。どうしても夫の不在に目が行ってしまい、辛かったのだ。そうこうしているうちに、楽団は休止になったけれど、メンターオのライブに行けば、こういう演奏がまた聞けるのは本当に嬉しいことだ。そしてそこには夫の音も確かにつながって息づいていることに、心から感謝したい。ありがとう、メンターオ。

2018年8月12日日曜日

Summer Vacation (again?)  夏休み再び

(日本語は下に)

As a freelancer, I get to find OFF days any time of the year, so I don't feel the need to set aside days or weeks to call them "vacation" like most people do in summer or over Christmas, New Year's, etc.
I also like to stay home when I have some spare time.  Some people just go out when they have a day off, for example,  without deciding what to do.  I'd rather stay home, maybe because my parents were like that.

So, for me, when I go out to do something for pleasure for a few days in a row, that will MAKE a vacation.
It happened last month when Trio Los Fandangos came to Tokyo as I wrote in my earlier entries.
This past weekend turned out to be another summer vacation for me.

On Friday, I went to El Choclo, a tango bar in Tokyo to hear Barrio Shino, a quartet formed by Shino Onaga.  Last time I heard Shino play was maybe 7 or 8 years ago, and I was looking forward to hear how she changed after spending 5 years in Buenos Aires.  My favorite tango singer KaZzma was featured, which also attracted me to this concert.  Among the house full guests, I found more familiar faces than expected, which was nice.  I enjoyed Shino's challenging arrangement, the quartet's sure performance enhanced by KaZzma's powerful voice.  The good thing about El Choclo is that you can hear the raw sound without the PA.  You can really feel the power of music, especially tango.

On Saturday and Sunday, I attended special workshop/lesson given by Daniel Urquilla & Mihoko Sakai--- Folklore from Argentina's south on Saturday and Milonga on Sunday.  In both lessons, Daniel taught energetically and enthusiastically, revealing his love for dance.  I liked the way how he started from basic movements and build up on them to give us the full picture of the dance he was teaching.  He also talked a lot about the background of the dance we were learning.  It's important for us to know the history of the dance and music especially when they belong to a different culture from ours. 

Long hours of lessons often leave me feeling tired, but not this time.  I came home feeling light both at heart and physically.


フリーで仕事をしているので、世間並に〇〇休みを取ろうとかあまり思わない。
もともと休みには家にいるほうが好きなクチである。時間があくと、何をするか決まっていなくてもとりあえず出かける、という人もけっこういるみたいだけど、私は用事がなければ出かけない方で、多分それは親がそうだったからそれが当たり前になっているのだ。
だから、仕事以外のなにかお楽しみで出かける日が何日か続いたりすると、その期間が休暇に「なった」ということになる。先月、TLFが来ていた間、ほぼ毎日彼らを聞きに行っていたのが夏休みになった、というのはこのブログでも書いた。
そして、この週末はまた、結果的に再びの夏休みになった。

金曜日は、雑司が谷のタンゴ・バー「エル・チョクロ」に大長志野さん率いるBarrio Shino四重奏団を聞きに行った。志野さんのピアノを聞いたのは、もう7、8年前になるだろうか。その後ブエノスに渡った彼女がどう変わっているかを楽しみに、またこの日は、大好きな歌手KaZzmaも出演ということで出かけた。聞き覚えのある曲を志野さんの新風を吹き込んだ編曲で聞く。KaZzmaのパワフルな歌声とカルテットの絡み合いの妙。エル・チョクロのよいところは、この編成なら生音で聞けることだ。タンゴは生音が一番と私は思っているので、とても豊かで楽しい時間を過ごすことができた。

土曜日、日曜日は、Daniel Urquilla & Mihokoの特別クラスに出てみた。
土曜日はアルゼンチン・フォルクローレのうち、南のHuellaとTriunfoのワークショップ。
日曜日はミロンガ・スペシャルクラス。
DanielのことはFBで友達になっていたり動画を見たりして知ってはいたけれど、これまでクラスを取る機会がなく(そもそもこの6年はそれどころではなかったし)、今回はスケジュールに無理がなかったので出てみることにしたのだ。
フォルクローレもミロンガも、まず基本の動きをしっかり身体に覚えさせてからその上に積み上げていく教え方は好感が持てた。頭でなく体で覚えることはとても大事だし、忘れにくい。(忘れない、とは言い切れないところが情けないのだが。。。)そして、身体を動かしながら、それぞれのダンスの歴史や背景を丁寧に教えてくれたのも嬉しかった。異なる文化の一部であるダンスを学ぼうとするとき、それは不可欠なことだと思うから。Daniel自身も日本の身体表現について学んでいて、どういう伝え方をしたら私たちにわかりやすいか工夫しているように聞こえたのもありがたかった。

Danielは、自分にとってタンゴは「背中、すなわち過去への思い」、ワルツは「胸から前へ、つまり未来や希望」、そしてミロンガは「いま、ここ、今感じる幸せ」なのだという。だから、きょうこのミロンガのレッスンにみんなが出よう、と思ったのもきっと偶然ではなく、幸せな気持ちを求めているからここに来たのだと思う、とDanielが話したとき、腑に落ちるものがあった。
夫が亡くなって半年、さまざまな時間の制約がなくなり時間はあるものの、ひとりで何をしてもつまらないし、なにかを楽しもうという気持ちにもなれず、ふと心が惹かれるものがあれば出向いてみる、という暮らし方をしてきた。毎週きちんとレッスンに通うとか、そういう気分にはなれなかったけれど、この二日間のお知らせを見たとき、これには行こう、と思えた。そう思わせたのは、Danielの言うミロンガの意味、その力だったのかもしれない。

長時間のレッスンやミロンガの帰りは疲れや足の痛みを感じるものだけれど、今回は全然それがなくて、むしろ心も身体も軽くなって帰宅したのだった。
(年寄りの筋肉痛は2日後というから、油断はできないけどね。)

2018年7月17日火曜日

気が付けば夏休み w/TLF 2

(1からつづく)

海の日の16日は、銀座スタジオ・タンゲーラへ。
主宰のGYUさんには、前身のCuban Cafe でのミロンガの頃から、夫がお世話になっていた。「月曜日はGYUさんち」にずっと通っていた。TLFをGYUさんに紹介したのが夫だったことから、今回のミロンガで先日GYUさんに差し上げた夫の帽子とネクタイをディスプレイして、追悼したいと言ってお招き頂いたので、いそいそ出かけた。

TLFは別な場所でひと仕事してから19時半過ぎに到着。エレピの電源が繋がってない(!)とかマイクの音が出ない(!)とかバタバタしながらもライブミロンガスタート。ほどなく、これまた別の会場の仕事を終えたケンジ&リリアナのお二人も到着。20時半には仙台での仕事を終えたGYUさんが帰ってきて役者が揃い、デモへ。TLFとケンリリさんは、九州での「タンゴの節句ツアー」をいっしょにやっているけれど、東京でそれを見る機会がないので、GYUさんがお二人を呼んだのだそうで。LOCAと悪魔のロマンスで、ケンリリさんならではの足技炸裂。なんか、歳を重ねてますますキレがよくなるって、なんなんだろう。。。我が師匠、すごい。。。

  

そしてGYUさんが、もうひとりきょう紹介したい人がいます、と夫のことを話してくださる。
 
が、話す前から、もううるうるして声を詰まらせている。

そう、そうなんだよね、ちょっと思い出すと涙涙になってしまうんだよね。それで泣き崩れてしまう日々を、私もずっと送ってきたからわかる。そこからどうやって抜け出せるのか、いや抜け出すことがあるのか、と思ったけど、あるときラジオから流れてきた言葉、「忘れない、でも、思い出さない、くらいがちょうどいいんじゃない?」
そっか、そうなのか。それでいいのか、とこの作戦を採用したのは、ほんの少し前のこと。それが奏功したのか、ここ数日来のTLF効果か、泣いているGYUさんの横で、私は笑顔だった。

GYUさんのあとに、私も少し喋らせてもらった。夫が繋いだGYUさんとTLF、そのTLFと私たちを繋いだのはベーシストの齋藤徹さんで、その前に徹さんをタンゴの世界に呼んできたのは夫で、TLFと徹さんのライブでケンリリさんが踊るのを見て、私はケンリリさんの弟子にしてもらって・・・と、なんだか繋がりが広がってるんだか、堂々巡りしてるんだか。とまれ、またこの場所で新たなつながりも生まれ、心温まる夜だった。

17日火曜日、TLFのツアーはもう1日続くけど、私にとっての千秋楽はこの日のEl Chocloでのライブ。ミロンガでない、聞かせるためのライブは今回はここだけ。しかも、徹さんと歌手KaZzmaも一緒とあって、踊らない人踊る人で超満員。開場前に並んで最前列をゲット。
が、近すぎて、メンバーがカメラに収まらない。。。
 


プログラムは手馴れたレパートリーに新曲を散りばめ、KaZzmaの歌もふんだんに。El Chocloの魅力は、PAを使わず生音でTLFが楽しめる、ということだ。音は空気の振動だから、それを生で感じられるほど奏者と、奏者の心と、近くなる気がする。

そして2部。徹さんが加わる。大病から復帰して、副作用で身体が思うように使えない中で、それを受け入れてライブをなさっているのは知っていたけれど、私の方の気力がなくて今日まで聞きに行けずにいた。はじめの音が響いたとたん、わあ、徹さんの音だ!と胸がいっぱいになった。しっかり支え、踊るベースが入って、ケイトさんのピアノが遊び始めて、トリオの時とはまた違った楽しさに。そこにいるみんなの鼓動がひとつになって、ひとりひとりの思いや悩みや喜びや悲しみが、音と一緒に渦巻いていく、そんな一曲、一曲。これがタンゴなんだなあ。

うさこにはもう一日TLFに帯同してもらうことにして、家路に。

 


ライブで聴いた曲が絶え間なく脳内再生し、なんとなく口元に笑みが浮かぶ。(ちょっとアヤシイ人?)ミロンガで友達になったばかりの人とランチの約束をしている。週末のミロンガの予約を入れている。

自分にとって一番大事なもの、自分の半身を失って、もうこの世に何の未練もない、できるならばったり倒れて風化してしまいたい、と思うときもあったし、やりたいことなんか何にもない、一体生きているってなんなんだろう、と思いながら、誰も傷つけずに淡々とその日その日をやり過ごしていければそれで十分と思っていた日々が、ちょっと遠くなった。立ち直った、とか、落ち着いた、とか、元気になった、とかいうのとは違う、うまく言葉にならないけど、TLFの、タンゴの魔法のおかげで、自分の中に化学変化が起きたような一週間だった。

仕事を休んだのは一日だけだったから、「休みを取った」つもりはなかったんだけど、こんな風に連日夜遊びしていたのは何年ぶりだろう。この感じは、そう、夏休みだ!と気づいたのは、宴のあと。

(おしまい)



2018年7月15日日曜日

気が付けば夏休み w/TLF 1

福岡からTrio Los Fandangosが東京ツアーにやってきた。
今回は連休がかかるので、レギュラーで入っている仕事は1日お休み貰えば、けっこう聞きにいけそう、ということでふた月も前からせっせと予約を入れ、ミロンガ3回、ライブ1回参加するつもりで楽しみにしていた。

ただ、ミロンガに行くことには不安もあった。
そもそも、私がタンゴを踊るようになったのは夫と一緒だったからで、ふたりで出かけていた場所には一人では行く気になれず、夫が療養生活に入ってからたまに出かけるのも以前からひとりで行っていたところだったし、夫が亡くなってからはさっぱり行く気がしなくなっていたのだ。それでも、タンゴを通じて知り合った大切な友人たちとは会いたいので、4月に行ってみたのだけど、そこにいない人の姿を探してしまい、外に出た途端涙が溢れてきて、だめだこりゃ、と思ったのだった。


TLFの最初のミロンガは12日木曜日、マーシー&マギのVIVA LA MILONGA。ここは一人でしか行ったことがないし、去年TLFが来たときはちょうど私の誕生日でみんながお祝いしてくれたこともあり、行かずばなるまい。
 

夫の代わりのうさこを谷本さんに託す。

久しぶりのTLFは、やっぱり始めから「さあ、踊れ」とばかりに盛り上げてくる。
さっそくマーシーさんが誘ってくれてフロアに出たものの、あれ、ほかの人踊ってない?
3ヶ月ぶりでオタオタしてるのに、見ないで、みんな。。。
などという思いは、マーシーさんの素敵なリードで踊りに入ってしまえばもうどうでもよく、楽しく1タンダ踊る。きょうはもう、あとは聞くだけで十分。(と言いつつ踊ったけど)
2ステージかと思っていたら、1ステージ通し。その中程でマーシー&マギがデモ。
さっきまで笑いを取っていたマーシーさんがマギさんとともにしっとりとオブリビオンを踊る。彼らを見るのは4月末のステージ以来だったけど、このふたりは、タンゴのキモというか、タンゴをタンゴたらしめる「それ」をちゃんと持ったダンサーになったなあ、と嬉しかった。ブエノスに長期滞在修行しても、テクニックだけ持って帰ってきて、肝心なそこのところを身につけてないダンサーもいままで見てきたので、マーシー&マギの真剣な積み重ねが素晴らしいと思えるダンスだった。

「いつも全力」がモットーのふたり。今の自分全部で音楽と相手と溶け合って作るダンス。見ているうちに、自分の心が閉じていたことに改めて気づく。おざなりの言葉のやりとりでその場をやり過ごすのがいやで、もう隠遁生活に入ってしまおうかとすら思っていたし、「楽しい時間を過ごす」ということにも「それがなに?」という反応をしてしまうくらい、内向きだったけど、マーシー&マギを見ていたら、「彼らがいれば私もタンゴを続けられるかも」という気がした。ふっと風のように心をよぎったこの思いをちょっと捕まえておくことにして、家路についた。
(家に帰って見せる人がいないと写真を撮る気も薄れ、この日の写真はなし。)

翌13日の金曜日(縁起がいいのか悪いのか)、TLFの3人が我が家に来てくれた。
夫のために演奏する日として取っておいてくれた一日を、我が家でのんびり過ごすことに。仲間のFさんとPちゃんもワインやローストビーフやチーズなど持参で集まって、食べたり飲んだり。夜はどこかに出かけるので早めに来て夕方には出るという話だったけど、ビールとスパークリングと伊佐美とシャブリのおかげか、なおこさんも谷本さんもうつらうつら。。。私たちが結婚披露宴でオブリビオンを弾いたビデオや、その後行ったブエノスアイレス旅行のビデオを流したりして、結局21時すぎまで。
取り立てて夫の思い出話をしたわけでもなく、流れのままにゆるゆるとおしゃべりの時間を過ごしただけなのに、なんだか心も身体もほぐれていくようなひととき。
(そして、お客さんしてるというより家族で集まってるみたいで、家庭料理しか作らなかったこともあり、また写真を撮り忘れたのだった。)

14日土曜日は恵比寿のLa Bardosaへ。
Bardosaの主催者の棚田晃吉・典子両先生は、私が生徒でもないのにいつも良くしてくださる。この日もドアがあくと、ソファ席に誘導してくださったので落ち着いて過ごすことができた。
 

この日もファンダンゴスは始めからノリノリ。フロアいっぱいにみんな楽しそうに踊る。
きょうは先生方もデモはせず、みんなと踊っている。私も晃吉先生とミロンガを。とても洒落たリズムの取り方で、自分では見えない世界が開ける感じで楽しかった。
Bardosaで「タンゴうたクラス」を持っている歌手の西澤守さんも聞きに見えていて、かつて夫も歌を習っていたこともあり、いろいろおしゃべりして楽しかった。守さんは、みんなから勧められながらなかなかダンスを始めようとしない。靴のサイズを聞いたら夫の靴がイケそうだったので一足差し上げることに。ちゃんとレッスン始めるかなあ。

スタジオの隅の方で、なにやらステップを確認していた谷本さんが、タンダの最終曲で満を持して(?)誘いに来る。なるほど、気のおけない相手でウォームアップですね、はいはい。谷本さんも忙しいのに練習はしているようで、また上達していた。音楽をわかっている人だと確信が持てる相手と踊るのはこちらもとても気が楽なので、楽しい。ミロンガでは反則なのだけど、ひとつだけ注意点を告げてしまった。このあと楽しく踊ってもらうために。
土曜日なので平日より時間の早い終バスに乗れるタイミングで失礼する。室内が熱気でムンムンしていたので、外は少しは風があって涼しいかと思いきや、22時回っているのに外の方がもっと暑くてびっくり。都心はやっぱり暑い。
帰りがけ、典子先生が花束を下さる。ありがとうございます。

 

(つづく)

2018年6月29日金曜日

Summer is here. 梅雨明け

(日本語は下に)
In Japan, we have a rainy season between spring and summer--- usually from early June to mid July in our area.  But it came early and is gone early this year.  Having seen blue skies and warm temperatures for several days, our weather agency today declared the end of the rainy season for our area.  
I had planned to visit a local museum on modern literature and take a walk in the Yamanote and Motomachi area, hoping it would not be too hot.  But it turned out to be a day of scorching heat and strong winds, so I decided to take advantage of the municipal bus authority's one-day ticket to move about the city, rather than walking in the heat.

The visit to the museum was to see an exhibition on the Ambassador-poet, Paul Claudel who worked in Japan from 1921 to 1927, and loved various aspects of the Japanese culture.  (Sculptor Camille Claudel is his elder sister.)   He was in Japan at the time of the 1923 Kanto Earthquake, and helped foreign and Japanese residents in the devastated Yokohama and Tokyo.

I'm not well-versed in literature or French culture, but, having grown up in a French missionary school in Yokohama, any "Frenchman in Yokohama" sounds intriguing to me.  I was interested to learn about Claudel, his connection with Yokohama and his unique works.  The exhibition was very well organized with precious items on display, and I was happy to have been able to visit before it ends in a couple of weeks.

It was too hot to have a stroll in the area, so I stopped at a coffee shop in Motomachi before heading home by bus.

史上最速の梅雨明けとか。まだ蒸し暑さは序の口という感じだけど、空はピーカンに晴れ、この先2ヶ月以上も暑いと思うと果たして生き延びられるのか不安になる。

きょうの休みは、近代文学館でやっている「詩人大使 ポール・クローデルと日本展」に行こうと決めていた。きっとまだ暑くないから、山手の丘や元町を散策しようと思っていたのだけど、30度超えの暑さ。気象予報士は盛んに「まだ身体が慣れていないので熱中症に注意!」を繰り返している。平日市内で動くときは車を使ってしまうことが多いのだけど、車だと場所によっては駐車場との関係でけっこう外を歩くことになったり、炎天下に停めた車に戻るとものすごく暑かったりするので、きょうは急ぐ旅でもなし、市バスの一日乗車券(\600なので3回乗れば元をとれる)を利用して、バス乗り継ぎで移動することに。桜木町の乗り換えのついでに駅そばでちょっと腹ごしらえしてから、ちょうどやってきた「赤いくつ号」に乗る。このバスは、既存の路線がカバーしていない、後から出来た観光スポットを回るので、なかなか面白いルートを走っている。バスなので車とは目線が違って面白かった。暑さのせいか、桜木町からワールドポーターズまでとか、日本大通りから中華街までといった短距離でも乗ってる人がけっこういた。


私はおよそ文学には疎く、またフランスについてもまったく詳しくないのだけど、フランス系ミッションスクールに学んだので「横浜ゆかりのフランス人」と聞くとやはり興味をそそられる。カミーユ・クローデルの弟、というのも関心をひく。日本に関心を持ったのは、そのカミーユの影響もあったそうだ。詩人のポール・クローデルが俳句を代表とする日本の短詩や能や歌舞伎などの舞台芸術についても研究し、日本を舞台にした戯曲も書いていたというのは驚きだ。
日本と欧州文化を対比した評論も残していて、その中で、欧州文化において観念とはすべてを言うこと、すべてを表現することなのに対し、日本文化においては、例えば絵画にしても最も重要な部分は余白に残されている、という内容の文章があった。こうした対比は、私が学生の頃盛んだった日本人論などでもよく見かけたが、昭和初期にクローデルが書いていたことに彼の洞察の深さを感じた。そういえば、最近こういう言い方をする人はあまりいなくなった気がする。確かに日本人は余白に残すことが少なくなり、すべてを言うこと、すべてを表現するようになったのかもしれない。だが、それが我々の性分に合っているのかといえば、そうではないような気がする。もしかすると、いまの日本の社会に生じているさまざまな歪は、文化の中に脈々と流れているものと社会の表層に起きていることとの軋轢と関係があるのではないか、そんな気がした。

港の見える丘公園を通る。まだ残っているバラが芳香を放っていていい感じ。
ジブリの某作を見た人ならわかる旗。↓



アメリカ山公園はバラは終わっていて、ユリが暑さに負けず咲いていた。


暑かったので、エスカレーターで丘を下り、霧笛楼のカフェに寄って、地元紙で「日本に初めてフランスレンガを伝承した、アルフレッド・ジェラールのジェラールれんが(カフェのエントランスにある)にちなんだ」と紹介されていた「煉瓦ロール」とアイスコーヒーで休憩。

セールが始まったお店を冷やかしつつ元町を歩き、またバスを乗り継いで帰路についた。

2018年6月8日金曜日

Early Summer Break Day 9 「つゆ休み」9日目

(日本語は下に)
After taking a day to rest from the Disney outing, I drove to Yugawara to  visit the grave of my parents and grand parents as today is the anniversary of my father's death.  The day started with fine weather, and it was really peaceful at the temple's graveyard with no one in sight and birds singing in the woods.
I stopped by at a park along a river in the central part of the hot spring town where I used to play with my cousins as kids.  The river and the area along it were almost unchanged, and the breeze from the water was really nice on a warm day.
Then I drove up the mountain to go to Hakone.  i meant to check the land lot I inherited from my father, but while I was stopping at a museum on the way, the weather changed dramatically and dense fog had set in.  I gave up visiting the site, and came down the mountain early.
Today was my birthday, so I treated myself with a big dinner at Red Lobster on my way. :)


つゆ休み8日目はディズニーの疲れを癒し、9日目のきょうは父の命日なので湯河原に墓参りに行った。
往路の道すがら富士山が見えたものの、雲のかかり方が不穏な感じ。でも海は爽やか。
  

お墓は人がいなくて平和な感じ。ここまで上がると海が見えるからと祖父が選んだ場所なのだけど、いや、上がるのはなかなか大変で。
 

温泉街に下りて、子どもの頃遊んだ公園をチェック。滝は昔のまま。よく遊んだ東屋は立ち入り禁止になっててびっくり。
 


老舗菓子店でかるかん饅頭を買う。かるかん饅頭は義母のふるさと鹿児島の名物でもあるけど、実は湯河原の名物でもある。うちがいつも買っていた店はなくなってしまったようなので、こちらで購入。車の中でさっそくひとつ頬張る。久しぶりに食べたけど、同じようでやっぱり鹿児島のとは違う。こっちのほうが馴染んだ味というのは否めない。
 

湯河原から箱根に回って、父から受け継いだ土地(原野)をチェックしに行くことにして、そのまえに先日話題になっていたピカソを見にポーラ美術館に寄る。

  



エミール・ガレの企画展やピカソもよかったのだけど、江戸時代の化粧道具の展示もよかった。小箱入りの紅が可愛くて、パチリ。
  

さてそろそろ行くか、と外に出たら、霧がおりてきていた。

 

別荘地の道はぐっと狭くて怖いので、きょうは寄らないことにして、湖畔の方ならまだ天気は大丈夫かも知れないからそっちに回ってお茶でも飲むか、と思って行ってみたものの。。。
 

ますます霧は濃くなるし、これで暗くなったらやばいかも。で、早々に下界に下りることにしてヘッドライトを点けて走り出す。


きょうは、父の命日だけど、私の誕生日でもあり(ついでに秋葉原通り魔事件の日でもあり、池田小事件の日でもあり、雲仙普賢岳噴火も。。。)
時間もあることなので、西湘バイパスおりてから片瀬まで走ってレッド・ロブスターへ。
夫が元気だった頃は、誕生日は大抵本牧のレッド・ロブスターで祝っていた。
撮ってもらったインスタント写真が何枚もある。
ふたりでいろいろオーダーしてライブロブスターも食べるのが常だったけど、ひとりでロブスター一匹は無理なので、コンビネーションプレートでひとりお祝い。この店、ひとりってどうなんだろうと思っていたけど、オーダーできるものあるし、好みの味だし、また来よう。