2014年3月31日月曜日

『雨のち晴レルヤ』

NHK朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」が終わった。
市井の人々の生活を描きながら、
次第に息苦しくなる時代の空気を現在に重ねる
なかなか見ごたえのあるドラマだった。
大阪局は、去年の「純と愛」でも、
外見からはわからない、人の苦しみや悲しみに寄り添う生き方を描く意欲的な取り組みをしていたが、あれは「暗い」とか言われてあまり評価されなかったらしい。
「ごちそうさん」は、明るくコミカルな表現を使いながら、
市民が声を上げることの大切さや、戦争の愚かさ、
最後には自然エネルギーの話までたどり着いて、ずいぶんがんばったと思う。

ドラマも好きだったが、主題歌の「雨のち晴レルヤ」も好きだ。
自分に重ね合わせて、ついつい口ずさんでしまうのだ。

突然 偶然 それとも必然
始まりは気付かぬうちに

予報通り いかない模様
そんな時こそ 微笑みを

ポツリポツリと町の色 変わってゆけば
傘はなくとも雨空に 唄うよ

どんな君でも アイシテイル
顔を上げてごらん 光が照らす
涙の河も 海へと帰る
誰の心も 雨のち晴レルヤ


夫が難病になるなんて、もちろん予報通りじゃなかったし、
ポツポツ降ってきた雨は、あっという間に土砂降りになり、
頬を伝う雨と汗と涙でぐしゃぐしゃになりながら走ってきた気がする。
そう、病気がどんどん進んできたけど、どんな君でもアイシテイル。

一番好きなのは、「涙の河も 海へと帰る」というくだりだ。
浜っ子の私にとって、海は広い世界へつながる場所であり、
希望と力をくれるものなのだ。
さすが、ハマ出身のゆずの歌だ、とナットクする。

とは言っても涙涙の日々を送ってきたわけではなく、
この曲調同様、けっこう明るく光を見て歩いてきたのだ。今も。

だから、
誰の心も雨のち晴レルヤ
だといいな、と思うのだ。

2014年3月28日金曜日

便乗値上げ? Taking advantage of a tax hike?

(English to follow.)

消費税率引き上げ前に、ということでホームセンターに日用品を買いに行った。

が、しかし。。。

1)その店が他店より安くしているからそこで買っているメジャー商品は
 軒並み他店並みの値段になってるし
2)安いし十分に用を足すので愛用してきたオリジナルブランド商品は
 ほとんど売り切れ状態

で、結局「増税前の買いだめ」にはならず。

けど、上の 1)って、便乗値上げじゃないのかな。
便乗値上げって、調査するのは4月1日以降なのかしら。

いちいち値札の写真撮って報告するほどヒマではないのでしないけど、
貴重な買い物の時間が思うように使えなくて
なんだかなあ、の午後だった。

In Japan, the consumption tax (an equivalent of VAT or sales tax) will be raised by 3 %
from April 1st.  So, I went to the store to buy some daily necessities to stock up.
But I found the price of major brand items the store used to sell at the lowest price in the area having raised to the level of other stores, and the store's original band items that are low-priced with satisfactory quality have already been sold out.
It seems like the store is taking advantage of the tax hike to raise the price of major-brand items.
I don' have time and energy to do research and report the case to the authorities, but I do feel as if my afternoon shopping spoiled.

2014年3月26日水曜日

フィギュアスケートに思うこと

世界フィギュアスケート選手権が始まり、
ソチ五輪に続いて、日本選手の活躍に期待が高まっている。

フィギュアスケートは、自分では数えるほどしかやったことはないが、
縁あって国際大会での通訳を10年あまり務めたことがある。
ルールブックを隅々まで読み、ビデオを繰り返し見て勉強して臨んだ初年は、
まだパソコンも使われていないころで、レリースの英訳タイプ打ちもしたし、
同時に開かれていたISUセミナーの資料も作ったり、ずいぶん勉強させてもらった。
東西冷戦構造の時代、東側の選手が文字通り命懸けでやっている姿も
強く印象に残っている。

そして、伊藤みどりが女子で初めてトリプルアクセルを成功させ、
カナダのカート・ブラウニングが世界で初めて4回転ジャンプに成功し、
これからはジャンプの時代、と言われるようになった。

ほかのスポーツに比べて、芸術性のウェイトが大きかったフィギュアだけれど、
そういう人たちを前に「フィギュアはスポーツなんだ!」と言わんばかりに
アクセルを決めるみどりの姿は、とても頼もしく、誇らしかった。

  みどりの功績は、日本でのフィギュアスケートの大衆化の面でも記憶されるべきだ。
  それまでは、スケートに親しんでいる人もホッケーやスピードが中心で、
  フィギュアは限られた人のものだったし、一般の関心も決して高くなかった。
  
   それでも、アイスショーなど見慣れた東京のお客さんより、
    ホッケーやスピードに馴染んだ北海道のお客さんのほうが、スケートの見方は良く知っていた。
  
  某地方都市で新しくできた施設の杮落としとして大会をやったとき、
  シャトルバスに乗り遅れたロシアのコーチがタクシーで会場入りしようとしたが、
  運転手が会場の名前を知らず(新しいから?)、フィギュアスケートと言ってもわからず、
  「Midori Ito!」と言ったらちゃんと連れてきてくれた、というのは本当の話だ。

みどりに続いてアクセルに挑戦する女子選手は限られたものの
その後女子は、3回転の精度が上がり、アクセル以外の種類はみんなこなすようになったし、
男子では4回転がマストの時代になったのだから、
確かにフィギュアスケートは技術的に進歩したと言えると思う。

ソルトレーク五輪でのスキャンダルをきっかけにルールが改正され、
どの技術がどう評価されているか、見る方にもわかりやすくなったし、
選手もどうやって点を取るのか、目指しやすくなったことも、技術の進歩につながったのだろう。

しかし、正直言って今の採点方式になってから、フィギュアスケートはつまらなくなった。
フィギュアスケートだからできる表現というものの評価が
採点がわかりにくいからという理由で軽視されているように見えてしまう。

かろうじて3種類しか3回転ジャンプを飛べなかったカタリーナ・ビットだけれど、
彼女の「カルメン」に勝る「カルメン」を私はまだ見たことがないし、
ベステミアノバ=ブーキン、ウソワ=ズーリン、クリモア=ポノマレンコらの
ロシア(ソ連)勢や、フランスのデシュネー兄妹のように、
ルールすれすれあるいは違反のテクニックを使用しながら
それがアクロバットではなく芸術的必然性からであると認められ、
ルールのほうが変えられてきた、そういうプログラムは、
今の競技会では見ることはできないだろう。

芸術性の話をすると、そんなのはスポーツではない、
むしろフィギュアスケートを競技からはずすべきだ、と言う人もいる。
 それなら、カーリングは頭脳ゲームじゃないか
しかし、フィギュアで用いられる芸術表現は、フィギュアスケートを履いているからこそ
可能な表現であり、従ってフィギュアスケートというスポーツの一部分をなしている。
その部分について、継承されていかないのは大きな損失ではないのか、と思うのだ。

いや、こんなことは私が言わなくても、
長年フィギュアスケートに関わってきた人たちはみんなわかっていることだ。
きっとんまた良い方向に、変化し進化していくことだろう。

2014年3月16日日曜日

あれから2年 Two years have passed.

(English to follow.)


3月16日、夫がALSと診断されてちょうど2年が経った。

あのとき、「あと1年・・・か、2年」
と主治医は言っていたが、その2年を生き延びたことになる。

そのころは、本当に病気の進行が速くて、特に呼吸機能の低下が進んでいたので、
1年はおろか、半年くらいの、まだ外出したりできているうちに、
どこかで呼吸困難になって倒れてしまってもおかしくない、と思っていたのだが。

週単位、あるいは数日単位で変わる体調、病状に対応し、
次に起こりうることにできるだけ先回りをし、それでも予想外の出来事がおき、
危ない状況も何度か経験したりしているうちに、2年が経った。

実は、ここひと月ほど、いまだかつてないほど落ち着いた状況が維持されている。
これまでたびたび経験した、発熱やら感染症やら下痢やら便秘やら腹痛やら、
あれこれがほぼ解消され、一定の生活リズムを崩さず、淡々と日々を過ごすことができている。

昨年は、まだ家の中で移動する生活をしていたから、介助の手も時間も必要だったし、
それに加えて体調の問題もたびたびあったから、私自身のことにはなかなか手が回らず、
あらゆることが置き去りになり、仕事の会計処理も全然できていなかった。
先月来の、この落ち着いた時間がなかったら、
とても二人分の確定申告はやり遂げられなかっただろうと思う。

考えてみれば、これに限らず、「このままこれが続いたら、もうだめ」と思うときがあっても、
たいていどうにかなってきた。
だから、まさか夫が寝たきり状態になるまで永らえるとは思っていなかったけど、
当面、この状態が続いても、「もうだめ」とは思わないし、
まあ、これからもなんとかなっていくのだろうと思う。

先のことはわからない。
これまで通り、一日一日を大切に過ごすだけだ。


It was exactly 2 years ago today, March 16th, that my husband was diagnosed with ALS.
His doctor said he has a year... or maybe 2 to go.

Well, here we are 2 years later.

It's been tough 2 years as his condition kept changing.
He had various health problems from fever to diarrhea.
We had some scary moments as well.

Two years ago, he was walking and working and dancing.
Today, he spends his time in bed.
But most of other problems appear to have been solved,
and this past month has been rather peaceful.

I don't know what the future brings or how long the current condition continues.
All I know is that we'll take a day at a time and live each day fully.

2014年3月13日木曜日

Finally, spring has come?

It's been a very cold winter around here.
We had two big snowfalls in February that paralyzed transportation system.
Until yesterday, Daytime Highs barely topped 10 degrees Celcius, well below seasonal average.

But today it warmed up to 16 degrees!
Our spring usually does not come in a stride, but with a few days of chilly days in between warm ones.  So, I expect some more cold days returning ahead.
Still, it's certain that spring is just around the corner.

Warmer weather means more pollen and more allergy reactions.
Even so, after such a cold winter, I really look forward to spring particularly this year.





2014年3月6日木曜日

灰の水曜日

もう日付が変わってしまったのだけど、3月5日は「灰の水曜日」だった。
これは、カトリックやプロテスタントなど西方教会で守られている日で、
レントが始まる日でもある。

レントとは、イエスが宣教を始める前、荒れ野で40日過ごし悪魔に試されたりしたのに倣って
信徒が、イースターの前に40日間悔い改めのときをもつ、その期節を指すのだが、
イースター=復活祭は、イエス・キリストが十字架に架かって三日目に復活したことを記念する祝日だが、この日付は「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」なので、毎年変わる。
従ってレントの始まりも毎年変わる。
また、40日間の中に日曜日は含まないので、水曜日から始まることになり、
その日には、悔い改めのしるしとして灰を額に付けるので「灰の水曜日」という。
この灰は、かまどの灰とかではなくて、前の年の「棕櫚の主日」(イースターの前週の日曜日)
の礼拝に使った棕櫚の葉を燃やすのが慣例。
「棕櫚の主日」の由来はといえば、エルサレムの都にやってきたイエスを、
新しい王だと喜んだ民衆が棕櫚の葉を振って歓迎した、という聖書の記事にある。

とまあ、なんだかややこしいような背景なのだけど、
要するにキリスト教徒はこの時期、どんちゃん騒いだりせず、内省的に過ごすとされていて、
だからこそ、その前に思いっきり騒ごうぜ、というのが、カーニバルなのだ。
それを考えると、別の時期に日本で「カーニバル」をやられると、違和感がある。

私のアメリカの教会では、毎年この時期に合わせて、
みんなが共通のテーマで瞑想したり考えたりするための小冊子を作っている。
去年はうっかりして逃してしまったのだけど、それ以外はずっと皆勤賞で私も原稿を書いてきた。
今年のテーマは What awakens hope in you? だったので、
以前このブログでも書いたTenemos Esperanza のことを書いた。

さて、かの地も日付が変わって水曜日になったから、
そろそろ電子版が届くかな。


                                              故I 牧師が作って下さった棕櫚の葉の十字架