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2020年3月12日木曜日

Thank you Sir Andras

It was a beautiful concert.

Sir Andras Schiff is now touring in Japan, but the coronavirus scare forced some concerts to be canceled probably because the entire buildings that hold the concert venue got closed.  The Japanese government is also asking people to refrain from holding large-scale events that may create big crowds.

That didn't stop this great pianist from holding his recital at Tokyo Opera City Concert Hall tonight.  I hear he came to play in Japan shortly after the quake and tsunami disaster 9 years ago.  So, this wasn't the first time that he stood by Japan in a difficult time.

The organizer did everything to prevent infection, from closing the bar to keeping staff from making any physical contact by not giving out program booklets and checking tickets only visually.   The hall's ventilation was apparently more powerful than usual.  Disinfectant spray bottles were at the entrance.  So we could feel relaxed as the concert opened.

The program featured Mendelsshon, Beethoven, Brahms, and Bach.
Every piece was wonderful, but I liked Brahms most.  
We had a privilege of listening to as many as 5 encores---one each of the four composers with the addition of Schubert.

Sir Andras plays the piano as if his heart is playing it.  The dynamics were incredibly lively.  He can do this because his technique is superb.  But unlike many pianists who play like boasting their technical skills, Sir Andras draws your attention to the music and the emotion and heart that are behind it, rather than his technique.  Such music has the power to bring out what's in the bottom of our heart as we listen---both positive and negative things.  Thanks to this power, I had lot of reflecting and contemplating, which gave me some enlightenment.

I'm really grateful to Sir Andras for tonight's recital.
Thank you, Sir Andras for coming to Japan and playing for us.
I suppose you'll be quarantined for 2 weeks at your next destination from Japan whether it may be your home country or elsewhere.  I hope things won't be too difficult for you, and you stay well.  May God bless you, Sir.

2020年3月8日日曜日

ライブ2題

この土日はライブ2件。

「ライブハウス」が新型コロナウイルス感染しやすい場所に挙げられてるけど、あれはみんな立ち席で体をゆすって声を出して盛り上がるタイプの場所の話。だというのに、多くのライブが中止になっていて関係者は大変だと思う。

そんななかで、上質なタンゴのライブを提供する雑司ヶ谷のエル・チョクロは席数を減らしたり、消毒液を置いたり、換気タイムを設けたりしてライブを継続しているので、応援も兼ねて須藤信一郎、西田けんたろう、木田浩卓のトリオを聞きに行った。タンゴ以外のレパートリーから始まり、ピアソラ多めの聞き慣れた曲をちょっとjazzyな編曲で。実力派三人のやり取りが楽しいライブだった。




きょうは地元横濱エアジンでの「横浜音楽会いぬねこ3.11」へ。
エアジンの時計は、きょうは2:46。



この音楽会は、3.11で行き場を無くした犬猫たちの保護活動から始まり、犬猫避難所、里親さん探し、自由猫たちの避妊手術などを行っている「清川しっぽ村」を支援するためのチャリティーコンサート。
私はこれまで足を運ぶことができずにいて、きょうも本来ならオケの練習と重なって行けなかったところ、13日の放送記念日式典が中止となり練習もなくなったので参加することができた。しっぽ村は、去年10月の台風19号で敷地がひどい崖崩れに見舞われ、この場所での活動継続が不可能になり、収容していた犬猫たちは一時預かりボランティアさんたちのもとに預けられ、新しい活動拠点の開設に向けてがんばっているところ。こういう趣旨だから、本当に雰囲気が温かで、選曲も元気の出るエネルギー溢れる演奏で、私にとってはよいくつろぎの時間となった。



こちらにも西田けんたろうさんが参加されていて、思いがけず Romance de Diablo を2日連続で聞くことになった。同じ曲を違う編曲で、また各プレーヤーの個性も発揮されて、なかなか興味深くどちらもよかった。チャリティバザーで猫たちへのお土産ににくきうジェルを購入。寒い日だったけど、心はホカホカの午後になった。


2020年2月11日火曜日

E&A Milonga Sp. Megumi's Memorial

夫が亡くなって2年が過ぎた。
仏教でいえば三回忌というやつだけど、私たちはクリスチャンなのでそういうのは、ない。とはいえ、この日に思いを寄せてくれる友人もあるし、私自身、去年同様ミロンガをやりたいなと思い、去年参加が叶わなかった夫のもう一組の師匠であるEugene & Alisaのお二人に話を持っていったら、二つ返事で受けてくださった。日曜夜のE&A Milongaをスペシャルバージョンにしての開催。福岡からTrio Los Fandangosを呼び、E&Aとそのアシスタント時代から親しくしてもらっているMarcy&Magi、そしてKenji&Liliana師匠にデモをお願いした。

TLFのライブ・タイムは、タンゴ3、ワルツ1、ミロンガ1の5タンダ=五反田!
また一段階ヴァージョンアップした、みっちり音の詰まった演奏にみんなノリノリで、オートラ2曲。来るたびにいい曲をどんどんレパートリーに取り入れて、DJ泣かせのTLFだけど、前後のDJタイムもさすがEugeneさん、見事な仕切りだった。なおかつ踊ってたり動画撮ってたり、すごいな~。

後半のショータイム。始めに私からE&AやMarcyさん、そしてMCのセバスチャンには夫がずっとお世話になっていたこと、残念ながら昨年亡くなられた齋藤徹さんが私たちとTLFを繋ぎ、そこでケンリリさんとも出会ったこと、TLFやケンリリさんがブエノスに行くとき連れて行ってもらっているうさこは病床の夫の身代わりであったこと、などをお話しした。うさこ、こないだケンリリさんとブエノス行ったばかりだけど、また行きたいというのでTLFと今年一緒に行けるようにTLFのCDが売れて旅費が稼げるといいなあ。
  



デモはMarcy&MagiがRecuerdo、E&AがEl Dia Que Me Quieras、そしてケンリリさんがQue Falta Que Me Haces(別名「おらーん」笑)と、まあよく考えて下さっていてそれだけで胸が詰まる。そして3組ロンダの中に私もとしゆき先生と混ぜて頂いてDon Juanを。これは私たちとTLFの出会いの曲だったのでここに持ってきたのだけど、しんみりしたところにこれぞTLFらしい演奏のこの曲を持ってきたのは正解だったと思う。最後はセバスチャンのパーカッションを加えたAzabacheを3組で。
長めのショータイムになったけれど、みんな楽しんでくれたようで、最後にEugeneさんがオルケスタYOKOHAMAのLa Cumparsitaをかけるまで、フロアは賑わっていた。

  

以前他のレッスンで顔を合わせたものの自己紹介に至っていなかった方が「きょうはありがとう」と言いに来てくださったり、テーブルに置いた夫の写真に挨拶しに来て下さる方があったり、温かい雰囲気の中でミロンガができてほっとした。
夫が亡くなってからひとりでミロンガに行くと、「不在」がむしろ強く感じられる(「おらーん」)ことが多かったのだけど、この日はフロアのどこかで誰かと踊っている気がして、私も穏やかな心持で過ごすことができた。徹さんも、TLFと一緒に弾いていた気がした。

タンゴがなければ出会わなかったかもしれない人たちが、タンゴのおかげで奇跡的に一堂に会するミロンガ。誰と何曲踊ったとか、DJがどうだったとか言う前に、その出会いとつながりを喜ぶ機会であって欲しいと思うし、このミロンガがそんな一つであればよかったと思う。

この日のことを書いたケンジさんのブログはこちら

2020年1月28日火曜日

裏切らないもの


1月26日は所属しているオーケストラの年に1度のコンサートだった。
夫が病気になって私がお休みしてから始まったコンサートだったので、
参加するのは去年復帰してから今年で2回目。
普段自分だけでへらへらとやりたい曲をレッスンしているのと違い、
みんなに迷惑をかけないようにしなければいけない。
しかし40過ぎて始めた者ゆえの限界と、学生のように練習時間はとれない
という状況の折り合いをつけながら混ぜてもらっている。

今回の曲は、
ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」
チャイコフスキー「組曲 くるみ割り人形」
ブラームス「交響曲第2番」
と、「名曲コンサート」と銘打つだけのことはあるラインナップ。

日頃タンゴのようにビート感、グルーヴ感に満ちた音楽に浸ってばかりいるものだから、
ドビュッシーはすごく難しかった。
カウントに確信が持てたのはようやく本番でのことだったという。。。汗

チャイコフスキーは耳慣れている割に、構成が全然わかっていなかったことに気づき、
練習のたびに発見があったり、うまくいかないところを自分なりに工夫して練習した結果課題が解決できたりして、面白かった。曲の理解の助けになるかと、年末にはキエフ・バレエの公演も見に行ったし、本番はそのイメージを思い浮かべながら楽しんで弾いた。

ブラームスは集中力を試されてる感じで、どうなることかと思ったけれど、なんとか振り落とされずに最後まで行けてよかった。45分の曲の半分が1楽章ってどういうつもりなんだろう。。。勉強のために何度もCDを聞いたけど、いつも「まだやってるよ」と気持ちが途切れていたくらい。お客さんも疲れたんじゃなかろうか。

アンコールにはバレエの「くるみ割り人形」から「パ・ド・ドゥ」を。
単純なスケールをドラマチックに作り上げた名曲を、わーっと広がりすぎずに重厚にというのはなかなか難しかったけど、本番の出来はチェロ、ブラスのがんばりでよかったと思う。

去年は、本番ひと月前くらいの時点で、残された時間を
「弾けないところが弾けるようになるまで最後まで頑張ってみる」

「弾けないところは大事な音だけ抜き出して弾く練習をしておく」
か、で迷って、結局なんだかどっちつかずになって、
弾けたところもあれば落ちたところもある、みたいな結果になってしまった。

今年は早い段階からそれを避けるべく、弾けないところをまず重点的に練習していくことにした。音がつかめていなくて弾けないところは、まず口で言えるようにして(口で言えないものは弾けない)言いながら弾く、とか、弓がいい場所に持っていけない、左手のフィンガリングがうまくいかない、といったケースは、その前の動きを変えて修正する、などしてみた。苦労していたことが、ちょっとした工夫であっさり解決したこともあったり、これはなかなか面白かった。(もう何年もレッスンしてる割に、いまごろ?)

そして思うのは
練習は裏切らない
ということだ。
弾けないところをやみくもに何度もやっていると、それは弾けない練習になってしまい、
どこまで行っても弾けない、という意味でもあるのだけど、
ちゃんとした練習はちゃんと結果につながっている。
弾けるところまでやったつもりで本番では弾ききれなかった部分もあるけど、それでもただ落ちたりせず大事な音は弾けていて、あれだけやった意味はあったのだ、と思えた。

反省すべきは、アンサンブルへの意識が足りなかったことだ。
曲全体に対する理解を深める努力をもう少しするべきだったと思う。
今回は特にハープなど特別な楽器が入る楽曲もあり、そういうパートも含め全員そろっての練習機会は少なかったので、リハーサルの中だけでやりとりを体得していくには無理があった。スペースの都合で座る場所が変わると聞こえ方も全然違ってしまうし、もう少し自分で勉強しておくべきだったと思う。
次回への課題として、忘れないようにここに書いておくことにする。

なんにせよ、寒い中ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。

3月には放送記念日の式典前座で、「葦笛の踊り」と「パ・ド・ドゥ」をやるらしい。
この2曲には、自分なりの課題解決に至らなかった箇所があるので、リベンジしたいものだ。

2019年12月23日月曜日

Ausencias(不在)

Ausencias は、今年亡くなった齋藤徹さんが1998年に出したアルバムのタイトルである。
意味は「不在」。徹さんがそのグループに入りたいと強く望みながら叶わなかった、
Astor Piazzola の楽曲を「卒業」するつもりで録音したアルバム。
ピアソラは95年亡くなった。ピアソラはもう、いない。しかし、その不在こそがその存在の大きさを感じさせる、との思いが込められてのタイトルだったと記憶している。

その徹さんとベースアンサンブルを組んでいた、田辺和弘、田嶋真佐雄、瀬尾高志の3人が
12月21日「Travessia de Tetsu」と題したライブを横濱エアジンで行なった。
3人とも、様々な形で徹さんの薫陶を受け、共演し、それぞれ個性的な活動をしているベーシストたち。その彼らが徹さんの楽曲を演奏するというのを楽しみにしていた。


 街
 Tango Eclipse 全3楽章
 西覚寺~トルコマーチ~Invitation
 フリーインプロヴィゼーション
 オンバク・ヒタム桜鯛 全3楽章
 Travessia


徹さんの音楽、徹さんの奏法が生き生きと蘇り、徹さんが演奏している姿が目に浮かぶ。
そこに、田辺さんのカンジェンゲ、田嶋さんのピチカート、弓を持ち替えて音色を変えるなど技ありの瀬尾さん、それぞれの魅力が加わる。
それはそれは特別な、素晴らしい音楽のひとときだった。

でも。
やっぱり徹さんはもういないんだなあ、とも感じてしまった。
徹さんの音楽はそこにあるけど、徹さんの「音」は聞こえなくて、
徹さんの不在が徹さんの存在が大きかったことを改めて知らせている。
三人の奏者の中に、しっかりと徹さんと徹さんの音楽が生きているからこそ、
そんな風にも思ってしまうわけで、嬉しくて寂しくて切ないような。

それで、
そういえば徹さん、Ausenciasってアルバム作ってたよね、
と思い出した。こんな風に思いがつながる言葉まで残していくところも徹さんらしい。

  


2019年7月10日水曜日

谷本仰 2days

Trio Los Fandangos のヴァイオリニスト、谷本さんがソロの関東ツアーに来ている。
ソロと言っても、ソロの日もあれば他のミュージシャンやダンサーとの共演もあり、すべてプログラムが違う8日間8ステージ。

横浜では10日にエアジンであるので、その前にうちで昼ご飯を食べてもらって、夜はライブに行こう、と予定していたのだが、前項「徹さんとすごす会」の時に、9日に同じ会場の「いずるば」で行われるライブのチラシをもらい、その谷本さんの文章が素敵だったのと、「いずるば」がとても心地よい空間でもう少しここで過ごしたいと感じたこと、そして、予定が空いているのだったらやはり来るべき、「また」「いつか」「今度」は”ない”のだから、と思い、9日も足を運ぶことにし、思いがけず2日連続のライブとなった。

9日「いずるば」共演はダンサー岩下徹さん。この日の谷本さんはすべて生音のみの演奏。セッティングはこんな感じ。
泡だて器やボウル、鶏の人形、果てはシャボン玉まで。いや、確かに生音ですけど。

なんとなく勝手に休憩挟んで2本かな、と思っていて、途中でこれは50分1本勝負だ、と気づき慌てて写真を撮る。


岩下さんのダンスは本当に流れるようで停滞がない。身体を動かしているのではなく、その場の空気の一部になって動いている感じ。「気」が身体をめぐっていて、滞りがない、こんな人っているかしらと思う感じだった。
谷本さんの音と反応しながら、二人が動かす場の空気と観衆の生み出す揺らぎすらも取り込んでデュオが「奏でられて」いく。そんな感じ。
普段私たちが「楽器」とは認識していない様々なものから音が生まれていく。
「いずるば」という場所がそうさせるのか、確かにそこに居た徹さんの魂がそうさせたのか、パフォーマンスの間、私の頭の中にはいのちについて、生きることについての様々な断想が飛び交っていた。日曜日に聞こえた、「胸を張って自分として生きる」こと、がだんだんと腑に落ちていく。

この日はタンゴを通じての知り合いや徹さんのお連れ合いもみえていて、リラックスして楽しめる1時間になった。



10日、昼過ぎに谷本さんをライブのための大荷物と共に横浜駅で迎え、わが家へ。
食事をしながら、去年夫が亡くなってからいろいろ思っていることを聞いてもらったり、谷本さんのツアーの話、TLFの話、教会の話など、お互いあちこち飛びながら楽しいひと時を過ごした。なかなか二人だけで話す機会もないので、こういう機会が与えられてありがたかった。私のヴァイオリンも弾いてもらった。ちっともうまくならないのはこいつが弾きにくいせいではないのか、と疑っていたのだけど、谷本さんが弾いたらいい音は出るし、「よく育ってますね。丁寧に弾いておられるのがわかります。バランスもいいし良い楽器だと思います」と言われてしまい、あー、やっぱり私の力不足なのね、と結論。ちえ。

夕方谷本さんをエアジンに送り、一度帰って動物病院に猫の薬を取りに行き、改めて夜ライブに出直す。今日の共演者はホッピー神山さん(音楽プロデューサー、キーボーディスト)。セッティングはこんな感じ。

  

二人とも様々な仕掛けを用意している。同じような機材もあるけれど、使い方はそれぞれで被らないところが面白い。ホッピーさんはエアジンのグランドピアノをエレピに変身させる仕掛けまで作っていて、22年前ブエノスアイレスのあるタンゲリア(タンゴを聞かせるレストラン)のピアノが恰好だけグランドピアノでエレピの鍵盤がはめ込んであってびっくりしたのを思い出した。けど、今日のはもっと高度な仕掛けなのだろうと想像する。

正直に言えば、私は電気的な仕掛け、しかも即興をちゃんと受け止めるのは苦手だ。何がなじむかと言えばアコースティックな調性音楽や自然の音だ。たぶんそれは、そういうものが一番身近だったことや、機材のつまみやスイッチをいじる行為と「演奏」とが脳内で別の引き出しにしまわれているらしいこと、そして「役に立つ」ことが大事と教えられて育ったこと、などのせいなのだろうと思う。だからと言って、こうした即興演奏は受け入れられない、ということはないし、「なんだか変わってて面白い」という以上に関心もある。

谷本さんとホッピーさんは、つい5日前に福岡で共演したばかりだったからかとても息が合っていて、それぞれ勝手に好きな音を出してるみたいなのにそれはちゃんとデュオになっていて、どういう仕掛けをどう使っているかがわかればもっと面白いのだろうか、いや、私には無理だけど、などと思いつつ、休憩をはさんで2部2時間半のライブは終わった。昨日とは違って、生み出される音のことに思いをはせた時間だった。



谷本さんのライブは、このあと
11日富阪キリスト教センター
12日千歳烏山Tubo
13日祖師谷 カフェムリウイ 共演タカダアキコ、Safi
14日国立地球屋 共演石原雄治
と続くので、ぜひ聞きに行ってみてほしい。


谷本さんが「これが一番おいしいと思う」とお土産にくれた福岡のポテトチップ、ほんとかなあと食べてみたら本当においしくて、ああ、夜中なのにどうしよう。

  
  

2019年7月7日日曜日

Memento mori メメント・モリ

(日本語は下に)
"Memento mori" was the theme of a special gathering today to remember the late bassist and our dear friend, Tetsu Saitoh, who succumbed to cancer on May 18th.  
The program ran for 4 hours, featuring music, dance, poetry reading and talk by wide range of performers who worked with Tetsu over the years, as well as Tetsu's video. Visitors were free to come and go at any time, and place flowers by his bass.

I arrived just after the opening speech started.  I wasn't sure if I would stay the whole time, but as it turned out, I hung around till the end.  I ran into some of our old friends, met new ones, and, of course, took some time talking with Tetsu's wife.I suppose the grief of losing loved one is different from person to person.  Still, there is something that we can feel out for each other like no other people.

Strangely-- or maybe not so strangely-- there were few tears.  All the performances and talks and video in remembrance of Tetsu actually celebrated life.  It was a strong reminder that each one of us has life to live as what we are.  For me, it's almost scary to think presenting myself as I am, but maybe Tetsu was telling me that it's OK, and it's the best thing.
Here's what he said in one of the videos:
Pay attention to the sound, 
Don't try to possess your heart or body, 
And your will have both wings and root.

Thank you, Tetsu.




メメント・モリ ということばとであったのはいつのことだったか。
中世の修道院では修道士の枕元にこのことばが刻まれていた、と何かの小説かエッセイで読み、クリスチャンの癖にそのことばを知らなかった自分を恥じた、と記憶している。

「自らを死すべき者と知れ」を意味するこのことばが、去る5月18日に亡くなった齋藤徹さんのお別れの会のテーマだった。
「徹さんとすごす会ー齋藤徹のメメント・モリー」と題されたこの会は、徹さんのホームベースだった「いずるば」で、日曜日の午後2時から6時まで開かれ、縁のダンサーや音楽家、詩人などなどのパフォーマンスやお話と記録映像の上映が行われる中、来会者は好きな時間に来て、出会った人とおしゃべりをしたり、たぶんそこに居る徹さんの魂とも対話して、好きな時間に帰る、というものだった。徹さんの長年の相棒だったダンサーのジャン・サスポータスさんともネット中継を結んでメッセージをもらうなど、徹さんの活動(守備範囲?)の広さを改めて感じる会だった。

私は開会挨拶の終わるころに着いて、いつまでいるか決めずにいたのだけど、よい気の満ちていたせいか時の流れるのも忘れ結局最後まで残っていた。お久しぶりの方と会ったり、新しく知り合った方があったり、もちろん徹さんのお連れ合いの玲子さんともお話した。愛するものを失った思いは人それぞれだと思うから、簡単に「気持ちはわかる」なととは言いたくない。それでも同じ立場だからかけられることばというのはあって、そんなことばを交わすことができた。これからも折々に話すことができればと思う。

徹さんが亡くなったとき、私を含めて多くの人が「悲しくてたまらない」「どうしてこんなに涙が止まらないんだろう」と言っていた。しばらくして思ったこと。徹さんという人はものすごく多様で多彩な人たちと繋がって、その一人ひとりに自分を惜しみなく投げ出し、さらけ出してきて、私たちはそんな徹さんをハブにして広い世界に繋がっているつもりだったのに、要の徹さんがいなくなったことで、命綱が切れて宇宙に投げ出されたような心細さを感じたのではないか、それであんなにわあわあ泣いたりおろおろしてしまったのだ。
あれからまた少し時間がたって、徹さんはいなくなったのではなくて、私たちの中にちゃんといる、だから大丈夫なんだ、ちゃんと私たちは繋がっているのだ、と思えるようになって私は少し落ち着いたのだけど、みんなはどうだっただろう。聞いてみてはいないからわからないけれど、今日の集まりはその徹さんの存在と繋がりを再確認する機会になったと思う。そう、確かに「徹さんとすごす会」だった。

メメント・モリということばが口にされることはなく、いわゆる「お別れの会」だけど「涙涙」にはならず、むしろ、一人ひとりが生きている、いろんな人がその人として生きていることを喜ぶ、そんな時間だった。「胸を張って、自分として生きればよい」、そんなフレーズが頭をよぎる。それはちょっと怖い、と私は思う。でも徹さんは決まり文句で答える。「大丈夫」、と。

最後に紹介されたビデオの中で徹さんは言っていた。
 音に注意をはらい、自分の身体と心を所有しようとしなければ
 羽と根っこの両方を持つことができる

ありがとう、徹さん。



2019年5月18日土曜日

報せ

一週間のうちに、身近な人三人の訃報を聞くなどそうあることではないだろう。

教会の友人Y子さんのお連れ合いが亡くなられたのが一週間前。
Y子さんは、音楽家であり青年海外協力隊でコスタリカにいたことがあったりして、南米つながりもあって夫とも仲が良く、夫が病気になっても私に仕事を続けてほしいから手伝う、と言ってくれて、毎週一回夜ヘルパーが帰った後私が帰宅するまでの時間、うちに来てくれていた。Horacio Ferrer のラジオ番組 Flor de Tangos y Poemas を聞きとって訳したものを夫に読み聞かせてくれるなど、夫もY子さんの訪問を楽しみにしていた。その間、お連れ合いが難病の多発性硬化症と診断され、それでも予後が長い病気だからまだ大丈夫、とずっと訪問を続けてくれて、本当にありがたかった。
連休前に誤嚥性肺炎になられて、誤嚥が心配なので胃瘻を作るために来週入院する、というメールを受け取ったばかりのところに亡くなられたと聞いて、本当にびっくりした。これからは私が力になってあげる番だと思っていたのになにもできなかったことを後悔した。

週明けにY子さんを弔問して夜帰宅すると、アメリカの母教会から教会員のSが亡くなったとメールが来た。Sは私より4~5歳若い。就寝中に亡くなったとのことで誰もがただただ驚いている。Sは教会の中心的存在で、誰もが彼を一番の友人と思っても不思議ではない、そんな存在だった。私自身は、アメリカを離れて10年くらいは毎年帰っていたから、その時はいっしょに活動したり聖歌隊で歌ったりしたけれど、もう久しく教会を訪れていないしそういう意味では「身近な人」とは言えないのかもしれないけれど、そんな私でもいつでも「やあ、元気」とハグできると感じられる人だった。教会にとってあまりの損失に神様はいったい何を考えているのだろうと思ってしまった。

SのためのMemorial Serviceの様子をFBのライブ配信で聞いたのが昨夜。
そしてきょう入ってきたのが、先の投稿で書いた齋藤徹さんの訃報。
夫が亡くなった時もすぐには泣けなかった私も、今度ばかりは涙が溢れて止まらなかった。残り時間が少ないことはわかっていたけれど、先月末のライブの後「またね」と握手して別れた。「また」とか「今度」ってのはないんだと思わないとね、なんて話もしたけど、それでもあと10日もすればまたファンダンゴスとのライブで会える、と思っていたし、来月の私の誕生日にはエアジンでの予定が組まれていたからそれには行かなくちゃね、と思っていたのに、もっともっと聞きたかったのに...

徹さんとは、夫と出会っていなければ一生接点はなかったのだろうと思う。
夫はジャズのライブハウスに足を運んでミュージシャンたちと懇意になる中で、フリージャズでちょっと行き詰まったりしてる人たちをどんどんタンゴに誘い、徹さんには「楽団がブエノスアイレスに行くのだけどベーシストが逃げちゃったから徹さん行かない?」と誘い、徹さんはかねてから関心のあったタンゴの世界にどっぷり浸かることになった。(のちにピアソラ楽団に入りたいと真剣に願い、アルバムを作ってピアソラに届けたものの、ピアソラが他界したため共演は実現しなかった。)
私たちが結婚するとき、披露宴で夫の参加していた楽団で演奏してもらおうと思ったのだけど、スケジュールの都合がつかなかったので、徹さんにベースを弾いてもらって私がピアノを弾いて一曲やろう、ということにして、徹さんに譜面を書いてもらい、Oblivion を演奏した。本番一週間前くらいに徹さんの家で行った数時間のリハーサルは、私の音楽人生(←大げさ)でとても意義深い時間になった。音楽に技術は重要だけれど、音楽が音楽になるのはそれとは別のところにあること、いま、ここで、この出会いだからできることがあること、を教わった。その後の10年くらい、徹さんのライブには二人でかなり頻繁に足を運んだのだが、この時期がちょうど徹さんの世界が出来上がっていく時期だった気がする。それを目撃できたことはとても貴重な、そして幸せな体験だった。徹さんの世界がやがて「いま、ここ、わたし」に集約していったのは偶然ではなかったと思う。

徹さんの5月5日のライブに向けてのFB投稿にあったことば。
「この場のため、人のため、わたしのため、幸せのため、愛のため。他に何が必要だろう?何のために生きるかのすべての解答を含めて臨みたいです。

もう会えないことは悲しいけれど、徹さんがくれた沢山の音や感動は確かに私たちの中にあって、これからも一緒に生きる力になってくれることがなによりの慰めだと思う。
   

2019年4月29日月曜日

音楽とダンスとことばと

10連休、10連休、と大騒ぎの上、あたかも元号が変わることで世の中も変わるような雰囲気作りに流されそうになるけれど、実際に起きた様々な事象を振り返れば、1989年1月6日から2019年4月30日がひとつのまとまりをなしているわけではないことは明らかで、時代の変わり目と言うにふさわしいときは、たとえば1995年であったり、2006年であったりするわけだけど、まあ、それはもっと後の時代にきちんと評価されることなのだろうと思う。そもそも、平安時代、鎌倉時代、と言った区切りで言えば、われわれは当分東京時代に生き続けるのだし。

連休の一日、エアジンに松本泰子(歌)、庄崎隆志(ダンス)、齋藤徹(コントラバス、作曲)によるDVD「Sluggish Waltz」発売記念ライブに行ってきた。
3・11を契機に「うたをつくりたい」という徹さんの思いに、さまざまな詩人のことばが集まり、歌とダンスとともに演じられた記録のDVDである。
私は収録された公演は見て(聞いて)いないので、今日がお初だった。

徹さんが松本さんを含むメンバーで即興をやったり、他のダンサーと共演するライブもこれまで経験したけれど、きょうはそこに「詩」そして「詩人」(実際に朗読で参加。ピアノの下に潜り込んで即興演奏に参加した詩人も約一名。)の存在が前面に出る形のライブだった。

私にとって一番身近な音楽は、クラッシック(古典派に限らず)など楽譜に書かれたものを解釈して表現するものだし、言語を扱う仕事をしているけれども、それは「事実、或いは事象を極力誤解の余地を排除して伝える」ための道具であって、ある意味音楽の場合と同様、解釈して表現する、という性格のものだ。徹さんや共演者の即興表現を見聞きするたびに感じていたのは、彼らには「いまこの音」「この動き」を選ぶことで自分自身をそこに投げ出していける力がある、ということだ。勇気があるなあ、といつも思っていた。

きょうはそこに、「音」「動き」に加えて「ことば」も入ってきた。「ここで何故このことば」「ここはひらがな、こっちは漢字(しかも常用漢字じゃない)」「段落分け」など、幾つもの決断を経て完成された詩たち。それが、詩人自らの声と息遣いで朗読されていく。それは、私が慣れている「いつどこで誰が何をした」が明確に伝わると言う文章とは違うところにあって、でもそこには確実に伝えたい心があって、その作り出す世界に、音楽と歌とダンスが重なり合って訴えかけてくる。

正直、圧倒されるばかりで、なにかを受け止めたとは到底言えない2時間ではあったのだけど、終わってみると不思議と「1番、2番、リフレイン、終わり」のような定型的な「歌」よりも強く印象に残っている断片がいくつもあることに気づいた。演者と観衆というのでなく、その場にいた者皆で作られていたパフォーマンスの中に私も確かにいた、ということか。

きょうのライブはこうこうでした、とうまくまとめることはできないけれど、思ったことを書きとめておきたくてここに書く。

DVDは完成・発売されているので、この世界を覗いてみたい人は買って見て欲しい。


2019年2月26日火曜日

Haunted Manor 幽霊屋敷

(日本語は下に)

"Haunted Manor" is a Polish opera by Sanislaw Moniuzko.  It was written in 1861-1864 when Russia controlled most of Poland.  The story depicts the life and the values of the respected class of soldiers in Poland at the time.  It is one of the most popular operas in Poland, but is little known outside the country.

I had a chance to hear the opera presented in a concert format as the choir my sister takes part in was part of the production last Sunday.  It was the first time the the work was to be presented in Polish in Japan.  Singers had to spend a lot of time learning to sing in the unfamiliar language.

Many people showed up to the hall in the suburbs of Tokyo maybe because they were interested in this rare opportunity to hear this opera.

I'm not a great opera fan, and have seen only a few operas in my life.  I didn't have much expectation with this opera because so little is known about the work.  But as it turned out, it was very enjoyable work, both in terms of story and music.  I would love to see and hear this work with costumes and all some day.

One of many Polish among the audience who was sitting near us was apparently enjoying the opera very much.  She was singing along some of the arias, which showed that this is truly a very popular opera in Poland.

I don't imagine that there will be many occasions for "Haunted Manor" to be put on stage anywhere in the world except Poland.  But if you have a chance, I recommend to hear it.



「幽霊屋敷」はポーランドの作曲家、スタニスワフ・モニューシュコが1861年~1864年に書いたオペラである。当時ポーランドは、ロシア、プロイセン、オーストリアの分割統治下にあり、この作品も上演までに何度もロシア当局の検閲を受けた挙句、「士族」の暮らしを通して愛国心や勇気を強く感じさせる内容があまりにも観衆を熱狂させたため、3回の上演で舞台から下ろされてしまったという。(プログラムより)

2月24日、姉が活動している合唱団がこの作品の本邦初ポーランド語での上演(コンサート形式)に参加するというので、はるばる立川まで見に行った。

私はオペラファンではないし、今まで見たオペラも数えるほど。ましてや今回の作品はあまり知られていない作品だし、正直余り期待はしていなかった。
この珍しい機会を逃すまいとした人が多かったのか、会場は満席に近い盛況だった。ポーランド人の姿もそこここに。なんだかみんな、ワクワクしている様子。なんでもポーランドで一番人気のあるオペラだとか。そうなのか。

実際に聞いてみると、これはなかなか優れた作品だった。(えらそーに言う)
ストーリーも面白かったし、音楽もよく構成されていた。
ポーランド語での演奏で、出演者は本当に大変だっただろうと思うけれど、感情表現も豊かで聞きごたえがあった。歌詞にはけっこう聖書や信仰生活を下敷きにしたことばが使われていたのだけど、「神の存在を感じて暮らしている人の台詞」であるために歌手の人たちも感情移入しやすかったのか、深いよい表現になっていた気がする。これがいわゆる宗教曲の場合だと、信徒でない人が歌っているとどうもしっくり来ないことが多いのだ。そういうところでも、今回は聞きやすい公演だった。

私たちの前の列にいたポーランド人の女性が終始ノリノリで楽しそうに聞いていて、アリア(バリトンなのに)を一緒に歌っているのを見て、ああ、この作品が国民的作品だというのは本当だったのだ、と印象付けられた。

ポーランド以外ではめったに演奏されることのないであろうこの作品、いつか演奏会形式でなくオペラで見てみたいものだ、と思う。

2019年2月10日日曜日

1年経って

当然のことながら、キリスト教では法事は、ない。
そもそも西洋では命日より誕生日で亡くなった人のことを覚える習慣だ。
それでも、クリスチャンであっても日本的風習から逃れられない人は、家族の命日に「記念会」なるものを持つことも多い。短い礼拝をして会食する、というのが定番か。

うちでは義父母のために記念会はしなかったので、夫も別にそういうことは望んでいないと思ったし、親戚もみんな遠いしクリスチャンではないし、なにもしないつもりでいたものの、この日に横浜でとしゆき&菜穂子さん主催の定例ミロンガがあることに気づいた。ここでは、夫の病気がわかったときに徹さんとTLFがミロンガをしたいと言ってくれたのをとしゆきさんが引き受けてミロンガをしてくれたのだった。あんなミロンガがまたできないか、という妄想をとしゆきさんに持ちかけたら、是非実現しましょう、と言ってくださったのが11月。それから声をかけた方々がみなさん二つ返事で引き受けてくださり、思いがけず豪華版のミロンガが開けることになった。

ミロンガのまとめはケンジさんがうまく書いてくださったのでそちらを。

そこに書いてない裏話をいくつか。

夫の部屋にオルケスタYOKOHAMAのライブ録音CDがあったのを、ミロンガ来場者にプレゼントすることを思いついたのだけど、あるのは35枚。人を選んで、というわけにもいかないので受付でくじ引きをしてもらうことにした。くじ引き係りはTLFなおこさんのお子さん二人。何人来るかわからない中ではずれくじを幾つ入れるか悩んだ挙句、確率2分の1に設定。全員への参加賞としてチョコレートの小箱80個用意。最終的には入場者は86名だったそうだから、全員にはチョコは渡らなかった模様。ごめんなさい。でも、確率2分の1とは知らないみなさん、当たりですごく喜んでくださってこちらも嬉しかった。

夫のもう一組のダンスの師匠、Eugene y Alisaにも実は出演依頼をかけていた。生憎他のイベントの先約がありNGとのことで、アシスタント時代をよく知っているMarcy & Magiに代役をお願いしようかとも思ったのだけど、いや、彼らには他の仕事があればそっちを優先して欲しいから声をかけないでおこう、だいいち、TLFだけだって雪を降らせそうなのに、Marcyさんを呼んだら荒天確定してしまう、と思って声はかけずにおいたのだ。でも、親の心子知らず(?)スケジュールをあけてやってきてくれた。去年、Marcy&MagiのところでTLFがライブミロンガをしたとき、誰も踊りださなくてMarcyさんと私がデモ状態になってしまったことがあった。今回は守さんの歌がはじまったところでMarcyさんが目配せしてきたので、意図的にデモ状態を再現。あー、面白かった~。

なので、彼らも招待して太田なわのれんで打ち上げ。
 




予想以上に大勢の方が来てくれたミロンガ。
半分以上の人はおそらく夫のことは知らなかったと思う。
いつも来ているところだから、ファンダンゴスが来るから、ケンリリさんが踊るから、いろんな理由で来てくれた人たちが、みんなとてもいい顔をして踊っていた。
早い時間から来ていた常連さんとおぼしき人たちからしてすごくいい表情で踊っていたから、これまでここでとしゆきさんたちが積み上げてきたものが本当に大切にされているのだと思った。そこに後から来た人たちも溶け込んでいく。
それから、特別な企画であることを通して、タンゴを介してこれだけの人たちが直接間接につながり合って奇跡のようにいま、ここに一緒にいる、と感じることで、今目の前にいるこの人との時間を大事にしよう、とみんなが感じていた気がする。
TLF+徹さんの音楽の力が、ノーギャラなのに本気でいい音作りを手伝ってくれたえじーさんによってさらに増幅され、場を作っていったのだと思う。

私はもともと、自分が楽しみたいという欲求よりは、他の人の役に立ちたいという思いのほうが大事で、ひとりになってからは余計に自分ひとり楽しいからってそれが何?と感じることが多く、そんな思いをもてあます日が続いていた。このミロンガで、みんなが楽しんでいるのを見て、口々によいミロンガだった、楽しかったと言って帰っていくのを聞いて、本当に嬉しく、ああ、私はやっぱりそういう人間なんだなあ、と改めて思ったのだった。


以下はあれこれ頂き物。



2019年1月22日火曜日

名曲コンサート


去年、6年半ぶりに復帰した職場のオーケストラのコンサートが1月20日にあった。

8月に譜面をもらったときは、およそ弾ける気がしなかったものが、
まがりなりにもみんなと一緒に弾くことができたのだから、
練習は裏切らない、とつくづく思う。

このごろライブやコンサートを聴きに行く機会もまた戻ってきたけれど、
やっぱり自分でやるほうが、うまい下手は別にして面白いと思う。
それはみんなが「いま、ここ」に集中することとそれが生み出す音の魅力。
復帰してよかったと思う。

夫の療養中オケは休んでいたけど、ヴァイオリンをやめてしまうと弾けなくなるので、
細々と個人レッスンは続けていた。
それでも、一日に弾く時間は30分くらいのもので、全く弾かない日もあったから、
秋からどんどん練習時間が増えて、オケの練習日も12月には半日から終日になる中で、
もともと首肩の硬い私の右肩~右腕の筋肉は、年明けにはパンパンで悲鳴を上げていた。
おかげで、肝心の直前の自習が満足にできず、それがちょっと残念だったから、
これからはもっとコンディションの整え方を考えなければいけないと思う。

それにしても、本番になると今まで一度も間違わなかったところで間違うのはなぜ?



2018年11月27日火曜日

11月

このところ、不調で寝込んでいた。
月末に大事な友人と会うので、流行のインフルエンザにかかってはいけないと、今まで受けたこともない予防接種をしたのが敗因ではなかったかと疑っている。

だって、その数日後から始まった症状の展開は、まさに昨冬A香港型に罹患したときとそっくりだったのだから。

数時間で収まったものの発熱したので、一応かかりつけ医には行ったものの、彼女は予防接種の影響とか、あるいは予防接種はしたもののインフルエンザにかかった可能性とかにはまったく頓着せず、通常の風邪薬を処方してくれた。だが、これがまったく効果なく症状は淡々と悪化し、結局一週間余り咳と微熱でほとんど外出もせず、うとうとごろごろと過ごしていた。

熱があると、横になればすぐ眠れてしまう。今はこうしてぐうたらしていても誰に迷惑をかけることもないし(仕事をキャンセルした迷惑は別として)世話をしてやらなければいけない同居人がいるわけでもなく、ほわほわぬくぬくと過ごしていた。

本当なら、まだ寒さがさほどではない今のうちの休みの時間を何回かかけて大掃除をすませておきたいところだったのだけど、結局それも師走に持ち越してしまいそうだ。今年は喪中だから年始の準備もさしてすることがあるわけではないから、それでもたぶん不都合はないのだ。「この1時間であれとそれとこれを片付けておかないと、次はひと月後まで手をつける暇がない」という生活をしていた頃との落差!

一昨日は咳も収まってきたので、前回お休みしてしまったオケの練習へ。
2ndVnはまさかの3人でオモテが私しかおらず、トップに座る羽目に。
指揮者が注意したいのをガマンしているのがわかる。音程悪くてごめんなさい。
ずっと避けていたメトロノーム練習がやっぱり必要と再認識したし、まあ、できないから練習するわけだからよいセッションではあったのだ。

昨日は雑司が谷エル・チョクロへ、トリオ・ロス・ファンダンゴスを聞きに。
彼らには異例の今年2回目のエル・チョクロ、そして初めてのTLFのみでの演奏。
今回の東京は3日目とあって、谷本さんのMCも3人の演奏も全速力で駆け抜ける。
駆け抜けるのだけど、タンゴのグルーブは崩さないところが彼らの技術の高さと研究の深さ。聞くたびにその安心感が増して、音楽に身を委ねることができる。同じ時代に同じところに居てくれて、ありがとう。なんたって、大阪弁のCafe Dominguezのレシタードが聞けたもんね!


2018年11月2日金曜日

秋も深まり

ふと気づけば、もう11月。

このひと月ほどの間には、ライブに4回行った。
9月30日の台風の夜にさくらホールでコロール・タンゴ。
なんでも音楽祭期間中の横濱エアジンには10月13日、14日と連日出かけ、
KaZzma&須藤信一郎のタンゴとギレーヌ、ジャン・セバスチャン、齋藤徹のインプロ。
そして10月27日には平田耕治&アリエル・サルディーバルをみなとみらいホールで。

こんな風に立て続けにライブに行ったのも久しぶり、というかあまりないことだったけれど、それぞれに印象深く、心地よい時間を過ごすことができた。

コロール・タンゴは、プグリエーセ直系でオルケスタYOKOHAMAとはいわば兄弟のような楽団。見ていると、第2バンドネオン奏者の弾き方、身体の使い方が夫とそっくり!同じ局を同じ編曲でやっていて同じパートを弾いているからと言えばそれまでだけど、実はバンドネオン奏者も一人ひとり身体の使い方は違う。なのに、この人は本当によく似ていて、なんだか可笑しいやら嬉しいやら。そして、そんなことを思っているのはこの会場に私しかいないだろうと思ったらますます可笑しくて、笑いを堪えるのが大変だった。
そのとき思い出したのだが、2005年にオルケスタYOKOHAMAがブエノス・アイレスのSala Puglieseという会場で演奏したとき、終わってから私が夫と話していると一人の年配の女性がやってきて、私がすこしスペイン語がわかるというと、是非夫に伝えて欲しいことがある、と言う。なかなか言いたいことがわからなくて苦労したのだけど、ようやくわかったのは、「最近のバンドネオン弾きはあなたのようにクラッシックな(昔からの古典的な)スタイルで弾いてくれない。きょうは、あなたの演奏を聞くことができて本当に嬉しかった」ということだった。コロールの2番の人も、同じ先生から同じように習ったのかもしれないなあ、と思いつつも、台風で電車が止まる前に帰らなければいけなかったので楽屋に訪ねることができなかったのが心残り。前回来日時には東京公演のさなか、東日本大震災が起きて公演はキャンセルされてしまい、今度は台風と自然災害にたたられるコロールだけど、いつかまた来て欲しい人たちだ。

KaZzmaと須藤信一郎はそれぞれに別の形で聞いていて、Duoは初めてだったけれど、これからの可能性が楽しみな演奏だった。他では聞けないような曲目にも意欲的に取り組んでいるし、次の機会が待ち遠しい。

徹さんは、がん(ご本人はキャンと呼ぶ)と付き合いながら演奏活動を続けている。なかなか聞きに来られなくてやっとこの日のインプロを聞いたのだけど、ひさしぶりのインプロということもあり、また徹さんの状況ということもあり、毎回のライブは一つ一つ特別なのだ、という、当たり前だけどつい忘れてしまいがちなことを強く感じる、印象深いライブだった。3人からあふれ出るポジティブな気がとてもありがたかった。

平田君とアリエルは最初はカンバタンゴでツアーをしていたけれど、このところはDuoで回っている。夫が病気になってからは、ツアーの合間を縫ってうちに来て演奏してくれていた。みなとみらい小ホールにはアルゼンチン大使、公使もみえていた。一緒にやってもう10年になるという二人の息はぴったりで、ここからまた遊び始めるとどんなに面白くなるだろうとこちらも楽しみな演奏だった。
11月4日横浜パラダイス・カフェが今回のツアーの千秋楽なので、お時間のある方は是非足を運んで欲しい。


ライブに行くことが続いたのは、聞きたいものが続いたこともあるけれど、主体的に何かするための気力がない中で、聞くことは受身でもなんとかなるので行くことができた、というところがある。タンゴを踊るとか、さらにフォルクローレなんかは自分で動かなければいけないから、かなりエネルギーが必要で、このところは足遠くなってしまっている。

それでも11月1日は、マーシー&マギ主催のViva La Milongaがあと2回ということで、仕事も入れていなかったから顔を出すことにした。

午後新宿の美容院に行って夕方には終わるから、軽く食事をして大崎に向かう、
というシンプルな移動だったのに、ちょっとハプニングが。
美容院が早めに終わったので、食事場所を探しがてら新宿タカシマヤをぶらぶらしていたら、ヨガウエアが目に留まった。ここで買い物するとどっかに忘れるだろうなあ、と思ったのだけど、期間限定ショップだったので買うことに。


上階のちょっとよさそうなお蕎麦屋さんに入ってゆっくりしようと思ったら、案外そばが早く出てきてしまったので、少し早めだったけど、どこかで差し入れを買って大崎に向かうことに。湘南新宿ラインが来ればそれに乗ろうと思ったのだけど、10分以上待つ感じだったので山手線に乗り、そうだ、大崎にはあまり店がないから手前で降りて行こう、と思い立ち、目黒で下車。駅ビルのお店をチェックして差し入れを買ってから、さあ行こう、と表に出て歩き出すと様子が違う。あれ?なぜ?

あーーーー!大崎の手前は目黒じゃなくて五反田じゃん!

何やってるんだ、自分。もっと早く気がつけ、自分。
慌ててまた電車に乗り、ばたばたと五反田から小走りに会場へ向かう。
レッスンは始まっていたけど、なんとか準備体操のうちに滑り込むことができた。
とても充実した、大切なことを教えてくれるレッスンで、がんばって来てよかったし、
その後のミロンガもみんなとても大切に踊っていて、予想以上に楽しく過ごすことができた。

よい気分で帰途につき、終バスで座れてほっとして携帯を見ると、マーシーさんからメッセージが来ていた。

「高島屋の袋をお忘れではありませんか?」

あちゃーー、やっぱり忘れた。。。
やり取りの末、来週取りに行きますと言ったのに、ベッドに入ってふと気づいた。
来週は仕事で行かれないから、きょう行ったんじゃん!
なんかダメダメな日だなあ、と思って寝てみた夢は、
何回やってもでんぐり返しができない
というもの。なんなんだ。。。。

いや、無意識にどこか心が落ち着いていない理由はきっとこれだ。

明日、11月3日、教会の墓前礼拝の中で夫の納骨をする。
骨は骨でしかないけど、やっぱりそこにあるものがなくなることに落ち着かなさを感じてしまうのかもしれない。


2018年8月25日土曜日

メンターオ ライブ

残暑厳しい土曜日の午後、銀座SOLAでメンターオ五重奏団がタンゴ黄金期の音楽をテーマにライブをするというので聞きに行ってきた。

 

メンターオは、夫と共にオルケスタYOKOHAMAに参加していたバンドネオンの池田達則くんとヴァイオリンの専光秀紀くんが、コントラバスの大熊慧くんと共にブエノス・アイレすに修行に行った時に向こうでもらってきた名前で、そこにピアノの松永裕平さんとヴァイオリンの宮越建政さん(「くん」づけと「さん」づけに深い意味はありません)が加わってキンテートとなっている。

オルケスタYOKOHAMAはいま活動休止になっているのだけど、主宰の齋藤一臣氏がOsvaldo Pugliese に心酔し、交流もあったことから、プグリエーセスタイルを基本にしてきた楽団。

私が初めてタンゴの生演奏を聞いたのはオルケスタYOKOHAMA(その頃はまだ、以前の渾名のシエテ・デ・オロを短くして、シエテYOKOHAMAと呼ばれていた)だったし、夫がダンスもやろうと言い出すまでは、耳から聞くのも楽団のレパートリーやプグリエーセの録音が主だったので、私の中のタンゴのベースはプグリエーセだ。
それが、ダンスからタンゴに入った人とも、戦後のタンゴ・ブームからのタンゴファンとも、90年代後半のピアソラブームからタンゴに触れた人とも、ちょっと違っている、ということに気づいたのは、ずっと後になってのことだ。

ピアソラブームを経て、いま日本でタンゴを演奏する新しい世代が随分育ってきて、ライブやホールでのコンサート、他の分野とのコラボ、ライブ・ミロンガと、彼らの演奏を耳にする機会も増えた。中には耳コピして古典と言われるタンゴを書き起して演奏する人もあるし、自分なりの新しい編曲にチャレンジする人も多い。しかしいかんせん、黄金期のオルケスタというのは10人からの編成で演奏するものだから、それをトリオやカルテット、キンテートでやろうとすると、どこか違うものになりがちなのも事実。それを認めないとか偉そうなことを言うつもりはないが、私が好きなのはやっぱり馴染んだスタイルの演奏になってしまう。

メンターオは、そのプグリエーセが大好きなメンバーが、ガチで王道の演奏をしようと志してやっている。前回聞いたのは、もう2年くらい前のことだと思う。きっとますます腕を上げただろうと期待して今日を迎えた。そして、その期待に応えて余りある演奏を届けてくれた。

しょっぱなのRecuerdo。2005年にオルケスタYOKOHAMAでブエノスに行き、Casa del Tangoでこの曲を演奏し、プグリエーセ夫人のリディアさんが涙していた様子が眼前に蘇ってきた。そう、この音だ。プグリエーセからシエテへ、そしていまメンターオへ、ちゃんと受け継がれている。それがはっきりわかったから、もうずっと安心して聞いていられる。メンバーも以前聞いた時よりずっと自信を深めて胸を張って演奏しているように見えた。「もしプグリエーセがリベルタンゴをアレンジしたら」という意欲的な編曲もあったりして楽しめた。(個人的には、プグリエーセ・ヴァージョンの「夏」も好きだ。)

一部の最後、A Los Viejos では、バンドネオンに夫の音が重なって聞こえた。息遣いというか蛇腹の使い方やフレージングがきっと同じになっていたのだろうけれど、なんだかとても嬉しかった。一緒に弾いてる、ここに生きている、そう思ってよいのだろうか。

二部では、よそではほとんど聞く機会はないだろうけれど、私にすれば定番の Bordoneo y 900 とか Seguime si podes とか A Evaristo Carriego が聞けて嬉しかった。特にA Evaristo Carriegoは、「タンゴこの一曲」を私が挙げるとしたら選ぶくらい好きな曲だ。

アンコールはプグリエーセの代名詞、La Yumba と La Mariposa とこれまたよい選曲だった。

ティピカ編成の楽曲を小編成に作り替えて見劣りしないように演るのはなかなか難しいことと想像できる。そこをどううまくもっていくか、それはタンゴの本質部分をきちんと学んでいるかどうかで決まると思う。バンドネオン1本で900みたいな曲をやるのは特に大変だろうと思うけれど、池田くんはもちろん、メンターオとしてよく考えて、また技術を磨きとても密度の濃い、優れた演奏をしてくれた。

夫が病気になって楽団を抜けてからは、実はほとんどオルケスタYOKOHAMAの演奏は聞いていなかった。どうしても夫の不在に目が行ってしまい、辛かったのだ。そうこうしているうちに、楽団は休止になったけれど、メンターオのライブに行けば、こういう演奏がまた聞けるのは本当に嬉しいことだ。そしてそこには夫の音も確かにつながって息づいていることに、心から感謝したい。ありがとう、メンターオ。

2018年7月17日火曜日

気が付けば夏休み w/TLF 2

(1からつづく)

海の日の16日は、銀座スタジオ・タンゲーラへ。
主宰のGYUさんには、前身のCuban Cafe でのミロンガの頃から、夫がお世話になっていた。「月曜日はGYUさんち」にずっと通っていた。TLFをGYUさんに紹介したのが夫だったことから、今回のミロンガで先日GYUさんに差し上げた夫の帽子とネクタイをディスプレイして、追悼したいと言ってお招き頂いたので、いそいそ出かけた。

TLFは別な場所でひと仕事してから19時半過ぎに到着。エレピの電源が繋がってない(!)とかマイクの音が出ない(!)とかバタバタしながらもライブミロンガスタート。ほどなく、これまた別の会場の仕事を終えたケンジ&リリアナのお二人も到着。20時半には仙台での仕事を終えたGYUさんが帰ってきて役者が揃い、デモへ。TLFとケンリリさんは、九州での「タンゴの節句ツアー」をいっしょにやっているけれど、東京でそれを見る機会がないので、GYUさんがお二人を呼んだのだそうで。LOCAと悪魔のロマンスで、ケンリリさんならではの足技炸裂。なんか、歳を重ねてますますキレがよくなるって、なんなんだろう。。。我が師匠、すごい。。。

  

そしてGYUさんが、もうひとりきょう紹介したい人がいます、と夫のことを話してくださる。
 
が、話す前から、もううるうるして声を詰まらせている。

そう、そうなんだよね、ちょっと思い出すと涙涙になってしまうんだよね。それで泣き崩れてしまう日々を、私もずっと送ってきたからわかる。そこからどうやって抜け出せるのか、いや抜け出すことがあるのか、と思ったけど、あるときラジオから流れてきた言葉、「忘れない、でも、思い出さない、くらいがちょうどいいんじゃない?」
そっか、そうなのか。それでいいのか、とこの作戦を採用したのは、ほんの少し前のこと。それが奏功したのか、ここ数日来のTLF効果か、泣いているGYUさんの横で、私は笑顔だった。

GYUさんのあとに、私も少し喋らせてもらった。夫が繋いだGYUさんとTLF、そのTLFと私たちを繋いだのはベーシストの齋藤徹さんで、その前に徹さんをタンゴの世界に呼んできたのは夫で、TLFと徹さんのライブでケンリリさんが踊るのを見て、私はケンリリさんの弟子にしてもらって・・・と、なんだか繋がりが広がってるんだか、堂々巡りしてるんだか。とまれ、またこの場所で新たなつながりも生まれ、心温まる夜だった。

17日火曜日、TLFのツアーはもう1日続くけど、私にとっての千秋楽はこの日のEl Chocloでのライブ。ミロンガでない、聞かせるためのライブは今回はここだけ。しかも、徹さんと歌手KaZzmaも一緒とあって、踊らない人踊る人で超満員。開場前に並んで最前列をゲット。
が、近すぎて、メンバーがカメラに収まらない。。。
 


プログラムは手馴れたレパートリーに新曲を散りばめ、KaZzmaの歌もふんだんに。El Chocloの魅力は、PAを使わず生音でTLFが楽しめる、ということだ。音は空気の振動だから、それを生で感じられるほど奏者と、奏者の心と、近くなる気がする。

そして2部。徹さんが加わる。大病から復帰して、副作用で身体が思うように使えない中で、それを受け入れてライブをなさっているのは知っていたけれど、私の方の気力がなくて今日まで聞きに行けずにいた。はじめの音が響いたとたん、わあ、徹さんの音だ!と胸がいっぱいになった。しっかり支え、踊るベースが入って、ケイトさんのピアノが遊び始めて、トリオの時とはまた違った楽しさに。そこにいるみんなの鼓動がひとつになって、ひとりひとりの思いや悩みや喜びや悲しみが、音と一緒に渦巻いていく、そんな一曲、一曲。これがタンゴなんだなあ。

うさこにはもう一日TLFに帯同してもらうことにして、家路に。

 


ライブで聴いた曲が絶え間なく脳内再生し、なんとなく口元に笑みが浮かぶ。(ちょっとアヤシイ人?)ミロンガで友達になったばかりの人とランチの約束をしている。週末のミロンガの予約を入れている。

自分にとって一番大事なもの、自分の半身を失って、もうこの世に何の未練もない、できるならばったり倒れて風化してしまいたい、と思うときもあったし、やりたいことなんか何にもない、一体生きているってなんなんだろう、と思いながら、誰も傷つけずに淡々とその日その日をやり過ごしていければそれで十分と思っていた日々が、ちょっと遠くなった。立ち直った、とか、落ち着いた、とか、元気になった、とかいうのとは違う、うまく言葉にならないけど、TLFの、タンゴの魔法のおかげで、自分の中に化学変化が起きたような一週間だった。

仕事を休んだのは一日だけだったから、「休みを取った」つもりはなかったんだけど、こんな風に連日夜遊びしていたのは何年ぶりだろう。この感じは、そう、夏休みだ!と気づいたのは、宴のあと。

(おしまい)



2018年7月15日日曜日

気が付けば夏休み w/TLF 1

福岡からTrio Los Fandangosが東京ツアーにやってきた。
今回は連休がかかるので、レギュラーで入っている仕事は1日お休み貰えば、けっこう聞きにいけそう、ということでふた月も前からせっせと予約を入れ、ミロンガ3回、ライブ1回参加するつもりで楽しみにしていた。

ただ、ミロンガに行くことには不安もあった。
そもそも、私がタンゴを踊るようになったのは夫と一緒だったからで、ふたりで出かけていた場所には一人では行く気になれず、夫が療養生活に入ってからたまに出かけるのも以前からひとりで行っていたところだったし、夫が亡くなってからはさっぱり行く気がしなくなっていたのだ。それでも、タンゴを通じて知り合った大切な友人たちとは会いたいので、4月に行ってみたのだけど、そこにいない人の姿を探してしまい、外に出た途端涙が溢れてきて、だめだこりゃ、と思ったのだった。


TLFの最初のミロンガは12日木曜日、マーシー&マギのVIVA LA MILONGA。ここは一人でしか行ったことがないし、去年TLFが来たときはちょうど私の誕生日でみんながお祝いしてくれたこともあり、行かずばなるまい。
 

夫の代わりのうさこを谷本さんに託す。

久しぶりのTLFは、やっぱり始めから「さあ、踊れ」とばかりに盛り上げてくる。
さっそくマーシーさんが誘ってくれてフロアに出たものの、あれ、ほかの人踊ってない?
3ヶ月ぶりでオタオタしてるのに、見ないで、みんな。。。
などという思いは、マーシーさんの素敵なリードで踊りに入ってしまえばもうどうでもよく、楽しく1タンダ踊る。きょうはもう、あとは聞くだけで十分。(と言いつつ踊ったけど)
2ステージかと思っていたら、1ステージ通し。その中程でマーシー&マギがデモ。
さっきまで笑いを取っていたマーシーさんがマギさんとともにしっとりとオブリビオンを踊る。彼らを見るのは4月末のステージ以来だったけど、このふたりは、タンゴのキモというか、タンゴをタンゴたらしめる「それ」をちゃんと持ったダンサーになったなあ、と嬉しかった。ブエノスに長期滞在修行しても、テクニックだけ持って帰ってきて、肝心なそこのところを身につけてないダンサーもいままで見てきたので、マーシー&マギの真剣な積み重ねが素晴らしいと思えるダンスだった。

「いつも全力」がモットーのふたり。今の自分全部で音楽と相手と溶け合って作るダンス。見ているうちに、自分の心が閉じていたことに改めて気づく。おざなりの言葉のやりとりでその場をやり過ごすのがいやで、もう隠遁生活に入ってしまおうかとすら思っていたし、「楽しい時間を過ごす」ということにも「それがなに?」という反応をしてしまうくらい、内向きだったけど、マーシー&マギを見ていたら、「彼らがいれば私もタンゴを続けられるかも」という気がした。ふっと風のように心をよぎったこの思いをちょっと捕まえておくことにして、家路についた。
(家に帰って見せる人がいないと写真を撮る気も薄れ、この日の写真はなし。)

翌13日の金曜日(縁起がいいのか悪いのか)、TLFの3人が我が家に来てくれた。
夫のために演奏する日として取っておいてくれた一日を、我が家でのんびり過ごすことに。仲間のFさんとPちゃんもワインやローストビーフやチーズなど持参で集まって、食べたり飲んだり。夜はどこかに出かけるので早めに来て夕方には出るという話だったけど、ビールとスパークリングと伊佐美とシャブリのおかげか、なおこさんも谷本さんもうつらうつら。。。私たちが結婚披露宴でオブリビオンを弾いたビデオや、その後行ったブエノスアイレス旅行のビデオを流したりして、結局21時すぎまで。
取り立てて夫の思い出話をしたわけでもなく、流れのままにゆるゆるとおしゃべりの時間を過ごしただけなのに、なんだか心も身体もほぐれていくようなひととき。
(そして、お客さんしてるというより家族で集まってるみたいで、家庭料理しか作らなかったこともあり、また写真を撮り忘れたのだった。)

14日土曜日は恵比寿のLa Bardosaへ。
Bardosaの主催者の棚田晃吉・典子両先生は、私が生徒でもないのにいつも良くしてくださる。この日もドアがあくと、ソファ席に誘導してくださったので落ち着いて過ごすことができた。
 

この日もファンダンゴスは始めからノリノリ。フロアいっぱいにみんな楽しそうに踊る。
きょうは先生方もデモはせず、みんなと踊っている。私も晃吉先生とミロンガを。とても洒落たリズムの取り方で、自分では見えない世界が開ける感じで楽しかった。
Bardosaで「タンゴうたクラス」を持っている歌手の西澤守さんも聞きに見えていて、かつて夫も歌を習っていたこともあり、いろいろおしゃべりして楽しかった。守さんは、みんなから勧められながらなかなかダンスを始めようとしない。靴のサイズを聞いたら夫の靴がイケそうだったので一足差し上げることに。ちゃんとレッスン始めるかなあ。

スタジオの隅の方で、なにやらステップを確認していた谷本さんが、タンダの最終曲で満を持して(?)誘いに来る。なるほど、気のおけない相手でウォームアップですね、はいはい。谷本さんも忙しいのに練習はしているようで、また上達していた。音楽をわかっている人だと確信が持てる相手と踊るのはこちらもとても気が楽なので、楽しい。ミロンガでは反則なのだけど、ひとつだけ注意点を告げてしまった。このあと楽しく踊ってもらうために。
土曜日なので平日より時間の早い終バスに乗れるタイミングで失礼する。室内が熱気でムンムンしていたので、外は少しは風があって涼しいかと思いきや、22時回っているのに外の方がもっと暑くてびっくり。都心はやっぱり暑い。
帰りがけ、典子先生が花束を下さる。ありがとうございます。

 

(つづく)

2018年5月3日木曜日

La Folle Journée TOKYO 2018

(日本語は下にあります)
La Folle Journée TOKYO in an annual music event in which various short (45min.) concerts take place in multiple halls all day for 3 days so people can pick and enjoy different types of music in a single day.  I managed to hear one concert by Richard Galliano last year.  This year, with more free time at hand, I decided to spend a holiday there, and bought 3 tickets in advance:  violin and piano, i  Musici, and Richard Galliano.  There was a 3-hour interval after i Musici and I was going to take a break, visiting some free events.  But having heard violin and i Musici, I felt like hearing some wind instruments, so bought a ticket for Royal Northern Sinfonia (Lars Vogt conducting) to hear Haydn and Prokofiev symphonies. Galliano was giving an autograph session after his concert, so I bought his CD and lined up to get one on it.   Pity I can't show it to my husband any more. 
All the concerts were very good: professional and  beautiful.   I was reminded of the importance of practice.  On the train to come home, I was reading a novel about Mary Cassatt and Edgar Degas, and came across a section in which Degas was saying his paintings don't come spontaneously but they are results of hard work.  How appropriate it is to read this section today!
(photos in the Japanese section)

去年はリシャール・ガリアーノのコンサート一つ聞くので精一杯だった、ラ・フォルジュルネ。今年は時間があるので、三つコンサートのチケットを買っておいた。
ふた月も前にチケット買ったので、ガリアーノは覚えていたけど、あと2枚、何を買ったのかすっかり忘れている始末。買った頃はまだ、頭がぼーっとしていたしね。



ひとつ目はヴァイオリンとピアノ、プロコフィエフとラベルのソナタ。
アレクサンドラ・コヌノヴァ、マタン・ポラト、どちらも初めて聞いたけど、曲の理解の深さを感じさせるよい演奏だった。
ふたつ目はイ・ムジチ。以前聞いたのはもう10年くらい前か。だいぶメンバーも変わって、でも音色と息の合い方はやはり素晴らしい。アンコール2曲目で「夏」を疾走。イ・ムジチと言えば四季だから、だからこそその度に圧倒的でなければならず、そのプレッシャーを楽しむかのような演奏が身体に染みとおってきて満足だった。
 

ここで3時間のインターバルを入れて、無料コンサートや売店を冷やかすつもりだったのだけど、弦を聞いてなんだか管も聞きたくなったので、時間が合ってチケットがまだあれば、と売場に行ってみると、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアのコンサートがまだあったので列に並ぶ。開演時間が迫ってきてちょっと心配したけれど、このチケットだけ買う人は?と係りの人が前に呼んでくれたので、無事買うことができた。
このオーケストラのことは知らなかったけれど、ゲイツヘッドを拠点とするイギリス唯一の常設の室内オーケストラだそう。ハイドンとそれに倣ってプロコフィエフが書いた交響曲のプログラムだったのだが、ハイドンが鳴り始めたとき、行ったこともないイギリスに郷愁を感じさせる温もりのある音色だった。

ガリアーノのコンサートが始まった途端、ひとつしまったと思ったことがあった。
アコーディオン一本で広い会場なのでPAが入る、ということをすっかり忘れ、スピーカーに近いところに席を取ってしまっていたのだ。(尤も売り切れ間近だったから、そうそう選択肢があったわけでもないのだが。)ほかのコンサートが基本生音なので、失念していたので。出だし、けっこう音量上がっていたのでまいったなあ、と思ったのだけど、その後調節したのと、私としては聞こえのよくない右耳側にスピーカーだったので、じき気にならなくなった。曲目は自作にドビュッシーやルグラン、グラナドスなど。余裕があって隙がない、円熟の演奏だった。終演後、サイン会にも参加。購入したCDにサインをもらって握手もしてもらった。このひとはたぶん英語もスペイン語もイケるんだろうけど、ステージでアンコール紹介のときフランス語だったので、サインをしてもらうときに ”ici, s'il vous plait." と言ったら、”Vous parlez français." と返され、うっかり "Sí, un poco." と答えそうになり、二拍遅れてやっとのことで "seulement un peu." と言ったのだった。(^_^;)



それにしても、どの演奏者もこの裏には膨大な練習があるのだろうなあという弾きぶりで、やっぱり練習は大事だよなあ、と反省しつつ帰路の電車内で開いた本(といってもKindleだけど)で、ちょうどDegasがMary Cassattに、自分の作品は何もせず降ってきたりするものではなく、努力の賜物だと語っている箇所だったのは、あまりにもタイムリーで苦笑してしまった。

2018年4月15日日曜日

NHK Symphony rehearsal~Buhrle Collection オーケストラ~美術展~花展

Yesterday (April 14th), I had a chance to hear NHK Symphony Orchestra's rehearsal with Herbert Blomstedt conducting Berwald's Symphony No.3 and Berlioz's Symphonie fantastique.  It's been so long that I can't remember when was the last time I heard live orchestra, so I was very much looking forward to this opportunity.  Blomstedt, NHK's honorary conductor laureate, betrayed his age of 90 in presenting the two pieces under the influence of Beethoven.  Powerful yet sensitive. NHK Symphony's string section has always enjoyed high reputation, and they sounded even much better than what I remembered, especially with Berwald.

In the afternoon, I went to the National Art Center in Roppongi to see an exhibition of Buhrle Collection.  The collection is going to be transferred to the Zurich Museum of Art, so this is said to be the last opportunity for so many pieces of the collection to be shown together.  It was cetainly full of masterpieces, and worthy of a visit, but I was a bit disappointed to learn that Buhrle built his wealth to collect these paintings by making weapons. 

On my way home, I stopped by at a flower exhibition where my sister had her piece presented.  I hadn't told her that I was coming, because I wasn't sure of the time.  Fortunately, I ran into her just before she was leaving.  I never learned flower arrangement myself, and still cannot tell what's good as I look at various arrangements.  I liked my sister's piece anyway, and I guess that's what it counts.

昨日は職場のオケの関係でN響の公開リハーサルを聞くことができた。
生オケを聞くのはいつ以来か思い出せなかったのだが、たぶん夫がALSと診断された直後の放送記念日式典のN響記念演奏の「未完成」だったか。(あの時は夫も私たちの前座を聞きに来てくれたっけ。)

名誉桂冠指揮者ブロムシュテットがベルワルドの「風変わりな交響曲」とベルリオーズの「幻想交響曲」を振ったのだが、ブロムシュテットは90歳とは思えないエネルギッシュかつ繊細な指揮ぶりで、N響も定評のある弦がさらに充実していて、ユニゾンの揃いぶりがものすごく、いいものを聞かせてもらった。

そのあと六本木に出て国立新美術館でビュールレ・コレクションを見た。
今後コレクション全てがチューリッヒ美術館の管理下になるため、全体像を見られる機会はこれが最後になるだろうとのことで、会期末で混み合う前に行っておくことにした。確かに傑作ぞろいだし、印象派が生まれる以前からその後マチス、ピカソへの流れがわかるコレクションで楽しめたのだが、中盤に用意されたビデオでビュールレがその富を武器製造によって築いたというのを聞いて、ちょっと興ざめだった。なんだかな。。。

横浜に戻り、地元百貨店で開かれている小原流の花展に妹が出品しているので立ち寄ってみた。 何時に行けるかわからなかったので妹にも連絡はしていなかったのだけど、ちょうどあと少しで帰るところだったという妹にも会えて、作品の解説もしてもらった。妹は名前ももらってるくらいお稽古してるけど、私は華道はやったことがなく、こういうものを見てもなにがいいのか正直よくわからない。妹の作品はいいと思ったし、まあそれでいいんじゃないか。



 
 

 

2017年9月8日金曜日

対話

dialogue 「対話」と訳されるこの言葉は、元をたどると「横切って」+「話す」というところから、主に二人あるいは二つの集団の間でやりとりする、という意味に使われるようになった言葉だ。

これに「一人で」を意味する solo を付けて、"Solo Dialogues"と銘打ったライブを続けているのが、タンゴのTrio Los Fandangosでヴァイオリンを弾いいている谷本仰だ。今の時代、対話が失われているのではないか、という思いから始まったライブは、演奏家だけでなく演技者やダンサーなどいろいろな人との対話とともに、谷本仰自身の中での対話やその「場」との対話の表現として続けられてきたものと聞いている。

Solo と Dialogue とは矛盾するように聞こえるが、そもそも谷本さんはタンゴだけでなくロックやジャズや即興や劇音や教会音楽や、いろんなところでヴァイオリンを弾いているし、歌うたいでもあるし、牧師だし、ホームレス支援活動者だし、音楽療法士だし、5人の子の父親だし、他にもあれやこれやいろいろ、それらの「対話」が音になったらと思うと、仕事の自分とそうでない自分くらいしかない我が身に比べたらどんなに多彩かとわくわくするではないか。

以前出た1枚目のCDを聞いたとき、多重録音ではなくライブ同様に演奏したものを録音したのだと聞いて、いったいどうやったらこんなふうにできるのか、一度見てみたいと思っていた。このたび出来たての2枚目のCDをひっさげて、関東での"Solo Dialogues"ツアーをするというので、横濱エアジンでのライブに行ってきた。
   

用意されたしかけはこんな感じ。
  
これらを素足で器用に操作して、先に弾いた音を残したり繰り返したり、効果音を被せたりしながら、エレクトリックとアコースティックのVnを持ち替えながら、ときには「今一番お気に入りの楽器=泡立て器(!)」を奏でての即興演奏。一人なのに、ヴァイオリン(泡立て器)一本なのに、分厚い音の渦。
音の面白さは確かにあったけれど、それ以上にやはり、そこに投げ出された谷本仰という存在が温かく、愛おしく、会えてよかった、神様ありがとう、という思いが満ちてくる時間だった。

即興以外にもAmazing Grace や演劇のために作られた自作曲など、私は家庭の事情で前半しか聞けなかったけど、秋の初めの夜にふさわしいライブだった。

対話といえば・・・
NHKの夏休み編成の中で、健常者と障害者がガチで対話するという番組があった。NHKはEテレでバリバラ=バリアフリーバラエティという番組をやっていて、この番組は某民放の24時間ナンタラの裏を出演した障害者自らが告発したことでちょっと話題になったりもしたのだが、今回の番組は総合テレビの方でバリバラのレギュラーの人も入って、健常者がこんなところで障害者のことを勘違いしているよ、と対話を通じて気づくような企画だった。


ゲストのタレントたちが、普段は障害者に聞きにくい、聞いては失礼だろうか、と思っているような質問をして、それに対して障害者の人たちがストレートに答え、やりとりしていくのがとても興味深かった。
その中で浮き彫りになったことの一つが、多くの健常者が障害をネガティブにしか捉えていない、ということだ。つまり、障害は不幸、あるのはよくない、と決めつけているのだ。そして、障害者は言うのだ、「障害は不便だけど、不幸じゃない。」


一番びっくりしたのは見えない人たちの以下のエピソードだ。
「見えなくても彼氏がイケメンとか関係ありますか?」
「もちろんですよ~ 彼氏がブサイクだったらやじゃないですか~」
「でも、わかるんですか?」
「わかりますよ、声で。」「わかるよね、ハゲとか」
!!
「ハゲがわかるんですか?」
「ええ。」「声が禿げてるもんね」「そうそう」
!!!
そして、ゲストの男性たちに一言ずつ発言してもらい、ハゲかどうか聞いてみると、彼女たちはことごとく正解したのだ!


見えない人たちは、私たちのようには見えていないけれど、見えている。
こういうことだって、対話してみれば、なあんだ、ってことなのに、話さないといつまでもミステリーで距離が縮まらず勘違いし合っていて、相手を思いやろうと思っても的外れになってしまったりするのだ。


対話といえば・・・
「対話と圧力」と言いながら、ICBMまで来てしまった某国との関係のこともあれこれ思うのだけれど、長くなるのでそれはまたの機会に。