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2020年2月11日火曜日

E&A Milonga Sp. Megumi's Memorial

夫が亡くなって2年が過ぎた。
仏教でいえば三回忌というやつだけど、私たちはクリスチャンなのでそういうのは、ない。とはいえ、この日に思いを寄せてくれる友人もあるし、私自身、去年同様ミロンガをやりたいなと思い、去年参加が叶わなかった夫のもう一組の師匠であるEugene & Alisaのお二人に話を持っていったら、二つ返事で受けてくださった。日曜夜のE&A Milongaをスペシャルバージョンにしての開催。福岡からTrio Los Fandangosを呼び、E&Aとそのアシスタント時代から親しくしてもらっているMarcy&Magi、そしてKenji&Liliana師匠にデモをお願いした。

TLFのライブ・タイムは、タンゴ3、ワルツ1、ミロンガ1の5タンダ=五反田!
また一段階ヴァージョンアップした、みっちり音の詰まった演奏にみんなノリノリで、オートラ2曲。来るたびにいい曲をどんどんレパートリーに取り入れて、DJ泣かせのTLFだけど、前後のDJタイムもさすがEugeneさん、見事な仕切りだった。なおかつ踊ってたり動画撮ってたり、すごいな~。

後半のショータイム。始めに私からE&AやMarcyさん、そしてMCのセバスチャンには夫がずっとお世話になっていたこと、残念ながら昨年亡くなられた齋藤徹さんが私たちとTLFを繋ぎ、そこでケンリリさんとも出会ったこと、TLFやケンリリさんがブエノスに行くとき連れて行ってもらっているうさこは病床の夫の身代わりであったこと、などをお話しした。うさこ、こないだケンリリさんとブエノス行ったばかりだけど、また行きたいというのでTLFと今年一緒に行けるようにTLFのCDが売れて旅費が稼げるといいなあ。
  



デモはMarcy&MagiがRecuerdo、E&AがEl Dia Que Me Quieras、そしてケンリリさんがQue Falta Que Me Haces(別名「おらーん」笑)と、まあよく考えて下さっていてそれだけで胸が詰まる。そして3組ロンダの中に私もとしゆき先生と混ぜて頂いてDon Juanを。これは私たちとTLFの出会いの曲だったのでここに持ってきたのだけど、しんみりしたところにこれぞTLFらしい演奏のこの曲を持ってきたのは正解だったと思う。最後はセバスチャンのパーカッションを加えたAzabacheを3組で。
長めのショータイムになったけれど、みんな楽しんでくれたようで、最後にEugeneさんがオルケスタYOKOHAMAのLa Cumparsitaをかけるまで、フロアは賑わっていた。

  

以前他のレッスンで顔を合わせたものの自己紹介に至っていなかった方が「きょうはありがとう」と言いに来てくださったり、テーブルに置いた夫の写真に挨拶しに来て下さる方があったり、温かい雰囲気の中でミロンガができてほっとした。
夫が亡くなってからひとりでミロンガに行くと、「不在」がむしろ強く感じられる(「おらーん」)ことが多かったのだけど、この日はフロアのどこかで誰かと踊っている気がして、私も穏やかな心持で過ごすことができた。徹さんも、TLFと一緒に弾いていた気がした。

タンゴがなければ出会わなかったかもしれない人たちが、タンゴのおかげで奇跡的に一堂に会するミロンガ。誰と何曲踊ったとか、DJがどうだったとか言う前に、その出会いとつながりを喜ぶ機会であって欲しいと思うし、このミロンガがそんな一つであればよかったと思う。

この日のことを書いたケンジさんのブログはこちら

2019年7月10日水曜日

谷本仰 2days

Trio Los Fandangos のヴァイオリニスト、谷本さんがソロの関東ツアーに来ている。
ソロと言っても、ソロの日もあれば他のミュージシャンやダンサーとの共演もあり、すべてプログラムが違う8日間8ステージ。

横浜では10日にエアジンであるので、その前にうちで昼ご飯を食べてもらって、夜はライブに行こう、と予定していたのだが、前項「徹さんとすごす会」の時に、9日に同じ会場の「いずるば」で行われるライブのチラシをもらい、その谷本さんの文章が素敵だったのと、「いずるば」がとても心地よい空間でもう少しここで過ごしたいと感じたこと、そして、予定が空いているのだったらやはり来るべき、「また」「いつか」「今度」は”ない”のだから、と思い、9日も足を運ぶことにし、思いがけず2日連続のライブとなった。

9日「いずるば」共演はダンサー岩下徹さん。この日の谷本さんはすべて生音のみの演奏。セッティングはこんな感じ。
泡だて器やボウル、鶏の人形、果てはシャボン玉まで。いや、確かに生音ですけど。

なんとなく勝手に休憩挟んで2本かな、と思っていて、途中でこれは50分1本勝負だ、と気づき慌てて写真を撮る。


岩下さんのダンスは本当に流れるようで停滞がない。身体を動かしているのではなく、その場の空気の一部になって動いている感じ。「気」が身体をめぐっていて、滞りがない、こんな人っているかしらと思う感じだった。
谷本さんの音と反応しながら、二人が動かす場の空気と観衆の生み出す揺らぎすらも取り込んでデュオが「奏でられて」いく。そんな感じ。
普段私たちが「楽器」とは認識していない様々なものから音が生まれていく。
「いずるば」という場所がそうさせるのか、確かにそこに居た徹さんの魂がそうさせたのか、パフォーマンスの間、私の頭の中にはいのちについて、生きることについての様々な断想が飛び交っていた。日曜日に聞こえた、「胸を張って自分として生きる」こと、がだんだんと腑に落ちていく。

この日はタンゴを通じての知り合いや徹さんのお連れ合いもみえていて、リラックスして楽しめる1時間になった。



10日、昼過ぎに谷本さんをライブのための大荷物と共に横浜駅で迎え、わが家へ。
食事をしながら、去年夫が亡くなってからいろいろ思っていることを聞いてもらったり、谷本さんのツアーの話、TLFの話、教会の話など、お互いあちこち飛びながら楽しいひと時を過ごした。なかなか二人だけで話す機会もないので、こういう機会が与えられてありがたかった。私のヴァイオリンも弾いてもらった。ちっともうまくならないのはこいつが弾きにくいせいではないのか、と疑っていたのだけど、谷本さんが弾いたらいい音は出るし、「よく育ってますね。丁寧に弾いておられるのがわかります。バランスもいいし良い楽器だと思います」と言われてしまい、あー、やっぱり私の力不足なのね、と結論。ちえ。

夕方谷本さんをエアジンに送り、一度帰って動物病院に猫の薬を取りに行き、改めて夜ライブに出直す。今日の共演者はホッピー神山さん(音楽プロデューサー、キーボーディスト)。セッティングはこんな感じ。

  

二人とも様々な仕掛けを用意している。同じような機材もあるけれど、使い方はそれぞれで被らないところが面白い。ホッピーさんはエアジンのグランドピアノをエレピに変身させる仕掛けまで作っていて、22年前ブエノスアイレスのあるタンゲリア(タンゴを聞かせるレストラン)のピアノが恰好だけグランドピアノでエレピの鍵盤がはめ込んであってびっくりしたのを思い出した。けど、今日のはもっと高度な仕掛けなのだろうと想像する。

正直に言えば、私は電気的な仕掛け、しかも即興をちゃんと受け止めるのは苦手だ。何がなじむかと言えばアコースティックな調性音楽や自然の音だ。たぶんそれは、そういうものが一番身近だったことや、機材のつまみやスイッチをいじる行為と「演奏」とが脳内で別の引き出しにしまわれているらしいこと、そして「役に立つ」ことが大事と教えられて育ったこと、などのせいなのだろうと思う。だからと言って、こうした即興演奏は受け入れられない、ということはないし、「なんだか変わってて面白い」という以上に関心もある。

谷本さんとホッピーさんは、つい5日前に福岡で共演したばかりだったからかとても息が合っていて、それぞれ勝手に好きな音を出してるみたいなのにそれはちゃんとデュオになっていて、どういう仕掛けをどう使っているかがわかればもっと面白いのだろうか、いや、私には無理だけど、などと思いつつ、休憩をはさんで2部2時間半のライブは終わった。昨日とは違って、生み出される音のことに思いをはせた時間だった。



谷本さんのライブは、このあと
11日富阪キリスト教センター
12日千歳烏山Tubo
13日祖師谷 カフェムリウイ 共演タカダアキコ、Safi
14日国立地球屋 共演石原雄治
と続くので、ぜひ聞きに行ってみてほしい。


谷本さんが「これが一番おいしいと思う」とお土産にくれた福岡のポテトチップ、ほんとかなあと食べてみたら本当においしくて、ああ、夜中なのにどうしよう。

  
  

2019年2月10日日曜日

1年経って

当然のことながら、キリスト教では法事は、ない。
そもそも西洋では命日より誕生日で亡くなった人のことを覚える習慣だ。
それでも、クリスチャンであっても日本的風習から逃れられない人は、家族の命日に「記念会」なるものを持つことも多い。短い礼拝をして会食する、というのが定番か。

うちでは義父母のために記念会はしなかったので、夫も別にそういうことは望んでいないと思ったし、親戚もみんな遠いしクリスチャンではないし、なにもしないつもりでいたものの、この日に横浜でとしゆき&菜穂子さん主催の定例ミロンガがあることに気づいた。ここでは、夫の病気がわかったときに徹さんとTLFがミロンガをしたいと言ってくれたのをとしゆきさんが引き受けてミロンガをしてくれたのだった。あんなミロンガがまたできないか、という妄想をとしゆきさんに持ちかけたら、是非実現しましょう、と言ってくださったのが11月。それから声をかけた方々がみなさん二つ返事で引き受けてくださり、思いがけず豪華版のミロンガが開けることになった。

ミロンガのまとめはケンジさんがうまく書いてくださったのでそちらを。

そこに書いてない裏話をいくつか。

夫の部屋にオルケスタYOKOHAMAのライブ録音CDがあったのを、ミロンガ来場者にプレゼントすることを思いついたのだけど、あるのは35枚。人を選んで、というわけにもいかないので受付でくじ引きをしてもらうことにした。くじ引き係りはTLFなおこさんのお子さん二人。何人来るかわからない中ではずれくじを幾つ入れるか悩んだ挙句、確率2分の1に設定。全員への参加賞としてチョコレートの小箱80個用意。最終的には入場者は86名だったそうだから、全員にはチョコは渡らなかった模様。ごめんなさい。でも、確率2分の1とは知らないみなさん、当たりですごく喜んでくださってこちらも嬉しかった。

夫のもう一組のダンスの師匠、Eugene y Alisaにも実は出演依頼をかけていた。生憎他のイベントの先約がありNGとのことで、アシスタント時代をよく知っているMarcy & Magiに代役をお願いしようかとも思ったのだけど、いや、彼らには他の仕事があればそっちを優先して欲しいから声をかけないでおこう、だいいち、TLFだけだって雪を降らせそうなのに、Marcyさんを呼んだら荒天確定してしまう、と思って声はかけずにおいたのだ。でも、親の心子知らず(?)スケジュールをあけてやってきてくれた。去年、Marcy&MagiのところでTLFがライブミロンガをしたとき、誰も踊りださなくてMarcyさんと私がデモ状態になってしまったことがあった。今回は守さんの歌がはじまったところでMarcyさんが目配せしてきたので、意図的にデモ状態を再現。あー、面白かった~。

なので、彼らも招待して太田なわのれんで打ち上げ。
 




予想以上に大勢の方が来てくれたミロンガ。
半分以上の人はおそらく夫のことは知らなかったと思う。
いつも来ているところだから、ファンダンゴスが来るから、ケンリリさんが踊るから、いろんな理由で来てくれた人たちが、みんなとてもいい顔をして踊っていた。
早い時間から来ていた常連さんとおぼしき人たちからしてすごくいい表情で踊っていたから、これまでここでとしゆきさんたちが積み上げてきたものが本当に大切にされているのだと思った。そこに後から来た人たちも溶け込んでいく。
それから、特別な企画であることを通して、タンゴを介してこれだけの人たちが直接間接につながり合って奇跡のようにいま、ここに一緒にいる、と感じることで、今目の前にいるこの人との時間を大事にしよう、とみんなが感じていた気がする。
TLF+徹さんの音楽の力が、ノーギャラなのに本気でいい音作りを手伝ってくれたえじーさんによってさらに増幅され、場を作っていったのだと思う。

私はもともと、自分が楽しみたいという欲求よりは、他の人の役に立ちたいという思いのほうが大事で、ひとりになってからは余計に自分ひとり楽しいからってそれが何?と感じることが多く、そんな思いをもてあます日が続いていた。このミロンガで、みんなが楽しんでいるのを見て、口々によいミロンガだった、楽しかったと言って帰っていくのを聞いて、本当に嬉しく、ああ、私はやっぱりそういう人間なんだなあ、と改めて思ったのだった。


以下はあれこれ頂き物。



2018年8月12日日曜日

Summer Vacation (again?)  夏休み再び

(日本語は下に)

As a freelancer, I get to find OFF days any time of the year, so I don't feel the need to set aside days or weeks to call them "vacation" like most people do in summer or over Christmas, New Year's, etc.
I also like to stay home when I have some spare time.  Some people just go out when they have a day off, for example,  without deciding what to do.  I'd rather stay home, maybe because my parents were like that.

So, for me, when I go out to do something for pleasure for a few days in a row, that will MAKE a vacation.
It happened last month when Trio Los Fandangos came to Tokyo as I wrote in my earlier entries.
This past weekend turned out to be another summer vacation for me.

On Friday, I went to El Choclo, a tango bar in Tokyo to hear Barrio Shino, a quartet formed by Shino Onaga.  Last time I heard Shino play was maybe 7 or 8 years ago, and I was looking forward to hear how she changed after spending 5 years in Buenos Aires.  My favorite tango singer KaZzma was featured, which also attracted me to this concert.  Among the house full guests, I found more familiar faces than expected, which was nice.  I enjoyed Shino's challenging arrangement, the quartet's sure performance enhanced by KaZzma's powerful voice.  The good thing about El Choclo is that you can hear the raw sound without the PA.  You can really feel the power of music, especially tango.

On Saturday and Sunday, I attended special workshop/lesson given by Daniel Urquilla & Mihoko Sakai--- Folklore from Argentina's south on Saturday and Milonga on Sunday.  In both lessons, Daniel taught energetically and enthusiastically, revealing his love for dance.  I liked the way how he started from basic movements and build up on them to give us the full picture of the dance he was teaching.  He also talked a lot about the background of the dance we were learning.  It's important for us to know the history of the dance and music especially when they belong to a different culture from ours. 

Long hours of lessons often leave me feeling tired, but not this time.  I came home feeling light both at heart and physically.


フリーで仕事をしているので、世間並に〇〇休みを取ろうとかあまり思わない。
もともと休みには家にいるほうが好きなクチである。時間があくと、何をするか決まっていなくてもとりあえず出かける、という人もけっこういるみたいだけど、私は用事がなければ出かけない方で、多分それは親がそうだったからそれが当たり前になっているのだ。
だから、仕事以外のなにかお楽しみで出かける日が何日か続いたりすると、その期間が休暇に「なった」ということになる。先月、TLFが来ていた間、ほぼ毎日彼らを聞きに行っていたのが夏休みになった、というのはこのブログでも書いた。
そして、この週末はまた、結果的に再びの夏休みになった。

金曜日は、雑司が谷のタンゴ・バー「エル・チョクロ」に大長志野さん率いるBarrio Shino四重奏団を聞きに行った。志野さんのピアノを聞いたのは、もう7、8年前になるだろうか。その後ブエノスに渡った彼女がどう変わっているかを楽しみに、またこの日は、大好きな歌手KaZzmaも出演ということで出かけた。聞き覚えのある曲を志野さんの新風を吹き込んだ編曲で聞く。KaZzmaのパワフルな歌声とカルテットの絡み合いの妙。エル・チョクロのよいところは、この編成なら生音で聞けることだ。タンゴは生音が一番と私は思っているので、とても豊かで楽しい時間を過ごすことができた。

土曜日、日曜日は、Daniel Urquilla & Mihokoの特別クラスに出てみた。
土曜日はアルゼンチン・フォルクローレのうち、南のHuellaとTriunfoのワークショップ。
日曜日はミロンガ・スペシャルクラス。
DanielのことはFBで友達になっていたり動画を見たりして知ってはいたけれど、これまでクラスを取る機会がなく(そもそもこの6年はそれどころではなかったし)、今回はスケジュールに無理がなかったので出てみることにしたのだ。
フォルクローレもミロンガも、まず基本の動きをしっかり身体に覚えさせてからその上に積み上げていく教え方は好感が持てた。頭でなく体で覚えることはとても大事だし、忘れにくい。(忘れない、とは言い切れないところが情けないのだが。。。)そして、身体を動かしながら、それぞれのダンスの歴史や背景を丁寧に教えてくれたのも嬉しかった。異なる文化の一部であるダンスを学ぼうとするとき、それは不可欠なことだと思うから。Daniel自身も日本の身体表現について学んでいて、どういう伝え方をしたら私たちにわかりやすいか工夫しているように聞こえたのもありがたかった。

Danielは、自分にとってタンゴは「背中、すなわち過去への思い」、ワルツは「胸から前へ、つまり未来や希望」、そしてミロンガは「いま、ここ、今感じる幸せ」なのだという。だから、きょうこのミロンガのレッスンにみんなが出よう、と思ったのもきっと偶然ではなく、幸せな気持ちを求めているからここに来たのだと思う、とDanielが話したとき、腑に落ちるものがあった。
夫が亡くなって半年、さまざまな時間の制約がなくなり時間はあるものの、ひとりで何をしてもつまらないし、なにかを楽しもうという気持ちにもなれず、ふと心が惹かれるものがあれば出向いてみる、という暮らし方をしてきた。毎週きちんとレッスンに通うとか、そういう気分にはなれなかったけれど、この二日間のお知らせを見たとき、これには行こう、と思えた。そう思わせたのは、Danielの言うミロンガの意味、その力だったのかもしれない。

長時間のレッスンやミロンガの帰りは疲れや足の痛みを感じるものだけれど、今回は全然それがなくて、むしろ心も身体も軽くなって帰宅したのだった。
(年寄りの筋肉痛は2日後というから、油断はできないけどね。)

2018年7月17日火曜日

気が付けば夏休み w/TLF 2

(1からつづく)

海の日の16日は、銀座スタジオ・タンゲーラへ。
主宰のGYUさんには、前身のCuban Cafe でのミロンガの頃から、夫がお世話になっていた。「月曜日はGYUさんち」にずっと通っていた。TLFをGYUさんに紹介したのが夫だったことから、今回のミロンガで先日GYUさんに差し上げた夫の帽子とネクタイをディスプレイして、追悼したいと言ってお招き頂いたので、いそいそ出かけた。

TLFは別な場所でひと仕事してから19時半過ぎに到着。エレピの電源が繋がってない(!)とかマイクの音が出ない(!)とかバタバタしながらもライブミロンガスタート。ほどなく、これまた別の会場の仕事を終えたケンジ&リリアナのお二人も到着。20時半には仙台での仕事を終えたGYUさんが帰ってきて役者が揃い、デモへ。TLFとケンリリさんは、九州での「タンゴの節句ツアー」をいっしょにやっているけれど、東京でそれを見る機会がないので、GYUさんがお二人を呼んだのだそうで。LOCAと悪魔のロマンスで、ケンリリさんならではの足技炸裂。なんか、歳を重ねてますますキレがよくなるって、なんなんだろう。。。我が師匠、すごい。。。

  

そしてGYUさんが、もうひとりきょう紹介したい人がいます、と夫のことを話してくださる。
 
が、話す前から、もううるうるして声を詰まらせている。

そう、そうなんだよね、ちょっと思い出すと涙涙になってしまうんだよね。それで泣き崩れてしまう日々を、私もずっと送ってきたからわかる。そこからどうやって抜け出せるのか、いや抜け出すことがあるのか、と思ったけど、あるときラジオから流れてきた言葉、「忘れない、でも、思い出さない、くらいがちょうどいいんじゃない?」
そっか、そうなのか。それでいいのか、とこの作戦を採用したのは、ほんの少し前のこと。それが奏功したのか、ここ数日来のTLF効果か、泣いているGYUさんの横で、私は笑顔だった。

GYUさんのあとに、私も少し喋らせてもらった。夫が繋いだGYUさんとTLF、そのTLFと私たちを繋いだのはベーシストの齋藤徹さんで、その前に徹さんをタンゴの世界に呼んできたのは夫で、TLFと徹さんのライブでケンリリさんが踊るのを見て、私はケンリリさんの弟子にしてもらって・・・と、なんだか繋がりが広がってるんだか、堂々巡りしてるんだか。とまれ、またこの場所で新たなつながりも生まれ、心温まる夜だった。

17日火曜日、TLFのツアーはもう1日続くけど、私にとっての千秋楽はこの日のEl Chocloでのライブ。ミロンガでない、聞かせるためのライブは今回はここだけ。しかも、徹さんと歌手KaZzmaも一緒とあって、踊らない人踊る人で超満員。開場前に並んで最前列をゲット。
が、近すぎて、メンバーがカメラに収まらない。。。
 


プログラムは手馴れたレパートリーに新曲を散りばめ、KaZzmaの歌もふんだんに。El Chocloの魅力は、PAを使わず生音でTLFが楽しめる、ということだ。音は空気の振動だから、それを生で感じられるほど奏者と、奏者の心と、近くなる気がする。

そして2部。徹さんが加わる。大病から復帰して、副作用で身体が思うように使えない中で、それを受け入れてライブをなさっているのは知っていたけれど、私の方の気力がなくて今日まで聞きに行けずにいた。はじめの音が響いたとたん、わあ、徹さんの音だ!と胸がいっぱいになった。しっかり支え、踊るベースが入って、ケイトさんのピアノが遊び始めて、トリオの時とはまた違った楽しさに。そこにいるみんなの鼓動がひとつになって、ひとりひとりの思いや悩みや喜びや悲しみが、音と一緒に渦巻いていく、そんな一曲、一曲。これがタンゴなんだなあ。

うさこにはもう一日TLFに帯同してもらうことにして、家路に。

 


ライブで聴いた曲が絶え間なく脳内再生し、なんとなく口元に笑みが浮かぶ。(ちょっとアヤシイ人?)ミロンガで友達になったばかりの人とランチの約束をしている。週末のミロンガの予約を入れている。

自分にとって一番大事なもの、自分の半身を失って、もうこの世に何の未練もない、できるならばったり倒れて風化してしまいたい、と思うときもあったし、やりたいことなんか何にもない、一体生きているってなんなんだろう、と思いながら、誰も傷つけずに淡々とその日その日をやり過ごしていければそれで十分と思っていた日々が、ちょっと遠くなった。立ち直った、とか、落ち着いた、とか、元気になった、とかいうのとは違う、うまく言葉にならないけど、TLFの、タンゴの魔法のおかげで、自分の中に化学変化が起きたような一週間だった。

仕事を休んだのは一日だけだったから、「休みを取った」つもりはなかったんだけど、こんな風に連日夜遊びしていたのは何年ぶりだろう。この感じは、そう、夏休みだ!と気づいたのは、宴のあと。

(おしまい)



2018年7月15日日曜日

気が付けば夏休み w/TLF 1

福岡からTrio Los Fandangosが東京ツアーにやってきた。
今回は連休がかかるので、レギュラーで入っている仕事は1日お休み貰えば、けっこう聞きにいけそう、ということでふた月も前からせっせと予約を入れ、ミロンガ3回、ライブ1回参加するつもりで楽しみにしていた。

ただ、ミロンガに行くことには不安もあった。
そもそも、私がタンゴを踊るようになったのは夫と一緒だったからで、ふたりで出かけていた場所には一人では行く気になれず、夫が療養生活に入ってからたまに出かけるのも以前からひとりで行っていたところだったし、夫が亡くなってからはさっぱり行く気がしなくなっていたのだ。それでも、タンゴを通じて知り合った大切な友人たちとは会いたいので、4月に行ってみたのだけど、そこにいない人の姿を探してしまい、外に出た途端涙が溢れてきて、だめだこりゃ、と思ったのだった。


TLFの最初のミロンガは12日木曜日、マーシー&マギのVIVA LA MILONGA。ここは一人でしか行ったことがないし、去年TLFが来たときはちょうど私の誕生日でみんながお祝いしてくれたこともあり、行かずばなるまい。
 

夫の代わりのうさこを谷本さんに託す。

久しぶりのTLFは、やっぱり始めから「さあ、踊れ」とばかりに盛り上げてくる。
さっそくマーシーさんが誘ってくれてフロアに出たものの、あれ、ほかの人踊ってない?
3ヶ月ぶりでオタオタしてるのに、見ないで、みんな。。。
などという思いは、マーシーさんの素敵なリードで踊りに入ってしまえばもうどうでもよく、楽しく1タンダ踊る。きょうはもう、あとは聞くだけで十分。(と言いつつ踊ったけど)
2ステージかと思っていたら、1ステージ通し。その中程でマーシー&マギがデモ。
さっきまで笑いを取っていたマーシーさんがマギさんとともにしっとりとオブリビオンを踊る。彼らを見るのは4月末のステージ以来だったけど、このふたりは、タンゴのキモというか、タンゴをタンゴたらしめる「それ」をちゃんと持ったダンサーになったなあ、と嬉しかった。ブエノスに長期滞在修行しても、テクニックだけ持って帰ってきて、肝心なそこのところを身につけてないダンサーもいままで見てきたので、マーシー&マギの真剣な積み重ねが素晴らしいと思えるダンスだった。

「いつも全力」がモットーのふたり。今の自分全部で音楽と相手と溶け合って作るダンス。見ているうちに、自分の心が閉じていたことに改めて気づく。おざなりの言葉のやりとりでその場をやり過ごすのがいやで、もう隠遁生活に入ってしまおうかとすら思っていたし、「楽しい時間を過ごす」ということにも「それがなに?」という反応をしてしまうくらい、内向きだったけど、マーシー&マギを見ていたら、「彼らがいれば私もタンゴを続けられるかも」という気がした。ふっと風のように心をよぎったこの思いをちょっと捕まえておくことにして、家路についた。
(家に帰って見せる人がいないと写真を撮る気も薄れ、この日の写真はなし。)

翌13日の金曜日(縁起がいいのか悪いのか)、TLFの3人が我が家に来てくれた。
夫のために演奏する日として取っておいてくれた一日を、我が家でのんびり過ごすことに。仲間のFさんとPちゃんもワインやローストビーフやチーズなど持参で集まって、食べたり飲んだり。夜はどこかに出かけるので早めに来て夕方には出るという話だったけど、ビールとスパークリングと伊佐美とシャブリのおかげか、なおこさんも谷本さんもうつらうつら。。。私たちが結婚披露宴でオブリビオンを弾いたビデオや、その後行ったブエノスアイレス旅行のビデオを流したりして、結局21時すぎまで。
取り立てて夫の思い出話をしたわけでもなく、流れのままにゆるゆるとおしゃべりの時間を過ごしただけなのに、なんだか心も身体もほぐれていくようなひととき。
(そして、お客さんしてるというより家族で集まってるみたいで、家庭料理しか作らなかったこともあり、また写真を撮り忘れたのだった。)

14日土曜日は恵比寿のLa Bardosaへ。
Bardosaの主催者の棚田晃吉・典子両先生は、私が生徒でもないのにいつも良くしてくださる。この日もドアがあくと、ソファ席に誘導してくださったので落ち着いて過ごすことができた。
 

この日もファンダンゴスは始めからノリノリ。フロアいっぱいにみんな楽しそうに踊る。
きょうは先生方もデモはせず、みんなと踊っている。私も晃吉先生とミロンガを。とても洒落たリズムの取り方で、自分では見えない世界が開ける感じで楽しかった。
Bardosaで「タンゴうたクラス」を持っている歌手の西澤守さんも聞きに見えていて、かつて夫も歌を習っていたこともあり、いろいろおしゃべりして楽しかった。守さんは、みんなから勧められながらなかなかダンスを始めようとしない。靴のサイズを聞いたら夫の靴がイケそうだったので一足差し上げることに。ちゃんとレッスン始めるかなあ。

スタジオの隅の方で、なにやらステップを確認していた谷本さんが、タンダの最終曲で満を持して(?)誘いに来る。なるほど、気のおけない相手でウォームアップですね、はいはい。谷本さんも忙しいのに練習はしているようで、また上達していた。音楽をわかっている人だと確信が持てる相手と踊るのはこちらもとても気が楽なので、楽しい。ミロンガでは反則なのだけど、ひとつだけ注意点を告げてしまった。このあと楽しく踊ってもらうために。
土曜日なので平日より時間の早い終バスに乗れるタイミングで失礼する。室内が熱気でムンムンしていたので、外は少しは風があって涼しいかと思いきや、22時回っているのに外の方がもっと暑くてびっくり。都心はやっぱり暑い。
帰りがけ、典子先生が花束を下さる。ありがとうございます。

 

(つづく)

2018年4月22日日曜日

タンゴ・オリジェーロ

夫と一緒だったから踊っていたタンゴ。
タンゴは音楽を聴いたり、踊ったりする楽しみのジャンル、というだけでなくライフスタイル、価値観でもあるから、タンゴを通じて一生の友を得られたけれど、夫がいなくなっても踊りたいのか、自分でもよくわからなくなっていた。踊らなければ、レッスンに行くこともなくなるだろう、とか。

でもみんなには会いたいから、師匠のケンジ&リリアナが主催するミロンガ、「タンゴ・オリジェーロ」をミロンガ復帰としよう、と決めていた。

実は、その前にMarcelo&Analiaがサンバのデモをするというミロンガがあり、
やっぱり見てみたかったので出かけてしまった。
で、出かけてしまうとやっぱり踊ってしまい、踊るのはいいのだけれど、二人で来ていた場所だっただけについ、いない人の姿を探してしまい、ちょっと辛かったのだ。

きょうのオリジェーロは吉祥寺のスタジオで、ここは夫が病気になってからケンリリさんが使うようになったところで一人でしか来たことがないからたぶん大丈夫。
ゲストのToki&Midoriが引き寄せたのか、お客さんいっぱい。冬ポンの洒落た選曲で、穏やかな時間が過ぎていく。Toki&Midoriは組んでまだ数ヶ月、というけれど高い身体能力を活かした力強いパフォーマンスだった。「もう少しぐーん、というのがあるといいのにな」と思ったプログラムは、この日下ろしたばかりだったそうで、これからこなれてくると、きっと素敵になるだろう。

(この日のケンジさんのブログはこちら。)

気づくと師匠に「今度の水曜日はレッスンありますか?」と尋ねている自分。
え?行くんだ、レッスン?
この木曜日からは、TLFとともに恒例の「タンゴの節句ツアー」に出る師匠たち。
水曜日はレッスン有りとのこと。じゃあ、起きられたら行きます、と返事して帰る。

2018年4月13日金曜日

三拍子

イースターまでは「服喪」ではないけれど、まあレントだし。出かける気分でもないし、「ひま」だけど特にどこにも行かずにおとなしくしていよう、と思っていたところに、Marcelo&Analia来日の報。
4年前の来日時は、なんとかワークショップ2回出たけれど、1シリーズちゃんと続けて出ないとあまり意味がないと思い、その後彼らに限らず、来日レッスンの類には出なくなっていた。

今なら続けてレッスンも出られるけれど、しかし3月半ばから始まってしまう。それにタンゴはやっぱり夫と踊っていたものなのでまだやる気がしない、でも彼らのレッスンは取りたいなあ、と迷っていたら、仕事と重ならない金曜日にフォルクローレのレッスンが組まれた。やったことないけど、やってみるか、と出かけて行った。
3月30日は聖金曜日だったので、さすがにそこはお休みして、その代わり日中にプライベートレッスンを取ったので、トータルでは一応皆勤。

内容は私が出たときは、チャカレラが主で、最後の1回だけサンバをやった。
フォルクローレはみんな横に並んで踊るので、横を見ながら、パートナーにも教えてもらいながら踊れるから、初心者でもなんとか動くことができるのはいい。
しかーし!タンゴの場合、男性のリードによって踊るから女性が動きを作ることもあるけれど、それは上級者の話で、私などは完全に受身でなにも考えずに踊っているのに、フォルクローレの場合は、チャカレラにしろ、サンバにしろ、一人で動かなければいけないので、まずステップを覚えなければならず、今まで使っていなかった脳みそをたたき起こすのがまず大変だった。

そして難しいのが三拍子。
例えばチャカレラのステップの場合、1はちゃんと踏む、2は小さく踏む、3はちゃんと踏む、しかし1,2,3の長さは同じ、でも、アクセントは1にあり、これが「チャカレラ・トゥルンカ」になるとアクセントは3にあるので、1のステップを音楽の3に当てる~~~とか。

日本文化論の常識で言えば、日本人は定着稲作民族なので、しっくりくるのは二拍子で、騎馬狩猟民族の三拍子は苦手。三拍子を一小節ひとくくりにしてとるのはできても、三拍を分解して取るには訓練が必要で、何も考えずにできてしまう彼らとは違うのだ。
というようなことをMarceloたちに話したら、初めて聞いた、すごく興味深い、と言っていた。

語学にしてもなんでも、異文化のものに取り組む場合、自分の文化との違うところが難しいから、そこを意識して勉強するのが大事なんだけど、それを教える人が気づいてくれてるとさらに
ありがたいことなので、この話はしてよかったな、と思っている。

ああ、それにしても、あちらじゃみんな気軽に踊っているはずのフォルクローレがこんなにいろいろ注意することがあって、いざ踊るとなると全部吹っ飛んじゃってめちゃくちゃになっちゃうくらい難しいとは思わなんだ。「今年はここまでしかできなかったから、来年もまた来ます」と言ってくれたMarcelo&Analia。こちらもぼーっとして全部忘れないようにしないとね。

2017年6月12日月曜日

歳を重ねる

私が子どもの頃は、公式には満年齢が使われていたけれど、まだ数えで歳をいう習慣もあり、正月には祖父母から「あんたはいくつになったんだい」と聞かれたものだった。そもそも誕生日より正月、お盆、命日というのが伝統的には大切な日だった。作家など有名人についてもその誕生日より命日を「〇〇忌」として覚えるのが日本的なのであって、「生誕〇〇年」を祝うのは西洋の習慣だった。

だから誕生日を祝うのはかつては主に子どものためにすることだった。せいぜい小学校の低学年までが友だちを招いてお誕生会なるものをするのであって、それもお茶とおやつのくらいであれこれご馳走を出すというようなことはしなかったと思う。大人が誕生日、というか年をとったことを祝うのは還暦過ぎてから。だからこそ、喜寿だのハトだの米寿だの白寿だのというのがあるのだろう。

それはおそらく歳を重ねた人を敬うこととも繋がっている。昨今は若さにばかり価値が置かれて中高年、あるいは高齢者になっても年齢より若く見えることや若者同様に何か出来ることばかりが良いことのように言われている。テレビを見ていてもそうしたことを実現するためのサプリのCMが次々に放送される。しかし歳を重ねた人には「亀の甲より年の功」というだけのものがあり、だからこそ目上の人を敬ってきたのがこの国の文化だったのだ。

確かに近代以降、教育制度が発達、充実し、昔の年寄りより今の若者の方が多くの知識を身に付けるようになったしそういう意味で「年の功」が感じられない年寄りも増え、それで年長者を敬わなくなってきたのかもしれない。私の大学の恩師がよく言っていたのだが、「教育は経験のショートカット」である。昔の人が何年もかかって体験したことを、いまは教育のおかげで効率よくなぞることができる、という意味だ。自分自身もその恩恵に与りつつこのフレーズを思い起こす時、ショートカットできない経験がある、とも思うのだ。それが歳を重ねる、ということだ。年月を経る、それだけの時間の経過の体験そのものは、体験してみなければわからない。決してショートカットはないのである。だから、だから自分より長く生きている人はそれだけで敬うべき存在なのだ、ということをかつての社会では教えられてきたのではなかったか。世の中は少しずつ変化するけれど、私自身は「伊達に年をとってないよね」と言われるような歳の重ね方をしたいと思っているのだ。

と言って、誕生日にはそれほど重きを置いてはいない。成長する過程で家族に祝ってもらうこともほとんどなかったせいかもしれない。結婚してからは夫婦で互いに祝い合ってきたけれど、そのくらいで、誕生日なんて、格別悪いことがなければそれで上々、なのだが、大阪の池田小の事件とか秋葉原通り魔事件の日になってしまったとなると、やはりちょっとアンビバレントな感じになる。


さらに、一昨年の私の誕生日の朝、父が死んだ。
誕生日が命日。聞けば血縁の中でそういうことはわりあいよくある話だそうで、それがつながり、まさに「縁」ということだそうだ。私の場合そうでもなければたぶん親の命日は記憶できないだろうからまあいいのだ。父の8か月前に亡くなった母の命日の日付は間違えてばかりだし、祖母は12月25日だから覚えているけど祖父の方は怪しい。。。

そういうわけで去年の誕生日は墓参りに行った。
今年もそのつもりで空けていたのだけれど、ちょうどそのころ福岡から Trio Los Fandangosがやってくるという知らせが届いた。スケジュールをチェックしてみるとこの日なら行ける、いや、そこしか行ける時がない、と判明。しかし夜のミロンガだ。普段仕事で遅くなる時に夫の見守りをお願いしている友人に、仕事ではないので心苦しいもののここはひとつお願いして、行ってしまおう、と決めた。お墓に行ったってどうせ♫わたしは~そこにいません~~ だし、たぶん。それこそ私、今回は還暦だしね、許されるよねお祝いしたって、と正当化。

先月出かけたミロンガで今度のミロンガ主催のマーシー&マギのお二人に会ったので、
「6月8日は伺います。私、誕生日なんです!」
と予告。(つまりはお祝いしてねと暗におねだり)

しかしなんといってもTLFは「嵐を呼ぶバンド」、台風が来て自分たちのライブが飛んでしまったこともあるくらい。彼らと雨男マーシーが一緒になったらどんな大嵐になるかと期待心配したけれど、雨にはならず、TLF東京ツアー初日のミロンガに大勢の人が集まったのだった。

メンバーや友人たちと再会を喜び、おしゃべりし、踊り、そしてTLFの生演奏。
音はキレッキレなのにメンバーの表情は余裕。最近増やしたレパートリーも長く弾いている曲も同じようにフロアとのやりとりを大切に演奏している。

TFLの第1ステージの終わりにマーシーさんが私をフロアに呼び出してくれてしばしのバースデー・セレモニーの時間を取ってくれた。TLFの演奏で歌ってもらったバースデー・ソング、エアコンの風で一気に消えたろうそくの火、なかなか点かないチャッカマン・・・常連でもない私のためになんだかんだと時間をとってしまったのに付き合ってくださったみなさんありがとう。マーシーさんの暖かいハグ、美味しかったケーキ、などなど思い出に残るひとときとなった。

 




帰りの時間があるのでマーシー・マギのデモの途中で失礼することになってしまって申し訳なかったけど、そんな風に甘えさせてもらえるのがタンゴの仲間。夫も一緒だったら何倍も楽しかっただろうとは思うけれど、夫と出会っていなければおそらくつながることのなかったこのコミュニティで節目の誕生日を過ごすことができて良かったと思う。

今月はまだ墓参りに行く時間が取れそうな日が1日あるから、と思っていたけれど、映画Chiamatemi Francesco - Il Papa della gente も見に行きたいし、温泉施設から今月末まで有効のこんなはがきも来ちゃったし、どうしようかなあ。
 

2017年2月2日木曜日

トリさん

夫が病気になる前は、週一度はタンゴレッスンに通い、週末は夫とミロンガに出かけていた。
夫が踊れなくなっても、レッスンには通い、月1くらいはミロンガに行けるだろうと思っていたが、
徐々にスケジュール調整が難しくてレッスンにも行けなくなり、
夜と週末は人の手配をしなければ出かけられないのでミロンガからも遠ざかり、
去年はなんと、レッスン1回、ミロンガ2回、という有様だった。

踊ることそのものが大好きならば、なんとしてでもやりくりして踊る場に行くのだろうけれど
私にとってミロンガは夫と行く場所だったので、二人で行っていたところに一人で行くのはあまり気が進まず、積極的に行く努力をしないでいたらこういうことに。

女性の場合、身体のコンディションさえ整えておけばいつでも踊れるはずなのだけれど、
そちらのほうもかなりサボっていたため、1月の祝日に午後のミロンガがあったので出かけたところ、なんだか自分の動きに確信が持てなくて、やっぱりレッスンはしないとダメだなあ、と痛感したのだった。

そんなとき、師匠のケンジさんが
誕生日にもらった電動彫刻刀で今年の干支の酉を彫ったとブログに書いていた。

トリさん、かわいい。。。

いつもは干支を聞かれると
「私は猫年です」
と相手をケムに巻く私だけれど、ここはキッパリ

「私、酉年です、よろしくお願いします」

とおねだり。
めでたく頂戴できることになり、受け取りがてら久しぶりにレッスンに顔を出すことにした。

21時にヘルパーが帰ってしまうから、それよりあまり遅くならないうちに帰宅するため
レッスンは早退したけれど、半年以上ぶりに師匠と踊り、身体もストレッチしてもらい、
顔なじみの方たちの元気な様子を見て、きょうが4回目という21歳の若者にも出会い、
楽しく、充実した時間だった。

うちから吉祥寺まで車だと1時間弱と事前の検索で出ていたけれど、環八の渋滞にも関わらずほぼ1時間で到着。帰りはすいすいと40分弱で帰ってきてしまった。これじゃあ、渋谷からより早いくらいじゃあないか!次回行く時は、もう少しレッスンしてても大丈夫かな。

あ、頂いたトリさんはこちら。

   

2016年7月20日水曜日

Un Tango Más ~ Our Last Tango ~ ラスト・タンゴ



Es una película sobre la vida de los bailarines legendarios de tango, María Nieves Rego y Juan Carlos Copes.  Ellos ya habian separado cuando empecé a tener interés en el baile, así que no los he visto en el tiempo.  La película me enseñó cómo ellos llegaron a ser los legendarios del baile de tango.  Me parece que María sigue caminando con mucho orgullo como artista, pero con sentido de tristeza tambien.


Enough for practicing Spanish...
Our Last Tango is a movie about legendary tango dance couple, Maria Nieves Rego and Juan Carlos Copes.  They are considered to be the pioneers of tango dace to show.  They danced together since their teens into 60s until they were separated in 1997.  By the time I got interested in dancing tango, they were in their separate ways, so I've only seen them in archive videos.  Copes starred in the 1998 movie Tango which I saw, not knowing much about his history with Maria.  It was quite interesting to learn about their career, love and hatred through this latest movie. 
The phrase goes, "it takes two to tango."  So, it canot be easy for Maria to move on by herself.   I give her biggest applause, and I'm sure many of my friends who dance without fixed partners feel encouraged by her words.


現在公開中の映画、ラスト・タンゴ。私も一昨日見に行ってきた。
私は大人の嗜みとしてタンゴを踊る程度で、ダンサーのことも曲のこともそう詳しくはないけれど、Maria Nieves & Juan Carlos Copes が伝説的なダンサーだというくらいは知っていたし、何度か過去の映像を見たこともあった。Copesは1998年の映画「タンゴ」に主演していて、そのときはあの「タンゴ・アルヘンティーノ」のショーの主要ダンサーだったんだってさ、と聞いて見に行ったのだった。
今回の映画のおかげで、彼らがどういう時代、どういう思いで踊ってきたのかというのを知ることができて興味深かった。
その若い頃の映像に、私の師匠ケンジ&リリアナさんたちが重なって見える時間があった。スタイルやテクニックどうこう、ではなくて、精神というか、タンゴのキモというような部分で同じものが見えたという感じ。嬉しかった。

     度々映るNueve de Julio の空撮で、大通りの真ん中にできたと聞いていたバスレーンを確認することが 
      できた。あーなるほど。でもつまんなくなっちゃったな。

この映画、原題はUn Tango Más なのに、なぜか英題はOur Last Tangoになり
それにつられたのか邦題はラスト・タンゴ、というところが私は気になっていた。
確かに内容としては One More Tango よりは Our Last Tango なんだろうな、と思うけど、
女ひとり、これが肝心、と唇を結び前を見るマリアには、「その先のタンゴ」なんてのが似合うんじゃないか、とひとりごちた。

ダンス部分も、インタビュー部分もカメラワークがとても洗練されて見やすい映画だったことも書き添えておこう。

2014年12月11日木曜日

Midsummer Night's Tango 白夜のタンゴ



Yesterday, I went to see a movie for ther first time in a long while.
http://documentaryedge.org.nz/2014/wgtn/film/midsummer-nights-tango

It's a documentary film about 3 Argentinian tango musicians traveling Finland to check out the notion that tango music was born not in their own country but in Finland.
I thoroughly enjoyed it for several reasons.
It was a good example of intercultural communication experience which is my expertise.
It featured scenes that stimulated my interests as singer, musician and dancer.
Music was nice---both Finnish and Argentinian.
If you are tango lover solely in the sense of listening to the music or dancing at milongas, this film may not be so interesting.  Come to think of it, it was perfect for a person like me.

My favorite part was early in the film where they presented what tango in Argentina is like.
They didn't use the stereotype scenes of tango shows or milongas or Caminito.
Sure, the essence of tango is not in the appearance.

昨日久しぶりに映画館に行った。
夫が病気になってからは本当に時間がなくて、
あったとしても、たいていの上映時間は都合が悪くて、もう無理だとと思っていた。

ドイツ、アルゼンチン、フィンランド合作の「白夜のタンゴ」
奇跡的に私が行かれる時間の上映の日があったので行ってきた。

「タンゴはフィンランドで生まれたんだよ」という説を確かめに
3人のアルゼンチンのミュージシャンがフィンランドにやってきて。。。
というロードムービー的ドキュメンタリー。

アルゼンチン・タンゴの音楽を聴くだけの趣味の人や
ドレスに着替えてミロンガに行くのがタンゴだと思ってる人には
ピンと来ない映画かもしれないけど、
私にとっては、これまで見たタンゴの映画の中で
もしかすると一番面白かったかもしれない。

というのも、比較文化学や異文化間コミュニケーションという
私自身の専門の目から見て、アルゼンチンとフィンランドの人たちの交流や
それぞれの文化におけるタンゴのあり方がとても興味深かったし、
私も少しは楽器を弾くので、ミュージシャンのやりとりやセッションは
文句なしに面白いし、歌もやっていたから、歌のレッスンや、
歌手の人の話も示唆に富んでいた。
そして、私もタンゴを踊るから、ダンスの面でのタンゴのシーンもまた楽しめた。

要するに、「よくわからないなあ」というところがなくて、
楽曲はみんな美しいし、いい時間を過ごさせてもらった気がした。

友人に「タンゴを知らないと面白くない映画かしら?」
と聞かれて、「音楽が好きなら十分楽しいと思うよ」と答えたのだが、
もう少しよく考えてみると、やはり異文化の出会いの部分が面白かったと思うので、
「文化とその中での音楽の存在と役割について興味のある人に面白い映画だ」
というほうがあたっているかもしれない。

夫と一緒に見られれば、さらに何倍も楽しかっただろうと思うけれど、
見ることができてよかった、と思える映画だった。

2014年7月25日金曜日

ひっっっっさしぶりのミロンガ

家庭の事情でなかなかミロンガの時間帯に外出することが難しい今日この頃。
タンゴのレッスンにしても、5月にアナリア&マルセロのクラスに出て以来、
ケンリリ師匠のレッスンにも行けていない。

家ではよくタンゴがかかっているので、時々静を捕まえて踊ったりして気を紛らわしている。
(え、猫とどうやって踊るかって、それはひ・み・つ (^_-)-☆)

今週はじめ、今日の午後地元でミロンガがある、とFBで告知があった。
今年のアジア大会ステージ部門で優勝し、まもなくブエノスでの世界大会に参加する
マルティン&ユカの壮行を兼ねたミロンガが14時~18時、関内で。

金曜日の午後は19時ごろまでナースやらヘルパーやら療養マッサージやら来るので
夫が一人になる心配がない。

やった~!ミロンガに行ける!

去年の夏、1回くらいはミロンガに行けるだろうとユ○クロで買ったものの
結局出番がなかったワンピースをバッグに入れて、猛暑の中出かけていった。

平日の午後、しかもこんな暑い日にどんな酔狂な人が踊りに来ているかと思ったけど、
以前、このお店が別な場所にあったとき毎週土曜日に開かれていたミロンガや、
他の横浜のミロンガの常連さんたちと、久しぶりに会うことができた。

ずっと踊っていなかったけど、立つこと、歩くことは日ごろ気をつけていたし、
もちろん音楽は毎日聞いているから、「久しぶり」という感じもなく、
普通に踊りを楽しむことができた。(*^^)v
静との練習の成果か、以前はいまひとつリズムに乗り切れなかったミロンガが
とても楽しく踊れたので嬉しかった。

マルティン&ユカのデモも気合が入っていて、世界大会への盛り上がりが感じられた。
この暑い日本から冬のブエノスに行くのは大変だけど、
体調に気をつけて、のびのびと実力を発揮して欲しいものだ。
(あ~いっしょに写真とればよかった)

終わって外に出ると、なんだかなじみのある空気感。
ああ、そうだ、かつてのドヨービ・ミロンガの帰り、この道を通っていたんだ。
夏の夕方の、こんな光の中で。

と、私の気分と周りの雰囲気に微妙なずれがあることに気づく。

そっか、きょうは金曜日だったんだね。(^^ゞ
皆さんお勤め、お疲れ様。

2013年12月22日日曜日

感謝と希望のマイホーム・ライブ

というイベントを、昨日(あ、もう一昨日?)12月20日に拙宅で行った。

夫の友人である、ベーシストの齋藤徹さんとヴァイオリニストの谷本仰さんが、
病床にある夫に、なにか音楽のコラボをしようともちかけ、
夫の「生の音が聞きたい」という希望に応えて我が家でライブをすることになったのだ。

企画を進めるうちに、夫の中では「礼拝をしたい」という思いが強くなり、
「賛美礼拝形式による家庭集会」に、タンゴや南米の賛美歌を盛り込むことにした。
谷本さんは牧師でもあり、うたうたいでもあるので、ヴァイオリン、歌、説教と大活躍だ。
ライブには、以前にも登場した餃子の会の人たちを中心に、
私たちのことを日ごろ見守り、支えてくれるタンゴの友人たちを招くことにし、
歌モノが入るということで、徹さんがしばしば共演している歌い手のさとうじゅんこさんにも参加してもらい、私が礼拝の司式と歌の一部を担当することになった。

北九州に拠点を置く谷本さんが仕事で上京するとき、ということで決まったの日取りが
12月20日(金)。
連休前の金曜日、忘年会、Xmasパーティーのピークと思われる日だから、
声をかけても予定のある人が多いよね、と思いながら連絡をしてみると、
全員、「空けておきます」「喜んで伺います」の返事。

普段、ふたりと猫2匹で暮らすこの家に、私たちと奏者も含めて
19人!
(みんな、他に行くとこないのか・・・いやいや無理してくれてるのはわかってるけど)
みんなが入るスペースを作るには、今リビングにあるものを移動する場所をまず作るために他の部屋を片付ける必要があるのだが、平日は看護師やらヘルパーやらやってくるので、週末ごとに少しずつ準備して、なんとか入るだろうというめどはつけた。

実は、10月後半夫は風邪気味で、呼吸の状態が悪くなっていて、
果たして12月20日を迎えることができるのか、わからない感じだった。
夫は「僕に何があっても、ライブはちゃんとやってね」と言ったくらいだ。
私も毎日、「あと50日、生かしてください」「49日・・・」「48日・・・」と祈っていた。
風邪が治った後も、おなかの調子が悪かったりして、不安材料はつきなかった。
なんとか大丈夫と思えたのは、10日前くらいだろうか。

直前の準備や、当日のこまごましたことはみんなに手伝ってもらって、当日を迎えることができた。

徹さん、谷本さん、じゅんこさんは、とてもよく準備してすばらしい演奏とお話を提供してくれた。プロの備え方というのはこういうものかと、隣に立って改めて圧倒される思いだった。
私は、進行やらキッチンの様子やら、夫の世話やら、いろいろなことに気が散っていて、なんだか肝心の内容に集中できずにいたり、歌もお三方の足を引っ張るだけだった感じで、反省ばかりなのだけれど、来てくれたみんなは、「ライブに来てね」といいながら礼拝に参加させてしまうというだまし討ちにも関わらず楽しんでくれて、私たちが伝えたかったこと、感謝と希望をちゃんと受け止めてくれたみたいで、ほっとした。

この19人が、タンゴという共通項で集まり、このような時間を共有できたこと自体が、
タンゴが、ただ音楽やダンスのジャンルではない、ということの証だとつくづく思った夜だった。




2013年5月3日金曜日

腰にタンゴ

夫はかつてよくぎっくり腰になっていた。
一年のある時期は、長時間のデスク業務で午前2時半ごろ帰宅、
夜食をとって入浴して2時間くらい寝て、また6時前に起きて出かけていく、
という部署にいたこともあり、それが冬に当たるものだから、ぎっくり腰を呼んでいた。
ある年はこの多忙期のあと四国旅行に行こう、という前日ぎっくり腰に。
私が二人分の荷物を持ち、現地での運転もすべて私、と予想外の展開となったものだ。
  

  ちなみにこのときは、足摺岬の宿で呼んだマッサージ師が優れていて、
  「ふむふむ、なるほど、わかりました」とあちこち「カキコキ」やってみせ、
  「これでどうでしょうか」と言ったら、それまでどこかにつかまってやっとで起居していた夫が
  畳からすっくと立ち上がり、仰天した。
  以来私の中で足摺岬のポイントはとても高い。

その後夫はタンゴを踊り始め、腰のトラブルとはすっかりおさらばした。
タンゴは正しい姿勢で歩くことが一番の基本の踊りだから、当然と言えば当然だが、
夫はその前にも歩くことは好きでよく歩いていたことを考えると、
「正しい姿勢で」というところがきっと大事なのだろうと思う。
ソシアルダンスで腰を痛めてタンゴに移ってくる人も少なくない、ということも耳にする。

この冬、私も腰痛、そしてそこから来ると思われる坐骨神経痛的なものに悩まされた。
病人を夜一人で置いて出かけることが難しいために、11月半ばを最後に踊りに行かなったこと、
夫の介助の負担が日増しに増えたこと、そして例年になく寒い気候だったことが災いした。
かろうじて続けていたレッスンでさえも、この腰では無理、と休んだこともあった。
ブロック注射やら、カイロプラクティックやら、スーパー銭湯の温泉やらで、
なんとか冬をやり過ごし、暖かくなるのを待った。
春の訪れとともに徐々に症状も改善してきたものの、坐骨神経痛なのかしびれが残っていて、
どこかでちゃんと画像診断を受けないといけないなあ、と思いながら、
なかなか行けないままである。

そんな中、昨日(5月2日)は夫の友人たちが夜来宅するというので、
久方ぶりにミロンガに行ってみることにした。
出かけたのは、世界チャンピオンになったHiroshi&Kyokoが主催するKitsune.
昨日は銀座のTangueraのイベントも兼ねていたので、
普通の木曜日のミロンガとは雰囲気がちがうようだったけれど、
落ち着いた大人の雰囲気のミロンガだった。
 

 師匠や教室の生徒さん以外の人と踊るのは実に5か月半ぶり!
踊れるのかちょっと心配だったけれど、幸いよく知っている、しかも上手な方たちとばかり
踊ることができて、何の問題もなく、楽しく踊れた。
そして、お尻から脚の筋肉に心地よい疲れ。ああ、そう、こういう疲れだったよね。
でも疲れているのだけれど、身体がしゃきっとしてよい姿勢で歩けている。

今朝になって、あのしびれがほとんどなくなっているのに気付いた。

やっぱり、腰痛に効くのはタンゴなんだ!

できるだけ機会を作って踊るようにしなければ、腰のために、
というのは方便かな。

2013年4月30日火曜日

タンゴの節句

北九州・福岡を拠点に活躍するタンゴバンド、トリオ・ロス・ファンダンゴスと、私のダンスの師匠ケンジ&リリアナ先生が12年間続けてきた「タンゴの節句ツアー」が今年もたけなわである。
 

 
Photo by Junji Nakajima

五月五日の端午の節句にタンゴをかけたこの「タンゴショー」、とにかくタンゴの楽しさがわかる、
演奏とダンスと歌、そして軽妙なトークの、他に例を見ないステージが、GW期間福岡から広島まで、各地で展開される。

トリオ・ロス・ファンダンゴスを知らない方は
トリオ・ロス・ファンダンゴスのプロフィール
をどうぞ。

彼らとは、2005年、夫の友人であり世界で活躍するベーシスト、齋藤徹さんとファンダンゴスが横浜で演奏するのを聞きに行き、そこで夫が録った録音がCD Trio Los Fandangos 3に採用されて以来の付き合いだ。

「タンゴの節句」も見に行きたいとずっと思っていたが、夫の楽団も毎年この時期コンサートをしていたので、なかなか行くことができなかった。
去年、夫の病気がわかったとき、私は「身体が動くうちにブエノスアイレスに行こう」と言ったのだが、おりしも年度末、人事異動への影響や仕事上の都合もあり、それは困難だった。
医師は、「半年後は無理、3か月後はわからない」と言う意見。
そして夫は
 ブエノスには行かなくていいから、タンゴの節句に行こう
と言った。

ブエノスに一番近い、ブエノスのエスプリを、タンゴの真髄を、日本で一番持っているバンドがトリオ・ロス・ファンダンゴスなのだから、ブエノスの次に来る選択は彼らであって当然だ。

そして去年、九州の親戚を訪ねた足で、北九州の公演を見る(聞く)ことができた。
毎年、そして公演ごとに変化・進化してきた「タンゴの節句」、ものすごく楽しかった。

今年は、タンゴ歌手西澤守氏を迎えてさらにパワーアップした「タンゴの節句」、
口開けの福岡公演はUst中継され、その時間を共有することができたうえ、
FBのお蔭で出演者、スタッフとも交流できているのがありがたい。
  

公演の様子はケンジさんのブログ
をどうぞ。


このあと以下の公演が予定されている。(TLFホームページより)

 
5月2日(木)
【広島・カフェ・テアトロ アビエルト】082-873-6068
広島市安佐南区八木9-10-40 
開場19:00/開演19:30
前売り3500円、当日4000円(入場の際、要ドリンクオーダー[500円])
※問合せ090-9412-3241(大槻)またはtandoku_ryokousha@yahoo.co.jp
※タンゴの節句2013唯一、完全ノーマイク生音のタンゴ!


5月3日(金)
【下関・下関酒造 酒庵「空」】083-252-0009
下関市幡生宮の下町8-23
開場15:15/開演16:00  
前売り3500円、4000円
※おいしいお酒とおつまみの数々。タンゴの宴!!


5月4日(土)
【北九州・黒崎ひびしんホール】093-621-4566
北九州市八幡西区岸の浦2-1-1 
開場13:30/開演14:00
前売り3500円、当日4000円
※昨夏オープンしたばかりの新しいホールで、タンゴの節句2013フィナーレ、千秋楽!!


ニュースで聞く限り、新幹線も飛行機もまだ余裕があるらしいし、
ブエノスよりぐっと近い広島、下関、小倉で、ブエノスに一番近い音が聞けるのだ。
お近くの方も、遠くの方も、GW後半の予定が空いていたらぜひお出かけあれ。

2013年4月7日日曜日

音楽隊がやってきた

嵐の後の強風の中、タンゴのダンス仲間で楽器の覚えのある面々が、
最近始めたアンサンブルを手土産に、夫の誕生祝にやってきた。

生憎、リーダー格の方が体調不良で不参加だったため、演奏は期待しないで、
と言われていたけれど、どうしてどうして、とても楽しかった。

演奏してくれたのは、
Por una cabeza, Palomita Blanca, Pedacito de cielo, Vida Mia
の4曲。
どれも私たちの大好きな曲だ。

確かに打ち合わせ不十分だったり、練習不足だったりのところはあったけど、
それ以上に、みんなの愛が伝わってきて、心が温かいもので満ちてくる演奏だった。

音楽が音楽になるのは、技術レベルとは全く別のところにある。
伝える思いがあり、それを伝えようと集中する心があるかどうか、だ。
5人の友人が、私たちに生の音で思いを伝えてくれる、なんと贅沢な時間だ!
と思ったら、胸がキュンとなって目頭が熱くなった。

みんな本当にありがとう。また来てね!

2013年4月1日月曜日

Shall we dance?

というタイトルの映画がヒットして、社交ダンスが流行り、
でも、社交ダンスはあんまり「社交」はしてなくて「競技」に熱心なのがいやになってタンゴに来た、
という人に結構会ったことがある。

それはともかく、このフレーズが昨日ふと頭に浮かんで思ったこと。
英語より日本語の方がweの意識が強い言語だけど、ここは英語もweなんだ。
たぶんそれは、この言葉をかける以前に、アイコンタクトや会話でweの関係性が成立しているからだと思う。

翻って日本語で誘うときは何と言っているかというと、
もちろん、「踊りませんか」「踊って頂けますか」もあるけど、結構聞くのは「お願いします」だ。

なんで「お願いします」なんだ?

社交ダンスとか他のダンスのことは知らないので、あくまでミロンガでの話だけど、
「踊りましょう」と誘うのに「お願いします」と言い、「ハイ喜んで」と答えるつもりで「お願いします」
って言ってないか?

少なくとも私は、そう言いなさいと教わったわけでもないのに、けっこう「お願いします」を使っている。
でも、考えてみると「お願いします」じゃ
 剣道の対戦とか
 囲碁の対局とか
 そうそう、中学の時やっていたバレーボールのレシーブ練習とか
みたいじゃあないか。

「よろしくお願いします」の省略形だったとしても、なんかタンゴにそぐわない感じがしてきた。

もうちょっと気の利いた受け方を考えてみよう。

そういえば某サロンの人たちはあまり「お願いします」と言っていない気が。。。
今度もっと注意して見てみようっと。