2019年7月7日日曜日

Memento mori メメント・モリ

(日本語は下に)
"Memento mori" was the theme of a special gathering today to remember the late bassist and our dear friend, Tetsu Saitoh, who succumbed to cancer on May 18th.  
The program ran for 4 hours, featuring music, dance, poetry reading and talk by wide range of performers who worked with Tetsu over the years, as well as Tetsu's video. Visitors were free to come and go at any time, and place flowers by his bass.

I arrived just after the opening speech started.  I wasn't sure if I would stay the whole time, but as it turned out, I hung around till the end.  I ran into some of our old friends, met new ones, and, of course, took some time talking with Tetsu's wife.I suppose the grief of losing loved one is different from person to person.  Still, there is something that we can feel out for each other like no other people.

Strangely-- or maybe not so strangely-- there were few tears.  All the performances and talks and video in remembrance of Tetsu actually celebrated life.  It was a strong reminder that each one of us has life to live as what we are.  For me, it's almost scary to think presenting myself as I am, but maybe Tetsu was telling me that it's OK, and it's the best thing.
Here's what he said in one of the videos:
Pay attention to the sound, 
Don't try to possess your heart or body, 
And your will have both wings and root.

Thank you, Tetsu.




メメント・モリ ということばとであったのはいつのことだったか。
中世の修道院では修道士の枕元にこのことばが刻まれていた、と何かの小説かエッセイで読み、クリスチャンの癖にそのことばを知らなかった自分を恥じた、と記憶している。

「自らを死すべき者と知れ」を意味するこのことばが、去る5月18日に亡くなった齋藤徹さんのお別れの会のテーマだった。
「徹さんとすごす会ー齋藤徹のメメント・モリー」と題されたこの会は、徹さんのホームベースだった「いずるば」で、日曜日の午後2時から6時まで開かれ、縁のダンサーや音楽家、詩人などなどのパフォーマンスやお話と記録映像の上映が行われる中、来会者は好きな時間に来て、出会った人とおしゃべりをしたり、たぶんそこに居る徹さんの魂とも対話して、好きな時間に帰る、というものだった。徹さんの長年の相棒だったダンサーのジャン・サスポータスさんともネット中継を結んでメッセージをもらうなど、徹さんの活動(守備範囲?)の広さを改めて感じる会だった。

私は開会挨拶の終わるころに着いて、いつまでいるか決めずにいたのだけど、よい気の満ちていたせいか時の流れるのも忘れ結局最後まで残っていた。お久しぶりの方と会ったり、新しく知り合った方があったり、もちろん徹さんのお連れ合いの玲子さんともお話した。愛するものを失った思いは人それぞれだと思うから、簡単に「気持ちはわかる」なととは言いたくない。それでも同じ立場だからかけられることばというのはあって、そんなことばを交わすことができた。これからも折々に話すことができればと思う。

徹さんが亡くなったとき、私を含めて多くの人が「悲しくてたまらない」「どうしてこんなに涙が止まらないんだろう」と言っていた。しばらくして思ったこと。徹さんという人はものすごく多様で多彩な人たちと繋がって、その一人ひとりに自分を惜しみなく投げ出し、さらけ出してきて、私たちはそんな徹さんをハブにして広い世界に繋がっているつもりだったのに、要の徹さんがいなくなったことで、命綱が切れて宇宙に投げ出されたような心細さを感じたのではないか、それであんなにわあわあ泣いたりおろおろしてしまったのだ。
あれからまた少し時間がたって、徹さんはいなくなったのではなくて、私たちの中にちゃんといる、だから大丈夫なんだ、ちゃんと私たちは繋がっているのだ、と思えるようになって私は少し落ち着いたのだけど、みんなはどうだっただろう。聞いてみてはいないからわからないけれど、今日の集まりはその徹さんの存在と繋がりを再確認する機会になったと思う。そう、確かに「徹さんとすごす会」だった。

メメント・モリということばが口にされることはなく、いわゆる「お別れの会」だけど「涙涙」にはならず、むしろ、一人ひとりが生きている、いろんな人がその人として生きていることを喜ぶ、そんな時間だった。「胸を張って、自分として生きればよい」、そんなフレーズが頭をよぎる。それはちょっと怖い、と私は思う。でも徹さんは決まり文句で答える。「大丈夫」、と。

最後に紹介されたビデオの中で徹さんは言っていた。
 音に注意をはらい、自分の身体と心を所有しようとしなければ
 羽と根っこの両方を持つことができる

ありがとう、徹さん。



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