Ausencias は、今年亡くなった齋藤徹さんが1998年に出したアルバムのタイトルである。
意味は「不在」。徹さんがそのグループに入りたいと強く望みながら叶わなかった、
Astor Piazzola の楽曲を「卒業」するつもりで録音したアルバム。
ピアソラは95年亡くなった。ピアソラはもう、いない。しかし、その不在こそがその存在の大きさを感じさせる、との思いが込められてのタイトルだったと記憶している。
その徹さんとベースアンサンブルを組んでいた、田辺和弘、田嶋真佐雄、瀬尾高志の3人が
12月21日「Travessia de Tetsu」と題したライブを横濱エアジンで行なった。
3人とも、様々な形で徹さんの薫陶を受け、共演し、それぞれ個性的な活動をしているベーシストたち。その彼らが徹さんの楽曲を演奏するというのを楽しみにしていた。
♬
街
Tango Eclipse 全3楽章
西覚寺~トルコマーチ~Invitation
フリーインプロヴィゼーション
オンバク・ヒタム桜鯛 全3楽章
Travessia
徹さんの音楽、徹さんの奏法が生き生きと蘇り、徹さんが演奏している姿が目に浮かぶ。
そこに、田辺さんのカンジェンゲ、田嶋さんのピチカート、弓を持ち替えて音色を変えるなど技ありの瀬尾さん、それぞれの魅力が加わる。
それはそれは特別な、素晴らしい音楽のひとときだった。
でも。
やっぱり徹さんはもういないんだなあ、とも感じてしまった。
徹さんの音楽はそこにあるけど、徹さんの「音」は聞こえなくて、
徹さんの不在が徹さんの存在が大きかったことを改めて知らせている。
三人の奏者の中に、しっかりと徹さんと徹さんの音楽が生きているからこそ、
そんな風にも思ってしまうわけで、嬉しくて寂しくて切ないような。
それで、
そういえば徹さん、Ausenciasってアルバム作ってたよね、
と思い出した。こんな風に思いがつながる言葉まで残していくところも徹さんらしい。
2019年12月23日月曜日
2019年11月14日木曜日
不思議なこと
昨日の朝、階下に下りてきたら、なんか話し声がする。
え?
声はデスクの上に置いてあるラジオから聞こえていた。
このラジオは、スペイン語講座をタイマー録音するためのものなのだけど、
充電器とスピーカーを兼ねたクレードルから少し浮いた格好でONになっていた。
いまはその予約した時間ではない。
なぜ?
位置が動いていたのは夜中に猫が蹴飛ばしたのかもしれないけど、
本体のスイッチはぐいっと押し下げるタイプ。ちょっと動いたくらいではONにならない。
なぜ?
本体をクレードルにカチリとはめると、スピーカーから関西アクセントの男性の声。
え?谷本さん?
いや、そんなはずはない。
でも、聖書の話をしている。
ダビデの詩編がどうとか、キリスト者の国籍は天にあるから天がHomeとか。
さらに聞き進むと、どうやらこれはゴスペルの歴史の番組らしいことがわかる。
それにしても、内容が説教(礼拝におけるみことばの解き明かし)になってる。
誰?
後で調べたら、これだった。
カルチャーラジオ芸術その魅力「ゴスペルソングの歴史」
話していたのはNOBUというゴスペルシンガー。
その世界では有名人らしいけど私はゴスペルはあまり聞かないので知らなかった。
ググってみた限りでは牧師ではないらしい。
どうやら再放送だったらしく、改めてこの回を聞きなおして確認はできないのだけど、
詩編39篇の
主よ、私の祈りを聞き
助けを求める叫びに耳を傾けてください。
私の涙に沈黙しないでください。
という部分を引いて、
神様を信じたからと言って、毎日がハッピーになるわけではなく、嵐はくる。
ダビデのようにこう祈らずにいられない日もある。
でも朝は必ず来て、朝には希望がある、ということをゴスペルは歌っている。
というような内容だったと思う。
たぶんそれは、私がいま必要だったメッセージなのだ。
必要なことはすべて神様が備えてくださる
すべてのことには時がある
というのはある意味信仰的生活の中心で、私もいつも心に思っていること。
だから、きょう私の耳にこのメッセージが届いたのだ。
だけど、ラジオのスイッチ。。。
不思議な出来事だった。
え?
声はデスクの上に置いてあるラジオから聞こえていた。
このラジオは、スペイン語講座をタイマー録音するためのものなのだけど、
充電器とスピーカーを兼ねたクレードルから少し浮いた格好でONになっていた。
いまはその予約した時間ではない。
なぜ?
位置が動いていたのは夜中に猫が蹴飛ばしたのかもしれないけど、
本体のスイッチはぐいっと押し下げるタイプ。ちょっと動いたくらいではONにならない。
なぜ?
本体をクレードルにカチリとはめると、スピーカーから関西アクセントの男性の声。
え?谷本さん?
いや、そんなはずはない。
でも、聖書の話をしている。
ダビデの詩編がどうとか、キリスト者の国籍は天にあるから天がHomeとか。
さらに聞き進むと、どうやらこれはゴスペルの歴史の番組らしいことがわかる。
それにしても、内容が説教(礼拝におけるみことばの解き明かし)になってる。
誰?
後で調べたら、これだった。
カルチャーラジオ芸術その魅力「ゴスペルソングの歴史」
話していたのはNOBUというゴスペルシンガー。
その世界では有名人らしいけど私はゴスペルはあまり聞かないので知らなかった。
ググってみた限りでは牧師ではないらしい。
どうやら再放送だったらしく、改めてこの回を聞きなおして確認はできないのだけど、
詩編39篇の
主よ、私の祈りを聞き
助けを求める叫びに耳を傾けてください。
私の涙に沈黙しないでください。
という部分を引いて、
神様を信じたからと言って、毎日がハッピーになるわけではなく、嵐はくる。
ダビデのようにこう祈らずにいられない日もある。
でも朝は必ず来て、朝には希望がある、ということをゴスペルは歌っている。
というような内容だったと思う。
たぶんそれは、私がいま必要だったメッセージなのだ。
必要なことはすべて神様が備えてくださる
すべてのことには時がある
というのはある意味信仰的生活の中心で、私もいつも心に思っていること。
だから、きょう私の耳にこのメッセージが届いたのだ。
だけど、ラジオのスイッチ。。。
不思議な出来事だった。
2019年11月12日火曜日
箱根に行ってきた
秋の箱根にドライブに行ってきた。
いつもは湘南から行くのだけど、なぜかナビが東名で行けというのでそっちから。
最初の目的地は山のホテルのティールームなのだけど、
なぜか小田原から箱根は旧道から行けと言う。
この道は交通量は多くないけど、狭くて勾配もきつい。
♬はっこねーのやっまわーてんかーのけん
よいしょ、とハンドルを切りながら上る。
そんな道をハイキングする人がかなりいる。
普通の格好で歩いている人さえいる。
いったいどこからどこまで歩くのか?
自転車で上ってる人もいるではないか!なんなんだ。
目当てのティールーム、天気が良いのでテラス席はいっぱい。
一瞬空くのを待つことも考えたけどやめて、室内の窓際の席へ。
(これは正しい選択。テラスの人たちは私が食べ終わってもまだのんびりしてた。)
ルイボスティーグレープフルーツ風味。全然ルイボスの癖がなくて美味しかった。
オムレツ ラタトゥイユ添え。
芦ノ湖はすこし波立っていたけど、日差したっぷりでボートで釣りをする人も。
桟橋の先に立てば山影から富士山が。
デザートはパスして、仙石原をめざす。
先月通った時はすこし早かったすすきの原。
先の台風で被害があって一時閉鎖された遊歩道も一部入れるようになったそうなので
きょうは車を降りて歩いてみるつもり。
遊歩道はこんな感じに行き止まり。
すすきはもう終わりに近づいていたけど、広々した草原に揺れる穂は心和むものだった。
そしてポーラ美術館へ。開催中のシンコペーション展を見に。
以前、横浜美術館でも現代アートと過去の巨匠のスタイルとの関連性を扱った展示があり
とても興味深かったので、今回のこの展示も見たいと思っていたのだ。
期待を裏切らない、丁寧でよく考えられた展覧会だった。
ここは少し高いところなので、紅葉が進んでいる。
仙石原には親から受け継いだ別荘地(原野)があるのだが、
まさにそのすぐ下で土砂崩れがあり、
そのおかげで宮ノ下方面に抜ける138号線は通行止めになっている。
恐る恐る別荘地の様子を見に行く。
大きな倒木などは起きていなかったけれど、
もともと未舗装の道路がますますすごいことになっていて、ちょっと怖かった。
ここで立ち寄り湯でも使いたいところだけど、
日没の富士山を御殿場に下りる途中の「ふじみ茶屋」から見るにはもう時間がないので
そのまま出発。トンネルを抜け、さあ、と思ったら、なんと
ふじみ茶屋が閉まっていて車が停められず、写真も撮れず。
そのためにこっち側に下りたのに。
ここでお団子でも食べようと、デザート我慢したのに。
こんなことなら温泉に入ってきたのに。(T_T)
少し下ったところで路肩を見つけ、やっと1枚撮ったのがこれ。
またいつかこれもリベンジしないと。
いつもは湘南から行くのだけど、なぜかナビが東名で行けというのでそっちから。
最初の目的地は山のホテルのティールームなのだけど、
なぜか小田原から箱根は旧道から行けと言う。
この道は交通量は多くないけど、狭くて勾配もきつい。
♬はっこねーのやっまわーてんかーのけん
よいしょ、とハンドルを切りながら上る。
そんな道をハイキングする人がかなりいる。
普通の格好で歩いている人さえいる。
いったいどこからどこまで歩くのか?
自転車で上ってる人もいるではないか!なんなんだ。
目当てのティールーム、天気が良いのでテラス席はいっぱい。
一瞬空くのを待つことも考えたけどやめて、室内の窓際の席へ。
(これは正しい選択。テラスの人たちは私が食べ終わってもまだのんびりしてた。)
ルイボスティーグレープフルーツ風味。全然ルイボスの癖がなくて美味しかった。
オムレツ ラタトゥイユ添え。
芦ノ湖はすこし波立っていたけど、日差したっぷりでボートで釣りをする人も。
桟橋の先に立てば山影から富士山が。
デザートはパスして、仙石原をめざす。
先月通った時はすこし早かったすすきの原。
先の台風で被害があって一時閉鎖された遊歩道も一部入れるようになったそうなので
きょうは車を降りて歩いてみるつもり。
遊歩道はこんな感じに行き止まり。
すすきはもう終わりに近づいていたけど、広々した草原に揺れる穂は心和むものだった。
そしてポーラ美術館へ。開催中のシンコペーション展を見に。
以前、横浜美術館でも現代アートと過去の巨匠のスタイルとの関連性を扱った展示があり
とても興味深かったので、今回のこの展示も見たいと思っていたのだ。
期待を裏切らない、丁寧でよく考えられた展覧会だった。
ここは少し高いところなので、紅葉が進んでいる。
仙石原には親から受け継いだ別荘地(原野)があるのだが、
まさにそのすぐ下で土砂崩れがあり、
そのおかげで宮ノ下方面に抜ける138号線は通行止めになっている。
恐る恐る別荘地の様子を見に行く。
大きな倒木などは起きていなかったけれど、
もともと未舗装の道路がますますすごいことになっていて、ちょっと怖かった。
ここで立ち寄り湯でも使いたいところだけど、
日没の富士山を御殿場に下りる途中の「ふじみ茶屋」から見るにはもう時間がないので
そのまま出発。トンネルを抜け、さあ、と思ったら、なんと
ふじみ茶屋が閉まっていて車が停められず、写真も撮れず。
そのためにこっち側に下りたのに。
ここでお団子でも食べようと、デザート我慢したのに。
こんなことなら温泉に入ってきたのに。(T_T)
少し下ったところで路肩を見つけ、やっと1枚撮ったのがこれ。
またいつかこれもリベンジしないと。
2019年10月29日火曜日
「死者と生者」と「光と闇」と
先週末、大槻オサムさんと谷本仰さんによる
「ひとりの役者とひとりの演奏者による光と闇をめぐる時間」ホシハ チカニ オドル
の東京公演があった。「ホシハ チカニ オドル」については、上記リンクを見てほしいが、
JOC臨界事故やチェルノブイリで被曝死した人たちに代わって語る試みから生まれたこの舞台は、2011年から公演を重ね、今回東京での公演で50回を数えた。谷本さんの活動を追う中で、いつか見たいと思っていたものの、出演者が広島と北九州なものだから(?)なかなかこちらの方では公演の機会がなく、今回やっと見ることができた。
たまたま初演の直後に福島第一原発事故が起き、一気に反原発・原発推進の議論が活発化したことでこの舞台への関心と要請も高まったので、もっと直截に反原発、あるいは反核を語るものかと想像していたのだけれど、そうではなかった。もはやここで表現されていることはもっと普遍的な、死者と生者、光と闇、そしてそれらをつなぐもの、だった。
光と闇とは対比されるものでありながら、闇があっての光、光があっての闇、という側面があり、どちらがよい、わるい、というものは、ない。(光であるのに闇を必要としないのは聖書の神の光だけだ。)それでも、私たちは光にポジティブなイメージを持ち、闇からは目をそらそうとして暮らしてはいないか。それは、本当に光を見ていることにはならないのではないか。
同様に、死者と生者も、実は分かちがたいものではないのか。生きている私たちの命は死んだ者たちの命とつながっているはずではないのか。それなのに、そのことを忘れて、いや気づかぬふりをして、わが身だけを考えて生きている者が多すぎやしないか。
そんなことを思って、舞台を見つめていた。
私が駆け出しの通訳者だったころ、原発関係の仕事はけっこう多かった。
ちょうど「もんじゅ」のプロトタイプが動き出していたころで、
テーマとなるのは核物質管理(セーフガード)が多かった。
資源を持たない日本のような国で、「もんじゅ」は救世主のように言われていたけど、
こんなうまい話があるわけはない、こんなにうまくいくものか、と私は思っていた。
当時IAEAやアメリカから来ていた技術者の物言いを聞いていると、
表向きは理論上可能なこの技術の推進を支持しても、
実はこれはやっぱり夢物語だと思っているのではないか、と感じることが多かった。
いくつものトラブルを経て、「もんじゅ」の廃炉が決まったことは周知の事実。
そんな様子を見てきていても、当時原発やセーフガードに関わって仕事をしていた人たちは、自分たちが何をしているのか、どんな危険があるかちゃんとわかっていたし、
私は原発についてヒステリックになることなく、むしろ楽観的だった。
JOC事故はもちろん、チェルノブイリ事故の時、私はすでにニュースの仕事をしていた。
ソ連時代、彼の国からの情報は限られ(次の共産党書記長が誰になるかは、革命記念日の軍事パレードの席次を見てあれこれと推論していたくらい)、その中で起きた大事故について我々が詳細を知るようになるのは何年もあとのことだった。そんな時代をイメージすることも、今は難しいのかもしれない。
福島の事故が起きて、非常用電源を海側に置くなどというトンデモナイことが行われていたことに、私はショックを受けた。慎重で綿密だったあの技術者たちの英知は、伝わっていなかったのか。バブル経済を機に、本当に金に魂を売ってしまった日本人が多くなったとは思っていたけれど、電力会社までがそうだったのか。人の命は地球より重い、なにより大切にされるべきということを、どこで忘れてきてしまったのか。放射能汚染より、そのことの方が深刻な問題にさえ思える。
日本の原発は、原子力武装に代わるものとして配備されている、とも言われていた。
これだけあちこちに原発のある日本を攻撃するとえらいことになりますよ、
という抑止だというのだ。
福島でその原発を自分で壊してしまって、影響がどれほどのものかばれてしまったから、
もう原発は抑止の役割を果たさない。某国から攻撃があるかもしれない。
きっとアメリカはもう庇ってくれない。どうするつもりなのだろう。
私が接してきた情報などはたいしたものではないけれど、リアルタイムでこうした出来事を知らなかった人に、知っていた者が伝える必要は、やっぱりあると思う。出来事が、記憶が共有されるためには、それらが語られなければならない。今の時代は幸いにしてさまざまなメディアに記録することが可能だから、体験者が存命のうちに、先の戦争や、大災害などの経験を記録しておいて欲しいし、それらをもとに演劇や映画、小説などを通じて伝えてほしいと思う。情報を伝えるだけでなく、忘れていたことを思い出すきっかけを与えるためにも。「ホシハ チカニ オドル」にもそういう役割があると、大槻さん自身も語っていた。
舞台を見てしばらくしてから、数か月前にどこかで目にした言葉を思い出した。
死者はこの世からいなくなってしまうのではない。
「死者」として我々と共にこの社会に存在しているのだ。
まったく物覚えが悪くて、本で読んだかテレビで見たかすら思い出せないのだが、
とても印象に残ったことばだった。
死者も社会の構成員として、無視してはいけない存在なのだ、
彼らの体験から学び、これからに生かしていかなければいけないのは、
彼らもまたここにいるからだ、というような話だったと思う。
この考えには私も大きく肯いた。
死者とどうつながって生きていけばよいのか、と問う向きには、
「ホシハ チカニ オドル」がきっと答えを示してくれるだろう。
2019年10月22日火曜日
Viva Rugby!
(日本語は下に)
Rugby is suddenly IN in Japan.
Quadrennial Rugby World Cup is now being held in Japan,
and the Japanese team won up to the quarterfinal for the first time ever.
At last World Cup in UK 4 years ago,
Japan surprised the world by defeating South Africa.
They won 3 of the 4 pool matches, but was eliminated in the pool stage.
This time, they won all of the 4 pool matches,
defeating powerhouses of Ireland and Scotland.
Many Japanese suddenly began claiming themselves as rugby fans.
The excitement has now subsided a little
as Japan lost to South Africa in the quarterfinals
(of course, the Springboks must have been determined
not to repeat the disgrace of 4 years ago)
but the extensive exposure of this unfamiliar sport to the general public in Japan
should have positive impact in the future.
I was not a rugby watcher, and this has been a great opportunity to learn about the sport.
What I really like about World Cup is that the nationality doesn't matter so much to represent a country in Rugby World Cup.
You only have to have played 3 years or more in that country to make the national team.
As a result, every team consists of players of various backgrounds and nationalities.
The Japanese team included players from New Zealand, Australia, South Africa, Tonga, South Korea, etc.
This arrangement means that rugby is a sport in which people of different color, ethnic and cultural backgrounds work together for a single goal of winning a match by coordinating and making most of their differences in physical characteristics as well as strong points and weak points .
Our society should be like that, I thought. Narrow-minded nationalism is rising nowadays, and I hope Rugby World Cup served as a wake-up call to many of us.
Even though Japan has been eliminated, I'm looking forward to watching the semifinals and the final when the world's top class teams (called Tier 1) are expected to play with their full strength.
「にわか」である。
ラグビーのことは仕事上最低限必要な基本知識はあったけれど
試合を見てもよくわからないのであまり見ることもなかった。
今年の正月、
早明戦の後半をたまたま家に来ていた姉(連れ合いはラグビーやる人)や、
FB上の友人から教えてもらいながらTV観戦し、
デジタル化したせいか昔より密集の中が良く見えるようになったこともあり
ああ、これならなんとかワールドカップも見て面白いかもしれないな、
と思っていた。
今回、日本は初戦こそミスが多く不安な出だしだったけど、
プール戦残り3試合は、何が必要かをきちんと準備して実行する、
本当に美しいプレーで、勝ち負けよりプレーを見ることが楽しかった。
体格や能力の異なる選手が互いを生かしながら一つの目的に向かっていく。
なんて素敵なスポーツなんだ!
そしてチームは目標だったプール戦突破を全勝で成し遂げた。
準々決勝の南ア戦は、それまでの速さが影をひそめてしまい、敗退。
これはやっぱり、層の厚さの違いなのだろうと思った。
かねてから思っていることだけど、
MLBでワールドチャンピオンになるチームやサッカーワールドカップで優勝するチームは
その最終段階まで戦うつもりでそれだけの力を蓄えている。
逆に言えば、それだけの層の厚さ、優れた選手をそろえているチームが
そこまで勝ち上がることができるのだ。
ましてやラグビーは身体への負担が大きいスポーツだから、
プール戦を余裕を持って戦えるチームと、全力で行かざるを得ないチームとでは、
ノックアウトステージに入るときの状態は大きく違うはずなのだ。
今回の日本代表は、間違いなく史上最強だっただろうし、
それはメンバーだけでなく、日本のラグビー全体の力がそこまで上がってきた、
ということだろう。
ただ、英連邦伝統のスポーツにおいて、彼らと互角に渡り合うほどには
まだ至っていない、というだけのことだ。
プール最終戦直前に台風が来て、釜石ではカナダーナミビア戦が中止になり、
カナダチームは泥の掻き出しボランティアに参加、
ナミビアチームは避難所を慰問した。
翌日の日本ースコットランド戦は実施され、日本の勝利に沸いたが
選手たちが「被災者に元気を出してもらえれば」
と語ったのを「傲慢だ」という人がいた。
試合などやめてボランティアに行け、とまで言う人も。
そういうことを言う人はおそらくスポーツを「娯楽」
つまりは「必要ではないもの」と思っているのだろう。
そうした考えは「役に立たない」ものを否定することであり、
ひいては障がい者や高齢者、子どもたちを否定する発想とひと続きだと気づかないのか。
それに、スポーツや音楽、美術や演劇などあらゆる芸術は
娯楽でもなければ「役に立たないもの」でもない。
人が生きること、すなわち死に向かって進んでいくことを昇華させるのが
スポーツであり芸術であることを思えば、
災害など困難な時こそ、これらは必要なはずだ。
ラグビーワールドカップでは、ある国を代表するのに国籍は必須ではない。
その国で3年プレーしていて他の国の代表になっていなければよい。
だからどのチームも、色々な背景の選手によって構成され、
生まれや肌の色に関係なく、それぞれの体格や強みや弱みを生かし合いながら
試合に勝つという一つの目的に向かってプレーする。
さらに試合が終わればノーサイド、ラフプレーをした選手には直接謝罪に行くし、
お互いの良いプレーを称えあう。
紳士のスポーツと言われるこの伝統がどこから来たのかは知らないし、
見えないところではきれいごとばかりではなかったことも伝え聞く。
それでも、ラグビーが私たちの社会の在り方に与える示唆は大きいと思う。
大会はこれからがクライマックス、Tier 1と呼ばれる世界の強豪が
どんな真剣勝負をするのか、楽しみに観戦しよう。
Rugby is suddenly IN in Japan.
Quadrennial Rugby World Cup is now being held in Japan,
and the Japanese team won up to the quarterfinal for the first time ever.
At last World Cup in UK 4 years ago,
Japan surprised the world by defeating South Africa.
They won 3 of the 4 pool matches, but was eliminated in the pool stage.
This time, they won all of the 4 pool matches,
defeating powerhouses of Ireland and Scotland.
Many Japanese suddenly began claiming themselves as rugby fans.
The excitement has now subsided a little
as Japan lost to South Africa in the quarterfinals
(of course, the Springboks must have been determined
not to repeat the disgrace of 4 years ago)
but the extensive exposure of this unfamiliar sport to the general public in Japan
should have positive impact in the future.
I was not a rugby watcher, and this has been a great opportunity to learn about the sport.
What I really like about World Cup is that the nationality doesn't matter so much to represent a country in Rugby World Cup.
You only have to have played 3 years or more in that country to make the national team.
As a result, every team consists of players of various backgrounds and nationalities.
The Japanese team included players from New Zealand, Australia, South Africa, Tonga, South Korea, etc.
This arrangement means that rugby is a sport in which people of different color, ethnic and cultural backgrounds work together for a single goal of winning a match by coordinating and making most of their differences in physical characteristics as well as strong points and weak points .
Our society should be like that, I thought. Narrow-minded nationalism is rising nowadays, and I hope Rugby World Cup served as a wake-up call to many of us.
Even though Japan has been eliminated, I'm looking forward to watching the semifinals and the final when the world's top class teams (called Tier 1) are expected to play with their full strength.
「にわか」である。
ラグビーのことは仕事上最低限必要な基本知識はあったけれど
試合を見てもよくわからないのであまり見ることもなかった。
今年の正月、
早明戦の後半をたまたま家に来ていた姉(連れ合いはラグビーやる人)や、
FB上の友人から教えてもらいながらTV観戦し、
デジタル化したせいか昔より密集の中が良く見えるようになったこともあり
ああ、これならなんとかワールドカップも見て面白いかもしれないな、
と思っていた。
今回、日本は初戦こそミスが多く不安な出だしだったけど、
プール戦残り3試合は、何が必要かをきちんと準備して実行する、
本当に美しいプレーで、勝ち負けよりプレーを見ることが楽しかった。
体格や能力の異なる選手が互いを生かしながら一つの目的に向かっていく。
なんて素敵なスポーツなんだ!
そしてチームは目標だったプール戦突破を全勝で成し遂げた。
準々決勝の南ア戦は、それまでの速さが影をひそめてしまい、敗退。
これはやっぱり、層の厚さの違いなのだろうと思った。
かねてから思っていることだけど、
MLBでワールドチャンピオンになるチームやサッカーワールドカップで優勝するチームは
その最終段階まで戦うつもりでそれだけの力を蓄えている。
逆に言えば、それだけの層の厚さ、優れた選手をそろえているチームが
そこまで勝ち上がることができるのだ。
ましてやラグビーは身体への負担が大きいスポーツだから、
プール戦を余裕を持って戦えるチームと、全力で行かざるを得ないチームとでは、
ノックアウトステージに入るときの状態は大きく違うはずなのだ。
今回の日本代表は、間違いなく史上最強だっただろうし、
それはメンバーだけでなく、日本のラグビー全体の力がそこまで上がってきた、
ということだろう。
ただ、英連邦伝統のスポーツにおいて、彼らと互角に渡り合うほどには
まだ至っていない、というだけのことだ。
プール最終戦直前に台風が来て、釜石ではカナダーナミビア戦が中止になり、
カナダチームは泥の掻き出しボランティアに参加、
ナミビアチームは避難所を慰問した。
翌日の日本ースコットランド戦は実施され、日本の勝利に沸いたが
選手たちが「被災者に元気を出してもらえれば」
と語ったのを「傲慢だ」という人がいた。
試合などやめてボランティアに行け、とまで言う人も。
そういうことを言う人はおそらくスポーツを「娯楽」
つまりは「必要ではないもの」と思っているのだろう。
そうした考えは「役に立たない」ものを否定することであり、
ひいては障がい者や高齢者、子どもたちを否定する発想とひと続きだと気づかないのか。
それに、スポーツや音楽、美術や演劇などあらゆる芸術は
娯楽でもなければ「役に立たないもの」でもない。
人が生きること、すなわち死に向かって進んでいくことを昇華させるのが
スポーツであり芸術であることを思えば、
災害など困難な時こそ、これらは必要なはずだ。
ラグビーワールドカップでは、ある国を代表するのに国籍は必須ではない。
その国で3年プレーしていて他の国の代表になっていなければよい。
だからどのチームも、色々な背景の選手によって構成され、
生まれや肌の色に関係なく、それぞれの体格や強みや弱みを生かし合いながら
試合に勝つという一つの目的に向かってプレーする。
さらに試合が終わればノーサイド、ラフプレーをした選手には直接謝罪に行くし、
お互いの良いプレーを称えあう。
紳士のスポーツと言われるこの伝統がどこから来たのかは知らないし、
見えないところではきれいごとばかりではなかったことも伝え聞く。
それでも、ラグビーが私たちの社会の在り方に与える示唆は大きいと思う。
大会はこれからがクライマックス、Tier 1と呼ばれる世界の強豪が
どんな真剣勝負をするのか、楽しみに観戦しよう。
2019年9月30日月曜日
Last day of September 10月1日を前に
(日本語は下に)
October 1st is the anniversary of my mother's passing, so I visited our family grave a day early today. (As it turns out, she actually passed away on the 7th, my sis says. Those days with someone with ALS were too hectic to keep track of dates.) It was cloudy and a little muggy, but was nice enough to drive along the coast and walk up the hill.
I usually drive on to Hakone when I visit the family grave. Today, I chose to have lunch at an Italian restaurant produced by Toyoo Tamamura who draws, cooks, and owns and runs a winery in Karuizawa.
This year, October 1st is also the day when the consumption tax is raised in Japan. So, after lunch, I drove to a big outlet shopping center in Gotemba. I was looking for a fake-leather jacket, so I can wear it without worrying about rain. But... I came home with a real leather jacket. I wonder why... :)
10月1日は母の命日なので(たぶん。ちゃんと覚えてない。父は私の誕生日だから忘れない。)、湯河原の寺に墓参りに行った。
雲が多いながらも、時々日がさして蒸し暑い。
墓からの眺め。また木が大きくなって、ますます海が見えなくなった。
祖父がここに墓を建てたときは広々と見えたのに。
October 1st is the anniversary of my mother's passing, so I visited our family grave a day early today. (As it turns out, she actually passed away on the 7th, my sis says. Those days with someone with ALS were too hectic to keep track of dates.) It was cloudy and a little muggy, but was nice enough to drive along the coast and walk up the hill.
I usually drive on to Hakone when I visit the family grave. Today, I chose to have lunch at an Italian restaurant produced by Toyoo Tamamura who draws, cooks, and owns and runs a winery in Karuizawa.
This year, October 1st is also the day when the consumption tax is raised in Japan. So, after lunch, I drove to a big outlet shopping center in Gotemba. I was looking for a fake-leather jacket, so I can wear it without worrying about rain. But... I came home with a real leather jacket. I wonder why... :)
10月1日は母の命日なので(たぶん。ちゃんと覚えてない。父は私の誕生日だから忘れない。)、湯河原の寺に墓参りに行った。
雲が多いながらも、時々日がさして蒸し暑い。
墓からの眺め。また木が大きくなって、ますます海が見えなくなった。
祖父がここに墓を建てたときは広々と見えたのに。
墓参りの後は箱根に回ることにしている。
きょうは初めて元箱根の芦ノ湖テラスに行って見た。
ここは、玉村豊男氏プロデュースのピッツエリアとミュージアムのあるところ。
イタリア色溢れる店内から芦ノ湖を眺めつつ、
ハーフサイズのサラダとサクラマスのピザを頂く。美味。
あー、ここに、147に乗っていた頃に二人で来たかったな、と思う。
平日でも観光客はそこそこいて湖畔を散歩している。湖には海賊船も。
帰りは御殿場のアウトレットに寄ることに。なんたって明日から消費税が上がるもんね。
だからといってあれこれ買うつもりはなく、雨を気にせず着られるフェイクレザーのジャケットがあれば、と思って一回り。
フォションのスパークリング・ティーで休憩。
買ったのはこれ。え、ええ、フェイクじゃないです。あれ?
2019年9月4日水曜日
夏の終わりに
普段、土曜の午後と日曜祝日しか休みがない姪が、やっと取れた夏休み最終日の貴重な平日休みに横浜に会いに来てくれた。
ランチはみなとみらい地区にあるJICAのカフェテリアへ。
ここは本格的な各国料理がお手ごろな値段で楽しめて、眺めもよいのだけど、
ちょっと外れた場所にあるのでなかなか来ることができずにいた。
豊富なメニュー
ランチはみなとみらい地区にあるJICAのカフェテリアへ。
ここは本格的な各国料理がお手ごろな値段で楽しめて、眺めもよいのだけど、
ちょっと外れた場所にあるのでなかなか来ることができずにいた。
豊富なメニュー
写真や見本の前にある食券を取ってレジに持って行き、お金を払うシステム。
用意した数が券の数とはいえ、これだけいろいろな、しかも珍しい料理を出すところはめったにないだろうな。
ラムのミートボール(エジプト)と豚肉のトルティーヤ(メキシコ)を姪と半分こして食べる。どちらも本場のスパイス使用と思われる味付けで美味。
午後のお茶は葉山のマーロウまでドライブがてらプリンを食べに。
これは期間限定のほうじ茶くるみブリュレ。
通常のビーカープリンより小ぶりの陶器に入っていて、適量だった。
平日はさすがに空いていて、海を眺めながらのんびりした。
翌日は、タンゴ・ダンサー、インストラクターのとしゆき・なおこ夫妻と
横浜スタジアムにベイスターズの応援に。
変わりやすい天気、急な雷雨に注意、の予報の中、
うちのあたりは昼ごろからすでにザーザーとかなりの降り。
寄る所があって15時ごろ出かけるとまだ降っている。
それでも、スタジアムに着くころには青空も見え、やったー!
としゆきさんたちが用意しておいてくださったユニフォームを着て、準備万端。
この日はスポンサーが配った「トイレスタンプ」の試供品の匂いと名物の「はまから」(から揚げ)の匂いが交じり合う、なんとも言えない感じだったけど、雨があがってほっとした雰囲気の中、試合前のプログラムが進んでいく。テレビに映らないところで、こんなにいろいろやっていたのね、と感心。
自販機では「誰が出るかお楽しみ」のミネラルウォーターも売っていた。
キャンペーンで当選した一般女性による見事な始球式でいよいよ試合開始。
と、黒い雲が北西から迫ってくる。うーん、いやな予感。
1回表、今日は4番に戻った筒香がライナーをファインプレーでキャッチして0に抑え、
さあ、ウラの攻撃。ところが稲光がかなりひどくなってきてワンアウトで中断することに。
それでも、雨が落ちてくる気配はなく、しばらくして再開。
ところがソトに1球投げたところでまたも盛大な稲光。阪神の投手がマウンドを外す。
まあね、あの広いところで一番高いところにいるのはピッチャーだから、
落ちるならあなただからね、わかるよ。
そしてまたも中断。しばらくするとポツポツしてきたので、とりあえず屋内に避難。
30分ほどしてどうやら雨も大して降らずにすんだようなので、また観客席へ。
こういうとき、どのくらい待って判断するんだろうねえ、
中止にすると損害も大きいよね、
雨雲レーダーとか見てる人がいるんだろうね、
などとおしゃべりしていたら、球審が走って出てくる。
え、まさか?
そう、まさかのノーゲーム。
え~~、雷は確かにひどいけど、降らないんじゃない?
と言うそばから大粒の雨が落ちてきた!!なにこれ~?
この判断のタイミングの絶妙なこと!信じられない!
用意したレインコートを出す間も惜しんで、とにかく退席、外に出る。
雨がどんどん強くなる中、1ブロック先にカフェを見つけ、
こんなときだから大勢人が流れてくるかと思いきや空いていたので腰を落ち着ける。
外を見れば、道路に雨粒が跳ね上がる土砂降り。とても歩ける状況ではない。(歩いてる人居たけど)
ちょうどお二人に相談したいこともあったので、1時間ほどおしゃべりして、
小止みになったところで帰途についた。
このリベンジはいつかきっと。
結局出番はなかったレインコート。
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