2017年11月19日日曜日

私はだまされない

数日前の昼時、家の電話が鳴った。

ーもしもし。

>・・・こちらは、三井住友VISAカードです。

 と録音ヴォイス。機械と話す気はないけど・・・

>・・・ご利用のお客様に重要なお知らせがありますので・・・

 どうせキャンペーンだろうけどちょっと聞いてみるか・・・

>・・・オペレーターにおつなぎしますのでこのままお待ちください。

 え?オペレーター?

>三井住友VISAカード コールセンターの〇〇です。

 まだ機械みたいな話し方だなあ。

>これから重要なお知らせをお伝えします。御本人様確認のため、お名前とご住所をお願いします。

 はあ?そういうお知らせなら郵便で来るものじゃない?
 だいたい、本人確認って、電話かけてきておいて私の名前を聞くわけ?
 アヤシイ。。。

ーあの、そっちからかけてきた電話でなんで名前聞くんですか?
 あなたはどこに掛けてるつもりなんですか?

>それは、個人情報になりますので、こちらからは・・・

 なんじゃそりゃ?アヤシイ。。。

ーそれに、何のカードですか?

>VISAカードです。

 や、そりゃわかってるけどさ、私もカード複数持ってるし、中にはVISA付いてるのあるかもだけど、「三井住友VISA」で請求とか来たことないし、普段使ってないから、△×百貨店の、とか×〇量販店の、とかそういうこと聞いてるんだけど。アヤシイ。。。

ーVISAは・・・たぶん持ってないと思いますよ。(持ってるけど、使ってないって意味で・・・)

>・・・ 持っていない・・・

ブチッ!(切れた)

 え?切れた?

 え~~~!ほんとに詐欺だったの~~~!

 なるほどね~、わたしは手元にカードがなかったし、自分から情報を先に出そうとは思わないから引っかからないけど、ホイホイ名前を言っちゃって、カード番号言っちゃって、セキュリティコードも言っちゃう人もいるのかもね。

それにしても、少し前には法務省を騙るはがきも来たし、
60過ぎると騙される世代に分類されちゃうってことなのかな。
備えよ常に。私はだまされない、だにゃ。

2017年10月31日火曜日

Ernesto, Cold, 選挙

(Some highlights from the second half of October)

Ví la pelicula 'Ernesto', una colaboración de Cuba y Japón.
Se trata de Ernesto 'Che' Guevara y un  Boliviano de origen japonés, Freddy Maemura Hurtado, que luchó junto con el Che en la guerra para doccocar al gobierno militar.  El Che le dió a Freddy su propio nombre Ernesto como el nombre luchador.
La revolución de Cuba, la crisis de los misiles en Cuba, la revolución de Bolivia... todo ocurrieron cuando era niña y no son de historia lejana.  Pero estas obras recientes como esta pelicula me recuerda que lo que nos enseñaron en la escuela fue la versión a favor de los SSUU.  Tal vez lo que leemos en las noticias hoy es así todavia.


And the shopping mall where I went to see the movie was rather chilly that I caught a cold for the first time in more than 5 years.  I can say so, because, ever since my husband was diagnosed with ALS, I've been very careful not to get sick as I can't afford to be sick in bed.  Considering the fact that I used to catch a cold at least once every winter before, I must say it's solely thanks to the grace of our Lord that I could avoid catching a cold.  I managed to get over it in a few days, so it was nothing serious.  Hopefully, I'll stay well for the next 5 years, or more!


そして衆院選があった。実に目まぐるしい一ヶ月で、傍観するだけなら興味深い部分もあったかもしれないが、国の先行きを思うとなんとも情けないことが続き、多くの国会議員は国民より自分が失職しないことが大事だと思っていることを改めて確認することになった選挙だった。そんな中で、有権者もコイケにそうそう騙されることはなく、公示一週間前に立ち上がった立憲民主党が善戦したのは心強かった。民進党の中で自分のことが大事な人たちは希望に走り、選挙のなんたるかを心得た人たちが立民に立った、ということだったのか、とにかく立民は選挙のやり方がうまかった。とはいえ、日本人の気質に合わない小選挙区制が維持される限り、強権政治へ突っ走っていくことは明らかで、これはなんとかならないのかと改めて思う選挙だった。

2017年10月10日火曜日

連休

10月の連休中日は、久しぶりにいつもの仲間を自宅に招いてパーティー。
8月に結婚した仲間がいて、私たちも8月で結婚20周年だったので8月に、
と思ったのだけど、いろいろあって10月になった。
私たちは、式は8月、入籍は9月、今の家で一緒に暮らし始めたのが10月だから、
10月でも全然問題はなかったし、季節もいいときになってよかったかと。

お料理は、20年前まだ珍しかったイタリアンで披露宴をしたことを思い出して、
「イタリアンらしきもの」を用意。
生ハム、トマトとアボカドのサラダ、サーモンマリネ、チキンの悪魔風、
ジローラモさんちのラグーとパスタ。それにHちゃんお持たせのキッシュも。
  


デザートはお取り寄せティラミスとKさん手作りのレモンムースだったけど、写真は取り忘れ。

私たちの20年前のビデオや、新婚さんの8月の結婚式の映像を見て、その日の思い出話をしたり、久しぶりの人もいたので、お互いの近況やタンゴの話で盛り上がったけど、最近踊り場にあまり行っていない人が、いろんな人の様子に一番詳しかったのがびっくりだった。



9日の祝日は、岩波ホールにアルゼンチン映画「笑う故郷」を見に行った。
なぜこの邦題になったのか知らないけど、原題の「名誉市民」でもいいんじゃないかという気がした。それにしてもアルゼンチンのユーモアって、以前見た映画もそうだったけど私からするとブラックだなあ。

滅多に行かない神保町に行ったので、映画のあと、タンゴ仲間では有名な「ミロンガ」に行ってみた。タンゴの店だから年配のお客さんを想像していたのだけど、ドアを開けてみると中は若者ばかり。さすが神保町。もしかすると、普段聴き慣れた音楽とは違うものがかかっているから、落ち着いて話したり勉強するのにいいのかもしれない。閉店まで30分あまりだったけど、食事もオーダーできるというのでメキシコ風ジャンバラヤを。
 




 


落ち着いた雰囲気でコーヒーもとても美味しかったから、またいつかゆっくり行きたいと思う。
 



2017年9月8日金曜日

対話

dialogue 「対話」と訳されるこの言葉は、元をたどると「横切って」+「話す」というところから、主に二人あるいは二つの集団の間でやりとりする、という意味に使われるようになった言葉だ。

これに「一人で」を意味する solo を付けて、"Solo Dialogues"と銘打ったライブを続けているのが、タンゴのTrio Los Fandangosでヴァイオリンを弾いいている谷本仰だ。今の時代、対話が失われているのではないか、という思いから始まったライブは、演奏家だけでなく演技者やダンサーなどいろいろな人との対話とともに、谷本仰自身の中での対話やその「場」との対話の表現として続けられてきたものと聞いている。

Solo と Dialogue とは矛盾するように聞こえるが、そもそも谷本さんはタンゴだけでなくロックやジャズや即興や劇音や教会音楽や、いろんなところでヴァイオリンを弾いているし、歌うたいでもあるし、牧師だし、ホームレス支援活動者だし、音楽療法士だし、5人の子の父親だし、他にもあれやこれやいろいろ、それらの「対話」が音になったらと思うと、仕事の自分とそうでない自分くらいしかない我が身に比べたらどんなに多彩かとわくわくするではないか。

以前出た1枚目のCDを聞いたとき、多重録音ではなくライブ同様に演奏したものを録音したのだと聞いて、いったいどうやったらこんなふうにできるのか、一度見てみたいと思っていた。このたび出来たての2枚目のCDをひっさげて、関東での"Solo Dialogues"ツアーをするというので、横濱エアジンでのライブに行ってきた。
   

用意されたしかけはこんな感じ。
  
これらを素足で器用に操作して、先に弾いた音を残したり繰り返したり、効果音を被せたりしながら、エレクトリックとアコースティックのVnを持ち替えながら、ときには「今一番お気に入りの楽器=泡立て器(!)」を奏でての即興演奏。一人なのに、ヴァイオリン(泡立て器)一本なのに、分厚い音の渦。
音の面白さは確かにあったけれど、それ以上にやはり、そこに投げ出された谷本仰という存在が温かく、愛おしく、会えてよかった、神様ありがとう、という思いが満ちてくる時間だった。

即興以外にもAmazing Grace や演劇のために作られた自作曲など、私は家庭の事情で前半しか聞けなかったけど、秋の初めの夜にふさわしいライブだった。

対話といえば・・・
NHKの夏休み編成の中で、健常者と障害者がガチで対話するという番組があった。NHKはEテレでバリバラ=バリアフリーバラエティという番組をやっていて、この番組は某民放の24時間ナンタラの裏を出演した障害者自らが告発したことでちょっと話題になったりもしたのだが、今回の番組は総合テレビの方でバリバラのレギュラーの人も入って、健常者がこんなところで障害者のことを勘違いしているよ、と対話を通じて気づくような企画だった。


ゲストのタレントたちが、普段は障害者に聞きにくい、聞いては失礼だろうか、と思っているような質問をして、それに対して障害者の人たちがストレートに答え、やりとりしていくのがとても興味深かった。
その中で浮き彫りになったことの一つが、多くの健常者が障害をネガティブにしか捉えていない、ということだ。つまり、障害は不幸、あるのはよくない、と決めつけているのだ。そして、障害者は言うのだ、「障害は不便だけど、不幸じゃない。」


一番びっくりしたのは見えない人たちの以下のエピソードだ。
「見えなくても彼氏がイケメンとか関係ありますか?」
「もちろんですよ~ 彼氏がブサイクだったらやじゃないですか~」
「でも、わかるんですか?」
「わかりますよ、声で。」「わかるよね、ハゲとか」
!!
「ハゲがわかるんですか?」
「ええ。」「声が禿げてるもんね」「そうそう」
!!!
そして、ゲストの男性たちに一言ずつ発言してもらい、ハゲかどうか聞いてみると、彼女たちはことごとく正解したのだ!


見えない人たちは、私たちのようには見えていないけれど、見えている。
こういうことだって、対話してみれば、なあんだ、ってことなのに、話さないといつまでもミステリーで距離が縮まらず勘違いし合っていて、相手を思いやろうと思っても的外れになってしまったりするのだ。


対話といえば・・・
「対話と圧力」と言いながら、ICBMまで来てしまった某国との関係のこともあれこれ思うのだけれど、長くなるのでそれはまたの機会に。



2017年8月31日木曜日

夏の思い出

8月ももう終わり。
月初こそ暑かったけど雨が多くて猛暑にはならず、なんとか今年も生き延びたかな。

猛暑の予報だったから、8月は少しは仕事を入れない日も作っていた。
以前だったら休みといえば、目覚ましをかけずに思い切り寝て、起きたら自分のペースで片付けものをしたり、ちょっと手の込んだ料理を作ったり、猫とゴロゴロしたり、カフェにでも行って本を読むとかで一日過ごしたものだ。


いまは病人のスケジュールに夏休みもなにもないから、こちらも夏休みというほどのこともなく、たまった書類の片付けをしたり、雷でステレオアンプがどうやら壊れてそのあとの対応をしたり、呼吸器の会社の担当者が替わって挨拶に来ると言っていたのに来なかったり、なんてことで日々が過ぎていった。

ひとつ変わったことをしたといえば、フェイシャルシェービング、所謂顔そりなるものをやってみたくらいか。行きつけの百貨店から系列の店舗の特典案内のはがきが来たので行ってみたのだ。シェービングは20年前の結婚式前に一度だけそういうサロンでやったことがあり、そのときもお肌がツルツルスベスベになって気持ちが良かった記憶があり、トリートメントが特典で付くしこれを「夏休みのイベント」にした。

日頃の寝不足もあり、お昼寝しているうちに終わってしまったけど、確かにお肌はツルスベになり、お化粧のノリも良くなった。月に一度くらいやるといいそうで、次の予約も誘われたけど、こちらは「イベント」なのでお断りして帰った。


月末の5週目も仕事を入れない日を作ったものの、さてどうしようか、となってしまった。久しぶりにぎんぶらでもして、新しくできた商業施設を冷やかしたり、ヴァイオリンの楽譜を物色したりするか、とも思ったのだけど、どうやら気温が高く、かつ突然の大雨の恐れ有り、という予報だったので、レオナルドとミケランジェロ展と連動して入場料が割引になるアルチンボルド展に行ってみることにした。


西洋美術館は上野駅からすぐなのでたとえ雨に遭っても大丈夫、と思ったけど、降っていたのはちょうど中にいる間だけだった。
 

 
 
アルチンボルドの寄せ絵は以前も目にしたことはあったけれど、「変わった、面白い絵」という印象しか持っていなかったので、その美術史上の意味がわかる展示は期待以上にためになるものだった。

会場の入口には自分の顔をアルチンボルド風にして見せてくれる装置があったりして面白かった。
    


ミロンガこそ行けなかったけど、月初と月末にはケンリリ師匠のレッスンに顔を出すことができたから、そこそこよい8月になったということにしよう。

2017年7月31日月曜日

7月(長文注意)

なんだか7月は早く過ぎた気がする。
いろいろ考えさせられることもあってブログに書きたいなあと思っているうち
にもう月末だ。

17日の祝日はミロンガに行こうかと思ったけれど、どこも遅刻か早退になってしまう感じで、
そういうのがちょっと気が進まなかったので、丸の内に「レオナルドとミケランジェロ」を見に行った。素描を中心に同時代に活躍した二人の巨匠を対比する展覧会。祝日とはいえ展示の性格ゆえかひどい混み方ではなくじっくり作品を鑑賞することができた。



レオナルドもミケランジェロも「天才」と言われるけれど、
天才とはやはり努力することにおいて天才なのだと改めて感じ入るほどに
二人の素描の徹底ぶりは並外れていた。「なにごとも基礎が大事」とはよく言うし聞くけれど、
実際に彼らが生み出してきた作品群(モナリザとか最後の晩餐とかシスティーナ礼拝堂天井画とかダビデ像とか)を思うとき、その影に膨大な素描があったことを想像し本当に圧倒された。


折しも大相撲では白鵬が前人未到の勝ち星記録を更新し、この人も相撲の基礎
である「四股・すり足・テッポウ」を今でも欠かさず丁寧にやっていると伝え
られる。タンゴで基礎と言ったらやはりカミナータ、ヴァイオリンなら開放弦とスケールだろう。さて我々通訳者が
日々続けるべき基礎演習は?


26日は相模原の障害者施設での殺傷事件から1年ということで、この前後メ
ディアでも特集報道が続いた。地元県内の事件だしその後のことも地元紙が継
続的に伝えているのでより身近に感じている事件である。
障害者に関わることでいつも思うのは、私が子どもの頃に比べて障害者福祉が
制度的には整備されたものの、その他の人々から切り離されてしまっている、
ということだ。普段の生活の場を共有していればお互いの個性として認め合え
るはずのことが、見慣れない別の世界の人同士になってしまったり、一方的に
何かを与える人受ける人、という関係になってしまうことで、差別やヘイト行
動に繋がっているのではないか。
もうひとつ気になるのは、「障害者は不幸だ」と決めつけた加害者のことばを
発端とした「幸か不幸か」の議論だ。人が生きているって、幸せだったり不幸
だったり、どっちでもなかったり、いろいろじゃないのか?それに、傍から見
てある人を「幸せ」というとき、その幸せの元になっている要素も別の角度か
ら見れば不幸だということもあろう。例えば皇太子妃雅子さん。暮らしの心配
がないことは多くの人からすればとても幸せに見えるだろう。しかしどこかの
大統領のように好き勝手にツイッターで物をいうこともできない、ちょっとコ
ンビニまでお散歩することもできない、そんな暮らしを安定した生活と引き換
えて「幸せ」と思う人もあるかもしれないが、不幸だと思う人もいるだろう。
ご本人がどう思っているかは知らない。幸か不幸か、そんなことを言っても意
味がない、だって代わりはいないのだから、とでも思っていらっしゃるか。
なんにせよ、それぞれ、なのだ。障害者は周りを不幸にするか、いやそうでは
ない、とか部外者が言うことでは、ないとおもう。ひとりひとりの命を同じよ
うに尊重する、それだけだ。

20年以上前になるが、ACCアジア教会協議会の障害者の会議に出席する機会があった。その中で「神は自らに似せて人を造ったというが、私たちは違うのか」という切実な問いかけをした参加者があった。足の萎えた私、見えない私、腕のない私は神に似ていないのか。その少し前の議論で、医学がどれだけ進歩しても、社会における障害者の割合は変わっていない、という話が出ていたのを私は思い出して、こう言った。ここで聖書が言っている「人」というのは個人個人ではなくて人間全体のことなのではないか、そして一定の数の障害者が含まれている人間社会というのが神が造られた「人」の姿なのではないか。
私の解釈にみんなが同意したわけではなかったが、あながちそう的外れでもないのではないかと思っている。望ましいのは自分の交友関係の中に1割からの障害者が含まれていることなのだが、自ら求めていかないとなかなかそこに至らないのがいまの隔離社会だ。普通にみなが肩を並べて暮らせる社会であってほしいものだ。


29日、NHK-BSで近衛秀麿が戦時中のヨーロッパでユダヤ人音楽家の亡命を助
けていたのではないか、という謎を追う番組があった。杉原千畝は外交官としてビザを発給することでユダヤ人を助けたから、その行為の証拠も残っているわけだが、秀麿に限らずユダヤ人を支援した様々な国の人々はその証拠を残さなかったし、戦後も多くを語らなかったから実際どれだけの人がそのような働きをしたか、またそのために命を落とした人がどれだけいるか、どのくらいのユダヤ人が助けられたのか、おそらくは永遠にわからないのだろう。番組でも詳細なことは結局わからなかったという結末だった。秀麿の行為は、ノブリス・オブリージェであったり、文麿の弟として自らの音楽を政権に利用されるのならば自分もその立場を利用して音楽を助けようという気持からだったりしたのではと想像する。いずれにしてもその背景にあったのは、なんの罪もない人々の命が理不尽に奪われていったという悲惨な歴史である。
先月、「ローマ法王になる日まで」というフランチェスコ法王の若き日を描いた映画を見た。70年代後半から80年代前半、軍政下のアルゼンチンで国家テロにより多くの国民の命が奪われた「汚い戦争」のことは知識として知っていたが、拷問や睡眠薬を注射して飛行機からラプラタ川に落として殺す様子が映像化されたものを見て、その理不尽さに胸が苦しくなった。
何の咎もない人が謂われなく突然殺される。考えてみればそれは何も大戦中や軍政下のアルゼンチンだけの話ではなく、いまもシリアで、イラクで、南スーダンで起きていることなのだ。


アルゼンチン、相模原事件、ユダヤ人迫害、
気づけば今月は無辜の民、理不尽に命を奪われた罪のない人々のことをずっと考えてきたなあ。8月前半はまた先の大戦の報道を振り返る番組があるだろうから、もうしばらく思い巡らすことになるだろうか。

2017年7月5日水曜日

主治医の交代

夫の主治医が7月から交代した。

事の発端は、胃瘻交換を担当していたもうひとりの医師が、市の医師会の理事に選出されたこと。

以前、胃瘻交換後内視鏡での確認が必要となったとき
これまでの主治医は、自分の手に余るので胃瘻交換だけ別の医師に依頼したのだった。
(この医師も訪問診療の経験が豊富なのでうちとしてはいつも自動的にセカンドオピニオンがもらえるありがたい環境にあった。)

ところがこの先生が忙しくなってうちに来るのが難しくなり、主治医も自分ではできないので、ほかの人にまた頼みたいところだけれど、本来1医療機関で行うべきことなので、この際交代したい、と言ってきたのが、6月15日。
うちとしては、毎月胃瘻交換のために入院するという選択肢は考えていないので、交代はやむを得ないとして、きちんと引き継いで頂けるなら、と了承した。

5日後、引き受けてくれる先生が見つかりました、とメールが来たのだが、幾つか問題が。
 1)場所が隣の隣の区で遠い。
   主治医は時間的には自分と変わらない、と言うが、
   私の実家の近くなので、時間的距離も心理的距離もこちらはちゃんとわかっている。
   首都高やバイパスに繋がる、なにかあれば渋滞必至の道路を通ってくることもわかっている。
   その上て、やっぱりこの距離は訪問診療を受けるにはちょっと、という感じだ。
 
 2)訪問時間が、こちらの都合と全く合っていない
   ちゃんと相談してあったのに、あれはなんだったんだ!

 3)胃瘻交換では内視鏡は使用しない。
   え?それってダブル・スタンダードじゃないですか。
   自分は内視鏡必要だからできないと言っていながら、やらない人に引き継いじゃうの?

 4)胃瘻のタイプを変更したい。
   今までの交換過程でいろいろ試しながら今の良い状態までこぎつけたのに、
   簡単に「うちはこれです」って変えちゃうわけ?


訪問医には、訪問看護師や介護ヘルパーなどほかのスタッフとも連携してもらわなければいけないので、その点で一番気になったのは上の(1)だ。今うちに入っている訪問看護ステーションの長でありケアマネも兼任しているOさんは、区内の診療所・医師事情に詳しいので、彼女の話を聞いてみたいところ。とりあえず、(2)(3)(4)について返信しておくことにした。


翌日Oさんが来たとき話してみると、まず、今回の交代の話自体、Oさんも事前に聞かされておらず、一斉メールで初めて知った、とちょっと不満そうだった。
そして、別の区のクリニックとの連携にはやはり不安があるし、区内でよさそうなところはいくつかあるという。

我々利用者からすれば、近いところから探すのが当たり前だが、どうも主治医は胃瘻のことが念頭にあってそちらの条件からクリニックを探したのではないか。近隣を当たってダメだった、というわけではないのではないか、という気がしてきたので、そこは率直に話してみようと思っていたら、先に主治医からメールが来た。

先の候補のクリニックは、訪問時間が合わないし内視鏡は使わないつもりなので、受けてもらえないことになりました、というもの。ああ、よかった。
そこで、Oさんが情報を持っているので、先生には先生のつながりもあるでしょうけれど、参考にしてみてください、とお願いしたのが6月22日。

そうすぐには決まらないかと思ったのだけれど、24日にはうちからかなり近いところにあるクリニックが引き受けてくれることになったと連絡があった。ただ、私が一度外来で出向かなければならず、指定された曜日で一番早く行けるのが30日。果たしてそれで7月から交代になるのか、次月になるのかわからなかったのだが、蓋を開けてみれば今度のクリニックの方では、もう7月から担当するつもりで日程も決めていた。今までの主治医の訪問予定とちょっとずれるので、その間に不足するであろう処方薬の手当や医材の在庫確認など、いろいろ相談することもあってけっこう時間はかかったけれど、話はとてもしやすい先生なので、これからもうまくやっていけるだろう。

翌日には一度様子を見に来るといって、予定の訪問日とは別に来宅し夫とも顔合わせすることができた。この機会に薬局も今度のクリニックに近いところに替えることにした。医師にしても薬局にしても、それぞれの慣れたやり方というものがあるから、これまでとは違うことも出てきたり、先方に変えてもらうこともあったりしてしばらくは調整期間になるだろうけど、急な話であったにもかかわらず、まずまずの形に収まっていきそうで安心した。