2013年6月20日木曜日
1年前と言えば
昨日の続きである。
1年前台風の中人も車も通らなくなった町をエアジンから自宅に向かいながら、
私にはあることが気になっていた。
我が家の最寄バス停・折り返し所に住みついていた、ニワトリのコッコちゃんである。
コッコちゃんは、7~8年前、どこからともなく現れて、
周りに木立もあって落ち着いた感じのこの折り返し所に住みつき、
近所の人やバスの利用者から可愛がられていた。
餌やりやその後の掃除をする人もいたようで、
そのうち立派なコッコちゃんの家までできた。
全国紙A新聞のローカル面に記事が載ったときは、車で見に来る人がいたり、
テレビのペット番組「ポチたま」でも紹介されたりした。
ただ、コッコちゃんのエサを当てにして鳩も集まるようになったり、
コッコちゃんがコケコッコーと鳴いたりするのを迷惑に思う人もあったようで、
数年前のある日、土木事務所がコッコちゃんの家を撤去するように求める看板が立ち、
程なく家は撤去された。
それでもコッコちゃんは、ここに住み続け、世話をしていた人たちも餌やりは続けていて、
そのうち家も場所をちょっと奥まったところに移して復活したのだった。
(上の写真は復活した後のもの)
去年の春先、突然、停留所周囲の木立や下草が大がかりに刈り取られた。
コッコちゃんは夜は木の上に上がって寝ている、という話だったが、
それまでは枝葉に隠れて見えなかったコッコちゃんの寝場所も丸見えになってしまった。
そんな場所で、台風の夜どう過ごしているのか、私は心配になった。
停留所には、電話ボックスやベンチもあって、
それまでにも日中の雨風をボックスの中やベンチの下でしのいでいたのを見ていたけれど、
夜の嵐、どうしているだろうと、いつものルートを変えて停留所脇をまわってみた。
すると、コッコちゃんはやっぱり木の上に上がって、雨に濡れながら首をすくめて寝ていた。
南側に建物があるので、台風の風はあまり当たらないはず、
なんとか大丈夫そうだとほっとして帰宅した。
翌朝のローカル紙(すなわち1年前の今日)に、なんとこんな記事が出ていた。
おやおや、またみんな見に来ちゃうね、
いや、また苦情が来て追い出されちゃうんじゃないかしら、などと話していたのだが。。。
2週間ほどすると、コッコちゃんの姿が見えなくなった。
世話をしていた人が貼ったと思われる
「コッコちゃんを探しています」
という張り紙が停留所の掲示板に出ていたが、何週間も張り出されたまま。
そして日は流れ、今日に至るまでコッコちゃんは戻ってきていない。
どこかに連れ去られたのか、来たときと同じようにどこかへ行ったのか、
誰かが心配して保護したのか。
エサが無くなるとともにハトも集まらなくなり、風情のなくなった停留所には、
からっぽのコッコちゃんの家だけがまだ建っている。
2013年6月19日水曜日
台風4号といえば
梅雨が明けたばかりの沖縄に、台風4号が近づいている。
こちら関東地方でも、そのせいかぐっと湿度が高くなっている。
去年の6月19日、同じく台風4号が首都圏を直撃していた。
そのころ夫は、呼吸機能が落ちすぎる前に(当時で通常の50%以下になっていた)
胃瘻の建造手術をするために入院していた。
私は仕事が休みの日で、夕方夫を見舞った後、
7月にトリオ・ロス・ファンダンゴスを迎えて横浜で行うミロンガのチラシを置きに、
ライブハウス「横濱エアジン」に行こうとしていた。
馬車道に着いたときはすでに土砂降りだったが
当てにしていた屋根つきの駐車場は満車で、やむを得ずオープンの駐車場に車を停め、
近場で軽く夕食を済ませて、足元をびしょびしょにしながらエアジンの階段を上がる。
その日の出演は知人のギタリスト、廣木光一さんも参加しているマイク・レズニコフQUARTET。
だが、悪天候のためお客は私一人!(途中からおじさんが来たので二人になったけど)
この贅沢な時間、外は大嵐だったけど、私の胸の内、頭の中には、
カリフォルニアの青い空がぱあっと広がるような、すばらしい演奏だった。
台風の夜、というとあの日のことを思い出すのだけれど、
まさに同じ6月19日に、同じ4号が近づくとは。
進路にあたる地域に被害が出ないことを祈りつつ。
こちら関東地方でも、そのせいかぐっと湿度が高くなっている。
去年の6月19日、同じく台風4号が首都圏を直撃していた。
そのころ夫は、呼吸機能が落ちすぎる前に(当時で通常の50%以下になっていた)
胃瘻の建造手術をするために入院していた。
私は仕事が休みの日で、夕方夫を見舞った後、
7月にトリオ・ロス・ファンダンゴスを迎えて横浜で行うミロンガのチラシを置きに、
ライブハウス「横濱エアジン」に行こうとしていた。
馬車道に着いたときはすでに土砂降りだったが
当てにしていた屋根つきの駐車場は満車で、やむを得ずオープンの駐車場に車を停め、
近場で軽く夕食を済ませて、足元をびしょびしょにしながらエアジンの階段を上がる。
その日の出演は知人のギタリスト、廣木光一さんも参加しているマイク・レズニコフQUARTET。
だが、悪天候のためお客は私一人!(途中からおじさんが来たので二人になったけど)
この贅沢な時間、外は大嵐だったけど、私の胸の内、頭の中には、
カリフォルニアの青い空がぱあっと広がるような、すばらしい演奏だった。
台風の夜、というとあの日のことを思い出すのだけれど、
まさに同じ6月19日に、同じ4号が近づくとは。
進路にあたる地域に被害が出ないことを祈りつつ。
2013年6月12日水曜日
我が家の猫物語(10)義経
始めのうちは、お腹をこわしたりなんだかんだ、病院に行くことが多かったが
二匹仲良く成長していった。
目が悪いせいか、高いところに飛び乗って悪さをするということもなかった。
実家で飼っていた猫は、普段から食事のときに誰かしらの膝の上に乗り、
刺身の切れ端などわけてもらっていたから、お膳のものやキッチンのカウンターのものを
盗み取ったりするので目が離せなかった。
そうならないために、うちでは、猫の食べ物とヒトの食べ物ははっきり分け、
私たちの食事の間は猫を構わない、というルールにした。
おかげで、うちの猫たちは、今でもお膳のものを取ったりしない。
二匹でいると、こちらが一緒に遊んでやらなくても大丈夫だったのは助かった。
秋に義母の実家のある鹿児島へ二泊で出かけたときは、
獣医さんに紹介してもらった家事サービスの会社でペットの世話もやっているところに
留守中の世話を頼み、問題なく過ごすことが出来た。
年が明け、大河ドラマも「義経」になった年の春、
相変わらずごはんをもらいに来ていたみいみちゃんのお腹がまた大きくなっていった。
またうちの小屋で出産するのだろうか、どんな子が生まれるのだろうか、
と戦々恐々としていたら、いっときしばらく姿が見えなくなった、と思ったら、
お腹がぺちゃんこになって、またごはんを食べに来るようになった。
子猫の姿は、ない。
だめだったのかなあ、と夫と話しつつ、
うちで産まないでよかった、とちょっとほっとしていたのだが、
6月初め、声がするので勝手口を開けてみると、みいみちゃんに続いて
黒虎、茶虎、雉虎の三匹の子猫が一列に歩いてきた!
みいみちゃんときたら、
「こんなんできましたけど~?」と得意顔。
生後3~4週だろうか、三匹ともとしたちよりきれいでしっかりしている。
黒虎と雉虎は目やにをつけていたが、茶虎はきれいなものだ。
その分皆すばしこく、なかなかつかまらない。
やっと黒虎と雉虎をつかまえて、目薬をつける。
黒はオス、雉はメスと確認したので、それぞれ弁慶、静、と名づけ、
茶虎は「義経」というほど美形ではなかったので、「きさんた」になった。
前年の総司といい、今回の義経といい、美形がいつも欠番の我が家であった。
2013年6月9日日曜日
ありがとう
昨日(6月8日)は私の誕生日だった。
(六月八日と漢字で書くと末広がり、いかにもおめでたい人ヽ(^o^)丿)
誕生日はたいてい夫とロブスターレストランに行ったり、
ここ2年ほどは、タンゴの友人で誕生日が近いTちゃんご夫妻とポルトガル料理を食べに行ったりしていたけれど、今年はそれもままならず。
8日が土曜日にあたるので、ひょっとしてみんな空いてる?
とタンゴの仲間に声を掛けたところ、
都合をつけて横浜の拙宅まで出かけてきてくれることになった。
この仲間は、数年前から誰かの家に集まって餃子を作って食べることをメインに、
おしゃべりしたり、歌ったり、演奏したりを楽しんでいるメンバーで、
4月に来てくれたのもこの内の5人だった。
今回は午後から6人、夕方3人帰ったあと、仕事やバンドの練習があった人たち3人が合流、
という形になったけど、ほぼフルメンバーでの「餃子の会@まじょりの誕生日」になった。
気の置けない仲間と、ゆるゆるとおしゃべりしたり、食べたり飲んだりの時間。
みんなが終バスまで話し込むほど寛いでくれて、私も嬉しかった。
海外や遠方からも届いたカードや頂いたもの、記念撮影!
Yesterday, June 8th, was my birthday.
A group of our tango friends came to celebrate it with us.
It was relaxing and fun to eat, drink and talk with friends about dance, music, health(!),
our common friends, etc.
The biggest pleasure was that our friends made themselves at home and had a good time.
Some other friends sent me cards and gifts as well.
(六月八日と漢字で書くと末広がり、いかにもおめでたい人ヽ(^o^)丿)
誕生日はたいてい夫とロブスターレストランに行ったり、
ここ2年ほどは、タンゴの友人で誕生日が近いTちゃんご夫妻とポルトガル料理を食べに行ったりしていたけれど、今年はそれもままならず。
8日が土曜日にあたるので、ひょっとしてみんな空いてる?
とタンゴの仲間に声を掛けたところ、
都合をつけて横浜の拙宅まで出かけてきてくれることになった。
この仲間は、数年前から誰かの家に集まって餃子を作って食べることをメインに、
おしゃべりしたり、歌ったり、演奏したりを楽しんでいるメンバーで、
4月に来てくれたのもこの内の5人だった。
今回は午後から6人、夕方3人帰ったあと、仕事やバンドの練習があった人たち3人が合流、
という形になったけど、ほぼフルメンバーでの「餃子の会@まじょりの誕生日」になった。
気の置けない仲間と、ゆるゆるとおしゃべりしたり、食べたり飲んだりの時間。
みんなが終バスまで話し込むほど寛いでくれて、私も嬉しかった。
海外や遠方からも届いたカードや頂いたもの、記念撮影!
Yesterday, June 8th, was my birthday.
A group of our tango friends came to celebrate it with us.
It was relaxing and fun to eat, drink and talk with friends about dance, music, health(!),
our common friends, etc.
The biggest pleasure was that our friends made themselves at home and had a good time.
Some other friends sent me cards and gifts as well.
2013年6月2日日曜日
休暇総括 Wrapping up holidays
5月は仕事を休んでいた。
去年夫が難病と診断されてからなにかと忙しくなり、
徐々に仕事も減らして対応してきたけれど、
やはりまとまった時間が取れないことで積み残してきたことがあれこれあり、
ここらでなんとかしないと、と思ったので、ひと月仕事は休み、
訪問看護やヘルパーの体制はそのままにして、その時間に諸事片付けよう、
と目論んだのだが。
結果は、思っていた半分もはかどらなかった。
色々あって訪問看護ステーションと介護事業所を5月から変更することになり、
月の始めのうちはまだ落ち着かなかったのと、連休もあって来訪者が多かったこと、
そしてなにより、時間ができてみてとりあえずぼーっとしてしまったことから、
やろうと思っていたことに手が出なかった。
半月過ぎて、ようやく体が動き出し、幾つかの懸案は処理した。
キッチンのガス台周りの掃除
リビングの窓ふき
ヴァイオリンのメンテナンスと毛替え
美容院に行くこと
衣替え
デスク上の片付け(半分くらい)
納戸の片付け(5分の1くらい)
けれど、仕事の会計ソフトの更新とかかなり大事なものも含めて残が出てしまった。
とはいえ、この1年余り、とにかく全力で走っている感じだったのが、
せいぜい早足くらいのペースで暮らせたのはよかった。
また明日から、走り出さなければならないのだが、ここに来てちょっと風邪気味。
どうせなら休暇の始めに引けばいいものを、この期に及んで。。。
I took the month of May off work in the hope of getting variuos chores done.
Ever since my husband was diagnosed with ALS last March, I have had to put aside non-urgent tasks, but they have to be taken care of at some moment, so that was what I intended to do during May.
But, as you may have imagined, it was difficult.
For one thing, we changed nursing service providers at the end of April, so we had to get used to the new staff for the first couple of weeks. The first week of the month was a holiday week, and we had many visitors, which kept me busy.
It was not until half way into the month that I started geting my hands on the things I had listed up.
Now, my holidays are ending, and I see some things done, while others, including some key items, are still undone.
Well, I'll get to them sooner or later. It may be easier to find time to get things done when you are busy than when you have some free time. : )
去年夫が難病と診断されてからなにかと忙しくなり、
徐々に仕事も減らして対応してきたけれど、
やはりまとまった時間が取れないことで積み残してきたことがあれこれあり、
ここらでなんとかしないと、と思ったので、ひと月仕事は休み、
訪問看護やヘルパーの体制はそのままにして、その時間に諸事片付けよう、
と目論んだのだが。
結果は、思っていた半分もはかどらなかった。
色々あって訪問看護ステーションと介護事業所を5月から変更することになり、
月の始めのうちはまだ落ち着かなかったのと、連休もあって来訪者が多かったこと、
そしてなにより、時間ができてみてとりあえずぼーっとしてしまったことから、
やろうと思っていたことに手が出なかった。
半月過ぎて、ようやく体が動き出し、幾つかの懸案は処理した。
キッチンのガス台周りの掃除
リビングの窓ふき
ヴァイオリンのメンテナンスと毛替え
美容院に行くこと
衣替え
デスク上の片付け(半分くらい)
納戸の片付け(5分の1くらい)
けれど、仕事の会計ソフトの更新とかかなり大事なものも含めて残が出てしまった。
とはいえ、この1年余り、とにかく全力で走っている感じだったのが、
せいぜい早足くらいのペースで暮らせたのはよかった。
また明日から、走り出さなければならないのだが、ここに来てちょっと風邪気味。
どうせなら休暇の始めに引けばいいものを、この期に及んで。。。
I took the month of May off work in the hope of getting variuos chores done.
Ever since my husband was diagnosed with ALS last March, I have had to put aside non-urgent tasks, but they have to be taken care of at some moment, so that was what I intended to do during May.
But, as you may have imagined, it was difficult.
For one thing, we changed nursing service providers at the end of April, so we had to get used to the new staff for the first couple of weeks. The first week of the month was a holiday week, and we had many visitors, which kept me busy.
It was not until half way into the month that I started geting my hands on the things I had listed up.
Now, my holidays are ending, and I see some things done, while others, including some key items, are still undone.
Well, I'll get to them sooner or later. It may be easier to find time to get things done when you are busy than when you have some free time. : )
2013年5月28日火曜日
我が家の猫物語(9)うちの子に
2週間ほど経ってからだろうか、としとさのすけの目やにはだいぶきれいになった。
しかし、としは右目はきれいだが左目には薄い膜がかかった状態、
さのすけは右目は瞬膜に覆われ左目はわずかに瞳が覗いている状態だ。
見えなくても、猫の場合ほかの感覚が鋭いので生活に支障はないし、
獣医さんのところに来る猫ちゃんの中にも全盲なのに他の猫といっしょにおもちゃで遊ぶ子もいる、 と言う話だった。
とはいえ、この状態で他のオス猫も闊歩している屋外で野良としてやっていけるのか。
いじめられたり怪我をする姿を見るのは忍びない。
やはりうちで保護することにしよう、
と決断した。
本当はスリムな黒白猫を一匹飼う、というのが私の夢だったのだが、
代わりに神様は弱さを持ったこの二匹を私たちに託されたのだ。
この二匹と一緒に暮らしていこう。
「うちの子」にしたものの、当初は外にも出していたし、母猫のみいみちゃんや、
前から来ていたデールもいっしょに家の中で遊んでいた。
デールは兄貴風を吹かせて、ずいぶんよくとしとさのすけの相手をしてくれた。
だが、本格的に猫を飼うことにしてから色々情報を集めてみると、
出入り自由は問題が多いことがわかってきた。
実家で22歳まで生きた猫は、ずっと出入り自由でいたが、
家の近くを車がしょっちゅう通るわけではないし、他の猫も少なかったが、
我が家の周辺では環境がそこまで整わない。
家の前の道は私道ながら車はそこそこ通るし、野良猫も多い。
目が不自由なことも心配なので、二匹を完全室内飼いにすることにし、
長いこと在宅中は勝手口を開放していろんな猫が訪れてくれていたけれど、
そこも閉じることになった。
デールは、既にオスとして旅立ちの時を迎えていたこともあり、
しばらくはごはんはもらいに来ていたが、中に入れなくなってじきに姿を消した。
やむを得ないこととはいえ、ちょっと心が痛んだ。
(つづく)
しかし、としは右目はきれいだが左目には薄い膜がかかった状態、
さのすけは右目は瞬膜に覆われ左目はわずかに瞳が覗いている状態だ。
見えなくても、猫の場合ほかの感覚が鋭いので生活に支障はないし、
獣医さんのところに来る猫ちゃんの中にも全盲なのに他の猫といっしょにおもちゃで遊ぶ子もいる、 と言う話だった。
とはいえ、この状態で他のオス猫も闊歩している屋外で野良としてやっていけるのか。
いじめられたり怪我をする姿を見るのは忍びない。
やはりうちで保護することにしよう、
と決断した。
本当はスリムな黒白猫を一匹飼う、というのが私の夢だったのだが、
代わりに神様は弱さを持ったこの二匹を私たちに託されたのだ。
この二匹と一緒に暮らしていこう。
「うちの子」にしたものの、当初は外にも出していたし、母猫のみいみちゃんや、
前から来ていたデールもいっしょに家の中で遊んでいた。
デールは兄貴風を吹かせて、ずいぶんよくとしとさのすけの相手をしてくれた。
だが、本格的に猫を飼うことにしてから色々情報を集めてみると、
出入り自由は問題が多いことがわかってきた。
実家で22歳まで生きた猫は、ずっと出入り自由でいたが、
家の近くを車がしょっちゅう通るわけではないし、他の猫も少なかったが、
我が家の周辺では環境がそこまで整わない。
家の前の道は私道ながら車はそこそこ通るし、野良猫も多い。
目が不自由なことも心配なので、二匹を完全室内飼いにすることにし、
長いこと在宅中は勝手口を開放していろんな猫が訪れてくれていたけれど、
そこも閉じることになった。
デールは、既にオスとして旅立ちの時を迎えていたこともあり、
しばらくはごはんはもらいに来ていたが、中に入れなくなってじきに姿を消した。
やむを得ないこととはいえ、ちょっと心が痛んだ。
(つづく)
2013年5月24日金曜日
山の手散歩
新山下に買い物に行くついでに、山手の丘に久しぶりに行ってみた。
港の見える丘公園のバラがいい香りを放っているが、
このところの暖かさでもうシーズンも終わり、という感じだ。
それでも、こんなんとか
こんなんとか
ラベンダーとか
きれいだった。
奥の近代文学館では、井上ひさし展開催中。
「21世紀の君たちに」という副題で、
井上ひさし氏が作家となるまでの歩み、「吉里吉里人」などの作品に込められたメッセージ、
そして「過去から未来への中継走者」としての活動を紹介する展示となっていた。
私自身は「ひょうたん島」世代で、大人になって気付いたことだが、
「ひょうたん島」の世界、特に「ことば」の扱い方に大いに影響を受けている。
その後積極的に井上作品を読んだり見たりしてきた訳ではなかったので、「吉里吉里人」が生まれた背景には、高度成長にまい進する日本社会の矛盾があったことなど、井上氏が訴えてきた様々な問題意識について、今回の展示で初めて知ったことが多かった。
なにより圧倒されたのは、井上氏が読んできた文字の数であり、書いてきた文字の数である。
制作のために読んだ書籍で図書館が一個できているくらいだし、
読書や取材のメモやノート、プロット、下書き、原稿、編集者とのやりとりなど、
膨大な紙面に細かくびっしり文字が書かれていて、「ことば」がまさに井上ひさしであった、
と思わされる。
その上で、自らの役割を、過去に記録されてきたことをとにかく読み尽くして、
それになにがしかのものを加えて次世代に渡すこと、としていたのだ。
(このところ、読むことも書くことも、幼稚園児並みに減ってしまっている
自分が情けない。)
それにしても、東日本大震災と原発事故を井上氏が見ていたら、なんと言っただろう。
震災・事故をきっかけに、色々な人が社会をよくするために発言しているけれど、
きっと井上氏なら、誰よりも力のある言葉で、伝わる言葉で、
大切なことを次々に発信していたのではないか、と思うと、惜しまれる。
だからと言って、惜しんでいるだけではだめなので、
ひとりの大人として、次の世代に語るべきことをきちんと伝えていかなければ、と思う。
おまけ)
今日は暑かったので、公園の猫たちも姿を見せず、このコだけ。「楽園」ですって。
港の見える丘公園のバラがいい香りを放っているが、
このところの暖かさでもうシーズンも終わり、という感じだ。
それでも、こんなんとか
こんなんとか
ラベンダーとか
きれいだった。
奥の近代文学館では、井上ひさし展開催中。
「21世紀の君たちに」という副題で、
井上ひさし氏が作家となるまでの歩み、「吉里吉里人」などの作品に込められたメッセージ、
そして「過去から未来への中継走者」としての活動を紹介する展示となっていた。
私自身は「ひょうたん島」世代で、大人になって気付いたことだが、
「ひょうたん島」の世界、特に「ことば」の扱い方に大いに影響を受けている。
その後積極的に井上作品を読んだり見たりしてきた訳ではなかったので、「吉里吉里人」が生まれた背景には、高度成長にまい進する日本社会の矛盾があったことなど、井上氏が訴えてきた様々な問題意識について、今回の展示で初めて知ったことが多かった。
なにより圧倒されたのは、井上氏が読んできた文字の数であり、書いてきた文字の数である。
制作のために読んだ書籍で図書館が一個できているくらいだし、
読書や取材のメモやノート、プロット、下書き、原稿、編集者とのやりとりなど、
膨大な紙面に細かくびっしり文字が書かれていて、「ことば」がまさに井上ひさしであった、
と思わされる。
その上で、自らの役割を、過去に記録されてきたことをとにかく読み尽くして、
それになにがしかのものを加えて次世代に渡すこと、としていたのだ。
(このところ、読むことも書くことも、幼稚園児並みに減ってしまっている
自分が情けない。)
それにしても、東日本大震災と原発事故を井上氏が見ていたら、なんと言っただろう。
震災・事故をきっかけに、色々な人が社会をよくするために発言しているけれど、
きっと井上氏なら、誰よりも力のある言葉で、伝わる言葉で、
大切なことを次々に発信していたのではないか、と思うと、惜しまれる。
だからと言って、惜しんでいるだけではだめなので、
ひとりの大人として、次の世代に語るべきことをきちんと伝えていかなければ、と思う。
おまけ)
今日は暑かったので、公園の猫たちも姿を見せず、このコだけ。「楽園」ですって。
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