私は8月のいわゆる「お盆休み」の期間に休みを取ったことはない。
なぜかといえば
①実家ではお盆は7月にやっていたし
②父の会社は8月1週目が夏休みだったから子どもの頃から世間のお盆休みとは無縁だったし
③ずっとフリーランスで仕事をしているからわざわざこの時期に休みを取る必要もなく
④夫も一斉休業する職場ではなかったので、ずらして休みを取るのが普通だった。
夫が在宅療養になってからは私も仕事を減らしているので、敢えて夏休みなどとるつもりはなかったのだが、個別にこの日とこの日は休みで・・・とやった結果、ふと気づけば山の日から一週間が休みだと気づいた。
思いがけず、世間並の夏休み。。。
きょうはいつもならかかりつけ医に行く日なのだけれど医者も休みなので
「混んでるだろうけど、まあ一応平日だし」
と地元観光地の一つ赤レンガ倉庫に行ってみた。
近くまで行ってみると、全く平日の気配なし。完全に週末、お休み状態の混雑。
近くの駐車場は軒並み満車なのでちょっと離れたところに停めて歩く。
まあ、普段歩かないから夏休みくらい歩こう!
こんなイベントをやっているけどこれを見に来たのではなくー
とりあえずお腹がすいたのでこちらでなにか食べようと思うものの長蛇の列。
暑いのでこちらを先に。
いつ見てもブルーナさんの丁寧な仕事ぶり、膨大なスケッチと下絵の上に作られている絵本の素晴らしさには感心する。
ミッフィーファンの夫のために少しお土産を購入してから外に出ると、
いよいよステージで催し物が始まるらしく、食べ物が買えそうになったので並ぶ。
キューバン・サンドとノンアルコール・モヒート。
どこがどうキューバンなのかわからないけど、美味しかった。
ぽっかり空いていたのでデッキチェアに腰掛けて食べたのだけど、図らずもピカチュウのショーを見ながら、になってしまった。笑
2016年8月12日金曜日
2016年8月3日水曜日
停電
私が天気の原稿を書くと当たらない
というジンクスがある。
「雨って書いてあるから当たらない方がいいからやってよ」
というデスクもいるくらい。。。
一昨日のニュースでは雷雨の原稿を書いていて、
北海道で大雨、このあと東日本、北日本では翌朝までところによって1時間80ミリの可能性も、という話だったのだけど、群馬県で記録された雨量の情報が追加されたために、「1時間80ミリ」のくだりはカットされたのだった。
午前3時、床に就こうという時に雨と雷がひどくなってきて、
「ああ、あれはカットしないでちゃんと注意喚起したほうがよかったのにな」
と思い出したときは、まだ雷雨は他人事だった。
それでも雷で停電すると困るので、少し起きていようかと思いながら眠ってしまった。
停電が困る、というのは夫の使っている呼吸器はバッテリーが内蔵されていないので、停電の場合は繋ぎ替える必要があるからだ。
バッテリー内蔵型の呼吸器はもちろん、ある。存在はしているし希望すれば使うことはできる。
しかし、我が家ではあえて使っていない。なぜか。
以前持ってきてもらって試したことがあるのだが、なにせ音がうるさいのだ。
音響メーカーでもある会社の製品とは思えないレベルの作動音。
要するに、彼らが「使用者」と考えているのは機械を操作する医療従事者のことであって、患者のQOLなんぞ二の次なのだろうと想像する。
午前5時20分。
聞きなれないアラーム音で目が覚めた。空気清浄機のパイロットランプが消えている。
停電!急いで階下に降る。いつも腰が痛くて起き上がるのに時間がかかるのに、こういう時はガバと起き上がれるのだから人間たいしたものである。
急いで呼吸器のケーブルを付け替えようとしたところで復旧。ほっと胸をなでおろす。夫の呼吸もすぐに落ち着いた。
しかし雷はまだ続いている。ぴかっとした瞬間にドドドドドと凄い音がしているから、安心できない。
30分ほど様子を見ながら、洗濯機のタイマーを設定し直したりして、ようやく遠ざかった感じがしたので、なんだか目が覚めてしまったけど、起きているのもしんどいので二階で横になる。
と6時直前、再びアラーム。
また急いで階段を駆け下りる。今度こそバッテリーの出番だ。すぐにケーブルを繋ぎ替える。
他にも電気を使っている器具はいろいろあるけれど、当面電源確保が必要なのは吸引器だ。
吸引器はスイッチボックスにつないで夫は足でスイッチを押して吸引を行っている。
スイッチボックスへの給電ケーブルをコンセントから抜き、ポータブル電源に繋ぎスイッチを入れる。これは初めてやってみたのだけれど、ちゃんと動作することを確認。よかった。
そうこうしているうちに停電も復旧すると思ったのにちっとも復旧しない。
スマホで調べてみると、停電しているのはうちの町内3丁目と2丁目、それに隣町の一部の計1000戸だけ。運が悪いのか。
以前聞いた話では給電系統には3系統有り、1本目がやられるとすぐ2本目が立ち上がるので、最初は一瞬の停電で気づかないこともあるくらい。2本目の時はもう少し時間が掛かり、3本目がやられると本当に修理が必要なので復旧に時間がかかる、という。
なるほど、それだな、と思った。
うちでは呼吸器を使っているので、停電の時には東電が発電機を持ってきてくれるように手配したと以前ケアマネが話していたのを夫を介して聞いていたのだが、具体的な手続きを聞いていなかったので実際どうなるのかわからないうちに今回の停電になってしまった。かれこれ30分停電が続いたところでケアマネに電話してみると、ちょうどいま東電から連絡があり、ただ今作業中でもうすぐ復旧するので発電機が来ることはない、という話だった。
呼吸器のバッテリーはたぶん2時間くらいは大丈夫だろうけれど、もし切れたらこれもポータブル電源の方に繋ぎ替える必要がある。ポータブル電源は使い方次第だけどまだ使ったことがないからどれだけもつかわからない。夫のそばに付き添いながら待つことさらに50分。
停電が始まってから1時間20分後、ようやく復旧した。
停電したら、ということは以前から考えていて、そのための準備をして頭の中でも何度もシミュレーションはしていたけれど、当座の対応としてはこの体制で乗り切ることができるとわかって良かった。しかし夫がひとりでいるときに起きてしまうと対応できないし、もちろん長時間の停電にはこれでは不十分なので家庭用蓄電設備を導入することも検討している。本当はこの雷の季節になる前に対応しておきたかったところだけれど、better late than never 近々手をつけることにしよう。
というジンクスがある。
「雨って書いてあるから当たらない方がいいからやってよ」
というデスクもいるくらい。。。
一昨日のニュースでは雷雨の原稿を書いていて、
北海道で大雨、このあと東日本、北日本では翌朝までところによって1時間80ミリの可能性も、という話だったのだけど、群馬県で記録された雨量の情報が追加されたために、「1時間80ミリ」のくだりはカットされたのだった。
午前3時、床に就こうという時に雨と雷がひどくなってきて、
「ああ、あれはカットしないでちゃんと注意喚起したほうがよかったのにな」
と思い出したときは、まだ雷雨は他人事だった。
それでも雷で停電すると困るので、少し起きていようかと思いながら眠ってしまった。
停電が困る、というのは夫の使っている呼吸器はバッテリーが内蔵されていないので、停電の場合は繋ぎ替える必要があるからだ。
バッテリー内蔵型の呼吸器はもちろん、ある。存在はしているし希望すれば使うことはできる。
しかし、我が家ではあえて使っていない。なぜか。
以前持ってきてもらって試したことがあるのだが、なにせ音がうるさいのだ。
音響メーカーでもある会社の製品とは思えないレベルの作動音。
要するに、彼らが「使用者」と考えているのは機械を操作する医療従事者のことであって、患者のQOLなんぞ二の次なのだろうと想像する。
午前5時20分。
聞きなれないアラーム音で目が覚めた。空気清浄機のパイロットランプが消えている。
停電!急いで階下に降る。いつも腰が痛くて起き上がるのに時間がかかるのに、こういう時はガバと起き上がれるのだから人間たいしたものである。
急いで呼吸器のケーブルを付け替えようとしたところで復旧。ほっと胸をなでおろす。夫の呼吸もすぐに落ち着いた。
しかし雷はまだ続いている。ぴかっとした瞬間にドドドドドと凄い音がしているから、安心できない。
30分ほど様子を見ながら、洗濯機のタイマーを設定し直したりして、ようやく遠ざかった感じがしたので、なんだか目が覚めてしまったけど、起きているのもしんどいので二階で横になる。
と6時直前、再びアラーム。
また急いで階段を駆け下りる。今度こそバッテリーの出番だ。すぐにケーブルを繋ぎ替える。
他にも電気を使っている器具はいろいろあるけれど、当面電源確保が必要なのは吸引器だ。
吸引器はスイッチボックスにつないで夫は足でスイッチを押して吸引を行っている。
スイッチボックスへの給電ケーブルをコンセントから抜き、ポータブル電源に繋ぎスイッチを入れる。これは初めてやってみたのだけれど、ちゃんと動作することを確認。よかった。
そうこうしているうちに停電も復旧すると思ったのにちっとも復旧しない。
スマホで調べてみると、停電しているのはうちの町内3丁目と2丁目、それに隣町の一部の計1000戸だけ。運が悪いのか。
以前聞いた話では給電系統には3系統有り、1本目がやられるとすぐ2本目が立ち上がるので、最初は一瞬の停電で気づかないこともあるくらい。2本目の時はもう少し時間が掛かり、3本目がやられると本当に修理が必要なので復旧に時間がかかる、という。
なるほど、それだな、と思った。
うちでは呼吸器を使っているので、停電の時には東電が発電機を持ってきてくれるように手配したと以前ケアマネが話していたのを夫を介して聞いていたのだが、具体的な手続きを聞いていなかったので実際どうなるのかわからないうちに今回の停電になってしまった。かれこれ30分停電が続いたところでケアマネに電話してみると、ちょうどいま東電から連絡があり、ただ今作業中でもうすぐ復旧するので発電機が来ることはない、という話だった。
呼吸器のバッテリーはたぶん2時間くらいは大丈夫だろうけれど、もし切れたらこれもポータブル電源の方に繋ぎ替える必要がある。ポータブル電源は使い方次第だけどまだ使ったことがないからどれだけもつかわからない。夫のそばに付き添いながら待つことさらに50分。
停電が始まってから1時間20分後、ようやく復旧した。
停電したら、ということは以前から考えていて、そのための準備をして頭の中でも何度もシミュレーションはしていたけれど、当座の対応としてはこの体制で乗り切ることができるとわかって良かった。しかし夫がひとりでいるときに起きてしまうと対応できないし、もちろん長時間の停電にはこれでは不十分なので家庭用蓄電設備を導入することも検討している。本当はこの雷の季節になる前に対応しておきたかったところだけれど、better late than never 近々手をつけることにしよう。
2016年7月20日水曜日
Un Tango Más ~ Our Last Tango ~ ラスト・タンゴ
Es una película sobre la vida de los bailarines legendarios de tango, María Nieves Rego y Juan Carlos Copes. Ellos ya habian separado cuando empecé a tener interés en el baile, así que no los he visto en el tiempo. La película me enseñó cómo ellos llegaron a ser los legendarios del baile de tango. Me parece que María sigue caminando con mucho orgullo como artista, pero con sentido de tristeza tambien.
Enough for practicing Spanish...
Our Last Tango is a movie about legendary tango dance couple, Maria Nieves Rego and Juan Carlos Copes. They are considered to be the pioneers of tango dace to show. They danced together since their teens into 60s until they were separated in 1997. By the time I got interested in dancing tango, they were in their separate ways, so I've only seen them in archive videos. Copes starred in the 1998 movie Tango which I saw, not knowing much about his history with Maria. It was quite interesting to learn about their career, love and hatred through this latest movie.
The phrase goes, "it takes two to tango." So, it canot be easy for Maria to move on by herself. I give her biggest applause, and I'm sure many of my friends who dance without fixed partners feel encouraged by her words.
現在公開中の映画、ラスト・タンゴ。私も一昨日見に行ってきた。
私は大人の嗜みとしてタンゴを踊る程度で、ダンサーのことも曲のこともそう詳しくはないけれど、Maria Nieves & Juan Carlos Copes が伝説的なダンサーだというくらいは知っていたし、何度か過去の映像を見たこともあった。Copesは1998年の映画「タンゴ」に主演していて、そのときはあの「タンゴ・アルヘンティーノ」のショーの主要ダンサーだったんだってさ、と聞いて見に行ったのだった。
今回の映画のおかげで、彼らがどういう時代、どういう思いで踊ってきたのかというのを知ることができて興味深かった。
その若い頃の映像に、私の師匠ケンジ&リリアナさんたちが重なって見える時間があった。スタイルやテクニックどうこう、ではなくて、精神というか、タンゴのキモというような部分で同じものが見えたという感じ。嬉しかった。
度々映るNueve de Julio の空撮で、大通りの真ん中にできたと聞いていたバスレーンを確認することが
できた。あーなるほど。でもつまんなくなっちゃったな。
この映画、原題はUn Tango Más なのに、なぜか英題はOur Last Tangoになり
それにつられたのか邦題はラスト・タンゴ、というところが私は気になっていた。
確かに内容としては One More Tango よりは Our Last Tango なんだろうな、と思うけど、
女ひとり、これが肝心、と唇を結び前を見るマリアには、「その先のタンゴ」なんてのが似合うんじゃないか、とひとりごちた。
ダンス部分も、インタビュー部分もカメラワークがとても洗練されて見やすい映画だったことも書き添えておこう。
2016年6月8日水曜日
誕生日で命日で
きょうは誕生日だった。
夫が元気だった頃は二人でディナーに行ったり、何か買ってもらったりしていたけど、
今はそれもなく、週末に友人を招いて、やはり6月生まれのTちゃんと一緒に
誕生祝いをするようになった。
今年は先週末、前回夫の誕生会に来られなかった人を中心に集まって、
私の拙い手料理を食べてもらい、Kさんのイタリア・クロアチア旅行報告を聞く集いをした。
ケーキはTちゃん自ら、私が好きだった朝ドラ「まれ」の監修をなさったパティシエのお店で買ってきてくれた。
今回はイタリア旅行報告に合わせてイタリアン、と考えたのだけど、
好評だったのはパスタ。なかなかメインを決められず、
以前買った料理の本をあれこれひっくり返して見つけたのが、
タレントのジローラモさんの「マンマのラグー」。
分量も8~10人分とちょうどいいし、お肉は肉料理として食べ、
ソースをタリアッテレに絡めて食べる、というので二品できるので、採用!
シチュー用の肉とスペアリブを玉ねぎのみじん切りと共にパッサータで3時間煮込むだけ。
うまくできてよかった。
さて、きょうは休みを取っていたけれど、一人でどこかに行っても面白いわけでもなし、
さてどうしようか、と思っていた。
去年の誕生日に父が亡くなり、土地をもらったので(抵当権付き原野 笑)
それを見に行って御殿場のアウトレットでも冷やかしに行くかなー、と思ったけど、
梅雨入りして箱根はとても視界が悪そうなので、墓参りに行くことにした。
先々週末の一周忌には私は行かれなかったことだし、
きょうならまだやぶ蚊も少ないから、行くなら今だ、というわけで。
うちのお墓は、山の上のお寺の墓地の一番上にある。
夫が元気だった頃は二人でディナーに行ったり、何か買ってもらったりしていたけど、
今はそれもなく、週末に友人を招いて、やはり6月生まれのTちゃんと一緒に
誕生祝いをするようになった。
今年は先週末、前回夫の誕生会に来られなかった人を中心に集まって、
私の拙い手料理を食べてもらい、Kさんのイタリア・クロアチア旅行報告を聞く集いをした。
ケーキはTちゃん自ら、私が好きだった朝ドラ「まれ」の監修をなさったパティシエのお店で買ってきてくれた。
今回はイタリア旅行報告に合わせてイタリアン、と考えたのだけど、
好評だったのはパスタ。なかなかメインを決められず、
以前買った料理の本をあれこれひっくり返して見つけたのが、
タレントのジローラモさんの「マンマのラグー」。
分量も8~10人分とちょうどいいし、お肉は肉料理として食べ、
ソースをタリアッテレに絡めて食べる、というので二品できるので、採用!
シチュー用の肉とスペアリブを玉ねぎのみじん切りと共にパッサータで3時間煮込むだけ。
うまくできてよかった。
さて、きょうは休みを取っていたけれど、一人でどこかに行っても面白いわけでもなし、
さてどうしようか、と思っていた。
去年の誕生日に父が亡くなり、土地をもらったので(抵当権付き原野 笑)
それを見に行って御殿場のアウトレットでも冷やかしに行くかなー、と思ったけど、
梅雨入りして箱根はとても視界が悪そうなので、墓参りに行くことにした。
先々週末の一周忌には私は行かれなかったことだし、
きょうならまだやぶ蚊も少ないから、行くなら今だ、というわけで。
うちのお墓は、山の上のお寺の墓地の一番上にある。
急な階段を上がって、狭い通路をずーっと右に行ったところ。
階段をうえから見ると
墓からは海もかろうじて見える。それを狙って祖父が選んだ場所なのだ。
お盆でもお彼岸でもない水曜日の夕方のお墓は、さすがに誰もいなくて、
ときどきウグイスなどの声がして、落ち着いていて良かった。
母の実家のお墓も別の区画にあるので、いつも母がそうしていたように
そっちにもお線香をあげに寄ったら、近くにこんなお墓があった。
作家 西村京太郎氏、確かにこの地に住んでらしてまだご存命だと思うけど、
もう用意したのかな。
2016年5月22日日曜日
5月も下旬となり
この時期「いい季節になりましたね」と言い合うのが普通のようだけど、
私は「あとは暑くなるだけか」と思って、むしろ陰鬱な気分になってしまう。
そこへ持ってきて熊本地震である。
直下であれだけの強震があるとこういうことになる、というのを見せられれば、
自分のいるところで起きたらどういうことが起こりうるか、どう備えるか、ということを考えるので、それもまたさらに気分を沈鬱にしていった。
いや、そのことよりも、そういうふうに考えないで、脳天気にしている人がいたり、
今回の被災地の人たちが「地震なんか来ないと思っていた」と言っていて、
阪神淡路、中越、東日本の経験から何も学んでいなかったのを耳にしたりしたことのほうが気分を落ち込ませるのであった。
熊本県内各自治体も、大雨や台風による土砂災害の警戒は怠りなく、
さらには南海トラフで影響を受けるであろう宮崎県への支援体制は整えていたのに、
自分のところで大地震が起きた場合の備えは遅れていたとか。
残念なことだ。
まあ、国の対応、各地自治体からの協力、自衛隊、警察、消防の連携などは
過去の経験から学んで、ずいぶん効率よくなっていたので、それは心強いことだった。
この国に住んでいる以上地震はつきもの、過去の例から学んで備えをして、
被災した人たちに「あなたたちの苦労は無駄にしない」ということが大事だろうと思うのだ。
熊本市内のある動物病院は、ペットと一緒に避難する人々を受け入れ、
一時は200人以上が避難した、という報道があった。
ここの院長は、東日本大震災の際福島に入り、避難者とペットの問題を見て、
自分の病院を耐震構造にし、いざという時に飼い主とペットを受け入れることにしたのだそうだ。
行政でさえ、国が東日本以降指導していた地震対策を取れていなかった中で、
こういう人もちゃんといた、というニュースにホッとして、嬉しかった。
まだ九州新幹線も止まったままだった頃、
山口の大学で日本語学を教えている義従姉が、研究で横浜に来たついでに寄ってくれた。
昨年度卒論指導をした学生の中にスペイン人がいて、
その人は独学で日本語能力検定1級を取ってしまう実力の持ち主なのだが、
いざ論文となったら論理の流れがつかめない日本語になってしまっていて、
卒論を読むために義従姉は有給を3日とった、という話だった。
あんなふうになるのは、スペイン語の特性が背景にあるのではないか、
日本語と比べてどういうところが違うのか、と聞かれて、
私の限られた知識ではあるけれど、gustar型の動詞などいくつか思い当たることを上げてみた。しばし言語文化論を交わしながらつくづく思ったのは、
私はこういう話題、言語と思考の異文化比較、がやっぱり大好きだ、ということだ。
コミュニケーション学でvalue orientationという概念に属する領域なのだが、
学生の頃この概念に行きあたった時のワクワク感が久しぶりに蘇ったひとときだった。
職場の近くの道路脇に季節の花や木が植えられている場所があって今はバラだ。
私は「あとは暑くなるだけか」と思って、むしろ陰鬱な気分になってしまう。
そこへ持ってきて熊本地震である。
直下であれだけの強震があるとこういうことになる、というのを見せられれば、
自分のいるところで起きたらどういうことが起こりうるか、どう備えるか、ということを考えるので、それもまたさらに気分を沈鬱にしていった。
いや、そのことよりも、そういうふうに考えないで、脳天気にしている人がいたり、
今回の被災地の人たちが「地震なんか来ないと思っていた」と言っていて、
阪神淡路、中越、東日本の経験から何も学んでいなかったのを耳にしたりしたことのほうが気分を落ち込ませるのであった。
熊本県内各自治体も、大雨や台風による土砂災害の警戒は怠りなく、
さらには南海トラフで影響を受けるであろう宮崎県への支援体制は整えていたのに、
自分のところで大地震が起きた場合の備えは遅れていたとか。
残念なことだ。
まあ、国の対応、各地自治体からの協力、自衛隊、警察、消防の連携などは
過去の経験から学んで、ずいぶん効率よくなっていたので、それは心強いことだった。
この国に住んでいる以上地震はつきもの、過去の例から学んで備えをして、
被災した人たちに「あなたたちの苦労は無駄にしない」ということが大事だろうと思うのだ。
熊本市内のある動物病院は、ペットと一緒に避難する人々を受け入れ、
一時は200人以上が避難した、という報道があった。
ここの院長は、東日本大震災の際福島に入り、避難者とペットの問題を見て、
自分の病院を耐震構造にし、いざという時に飼い主とペットを受け入れることにしたのだそうだ。
行政でさえ、国が東日本以降指導していた地震対策を取れていなかった中で、
こういう人もちゃんといた、というニュースにホッとして、嬉しかった。
まだ九州新幹線も止まったままだった頃、
山口の大学で日本語学を教えている義従姉が、研究で横浜に来たついでに寄ってくれた。
昨年度卒論指導をした学生の中にスペイン人がいて、
その人は独学で日本語能力検定1級を取ってしまう実力の持ち主なのだが、
いざ論文となったら論理の流れがつかめない日本語になってしまっていて、
卒論を読むために義従姉は有給を3日とった、という話だった。
あんなふうになるのは、スペイン語の特性が背景にあるのではないか、
日本語と比べてどういうところが違うのか、と聞かれて、
私の限られた知識ではあるけれど、gustar型の動詞などいくつか思い当たることを上げてみた。しばし言語文化論を交わしながらつくづく思ったのは、
私はこういう話題、言語と思考の異文化比較、がやっぱり大好きだ、ということだ。
コミュニケーション学でvalue orientationという概念に属する領域なのだが、
学生の頃この概念に行きあたった時のワクワク感が久しぶりに蘇ったひとときだった。
職場の近くの道路脇に季節の花や木が植えられている場所があって今はバラだ。
先日通りがかったら、咲きはじめのせいか良い香りが漂ってきて、
ああそうだ、この時期はバラだよね、というわけで、
数日後、新山下に買い物に行くついでに港の見える丘公園に寄ってみた。
ここはバラに溢れてさぞかし芳しい香りが満ちているだろう、と期待していたのだが、
あれれ?
以前バラばかりだったエリアが、こんな感じ。
どうやらこの春から園内整備中だそうで、ほかのセクションもバラは少なめ。
僅かに香る種類もあったので、それをクンクンして満足することにして、来年に期待。
帰り道、みなとみらい地区の分離帯の草がなんだか可愛らしくなびいていた。
2016年4月13日水曜日
今年の桜と誕生会
今年の桜はきれいだった。
世間では、去年も一昨年も同じようにサクラ、桜と言っていたけど、
私の目には原発事故以来、本来の桜の美しさは失われ、
色も花の付きも大きさも、どうにも物足りなく思えた。
名所と言われる場所の木は、そろそろ寿命を迎えるものが多いとも聞いていたから、
もうこれまでのような桜は見られないのかもしれないと思っていた。
しかしあれから5年、今年は本来の桜の美しさが戻ってきたようで、
車で走っていても、あ、あそこ、今度はこっち、と
目に留まるのが嬉しい姿が多かった。
自然は強く、再生しているのだとあらためて感じた一週間余だった。
そんな桜ももう終わる頃、約一週間遅れで夫の誕生会をした。
ALSと診断されてから4回目の誕生日だ。
4年前はまだ動けていたから、日曜の午後野外ミロンガで友人たちと集まり、
みんなで中華街にあるシュラスコ屋へ行ったのだった。
その後はうちに集まってもらって、誕生会をしている。
今夫は口から食べたり飲んだりはしていないので、
みんなと食事をすることはできないけれど、
外出できない夫にとって、仲間と会って話すのは、楽しみな時間だ。
スペイン語圏の習わしに従って、食事はうちで準備し、
うちにはアルコール飲料はないので、各自持参してもらう、という形での開催。
なにかと時間が限られるので、作り置きできるものが中心だったけど、
みんな喜んでくれてホッとした。
Cちゃんが持ってきてくれたケーキに、
HちゃんがHAPPY BIRTHDAYの文字キャンドルを載せてくれたのを
私が代理で吹き消した。
この1年、また時々みんなと会う機会が与えられて穏やかに過ごせますように。
2016年3月16日水曜日
大九州展
九州は、好きだ。
修学旅行で行った、博多、臼杵、熊本、長崎、平戸に始まり、
仕事や観光などで福岡、長崎、小倉は何度か訪れた。
夫の母が鹿児島の人だったので、数回だが親戚を訪ねたこともある。
いまは、タンゴを通じて知り合った友人たちも福岡や大分にいて、
関東以外では、九州に身近な知り合いが一番多くなった。
今住んでいるところと違うどこか別の地方に住むなら、九州だろうと思う。
昔から他国との交易があったりして、人々の精神性が外に開いていて、
つまらない東京コンプレックスがないのがいい。
男尊女卑で保守的と言われるけれど、
なかなかどうして九州の女たちは、どっしり頼りがいがあって、
自分の足場をしっかり固めている。そういうところも好きだ。
普通に町で買い物などをして接する人たちもみんな優しくて、感じが良いし。
それになんと言っても
食べ物が美味しい!
だからといって、私はお取り寄せ、というのはあまり好まない。
土地のものをそこで頂くから美味しいのだし、
一番美味しいものは外に出してやしない、と思うからだ。
だが、毎年春に地元のデパートで開かれるイベント
「大九州展」は例外だ。地元の人達がいいものを持って来てくれるので
いつも楽しみにしている。
今年は初日のきょう、行ってきた。
まずはイートインで長浜ラーメンを。
とんこつは実はあまり得意ではない。
疲れている時に食べて胃をやられたことがあるのだ。
このラーメンは豚骨の下処理を丁寧にしているという触れ込み通り、
くせのない食べやすくコラーゲンとろとろのスープで美味しかった。
さてお買い物。美味しいものはたくさんあるけれど、
いまは食べるのは私一人なので、そういろいろ買い込んだりはできない。
冷凍しておけるきびなごやちりめん、干物
からし蓮根
知覧茶
などを買い込んだ。
残念だったのは、いつも来ていた老舗のつけ揚げ屋さんもかるかん屋さんも来ていなくて、つけあげもかるかんもあくまきも買えなかったこと。シクシク
この「大九州展」ここ数年4月に移動したりしていたのが、
今年はまた以前のように3月のこの時期に戻ってきた。
そうなのだ。5年前のあの日は「大九州展」の真っ最中だった。
あの日私はニュースの仕事で18時入りだったので、
いつもなら15時頃買い物に行って16時過ぎに戻って家に荷物を置き、仕事に行く、
というパターンなのに、何故かあの日は先に買い物に行って、
つけあげだの、からし蓮根だの、きびなごだのをうきうきと冷蔵庫にしまっているとき、グラグラときたのだった。
夫は公務員だからきょうはもう帰れないだろうが職場にいる限りは大丈夫、
こちらも仕事に行ったらいつ戻れるかわからないけど、行かねば。
「とりあえず、冷蔵庫に食べ物はある」
と安心したのを思い出す。
毎年楽しみなイベントだけど、あの日と被災地に思いを馳せる機会でもあるのだ。
修学旅行で行った、博多、臼杵、熊本、長崎、平戸に始まり、
仕事や観光などで福岡、長崎、小倉は何度か訪れた。
夫の母が鹿児島の人だったので、数回だが親戚を訪ねたこともある。
いまは、タンゴを通じて知り合った友人たちも福岡や大分にいて、
関東以外では、九州に身近な知り合いが一番多くなった。
今住んでいるところと違うどこか別の地方に住むなら、九州だろうと思う。
昔から他国との交易があったりして、人々の精神性が外に開いていて、
つまらない東京コンプレックスがないのがいい。
男尊女卑で保守的と言われるけれど、
なかなかどうして九州の女たちは、どっしり頼りがいがあって、
自分の足場をしっかり固めている。そういうところも好きだ。
普通に町で買い物などをして接する人たちもみんな優しくて、感じが良いし。
それになんと言っても
食べ物が美味しい!
だからといって、私はお取り寄せ、というのはあまり好まない。
土地のものをそこで頂くから美味しいのだし、
一番美味しいものは外に出してやしない、と思うからだ。
だが、毎年春に地元のデパートで開かれるイベント
「大九州展」は例外だ。地元の人達がいいものを持って来てくれるので
いつも楽しみにしている。
今年は初日のきょう、行ってきた。
まずはイートインで長浜ラーメンを。
とんこつは実はあまり得意ではない。
疲れている時に食べて胃をやられたことがあるのだ。
このラーメンは豚骨の下処理を丁寧にしているという触れ込み通り、
くせのない食べやすくコラーゲンとろとろのスープで美味しかった。
さてお買い物。美味しいものはたくさんあるけれど、
いまは食べるのは私一人なので、そういろいろ買い込んだりはできない。
からし蓮根
知覧茶
などを買い込んだ。
残念だったのは、いつも来ていた老舗のつけ揚げ屋さんもかるかん屋さんも来ていなくて、つけあげもかるかんもあくまきも買えなかったこと。シクシク
この「大九州展」ここ数年4月に移動したりしていたのが、
今年はまた以前のように3月のこの時期に戻ってきた。
そうなのだ。5年前のあの日は「大九州展」の真っ最中だった。
あの日私はニュースの仕事で18時入りだったので、
いつもなら15時頃買い物に行って16時過ぎに戻って家に荷物を置き、仕事に行く、
というパターンなのに、何故かあの日は先に買い物に行って、
つけあげだの、からし蓮根だの、きびなごだのをうきうきと冷蔵庫にしまっているとき、グラグラときたのだった。
夫は公務員だからきょうはもう帰れないだろうが職場にいる限りは大丈夫、
こちらも仕事に行ったらいつ戻れるかわからないけど、行かねば。
「とりあえず、冷蔵庫に食べ物はある」
と安心したのを思い出す。
毎年楽しみなイベントだけど、あの日と被災地に思いを馳せる機会でもあるのだ。
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