2019年4月14日日曜日

自然の変化

日曜日、この表紙に絵が採用されている友人の個展に立ち寄り購入。
彼女は画材を担いで山に登り、その場で作品を描くスタイル。どっぷり都会生活の私と違って自然に入り込んで暮らす彼女に、たとえば丹沢などの身近な山で気象変化などの影響を感じているか尋ねてみたら、びっくりするような話が返ってきた。
山がとにかく荒れていて、彼女自身はもう行く気がしないし危ないところになっている、というのだ。長年の東名高速道路からの排気ガスと沿岸工業地域から風に乗って流れて来る汚れた空気、獣害、気候変動など、もろもろの影響で、いま斜面に下草が全くない状態のところが多く、それは「掃除機をかけたみたい」にまったくないそうだ。そこへ、以前に比べて増える豪雨、そして去年の24号のような猛烈な風の台風が来襲することで、木は倒れ、その倒れ方と言ったら「割り箸を100万本ばらまいたみたい」でかつて林道であったところももはやそこを通ることはあきらめるしかない状態。そして、木が倒れ下草の藪もないところに雨が降れば山の地面自体が持ちこたえられず崩れていく。
もっと登山客が来るような所ならお金をかけて整備もするのだろうけれど、丹沢のようなところはそのまま。そして、そうしたところに、身近な山だからと経験浅い年配登山者が入っていくことを想像するとちょっとぞっとするし、山体崩壊など起きれば大災害だ。こういう場所は、丹沢以外にも全国いたるところにあって不思議ではない。

今のこの国の社会は、本当によくない方向にまっしぐらでそれも暗澹たる思いにさせられるのだけど、自然環境も危ない方向にどんどん変化しているとしたら、なんだか救いがないなあという気にさせられた。

2019年3月31日日曜日

3月

一度も投稿をしないうちに3月が終わろうとしている。
何もなかった、というわけでもないが、文章を書く気力が全然なかった。
まあ、生存証明のようなもので何を発信しているというわけでもなく
困る人もいないだろうから、いっか、と言ってるうちにひと月である。

3月15日に、参加しているオーケストラが放送記念日式典のオープニング演奏をしたので、3月前半はそれに向けての練習中心だった。これは毎年恒例になっていて、夫が病気になる前までは参加していたので、今回が7年ぶりになる。
朝7:50集合という、私にとってはとんでもなく早い時間なのだけれど、何と言ってもNHKホールでの演奏機会と言うのはそうあるものではないのでがんばって参加。
曲目は、1月の名曲コンサートでも演奏した「ローマの謝肉祭」と合唱も入ってヴェルディの「アンヴィル・コーラス」。今回は弦の要所にN響メンバーも参加して下さっての演奏。
2ndVnのトップには大宮臨太郎さんが座ってくださり、私はその真後ろだったので、腕の使い方、ピチカートのニュアンスの変え方など、間近で見て学ぶことが多い貴重な数十分だった。いや、だって、移弦が続いて難しいところも前に合わせて腕を動かしたら楽に弾けてしまうのだもの、やっぱりプロってすごい。短い曲で、あっという間に終わってしまうと思っていたけど、予想していたよりずっと一つ一つの音を楽しんで味わって弾くことができてとても楽しかった。早起きしてよかった。

3月後半は、映画2本ー「Green Book」と「運び屋」ーを見たり、オケのコンマスであり1月は指揮をしてくださった松田さん参加のアンサンブルを聞きに上野に行ったり、頂いたチケットでバッハ「マタイ受難曲」を聞きに行ったり、姪と食事や買い物に行ったりして過ごした。

その間、イチローが引退したり
  1年かけてちゃんと花道を作ってあげたマリナーズ、すごいな
ショーケンが亡くなったり
  父の親友の義弟に当たり、横浜にも住んでいたから身近に感じていた人
白石冬実が亡くなったり
  私はオールナイトニッポンのほうが好きだったけど、ナチチャコパックは別格だった

そして明日は新年度、新元号発表。
中学生のころから私の中では基本西暦、必要があるとき元号に置き換えをやってきたから、元号が何だろうとどうでもいいのだけど、一強支配の総理が自分の好みを皇太子に押し付けてるとか、いろいろ聞こえてくると、そういうのはいやだなあ、と思う。変な騒ぎにならないとよいのだけど。




2019年2月26日火曜日

Haunted Manor 幽霊屋敷

(日本語は下に)

"Haunted Manor" is a Polish opera by Sanislaw Moniuzko.  It was written in 1861-1864 when Russia controlled most of Poland.  The story depicts the life and the values of the respected class of soldiers in Poland at the time.  It is one of the most popular operas in Poland, but is little known outside the country.

I had a chance to hear the opera presented in a concert format as the choir my sister takes part in was part of the production last Sunday.  It was the first time the the work was to be presented in Polish in Japan.  Singers had to spend a lot of time learning to sing in the unfamiliar language.

Many people showed up to the hall in the suburbs of Tokyo maybe because they were interested in this rare opportunity to hear this opera.

I'm not a great opera fan, and have seen only a few operas in my life.  I didn't have much expectation with this opera because so little is known about the work.  But as it turned out, it was very enjoyable work, both in terms of story and music.  I would love to see and hear this work with costumes and all some day.

One of many Polish among the audience who was sitting near us was apparently enjoying the opera very much.  She was singing along some of the arias, which showed that this is truly a very popular opera in Poland.

I don't imagine that there will be many occasions for "Haunted Manor" to be put on stage anywhere in the world except Poland.  But if you have a chance, I recommend to hear it.



「幽霊屋敷」はポーランドの作曲家、スタニスワフ・モニューシュコが1861年~1864年に書いたオペラである。当時ポーランドは、ロシア、プロイセン、オーストリアの分割統治下にあり、この作品も上演までに何度もロシア当局の検閲を受けた挙句、「士族」の暮らしを通して愛国心や勇気を強く感じさせる内容があまりにも観衆を熱狂させたため、3回の上演で舞台から下ろされてしまったという。(プログラムより)

2月24日、姉が活動している合唱団がこの作品の本邦初ポーランド語での上演(コンサート形式)に参加するというので、はるばる立川まで見に行った。

私はオペラファンではないし、今まで見たオペラも数えるほど。ましてや今回の作品はあまり知られていない作品だし、正直余り期待はしていなかった。
この珍しい機会を逃すまいとした人が多かったのか、会場は満席に近い盛況だった。ポーランド人の姿もそこここに。なんだかみんな、ワクワクしている様子。なんでもポーランドで一番人気のあるオペラだとか。そうなのか。

実際に聞いてみると、これはなかなか優れた作品だった。(えらそーに言う)
ストーリーも面白かったし、音楽もよく構成されていた。
ポーランド語での演奏で、出演者は本当に大変だっただろうと思うけれど、感情表現も豊かで聞きごたえがあった。歌詞にはけっこう聖書や信仰生活を下敷きにしたことばが使われていたのだけど、「神の存在を感じて暮らしている人の台詞」であるために歌手の人たちも感情移入しやすかったのか、深いよい表現になっていた気がする。これがいわゆる宗教曲の場合だと、信徒でない人が歌っているとどうもしっくり来ないことが多いのだ。そういうところでも、今回は聞きやすい公演だった。

私たちの前の列にいたポーランド人の女性が終始ノリノリで楽しそうに聞いていて、アリア(バリトンなのに)を一緒に歌っているのを見て、ああ、この作品が国民的作品だというのは本当だったのだ、と印象付けられた。

ポーランド以外ではめったに演奏されることのないであろうこの作品、いつか演奏会形式でなくオペラで見てみたいものだ、と思う。

2019年2月10日日曜日

1年経って

当然のことながら、キリスト教では法事は、ない。
そもそも西洋では命日より誕生日で亡くなった人のことを覚える習慣だ。
それでも、クリスチャンであっても日本的風習から逃れられない人は、家族の命日に「記念会」なるものを持つことも多い。短い礼拝をして会食する、というのが定番か。

うちでは義父母のために記念会はしなかったので、夫も別にそういうことは望んでいないと思ったし、親戚もみんな遠いしクリスチャンではないし、なにもしないつもりでいたものの、この日に横浜でとしゆき&菜穂子さん主催の定例ミロンガがあることに気づいた。ここでは、夫の病気がわかったときに徹さんとTLFがミロンガをしたいと言ってくれたのをとしゆきさんが引き受けてミロンガをしてくれたのだった。あんなミロンガがまたできないか、という妄想をとしゆきさんに持ちかけたら、是非実現しましょう、と言ってくださったのが11月。それから声をかけた方々がみなさん二つ返事で引き受けてくださり、思いがけず豪華版のミロンガが開けることになった。

ミロンガのまとめはケンジさんがうまく書いてくださったのでそちらを。

そこに書いてない裏話をいくつか。

夫の部屋にオルケスタYOKOHAMAのライブ録音CDがあったのを、ミロンガ来場者にプレゼントすることを思いついたのだけど、あるのは35枚。人を選んで、というわけにもいかないので受付でくじ引きをしてもらうことにした。くじ引き係りはTLFなおこさんのお子さん二人。何人来るかわからない中ではずれくじを幾つ入れるか悩んだ挙句、確率2分の1に設定。全員への参加賞としてチョコレートの小箱80個用意。最終的には入場者は86名だったそうだから、全員にはチョコは渡らなかった模様。ごめんなさい。でも、確率2分の1とは知らないみなさん、当たりですごく喜んでくださってこちらも嬉しかった。

夫のもう一組のダンスの師匠、Eugene y Alisaにも実は出演依頼をかけていた。生憎他のイベントの先約がありNGとのことで、アシスタント時代をよく知っているMarcy & Magiに代役をお願いしようかとも思ったのだけど、いや、彼らには他の仕事があればそっちを優先して欲しいから声をかけないでおこう、だいいち、TLFだけだって雪を降らせそうなのに、Marcyさんを呼んだら荒天確定してしまう、と思って声はかけずにおいたのだ。でも、親の心子知らず(?)スケジュールをあけてやってきてくれた。去年、Marcy&MagiのところでTLFがライブミロンガをしたとき、誰も踊りださなくてMarcyさんと私がデモ状態になってしまったことがあった。今回は守さんの歌がはじまったところでMarcyさんが目配せしてきたので、意図的にデモ状態を再現。あー、面白かった~。

なので、彼らも招待して太田なわのれんで打ち上げ。
 




予想以上に大勢の方が来てくれたミロンガ。
半分以上の人はおそらく夫のことは知らなかったと思う。
いつも来ているところだから、ファンダンゴスが来るから、ケンリリさんが踊るから、いろんな理由で来てくれた人たちが、みんなとてもいい顔をして踊っていた。
早い時間から来ていた常連さんとおぼしき人たちからしてすごくいい表情で踊っていたから、これまでここでとしゆきさんたちが積み上げてきたものが本当に大切にされているのだと思った。そこに後から来た人たちも溶け込んでいく。
それから、特別な企画であることを通して、タンゴを介してこれだけの人たちが直接間接につながり合って奇跡のようにいま、ここに一緒にいる、と感じることで、今目の前にいるこの人との時間を大事にしよう、とみんなが感じていた気がする。
TLF+徹さんの音楽の力が、ノーギャラなのに本気でいい音作りを手伝ってくれたえじーさんによってさらに増幅され、場を作っていったのだと思う。

私はもともと、自分が楽しみたいという欲求よりは、他の人の役に立ちたいという思いのほうが大事で、ひとりになってからは余計に自分ひとり楽しいからってそれが何?と感じることが多く、そんな思いをもてあます日が続いていた。このミロンガで、みんなが楽しんでいるのを見て、口々によいミロンガだった、楽しかったと言って帰っていくのを聞いて、本当に嬉しく、ああ、私はやっぱりそういう人間なんだなあ、と改めて思ったのだった。


以下はあれこれ頂き物。



2019年1月22日火曜日

名曲コンサート


去年、6年半ぶりに復帰した職場のオーケストラのコンサートが1月20日にあった。

8月に譜面をもらったときは、およそ弾ける気がしなかったものが、
まがりなりにもみんなと一緒に弾くことができたのだから、
練習は裏切らない、とつくづく思う。

このごろライブやコンサートを聴きに行く機会もまた戻ってきたけれど、
やっぱり自分でやるほうが、うまい下手は別にして面白いと思う。
それはみんなが「いま、ここ」に集中することとそれが生み出す音の魅力。
復帰してよかったと思う。

夫の療養中オケは休んでいたけど、ヴァイオリンをやめてしまうと弾けなくなるので、
細々と個人レッスンは続けていた。
それでも、一日に弾く時間は30分くらいのもので、全く弾かない日もあったから、
秋からどんどん練習時間が増えて、オケの練習日も12月には半日から終日になる中で、
もともと首肩の硬い私の右肩~右腕の筋肉は、年明けにはパンパンで悲鳴を上げていた。
おかげで、肝心の直前の自習が満足にできず、それがちょっと残念だったから、
これからはもっとコンディションの整え方を考えなければいけないと思う。

それにしても、本番になると今まで一度も間違わなかったところで間違うのはなぜ?



2019年1月5日土曜日

年末年始

喪中なので年末年始は格別の予定も入れず、おせちももちろん買わず過ごした。

冷蔵庫に焼き海老を発見したので、鹿児島風のお雑煮だけは作ったけれど。

元日はデパートの初売りを冷やかしに行き、すこしだけ買い物。
2日は駅伝の中継を見た後、ラグビーの試合の最後だけ見た。
ラグビーはよくわからないから余り見なかったけど、
夫の母校が今回は勝ちあがっていたので見る事に。
ちょうど姉が来ていて、義兄はラグビー愛好家なので姉は私よりラグビーを知っているので教えてもらいながら見た。めでたく夫の母校勝利。
以前より見ていてわかるようになったのは、
たぶんデジタル化のおかげで昔は何やってるか見えなかったところが見えるようになったからではないかと思う。

3日は駅伝の復路を見た。地元東海が勝ったのはよかったけど、
夫の母校はシード落ちしてしまい、また来年も予選会からでかわいそう。

4日にはヴァイオリンのレッスンが始まり、平常運転。
とはいえ、年末から21日の演奏会に向けて集中練習していたせいか
右肩から右腕が重痛い。弾くのは大丈夫なのだけど、ちょっと炎症起こしてるかも。
弾けなくなっては困るので、難儀している箇所だけ抜き出して練習することにする。

2018年12月30日日曜日

Time flies, or just being lazy. いつの間にか、又は怠け者の自分

(日本語は下に)

December passed quickly without giving me a chance to update this blog.
No. Actually, I did have several opportunities and things to write.
I just didn't feel like writing, and let it pass.
Now, as 2018 is nearing its close, I should put down a summary of the past month, at least.

I've given a lot of of time --to my standard-- to practicing violin for our concert next month.  Our sessions have been quite inspiring and interesting thanks to our conductor.  I still struggle with the music, but, the most difficult part is concentration.  Hopefully, I'll make enough preparations so I can keep myself focused on the music for the duration of the concert.

I saw 3 movies related to Argentina this month---two of them on tango.
The first one was "Milongueros-- El Compas de Buenos Aires-- produced and directed by dancers Rika Fukuda and Jose Luis Ferraro.  It records testimonies of milongueros who know the golden era of tango first hand.  Rika and Jose Luis made this movie out of sense of crisis that legendary maetros are passing quickly, and we'll never be able to learn from their experience soon.  They had no background in film making, but their passion for the theme and sense of mission led to a very find result.  I really appreciate their efforts in making this movie come true.  It was shown only for a limited period of time in Tokyo and Kansai, but I'm sure it will be cherished and viewed widely for a long time into the future.

The second movie was "Piazzolla--- the Years of the Shark."  It told the life of Astor Piazzolla from the viewpoint of his son.  It sheds light on private aspect of the great composer-bandoneonista through testimonies of his son and the late daughter.  The movie is given a Japanese title which means "Libertango Forever."  It's probably because Libertango is the most popular piece by Piazzolla in Japan.  But I don't think it was a good choice for the movie of this title. 

The third movie was ”El Ultimo Traje." It's about a Jewish man who escaped the Holocaust to live in Buenos Aires travels to Poland after 70 years to visit his best friend.  The Holocaust, how it affects survivors today, how their families live today... those scenes make your heart ache, but at the same time, the movie depicts how people can reconcile through reaching out to each other. 

I celebrated Christmas Eve at one of the churches in the city that gave a candle light service. (My church no longer does that.)
It was a good service with lots of scripture reading and music, ending with Handel's Hallelujah chorus.  Surprisingly, I could hit high A quite easily, which made me feel really good.

New Year's is one of the biggest day of celebration in Japan, but customarily families that lost someone in the past year refrain from celebrating. 
So, I'll be spending the New Year holidays quietly, doing some chores that I have kept procrastinating.



いつの間にか月末、いや年末である。
何度かブログを更新しようと思ったものの、「書く」という行為にどうしても気が進まないうちに押し詰まってしまったので、ともかく、12月のまとめを備忘的に。

1月にオケの演奏会があるので、ヴァイオリンの練習はけっこうした。あくまで自分としては、だけれど。一番の課題は集中力だ。なにせ、ここ何年も家での練習は長くても1時間、たいてい30~40分がせいぜいだったから、11月後半~12月の練習が10時ー17時となったときは、意識が朦朧とする感じだった。ともかく、本番でちゃんと弾くだけの準備をしていきたいものだ。

12月に入ってアルゼンチンがらみの映画を3本見た。
1本目は「ミロンゲーロス~ブエノスアイレス黄金のリズム」。
ダンサーのリカさんとホセ・ルイスが、タンゴの黄金期を知るミロンゲーロたちがいなくなってしまう前に、その証言を記録しようと製作したドキュメンタリー。映画製作の経験がないことも、タンゴへの情熱と強い使命感で乗り切って完成させた本作は、今回限られた上映ではあったけれど、きっと将来にわたって長く、広く求められ、鑑賞されていくに違いない作品に仕上がっていた。

2本目は「ピアソラ~永遠のリベルタンゴ」。70年代のエレクトロニコに参加していたピアソラの息子の目から見たピアソラ伝。亡くなったピアソラの娘の証言の録音なども使われて、プライベートなピアソラの内面にも光を当てる作品になっている。日本でピアソラといえばリベルタンゴだからこんなタイトルにしたのだろうけど、内容とはあまり合っていないなあ、と思った。

3本目は「家に帰ろう」。ホロコーストを生き延びてブエノス・アイレスに逃れたユダヤ人の男性が、娘たちに老人ホームに入れられようとするのを契機に、70年前別れたきりの親友との約束を果たすためにポーランドへ向かう、というストーリー。一人の人間の体験として語られるホロコーストは、フィクションであっても、胸に強く迫ってくる。その痛ましさとともに、現代を舞台にして示される人の優しさ、和解する力が印象に残った。

一人になってから就寝時間が以前より早くなってあまり聞くことがなくなっていた「ラジオ深夜便のうた」。先日、12月~1月の曲を始めて耳にした。
作詞と歌 林部智史 作曲 マシコタツロウ 「あの頃のままに」
そのサビの部分の歌詞が胸にぐっときた。

 哀しみは時間(とき)を経て すべて癒えはしないけど
 耐えてゆけ 生きてゆけ 潰されそうな日も

 悔しさは時間を経て すべて消えはしないけど
 耐えてゆけ 生きてゆけ 涙を拭きながら

 思い出は時間を経て 決して消えはしないから
 春を越え 冬を越え 哀しみも越えてゆけ

愛するものを亡くした心に去来するのはまさに哀しみ、悔しさ、思い出。
何度も何度も、潰されそうな思いになるし、涙は枯れることがない。
そして、癒されないかもしれないけど、ではなく、
すべて癒えはしない、すべて消えはしない、と断言してくれていること。
ああ、この人はわかってるんだなあ、自分自身もそんな思いをしたのだろうか、と思って調べてみたら、まだ30歳で、自分の体験というよりは、被災地やいろいろなところで多くの人に会って話を聞いてうまれた曲だという。

夫が亡くなって10ヶ月余。未だ、前を向くと言っても前ってどっち、と立ち止まったままだけど、そういう自分をそのままに受け入れて時を待てばいいのだと思わせてくれる、そんな歌だと感じている。