イースターまでは「服喪」ではないけれど、まあレントだし。出かける気分でもないし、「ひま」だけど特にどこにも行かずにおとなしくしていよう、と思っていたところに、Marcelo&Analia来日の報。
4年前の来日時は、なんとかワークショップ2回出たけれど、1シリーズちゃんと続けて出ないとあまり意味がないと思い、その後彼らに限らず、来日レッスンの類には出なくなっていた。
今なら続けてレッスンも出られるけれど、しかし3月半ばから始まってしまう。それにタンゴはやっぱり夫と踊っていたものなのでまだやる気がしない、でも彼らのレッスンは取りたいなあ、と迷っていたら、仕事と重ならない金曜日にフォルクローレのレッスンが組まれた。やったことないけど、やってみるか、と出かけて行った。
3月30日は聖金曜日だったので、さすがにそこはお休みして、その代わり日中にプライベートレッスンを取ったので、トータルでは一応皆勤。
内容は私が出たときは、チャカレラが主で、最後の1回だけサンバをやった。
フォルクローレはみんな横に並んで踊るので、横を見ながら、パートナーにも教えてもらいながら踊れるから、初心者でもなんとか動くことができるのはいい。
しかーし!タンゴの場合、男性のリードによって踊るから女性が動きを作ることもあるけれど、それは上級者の話で、私などは完全に受身でなにも考えずに踊っているのに、フォルクローレの場合は、チャカレラにしろ、サンバにしろ、一人で動かなければいけないので、まずステップを覚えなければならず、今まで使っていなかった脳みそをたたき起こすのがまず大変だった。
そして難しいのが三拍子。
例えばチャカレラのステップの場合、1はちゃんと踏む、2は小さく踏む、3はちゃんと踏む、しかし1,2,3の長さは同じ、でも、アクセントは1にあり、これが「チャカレラ・トゥルンカ」になるとアクセントは3にあるので、1のステップを音楽の3に当てる~~~とか。
日本文化論の常識で言えば、日本人は定着稲作民族なので、しっくりくるのは二拍子で、騎馬狩猟民族の三拍子は苦手。三拍子を一小節ひとくくりにしてとるのはできても、三拍を分解して取るには訓練が必要で、何も考えずにできてしまう彼らとは違うのだ。
というようなことをMarceloたちに話したら、初めて聞いた、すごく興味深い、と言っていた。
語学にしてもなんでも、異文化のものに取り組む場合、自分の文化との違うところが難しいから、そこを意識して勉強するのが大事なんだけど、それを教える人が気づいてくれてるとさらに
ありがたいことなので、この話はしてよかったな、と思っている。
ああ、それにしても、あちらじゃみんな気軽に踊っているはずのフォルクローレがこんなにいろいろ注意することがあって、いざ踊るとなると全部吹っ飛んじゃってめちゃくちゃになっちゃうくらい難しいとは思わなんだ。「今年はここまでしかできなかったから、来年もまた来ます」と言ってくれたMarcelo&Analia。こちらもぼーっとして全部忘れないようにしないとね。
2018年4月13日金曜日
2018年4月5日木曜日
それから
夫が亡くなって、まず思ったのは
ひま
ということ。
急に日々の生活のリズムを変えるのは良くないと思って、基本的に同じスケジュールで暮らしていたのだけれど、これまでは、午前3時くらいに寝て9時くらいに起きて、猫の世話、夫のケア、洗濯などして、自分の朝食は昼12時ころ、だったのに、夫が亡くなってしまったら、10時半にはやることがなくなってしまうのだ。
夜も寝る前に月間文芸誌の連載小説を、せいぜい2分の1回分ずつ(時間にして7~8分)読むのがささやかな楽しみだったのだが、まるまる1回分読んで、コラムまで読んでも、寝る時間が以前より1時間早いという。。。
ああ、世の中の人は、みんなこんなに余裕がある生活をしていたのか。
諸々の事務処理などやることはあっても、毎日秒針を見ながら「いまやらなければ」と追いまくられていたの比べれば、せいぜい数日のうちにやればよいことなど、急ぎでも何でもない。遺品の整理など時間を要するものはなにも慌てて手をつけることもないし、ふと目に付いたものをその都度片付けて、少しずつ「病室」だったリビングを本来の形に戻していったり、そもそもひと月くらいはインフルエンザの余韻を引きずっていたこともあり、ゆるゆると波間をたゆとうがごとくに過ごす。
ぽっかりと空いたのは時間だけではない。
「心にぽっかりと穴が開く」という表現があるけれど、まさにそれだ。
身体の中心にまん丸の球状の空洞を抱えているような、そんな感じなのだ。
外側だけで、「表面的に」暮らしていくことはできるけれど、玉乗りをしているようなものだからすぐバランスを崩して転んでしまう。
それに、夫婦は一体、夫が病気になったのは自分の半分が病気になったのと一緒。
いろいろケアしなければならなくなったといっても、それは自分とは別の誰かの為にやっていることではなく、自分の半分が必要なことだから当たり前のこととしてやってきたこと。その半分が突然なくなってしまったことで、文字通り身体が半分どこかに行ってしまった感覚で、どうにもバランスを取れない感覚がずいぶんと続いた。
暇な時間にしても、心の空洞にしても、なにか別なことで埋め合わせよう、というのは申し訳ない気がするし、それ以前に「夫を生かしておくことと自分が倒れないこと」だけが肝心で、それ以外のことはもはや意味のないこととして放り出してしまったから、それらを再び取り上げる気にならない。また、新しいことに手を出す気力もなかった。
仏教ではだいたい四十九日くらいに納骨をして、各方面への挨拶状を出したりするのだろうけれど、キリスト教ではそういう決まりはないから、どうしようか、と思っていた。
今年は4月1日がイースターで、夫が亡くなった翌週からその準備期間のレント(悔い改めの期間)に入るので、じゃあ、イースターを区切りにしようか、となんとなく思いついた。連絡のリストなどを作っていて、ふと数えてみたら、それが丁度四十九日だったのでびっくり。クリスチャンでない親戚筋などに挨拶するにも絶好のタイミングじゃあないか!なんと好都合な。前項で書いた葬儀のことといい、やはりこのタイミングしかなかったのかな、と思わされた。
だからといって、やはり私が死なせてしまった、という思いが消えるわけではなく、それとどう付き合って行こうかと毎日思いを巡らせてしまうのだ。
自分で決めた一区切りがイースターだったけれど、その日を過ぎてもまだ答えは出ていなかった。
ひま
ということ。
急に日々の生活のリズムを変えるのは良くないと思って、基本的に同じスケジュールで暮らしていたのだけれど、これまでは、午前3時くらいに寝て9時くらいに起きて、猫の世話、夫のケア、洗濯などして、自分の朝食は昼12時ころ、だったのに、夫が亡くなってしまったら、10時半にはやることがなくなってしまうのだ。
夜も寝る前に月間文芸誌の連載小説を、せいぜい2分の1回分ずつ(時間にして7~8分)読むのがささやかな楽しみだったのだが、まるまる1回分読んで、コラムまで読んでも、寝る時間が以前より1時間早いという。。。
ああ、世の中の人は、みんなこんなに余裕がある生活をしていたのか。
諸々の事務処理などやることはあっても、毎日秒針を見ながら「いまやらなければ」と追いまくられていたの比べれば、せいぜい数日のうちにやればよいことなど、急ぎでも何でもない。遺品の整理など時間を要するものはなにも慌てて手をつけることもないし、ふと目に付いたものをその都度片付けて、少しずつ「病室」だったリビングを本来の形に戻していったり、そもそもひと月くらいはインフルエンザの余韻を引きずっていたこともあり、ゆるゆると波間をたゆとうがごとくに過ごす。
ぽっかりと空いたのは時間だけではない。
「心にぽっかりと穴が開く」という表現があるけれど、まさにそれだ。
身体の中心にまん丸の球状の空洞を抱えているような、そんな感じなのだ。
外側だけで、「表面的に」暮らしていくことはできるけれど、玉乗りをしているようなものだからすぐバランスを崩して転んでしまう。
それに、夫婦は一体、夫が病気になったのは自分の半分が病気になったのと一緒。
いろいろケアしなければならなくなったといっても、それは自分とは別の誰かの為にやっていることではなく、自分の半分が必要なことだから当たり前のこととしてやってきたこと。その半分が突然なくなってしまったことで、文字通り身体が半分どこかに行ってしまった感覚で、どうにもバランスを取れない感覚がずいぶんと続いた。
暇な時間にしても、心の空洞にしても、なにか別なことで埋め合わせよう、というのは申し訳ない気がするし、それ以前に「夫を生かしておくことと自分が倒れないこと」だけが肝心で、それ以外のことはもはや意味のないこととして放り出してしまったから、それらを再び取り上げる気にならない。また、新しいことに手を出す気力もなかった。
仏教ではだいたい四十九日くらいに納骨をして、各方面への挨拶状を出したりするのだろうけれど、キリスト教ではそういう決まりはないから、どうしようか、と思っていた。
今年は4月1日がイースターで、夫が亡くなった翌週からその準備期間のレント(悔い改めの期間)に入るので、じゃあ、イースターを区切りにしようか、となんとなく思いついた。連絡のリストなどを作っていて、ふと数えてみたら、それが丁度四十九日だったのでびっくり。クリスチャンでない親戚筋などに挨拶するにも絶好のタイミングじゃあないか!なんと好都合な。前項で書いた葬儀のことといい、やはりこのタイミングしかなかったのかな、と思わされた。
だからといって、やはり私が死なせてしまった、という思いが消えるわけではなく、それとどう付き合って行こうかと毎日思いを巡らせてしまうのだ。
自分で決めた一区切りがイースターだったけれど、その日を過ぎてもまだ答えは出ていなかった。
2018年2月18日日曜日
そのとき
2月10日 夫が召天した。
ALSの人が突然の呼吸困難に襲われ、、、というのは聞いていたから
この病気になってからというもの、いつ「そのとき」が来てもおかしくない
と思う反面、特に去年は秋口くらいまでは落ち着いていたから
このまま頑張っていれば、そのうち治療法も見つかる、くらいに思っていて、
正直ちょっと油断していた。
先月末から発熱や痛みなど炎症を示す症状が出ていて
抗生剤や解熱剤を使ってある程度コントロールができていたのだけど
3日前に私がインフルエンザになってしまい、
高熱ではないもののきめ細かく気配りしてやることができずにいたら、
朝、冷たくなっていた。
え、うそ、やだ、と名前を呼ぶと
もうしっかりと神様の腕に抱かれて私の手の届かないところから
「ダメじゃん」
と声がした。
そうだね、肝心のところで失敗したね。ごめんね。
前の晩、いらないといったけど解熱剤を入れていれば。
朝方様子を見たとき、眠っているのを起こさないようにとそのままにせず
身体に触れて体温測ったり、吸引の調子を確認しておけば。
その後また目が覚めたとき、なんか呼ばれたような気がしたのに起き上がれず、
ぐずぐずしていなければ。
いくつも思い浮かぶことはあって、その一つでもやり直すことができたなら、
と思ったりもしたけれど、
人の命のことをどうにか出来たと思うのは傲慢なのだ。
「わたし、失敗しないので」の大門美知子じゃないけど、
私は自分が失敗しないように気をつけている人で、
それは能力が高いとかそういうことではなく、
自分の力量の範囲しか手を出さないことで失敗する状況を避けてきたのだけど、
それじゃあやっぱり失敗はするのだ、と。
そんなダメな自分として、カッコつけないで生きなさいよ、と言われたようで、
悲しみや寂しさより、「がっかり」に支配されて数日間過ごした。
16日前夜式、17日告別式のスケジュールが決まり、
ここは失敗しないようにがんばろう、と心に決め、
夫と約束していたことを実現し、話し合っていなかったことは熟慮して計画した。
前夜式で思い出を語ってもらう方には、
夫の子供時代をよく知っている牧師さんと
オルケスタYOKOHAMA前身のSiete de Oro タンゴ楽団時代の話を
当時のメンバーで音楽評論家の斎藤充正さんに(強引に)お願い。
トリオ・ロス・ファンダンゴスの谷本さんに牧師として関わってもらえたら、
と密かに以前から思っていたので問い合わせてみると、
不思議と17日がぽっかりとスケジュールが空いていて
「行きます!」と即答してくれた。
オルケスタYOKOHAMA出身のバンドネオン奏者、平田耕治くんも
「来られたら一曲弾いてくれる?」と聞いたら
「行けます。一曲大丈夫です」との返事。
おかげでとても、とてもよい葬送になった。
神様、すごいな。
葬儀当日は、ほぼ思い通りにことが運んでいることになんだか顔がほころんでしまって、
みんなが沈痛な中で私がにやにやしているわけにもいかず、ちょっと困った。
夫が休職してから5年半、退職してからも3年たっているのに、
両日とも県の職員の方が大勢参列してくださった。
この人たちみんなの中にも、夫は生きているのだと思うと嬉しかった。
いつ「そのとき」が来てもおかしくない、という緊張から解放された上に、
具体的にやらなければならないことが一気になくなってしまい、
毎日入れ代わり立ち代わり他人が家に入ってくることもなくなり、
急に静かで、穏やかで、暇な時間が過ぎている。
明日は医療機器と介護機器が撤収されるので
新たな暮らしのリズムをゆるゆると作りつつ
諸々の手続きに取り掛かろうと思う。
ALSの人が突然の呼吸困難に襲われ、、、というのは聞いていたから
この病気になってからというもの、いつ「そのとき」が来てもおかしくない
と思う反面、特に去年は秋口くらいまでは落ち着いていたから
このまま頑張っていれば、そのうち治療法も見つかる、くらいに思っていて、
正直ちょっと油断していた。
先月末から発熱や痛みなど炎症を示す症状が出ていて
抗生剤や解熱剤を使ってある程度コントロールができていたのだけど
3日前に私がインフルエンザになってしまい、
高熱ではないもののきめ細かく気配りしてやることができずにいたら、
朝、冷たくなっていた。
え、うそ、やだ、と名前を呼ぶと
もうしっかりと神様の腕に抱かれて私の手の届かないところから
「ダメじゃん」
と声がした。
そうだね、肝心のところで失敗したね。ごめんね。
前の晩、いらないといったけど解熱剤を入れていれば。
朝方様子を見たとき、眠っているのを起こさないようにとそのままにせず
身体に触れて体温測ったり、吸引の調子を確認しておけば。
その後また目が覚めたとき、なんか呼ばれたような気がしたのに起き上がれず、
ぐずぐずしていなければ。
いくつも思い浮かぶことはあって、その一つでもやり直すことができたなら、
と思ったりもしたけれど、
人の命のことをどうにか出来たと思うのは傲慢なのだ。
「わたし、失敗しないので」の大門美知子じゃないけど、
私は自分が失敗しないように気をつけている人で、
それは能力が高いとかそういうことではなく、
自分の力量の範囲しか手を出さないことで失敗する状況を避けてきたのだけど、
それじゃあやっぱり失敗はするのだ、と。
そんなダメな自分として、カッコつけないで生きなさいよ、と言われたようで、
悲しみや寂しさより、「がっかり」に支配されて数日間過ごした。
16日前夜式、17日告別式のスケジュールが決まり、
ここは失敗しないようにがんばろう、と心に決め、
夫と約束していたことを実現し、話し合っていなかったことは熟慮して計画した。
前夜式で思い出を語ってもらう方には、
夫の子供時代をよく知っている牧師さんと
オルケスタYOKOHAMA前身のSiete de Oro タンゴ楽団時代の話を
当時のメンバーで音楽評論家の斎藤充正さんに(強引に)お願い。
トリオ・ロス・ファンダンゴスの谷本さんに牧師として関わってもらえたら、
と密かに以前から思っていたので問い合わせてみると、
不思議と17日がぽっかりとスケジュールが空いていて
「行きます!」と即答してくれた。
オルケスタYOKOHAMA出身のバンドネオン奏者、平田耕治くんも
「来られたら一曲弾いてくれる?」と聞いたら
「行けます。一曲大丈夫です」との返事。
おかげでとても、とてもよい葬送になった。
神様、すごいな。
葬儀当日は、ほぼ思い通りにことが運んでいることになんだか顔がほころんでしまって、
みんなが沈痛な中で私がにやにやしているわけにもいかず、ちょっと困った。
夫が休職してから5年半、退職してからも3年たっているのに、
両日とも県の職員の方が大勢参列してくださった。
この人たちみんなの中にも、夫は生きているのだと思うと嬉しかった。
いつ「そのとき」が来てもおかしくない、という緊張から解放された上に、
具体的にやらなければならないことが一気になくなってしまい、
毎日入れ代わり立ち代わり他人が家に入ってくることもなくなり、
急に静かで、穏やかで、暇な時間が過ぎている。
明日は医療機器と介護機器が撤収されるので
新たな暮らしのリズムをゆるゆると作りつつ
諸々の手続きに取り掛かろうと思う。
2018年1月17日水曜日
1月17日
午前5時46分。
あの日と同じように、私は暖かい布団でぬくぬくしていた。
ごめんなさい。
でも、あの日のことは忘れない。
情報が入るにつれて被害はどんどん拡大していった。
19時ニュースは長田地区の空撮で始まった。
まだ炎が上がっていることに息を呑んだ。
この下にも大勢の人がいる。
胸が締め付けられる思いをこらえながらの放送だった。
あの日を体験した人たちから聞いたことも、忘れない。
我が家の中はめちゃくちゃになりながらも
家族の無事を確認してすぐに街に飛び出したベテランアナウンサー。
情報が得られず困っている外国人を助ける活動を始めた人。
大混乱の避難所で感じた不安を語ってくれた人。
ボランティアを組織する術も少なかった23年前。
あの日、そしてそれに続く日々のあなたたちの経験が、
私たちに多くのことを教えてくれた。
そして、その後の災害の度にこの国の備えは改善、強化されてきた。
ありがとう。
神戸を訪れることができたのは、やっと6年前のこと。
モニュメントに刻まれた名前と燃やされ続ける光を
忘れない。
あの日と同じように、私は暖かい布団でぬくぬくしていた。
ごめんなさい。
でも、あの日のことは忘れない。
情報が入るにつれて被害はどんどん拡大していった。
19時ニュースは長田地区の空撮で始まった。
まだ炎が上がっていることに息を呑んだ。
この下にも大勢の人がいる。
胸が締め付けられる思いをこらえながらの放送だった。
あの日を体験した人たちから聞いたことも、忘れない。
我が家の中はめちゃくちゃになりながらも
家族の無事を確認してすぐに街に飛び出したベテランアナウンサー。
情報が得られず困っている外国人を助ける活動を始めた人。
大混乱の避難所で感じた不安を語ってくれた人。
ボランティアを組織する術も少なかった23年前。
あの日、そしてそれに続く日々のあなたたちの経験が、
私たちに多くのことを教えてくれた。
そして、その後の災害の度にこの国の備えは改善、強化されてきた。
ありがとう。
神戸を訪れることができたのは、やっと6年前のこと。
モニュメントに刻まれた名前と燃やされ続ける光を
忘れない。
2017年12月27日水曜日
今年を振り返る
どうもこの時期は年末でばたばたするのか、ブログが放置されるようだ。
去年もこんなことを書いていた。
今日は、このひと月、ではなく、ブログに書かなかったことを中心に今年の振り返りを。
まず年初から春までは、さのすけの入院・手術があった。
おかげさまで、以降さのすけは元気いっぱい、ご飯を食べる量も増え、
体も一回り大きく。巨大結腸による便秘は相変わらずなので、
冷房を使う夏、そしてこの寒い時期はたびたび病院のお世話になるものの、
心配事は少なくなった。
夫の体調も、たびたび感染症を起こすこともなく落ち着いていたので、
ここ数年放置していた家の中のことがらに、少しずつ目が行くようになり、
6月には自宅1階トイレを改修した。
以前から水がきちんと止まっていなくて、他の水回りの修理を頼んだ時に見てもらったら、
これは型が特殊なのでメーカーに頼まないとダメ、と言われ、
それならリフォームしてしまおう、ということになった。
幸い、うちのすぐ近くに施工業者が見つかり、主にメーカー請負工事をしているので
中間の費用がない分安くやってもらえてよかった。
7月には夫の主治医が交代した。
今までのDrより診ている人数が多いのか、既に伝えた基本情報(ナースが入るスケジュールとか)を全然覚えてくれず、毎度確認されたりして、なんだか心配になることもあるし、緊急時のオンコールも、最初でたのがナースだともう一往復しないと話が先に進まなかったりと、困ったこともあるのだけれど、半年経ってようやく慣れてきたかな。
この夏は、雷が多かった。
去年、家庭用蓄電池を設置して停電時に呼吸器の電源が落ちる心配がなくなり、
雷の中でも落ち着いて過ごすことができた。
実際一度は短時間ながら停電が起き、ちゃんと切り替わることが確認できた。
(その後の復旧手順を私が聞き逃していたため、翌日電器屋さんに来てもらうことになったけど。
でも、そのおかげで、蓄電池からの給電が呼吸器のコンセントだけになっていることがわかり、
部屋の夫のいる側全体に設定し直してもらうことができたのだった。)
それはよかったのだけど、雷のあと、夫のステレオシステムが鳴らなくなった。
正確には、高音のスピーカーしか鳴らなくなった。
ラックの裏は人が入るスペースはなく、ケーブルが重なっていて手前に引き出すのも難しいため、空いている段を引き抜いてそこから自動車修理工のように仰向けに潜り込み、ケーブルをたぐったり抜き差ししたり、夫に聞きながらなんとかスピーカーは無事、低音と中音のアンプがダメなことを確認。更新するものを注文し、でも届いたらケーブルが入ってない、とか、修理に出すアンプがめちゃ重くて難儀したり、いろいろ大変だったけど、なんとか完了。実はかなり以前から、左側の音が鳴らないことが多かったこのステレオ、今回直してすっかりいい音を取り戻したのだった。ああ、ピアノの音がピアノの形に聞こえる・・・ 少し前に、CDプレーヤーも新しいものに替えていたので、音楽を聴く環境はこれで著しく改善した。
あとは、シズカがバリバリにしてしまった、一番大きいスピーカーの前面カバーの張替えをしたいところなのだけど、買ったお店では対応しておらず、自分で生地を買って張り替えたくても、木枠にホッチキスを打ち込んで止める、などという工作はしたことがないので、さてどうしたものか。どこかからお助けが来ないかなあ。
そして、私としてはこれが今年一番のハイライトなのだけれど、
夏の終わりにKindle Paperwhiteを手に入れた。
今までも、手元に取って置くほどでもないけれど読みたい本は、スマホやiPadで読むために電子版を購入していたのだけど、やはり目が疲れるのであまり読まずに積ん読ならぬ溜め読状態だった。それが、このPaperwhiteは、ついいまどきの言い方で「やばい」と言ってしまいたくなる良さで、溜めておいたものがどんどん読めるようになった。(とはいえClifton Chronicle 7巻は長いよ~)寝る前に読んでもブルーライトの影響がないのが特に良い。軽くてバッグにぽんと入るし、メガネを忘れたら字を大きくすればいいし、買って本当によかったと思っている。
夫を長時間一人にしておけないので、週末や夜のお出かけは難しく、従ってミロンガやライブはとんとご無沙汰だ。レッスンだけはいつも早退ながら、今年後半はなんとか月1は行くことができた。日頃のコンディショニング不足を痛感するだけに終わってしまっているけれど。
来年はどんな年になるのか、社会や国の動きを見る限り、さっぱり良い兆しは見えないのだけれど、今年かなりの進展を見たiPS細胞を使った難病治療の研究が、さらに飛躍的に進んでくれることを願ってやまない。
去年もこんなことを書いていた。
今日は、このひと月、ではなく、ブログに書かなかったことを中心に今年の振り返りを。
まず年初から春までは、さのすけの入院・手術があった。
おかげさまで、以降さのすけは元気いっぱい、ご飯を食べる量も増え、
体も一回り大きく。巨大結腸による便秘は相変わらずなので、
冷房を使う夏、そしてこの寒い時期はたびたび病院のお世話になるものの、
心配事は少なくなった。
夫の体調も、たびたび感染症を起こすこともなく落ち着いていたので、
ここ数年放置していた家の中のことがらに、少しずつ目が行くようになり、
6月には自宅1階トイレを改修した。
以前から水がきちんと止まっていなくて、他の水回りの修理を頼んだ時に見てもらったら、
これは型が特殊なのでメーカーに頼まないとダメ、と言われ、
それならリフォームしてしまおう、ということになった。
幸い、うちのすぐ近くに施工業者が見つかり、主にメーカー請負工事をしているので
中間の費用がない分安くやってもらえてよかった。
7月には夫の主治医が交代した。
今までのDrより診ている人数が多いのか、既に伝えた基本情報(ナースが入るスケジュールとか)を全然覚えてくれず、毎度確認されたりして、なんだか心配になることもあるし、緊急時のオンコールも、最初でたのがナースだともう一往復しないと話が先に進まなかったりと、困ったこともあるのだけれど、半年経ってようやく慣れてきたかな。
この夏は、雷が多かった。
去年、家庭用蓄電池を設置して停電時に呼吸器の電源が落ちる心配がなくなり、
雷の中でも落ち着いて過ごすことができた。
実際一度は短時間ながら停電が起き、ちゃんと切り替わることが確認できた。
(その後の復旧手順を私が聞き逃していたため、翌日電器屋さんに来てもらうことになったけど。
でも、そのおかげで、蓄電池からの給電が呼吸器のコンセントだけになっていることがわかり、
部屋の夫のいる側全体に設定し直してもらうことができたのだった。)
それはよかったのだけど、雷のあと、夫のステレオシステムが鳴らなくなった。
正確には、高音のスピーカーしか鳴らなくなった。
ラックの裏は人が入るスペースはなく、ケーブルが重なっていて手前に引き出すのも難しいため、空いている段を引き抜いてそこから自動車修理工のように仰向けに潜り込み、ケーブルをたぐったり抜き差ししたり、夫に聞きながらなんとかスピーカーは無事、低音と中音のアンプがダメなことを確認。更新するものを注文し、でも届いたらケーブルが入ってない、とか、修理に出すアンプがめちゃ重くて難儀したり、いろいろ大変だったけど、なんとか完了。実はかなり以前から、左側の音が鳴らないことが多かったこのステレオ、今回直してすっかりいい音を取り戻したのだった。ああ、ピアノの音がピアノの形に聞こえる・・・ 少し前に、CDプレーヤーも新しいものに替えていたので、音楽を聴く環境はこれで著しく改善した。
あとは、シズカがバリバリにしてしまった、一番大きいスピーカーの前面カバーの張替えをしたいところなのだけど、買ったお店では対応しておらず、自分で生地を買って張り替えたくても、木枠にホッチキスを打ち込んで止める、などという工作はしたことがないので、さてどうしたものか。どこかからお助けが来ないかなあ。
そして、私としてはこれが今年一番のハイライトなのだけれど、
夏の終わりにKindle Paperwhiteを手に入れた。
今までも、手元に取って置くほどでもないけれど読みたい本は、スマホやiPadで読むために電子版を購入していたのだけど、やはり目が疲れるのであまり読まずに積ん読ならぬ溜め読状態だった。それが、このPaperwhiteは、ついいまどきの言い方で「やばい」と言ってしまいたくなる良さで、溜めておいたものがどんどん読めるようになった。(とはいえClifton Chronicle 7巻は長いよ~)寝る前に読んでもブルーライトの影響がないのが特に良い。軽くてバッグにぽんと入るし、メガネを忘れたら字を大きくすればいいし、買って本当によかったと思っている。
夫を長時間一人にしておけないので、週末や夜のお出かけは難しく、従ってミロンガやライブはとんとご無沙汰だ。レッスンだけはいつも早退ながら、今年後半はなんとか月1は行くことができた。日頃のコンディショニング不足を痛感するだけに終わってしまっているけれど。
来年はどんな年になるのか、社会や国の動きを見る限り、さっぱり良い兆しは見えないのだけれど、今年かなりの進展を見たiPS細胞を使った難病治療の研究が、さらに飛躍的に進んでくれることを願ってやまない。
2017年11月19日日曜日
私はだまされない
数日前の昼時、家の電話が鳴った。
ーもしもし。
>・・・こちらは、三井住友VISAカードです。
と録音ヴォイス。機械と話す気はないけど・・・
>・・・ご利用のお客様に重要なお知らせがありますので・・・
どうせキャンペーンだろうけどちょっと聞いてみるか・・・
>・・・オペレーターにおつなぎしますのでこのままお待ちください。
え?オペレーター?
>三井住友VISAカード コールセンターの〇〇です。
まだ機械みたいな話し方だなあ。
>これから重要なお知らせをお伝えします。御本人様確認のため、お名前とご住所をお願いします。
はあ?そういうお知らせなら郵便で来るものじゃない?
だいたい、本人確認って、電話かけてきておいて私の名前を聞くわけ?
アヤシイ。。。
ーあの、そっちからかけてきた電話でなんで名前聞くんですか?
あなたはどこに掛けてるつもりなんですか?
>それは、個人情報になりますので、こちらからは・・・
なんじゃそりゃ?アヤシイ。。。
ーそれに、何のカードですか?
>VISAカードです。
や、そりゃわかってるけどさ、私もカード複数持ってるし、中にはVISA付いてるのあるかもだけど、「三井住友VISA」で請求とか来たことないし、普段使ってないから、△×百貨店の、とか×〇量販店の、とかそういうこと聞いてるんだけど。アヤシイ。。。
ーVISAは・・・たぶん持ってないと思いますよ。(持ってるけど、使ってないって意味で・・・)
>・・・ 持っていない・・・
ブチッ!(切れた)
え?切れた?
え~~~!ほんとに詐欺だったの~~~!
なるほどね~、わたしは手元にカードがなかったし、自分から情報を先に出そうとは思わないから引っかからないけど、ホイホイ名前を言っちゃって、カード番号言っちゃって、セキュリティコードも言っちゃう人もいるのかもね。
それにしても、少し前には法務省を騙るはがきも来たし、
60過ぎると騙される世代に分類されちゃうってことなのかな。
備えよ常に。私はだまされない、だにゃ。
ーもしもし。
>・・・こちらは、三井住友VISAカードです。
と録音ヴォイス。機械と話す気はないけど・・・
>・・・ご利用のお客様に重要なお知らせがありますので・・・
どうせキャンペーンだろうけどちょっと聞いてみるか・・・
>・・・オペレーターにおつなぎしますのでこのままお待ちください。
え?オペレーター?
>三井住友VISAカード コールセンターの〇〇です。
まだ機械みたいな話し方だなあ。
>これから重要なお知らせをお伝えします。御本人様確認のため、お名前とご住所をお願いします。
はあ?そういうお知らせなら郵便で来るものじゃない?
だいたい、本人確認って、電話かけてきておいて私の名前を聞くわけ?
アヤシイ。。。
ーあの、そっちからかけてきた電話でなんで名前聞くんですか?
あなたはどこに掛けてるつもりなんですか?
>それは、個人情報になりますので、こちらからは・・・
なんじゃそりゃ?アヤシイ。。。
ーそれに、何のカードですか?
>VISAカードです。
や、そりゃわかってるけどさ、私もカード複数持ってるし、中にはVISA付いてるのあるかもだけど、「三井住友VISA」で請求とか来たことないし、普段使ってないから、△×百貨店の、とか×〇量販店の、とかそういうこと聞いてるんだけど。アヤシイ。。。
ーVISAは・・・たぶん持ってないと思いますよ。(持ってるけど、使ってないって意味で・・・)
>・・・ 持っていない・・・
ブチッ!(切れた)
え?切れた?
え~~~!ほんとに詐欺だったの~~~!
なるほどね~、わたしは手元にカードがなかったし、自分から情報を先に出そうとは思わないから引っかからないけど、ホイホイ名前を言っちゃって、カード番号言っちゃって、セキュリティコードも言っちゃう人もいるのかもね。
それにしても、少し前には法務省を騙るはがきも来たし、
60過ぎると騙される世代に分類されちゃうってことなのかな。
備えよ常に。私はだまされない、だにゃ。
2017年10月31日火曜日
Ernesto, Cold, 選挙
(Some highlights from the second half of October)
Ví la pelicula 'Ernesto', una colaboración de Cuba y Japón.
Se trata de Ernesto 'Che' Guevara y un Boliviano de origen japonés, Freddy Maemura Hurtado, que luchó junto con el Che en la guerra para doccocar al gobierno militar. El Che le dió a Freddy su propio nombre Ernesto como el nombre luchador.
La revolución de Cuba, la crisis de los misiles en Cuba, la revolución de Bolivia... todo ocurrieron cuando era niña y no son de historia lejana. Pero estas obras recientes como esta pelicula me recuerda que lo que nos enseñaron en la escuela fue la versión a favor de los SSUU. Tal vez lo que leemos en las noticias hoy es así todavia.
And the shopping mall where I went to see the movie was rather chilly that I caught a cold for the first time in more than 5 years. I can say so, because, ever since my husband was diagnosed with ALS, I've been very careful not to get sick as I can't afford to be sick in bed. Considering the fact that I used to catch a cold at least once every winter before, I must say it's solely thanks to the grace of our Lord that I could avoid catching a cold. I managed to get over it in a few days, so it was nothing serious. Hopefully, I'll stay well for the next 5 years, or more!
そして衆院選があった。実に目まぐるしい一ヶ月で、傍観するだけなら興味深い部分もあったかもしれないが、国の先行きを思うとなんとも情けないことが続き、多くの国会議員は国民より自分が失職しないことが大事だと思っていることを改めて確認することになった選挙だった。そんな中で、有権者もコイケにそうそう騙されることはなく、公示一週間前に立ち上がった立憲民主党が善戦したのは心強かった。民進党の中で自分のことが大事な人たちは希望に走り、選挙のなんたるかを心得た人たちが立民に立った、ということだったのか、とにかく立民は選挙のやり方がうまかった。とはいえ、日本人の気質に合わない小選挙区制が維持される限り、強権政治へ突っ走っていくことは明らかで、これはなんとかならないのかと改めて思う選挙だった。
Ví la pelicula 'Ernesto', una colaboración de Cuba y Japón.
Se trata de Ernesto 'Che' Guevara y un Boliviano de origen japonés, Freddy Maemura Hurtado, que luchó junto con el Che en la guerra para doccocar al gobierno militar. El Che le dió a Freddy su propio nombre Ernesto como el nombre luchador.
La revolución de Cuba, la crisis de los misiles en Cuba, la revolución de Bolivia... todo ocurrieron cuando era niña y no son de historia lejana. Pero estas obras recientes como esta pelicula me recuerda que lo que nos enseñaron en la escuela fue la versión a favor de los SSUU. Tal vez lo que leemos en las noticias hoy es así todavia.
And the shopping mall where I went to see the movie was rather chilly that I caught a cold for the first time in more than 5 years. I can say so, because, ever since my husband was diagnosed with ALS, I've been very careful not to get sick as I can't afford to be sick in bed. Considering the fact that I used to catch a cold at least once every winter before, I must say it's solely thanks to the grace of our Lord that I could avoid catching a cold. I managed to get over it in a few days, so it was nothing serious. Hopefully, I'll stay well for the next 5 years, or more!
そして衆院選があった。実に目まぐるしい一ヶ月で、傍観するだけなら興味深い部分もあったかもしれないが、国の先行きを思うとなんとも情けないことが続き、多くの国会議員は国民より自分が失職しないことが大事だと思っていることを改めて確認することになった選挙だった。そんな中で、有権者もコイケにそうそう騙されることはなく、公示一週間前に立ち上がった立憲民主党が善戦したのは心強かった。民進党の中で自分のことが大事な人たちは希望に走り、選挙のなんたるかを心得た人たちが立民に立った、ということだったのか、とにかく立民は選挙のやり方がうまかった。とはいえ、日本人の気質に合わない小選挙区制が維持される限り、強権政治へ突っ走っていくことは明らかで、これはなんとかならないのかと改めて思う選挙だった。
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