夫が今日付で退職した。
勤続34年、といってもこの2年半は休職だったけれど。
ALSと診断されたのが3年前の3月半ば。
私は、仕事なんかさっさとやめて旅行とか動けるうちに楽しめばいい、と思った。
しかし夫は、できる限り職場に通い、仕事を続けることを選んだ。
始めのうちはそれまで同様、自分で朝食の用意をして、
家の前の坂を上るだけで息を切らしながらも、なんとかバス・電車を使って通った。
6月に胃瘻の建造など自宅療養の準備のために入院したあとは、
朝は私が車で職場に送り、帰りは私が迎えに行けない時はタクシーを使っていた。
手の力が弱くなっていくために、毎週のようにかばんを軽いものに換えていったり、
一人で帰ってきて家の前で転んで立てなくなったこともあったっけ。
職場では色々と助けて頂いての半年だった。通院や入院のために休む日もあったし、
次第に身体が不自由になっていくのに合わせて車椅子を使わせてもらったり、
診療所で経管栄養の対応をしてもらったり、時短勤務の便宜を図ってもらったりした。
がんなど、診断された途端に「もう使えない奴」と決めつけられてしまう職場もあると聞く中、
とるべき対応をきちんとしてくれる職場と上司、同僚に恵まれたことに感謝である。
書類に判をつくのが難しくなった10月末、休職に入ったあとも、
職場の方たちがメールで連絡を取るだけでなく、度々訪問してくださり、
仕事の様子や同僚の近況など共有していたので
休みに入った途端にぷっつり途切れてしまう様な思いをしないで済んだと思う。
きょうは部長と課長が退職辞令を持って来宅。
そしてこんなのも。
こちらからは身分証明書と徽章を返却し、夫は正式に退職した。
私はずっと「フリーランス」という名の「日雇い季節労働者」をやっているので、
組織で勤め上げるのがどんなものか想像するしかない。
休職中と今日を境に明日からと、夫の中で何かが変わるのかはわからない。
夫が病気の診断を受けたのは、課長に昇進する直前だったから、
病気がなければ、責任ある立場でもっと貢献できただろうし、
体が不自由になってもアタマはしっかりしているのに、
この人を使えないのは社会にとっても損失だと思う。
そう考えると病気になって仕事が続けられないのは残念なことだけれど、
ひたすら残念なだけかというと、それも違う気がする。
こうなったから見えること、わかること、できることも、やはりあると思うのだ。
普通に定年退職したのなら、きょうはどこかでお疲れ様ディナーでもしていただろうか。
そういうことはできないけれど、夫にはありがとう、お疲れ様、と言おう。
オマケ(セルフィーで自分の顔が見えるのが嫌でイカ耳になってる)
2015年3月31日火曜日
2015年3月18日水曜日
4年目
この3月16日で、夫がALSの告知を受けてからまる3年。
療養生活も4年目に入った。
去年ここにも書いてからの1年は、
その前の2年間に比べるとずっと穏やかに過ぎたと言える。
ベッド生活になったから、外出や室内の移動があったときより無理が少なく、
その分穏やかになったわけだが、
その中でもやはり身体を支える力は落ちてきているし、
嚥下もかなり慎重にしないと危なくなっている。
呼吸器を外していられる時間は1~2分、というところまで呼吸機能は落ちている。
痰が上がってきて処理できなくなることが多くなり、
一人でいるときはちょっと心配なこともある。
とはいえ、顎でジョイスティック・マウス、足でクリック・スイッチを操作してPCを使う、
という方法はまだ使えているし、呼吸器を付けていれば会話もできるし、
そういう形でコミュニケーションは維持されている。
普通に会話できるがために、相手が病人であることを忘れてしまうくらいだ。(汗)
そんな今日、アカデミー賞主演男優賞をとった
「博士と彼女のセオリー」を見てきた。
夫と同じ病気の患者であるホーキング博士夫妻の話なので見に行ったわけだが、
まず思ったのは、やはり同じ当事者だと、こういうものは見え方が全然違う、ということだ。
これまでにも、認知症とか白血病とか、事故で障がいを持った人とか、
いろいろな人が主人公の映画やドラマを見たことがあるけれど、
自分や身近な人が同じ経験をしていない設定のものを見ていた時は、
しょせん想像の域を出ていなかったな、と改めて思ったのだ。
診断を告知される時の心の動き
不自由ながらも動けている間の必死さと危うさ
重い車椅子を担ぎ上げてくれる友人の頼もしさ
その時の思いや感情の昂ぶりが蘇ってきて、涙が溢れた。
それはやっぱり、自分が体験していないストーリーに共感するのとは違うものだった。
中でも、ああ、これは、と思ったのは、
自分がケアするのがベストではあるけれど、
精一杯やってもやはり一人で全部はやりきれないという現実の前にジェーンが涙するシーン。
私も、「とにかく私が倒れるわけにはいかない」「風邪ひとつ引くことも許されない」
というプレッシャーの中で慢性的な寝不足でここまできて、
とうとう先週末から風邪を引き(花粉症だと思ったらやっぱり風邪だった)、
この3年間で体調が最悪というところだったので、
このシーンは特に心が共鳴してしまった。
発症からの平均余命が3~5年といわれる中、
既に50年生きているホーキング博士についてはALSではないのでは、との声もあるが、
病気の進み方発現の仕方が一人ひとり違うこともこの病気の特徴。
呼吸が担保されれば寿命を全うするのは珍しいことではないそうだから、
博士も生かされて有用な研究を人類にまだまだ与え続けてくれるだろう。
「命がある限り、希望があります」
という博士の言葉を力に、また明日へと歩を進めることにしよう。
療養生活も4年目に入った。
去年ここにも書いてからの1年は、
その前の2年間に比べるとずっと穏やかに過ぎたと言える。
ベッド生活になったから、外出や室内の移動があったときより無理が少なく、
その分穏やかになったわけだが、
その中でもやはり身体を支える力は落ちてきているし、
嚥下もかなり慎重にしないと危なくなっている。
呼吸器を外していられる時間は1~2分、というところまで呼吸機能は落ちている。
痰が上がってきて処理できなくなることが多くなり、
一人でいるときはちょっと心配なこともある。
とはいえ、顎でジョイスティック・マウス、足でクリック・スイッチを操作してPCを使う、
という方法はまだ使えているし、呼吸器を付けていれば会話もできるし、
そういう形でコミュニケーションは維持されている。
普通に会話できるがために、相手が病人であることを忘れてしまうくらいだ。(汗)
そんな今日、アカデミー賞主演男優賞をとった
「博士と彼女のセオリー」を見てきた。
夫と同じ病気の患者であるホーキング博士夫妻の話なので見に行ったわけだが、
まず思ったのは、やはり同じ当事者だと、こういうものは見え方が全然違う、ということだ。
これまでにも、認知症とか白血病とか、事故で障がいを持った人とか、
いろいろな人が主人公の映画やドラマを見たことがあるけれど、
自分や身近な人が同じ経験をしていない設定のものを見ていた時は、
しょせん想像の域を出ていなかったな、と改めて思ったのだ。
診断を告知される時の心の動き
不自由ながらも動けている間の必死さと危うさ
重い車椅子を担ぎ上げてくれる友人の頼もしさ
その時の思いや感情の昂ぶりが蘇ってきて、涙が溢れた。
それはやっぱり、自分が体験していないストーリーに共感するのとは違うものだった。
中でも、ああ、これは、と思ったのは、
自分がケアするのがベストではあるけれど、
精一杯やってもやはり一人で全部はやりきれないという現実の前にジェーンが涙するシーン。
私も、「とにかく私が倒れるわけにはいかない」「風邪ひとつ引くことも許されない」
というプレッシャーの中で慢性的な寝不足でここまできて、
とうとう先週末から風邪を引き(花粉症だと思ったらやっぱり風邪だった)、
この3年間で体調が最悪というところだったので、
このシーンは特に心が共鳴してしまった。
発症からの平均余命が3~5年といわれる中、
既に50年生きているホーキング博士についてはALSではないのでは、との声もあるが、
病気の進み方発現の仕方が一人ひとり違うこともこの病気の特徴。
呼吸が担保されれば寿命を全うするのは珍しいことではないそうだから、
博士も生かされて有用な研究を人類にまだまだ与え続けてくれるだろう。
「命がある限り、希望があります」
という博士の言葉を力に、また明日へと歩を進めることにしよう。
2015年2月18日水曜日
雨中の横浜散歩 Visiting two exhibitions
(English entry below)
先日神奈川新聞で知った、開港資料館の展示「ガールズ・ビー・アンビシャス」。
我が母校を含む、横浜・山手の5つのミッションスクールが取り上げられているので
見に行くことにした。
横浜市営バスの1日乗車券(600円)はICカードでも購入することができるので、
きょうは極力バスを使うことにして、最寄りバス停乗車時に購入。
横浜駅西口から東口に回り、別のバスに乗り換え、日本大通りへ。
横浜開港資料館は、ペリー来航の頃からある「たまくすの木」のある中庭で有名だが、
展示をちゃんと見に来たことはなかったかもしれない。
常設展示で開港の歴史をおさらいしてから、企画展へ。
考えてみれば、自分の学校以外4校の卒業生も何人も身近にいて、
それらの学校を開いた宣教師の名前なども馴染みがあり、
各校の○○年誌なども目に触れてきたので、
そういう意味では新しい発見は少なかったのだけど、
あの時代に海を越えて日本にやってきた修道女や女性宣教師たちの勇気を思うと
感謝の思いが湧いてくる。
ひとつの発見は、横浜本牧教会の早苗幼稚園はもともと横浜英和の幼稚園だった、という話。
へえ、知らなかった。
Lunchan Avenueで一休みしてから、バスで桜木町駅へ。
乗り換えて 横浜美術館に向かう。
天気が良ければ歩く距離だけど、雨だしちょうど乗り継げるバスがあったので、バス。
閉館40分前入場でホイッスラー展を見る。
ホイッスラーのことはあまり知らなかったけれど、
緻密な作風と色の深さに魅力を感じた。
ここでの発見は、アメリカ・ワシントンDCのフリーア美術館にある
ピーコック・ルームがホイッスラーの作だった、ということだ。
依頼主の長期不在中に依頼を無視して金とピーコック・グリーンの内装を施し、
その結果二人はその後一度も会うことがなかったとのこと。
しかし依頼主は、その部屋を変えることなく使い続け、
後に持ち主となったフリーアが所蔵コレクションとともにスミソニアンに寄贈し、
フリーア美術館の一角を占めることになったのだそう。
30余年前、フリーアを訪れたとき真っ先に見たのがこの部屋だったけど、
そんな裏話は知らなかった。
気に入った二枚の絵画のうち一枚は絵葉書になっていたので購入。
ピーコックの箱の中身は豆菓子。
みなとみらいから横浜駅に直接行くバスは日中3本くらいしかないので、
天気が良ければここも歩くところだけれど、きょうのところはみなとみらい線のお世話になり、
横浜からはまたバスに乗って帰宅。
寒い日でも心は暖かい午後になった。
Visited two exhibitions in Yokohama this afternoon.
First one dealt with the beginning of 5 Chrisitian mission schools in Yokohama.
I graduated from one of them, and I know women who graduated from the other 4 schools,so the exhibition was rather personal.
One thing that I discovered from the exhibit was the kindergarten associated with Yokohama Honmoku Church was originally the kidergarten of Yokohama Eiwa Girls' School.
Honmoku Church is a brother church of my church, and my church is closely related to Yokohama Eiwa. So, it was an interesting dicovery.
The other exhibition I went was Whistler Retrospective at Yokohama Museum of Art.
I didn't know much about Whistler, though I recognize some paintings.
One surprising discovery here was that the Peacock Room at Freer Gallery of Art in DC was the work of Whistler. The Peacock Room was one of the first places I visited while I lived in Maryland, and I remember visiting the gorgeous room. Back then, some 35 years ago, I didn't know that Whistler berayed his client, and decorated the room with gold and peacock green. Fortunately, the clinet kept the room as it was till it was later owned by Freer who donated it to Smithsonian along with his collection.
Art always has a lot of story to tell, doesn't it?
先日神奈川新聞で知った、開港資料館の展示「ガールズ・ビー・アンビシャス」。
我が母校を含む、横浜・山手の5つのミッションスクールが取り上げられているので
見に行くことにした。
横浜市営バスの1日乗車券(600円)はICカードでも購入することができるので、
きょうは極力バスを使うことにして、最寄りバス停乗車時に購入。
横浜駅西口から東口に回り、別のバスに乗り換え、日本大通りへ。
横浜開港資料館は、ペリー来航の頃からある「たまくすの木」のある中庭で有名だが、
展示をちゃんと見に来たことはなかったかもしれない。
常設展示で開港の歴史をおさらいしてから、企画展へ。
考えてみれば、自分の学校以外4校の卒業生も何人も身近にいて、
それらの学校を開いた宣教師の名前なども馴染みがあり、
各校の○○年誌なども目に触れてきたので、
そういう意味では新しい発見は少なかったのだけど、
あの時代に海を越えて日本にやってきた修道女や女性宣教師たちの勇気を思うと
感謝の思いが湧いてくる。
ひとつの発見は、横浜本牧教会の早苗幼稚園はもともと横浜英和の幼稚園だった、という話。
へえ、知らなかった。
Lunchan Avenueで一休みしてから、バスで桜木町駅へ。
乗り換えて 横浜美術館に向かう。
天気が良ければ歩く距離だけど、雨だしちょうど乗り継げるバスがあったので、バス。
閉館40分前入場でホイッスラー展を見る。
ホイッスラーのことはあまり知らなかったけれど、
緻密な作風と色の深さに魅力を感じた。
ここでの発見は、アメリカ・ワシントンDCのフリーア美術館にある
ピーコック・ルームがホイッスラーの作だった、ということだ。
依頼主の長期不在中に依頼を無視して金とピーコック・グリーンの内装を施し、
その結果二人はその後一度も会うことがなかったとのこと。
しかし依頼主は、その部屋を変えることなく使い続け、
後に持ち主となったフリーアが所蔵コレクションとともにスミソニアンに寄贈し、
フリーア美術館の一角を占めることになったのだそう。
30余年前、フリーアを訪れたとき真っ先に見たのがこの部屋だったけど、
そんな裏話は知らなかった。
気に入った二枚の絵画のうち一枚は絵葉書になっていたので購入。
ピーコックの箱の中身は豆菓子。
みなとみらいから横浜駅に直接行くバスは日中3本くらいしかないので、
天気が良ければここも歩くところだけれど、きょうのところはみなとみらい線のお世話になり、
横浜からはまたバスに乗って帰宅。
寒い日でも心は暖かい午後になった。
Visited two exhibitions in Yokohama this afternoon.
First one dealt with the beginning of 5 Chrisitian mission schools in Yokohama.
I graduated from one of them, and I know women who graduated from the other 4 schools,so the exhibition was rather personal.
One thing that I discovered from the exhibit was the kindergarten associated with Yokohama Honmoku Church was originally the kidergarten of Yokohama Eiwa Girls' School.
Honmoku Church is a brother church of my church, and my church is closely related to Yokohama Eiwa. So, it was an interesting dicovery.
The other exhibition I went was Whistler Retrospective at Yokohama Museum of Art.
I didn't know much about Whistler, though I recognize some paintings.
One surprising discovery here was that the Peacock Room at Freer Gallery of Art in DC was the work of Whistler. The Peacock Room was one of the first places I visited while I lived in Maryland, and I remember visiting the gorgeous room. Back then, some 35 years ago, I didn't know that Whistler berayed his client, and decorated the room with gold and peacock green. Fortunately, the clinet kept the room as it was till it was later owned by Freer who donated it to Smithsonian along with his collection.
Art always has a lot of story to tell, doesn't it?
2015年2月13日金曜日
猫・ねこ写真展
横浜山手のArt Gallery山手で今日から開催の
「第6回 猫・ねこ写真展」に行ってきた。
猫をテーマに複数の写真家達の作品を小さなギャラリーで一望する、
なかなか興味深い展覧会だ。
お目当てはををつかこと大塚義孝さんの作品。
今年は玄界灘の島に暮らす猫たちを題材に、生き生きしたカットが出展されていた。
ををつかさんとは、ネコ写真ではなく、猫シッターが縁で知り合いになった。
以前、このブログでも書いたように
我が家では留守中の猫の世話をめぐってトラブルを経験したあと、
元祖キャットシッター、南里秀子さんのことを雑誌で知り、
南里さんが育てた人を近隣で見つけて、お願いするようになった。
そのシッターさんのブログに登場したのが、生まれてまもなく拾われた、
ををつか家のおはぎちゃんだったのだ。
その時既に二匹の猫と暮らしていたををつか夫妻は、
おはぎちゃんの里親を募集しており、
うちに来るシッターさんの営業範囲からしてうちからそう遠くないはずなので、
(実際車ならすぐ行ける距離だった)
友人に里親の件を問合わせてみようか、と思って
ををつかさんのブログを見始めた。
結局おはぎちゃんはそのままををつか家のコになったのだが、
ブログのコメントを通じて交流が始まり、猫・ねこ写真展にお邪魔したり、
別の猫を保護された時に、うちにあった保温シートを持って行ったこともあった。
ををつかさんは、忙しいサラリーマン生活の貴重な休みの日に、
始発電車で出かけて、無人駅や島の猫たちを撮影している。
「ここにこんなコがいるよ!」
と呼びかけているような写真からは、
猫自体の愛らしさだけでなく、その暮らしている環境や暮らしぶり、
人生ならぬ「猫生」が見えてくる気がして、私はとても気に入っている。
去年は東京でも展覧会の機会があったををつかさん。
今年はさらに多くの人にその写真を見てもらえると嬉しい。
今回の猫・ねこ写真展は2月22日まで開催。
「第6回 猫・ねこ写真展」に行ってきた。
猫をテーマに複数の写真家達の作品を小さなギャラリーで一望する、
なかなか興味深い展覧会だ。
お目当てはををつかこと大塚義孝さんの作品。
今年は玄界灘の島に暮らす猫たちを題材に、生き生きしたカットが出展されていた。
ををつかさんとは、ネコ写真ではなく、猫シッターが縁で知り合いになった。
以前、このブログでも書いたように
我が家では留守中の猫の世話をめぐってトラブルを経験したあと、
元祖キャットシッター、南里秀子さんのことを雑誌で知り、
南里さんが育てた人を近隣で見つけて、お願いするようになった。
そのシッターさんのブログに登場したのが、生まれてまもなく拾われた、
ををつか家のおはぎちゃんだったのだ。
その時既に二匹の猫と暮らしていたををつか夫妻は、
おはぎちゃんの里親を募集しており、
うちに来るシッターさんの営業範囲からしてうちからそう遠くないはずなので、
(実際車ならすぐ行ける距離だった)
友人に里親の件を問合わせてみようか、と思って
ををつかさんのブログを見始めた。
結局おはぎちゃんはそのままををつか家のコになったのだが、
ブログのコメントを通じて交流が始まり、猫・ねこ写真展にお邪魔したり、
別の猫を保護された時に、うちにあった保温シートを持って行ったこともあった。
ををつかさんは、忙しいサラリーマン生活の貴重な休みの日に、
始発電車で出かけて、無人駅や島の猫たちを撮影している。
「ここにこんなコがいるよ!」
と呼びかけているような写真からは、
猫自体の愛らしさだけでなく、その暮らしている環境や暮らしぶり、
人生ならぬ「猫生」が見えてくる気がして、私はとても気に入っている。
去年は東京でも展覧会の機会があったををつかさん。
今年はさらに多くの人にその写真を見てもらえると嬉しい。
今回の猫・ねこ写真展は2月22日まで開催。
2015年2月9日月曜日
知らなんだ Je ne savais pas.
(English to follow.)
クルマで移動中、もうすぐスペイン語講座が始まるからとNHK第二をつけたら
フランス語講座をやっていた。私が辛うじてそこまでは勉強した複合過去がテーマ。
練習問題をやってみたけど、先にスペイン語が出てしまい、
5問中4問目になってやっとスムーズに答えられる始末。ああ、忘れてるなあ。
そのあと講師の先生が「先ほどJ'aime la France という表現がありましたが・・・」
と次のような説明をした。
私はフランスが好きです J'aime la France.
を強調して「大好きです」としたければ beaucoup や bien を付けて
J'aime la France beauscoup. J'aime la France bien. で良い。
同じaimerという動詞を使って、
英語の I love you. に当たる Je t'aime.
という表現があるが、これに beaucoup や bien を付けると
強調にはならずに、却ってその度合いを薄める意味になってしまう
ので注意が必要、とのこと。
ええっ?そうなの?
「とても愛しています」と、言ったつもりが、「いい人ね」になってしまうなんて。。。
知らなんだ。
フランス語で愛を語ろうとしているそこのアナタ、気をつけてね。
I was going to write about a different subject today,
but I just heard something that surprised me on my car radio, so I'll write about it.
It came during a French language lesson program that I happened to hear on my car radio.(I took some French in high school and college though most of it is gone now.)
They talked about the verb 'aimer'=to love and adverb to emphasize it 'beaucoup'=very much and 'bien'=well.
When you want to say, "I love France very much.", you can say, "J'aime la France beaucoup."or "J'aime la France bien."
Now, you may know that in Franch, you say, "Je t'aime." to say, "I love you."
And you might want to say, "I love you very much." but you shouldn't say, "Je t'aime beaucoup." because, the teacher said, it would WEAKEN, rather than emphasize, the meaning of "aimer"!
You may end up saying, "you are very nice" when you think you are saying "I love you very much." So be careful, if you're talking love in French.
クルマで移動中、もうすぐスペイン語講座が始まるからとNHK第二をつけたら
フランス語講座をやっていた。私が辛うじてそこまでは勉強した複合過去がテーマ。
練習問題をやってみたけど、先にスペイン語が出てしまい、
5問中4問目になってやっとスムーズに答えられる始末。ああ、忘れてるなあ。
そのあと講師の先生が「先ほどJ'aime la France という表現がありましたが・・・」
と次のような説明をした。
私はフランスが好きです J'aime la France.
を強調して「大好きです」としたければ beaucoup や bien を付けて
J'aime la France beauscoup. J'aime la France bien. で良い。
同じaimerという動詞を使って、
英語の I love you. に当たる Je t'aime.
という表現があるが、これに beaucoup や bien を付けると
強調にはならずに、却ってその度合いを薄める意味になってしまう
ので注意が必要、とのこと。
ええっ?そうなの?
「とても愛しています」と、言ったつもりが、「いい人ね」になってしまうなんて。。。
知らなんだ。
フランス語で愛を語ろうとしているそこのアナタ、気をつけてね。
I was going to write about a different subject today,
but I just heard something that surprised me on my car radio, so I'll write about it.
It came during a French language lesson program that I happened to hear on my car radio.(I took some French in high school and college though most of it is gone now.)
They talked about the verb 'aimer'=to love and adverb to emphasize it 'beaucoup'=very much and 'bien'=well.
When you want to say, "I love France very much.", you can say, "J'aime la France beaucoup."or "J'aime la France bien."
Now, you may know that in Franch, you say, "Je t'aime." to say, "I love you."
And you might want to say, "I love you very much." but you shouldn't say, "Je t'aime beaucoup." because, the teacher said, it would WEAKEN, rather than emphasize, the meaning of "aimer"!
You may end up saying, "you are very nice" when you think you are saying "I love you very much." So be careful, if you're talking love in French.
2015年1月18日日曜日
既に1月も半分以上過ぎ
年末年始は、母の喪中ということもあり格別何もせずに過ごしていた。
11月中に喪中はがきを出してもう年賀状の心配もなく、
と思っていたら、何人かはお構いなしに年賀状をくれたり、
さらにそのあとに寒中見舞いをくださる方ありで、
なんというか、そのテの繁忙感が少しずれてやってきたなあ、
でもめんどくさいなあ、と思っているうちに1月は半分過ぎてしまった。
振り返れば、夫が1階のリビングと2階の寝室を移動するのをやめ、
リビングに置いた介護ベッドで生活するようになって1年が過ぎたことになる。
移動していた最後の頃は、支えても立つことが困難だったから、
ベッド~車椅子~昇降機~車椅子~ストレスレスチェア
と移乗させるのに結構苦労していたから、
ベッド生活になる前に私の腰がイカレなくてよかったとほっとしたものだった。
移動していたことは、やはり夫の体調にも大きく影響していたようで、
ベッド生活になって、病気の進行は緩やかになったように思える。
とはいっても、最初の3~4ヶ月は、身体を起こすことが少なくなったことで
お腹の調子などあらたな不調も出てきていろいろ大変だった。
夫が2階で一緒に寝ていた頃は、夫を寝かせてから自分が寝み、
朝は先に起きて、階下の準備を整えてから夫の身支度をして移動介助していたから、
寝るのが4時間だろうと3時間だろうと、目覚ましがピッと鳴った瞬間に止めて、
がばと起き出して動いていたのだが、2階で私一人で寝るようになったら、
朝、起きられない
目覚ましのスヌーズを4回、5回と鳴らして、やっとの思いで起き出す。
自然に目が覚めるた日が2日あったかどうか、とにかく去年は眠い1年だった。
それに加えて去年は、なーんとなく筋肉痛のような、だるさのような、
どーも身体がしゃきっとしない感じがず~~~っと続いていて、
眠いのと相まって、サエない空気が付きまとう1年でもあったのだが、
こちらのほうは12月になってひょんなことから改善した。
もともと私は好んで牛肉を食べる方ではなく、
以前書いたように コレステロールを気にしているから、
外食時には肉より魚、野菜、を選ぶようにしていたのだが、
ある時ファミレスで「厚切りローストビーフ」がとても美味しそうだったので
食べてみたところ、なんとその翌日、今までの身体の不快感がなくなっていたのだ!
牛肉に含まれるアミノ酸のせいなのか
はたまた気のせいなのか
なんにせよ、私の頭には
元気が出なけりゃ肉を食え
という、タンゴ人なら当たり前のことが改めて強くインプットされたのだった。
以来、やはり身体が求めるものを食べるべし、と肉も結構食べているので、
来週の検査の結果がどう出るか、ちょっとドキドキだ。
11月中に喪中はがきを出してもう年賀状の心配もなく、
と思っていたら、何人かはお構いなしに年賀状をくれたり、
さらにそのあとに寒中見舞いをくださる方ありで、
なんというか、そのテの繁忙感が少しずれてやってきたなあ、
でもめんどくさいなあ、と思っているうちに1月は半分過ぎてしまった。
振り返れば、夫が1階のリビングと2階の寝室を移動するのをやめ、
リビングに置いた介護ベッドで生活するようになって1年が過ぎたことになる。
移動していた最後の頃は、支えても立つことが困難だったから、
ベッド~車椅子~昇降機~車椅子~ストレスレスチェア
と移乗させるのに結構苦労していたから、
ベッド生活になる前に私の腰がイカレなくてよかったとほっとしたものだった。
移動していたことは、やはり夫の体調にも大きく影響していたようで、
ベッド生活になって、病気の進行は緩やかになったように思える。
とはいっても、最初の3~4ヶ月は、身体を起こすことが少なくなったことで
お腹の調子などあらたな不調も出てきていろいろ大変だった。
夫が2階で一緒に寝ていた頃は、夫を寝かせてから自分が寝み、
朝は先に起きて、階下の準備を整えてから夫の身支度をして移動介助していたから、
寝るのが4時間だろうと3時間だろうと、目覚ましがピッと鳴った瞬間に止めて、
がばと起き出して動いていたのだが、2階で私一人で寝るようになったら、
朝、起きられない
目覚ましのスヌーズを4回、5回と鳴らして、やっとの思いで起き出す。
自然に目が覚めるた日が2日あったかどうか、とにかく去年は眠い1年だった。
それに加えて去年は、なーんとなく筋肉痛のような、だるさのような、
どーも身体がしゃきっとしない感じがず~~~っと続いていて、
眠いのと相まって、サエない空気が付きまとう1年でもあったのだが、
こちらのほうは12月になってひょんなことから改善した。
もともと私は好んで牛肉を食べる方ではなく、
以前書いたように コレステロールを気にしているから、
外食時には肉より魚、野菜、を選ぶようにしていたのだが、
ある時ファミレスで「厚切りローストビーフ」がとても美味しそうだったので
食べてみたところ、なんとその翌日、今までの身体の不快感がなくなっていたのだ!
牛肉に含まれるアミノ酸のせいなのか
はたまた気のせいなのか
なんにせよ、私の頭には
元気が出なけりゃ肉を食え
という、タンゴ人なら当たり前のことが改めて強くインプットされたのだった。
以来、やはり身体が求めるものを食べるべし、と肉も結構食べているので、
来週の検査の結果がどう出るか、ちょっとドキドキだ。
2014年12月31日水曜日
ブランデンブルクから1812年まで
今年の正月に、バッハのブランデンブルクを聞きたいな、と思ってかけたのをきっかけに、
朝は家にあるクラシックのCDを片端から聞いてきた。
「クラッシック」の中身は、グレゴリオ聖歌から高橋悠治まで、いろいろである。
大体、同じCDを2回聞くようにして、中には3回、4回と聞いたものもあるし、
1回でこれはもういいね、となったのもありで、大体160枚以上聞いた勘定になるが、
まだラックにはCDが残っている。
とりわけ印象深かったのは、アバド指揮、ポリーニ独奏,、ベルリン・フィルの
ベートーベンピアノ協奏曲
ライブ盤なのに、完成度が高く、何度でも聞きたい名盤だった。
我が家ではいま、ステレオを聞くのに最適の位置に夫のベッドを置いているのだが、
この第2番は、音に敏感な猫たちが夫の脚の間に陣取ってずっと聞いていたくらいだ。
CDの中には私がヴァイオリンのお手本用に購入したものもけっこうあり、
同じ曲が思いがけずあっちにもこっちにも入っていたりして、
聴き比べの楽しみもあった。
大晦日の今日巡ってきたのは、小澤征爾指揮、ベルリン・フィルの
チャイコフスキー 交響曲第5番と序曲1812年
このところヴァイオリンや室内楽が続いていたので、
しっかりしたオーケストラを聞けて気分が良かった。
「1812年」を聞きながら、「フランス人はこの曲をどう思うんだろうねえ」
などと夫と話しながら、ストレッチをしたり朝食の世話をしたり。
一昨年、昨年は、病気の進行で身体の可動範囲、呼吸の苦しさがどんどん変化し、
それに合わせて日常の動作もいろいろ工夫しなければならず、
「いつもこう」という手順が決まることはなく、数日~数週間でやり方が変わっていたが、
今年は年明けからベッド生活になったこともあり、また体調も安定していたので、
朝の時間の過ごし方も「ルーティン」と言えるようなものができ、
毎日こうして音楽を楽しむことができた1年だった。
この先どう変化していくのかは予想がつかないけれど、
なんとかまた迎えられそうな新しい年が、穏やかであって欲しいと思う、
2014年の大晦日である。
朝は家にあるクラシックのCDを片端から聞いてきた。
「クラッシック」の中身は、グレゴリオ聖歌から高橋悠治まで、いろいろである。
大体、同じCDを2回聞くようにして、中には3回、4回と聞いたものもあるし、
1回でこれはもういいね、となったのもありで、大体160枚以上聞いた勘定になるが、
まだラックにはCDが残っている。
とりわけ印象深かったのは、アバド指揮、ポリーニ独奏,、ベルリン・フィルの
ベートーベンピアノ協奏曲
ライブ盤なのに、完成度が高く、何度でも聞きたい名盤だった。
我が家ではいま、ステレオを聞くのに最適の位置に夫のベッドを置いているのだが、
この第2番は、音に敏感な猫たちが夫の脚の間に陣取ってずっと聞いていたくらいだ。
CDの中には私がヴァイオリンのお手本用に購入したものもけっこうあり、
同じ曲が思いがけずあっちにもこっちにも入っていたりして、
聴き比べの楽しみもあった。
大晦日の今日巡ってきたのは、小澤征爾指揮、ベルリン・フィルの
チャイコフスキー 交響曲第5番と序曲1812年
このところヴァイオリンや室内楽が続いていたので、
しっかりしたオーケストラを聞けて気分が良かった。
「1812年」を聞きながら、「フランス人はこの曲をどう思うんだろうねえ」
などと夫と話しながら、ストレッチをしたり朝食の世話をしたり。
一昨年、昨年は、病気の進行で身体の可動範囲、呼吸の苦しさがどんどん変化し、
それに合わせて日常の動作もいろいろ工夫しなければならず、
「いつもこう」という手順が決まることはなく、数日~数週間でやり方が変わっていたが、
今年は年明けからベッド生活になったこともあり、また体調も安定していたので、
朝の時間の過ごし方も「ルーティン」と言えるようなものができ、
毎日こうして音楽を楽しむことができた1年だった。
この先どう変化していくのかは予想がつかないけれど、
なんとかまた迎えられそうな新しい年が、穏やかであって欲しいと思う、
2014年の大晦日である。
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