2013年10月21日月曜日

できなくなるということ

先日、夫の介助が大変だ みたいなことを書いたのがいけなかったのか、
その後、夫が熱を出したり、腰が痛くなって姿勢を維持するのが難しくなったりして、
シャワーもお休み、トイレも行かないで済む方法に変えることになった。

私たちは、できることをできるところまで、という姿勢で病気の進行と付き合ってきて、
徐々に不自由になっていく身体を、不自由なりに使えるように工夫したり、
道具を探してきたりして対応してきてのだけど、
「なんとかできている」のと「できなくなる」のは大きな違いだ。

例えばお風呂の場合、
最初は蛇口を回すのが難しくなったので、ワンタッチ水栓に交換
腕を上げるのが難しくなったら、頭と背中は私が洗ってあげる
風呂椅子が座りにくくなったら、背のあるシャワー椅子を投入
湯船に浸かって立ち上がるのが難しくなったときは、電動の「バスリフト」を
浴室への段差まで足が上がらなくなったら、踏み台を置き、
さらに、敷居と浴室床の段差をなくすためにすのこを導入
そして車椅子ごと脱衣場に乗り込めるように、入り口ドアを引き戸に改修し、
今は、浴室入り口に回転椅子を置いて、車椅子からそれに乗り移り、
回転することで足を浴室内に運ぶ、というやり方で段差を上がれない問題を解決し、
なんとかシャワー椅子にたどり着いてシャワーを浴びていた。

それが先週急にできなくなって、なんだかとても残念な気分だった。
熱が出て汗をかいてもさっぱりさせてあげられないのがかわいそうだったし、
もう一度、自分の手で洗ってあげたいなあ、としんみりしたりしていた。

入浴に限らず、なにごともこんな風に段々なにかをするのが難しくなっていくのが
ALSという病気だ。
ただ、いつそれができなくなるかはわからない。
できなくなって初めて、ああ、あの日がこれは最後だったんだな、と思うのだ。
もちろん、良くなる希望を捨てたわけではないから、
「最後」と言っても、今から見ての「最後」なわけだけれど、
こう言う状況だと、しょっちゅう「これが最後かも」と思いながら暮らしていることになる。
去年診断を受けてからの1年は、特に進行が早かったせいもあって、
毎日そういう緊張感があったのだが、ここ数ヶ月はわりあい落ち着いて暮らしていたので、
ちょっと油断していた。
それで、もうシャワーは無理かも、となったことがとても残念だったのだ。

でも

おととい、熱が下がったのと、訪ねてきてくれた友人が首をマッサージしてくれて
体調がよくなったのとで、お風呂入れそう、ということになり、
やってみたら、またシャワーを浴びることができた!

せめてもう一度、と思ったけれど、まだもう少し続けられそうでうれしいな。

2013年10月9日水曜日

歯を食いしばって

ヴァイオリンを弾くときは、あごで楽器を支えているので奥歯を噛みしめることが多く、ヴァイオリニストの多くが奥歯をすり減らしている、と聞いたことがある。
私などはたいして弾くわけではないけれど、ふと気がつくとぐっと噛みしめていることもある。特に、このところはチャイコのコンチェルトを通して弾いたりしていたので、脳内再生中も噛みしめていたりした。

さらにここにきて、夫の移動介助がかなりの力仕事になってきて、
そのたびに、気合を入れてぐっと歯を食いしばり、腹筋を使ってがんばっている。

朝は、
(1)ベッドから車椅子へ
(2)車椅子から階段昇降機へ
(3)階段昇降機から階下の車椅子へ
(4)車椅子からトイレへ
(5)トイレから車椅子へ
(6)車椅子から日中を過ごす「ストレスレス・チェア」へ
と、都合6回、せーの、よいしょ!と移動。

夜はこの逆をたどり(トイレを除く)、いったんベッドで休憩し(10)
(11)ベッドから車椅子へ
(12)車椅子から浴室の段差を越えるための中継椅子へ
(13)中継椅子からシャワーチェアへ
と移動して、シャワーを浴びさせ、
(14)シャワーチェアから中継椅子へ
(15)中継椅子から車椅子へ
(16)車椅子からベッドへ
と、よいしょが続くのである。

尿道カテーテルを使っているので、トイレに行くのは通常朝1回だけれど、
昨日はちょっとおなかのリズムが変わっていて、
起床前に一回、夜も一回行ったので、
それぞれに4回よいしょ、が入るから、トータル24回になり、ちょっと大変だった。

先々週、奥歯の角にざらざらした部分を感じた。
「ここ、かけてたのよね。。。」
と思っていたのだが、二日位して(←にぶい)
「あれ、ここ、治療したよね?」
と思い出した。そうだ、確かに以前治療したのだ。
ということは。。。また取れた?

そんなわけで、明日(もう、今日だけど)は、歯医者へ。

2013年10月2日水曜日

虹を見たよ Saw a rainbow

(English text to follow.)

この夏、けっこう夕立があって、そのあと虹が出ることも多くて、
FacebookやTwitterで、いろんな人が虹の写真をアップしてるのも見たし、
自分でも遠目に虹を見ることはあったのだけど、
きょうは、今までになく心が沸き立つような虹を見た。

仕事に行く途中の車の助手席の窓から、弧でいうと4度分くらい(?)の虹が見えた。
すごく、太くて窓の角から角に届く感じに、ビルの間から見えたのだけど、
七色がすごくくっきりきれいだった。

目的地について、地下駐車場に車を停めて、
取り急ぎ、わくわくな気持ちをiPadからアップしたんだけど、
外に出てみたら、あれれ、カメラを向けてる人が、あっちにもこっちにも。
振り向いたらそこに、大きな虹が!
さっき見たときより、だいぶ遠くて細くなっていたけど。

  
 
 
 
職場に向かって歩きながら、振り向いてみたら、
この左の立ち上がりのところが、この写真では暗かったのに、
綺麗な七色にまた、輝き始めていた。
 
虹のこんな変化を見たことはなかったので、なんだか嬉しかった.。
こんなふうに気持ちがわくわくするなんて、虹には何か力があるのかな。
 
 
As I was driving to work late afternoon, I had a glimpse of a big rainbow.
It was a rather big rainbow, so maybe I could see 4 degree of it filling the passenger side's window of my car.  But in that short moment, I could clearly see the seven colors, sparkling with bright light.
 
After I parked my car, I came out of the underground parking lot to find a rainbow still appearing close.It was no longer as big as I had seen, but still, it was a beautiful rainbow.
 
What was impressive about it was that it was changing its form and brightness continuously.
The left bottom of the rainbow in my photo is dark, but soon, it started to become brighter with dintinct seven colors.
 
This past summer, we had lots of late afternoon showers followed by apperance of a rainbow.
But today's rainbow was special.
It reminded me of the power the rainbow has: it lights up one's heart wth a sense of hope.
 
 


2013年9月25日水曜日

やっぱりお買い物が好き

きょうは久しぶりに、あまり時間を気にせず買い物に出かけた。

「何かを買いに行く」ことが「買い物」かもしれないけど、
私の場合、その合間に、ぶらぶらとお店を覗いて、
目に留まったものを手にして見たりする、
そして運よくちょっといいものに出合って、それが買えればいい気分、
というのが「お買い物」である。
きょうもいくつかの用事と、買わなければならないものもあったけど、
「お買い物」の余裕があって、気分転換になった。

思えば、夫が病気になる前、仕事のない平日は、食料品や日用品の買い物に出ると、
ぶらぶらして、お茶を飲んでひと休みしながら本を読んだりして過ごしていた。
今は長時間夫を一人にしておくのは心配だし、
そもそも買い物にあてられる時間が限られるのでいつも落ち着かない気持ちで、
商品をあれこれ迷って選ぶ、ということもなく、
あわただしく決まったものを買って帰宅する。

気分転換や気晴らしの方法は、人それぞれあるだろうし、
それに費やすことのできる時間によってもいくつかあるだろうと思う。
私の場合、最も手っ取り早いのが、たぶん「お買い物」なのに、
その一番手っ取り早いことにすら費やす時間が限られるのは、ストレスだ。

だから、きょうは気分がいい。
気に入ったパシュミナも買えたしね!

2013年9月16日月曜日

我が家の猫物語エピローグ みいみちゃん再び

猫小屋の撤去を決意したものの、冬間近だったため、
実際に撤去したのは翌春、2007年の春だ。

もともと、野良猫の多いこの地域で、
「一匹くらいうちに居ついてくれないかな」という思いと、
野良たちが台風に遭うのを見るに見かねて、という事情とで設置した猫小屋だった。

結局、二匹の目の不自由な猫を保護し、
一匹の可愛いだけが取り柄の子がうちの子になった。
彼らのエピソードは、これからも登場させると思うが、
猫物語はこれでひとまず終わる。

その後、外の猫との関わりは、来た猫にはごはんをやる、
ということにとどめていたが、みいみちゃんもきさんたも、
また、この物語をmixi日記に書き始めた2009年暮れに秋に来るようになったブッチーも、
この稿を書いていた2010年時点では、まだまだ毎日のようにやってきていた。


  
うちの三匹は、みんなみいみちゃん↑の子どもなのだが、
以前書いたようにみいみちゃんは 
3軒下のKさん宅の縁の下にいたのが、Kさんが引っ越してしまったために
うちに来るようになったのだ。
根っからの自由猫で、触らせないし、
かつてうちに上がりこんでいたときに勝手口を閉めたら、 大パニックして暴れたことがある。

だから、みいみちゃんは「Kさんちの子」で
うちとは元々関係ないのに、というつもりだった。
ところが、猫物語を書く前に古い写真を見ていてびっくりした。

 
 
我が家に最初にやってきたふーちゃんの子どもの中の
この一匹はみいみちゃんじゃないか!
があん。

我が家と縁もゆかりもあった猫だったのだ。どおりでいつも堂々・・・
今は自由を謳歌しているみいみちゃんだが、よぼよぼで動けなくなったら、
その時は面倒見てやらなきゃいけないだろうか、と思っていた。

その後、きさんたは2011年にシンバとレオを産んだあと
 
冬の訪れとともに次第に姿を見せなくなり、みいみちゃんもどこかにねぐらを移したのか、
ぱったりと来なくなった。
 
近所でも猫を見かけることはめっきり減った。
そんな中で、ポン太だけは、春の恋の季節になるとどこかからやってきて、姿を見せる。
どこで見つけてくるのか、毎年新しい彼女を連れていたりするから、隅に置けない。
 
そんな風に、これまで出会って去って行った猫たちとも、
またいつか再会できると嬉しいと思う。
 
(mixiから転載の猫物語は今回で終了です。
 その後のうちの猫たちのことをパート2で書く。。。かも。)


2013年9月9日月曜日

丑三つ時なんかこわくない

ニュースの仕事に行った日は、帰宅が11時ごろになる。

それから猫のご飯をやったり、台所を片付けたりしてから、
夫にシャワーを浴びさせ、寝かせ、自分が入浴して、日記を書いたりしていると、
寝るのはだいたい2時半か3時になる。

以前は、すぐに
あーもうこんな時間になってしまった、睡眠時間が足りない
と、焦っていたけれど、慣れというのは恐ろしいもので、
火曜日、訪問入浴サービスが来るので、夫のシャワーがない分早く寝られたりすると、
それだって1時半とか2時なのに、
きょうは早いわあ!と、喜んでそこから本読んだりしている。

先日、例によって階下の翌朝の準備を終えて、ベッドに入るべく二階に上がり、
3時か、と時計を見て、ふと思い出した。

子どもの頃、
午前3時に鏡を見ると、自分の霊が映って見える
とか
トイレに入って四隅を順に見ていくと、
4つ目にもう一人の自分がいる
とか、そういう話がいっぱいあったことを。

いくつくらいまでだっただろうか。
夜中にトイレに目が覚めても、
ゼッタイに鏡は見ないようにしたり、3時だけは避けるようにしていたのは。

それが今、気付けばまさに午前3時に鏡をのぞきこんでいたり、
トイレに入っていることはざらで、もちろん何事も起こらないのである。

子どもの私に教えてやりたいものだ。
丑三つ時なんてこわくないよ!


2013年8月30日金曜日

我が家の猫物語(17)豆千代


(ちょっといやな話です。気の弱い人は読まないでください。)
前回はこちら

数週間後、
それまで連れ立ってごはんを食べにきていたみいみちゃんときさんたが
一匹ずつしかやって来なくなった。
どうやら、うちではなく、どこか別の場所で出産し、一緒に面倒を見ながら
交代でごはんを食べに来たようだ。
その後しばらくすると、
日中3~4匹(よく覚えていない)の仔猫を連れてくるようになったが、
うちの小屋に落ち着くことはなく、またどこかへ行ってしまった。

ある朝、出かけようとした夫がとんでもないものを発見した。
「玄関の前に、猫の脚みたいなのが落ちてる!」
私はそれを見なかったのだが、どうやら仔猫の死骸の一部らしい。
なんなんだ?なぜ玄関前に、脚だけ?

その後のことは、実はあまり覚えていない。
記憶しているのは、食いちぎられたような仔猫の死体を二匹家の周りで見つけ、
片付けたことだ。
このころ私は、仕事のこと、実家の家族のこと、知人の病気など、
落ち着かないことが続いていたし、
例の困ったペットシッターの一件が起きたのは、この直後のことだったのだ。
そんななかで、いやな記憶はどこかに押しやってしまったのだろう。
そしてまた、みいみちゃんときさんた、弁慶がご飯を食べにくる日々が戻ってきた。


猫というのは、放っておくと年に4回妊娠可能なのだそうだ。
そのころはそんなことは知らなかった。
きさんたをなんとかしなければ、またどんどん子どもを産んでしまう、と思いつつも、
としはまだ何度も頻尿、血尿を繰り返していたし、そのほかのもろもろもあり、
手が回らないうちに、秋になると、またきさんたとみいみちゃんが妊娠、
そして、またどこかで出産し、二匹で交互にごはんを食べに来るようになった。

その日、家の中の猫たちが突然騒ぎ出して、窓の外を見ているので、
なにごとかと覗いてみると、なんと、 仔猫が6匹!
柄もばらばらなら、いったいどれとどれがみいみちゃんの子で、
どれがきさんたの子かもわからない。
どれも見るからに弱々しく、育ちそうもない感じだ。
表の猫小屋と裏の別荘は、死骸の一件以来、怖くてずっと放ってあったのだが、
これから寒くなるので今度は入居するかもしれないと思い、
勇気を出して掃除することにした。
幸い、仔猫のミイラが出てくることはなく、タオルも替えてやることができた。

とはいえ、外の暮らしは過酷である。
6匹のうち1匹は、すぐに死んでしまい、ハンカチに包んで埋めてやった。
残った猫たちは、うちの周りにいたり、他所に行ったりを繰り返した後、
表の小屋に落ち着いたが、既に授乳期を過ぎたのか、
親猫二匹も出かけてばかりで、あまりきちんと面倒をみていない様だ。
子猫用のミルクを与えたり、餌をいろいろ与えてみたりしたが、
数週間のうちに、一匹、また一匹と死んでいった。
その間、その死骸をみいみちゃんが食べているところを見てしまったり、
頭のない死骸を片付ける羽目になったりで、私は精神的にかなり参ってしまった。

最後に、白地にちょっとぶちの入った、豆大福のような一匹「豆千代」が、
なんとか危機を乗り越えて生き残った。
親猫たちに負けずにもりもりごはんを食べるようになり、
うちの前の道を渡ってお向かいの庭先でひなたぼっこをするまでになっていた。
私にもなついていたので、この子をうちの子にすることができるだろうか、
4匹目を飼うのは無理だろうか、と考えていた矢先。

夜帰宅して、いつものように勝手口にごはんを出すと、豆千代の姿がない。
弁慶、きさんた、みいみちゃんは、先を争ってごはんを食べている。
改めて家の周りを探してみると、裏の家と塀の隙間に横たわっている姿が見えた。
首から肩先にかけて何かの傷。カラスにやられたのか、まさか親にやられたのか、
人間か?ともかく、豆千代は死んでしまった。

それまで辛いことが続き、それでもなんとか心を支えていたものが、
この瞬間折れてしまった私は、夫に穴を掘ってもらって豆千代を埋めながら、
これまでなかったほど大泣きに泣いた。

豆千代を、もっと早く保護しておけば助けてやれた、という以上に、
猫と中途半端な関わり方を続けてきた自分を責めた。
私にはできないことなのだから、もう、やめよう。

この日、猫小屋の撤去を決めた。