2015年6月17日水曜日

Birthday 2015

(English text below.)

近年誕生日は、誕生日が近いタンゴ友Tちゃん夫妻といっしょに
ポルトガル料理なぞ食べに出かけて祝っていた。
夫が外出できなくなってからは、タンゴ仲間と家で餃子会をしているのだが、
今年は、Tちゃんが出産後間もない、ということもあったが、
それ以上に、なんとなくその気になれなかったので、
格別に行事は計画していなかった。

それはなにかの、「虫の知らせ」ってやつだったのか。

誕生日の早朝、妹から電話。
父が心停止となり、近所の病院に運んで処置中、と言う。

瞬間、思考停止状態になり、
きょうはナースが来るのが14時半だから、それまで出られないと思う、
また連絡する、と言って電話を切る。

階下に降りて夫に話すと、今、行ってくれば、と言う。
時計を見ると7時、普段夫の朝のルーティンは10時ころからだから、
夫がいつもどおり寝て待っていてくれれば、行ってくる時間はある。
幸い夫の体調はよかったので、出かけることにし、
妹に「今から支度して向かう」とメール。
そこらに出ていた服を身に着け、BBクリームだけ塗って家を出た。

車を出すときに妹からメール。

ダメだった

そうか。

カーオーディオから流れてきたのが、谷本仰 Solo Dialogues なのがありがたい。

病院に着き、処置を待つ間妹と話す。
どうも週末から体調を崩していたようで、痛み止めのせいでふらつくと言って、
妹の助けを借りて朝トイレに行き、妹が待ち構えていた車椅子に座ったとたん、
様子がおかしくなり、妹は心マッサージをしながら救急車を呼び、搬送したのだそうだ。
もともと心臓弁にトラブルを抱えていたところに、肺炎を起こし、力尽きたのだろう。

結局蘇生することはなかったけれど、
たぶん、一番びっくりしたのは本人だったのではないだろうか。
霊安室で会った父は、「あれ?来てたの」とうたた寝から起きそうな顔をしていた。

とりあえず、父を家に連れて帰らなければいけないのだが、
病院では、葬儀社を紹介することもできるし、
処置室から霊安室への移動を担当する葬儀社は、月ごとに交代で、
きょう入っている業者に頼んでも構わない、
もちろんもう決まっている場合はそちらに頼んでもらっても良い、という話だった。

妹と、去年母の葬儀をしてもらったH殿でいいよね、と話したのだが、
妹のスマホにH殿の電話番号の登録が、ない。

霊安室で待っていた、「今月担当の葬儀社」の人にこちらの意向を聞かれ、
H殿にお願いしようかと思ってるんですが、と言うと

「あ、そこに入ってるのがうちです!I橋です!」

スマホをいじる妹。。。 あ、あった、I橋で入れてたんだ。。。

来ていた人は別の支店の人だったので、連絡をとってもらい、
去年担当してくれた、I橋ではダントツだという女性が、
今回も担当してくれることになり、先週の土日で、無事葬儀をすませることができた。

母が亡くなった時は、妹から「危ない」と連絡をもらったのは、
火曜日午後の夫の訪問入浴の真っ最中で、
その後の時間帯も誰も入らない日だったから、病院に行くのは諦めたのだが、
姪のひとりが駆けつけるまでもたせたので、亡くなったのは夜になってからだった。
それならそこだけ、行けばよかった、と後悔したし、
その後も実家に行ったのは湯灌も済ませて、母の顔も作ってしまったあとになり、
私は一体何をやっているんだ、と、思った。

夫の病気のこともあり、親の死に目にはあえないだろうとは思っていたし、
実際、父のときも間に合わなかったのだけれど、
少なくとも今回は、人並みに知らせをもらって駆けつけ、
葬儀までの間も、実家で過ごす時間を持つことができたから、
気持ちは随分楽だった。

父は先週、母の遺したものの後始末を終えたところだった。
自分が逝ったあとのことまでは手がまわらなかったものの、
区切りをつけ、ほっとして逝ったのだろうと思う。
自分の父(私の祖父)も、同じ歳で亡くなったのが32年前の5日前だったことも、
意識のどこかにあったのかもしれない。

私は、性格ー特に欠点ーが父に似ているために、父が苦手で、
たぶん向こうもそうだったと思う。
だから、私たちは決して親密ではなかった。
それでも亡くなってみると、思い出すのは父の立派だったところ、
自分があれこれ楽しむことよりも、人助けを喜んでいたことなど、
長所と言えるところだ。
今年は戦後70年と言われるたびに、
父があまり話そうとしなかった戦争中のことを、一度聞いておきたいと思っていたのだが
それは叶わなかったのがひとつ、心残りだけれど、
いまは、先に逝った母に、
「え~?もう来たの?」
と邪険にされていなければいい、と思うのだ。

My father somehow chose my birthday last week to die.
Maybe it's for me to remember the day. (In Japan, the day of death is more important to remember than one's birthday.)

He had heart problems for many years. He suffered pneumonia over the weekend, and apparently his heart gave in just after my sister took him to bathroom in the morning.

I was never close to my father, largely because I inherited his shortcomings, and I hate to find them everytime I saw him.

In order not to disrupt my husband's daily routine, I only attended the vigil and missed the funeral ceremony.  Still, I could spend more qualify time with my family over last week than when my mother passed away last October.

My father just finished dividing what my mother left among us, so he must have felt relieved as he went to her side even though he didn't finish taking care of what he was going to leave behind.  We only hope that my mother is not too surprised at his joining her so soon.

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