2016年4月13日水曜日
今年の桜と誕生会
今年の桜はきれいだった。
世間では、去年も一昨年も同じようにサクラ、桜と言っていたけど、
私の目には原発事故以来、本来の桜の美しさは失われ、
色も花の付きも大きさも、どうにも物足りなく思えた。
名所と言われる場所の木は、そろそろ寿命を迎えるものが多いとも聞いていたから、
もうこれまでのような桜は見られないのかもしれないと思っていた。
しかしあれから5年、今年は本来の桜の美しさが戻ってきたようで、
車で走っていても、あ、あそこ、今度はこっち、と
目に留まるのが嬉しい姿が多かった。
自然は強く、再生しているのだとあらためて感じた一週間余だった。
そんな桜ももう終わる頃、約一週間遅れで夫の誕生会をした。
ALSと診断されてから4回目の誕生日だ。
4年前はまだ動けていたから、日曜の午後野外ミロンガで友人たちと集まり、
みんなで中華街にあるシュラスコ屋へ行ったのだった。
その後はうちに集まってもらって、誕生会をしている。
今夫は口から食べたり飲んだりはしていないので、
みんなと食事をすることはできないけれど、
外出できない夫にとって、仲間と会って話すのは、楽しみな時間だ。
スペイン語圏の習わしに従って、食事はうちで準備し、
うちにはアルコール飲料はないので、各自持参してもらう、という形での開催。
なにかと時間が限られるので、作り置きできるものが中心だったけど、
みんな喜んでくれてホッとした。
Cちゃんが持ってきてくれたケーキに、
HちゃんがHAPPY BIRTHDAYの文字キャンドルを載せてくれたのを
私が代理で吹き消した。
この1年、また時々みんなと会う機会が与えられて穏やかに過ごせますように。
2016年3月16日水曜日
大九州展
九州は、好きだ。
修学旅行で行った、博多、臼杵、熊本、長崎、平戸に始まり、
仕事や観光などで福岡、長崎、小倉は何度か訪れた。
夫の母が鹿児島の人だったので、数回だが親戚を訪ねたこともある。
いまは、タンゴを通じて知り合った友人たちも福岡や大分にいて、
関東以外では、九州に身近な知り合いが一番多くなった。
今住んでいるところと違うどこか別の地方に住むなら、九州だろうと思う。
昔から他国との交易があったりして、人々の精神性が外に開いていて、
つまらない東京コンプレックスがないのがいい。
男尊女卑で保守的と言われるけれど、
なかなかどうして九州の女たちは、どっしり頼りがいがあって、
自分の足場をしっかり固めている。そういうところも好きだ。
普通に町で買い物などをして接する人たちもみんな優しくて、感じが良いし。
それになんと言っても
食べ物が美味しい!
だからといって、私はお取り寄せ、というのはあまり好まない。
土地のものをそこで頂くから美味しいのだし、
一番美味しいものは外に出してやしない、と思うからだ。
だが、毎年春に地元のデパートで開かれるイベント
「大九州展」は例外だ。地元の人達がいいものを持って来てくれるので
いつも楽しみにしている。
今年は初日のきょう、行ってきた。
まずはイートインで長浜ラーメンを。
とんこつは実はあまり得意ではない。
疲れている時に食べて胃をやられたことがあるのだ。
このラーメンは豚骨の下処理を丁寧にしているという触れ込み通り、
くせのない食べやすくコラーゲンとろとろのスープで美味しかった。
さてお買い物。美味しいものはたくさんあるけれど、
いまは食べるのは私一人なので、そういろいろ買い込んだりはできない。
冷凍しておけるきびなごやちりめん、干物
からし蓮根
知覧茶
などを買い込んだ。
残念だったのは、いつも来ていた老舗のつけ揚げ屋さんもかるかん屋さんも来ていなくて、つけあげもかるかんもあくまきも買えなかったこと。シクシク
この「大九州展」ここ数年4月に移動したりしていたのが、
今年はまた以前のように3月のこの時期に戻ってきた。
そうなのだ。5年前のあの日は「大九州展」の真っ最中だった。
あの日私はニュースの仕事で18時入りだったので、
いつもなら15時頃買い物に行って16時過ぎに戻って家に荷物を置き、仕事に行く、
というパターンなのに、何故かあの日は先に買い物に行って、
つけあげだの、からし蓮根だの、きびなごだのをうきうきと冷蔵庫にしまっているとき、グラグラときたのだった。
夫は公務員だからきょうはもう帰れないだろうが職場にいる限りは大丈夫、
こちらも仕事に行ったらいつ戻れるかわからないけど、行かねば。
「とりあえず、冷蔵庫に食べ物はある」
と安心したのを思い出す。
毎年楽しみなイベントだけど、あの日と被災地に思いを馳せる機会でもあるのだ。
修学旅行で行った、博多、臼杵、熊本、長崎、平戸に始まり、
仕事や観光などで福岡、長崎、小倉は何度か訪れた。
夫の母が鹿児島の人だったので、数回だが親戚を訪ねたこともある。
いまは、タンゴを通じて知り合った友人たちも福岡や大分にいて、
関東以外では、九州に身近な知り合いが一番多くなった。
今住んでいるところと違うどこか別の地方に住むなら、九州だろうと思う。
昔から他国との交易があったりして、人々の精神性が外に開いていて、
つまらない東京コンプレックスがないのがいい。
男尊女卑で保守的と言われるけれど、
なかなかどうして九州の女たちは、どっしり頼りがいがあって、
自分の足場をしっかり固めている。そういうところも好きだ。
普通に町で買い物などをして接する人たちもみんな優しくて、感じが良いし。
それになんと言っても
食べ物が美味しい!
だからといって、私はお取り寄せ、というのはあまり好まない。
土地のものをそこで頂くから美味しいのだし、
一番美味しいものは外に出してやしない、と思うからだ。
だが、毎年春に地元のデパートで開かれるイベント
「大九州展」は例外だ。地元の人達がいいものを持って来てくれるので
いつも楽しみにしている。
今年は初日のきょう、行ってきた。
まずはイートインで長浜ラーメンを。
とんこつは実はあまり得意ではない。
疲れている時に食べて胃をやられたことがあるのだ。
このラーメンは豚骨の下処理を丁寧にしているという触れ込み通り、
くせのない食べやすくコラーゲンとろとろのスープで美味しかった。
さてお買い物。美味しいものはたくさんあるけれど、
いまは食べるのは私一人なので、そういろいろ買い込んだりはできない。
からし蓮根
知覧茶
などを買い込んだ。
残念だったのは、いつも来ていた老舗のつけ揚げ屋さんもかるかん屋さんも来ていなくて、つけあげもかるかんもあくまきも買えなかったこと。シクシク
この「大九州展」ここ数年4月に移動したりしていたのが、
今年はまた以前のように3月のこの時期に戻ってきた。
そうなのだ。5年前のあの日は「大九州展」の真っ最中だった。
あの日私はニュースの仕事で18時入りだったので、
いつもなら15時頃買い物に行って16時過ぎに戻って家に荷物を置き、仕事に行く、
というパターンなのに、何故かあの日は先に買い物に行って、
つけあげだの、からし蓮根だの、きびなごだのをうきうきと冷蔵庫にしまっているとき、グラグラときたのだった。
夫は公務員だからきょうはもう帰れないだろうが職場にいる限りは大丈夫、
こちらも仕事に行ったらいつ戻れるかわからないけど、行かねば。
「とりあえず、冷蔵庫に食べ物はある」
と安心したのを思い出す。
毎年楽しみなイベントだけど、あの日と被災地に思いを馳せる機会でもあるのだ。
2016年2月29日月曜日
2月
あっという間に2月が終わる。
11月頃から、収まりそうになってはぶり返していた夫の感染症が
1月末でようやく収まって、2月は久しぶりに落ち着いた日々になり、
ちょっと気持ちが落ち着いた分、文章を書くのが億劫になっているうちにもう月末だ。
感染症がある間は、抗生剤の点滴だのなんだのがあり、
さらにそれと重なって血糖値のコントロールのための測定やインスリン注射も加わり、
慣れないことが続いていたので、けっこう大変だった。
人の体に針を刺すことなど、未だに慣れないし、慣れたくもないけど。
何をしていたかといえば
確定申告の準備をしたり(去年もまた帳簿を全然付けないまま1年過ぎた)
お雛様を飾ったり
近所の梅を見たり
関西のひなあられが醤油味と知ってびっくりしていたら
実物をはるばる神戸からお友達が持ってきてくれたり
猫と遊んだり
猫をかまったり
猫に遊ばれたり
明日から弥生。
また数日寒い日が戻るそうだけど、春はもうすぐ。
穏やかな日が続くといいな。
11月頃から、収まりそうになってはぶり返していた夫の感染症が
1月末でようやく収まって、2月は久しぶりに落ち着いた日々になり、
ちょっと気持ちが落ち着いた分、文章を書くのが億劫になっているうちにもう月末だ。
感染症がある間は、抗生剤の点滴だのなんだのがあり、
さらにそれと重なって血糖値のコントロールのための測定やインスリン注射も加わり、
慣れないことが続いていたので、けっこう大変だった。
人の体に針を刺すことなど、未だに慣れないし、慣れたくもないけど。
何をしていたかといえば
確定申告の準備をしたり(去年もまた帳簿を全然付けないまま1年過ぎた)
お雛様を飾ったり
近所の梅を見たり
関西のひなあられが醤油味と知ってびっくりしていたら

実物をはるばる神戸からお友達が持ってきてくれたり
猫と遊んだり
猫をかまったり
猫に遊ばれたり
明日から弥生。
また数日寒い日が戻るそうだけど、春はもうすぐ。
穏やかな日が続くといいな。
2016年1月27日水曜日
Terracotta Warriors 兵馬俑を見に
"Terracotta Warriors and Horses" of the first Emperor of China, Qin Shi Huang, were first discovered in 1974, and the excavation work is still under way. More than 8,000 life-size sculptures are estimated to be buried in 3 huge pits. There have been many TV reports and special programs made on the burial art as the excavation progressed over these years, which made me feel like seeing them one day even though I'm not a great fan of Chinese history.
The opportunity has now come around as Tokyo National Museum is now holding an exhibition, The Great Terracotta Army of the First Emperor of China.
There were 9 real terracotta warriors accompanied by many replicas, and each one was awsome. The scale of the army only shows how powerful the first Emperor was. Still, the empire collapsed only 3 years after the Emperor's death. It only suggests that what we believe as "power" is not actually so lasting.
秦の始皇帝の陵墓の近くで兵馬俑が発見されたのが1974年。当時は本当にびっくりしたものだけど、以来発掘が進むごとにニュースに取り上げられ、特別番組も組まれていたので、「兵馬俑」と言われても「ああ、あれね」というくらいよく知られたものになっている。
昨秋から東京国立博物館で「始皇帝と大兵馬俑」展が開かれていると聞いても、特に気にしていなかったのだけど、年明けくらいになって「そういえば直接見たことはないよね、見てみたいな」と思うようになった。
寒さもちょっと緩んだ今日、久しぶりの上野へ。
公園口を降りると正面に文化会館、という景色は変わっていなくてホッとする。
(すぐ横のカップルが「あれ、公園口なのに公園じゃないじゃん!」と言っている。
いや、あの、上野公園というのはこのお山全体だからね。。。)
会場は奥の平成館
展示は秦王朝の軌跡、始皇帝の実像、始皇帝が夢見た「永遠の世界」、の三部構成。
お目当ての兵馬俑は第三部だけど、第一部の「秦王朝の軌跡」が興味深かった。
小国だった秦が戦国時代を経て統一国家を築いていく中で、異なる民族の異なる文化を秦の一部にしていく様子が、発掘された道具類からわかるのだ。
長い中国の歴史の中で、こうした営みが繰り返され、芸術や文化も練り上げられてきたのだなあ、と思うと、地続きで他の民族とのぶつかり合いをほとんど経験せずに来た日本との違いをつくづく感じるのだ。
さて、兵馬俑。
本物は9体。多くのレプリカと馬車2台のレプリカも来ていて、なかなか迫力のあるものだった。
一体一体顔も違う、とは聞いていたけれど、本当の軍隊同様、様々な階級、役割の人がいて、(雑技師までいるのだ!)それぞれの装束、髪型、持ち道具、靴の紐まで細かく再現されていて、いったいどれほどの権力がこんな仕事を可能にするのだろうと思わせるスケールだ。なにせ、8000体以上というのだから。
展示の終わりにある撮影コーナーはこんな感じ。
しかし、これほどの秦の帝国も、始皇帝が死んで3年で崩壊したのだという。
人間が頼みにする「力」とはしょせんそんなものなのだ。
The opportunity has now come around as Tokyo National Museum is now holding an exhibition, The Great Terracotta Army of the First Emperor of China.
There were 9 real terracotta warriors accompanied by many replicas, and each one was awsome. The scale of the army only shows how powerful the first Emperor was. Still, the empire collapsed only 3 years after the Emperor's death. It only suggests that what we believe as "power" is not actually so lasting.
秦の始皇帝の陵墓の近くで兵馬俑が発見されたのが1974年。当時は本当にびっくりしたものだけど、以来発掘が進むごとにニュースに取り上げられ、特別番組も組まれていたので、「兵馬俑」と言われても「ああ、あれね」というくらいよく知られたものになっている。
昨秋から東京国立博物館で「始皇帝と大兵馬俑」展が開かれていると聞いても、特に気にしていなかったのだけど、年明けくらいになって「そういえば直接見たことはないよね、見てみたいな」と思うようになった。
寒さもちょっと緩んだ今日、久しぶりの上野へ。
公園口を降りると正面に文化会館、という景色は変わっていなくてホッとする。
(すぐ横のカップルが「あれ、公園口なのに公園じゃないじゃん!」と言っている。
いや、あの、上野公園というのはこのお山全体だからね。。。)
会場は奥の平成館
展示は秦王朝の軌跡、始皇帝の実像、始皇帝が夢見た「永遠の世界」、の三部構成。
お目当ての兵馬俑は第三部だけど、第一部の「秦王朝の軌跡」が興味深かった。
小国だった秦が戦国時代を経て統一国家を築いていく中で、異なる民族の異なる文化を秦の一部にしていく様子が、発掘された道具類からわかるのだ。
長い中国の歴史の中で、こうした営みが繰り返され、芸術や文化も練り上げられてきたのだなあ、と思うと、地続きで他の民族とのぶつかり合いをほとんど経験せずに来た日本との違いをつくづく感じるのだ。
さて、兵馬俑。
本物は9体。多くのレプリカと馬車2台のレプリカも来ていて、なかなか迫力のあるものだった。
一体一体顔も違う、とは聞いていたけれど、本当の軍隊同様、様々な階級、役割の人がいて、(雑技師までいるのだ!)それぞれの装束、髪型、持ち道具、靴の紐まで細かく再現されていて、いったいどれほどの権力がこんな仕事を可能にするのだろうと思わせるスケールだ。なにせ、8000体以上というのだから。
展示の終わりにある撮影コーナーはこんな感じ。
しかし、これほどの秦の帝国も、始皇帝が死んで3年で崩壊したのだという。
人間が頼みにする「力」とはしょせんそんなものなのだ。
2016年1月12日火曜日
寒中お見舞い申し上げます
父の喪中でもあり、正月はヘルパーなども来ない日が珍しく2日続き、
ひさしぶりに穏やかな時間を過ごした。
寒中となってもまだ寒さもさほどではなかった昨日の休日、
東京の寺に出かけた。
ここには夫の祖父の墓があるのだが、両親も私たちもクリスチャンなので、
義母が亡くなる前、永代供養の手続きはしてあるから心配ない、と言われており、
私たちも数回墓参したきり、夫が病気になってからは訪ねていなかった。
その寺の前の道路の拡幅工事が行われるにあたり、寺の本堂を建て替え、
敷地のレイアウトを変更して墓地もリニューアルする、というお知らせが来ていて、
ああ、そうなのか、とそのままにしていたら、暮れにまた手紙が来て、
うちのお墓のお骨は共同墓に移したい、という。
私たちの後もお墓をみつづけることはできないから、そうするとしても、
一度墓参して寺にも挨拶をしなければ、と思いつつも、
暮れは夫もまた感染症で点滴をしていたり、来客が続いたりして、
年末年始は寺も忙しいだろうから、と正月明けてから連絡することにしていた。
先週電話して、共同墓にするのは構わない旨を告げ、
夫が病気なので私が代わりに墓参とご挨拶に伺います、と話して昨日出かけたのだった。
墓参に行くと言ったって、うちには線香もないから
(先週来た妹に実家にあるのを分けてもらっておけばよかった)
線香とチャッカマン、花を買って、ハサミも雑布にくるんで用意。
手土産とともに携えて寺に向かった。
敷地の周辺には防護壁が建てられ、墓地の入口には
「敷地には入れませんので、この中の手桶に用意した水をお使いください」
の張り紙。
中に入ると確かに用意されているので、それを一つとって、
記憶を頼りに墓を探すと・・・ない。あれれ、こっちじゃなかったっけ?
と迷っていると、墓地の戸が開いて住職のお連れ合いと思しき女性が現れた。
「お約束した○○○です。暗くなる前に先に墓参りしようと思って・・・」
「ああ、工事の都合があるのでもう移しました。」
「え?そうなんですか?」
「ええ、仮本堂の方でお骨はお預かりしていますから、どうぞお線香を」
言われるままに仮本堂に行き、焼香して、住職としばらく話して辞去したのだけど、
きちんと区切りをつけた、という気分にはなれなかった。
確かにこちらもいろいろあって連絡が遅くなったりしたし、
お寺にはお寺の都合もあるだろうけど、
手紙にはいついつまでに返答が欲しいとか書いてなかったし、
電話した時も、返事があったからすぐ移すとも、もう移したとも言ってなかったし、
だいたい、私は「最後にお参りして、ご住職にご挨拶を」と言ったのだし。
いろいろ準備して行ったのに、肩すかしというのは、
なんとなく行き場のない思いが残る訪問になってしまった。
ちゃんと掃除してお花と線香をあげたお墓の写真撮って夫に見せたかった
というのもあるけど、「もの」であるお骨やお墓をどうしたかはあまり大事ではなくて
人の気持ちが関わるやりとりは、もうちょっと言葉を省かないでいて欲しかったと思うのだ。
、
ひさしぶりに穏やかな時間を過ごした。
寒中となってもまだ寒さもさほどではなかった昨日の休日、
東京の寺に出かけた。
ここには夫の祖父の墓があるのだが、両親も私たちもクリスチャンなので、
義母が亡くなる前、永代供養の手続きはしてあるから心配ない、と言われており、
私たちも数回墓参したきり、夫が病気になってからは訪ねていなかった。
その寺の前の道路の拡幅工事が行われるにあたり、寺の本堂を建て替え、
敷地のレイアウトを変更して墓地もリニューアルする、というお知らせが来ていて、
ああ、そうなのか、とそのままにしていたら、暮れにまた手紙が来て、
うちのお墓のお骨は共同墓に移したい、という。
私たちの後もお墓をみつづけることはできないから、そうするとしても、
一度墓参して寺にも挨拶をしなければ、と思いつつも、
暮れは夫もまた感染症で点滴をしていたり、来客が続いたりして、
年末年始は寺も忙しいだろうから、と正月明けてから連絡することにしていた。
先週電話して、共同墓にするのは構わない旨を告げ、
夫が病気なので私が代わりに墓参とご挨拶に伺います、と話して昨日出かけたのだった。
墓参に行くと言ったって、うちには線香もないから
(先週来た妹に実家にあるのを分けてもらっておけばよかった)
線香とチャッカマン、花を買って、ハサミも雑布にくるんで用意。
手土産とともに携えて寺に向かった。
敷地の周辺には防護壁が建てられ、墓地の入口には
「敷地には入れませんので、この中の手桶に用意した水をお使いください」
の張り紙。
中に入ると確かに用意されているので、それを一つとって、
記憶を頼りに墓を探すと・・・ない。あれれ、こっちじゃなかったっけ?
と迷っていると、墓地の戸が開いて住職のお連れ合いと思しき女性が現れた。
「お約束した○○○です。暗くなる前に先に墓参りしようと思って・・・」
「ああ、工事の都合があるのでもう移しました。」
「え?そうなんですか?」
「ええ、仮本堂の方でお骨はお預かりしていますから、どうぞお線香を」
言われるままに仮本堂に行き、焼香して、住職としばらく話して辞去したのだけど、
きちんと区切りをつけた、という気分にはなれなかった。
確かにこちらもいろいろあって連絡が遅くなったりしたし、
お寺にはお寺の都合もあるだろうけど、
手紙にはいついつまでに返答が欲しいとか書いてなかったし、
電話した時も、返事があったからすぐ移すとも、もう移したとも言ってなかったし、
だいたい、私は「最後にお参りして、ご住職にご挨拶を」と言ったのだし。
いろいろ準備して行ったのに、肩すかしというのは、
なんとなく行き場のない思いが残る訪問になってしまった。
ちゃんと掃除してお花と線香をあげたお墓の写真撮って夫に見せたかった
というのもあるけど、「もの」であるお骨やお墓をどうしたかはあまり大事ではなくて
人の気持ちが関わるやりとりは、もうちょっと言葉を省かないでいて欲しかったと思うのだ。
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2015年12月31日木曜日
リズムとメロディー
去年の初め夫がベッド生活になってから、
毎朝手持ちの音楽CDを片端から聞いていたのだが
秋にはほぼ聞き終わり、今度は落語のCDを聞いている。
談志の「ひとり会」のボックス4箱をやっつけ、八代目文楽を聞き、今は圓生だ。
私たちが子どものころは落語は身近で、私は当時寄席には行かなかったけど
志ん生、三平、談志、円楽、円鏡、歌丸といった人たちの声が
しょっちゅうラジオやテレビから聞こえていた。
とはいえその頃はうまい、下手など全然分かっていなかったのは当然のこと。
今改めて30代の談志の芸を聞くと、そのレベルの高さに舌を巻く。
そして、彼が圓生をよく研究していたことにも気がついた。
幸い、生の談志は夫と一緒に何回か聴く機会があって、
「簡単には笑わないぞ」という客との緊張感がすごいこととか、
あの強気の言動が目立つ談志なのに、お辞儀が誰よりも深々と心のこもったものだということに強い印象を受けた。
談志、文楽、圓生と聞いてきて、同じ噺も入っているのだが、
それぞれがそれぞれに面白く、知っている噺なのにやっぱり笑ってしまう。
一昨日の晩、そんな同じ噺の一つをラジオ深夜便でやっていた。
演者は現代の噺家だったのだけど、これが、悪いけど全然面白くなかった。
なんというか、人物がそこにいるように立ち上がってこない。
確かに今の人にとって、長屋の暮らしぶりをリアリティをもって語るというのは至難の業だろうけれど、談志だって江戸時代の御武家さんの様子は見たことなんかなかっただろうし、彼がそれを語ることができたのは噺の技として受け継がれてきたものによったのだろうと思う。
そんな折、TBSでドラマ「赤めだか」が放送された。
「赤めだか」は談志の弟子の談春が修行時代を書いた同名の本が原作。
その中で、弟子になったばかりの談春のけいこで談志が
「リズムとメロディーなんだよ。これからは俺のリズムとメロディーでやれ」
と言うシーンがあった。
落語に「リズムとメロディー」とは独特の言い方だから、これは本当に談志が言った言葉だろう。
ああ、そういうことかと私には腑に落ちるものがあった。
「間合い」とか「息遣い」とかいうものと、たぶんそれは重なっているのだろうけれど、リズムとメロディーをきっちり写して演じることが、噺を身につけるということで、それが人を楽しませる噺になる。それを談志自身が学んできて、伝えようとしていたのだろう。このタイミングでこのドラマを見ることができてよかったと思った。
それにしても、落語からは歴史や日本語について学ぶことが多い。
時代が変わってやりにくくなる噺もあるけれど、良い噺は語り継いでいって欲しいものだ。
毎朝手持ちの音楽CDを片端から聞いていたのだが
秋にはほぼ聞き終わり、今度は落語のCDを聞いている。
談志の「ひとり会」のボックス4箱をやっつけ、八代目文楽を聞き、今は圓生だ。
私たちが子どものころは落語は身近で、私は当時寄席には行かなかったけど
志ん生、三平、談志、円楽、円鏡、歌丸といった人たちの声が
しょっちゅうラジオやテレビから聞こえていた。
とはいえその頃はうまい、下手など全然分かっていなかったのは当然のこと。
今改めて30代の談志の芸を聞くと、そのレベルの高さに舌を巻く。
そして、彼が圓生をよく研究していたことにも気がついた。
幸い、生の談志は夫と一緒に何回か聴く機会があって、
「簡単には笑わないぞ」という客との緊張感がすごいこととか、
あの強気の言動が目立つ談志なのに、お辞儀が誰よりも深々と心のこもったものだということに強い印象を受けた。
談志、文楽、圓生と聞いてきて、同じ噺も入っているのだが、
それぞれがそれぞれに面白く、知っている噺なのにやっぱり笑ってしまう。
一昨日の晩、そんな同じ噺の一つをラジオ深夜便でやっていた。
演者は現代の噺家だったのだけど、これが、悪いけど全然面白くなかった。
なんというか、人物がそこにいるように立ち上がってこない。
確かに今の人にとって、長屋の暮らしぶりをリアリティをもって語るというのは至難の業だろうけれど、談志だって江戸時代の御武家さんの様子は見たことなんかなかっただろうし、彼がそれを語ることができたのは噺の技として受け継がれてきたものによったのだろうと思う。
そんな折、TBSでドラマ「赤めだか」が放送された。
「赤めだか」は談志の弟子の談春が修行時代を書いた同名の本が原作。
その中で、弟子になったばかりの談春のけいこで談志が
「リズムとメロディーなんだよ。これからは俺のリズムとメロディーでやれ」
と言うシーンがあった。
落語に「リズムとメロディー」とは独特の言い方だから、これは本当に談志が言った言葉だろう。
ああ、そういうことかと私には腑に落ちるものがあった。
「間合い」とか「息遣い」とかいうものと、たぶんそれは重なっているのだろうけれど、リズムとメロディーをきっちり写して演じることが、噺を身につけるということで、それが人を楽しませる噺になる。それを談志自身が学んできて、伝えようとしていたのだろう。このタイミングでこのドラマを見ることができてよかったと思った。
それにしても、落語からは歴史や日本語について学ぶことが多い。
時代が変わってやりにくくなる噺もあるけれど、良い噺は語り継いでいって欲しいものだ。
2015年12月24日木曜日
At Christmas
On Christmas Eve, I passed our local shopping center, and saw many people forming looooong queues to buy... Christmas cake. Yes, in Japan we have "Christmas cake," which is an essential part of Christmas for most Japanese.
It was not until when I was over 40 that I realized that, for average Japanese, Christmas is the day to put up Christmas tree and eat chicken roast and Christmas cake, and that they don't give a damn at the fact that what they think are indispensable to celebrate Christmas are actually accessories and have little to do with the essence of Christmas.
I had assumed that people were just taking advantage of capitalism and the age of plenty, knowing the true meaning of Christmas. But, No, they just didn't care.
When they import seasonal events from foreign culture, Japanese people tend to pick out only the things they feel "nice" and often turn their eyes away from their essence.
Valentine's Day is the day for women to buy chocolates for men (or, nowadays, more expensive ones for themselves), and Halloween is the day to wear strange costumes on the street.
This habit of turning one's eyes away from the essence of the matter reminds me of the fact that our people have failed to look straight at our defeat in the war in 1945. Have we not faced up with our past because it is our habit not to look at the essence of the matter, or we tend to pick out only the accessories of events because we haven't come to terms with the defeat just yet? I don't know which is which, but I cannot help thinking that there is some connection.
In the Christmas Eve service that I attended today, they read Luke 2:1-21.
This part is always read at Christmas, and I almost remember the verses. (well, if you have ever sung Messaiah, you learn it by heart) The most impressive verse to me since my childhood is"because there was no room for them in the inn." Christmas for me has been the time to be questioned of what I have done to "the smallest of these" rather than pure celebration.
I just made small contribution to WFP and UNHCR, thinking of Middle Eastern families deprived of the right to leading peaceful life, hoping His favor rests on my action.
Merry Christmas!
It was not until when I was over 40 that I realized that, for average Japanese, Christmas is the day to put up Christmas tree and eat chicken roast and Christmas cake, and that they don't give a damn at the fact that what they think are indispensable to celebrate Christmas are actually accessories and have little to do with the essence of Christmas.
I had assumed that people were just taking advantage of capitalism and the age of plenty, knowing the true meaning of Christmas. But, No, they just didn't care.
When they import seasonal events from foreign culture, Japanese people tend to pick out only the things they feel "nice" and often turn their eyes away from their essence.
Valentine's Day is the day for women to buy chocolates for men (or, nowadays, more expensive ones for themselves), and Halloween is the day to wear strange costumes on the street.
This habit of turning one's eyes away from the essence of the matter reminds me of the fact that our people have failed to look straight at our defeat in the war in 1945. Have we not faced up with our past because it is our habit not to look at the essence of the matter, or we tend to pick out only the accessories of events because we haven't come to terms with the defeat just yet? I don't know which is which, but I cannot help thinking that there is some connection.
In the Christmas Eve service that I attended today, they read Luke 2:1-21.
This part is always read at Christmas, and I almost remember the verses. (well, if you have ever sung Messaiah, you learn it by heart) The most impressive verse to me since my childhood is"because there was no room for them in the inn." Christmas for me has been the time to be questioned of what I have done to "the smallest of these" rather than pure celebration.
I just made small contribution to WFP and UNHCR, thinking of Middle Eastern families deprived of the right to leading peaceful life, hoping His favor rests on my action.
Merry Christmas!
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