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2018年5月3日木曜日

La Folle Journée TOKYO 2018

(日本語は下にあります)
La Folle Journée TOKYO in an annual music event in which various short (45min.) concerts take place in multiple halls all day for 3 days so people can pick and enjoy different types of music in a single day.  I managed to hear one concert by Richard Galliano last year.  This year, with more free time at hand, I decided to spend a holiday there, and bought 3 tickets in advance:  violin and piano, i  Musici, and Richard Galliano.  There was a 3-hour interval after i Musici and I was going to take a break, visiting some free events.  But having heard violin and i Musici, I felt like hearing some wind instruments, so bought a ticket for Royal Northern Sinfonia (Lars Vogt conducting) to hear Haydn and Prokofiev symphonies. Galliano was giving an autograph session after his concert, so I bought his CD and lined up to get one on it.   Pity I can't show it to my husband any more. 
All the concerts were very good: professional and  beautiful.   I was reminded of the importance of practice.  On the train to come home, I was reading a novel about Mary Cassatt and Edgar Degas, and came across a section in which Degas was saying his paintings don't come spontaneously but they are results of hard work.  How appropriate it is to read this section today!
(photos in the Japanese section)

去年はリシャール・ガリアーノのコンサート一つ聞くので精一杯だった、ラ・フォルジュルネ。今年は時間があるので、三つコンサートのチケットを買っておいた。
ふた月も前にチケット買ったので、ガリアーノは覚えていたけど、あと2枚、何を買ったのかすっかり忘れている始末。買った頃はまだ、頭がぼーっとしていたしね。



ひとつ目はヴァイオリンとピアノ、プロコフィエフとラベルのソナタ。
アレクサンドラ・コヌノヴァ、マタン・ポラト、どちらも初めて聞いたけど、曲の理解の深さを感じさせるよい演奏だった。
ふたつ目はイ・ムジチ。以前聞いたのはもう10年くらい前か。だいぶメンバーも変わって、でも音色と息の合い方はやはり素晴らしい。アンコール2曲目で「夏」を疾走。イ・ムジチと言えば四季だから、だからこそその度に圧倒的でなければならず、そのプレッシャーを楽しむかのような演奏が身体に染みとおってきて満足だった。
 

ここで3時間のインターバルを入れて、無料コンサートや売店を冷やかすつもりだったのだけど、弦を聞いてなんだか管も聞きたくなったので、時間が合ってチケットがまだあれば、と売場に行ってみると、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアのコンサートがまだあったので列に並ぶ。開演時間が迫ってきてちょっと心配したけれど、このチケットだけ買う人は?と係りの人が前に呼んでくれたので、無事買うことができた。
このオーケストラのことは知らなかったけれど、ゲイツヘッドを拠点とするイギリス唯一の常設の室内オーケストラだそう。ハイドンとそれに倣ってプロコフィエフが書いた交響曲のプログラムだったのだが、ハイドンが鳴り始めたとき、行ったこともないイギリスに郷愁を感じさせる温もりのある音色だった。

ガリアーノのコンサートが始まった途端、ひとつしまったと思ったことがあった。
アコーディオン一本で広い会場なのでPAが入る、ということをすっかり忘れ、スピーカーに近いところに席を取ってしまっていたのだ。(尤も売り切れ間近だったから、そうそう選択肢があったわけでもないのだが。)ほかのコンサートが基本生音なので、失念していたので。出だし、けっこう音量上がっていたのでまいったなあ、と思ったのだけど、その後調節したのと、私としては聞こえのよくない右耳側にスピーカーだったので、じき気にならなくなった。曲目は自作にドビュッシーやルグラン、グラナドスなど。余裕があって隙がない、円熟の演奏だった。終演後、サイン会にも参加。購入したCDにサインをもらって握手もしてもらった。このひとはたぶん英語もスペイン語もイケるんだろうけど、ステージでアンコール紹介のときフランス語だったので、サインをしてもらうときに ”ici, s'il vous plait." と言ったら、”Vous parlez français." と返され、うっかり "Sí, un poco." と答えそうになり、二拍遅れてやっとのことで "seulement un peu." と言ったのだった。(^_^;)



それにしても、どの演奏者もこの裏には膨大な練習があるのだろうなあという弾きぶりで、やっぱり練習は大事だよなあ、と反省しつつ帰路の電車内で開いた本(といってもKindleだけど)で、ちょうどDegasがMary Cassattに、自分の作品は何もせず降ってきたりするものではなく、努力の賜物だと語っている箇所だったのは、あまりにもタイムリーで苦笑してしまった。

2016年9月7日水曜日

"Trumbo" 「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」 

(日本語は下です。)
(Just to keep record of a movie I saw this summer.)

The movie, Trumbo, is about screenwriter Daniel Trumbo who lived through the era of McCarthyism as a Communist sympathyzer.  He was convicted of contempt of Congress for not providing information about his or others' involvement in Communist activity, and served time.  He could not get work assignment after he came out of the jail, because he was blacklisted, so he supplied scripts under different names.  His Oscar winning works included Roman Holiday.

As a student of American Studies, I had common sense knowledge about McCarthism in Hollywood.  I knew such actors like Gregory Peck and Henry Fonda tried to help those who were expelled from the industry, while Ronald Reagan was among those who cooperated with the House Un-American Activity Committee. But I knew little about individual stories at the time, including one about Trumbo, so the movie was very informative and intriguing to me.

The movie centers around Trumbo, but gives close discription of people on both sides--- his family, friends, friends-turned-foes, sympathyzers, etc.  It does tend to make you sympathyze with Trumbo, but you can see things were not so simple as he vs. society as villain. 

Those who went after Communists and their sympathyzers did so not because they wanted to do harm on them or they were mean, but they were filled with fear that their footing might collapse.  They seriously believed that Communism on their own soil would damage democracy and freedom, and out of fear, they tried to eradicate Communists.

It was FDR who said the only thing we have to fear is fear itself.
I truly agree. 
Not having lived through the era myself, it's not easy to imagine how much threat the American felt with the developments on the East side of the world.  But if you had placed trust in unshakable, eternal being, you would not have felt that much fear to unfairly deprive your fellow countrymen of their rights.

Early in the movie, Trumbo's daughter asks her father if he was a Communist.
He says, Yes.  Then she asks if her mother was also a Communist.
He saysm No.  Now, she asks if SHE is a Communist.
The father returns a question:  if your mother made a good lunch for you, and, when you go to school, there is a friend who didn't bring any lunch.  What will you do?
She says, I'll share.  He asks, won't you tell him to go work to earn money?
She says, No,  I won't do that.  He asks, won't you lend him money at a high interest rate?
She says, laughing, Noooo.  The father says, well, you are a little Communist.

This is one of my favorite scenes from the movie.


少し前に見た映画について備忘的に。


トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は米マッカーシズムの時代を生きた脚本家、
ダニエル・トロンボを中心に、その時代が終わりを告げるまでを描いている。
マッカーシズムについては、ハリウッドの有名俳優たちが排斥される一方、
のちに大統領となるロナルド・レーガンなどは排斥に協力的であった
などの常識的知識はあったものの、詳しいことはあまり知らなかった。
トランボの名も、彼とその仲間が、偽名を使って作品を世に送り出し続けたことも、
アカデミー賞を獲った「ローマの休日」は友人の名を借りて出したものだったことも、
全然知らなかった。

映画では、必ずしもトロンボやブラックリストに載せられた人たちが被害者で、排斥する側、寝返る人が悪者、と言った単純な描き方ではなく、それぞれが、それぞれの立場で、時代を生き延びようと知恵を絞り、悩んでいた様子がよく表されていた。

そのせいか、見終わった時に私の頭に浮かんだのは「怖れ」という言葉だった。
確かにあの時代のアメリカで、共産主義は民主主義の対極であり、国内にその分子が存在することは、自分だちの依って立つ体制が揺るがされると信ずるに十分だったのかもしれない。アメリカをアメリカたらしめている価値観を危機にさらすものは許さない、というところがアメリカ的でもある一方、それを理由に同胞の基本的人権を否定するまでになるというのは、アメリカらしくないとも言える。結局のところ、彼らを突き動かしていたのは、自分の足元が危うくなるという「怖れ」だったのではないか。

近年地元県内では在日韓国朝鮮人を標的にしたヘイトスピーチ、ヘイトデモの問題が深刻になり、ネット上でもナショナリスティックな言葉が頻繁に飛び交っている。
オリンピックの報道では、大会の中では禁止されている国別メダル数ランキングを繰り返し言い立てて「国威発揚」に平和の祭典が利用された。
多重国籍の国会議員に対して、感情的な反応が堂々と披瀝されている。
いまこの国で醸成されている空気の中に、怖れとそれを利用する力とがあることを、改めて想起させられた映画だった。

怖れるべきは怖れそのもの、というFDRの言葉を思い出す。

2015年6月17日水曜日

Birthday 2015

(English text below.)

近年誕生日は、誕生日が近いタンゴ友Tちゃん夫妻といっしょに
ポルトガル料理なぞ食べに出かけて祝っていた。
夫が外出できなくなってからは、タンゴ仲間と家で餃子会をしているのだが、
今年は、Tちゃんが出産後間もない、ということもあったが、
それ以上に、なんとなくその気になれなかったので、
格別に行事は計画していなかった。

それはなにかの、「虫の知らせ」ってやつだったのか。

誕生日の早朝、妹から電話。
父が心停止となり、近所の病院に運んで処置中、と言う。

瞬間、思考停止状態になり、
きょうはナースが来るのが14時半だから、それまで出られないと思う、
また連絡する、と言って電話を切る。

階下に降りて夫に話すと、今、行ってくれば、と言う。
時計を見ると7時、普段夫の朝のルーティンは10時ころからだから、
夫がいつもどおり寝て待っていてくれれば、行ってくる時間はある。
幸い夫の体調はよかったので、出かけることにし、
妹に「今から支度して向かう」とメール。
そこらに出ていた服を身に着け、BBクリームだけ塗って家を出た。

車を出すときに妹からメール。

ダメだった

そうか。

カーオーディオから流れてきたのが、谷本仰 Solo Dialogues なのがありがたい。

病院に着き、処置を待つ間妹と話す。
どうも週末から体調を崩していたようで、痛み止めのせいでふらつくと言って、
妹の助けを借りて朝トイレに行き、妹が待ち構えていた車椅子に座ったとたん、
様子がおかしくなり、妹は心マッサージをしながら救急車を呼び、搬送したのだそうだ。
もともと心臓弁にトラブルを抱えていたところに、肺炎を起こし、力尽きたのだろう。

結局蘇生することはなかったけれど、
たぶん、一番びっくりしたのは本人だったのではないだろうか。
霊安室で会った父は、「あれ?来てたの」とうたた寝から起きそうな顔をしていた。

とりあえず、父を家に連れて帰らなければいけないのだが、
病院では、葬儀社を紹介することもできるし、
処置室から霊安室への移動を担当する葬儀社は、月ごとに交代で、
きょう入っている業者に頼んでも構わない、
もちろんもう決まっている場合はそちらに頼んでもらっても良い、という話だった。

妹と、去年母の葬儀をしてもらったH殿でいいよね、と話したのだが、
妹のスマホにH殿の電話番号の登録が、ない。

霊安室で待っていた、「今月担当の葬儀社」の人にこちらの意向を聞かれ、
H殿にお願いしようかと思ってるんですが、と言うと

「あ、そこに入ってるのがうちです!I橋です!」

スマホをいじる妹。。。 あ、あった、I橋で入れてたんだ。。。

来ていた人は別の支店の人だったので、連絡をとってもらい、
去年担当してくれた、I橋ではダントツだという女性が、
今回も担当してくれることになり、先週の土日で、無事葬儀をすませることができた。

母が亡くなった時は、妹から「危ない」と連絡をもらったのは、
火曜日午後の夫の訪問入浴の真っ最中で、
その後の時間帯も誰も入らない日だったから、病院に行くのは諦めたのだが、
姪のひとりが駆けつけるまでもたせたので、亡くなったのは夜になってからだった。
それならそこだけ、行けばよかった、と後悔したし、
その後も実家に行ったのは湯灌も済ませて、母の顔も作ってしまったあとになり、
私は一体何をやっているんだ、と、思った。

夫の病気のこともあり、親の死に目にはあえないだろうとは思っていたし、
実際、父のときも間に合わなかったのだけれど、
少なくとも今回は、人並みに知らせをもらって駆けつけ、
葬儀までの間も、実家で過ごす時間を持つことができたから、
気持ちは随分楽だった。

父は先週、母の遺したものの後始末を終えたところだった。
自分が逝ったあとのことまでは手がまわらなかったものの、
区切りをつけ、ほっとして逝ったのだろうと思う。
自分の父(私の祖父)も、同じ歳で亡くなったのが32年前の5日前だったことも、
意識のどこかにあったのかもしれない。

私は、性格ー特に欠点ーが父に似ているために、父が苦手で、
たぶん向こうもそうだったと思う。
だから、私たちは決して親密ではなかった。
それでも亡くなってみると、思い出すのは父の立派だったところ、
自分があれこれ楽しむことよりも、人助けを喜んでいたことなど、
長所と言えるところだ。
今年は戦後70年と言われるたびに、
父があまり話そうとしなかった戦争中のことを、一度聞いておきたいと思っていたのだが
それは叶わなかったのがひとつ、心残りだけれど、
いまは、先に逝った母に、
「え~?もう来たの?」
と邪険にされていなければいい、と思うのだ。

My father somehow chose my birthday last week to die.
Maybe it's for me to remember the day. (In Japan, the day of death is more important to remember than one's birthday.)

He had heart problems for many years. He suffered pneumonia over the weekend, and apparently his heart gave in just after my sister took him to bathroom in the morning.

I was never close to my father, largely because I inherited his shortcomings, and I hate to find them everytime I saw him.

In order not to disrupt my husband's daily routine, I only attended the vigil and missed the funeral ceremony.  Still, I could spend more qualify time with my family over last week than when my mother passed away last October.

My father just finished dividing what my mother left among us, so he must have felt relieved as he went to her side even though he didn't finish taking care of what he was going to leave behind.  We only hope that my mother is not too surprised at his joining her so soon.

2015年4月7日火曜日

Happy Birthday!

Last Saturday was my husband's birthday.
As it fell on the Good Saturday, we waited until the Easter Sunday to celebrate.
Our tango (and Gyoza) friends came over, to eat, drink, talk and laugh.
Making Gyoza together is now a staple when we gather.
We make dumplings together, and Gyoza Maestro cooks them.
How lucky we are to have him in our circles!
 
   
A new feature of the party this time was a violin duo of me and T.
I have been working on Bach's doppel concerto in my lessons for the past few months,
and I wanted to have my husband hear me in a duo, so I asked T to help.
I rarely have a chance to play the violin in front of anyone, so I was very nervous and my heart was pounding like never before.  But it was fun!  And we managed to play better than ever.  My husband had apparently been waiting for our play to fall apart, but , sorry!, we betrayed him.

We also had A who is a ballerina show off her skills with point shoes.
Amazingly, she told us her feet don't hurt because she is standing with her stomache and side muscles.  Wow!  It was really a special treat to see real ballet up so close.


For us, surviving to this birthday alone was special, and being able to celebrate it with close friends made us very happy.  Thank you friends!

先週の土曜日、夫が誕生日を迎えた。
聖土曜日と重なったので、お祝いはイースターの日曜日にいつものタンゴの仲間と
餃子パーティーをすることに。

  

餃子はみんなにお任せ、うちではデパートの「大九州展」でゲットした辛子蓮根や、
鶏めしの具材で炊いたご飯、サラダなどを供し、あとは唐揚げやチーズやワインや、
みんなそれぞれ食べたいものを持ち寄って、美味しく楽しく、音楽談義に花を咲かせた。

今回は、最近レッスンしていたバッハのドッペルを夫への誕生日プレゼントにしたいと思い、
Tちゃんにお願いしてduoを決行。一回の合わせでどこまで合わせられるか不安だったけど、なんとかいい感じに合わせられて、心臓バクバクしながら、
でもアンサンブル楽しい!という幸せな時間を過ごすことができた。

もう一つ、バレリーナのAちゃんにお願いして、
トウシューズで踊るところを見せてもらった。

  

M氏のiPodでてきとーに選んだ曲で即興で踊ってくれたのだが、
見事な足さばき、バランス感覚、体の伸びで、素晴らしかった。
驚いたことに、 腹筋や脇の筋肉で立っているから、
トウシューズで立っていても足は痛くないのだそうだ。へええ

 こないだFBに上がっていた英語の広告で、傷だらけのつま先とトウシューズの写真に
 「~~のためなら苦労は惜しまない」みたいなキャプション付いたのがあったけど
 あれはウソなんだな。。。

外出できない夫に、生の音楽と生のダンスを楽しんでもらえて、よい誕生日になった。
みんな忙しい中、ありがとうね。

2015年2月18日水曜日

雨中の横浜散歩 Visiting two exhibitions

(English entry below)

先日神奈川新聞で知った、開港資料館の展示「ガールズ・ビー・アンビシャス」。
我が母校を含む、横浜・山手の5つのミッションスクールが取り上げられているので
見に行くことにした。

横浜市営バスの1日乗車券(600円)はICカードでも購入することができるので、
きょうは極力バスを使うことにして、最寄りバス停乗車時に購入。

横浜駅西口から東口に回り、別のバスに乗り換え、日本大通りへ。

横浜開港資料館は、ペリー来航の頃からある「たまくすの木」のある中庭で有名だが、
展示をちゃんと見に来たことはなかったかもしれない。
常設展示で開港の歴史をおさらいしてから、企画展へ。

考えてみれば、自分の学校以外4校の卒業生も何人も身近にいて、
それらの学校を開いた宣教師の名前なども馴染みがあり、
各校の○○年誌なども目に触れてきたので、
そういう意味では新しい発見は少なかったのだけど、
あの時代に海を越えて日本にやってきた修道女や女性宣教師たちの勇気を思うと
感謝の思いが湧いてくる。

  ひとつの発見は、横浜本牧教会の早苗幼稚園はもともと横浜英和の幼稚園だった、という話。
  へえ、知らなかった。

Lunchan Avenueで一休みしてから、バスで桜木町駅へ。
乗り換えて 横浜美術館に向かう。
天気が良ければ歩く距離だけど、雨だしちょうど乗り継げるバスがあったので、バス。

閉館40分前入場でホイッスラー展を見る。

  


ホイッスラーのことはあまり知らなかったけれど、
緻密な作風と色の深さに魅力を感じた。

ここでの発見は、アメリカ・ワシントンDCのフリーア美術館にある
ピーコック・ルームがホイッスラーの作だった、ということだ。
依頼主の長期不在中に依頼を無視して金とピーコック・グリーンの内装を施し、
その結果二人はその後一度も会うことがなかったとのこと。
しかし依頼主は、その部屋を変えることなく使い続け、
後に持ち主となったフリーアが所蔵コレクションとともにスミソニアンに寄贈し、
フリーア美術館の一角を占めることになったのだそう。
30余年前、フリーアを訪れたとき真っ先に見たのがこの部屋だったけど、
そんな裏話は知らなかった。

 
気に入った二枚の絵画のうち一枚は絵葉書になっていたので購入。
ピーコックの箱の中身は豆菓子。

 

みなとみらいから横浜駅に直接行くバスは日中3本くらいしかないので、
天気が良ければここも歩くところだけれど、きょうのところはみなとみらい線のお世話になり、
横浜からはまたバスに乗って帰宅。
寒い日でも心は暖かい午後になった。

Visited two exhibitions in Yokohama this afternoon.
First one dealt with the beginning of 5 Chrisitian mission schools in Yokohama.
I graduated from one of them, and I know women who graduated from the other 4 schools,so the exhibition was rather personal.

One thing that I discovered from the exhibit was the kindergarten associated with Yokohama Honmoku Church was originally the kidergarten of Yokohama Eiwa Girls' School.
Honmoku Church is a brother church of my church, and my church is closely related to Yokohama Eiwa.  So, it was an interesting dicovery.

The other exhibition I went was Whistler Retrospective at Yokohama Museum of Art.
I didn't know much about Whistler, though I recognize some paintings.
One surprising discovery here was that the Peacock Room at Freer Gallery of Art in DC was the work of Whistler.  The Peacock Room was one of the first places I visited while I lived in Maryland, and I remember visiting the gorgeous room.  Back then, some 35 years ago, I didn't know that Whistler berayed his client, and decorated the room with gold and peacock green.  Fortunately, the clinet kept the room as it was till it was later owned by Freer who donated it to Smithsonian along with his collection. 
Art always has a lot of story to tell, doesn't it?

2015年2月9日月曜日

知らなんだ Je ne savais pas.

(English to follow.)

クルマで移動中、もうすぐスペイン語講座が始まるからとNHK第二をつけたら
フランス語講座をやっていた。私が辛うじてそこまでは勉強した複合過去がテーマ。
練習問題をやってみたけど、先にスペイン語が出てしまい、
5問中4問目になってやっとスムーズに答えられる始末。ああ、忘れてるなあ。

そのあと講師の先生が「先ほどJ'aime la France という表現がありましたが・・・」
と次のような説明をした。

私はフランスが好きです J'aime la France.  
を強調して「大好きです」としたければ beaucoup や bien を付けて
J'aime la France beauscoup. J'aime la France bien. で良い。

同じaimerという動詞を使って、
英語の I love you. に当たる Je t'aime.
という表現があるが、これに beaucoup や bien を付けると
強調にはならずに、却ってその度合いを薄める意味になってしまう
ので注意が必要、とのこと。

ええっ?そうなの?

「とても愛しています」と、言ったつもりが、「いい人ね」になってしまうなんて。。。
知らなんだ。
フランス語で愛を語ろうとしているそこのアナタ、気をつけてね。

I was going to write about a different subject today,
but I just heard something that surprised me on my car radio, so I'll write about it.

It came during a French language lesson program that I happened to hear on my car radio.(I took some French in high school and college though most of it is gone now.)
They talked about the verb 'aimer'=to love and adverb to emphasize it 'beaucoup'=very much and 'bien'=well.

When you want to say, "I love France very much.", you can say, "J'aime la France beaucoup."or "J'aime la France bien." 

Now, you may know that in Franch, you say, "Je t'aime." to say, "I love you."
And you might want to say, "I love you very much." but you shouldn't say, "Je t'aime beaucoup." because, the teacher said, it would WEAKEN, rather than emphasize, the meaning of "aimer"!
You may end up saying, "you are very nice" when you think you are saying "I love you very much."  So be careful, if you're talking love in French.

2014年12月11日木曜日

Midsummer Night's Tango 白夜のタンゴ



Yesterday, I went to see a movie for ther first time in a long while.
http://documentaryedge.org.nz/2014/wgtn/film/midsummer-nights-tango

It's a documentary film about 3 Argentinian tango musicians traveling Finland to check out the notion that tango music was born not in their own country but in Finland.
I thoroughly enjoyed it for several reasons.
It was a good example of intercultural communication experience which is my expertise.
It featured scenes that stimulated my interests as singer, musician and dancer.
Music was nice---both Finnish and Argentinian.
If you are tango lover solely in the sense of listening to the music or dancing at milongas, this film may not be so interesting.  Come to think of it, it was perfect for a person like me.

My favorite part was early in the film where they presented what tango in Argentina is like.
They didn't use the stereotype scenes of tango shows or milongas or Caminito.
Sure, the essence of tango is not in the appearance.

昨日久しぶりに映画館に行った。
夫が病気になってからは本当に時間がなくて、
あったとしても、たいていの上映時間は都合が悪くて、もう無理だとと思っていた。

ドイツ、アルゼンチン、フィンランド合作の「白夜のタンゴ」
奇跡的に私が行かれる時間の上映の日があったので行ってきた。

「タンゴはフィンランドで生まれたんだよ」という説を確かめに
3人のアルゼンチンのミュージシャンがフィンランドにやってきて。。。
というロードムービー的ドキュメンタリー。

アルゼンチン・タンゴの音楽を聴くだけの趣味の人や
ドレスに着替えてミロンガに行くのがタンゴだと思ってる人には
ピンと来ない映画かもしれないけど、
私にとっては、これまで見たタンゴの映画の中で
もしかすると一番面白かったかもしれない。

というのも、比較文化学や異文化間コミュニケーションという
私自身の専門の目から見て、アルゼンチンとフィンランドの人たちの交流や
それぞれの文化におけるタンゴのあり方がとても興味深かったし、
私も少しは楽器を弾くので、ミュージシャンのやりとりやセッションは
文句なしに面白いし、歌もやっていたから、歌のレッスンや、
歌手の人の話も示唆に富んでいた。
そして、私もタンゴを踊るから、ダンスの面でのタンゴのシーンもまた楽しめた。

要するに、「よくわからないなあ」というところがなくて、
楽曲はみんな美しいし、いい時間を過ごさせてもらった気がした。

友人に「タンゴを知らないと面白くない映画かしら?」
と聞かれて、「音楽が好きなら十分楽しいと思うよ」と答えたのだが、
もう少しよく考えてみると、やはり異文化の出会いの部分が面白かったと思うので、
「文化とその中での音楽の存在と役割について興味のある人に面白い映画だ」
というほうがあたっているかもしれない。

夫と一緒に見られれば、さらに何倍も楽しかっただろうと思うけれど、
見ることができてよかった、と思える映画だった。

2014年10月14日火曜日

Goodbye, Mom. 母を送る

My mother passed away last week.
She had a bad stroke (subarachnoid hemorrhage) 20 years ago, lost speech and became mostly bedridden.  She lived at home until early September when she developed pneumonia.  She was taken to hospital where she died.  I could not come to see her off, but I was ready for that ever since my husband was diagnosed with ALS.
I wasn't even sad at the news of my mother's death.  Rather, I was relieved that my mother is finally free from all her difficulties.  Still, I had some unsettling feeling in my heart that I could not put a name on. 
When I came home from her vigil (I could not attend the funeral.) and was making bed for myself, I felt tears suddenly welling up.  The fact that my mother no longer existed in this world struck me, and made me cry.  I learned that it was her absence, or my sense of loss, was that strange feeling wobbling in my heart.  After some crying, it was gone, and I felt I could go on, looking straight ahead.

It seems to me that children or grandchildren are the best visible legacy of someone's life. I look very much like my mother, so it's obvious that I'm the testimony that she lived.
But my wish would be to be her positive legacy not only for my appearance but for who I am.

Thanks and Goodbye, Mom.


先週、実家の母が逝った。
母は、20年前クモ膜下出血で倒れ術後の処置が悪くて、結局半身不随となり言葉を失った。様々な問題はそれなりに経験しながらも、なんとか穏やかにくらしてきたのだが、九月の初め 誤嚥性肺炎を起こして入院し、一旦は良くなりかけたものの完治せずそのまま病院で亡くなった。

妹から「危ない」と連絡があった時は夫の訪問入浴真っ最中で、その後も誰も来ない日だったので、看取ることはできなかったが、私以外の家族が揃うのを待って旅立ったそうだ。

夫が病気になってからはこちらの生活で精一杯で、実家からも足が遠のき、この1年ほどは全く行かれていなかったのだが、7月末にやっと久しぶりに訪ねて私の作った料理を母にも食べてもらったところだった。入院してからも数回は顔を見に行けたし、そもそも夫が病気になってからは、親に何かあっても行けないだろうと思い、訪ねる度に「これが最後かも」と思いながら「またね」と言ってきたので、立ち会えなかったことについてどうこうとも思うこともなく、20年続いた不自由な状態から母が解放されたことには、むしろ安堵の思いがあった。

それでも、「悲しさ」でも「寂しさ」でもない、何とも言いようのない胸のつかえと言うか、もやもやした思いがあって、それが何か見極められずにいた。そういう気持ちの整理をするのが、葬儀のプロセスなのだろうと思うが、日程の都合で、私は通夜だけの出席になった。クリスチャンになったとはいえ、子どもの頃から法事などの機会に繰り返し聞いてきたせいか、「修證義~」と方丈さんが言った途端に「生を明らめ死を明らむるは佛家一大事の因縁なり・・・」と出だしのフレーズが頭に浮かんだのにびっくりしたり、久しぶりに見る親戚の名前を思い出そうとしたりしているうちに通夜は終わり、姉、妹と棺を囲んで寸時話し、母に別れを告げた。

就寝前、ベッドメイクをしているとき、不意に涙がこぼれた。
もう母はいないという事実、それを寂しく思う気持ちというより、「不在」そのものが迫って来る感じで涙が止まらなかった。そうだったのだ。ずっともやもやしていたのは、「喪失感」というやつだったのだ。そのまま暫く一人で泣いた。そして涙が収まった時には、胸のもやもやは落ち着きどころを見つけていた。

人がこの世に生きた、目に見える証は子や孫の姿だと思う。
私は、顔が母にそっくりなのでそのまま母の生きた証なのだが、
中身でも母の良き遺産でありたいと思うのだ。




2014年7月12日土曜日

Watching out for cholesterol コレステロール注意報

It's been a while since my doctor first pointed out that my cholesterol figures are on the high end.I've been avoiding fried food, cream, butter eggs, while trying to eat more fish and soy bean ptoducts.I even began taking some suppliments made with fish oil to enhance EPA and DHA.

Generally, it worked, and my numbers went back and forth across the border line.But last month's figures turned out to be the worst ever. 

I know why. 
We had a birthday party.  Then, there was antoher friend who came over with some cake, even though I had been publicizing that I stopped eating cakes.  There was also a free birthday desert at Denny's which turned out to be 3-layer pancakes. 
I didn't expect to get a blood test at the end of the month. 

Even though the reasons for the high figures were obvious, the doctor said the numbers have always been on the high side, which is not a good idea at my age.
So, I started taking medication to reduce cholesterol absorption.  When there are various opinions about cholesterol levels, I'm not too excited about it.  If the medication allows me to eat anything, that would be nice, but that isn't the case.  Will see how this works.

コレステロール値が高い、と最初に言われたのはいつだったか。
以来、揚げ物や卵、クリームの類は避け、青魚や大豆製品を増やし、
EPA&DHAのサプリも摂ったりして、上限値をはさんで行ったり来たりを繰り返していたのだが、先月の血液検査で数値が今までで一番高くなってしまった。

理由ははっきりしている。誕生会があったり、別の日に来た友人がケーキを持ってきたり、
行きつけのファミレスでバースデーデザートがただでもらえて、
これまではチーズケーキにちょっと飾りがついてるくらいだったのに
今年はなぜかパンケーキだったり。

その直後に「血液検査」と言われる予定ではなかったのだ。ちっ

とはいえ、平常範囲内に収まるときでも、かなり高い数値であったことは事実で、
この歳で高いレベルを維持するのはよくない、ということで、
コレステロールを下げる薬、と言うのを処方された。

コレステロールに関しては、さまざまな意見があり、
どこまでが許容範囲なのか、個人差はどこまでみるべきなのか、
まだよくわからないので、あまり薬には頼りたくない。
今数値が上がっているのも、この2年、時間のやりくりが難しくなって
運動不足になっていることも背景にあると思うし。

薬を飲んでいれば何でも食べていい、というならいいけど、
そうでもないのが残念だ。

2014年3月28日金曜日

便乗値上げ? Taking advantage of a tax hike?

(English to follow.)

消費税率引き上げ前に、ということでホームセンターに日用品を買いに行った。

が、しかし。。。

1)その店が他店より安くしているからそこで買っているメジャー商品は
 軒並み他店並みの値段になってるし
2)安いし十分に用を足すので愛用してきたオリジナルブランド商品は
 ほとんど売り切れ状態

で、結局「増税前の買いだめ」にはならず。

けど、上の 1)って、便乗値上げじゃないのかな。
便乗値上げって、調査するのは4月1日以降なのかしら。

いちいち値札の写真撮って報告するほどヒマではないのでしないけど、
貴重な買い物の時間が思うように使えなくて
なんだかなあ、の午後だった。

In Japan, the consumption tax (an equivalent of VAT or sales tax) will be raised by 3 %
from April 1st.  So, I went to the store to buy some daily necessities to stock up.
But I found the price of major brand items the store used to sell at the lowest price in the area having raised to the level of other stores, and the store's original band items that are low-priced with satisfactory quality have already been sold out.
It seems like the store is taking advantage of the tax hike to raise the price of major-brand items.
I don' have time and energy to do research and report the case to the authorities, but I do feel as if my afternoon shopping spoiled.

2014年3月16日日曜日

あれから2年 Two years have passed.

(English to follow.)


3月16日、夫がALSと診断されてちょうど2年が経った。

あのとき、「あと1年・・・か、2年」
と主治医は言っていたが、その2年を生き延びたことになる。

そのころは、本当に病気の進行が速くて、特に呼吸機能の低下が進んでいたので、
1年はおろか、半年くらいの、まだ外出したりできているうちに、
どこかで呼吸困難になって倒れてしまってもおかしくない、と思っていたのだが。

週単位、あるいは数日単位で変わる体調、病状に対応し、
次に起こりうることにできるだけ先回りをし、それでも予想外の出来事がおき、
危ない状況も何度か経験したりしているうちに、2年が経った。

実は、ここひと月ほど、いまだかつてないほど落ち着いた状況が維持されている。
これまでたびたび経験した、発熱やら感染症やら下痢やら便秘やら腹痛やら、
あれこれがほぼ解消され、一定の生活リズムを崩さず、淡々と日々を過ごすことができている。

昨年は、まだ家の中で移動する生活をしていたから、介助の手も時間も必要だったし、
それに加えて体調の問題もたびたびあったから、私自身のことにはなかなか手が回らず、
あらゆることが置き去りになり、仕事の会計処理も全然できていなかった。
先月来の、この落ち着いた時間がなかったら、
とても二人分の確定申告はやり遂げられなかっただろうと思う。

考えてみれば、これに限らず、「このままこれが続いたら、もうだめ」と思うときがあっても、
たいていどうにかなってきた。
だから、まさか夫が寝たきり状態になるまで永らえるとは思っていなかったけど、
当面、この状態が続いても、「もうだめ」とは思わないし、
まあ、これからもなんとかなっていくのだろうと思う。

先のことはわからない。
これまで通り、一日一日を大切に過ごすだけだ。


It was exactly 2 years ago today, March 16th, that my husband was diagnosed with ALS.
His doctor said he has a year... or maybe 2 to go.

Well, here we are 2 years later.

It's been tough 2 years as his condition kept changing.
He had various health problems from fever to diarrhea.
We had some scary moments as well.

Two years ago, he was walking and working and dancing.
Today, he spends his time in bed.
But most of other problems appear to have been solved,
and this past month has been rather peaceful.

I don't know what the future brings or how long the current condition continues.
All I know is that we'll take a day at a time and live each day fully.

2014年3月13日木曜日

Finally, spring has come?

It's been a very cold winter around here.
We had two big snowfalls in February that paralyzed transportation system.
Until yesterday, Daytime Highs barely topped 10 degrees Celcius, well below seasonal average.

But today it warmed up to 16 degrees!
Our spring usually does not come in a stride, but with a few days of chilly days in between warm ones.  So, I expect some more cold days returning ahead.
Still, it's certain that spring is just around the corner.

Warmer weather means more pollen and more allergy reactions.
Even so, after such a cold winter, I really look forward to spring particularly this year.





2014年1月31日金曜日

伝言 The Last Message

(English text is blow.)

月曜日の朝、iPadでFacebookなど見ながら朝食を摂っていたら、
どこを触ったのか急にiPadから音楽が流れ出した。
南米の賛美歌集を日本語詞で録音したCDに入っているTenemos Esperanzaだ。
この曲は、実は日本語詞が2バージョンあり、流れてきたのは
うちの教会の前任牧師のI牧師の訳詞のほう。
「なんで今この曲?しかもこのバージョン?」と夫と不思議に思っていた。

I牧師の訃報が届いたのは翌朝のことだった。

「先生、来てたんだ」
そう思った。

I牧師は、夫の両親とも親しかったし、夫のことも子どものころから知っていたので、
御自身がんを患いながらもずっと夫のことを心に掛けて、
頻繁にイラスト入りのはがきに聖書の言葉、ご自身の近況を添えて送ってくださっていた。
12月のホームコンサート の際には聖句を選んだりアドヴァイスを頂いた。
2週間前に電話で話したとき、あまり食事が摂れていないようだったので心配していたのだが。

水曜日に教会での前夜式で、夫人がI牧師からの伝言を語ってくださった。
 ひとつめは、「ありがとう」。
 ふたつめは、「さようなら」。
 みっつめは、「また会いましょう」。
 そして、「ごめんなさい」。一生懸命務めたけれど、
   あなたの思いに応えられず傷つけたこともあったかもしれないので。

シンプルで、けれど大切な言葉。
こんな風に、最後の言葉が言えたら、と思ったけれど、
そうではない、と気づいた。

「ありがとう」
「さようなら」
「また会いましょう」
「ごめんなさい」

これらは、今日も、明日も、
言うべきに人にきちんと告げなければいけない言葉なのだ。
最後のときを待つのではない。
だって、「その日そのとき」を知るのは、神様だけなのだから。
きょうのありがとうは今日のうちに、ごめんなさいも今日のうちに、
言っておかなければいけないことなのだ。

このことだけでなく、神様のことを沢山教えてくださったI牧師に感謝。
ご家族の上に平安を。

On Monday morning, I was having breakfast, browsing Facebook entries on my iPad.
Suddenly, music cmae out of the tablet. Apparently, I hit some key without knowing.
The music was one of South American hymns sung in Japanese.
The recording contains two versions of that particular hymn, Tenemos Esperanza,
and our former minister provided the Japanese lyrics for one of them.
And it was that particular song iPad was playing.
Why now? Why this tune? we wondered.

On Tuesday morning, we were told that the pastor died on Monday morning.

It was him! we thought, he came to say good-bye.

The Rev.I was close to my husband's parents, and he knew my husband since he was little.
He cared a lot about my husband's illness even as he himself was suffering from cancer.
He regularly sent us postcards with his own illustration, scripture lessons and some
news about his own condition.
In a way, we were travelling our journeys together.

At the memorial on Wednesday, the Rev.'s wife conveyed his message to us.
Firstly, Thank you.
Secondly, Good bye.
Thirdly, See you again.
And lastly, I'm sorry, because, I may have inadvertently hurt your feelings.

Simple, but important things to say in bidding farewell.

Then, I realized that these are the words that we should not wait till our last moments,
but say today, or tomorrow, if they are called for.
Because God only knows when that moment comes to us.
We should say today's "Thank you" today, and "I'm sorry" before it's too late.

Thank you, the Rev. I, we miss you, but what you have taught us has taken root in us.
We'll follow your steps to live our lives for the glory of our Lord.

2013年12月3日火曜日

Good bye, Optiplex!

日本語は後半です Japanese text to follow.

I just sent my 17-year-old DELL Optiplex out for recycle.
It was not exactly my first PC, as I had IBM DOS-V notebook earlier.
But Optiplex was the one that connected me to the Internet.

When I was trying to decide which PC to buy, my husband (though he wasn't my husband then) came forward to help me, and accompanied me to a big PC Fair.
On our way back, we had dinner at an Italian restaurant, and talked about a lot of things.
When my DELL arrived at my condo, he came over to set it up,
and made lentil soup as well.
That was how it started, and here we are.

Back then, search engines were not as clever as today,
and I often ended up on a website completely unrelated to the original idea
and in a completely different country.
But actually, it was the fun of the internet those days.

Today, things got much easier.
As I struggled to get the heavy desktop and CRT monitor out at the front door,
I thought of my iPad and its lightness reminded me how things got lighter as well.


17年前に買った、最初のデスクトップPC、DELL Optiplexをリサイクルに排出した。
その前に、IBMのDOS-Vノートを使っていたから、私にとっては2台目だった。

ちょうどWindows95が出て、インターネットが一般家庭に入り始め、
メーカー各社が個人ユーザー向けモデルを投入してきた頃だった。

私も仕事の調べ物や会計帳簿の電子化のために、PCを導入しようと思い、
どれを買おうかと思っていた時、幕張でPCフェアがあるから行ってみよう、
と言ってくれたのが、今の夫である。
ずっとコンピュータ畑で仕事をしてきた夫は、フェアも仕事絡みで行くことになっていたのだった。

帰りに寄った恵比寿のイタリアンで、レンズ豆が出てきて、
これはスープもおいしんだよ、と言って、
その後、注文したDELLが届いた日にセットアップを手伝いながらスープも作ってくれて
今日に至る、である。

あの頃は、馴れ初めを聞かれて、
「パソコン買ったら、ついてきた」
と言うと、ウケたっけ。

当時、検索エンジンは今ほど力がなかったから、
とりあえず開いたところから、まるで連想ゲームのようにサイトを渡っていくうちに、
始め見ていたのと全然関係ない国の、全然関係ないサイトにたどり着くこともしばしばだった。
でも、それで世界が急に身近に感じられて楽しかったのも懐かしい。

 
今、夫は病気で動けないから、排出の準備も手伝ってもらえず、
本体もCRTディスプレイも滅茶苦茶重くて、梱包して玄関に運ぶのも大変だった。
愛用のiPad-mini との差に17年の月日を感じたのであった。

2013年6月30日日曜日

「すごい」通訳

「お仕事は?」
と聞かれて
「通訳です」
と答えると
「すごいですねえ」
と言われることがしばしばある。
先日などは、化粧品売り場の店員さん
「わあ、すごい!私、初めて見ました!」
と言われた。。。 パンダじゃないんだから。。。

この後に来るのが大抵、
「通訳さんだったら、やっぱり英語ペラペラなんですよね、すごーい!」
である。こう言われると、
うーん、英語ペラペラだったらすごいのか。アメリカに行けば犬でも英語だけどな
と言い返したくなるのを、ぐっとこらえる。

 だいたい、私は通訳者としては英語は下手な方だと思う。
 特に、ニュースの仕事専門になってからは、
 「いかにわかりやすく普通のことばで伝えるか」
 に腐心しているので、語彙は少ないし、こじゃれた言い回しも使えなくなった。
 さまざまな国の人を聞き手として想定しているので、
 米語でも英語でも豪語でもどこでもない、そういう意味では全然ペラペラでない、
 英語の使い手になっていると思う。

職業に貴賤はないし、そういう意味で私は自分の職業がなにかより上とか思ったことはない。
だから、そういうニュアンスで「すごい」と言われることには抵抗がある。
自分の前に開けて来た道をたどってきたら今がある、それだけなのだ。

通訳だからというだけで「すごい」ってことは、ないと思う。

でも「すごい通訳」は、いる。
それは、交代要員が来ない中で何時間も一人で頑張る、とか
会議の前夜に渡された厚さ10センチの資料をちゃんと読みこなしてくる、とか、色々ある。
そういう部分を見て、
「いや~すごいですねえ」
と言ってくれれば、通訳者も嬉しいだろう。

私にも「すごい」所はあるけれど、表に出る仕事ではないから、なかなか気づかれないだろうな





2013年5月16日木曜日

カバーは赤で Got an iPad mini!

今月休みを取っている間にやるべきことのリストは、ざっと20件ほどあるのだが、
ほとんど手つかずのうちに、すでに半月が過ぎたことは、置いといて。。。

そのうちの1件が、iPad miniを購入し使えるようにすること、だった。

今週の月曜日、料金プランなどの話を聞いて予約を、と思ってショップに行ったら、
「在庫1台あります!」と言われて、購入してしまった。

 

私はDOS-V時代からのPCユーザーで、仕事ではMacに触ったことはあるがなじまず、ずっとWindowsを使ってきたから、タブレットに関してはなかなかいいモデルが出ないこともあって手が出ないでいた。
この半年くらいで、iPad以外のタブレットもずいぶん選択肢が増えたので、使い勝手についての情報も入ってくるようになり、いくつか検討してみて、自分のニーズに合うこと、いまとても時間がないので操作の単純さがありがたいことからiPad miniにした。











昨日はこれを持って外出してみたけど、電車の中でFBとか見るのはちょっと躊躇する。
スマフォと違って画面が大きい分、周りの人に見えてしまうからだ。
プライヴァシー保護シールを使った方がいいかもしれない。

帰りにカヴァーを買うべくショップへ。
材質、機能、デザインなどに微妙に違いのあるカヴァーがずらりと並び、選ぶのに困ってしまった。
スタイラスペンがつけやすいものがいいかなあ
立って持つときに落とさないようにベルトがあった方がいいかなあ
しかしこれは色がいまいち
保護シールがおまけについてる!いいかも
と迷うこと40分←優柔不断である
やっと決めたのは、最初にちらと見て「これはシンプルすぎてダメ」と却下していたこちら。

 

       

レザーの感触もよく、厚みも出過ぎず持ちやすくて気に入っている。
アプリを覗くといろんなことができそうで、
興味を引かれるままにやっていたら休暇が終わってしまいそうなのが目下の悩みである。

Just bought my first Apple product, an iPad mini.
Was going to use it to read books and check on the internet when I'm out,
but now I'm discovering its potential.
Wait and see if I manage to take advantage of it.

2013年5月8日水曜日

単数か複数か

昨夜のラジオ深夜便に、考古学者の吉村作治氏が出演していた。

曰く
 お金は使うものだと思っているのです。だから使うために稼ぐ。
 ただどんどん稼いで、それをどうしましょうって言うのは間違っていると思う。

などなど、興味深い発言がいろいろあったのだが、中でも私の興味を引いたのは、
考古学上の吉村氏の発見業績についての聞き手の天野祐吉氏とのやりとりである。
天野氏が、世界的な発見も二つや三つあるでしょうと言ったところ、
吉村氏は一つ一つ経歴をたどり、「世界的」と言えるものだけで五つあると説明した。
天野氏が「二つや三つなんて、失礼しました」と謝ると、吉村氏は、
 いいんですよ、二つ三つでも五つ六つでも十でも
 複数ですから
と引き取ったのである。

私は中東の言語は知らないが、英語やスペイン語、フランス語の名詞では
明確に単数形と複数形がある一方、日本語では同じような形での複数形はないため、
話題にしている「それ」がひとつなのか二つ以上なのかわからないと表現できない、
という事態に度々遭遇する。
  かつて「歳末助け合い始まる」というニュースを書いていた時、
  「銀座の某ビル脇に作られた『愛の泉』に硬貨が投げ入れられると
  ペンギンの人形が踊る」というくだりがあり、
  「ペンギンは何羽ですかあ?」と担当者に問い合わせたことがあった。
異なる言語間のそうした違いについてはいつも意識しているわけだけれど、
その言語を使う人の意識と言うか感覚と言うか、
そういうものはあまり気にしていなかったことに、吉村氏の発言で気が付いた。

つまり、彼らは
 「それが幾つか」より
 まず「それが単数か複数か」
 を意識するのだろうか
と言う点である。

私自身は日本語を母語としているわけだが、数詞は平等に意識している気がする。
単数か複数か、は少なくとも、「まず」意識する事柄ではないと思うのだが。。。

このテーマ、どこかで書かれている話かもしれない。
私の中では昨夜関心が湧いたばかりのことで、もうしばらく考えを遊ばせてみよう。
 

2013年4月15日月曜日

30年前の今日は雨だった

30年前、1983年4月15日は、東京ディズニーランド、オープンの日。
土砂降りの雨だった。

オリエンタルランドの運営部オフィスに出勤したものの、ほとんど仕事はなく、
しかしこの雨だし、と結局パーク内には出て行かなかったのだと思う。

そこではその半年ほど前から通訳として仕事をしていた。
TDLオープンは、なにしろ本場のディズニーランドをそのまま持ってくる、
という一大プロジェクトだったから、アメリカからスタッフが大量にやってきて、
彼らのための通訳もかなりの人数が働いていた。
中には「これでいいですか?」「いいです」くらいしかできない人もいれば、
社長はじめトップの会議の通訳をする人もいて、さながら通訳のショーケースでもあった。

学生時代の仲間に誘われて、私もその一人となり、横浜から浦安まで毎日通った。
オープン前の一か月は仕事が深夜に及ぶこともあり、
何回かはアメリカ人スタッフの家に泊めてもらったりした。

私が主に仕事をしていたのは、ファンタジーランドの運営で、
オープンに向けて、完成して建設から引き渡されたアトラクションから順に、
アメリカ人スタッフによる日本人スタッフ(キャスト)の訓練を行うために、
マニュアルを日本語化したり、トレーニングの通訳をしたりしていた。
私は主にファンタジーランドを担当していたので、ピノキオや白雪姫、
いまはないミッキーマウスレビュー、スモールワールドは、裏も表も良く知っている。
スモールワールドでは、避難訓練のためにウエイダーを着て水路に入ったり、
点検のため天井裏のキャットウォークを歩いたり、
そうそう、屋根に上がって花火の燃えカスが落ちてるのも見たっけ。

facade, mural, topiaryなんて単語を覚えたのもここでだったし、
merry-go-round と carousel の違いを知ったのもTDLだ。

開場前のパークでひとりでダンボに乗ってる写真が社内報に出たり(笑)
(ゲストを入れる前に試運転するのだが、そのとき一度乗せてもらったのだ。
 ダンボは、ひとたびオープンしたらものすごい人気で、二度と乗ることができなかったからあの時乗っておいてよかったと、つくづく思ったものだ)

めでたくグランドオープンを迎えた時、私たちのような派遣スタッフも含めて全員に配られたのがこれ。
 


 


そんなに大事に仕舞ってたわけではないので紙が黄ばんでるけど、中のメッセージとメダルの裏面がこちら。





あのころ、アメリカ人スタッフが口を酸っぱくして日本人に教えていたことに
 Everyday is the Grand Opening Day.
というフレーズがあった。
自分たちにとっては繰り返しの仕事でも、やってくるお客さん(ゲスト)にとっては初めての体験なのだから、毎日がグランドオープンの日と考えて対応しなければいけない、ということ。

その後何度か訪れたTDLで、当時から数えて何代目にもなるであろうキャストが
私の口からかつて教えたとおりに仕事をしているのを見ると、とても嬉しかった。

今のスタッフたちも、きょうは改めて、新しい気持ちで1日を過ごしたのかな。

2013年4月1日月曜日

Shall we dance?

というタイトルの映画がヒットして、社交ダンスが流行り、
でも、社交ダンスはあんまり「社交」はしてなくて「競技」に熱心なのがいやになってタンゴに来た、
という人に結構会ったことがある。

それはともかく、このフレーズが昨日ふと頭に浮かんで思ったこと。
英語より日本語の方がweの意識が強い言語だけど、ここは英語もweなんだ。
たぶんそれは、この言葉をかける以前に、アイコンタクトや会話でweの関係性が成立しているからだと思う。

翻って日本語で誘うときは何と言っているかというと、
もちろん、「踊りませんか」「踊って頂けますか」もあるけど、結構聞くのは「お願いします」だ。

なんで「お願いします」なんだ?

社交ダンスとか他のダンスのことは知らないので、あくまでミロンガでの話だけど、
「踊りましょう」と誘うのに「お願いします」と言い、「ハイ喜んで」と答えるつもりで「お願いします」
って言ってないか?

少なくとも私は、そう言いなさいと教わったわけでもないのに、けっこう「お願いします」を使っている。
でも、考えてみると「お願いします」じゃ
 剣道の対戦とか
 囲碁の対局とか
 そうそう、中学の時やっていたバレーボールのレシーブ練習とか
みたいじゃあないか。

「よろしくお願いします」の省略形だったとしても、なんかタンゴにそぐわない感じがしてきた。

もうちょっと気の利いた受け方を考えてみよう。

そういえば某サロンの人たちはあまり「お願いします」と言っていない気が。。。
今度もっと注意して見てみようっと。


2013年3月28日木曜日

スイセンとかハトとかカメとか

日本語のニュースを英語にする、という仕事をしていると、
この時期「どこそこで、○○の花が見ごろを迎えました」と言った話題がよく登場する。

少し前の2月ごろ登場するのが「スイセン」。
これを英語にするときは注意が必要。
ラッパスイセン、キスイセンならdaffodilだけど、白くて小さい日本スイセンはNarcissusと、
英語では違う単語になる。うっかり思い込みでdaffodils と書いてしまって、
読もうとしたアナウンサーが画面を見て愕然とした、ということも過去にあった。

同様に、「ハト」も鬼門だ。
たぶん学校では、ハト=pigeon と習うから、まず頭に浮かぶのはこの単語だろう。
しかーし!「平和の象徴、ハト」となると、pigeon ではマズイ。
そう、石鹸のブランド名にもなっている dove という言葉が、あの白い尾羽の多い鳥を指す。
こういうのが同時通訳中に出てくるのと、困る。
映像に映っていてくれればいいけれど、そうでない状況で
「ハトがたくさん集まって・・・」
と始まれば、つい
"We see many pigeons here."
とかやってしまい、そのあとで
「ハトは平和の象徴です」
と言われても、後の祭りなのだ。

ついでに言えば、「カメ」だって危ない。
tortoise か turtle か。
え、どう違うかって?
tortoise は陸生、turtle は水生の亀を指すとされているけれど、
実際の用例を見ると、どちらの語も「カメ全体」を指して使われることもある。
でも、ガラパゴスゾウガメは tortoise で、ウミガメは turtle なのだ。

私が修士をとったUniversity of Maryland のマスコットもカメだった。
それはterrapin で、縮めて Maryland Terps というと、大学のスポーツチームのことだった。
このterrapinは北米の淡水や半塩水に住む食用ガメのことだけど、
そんなことはMaryland に行くまで知らなかったのは言うまでもない。