土砂降りの雨だった。
オリエンタルランドの運営部オフィスに出勤したものの、ほとんど仕事はなく、
しかしこの雨だし、と結局パーク内には出て行かなかったのだと思う。
そこではその半年ほど前から通訳として仕事をしていた。
TDLオープンは、なにしろ本場のディズニーランドをそのまま持ってくる、
という一大プロジェクトだったから、アメリカからスタッフが大量にやってきて、
彼らのための通訳もかなりの人数が働いていた。
中には「これでいいですか?」「いいです」くらいしかできない人もいれば、
社長はじめトップの会議の通訳をする人もいて、さながら通訳のショーケースでもあった。
学生時代の仲間に誘われて、私もその一人となり、横浜から浦安まで毎日通った。
オープン前の一か月は仕事が深夜に及ぶこともあり、
何回かはアメリカ人スタッフの家に泊めてもらったりした。
私が主に仕事をしていたのは、ファンタジーランドの運営で、
オープンに向けて、完成して建設から引き渡されたアトラクションから順に、
アメリカ人スタッフによる日本人スタッフ(キャスト)の訓練を行うために、
マニュアルを日本語化したり、トレーニングの通訳をしたりしていた。
私は主にファンタジーランドを担当していたので、ピノキオや白雪姫、
いまはないミッキーマウスレビュー、スモールワールドは、裏も表も良く知っている。
スモールワールドでは、避難訓練のためにウエイダーを着て水路に入ったり、
点検のため天井裏のキャットウォークを歩いたり、
そうそう、屋根に上がって花火の燃えカスが落ちてるのも見たっけ。
facade, mural, topiaryなんて単語を覚えたのもここでだったし、
merry-go-round と carousel の違いを知ったのもTDLだ。
開場前のパークでひとりでダンボに乗ってる写真が社内報に出たり(笑)
(ゲストを入れる前に試運転するのだが、そのとき一度乗せてもらったのだ。
ダンボは、ひとたびオープンしたらものすごい人気で、二度と乗ることができなかったからあの時乗っておいてよかったと、つくづく思ったものだ)
めでたくグランドオープンを迎えた時、私たちのような派遣スタッフも含めて全員に配られたのがこれ。
そんなに大事に仕舞ってたわけではないので紙が黄ばんでるけど、中のメッセージとメダルの裏面がこちら。
あのころ、アメリカ人スタッフが口を酸っぱくして日本人に教えていたことに
Everyday is the Grand Opening Day.
というフレーズがあった。
自分たちにとっては繰り返しの仕事でも、やってくるお客さん(ゲスト)にとっては初めての体験なのだから、毎日がグランドオープンの日と考えて対応しなければいけない、ということ。
その後何度か訪れたTDLで、当時から数えて何代目にもなるであろうキャストが
私の口からかつて教えたとおりに仕事をしているのを見ると、とても嬉しかった。
今のスタッフたちも、きょうは改めて、新しい気持ちで1日を過ごしたのかな。
2 件のコメント:
こんばんは! 私は、ディズニー・シーのオープニングの時に、ちょうど社内翻訳やってました! 奇遇です!!^^
Kogumaさん、
そうなんですね!タンゴの仲間もシーの始めの頃いたといってましたから、ご存じかも。
私はシーには足を踏み入れたことがありません。TDLしかなかったころしか知らないんです(汗)
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