北九州・福岡を拠点に活躍するタンゴバンド、トリオ・ロス・ファンダンゴスと、私のダンスの師匠ケンジ&リリアナ先生が12年間続けてきた「タンゴの節句ツアー」が今年もたけなわである。
五月五日の端午の節句にタンゴをかけたこの「タンゴショー」、とにかくタンゴの楽しさがわかる、
演奏とダンスと歌、そして軽妙なトークの、他に例を見ないステージが、GW期間福岡から広島まで、各地で展開される。
トリオ・ロス・ファンダンゴスを知らない方は
トリオ・ロス・ファンダンゴスのプロフィール
をどうぞ。
彼らとは、2005年、夫の友人であり世界で活躍するベーシスト、齋藤徹さんとファンダンゴスが横浜で演奏するのを聞きに行き、そこで夫が録った録音がCD Trio Los Fandangos 3に採用されて以来の付き合いだ。
「タンゴの節句」も見に行きたいとずっと思っていたが、夫の楽団も毎年この時期コンサートをしていたので、なかなか行くことができなかった。
去年、夫の病気がわかったとき、私は「身体が動くうちにブエノスアイレスに行こう」と言ったのだが、おりしも年度末、人事異動への影響や仕事上の都合もあり、それは困難だった。
医師は、「半年後は無理、3か月後はわからない」と言う意見。
そして夫は
ブエノスには行かなくていいから、タンゴの節句に行こう
と言った。
ブエノスに一番近い、ブエノスのエスプリを、タンゴの真髄を、日本で一番持っているバンドがトリオ・ロス・ファンダンゴスなのだから、ブエノスの次に来る選択は彼らであって当然だ。
そして去年、九州の親戚を訪ねた足で、北九州の公演を見る(聞く)ことができた。
毎年、そして公演ごとに変化・進化してきた「タンゴの節句」、ものすごく楽しかった。
今年は、タンゴ歌手西澤守氏を迎えてさらにパワーアップした「タンゴの節句」、
口開けの福岡公演はUst中継され、その時間を共有することができたうえ、
FBのお蔭で出演者、スタッフとも交流できているのがありがたい。
公演の様子はケンジさんのブログ
をどうぞ。
このあと以下の公演が予定されている。(TLFホームページより)
5月2日(木)
【広島・カフェ・テアトロ アビエルト】082-873-6068
広島市安佐南区八木9-10-40
開場19:00/開演19:30
前売り3500円、当日4000円(入場の際、要ドリンクオーダー[500円])
※問合せ090-9412-3241(大槻)またはtandoku_ryokousha@yahoo.co.jp
※タンゴの節句2013唯一、完全ノーマイク生音のタンゴ!
5月3日(金)
【下関・下関酒造 酒庵「空」】083-252-0009
下関市幡生宮の下町8-23
開場15:15/開演16:00
前売り3500円、4000円
※おいしいお酒とおつまみの数々。タンゴの宴!!
5月4日(土)
【北九州・黒崎ひびしんホール】093-621-4566
北九州市八幡西区岸の浦2-1-1
開場13:30/開演14:00
前売り3500円、当日4000円
※昨夏オープンしたばかりの新しいホールで、タンゴの節句2013フィナーレ、千秋楽!!
ニュースで聞く限り、新幹線も飛行機もまだ余裕があるらしいし、
ブエノスよりぐっと近い広島、下関、小倉で、ブエノスに一番近い音が聞けるのだ。
お近くの方も、遠くの方も、GW後半の予定が空いていたらぜひお出かけあれ。
2013年4月30日火曜日
2013年4月26日金曜日
不思議な人々
昨日で今月の仕事が終わり、連休。
そして、5月は休みを取ったので、36日間の休暇に突入である。
休暇と言ったって、在宅療養中の病人のケアに休みはないから完全に休みではないが、
この1年余、まとまった時間が取れないことで積み残してきたことをかなり処理することができるだろうと期待している。
とりあえず初日は、スーパー銭湯に行って年末から悩まされている腰痛&神経痛を癒し、
安売りスーパーに買い出しに行こう、と計画していたのだが・・・
夫が利用しているサービス事業体に「訪問看護ステーション」というものがある。
医師の指示のもと、看護師や作業療法士、理学療法士などを、在宅療養中の利用者に派遣する、というものである。
去年6月に在宅療養に入る際、大学病院から紹介されて利用を始め、
今は看護師週2回、作業療法士、理学療法士各週1回来てもらっていたところが、
先々週(4/12)になって、今月いっぱいでうちに来るのをやめたい、と言ってきた。
担当看護師が「私が内勤になるので」別の事業所の看護師を紹介するというのだが、
それだけでは問題がある。
今の法制度の中では、「同じ日に複数の看護ステーションが入ることはできない」から、看護師が交代してしまうと、前の事業所から来ていた療法士が同じ日に入ることができず、夫はリハビリを受けられなくなってしまうのだ。
従って、「やめる」というのは受け入れられない旨伝えていたが、
4/19に紹介したいという看護ステーションの代表を連れてやってきた。
夫はその人と別途時間をとって話を聞き、お願いしても大丈夫だと確認はしたものの、
リハビリの継続や、新しいステーション側でも今の人に残って加わって欲しいという意向がある、などの課題が解決しないため、一昨日4/24に看護師が来たときにもう一度継続を依頼したが、
それは難しいというような話だったので、
やめるなら責任者に納得のいく説明をしてもらいたい、と要請し、看護師が持ち帰って返答する、ということになった。
ここまでの先方とのやり取りは、すべて夫が自分でしていて、私は関わっていないが、
責任者が来るときは同席しなければ、と思っていた。
次の来訪日がきょうだったわけだが、今朝になっても、責任者が来るのか来ないのか、
来るならいつなのか、という連絡はなかったので、「きょうはないもの」と判断し、
スーパー銭湯行を目論んでいたわけだ。
あれやこれやしている内に看護師が来る時間になり、やってきたF看護師に夫が
「きょうはひとり?」と聞くと、「あとから来ます」とのこと。
誰が何時に来る、とは言わない。
きっと責任者が間もなく来るのだろう、と思い、銭湯は断念して待つことにしたが、
1時間経過しても誰も来ないので、「いつ来るの?」と聞くと、
3時半ごろには、ってもう過ぎてるし。
そうこうするうちに、療法士も自分の仕事をしにやってきた。
彼に聞いても「今向かっています、ハイ」。なんなんだ。
そしてF看護師は自分の仕事が終わったので事務所に帰ると言う。
え?来週来るのか来ないのか結論出てないのに?
もう来ないなら、それなりに、ご挨拶もするんじゃないの?
きょうの連絡をして来なかったことについて、未だ何も言ってもらってないし、
蕎麦屋の出前みたいな人が来るまで、ここにいるべきなんじゃない?
結局責任者がやってきたのは、さらに10分以上あとだったか。
この責任者、S会G訪問看護ステーションの山本所長なのだが、
この4月に着任したばかり、うちにくるのは初めてだが、挨拶は、
「初めまして~、山本ですぅ」だけだった。
これまで、看護師やらヘルパーやら業者やら、何人もの人たちがうちに来たけれど、
ヘルパーを含めて名刺を出さなかったのはこの人が初めてだ。しかも所長。。。
山本氏、「説明をしにきたんでしょ」と言われるまで、なにも言わない。
そして口を開いたかと思うと
「次の看護ステーションが見つかりましたので、5月からお宅に来ることはできません」
と言う。それって、説明じゃないでしょ、
どうしてくることができないのか、説明して下さい。
「ですから、次の看護ステーションが見つかりましたので、5月からお宅に来ることはできません」
来られないという状況があって、替わりを探して、見つかったから手を引く、
というのが普通の流れじゃないのか、
だとすれば、なぜ来られなくなったのか、と聞いても、
「次の看護ステーションが見つかりましたので、5月からお宅に来ることはできません」
を繰り返す。責任者に説明して欲しいから来てもらったのに、
これじゃだめだよね、というと、
「私は説明に来たのではありません、宣言しに来たのです」
と来た!えええええ?
サービスの継続・停止は利用者の意向が尊重されるべきではないのか、と言えば、
「いいえ、事業者も主体です。会社がそう決めましたので、そういたします」
である。
通常こうしたサービスを受ける場合は、契約書を取り交わすし、
それがないとサービスは提供されない。
サービスの停止についてはひと月の猶予をもって書面で通告するのが常識ではないか、
というと「看護の場合はそういうことはありません!」と断言。そうなのか?
生憎契約書が手元になかったので、その根拠を文書できちんと示すように求めたが、
やるともやらないとも言わない。
夫も私も、いろいろ言い方を変えてアプローチしたのだが、
山本氏は人の発言を途中で遮り、オウムのように同じことを繰り返すばかりのうえ、
看護師も療法士も、上司には逆らえないとばかりにじっとだんまりで、
こちらも呆れて何も言えなくなった。
なんだか、とにかくうちの仕事をやめたがっているような感じだったけど、
こちらとしては別にその本当の理由を知りたいわけではなく、
こんなに急に「やめます」ということの理不尽さを認め、
「人の手当てがどうしてもつきませんので」とか「経営上の理由で」とか、
もっともらしいことを言ってくれればよかったのだけれど、
そういう普通のやりとりがまったくできなかった。
お蔭でますます、そういうヘンな態度をとるのが、人物の問題なのか、
会社の問題なのか、別の何かがあるのか、勘繰りたくなってしまった。
しばらく無言で対峙していたところ、この山本氏
「それでは私たちはそろそろおいとまさせて頂きます」と言い出す始末。
それを言うにしても、まともな人間なら
「この度は利用者様にもご迷惑おかけすることになりますがなにとぞ。。。」
とか前置きをするものだと思うが、一切なしなのだ。
結局夫がF看護師の方に話をふり、少し言葉を引き出したうえで、
いかに彼女が夫の信頼を損ない、落胆させたか、というところは伝え、
夫が「おいとましたいならさっさと帰れ」と言ったら、
「それでは失礼いたします」
と帰って行った。。。。 挨拶なしかよ。。。。
「これまでご利用ありがとうございました。どうぞお大事になさってください」
くらい言えないの?
あとからいろいろ思い返しても、彼らの対応は不思議だったとしか言いようがない。
こういうとき、若いころなら、自分が嫌な思いをしたことの腹立たしさが残るのだろうけれど、
そういうことは今はあまり感じなくて、どうしてああなっちゃうんだろうなあ、
ああいう上司の下で働くのは可哀そうだなあ、ああいうのばっかりだと世も末だなあ、
とかいうことを思う。
これまでもいろんな事業者やサービスマン、ヘルパー、看護師に呆れることはいっぱいあったけど、その中でも今日のケースは際立っていた。
それにしても・・・
連休の混雑が始まる前に天然温泉スーパー銭湯に行き損ねたのは残念だ。
そして、5月は休みを取ったので、36日間の休暇に突入である。
休暇と言ったって、在宅療養中の病人のケアに休みはないから完全に休みではないが、
この1年余、まとまった時間が取れないことで積み残してきたことをかなり処理することができるだろうと期待している。
とりあえず初日は、スーパー銭湯に行って年末から悩まされている腰痛&神経痛を癒し、
安売りスーパーに買い出しに行こう、と計画していたのだが・・・
夫が利用しているサービス事業体に「訪問看護ステーション」というものがある。
医師の指示のもと、看護師や作業療法士、理学療法士などを、在宅療養中の利用者に派遣する、というものである。
去年6月に在宅療養に入る際、大学病院から紹介されて利用を始め、
今は看護師週2回、作業療法士、理学療法士各週1回来てもらっていたところが、
先々週(4/12)になって、今月いっぱいでうちに来るのをやめたい、と言ってきた。
担当看護師が「私が内勤になるので」別の事業所の看護師を紹介するというのだが、
それだけでは問題がある。
今の法制度の中では、「同じ日に複数の看護ステーションが入ることはできない」から、看護師が交代してしまうと、前の事業所から来ていた療法士が同じ日に入ることができず、夫はリハビリを受けられなくなってしまうのだ。
従って、「やめる」というのは受け入れられない旨伝えていたが、
4/19に紹介したいという看護ステーションの代表を連れてやってきた。
夫はその人と別途時間をとって話を聞き、お願いしても大丈夫だと確認はしたものの、
リハビリの継続や、新しいステーション側でも今の人に残って加わって欲しいという意向がある、などの課題が解決しないため、一昨日4/24に看護師が来たときにもう一度継続を依頼したが、
それは難しいというような話だったので、
やめるなら責任者に納得のいく説明をしてもらいたい、と要請し、看護師が持ち帰って返答する、ということになった。
ここまでの先方とのやり取りは、すべて夫が自分でしていて、私は関わっていないが、
責任者が来るときは同席しなければ、と思っていた。
次の来訪日がきょうだったわけだが、今朝になっても、責任者が来るのか来ないのか、
来るならいつなのか、という連絡はなかったので、「きょうはないもの」と判断し、
スーパー銭湯行を目論んでいたわけだ。
あれやこれやしている内に看護師が来る時間になり、やってきたF看護師に夫が
「きょうはひとり?」と聞くと、「あとから来ます」とのこと。
誰が何時に来る、とは言わない。
きっと責任者が間もなく来るのだろう、と思い、銭湯は断念して待つことにしたが、
1時間経過しても誰も来ないので、「いつ来るの?」と聞くと、
3時半ごろには、ってもう過ぎてるし。
そうこうするうちに、療法士も自分の仕事をしにやってきた。
彼に聞いても「今向かっています、ハイ」。なんなんだ。
そしてF看護師は自分の仕事が終わったので事務所に帰ると言う。
え?来週来るのか来ないのか結論出てないのに?
もう来ないなら、それなりに、ご挨拶もするんじゃないの?
きょうの連絡をして来なかったことについて、未だ何も言ってもらってないし、
蕎麦屋の出前みたいな人が来るまで、ここにいるべきなんじゃない?
結局責任者がやってきたのは、さらに10分以上あとだったか。
この責任者、S会G訪問看護ステーションの山本所長なのだが、
この4月に着任したばかり、うちにくるのは初めてだが、挨拶は、
「初めまして~、山本ですぅ」だけだった。
これまで、看護師やらヘルパーやら業者やら、何人もの人たちがうちに来たけれど、
ヘルパーを含めて名刺を出さなかったのはこの人が初めてだ。しかも所長。。。
山本氏、「説明をしにきたんでしょ」と言われるまで、なにも言わない。
そして口を開いたかと思うと
「次の看護ステーションが見つかりましたので、5月からお宅に来ることはできません」
と言う。それって、説明じゃないでしょ、
どうしてくることができないのか、説明して下さい。
「ですから、次の看護ステーションが見つかりましたので、5月からお宅に来ることはできません」
来られないという状況があって、替わりを探して、見つかったから手を引く、
というのが普通の流れじゃないのか、
だとすれば、なぜ来られなくなったのか、と聞いても、
「次の看護ステーションが見つかりましたので、5月からお宅に来ることはできません」
を繰り返す。責任者に説明して欲しいから来てもらったのに、
これじゃだめだよね、というと、
「私は説明に来たのではありません、宣言しに来たのです」
と来た!えええええ?
サービスの継続・停止は利用者の意向が尊重されるべきではないのか、と言えば、
「いいえ、事業者も主体です。会社がそう決めましたので、そういたします」
である。
通常こうしたサービスを受ける場合は、契約書を取り交わすし、
それがないとサービスは提供されない。
サービスの停止についてはひと月の猶予をもって書面で通告するのが常識ではないか、
というと「看護の場合はそういうことはありません!」と断言。そうなのか?
生憎契約書が手元になかったので、その根拠を文書できちんと示すように求めたが、
やるともやらないとも言わない。
夫も私も、いろいろ言い方を変えてアプローチしたのだが、
山本氏は人の発言を途中で遮り、オウムのように同じことを繰り返すばかりのうえ、
看護師も療法士も、上司には逆らえないとばかりにじっとだんまりで、
こちらも呆れて何も言えなくなった。
なんだか、とにかくうちの仕事をやめたがっているような感じだったけど、
こちらとしては別にその本当の理由を知りたいわけではなく、
こんなに急に「やめます」ということの理不尽さを認め、
「人の手当てがどうしてもつきませんので」とか「経営上の理由で」とか、
もっともらしいことを言ってくれればよかったのだけれど、
そういう普通のやりとりがまったくできなかった。
お蔭でますます、そういうヘンな態度をとるのが、人物の問題なのか、
会社の問題なのか、別の何かがあるのか、勘繰りたくなってしまった。
しばらく無言で対峙していたところ、この山本氏
「それでは私たちはそろそろおいとまさせて頂きます」と言い出す始末。
それを言うにしても、まともな人間なら
「この度は利用者様にもご迷惑おかけすることになりますがなにとぞ。。。」
とか前置きをするものだと思うが、一切なしなのだ。
結局夫がF看護師の方に話をふり、少し言葉を引き出したうえで、
いかに彼女が夫の信頼を損ない、落胆させたか、というところは伝え、
夫が「おいとましたいならさっさと帰れ」と言ったら、
「それでは失礼いたします」
と帰って行った。。。。 挨拶なしかよ。。。。
「これまでご利用ありがとうございました。どうぞお大事になさってください」
くらい言えないの?
あとからいろいろ思い返しても、彼らの対応は不思議だったとしか言いようがない。
こういうとき、若いころなら、自分が嫌な思いをしたことの腹立たしさが残るのだろうけれど、
そういうことは今はあまり感じなくて、どうしてああなっちゃうんだろうなあ、
ああいう上司の下で働くのは可哀そうだなあ、ああいうのばっかりだと世も末だなあ、
とかいうことを思う。
これまでもいろんな事業者やサービスマン、ヘルパー、看護師に呆れることはいっぱいあったけど、その中でも今日のケースは際立っていた。
それにしても・・・
連休の混雑が始まる前に天然温泉スーパー銭湯に行き損ねたのは残念だ。
2013年4月24日水曜日
我が家の猫物語(5)みいみちゃん
次々に我が家にやってくる猫の多くを産んで供給していたと思われるのが
みいみちゃんである。
みいみちゃんである。
みいみちゃんは、我が家の裏の家から3軒坂を下りた所のKさん宅の縁の下に住んでいて、
そこには、私たちが引っ越してくる前から、数匹の猫が出入りしていた。
ウッシーがいなくなる前後の年度、我が家は自治会の班長で、
Kさんもそちらの班の班長だった。
夫が、月一回の会合の行き帰りにKさんと一緒になると猫の話になり、
うちに来る猫たちの別の顔も知ることになった。
「みいみちゃんは、ミーヤって呼ばれてるらしいよ」
「チビちゃんは、怪我をしていたのをKさんの子どもが保護したけど、
だめだったんだって」
「クンクンは、ポン太なんだって」
ウッシーがいなくなったのが1月。春が来て、
一時期姿を見せていなかったオス猫たちも戻ってきたりして、
猫小屋にもいろいろな子が出入りするようになった。
年度も替わり、班長も終わったのでKさんにも会わなくなっていたころ、
ふと気がつくと、みいみちゃんがほぼ毎日うちでごはんを食べている。
うちの猫小屋ではあまり寝ていないようだったが、
それまでは毎日来るわけではなかったのに、毎日来ている。
ある日、Kさんの家の前を通ってその訳がわかった。
Kさんは、引っ越してしまっていたのだ!!うちに黙って。
夏が近づき、みいみちゃんのお腹はまた大きくなってきていた。
(つづく)
おまけ
20009年11月頃の猫レストラン
奥から、ポン太(脚が悪いので横に出している)、みいみちゃん、ブッチー
2013年4月21日日曜日
寝不足
いつも寝不足である。
このごろ就寝は午前3時、起床は午前8時半から9時半、という日が多い。
何時間睡眠時間が必要か、は、人によって違う。
そういうことを意識し出したのは10代の頃だが、私は8時間睡眠が理想で、
試験勉強も、睡眠時間から逆算して残った時間でできるだけやるというタイプだった。
(今のニュースの仕事が性に合っているのは、
この、「残り時間でやりとげる」という志向のせいかもしれない。)
夫は、3、4時間睡眠でも十分活動できる人だから、
元気だったころは、朝は一人で起きて朝食を作って食べて出かけて行ったし、
終電まで踊ってなかなか帰って来ないときは、こちらはさっさと風呂に入って寝てしまっていた。
いま、夫はひとりで起き上がって移動することはできないから、
どうしても私が先に起きて準備を整えてから夫を起こし、
寝る時も、夫を寝かせてから私がやすむことになる。
私が8時間寝ようとすると夫に10時間以上横になっていてもらわねばならないし、
そもそも生活上そこまでの時間の余裕はないので、睡眠時間6時間程度、
という毎日になる。
病気になる前も、ミロンガに行ったりして夜遅くなり、翌日予定があって8時間寝られない日、というのはあったけれど、そういう時はその次の日にゆっくり寝る、ということができた。
今は、夫の体調のためにも、あまり大きく生活のリズムを崩さないようにしている。
身体のリズムが狂ってしまったときの対応の大変さを考えると、
私が寝不足を我慢する方がずっとましなのだ。
看護や介護のサービスは色々あって、できるだけ利用しているけれど、
起床・就寝というもっともプライベートな時間帯に他人が介入することは難しく、
こればっかりはどうにもならないのがつらいところだ。
まあ、それでも、夫が病気になってからもまだ勤めに行っていた頃は、
就寝から4時間ほどで起きて夫を車で送るところまでサポートし、
帰ってきてまた2時間くらい寝る、という日々だったから、
それに比べればいまはだいぶ落ち着いている。
ずっと以前だったら、これだけ寝不足が続けば確実に風邪を引いて寝込んでいたのに、
この1年余り、風邪ひとつひかずにやって来られているのは、もう、
主の憐み以外の何物でもなく、ただただ、神に感謝、である。
このごろ就寝は午前3時、起床は午前8時半から9時半、という日が多い。
何時間睡眠時間が必要か、は、人によって違う。
そういうことを意識し出したのは10代の頃だが、私は8時間睡眠が理想で、
試験勉強も、睡眠時間から逆算して残った時間でできるだけやるというタイプだった。
(今のニュースの仕事が性に合っているのは、
この、「残り時間でやりとげる」という志向のせいかもしれない。)
夫は、3、4時間睡眠でも十分活動できる人だから、
元気だったころは、朝は一人で起きて朝食を作って食べて出かけて行ったし、
終電まで踊ってなかなか帰って来ないときは、こちらはさっさと風呂に入って寝てしまっていた。
いま、夫はひとりで起き上がって移動することはできないから、
どうしても私が先に起きて準備を整えてから夫を起こし、
寝る時も、夫を寝かせてから私がやすむことになる。
私が8時間寝ようとすると夫に10時間以上横になっていてもらわねばならないし、
そもそも生活上そこまでの時間の余裕はないので、睡眠時間6時間程度、
という毎日になる。
病気になる前も、ミロンガに行ったりして夜遅くなり、翌日予定があって8時間寝られない日、というのはあったけれど、そういう時はその次の日にゆっくり寝る、ということができた。
今は、夫の体調のためにも、あまり大きく生活のリズムを崩さないようにしている。
身体のリズムが狂ってしまったときの対応の大変さを考えると、
私が寝不足を我慢する方がずっとましなのだ。
看護や介護のサービスは色々あって、できるだけ利用しているけれど、
起床・就寝というもっともプライベートな時間帯に他人が介入することは難しく、
こればっかりはどうにもならないのがつらいところだ。
まあ、それでも、夫が病気になってからもまだ勤めに行っていた頃は、
就寝から4時間ほどで起きて夫を車で送るところまでサポートし、
帰ってきてまた2時間くらい寝る、という日々だったから、
それに比べればいまはだいぶ落ち着いている。
ずっと以前だったら、これだけ寝不足が続けば確実に風邪を引いて寝込んでいたのに、
この1年余り、風邪ひとつひかずにやって来られているのは、もう、
主の憐み以外の何物でもなく、ただただ、神に感謝、である。
2013年4月19日金曜日
我が家の猫物語(4)ウッシー
ふーちゃんとチャカの子どもたちが次第に大きくなり、活動範囲が広くなるとともに、
猫小屋にいつもみんな帰ってくるのではなく、それぞれ別の時間にやってきては寝ていたり、 戻ってこなかったり、と、次第に姿を見せなくなっていった。
オス猫は、やはりメスを求めて移動するようで、何ヶ月かして戻ってきた猫もあるので、 回遊しているのかもしれない。
そんな中で、ふーチャカの子猫で小屋に残ったのがウッシーである。
玄関前に住んでいるのだからうちの猫のようなものなのだが、触らせてはくれないし、
どうも他のうちでもいい顔しているらしく、うちでご飯を食べなくても平気でいた。
そのうち、ウッシーの後に生まれた若い猫たちがやってくるようになり、
雉トラの「クッキー」、黒白の「べえ」、白にグレーのぶちの「クンクン」が常連となった。
当時我が家では、「一番安いカリカリ」と「安売りの牛乳」を出していたのだが、
この4匹にはちょっと愛着がわき、缶詰も(一番安いやつ)買って、
4匹そろったら食べさせる、ということもやっていた。
みんなオスだったので、成長とともにウッシーを残してまた去っていき、
今度は前髪で見分ける「チップとデール」
それにポコちゃんがやってきた。
この子たちは良く慣れて、リビングの方にも入ってきて、夫のうたたねに付き合ったりしていた。

ウッシーもオスだったが、3年ほど猫小屋に住んでいた。
このまま居つくのか、と思われた2004.1.12
(日付を覚えているのは、ちょっとしたイベントに出かけた日だったから)
帰ってみるとウッシーがおらず、この日を境に、ウッシーとポコちゃんの姿を見なくなった。
猫でも駆け落ちするのだろうか、と思ったものだ。
駆け落ちなら良いが、猫捕りにつかまったのでは、と心配してもどうにもならない。
いなくなるひと月前くらいからは触ったりだっこしたりもさせてくれていたので、
なぜあのタイミングでいなくなったのかはなぞのままだ。
以来、時々思い出しては、「ウッシーどうしてるかね」と夫と話していたのだが、
5年後の2009年秋、偶然近所でウッシーに出くわした。
小さな谷のようになっている地形の、手前のふちを歩いているのを発見し、
「ウッシー、ウッシーでしょ?」と声を掛けたら、不思議そうに振り向いて、
遠い記憶を探るような目でこっちを見たあと、「またな」とばかりに谷の向こうに去っていった。
身体もきれいで元気にしているようだったので、5年分の気がかりが溶けて、ほっとした。
また会えるといいと思いながら、その後は会っていない。
(つづく)
猫小屋にいつもみんな帰ってくるのではなく、それぞれ別の時間にやってきては寝ていたり、 戻ってこなかったり、と、次第に姿を見せなくなっていった。
オス猫は、やはりメスを求めて移動するようで、何ヶ月かして戻ってきた猫もあるので、 回遊しているのかもしれない。
そんな中で、ふーチャカの子猫で小屋に残ったのがウッシーである。
玄関前に住んでいるのだからうちの猫のようなものなのだが、触らせてはくれないし、
どうも他のうちでもいい顔しているらしく、うちでご飯を食べなくても平気でいた。
そのうち、ウッシーの後に生まれた若い猫たちがやってくるようになり、
雉トラの「クッキー」、黒白の「べえ」、白にグレーのぶちの「クンクン」が常連となった。
当時我が家では、「一番安いカリカリ」と「安売りの牛乳」を出していたのだが、
この4匹にはちょっと愛着がわき、缶詰も(一番安いやつ)買って、
4匹そろったら食べさせる、ということもやっていた。
みんなオスだったので、成長とともにウッシーを残してまた去っていき、
今度は前髪で見分ける「チップとデール」
それにポコちゃんがやってきた。
この子たちは良く慣れて、リビングの方にも入ってきて、夫のうたたねに付き合ったりしていた。

ウッシーもオスだったが、3年ほど猫小屋に住んでいた。
このまま居つくのか、と思われた2004.1.12
(日付を覚えているのは、ちょっとしたイベントに出かけた日だったから)
帰ってみるとウッシーがおらず、この日を境に、ウッシーとポコちゃんの姿を見なくなった。
猫でも駆け落ちするのだろうか、と思ったものだ。
駆け落ちなら良いが、猫捕りにつかまったのでは、と心配してもどうにもならない。
いなくなるひと月前くらいからは触ったりだっこしたりもさせてくれていたので、
なぜあのタイミングでいなくなったのかはなぞのままだ。
以来、時々思い出しては、「ウッシーどうしてるかね」と夫と話していたのだが、
5年後の2009年秋、偶然近所でウッシーに出くわした。
小さな谷のようになっている地形の、手前のふちを歩いているのを発見し、
「ウッシー、ウッシーでしょ?」と声を掛けたら、不思議そうに振り向いて、
遠い記憶を探るような目でこっちを見たあと、「またな」とばかりに谷の向こうに去っていった。
身体もきれいで元気にしているようだったので、5年分の気がかりが溶けて、ほっとした。
また会えるといいと思いながら、その後は会っていない。
(つづく)
2013年4月15日月曜日
30年前の今日は雨だった
30年前、1983年4月15日は、東京ディズニーランド、オープンの日。
土砂降りの雨だった。
オリエンタルランドの運営部オフィスに出勤したものの、ほとんど仕事はなく、
しかしこの雨だし、と結局パーク内には出て行かなかったのだと思う。
そこではその半年ほど前から通訳として仕事をしていた。
TDLオープンは、なにしろ本場のディズニーランドをそのまま持ってくる、
という一大プロジェクトだったから、アメリカからスタッフが大量にやってきて、
彼らのための通訳もかなりの人数が働いていた。
中には「これでいいですか?」「いいです」くらいしかできない人もいれば、
社長はじめトップの会議の通訳をする人もいて、さながら通訳のショーケースでもあった。
学生時代の仲間に誘われて、私もその一人となり、横浜から浦安まで毎日通った。
オープン前の一か月は仕事が深夜に及ぶこともあり、
何回かはアメリカ人スタッフの家に泊めてもらったりした。
私が主に仕事をしていたのは、ファンタジーランドの運営で、
オープンに向けて、完成して建設から引き渡されたアトラクションから順に、
アメリカ人スタッフによる日本人スタッフ(キャスト)の訓練を行うために、
マニュアルを日本語化したり、トレーニングの通訳をしたりしていた。
私は主にファンタジーランドを担当していたので、ピノキオや白雪姫、
いまはないミッキーマウスレビュー、スモールワールドは、裏も表も良く知っている。
スモールワールドでは、避難訓練のためにウエイダーを着て水路に入ったり、
点検のため天井裏のキャットウォークを歩いたり、
そうそう、屋根に上がって花火の燃えカスが落ちてるのも見たっけ。
facade, mural, topiaryなんて単語を覚えたのもここでだったし、
merry-go-round と carousel の違いを知ったのもTDLだ。
開場前のパークでひとりでダンボに乗ってる写真が社内報に出たり(笑)
(ゲストを入れる前に試運転するのだが、そのとき一度乗せてもらったのだ。
ダンボは、ひとたびオープンしたらものすごい人気で、二度と乗ることができなかったからあの時乗っておいてよかったと、つくづく思ったものだ)
めでたくグランドオープンを迎えた時、私たちのような派遣スタッフも含めて全員に配られたのがこれ。

そんなに大事に仕舞ってたわけではないので紙が黄ばんでるけど、中のメッセージとメダルの裏面がこちら。
あのころ、アメリカ人スタッフが口を酸っぱくして日本人に教えていたことに
Everyday is the Grand Opening Day.
というフレーズがあった。
自分たちにとっては繰り返しの仕事でも、やってくるお客さん(ゲスト)にとっては初めての体験なのだから、毎日がグランドオープンの日と考えて対応しなければいけない、ということ。
その後何度か訪れたTDLで、当時から数えて何代目にもなるであろうキャストが
私の口からかつて教えたとおりに仕事をしているのを見ると、とても嬉しかった。
今のスタッフたちも、きょうは改めて、新しい気持ちで1日を過ごしたのかな。
土砂降りの雨だった。
オリエンタルランドの運営部オフィスに出勤したものの、ほとんど仕事はなく、
しかしこの雨だし、と結局パーク内には出て行かなかったのだと思う。
そこではその半年ほど前から通訳として仕事をしていた。
TDLオープンは、なにしろ本場のディズニーランドをそのまま持ってくる、
という一大プロジェクトだったから、アメリカからスタッフが大量にやってきて、
彼らのための通訳もかなりの人数が働いていた。
中には「これでいいですか?」「いいです」くらいしかできない人もいれば、
社長はじめトップの会議の通訳をする人もいて、さながら通訳のショーケースでもあった。
学生時代の仲間に誘われて、私もその一人となり、横浜から浦安まで毎日通った。
オープン前の一か月は仕事が深夜に及ぶこともあり、
何回かはアメリカ人スタッフの家に泊めてもらったりした。
私が主に仕事をしていたのは、ファンタジーランドの運営で、
オープンに向けて、完成して建設から引き渡されたアトラクションから順に、
アメリカ人スタッフによる日本人スタッフ(キャスト)の訓練を行うために、
マニュアルを日本語化したり、トレーニングの通訳をしたりしていた。
私は主にファンタジーランドを担当していたので、ピノキオや白雪姫、
いまはないミッキーマウスレビュー、スモールワールドは、裏も表も良く知っている。
スモールワールドでは、避難訓練のためにウエイダーを着て水路に入ったり、
点検のため天井裏のキャットウォークを歩いたり、
そうそう、屋根に上がって花火の燃えカスが落ちてるのも見たっけ。
facade, mural, topiaryなんて単語を覚えたのもここでだったし、
merry-go-round と carousel の違いを知ったのもTDLだ。
開場前のパークでひとりでダンボに乗ってる写真が社内報に出たり(笑)
(ゲストを入れる前に試運転するのだが、そのとき一度乗せてもらったのだ。
ダンボは、ひとたびオープンしたらものすごい人気で、二度と乗ることができなかったからあの時乗っておいてよかったと、つくづく思ったものだ)
めでたくグランドオープンを迎えた時、私たちのような派遣スタッフも含めて全員に配られたのがこれ。

そんなに大事に仕舞ってたわけではないので紙が黄ばんでるけど、中のメッセージとメダルの裏面がこちら。
あのころ、アメリカ人スタッフが口を酸っぱくして日本人に教えていたことに
Everyday is the Grand Opening Day.
というフレーズがあった。
自分たちにとっては繰り返しの仕事でも、やってくるお客さん(ゲスト)にとっては初めての体験なのだから、毎日がグランドオープンの日と考えて対応しなければいけない、ということ。
その後何度か訪れたTDLで、当時から数えて何代目にもなるであろうキャストが
私の口からかつて教えたとおりに仕事をしているのを見ると、とても嬉しかった。
今のスタッフたちも、きょうは改めて、新しい気持ちで1日を過ごしたのかな。
2013年4月11日木曜日
我が家の猫物語(3)ふーチャカの子育て
いつも連れ立ってごはんを食べに来ていたふーちゃんとチャカが、
ある日から別々に来るようになった。
ばらばらに、来てささっとごはんを食べてはいなくなる、
という日が数週間続いただろうか。
あるときふと見ると、玄関前に子猫の姿!
そーっと横の窓から覗き見。
どうやら、出産直後は交替で子猫のそばについていて、
片方ずつご飯を食べにきていたようだ。
子猫は3匹。しかし、いくら見てもどれがどっちの子かわからない。
子猫は両方からおっぱいをもらい、親猫はどの子も同じように世話をしている。
猫って共同育児するんだ
と知ったのはこのときだった。
そんなある日、台風の接近が予報されているというのに、
私が買い物に行って家に戻ると、
なんと5匹が雨を避けるように玄関ドアにはりついている。
我が家の玄関は西向きなので、台風になれば思い切り雨風が当たるのはみえている。
濡れてしまえば子猫はひどい風邪を引くだろう。これは命取りだ。
その日は夕方から実家に行くことになっていたので、
実家近くのペットショップに寄ってみると、
幸い頃合いの大きさの樹脂製ペットキャリーがイチキュッパで出ていたので、
「これぞ天の配剤」とばかりに即購入。
帰宅して、相変わらず雨宿りをしている猫たちを確認し、
早速ありあわせのビニール風呂敷などでキャリーの隙間をふさぎ、
中には新聞紙と梱包用のプチプチ、タオルを入れた。
玄関前には畳一畳ほどの土の部分があり、そこにはヒイラギの木が植えてあるのだが、
その根元にキャリー→猫小屋を設置。
無事に台風に濡れずに一晩を過ごすことができた。
かくして、ここがふーチャカ一家の根城となった。
(人はそれを、外猫というだろう)
子猫は勝手口のコンクリートの段差をジャンプできないだろうと、
玄関にごはんを出してやったり、まあ、なんだかんだと世話を焼いたおかげで、順調に成長し、
のちには勝手口からキッチンに入ってもりもりごはんを食べるまでに育つことになる。 (づつく)
ある日から別々に来るようになった。
ばらばらに、来てささっとごはんを食べてはいなくなる、
という日が数週間続いただろうか。
あるときふと見ると、玄関前に子猫の姿!
そーっと横の窓から覗き見。
どうやら、出産直後は交替で子猫のそばについていて、
片方ずつご飯を食べにきていたようだ。
子猫は3匹。しかし、いくら見てもどれがどっちの子かわからない。
子猫は両方からおっぱいをもらい、親猫はどの子も同じように世話をしている。
猫って共同育児するんだ
と知ったのはこのときだった。
そんなある日、台風の接近が予報されているというのに、
私が買い物に行って家に戻ると、
なんと5匹が雨を避けるように玄関ドアにはりついている。
我が家の玄関は西向きなので、台風になれば思い切り雨風が当たるのはみえている。
濡れてしまえば子猫はひどい風邪を引くだろう。これは命取りだ。
その日は夕方から実家に行くことになっていたので、
実家近くのペットショップに寄ってみると、
幸い頃合いの大きさの樹脂製ペットキャリーがイチキュッパで出ていたので、
「これぞ天の配剤」とばかりに即購入。
帰宅して、相変わらず雨宿りをしている猫たちを確認し、
早速ありあわせのビニール風呂敷などでキャリーの隙間をふさぎ、
中には新聞紙と梱包用のプチプチ、タオルを入れた。
玄関前には畳一畳ほどの土の部分があり、そこにはヒイラギの木が植えてあるのだが、
その根元にキャリー→猫小屋を設置。
無事に台風に濡れずに一晩を過ごすことができた。
かくして、ここがふーチャカ一家の根城となった。
(人はそれを、外猫というだろう)
子猫は勝手口のコンクリートの段差をジャンプできないだろうと、
玄関にごはんを出してやったり、まあ、なんだかんだと世話を焼いたおかげで、順調に成長し、
のちには勝手口からキッチンに入ってもりもりごはんを食べるまでに育つことになる。 (づつく)
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