2013年8月30日金曜日
我が家の猫物語(17)豆千代
(ちょっといやな話です。気の弱い人は読まないでください。)
前回はこちら
数週間後、
それまで連れ立ってごはんを食べにきていたみいみちゃんときさんたが
一匹ずつしかやって来なくなった。
どうやら、うちではなく、どこか別の場所で出産し、一緒に面倒を見ながら
交代でごはんを食べに来たようだ。
その後しばらくすると、
日中3~4匹(よく覚えていない)の仔猫を連れてくるようになったが、
うちの小屋に落ち着くことはなく、またどこかへ行ってしまった。
ある朝、出かけようとした夫がとんでもないものを発見した。
「玄関の前に、猫の脚みたいなのが落ちてる!」
私はそれを見なかったのだが、どうやら仔猫の死骸の一部らしい。
なんなんだ?なぜ玄関前に、脚だけ?
その後のことは、実はあまり覚えていない。
記憶しているのは、食いちぎられたような仔猫の死体を二匹家の周りで見つけ、
片付けたことだ。
このころ私は、仕事のこと、実家の家族のこと、知人の病気など、
落ち着かないことが続いていたし、
例の困ったペットシッターの一件が起きたのは、この直後のことだったのだ。
そんななかで、いやな記憶はどこかに押しやってしまったのだろう。
そしてまた、みいみちゃんときさんた、弁慶がご飯を食べにくる日々が戻ってきた。
猫というのは、放っておくと年に4回妊娠可能なのだそうだ。
そのころはそんなことは知らなかった。
きさんたをなんとかしなければ、またどんどん子どもを産んでしまう、と思いつつも、
としはまだ何度も頻尿、血尿を繰り返していたし、そのほかのもろもろもあり、
手が回らないうちに、秋になると、またきさんたとみいみちゃんが妊娠、
そして、またどこかで出産し、二匹で交互にごはんを食べに来るようになった。
その日、家の中の猫たちが突然騒ぎ出して、窓の外を見ているので、
なにごとかと覗いてみると、なんと、 仔猫が6匹!
柄もばらばらなら、いったいどれとどれがみいみちゃんの子で、
どれがきさんたの子かもわからない。
どれも見るからに弱々しく、育ちそうもない感じだ。
表の猫小屋と裏の別荘は、死骸の一件以来、怖くてずっと放ってあったのだが、
これから寒くなるので今度は入居するかもしれないと思い、
勇気を出して掃除することにした。
幸い、仔猫のミイラが出てくることはなく、タオルも替えてやることができた。
とはいえ、外の暮らしは過酷である。
6匹のうち1匹は、すぐに死んでしまい、ハンカチに包んで埋めてやった。
残った猫たちは、うちの周りにいたり、他所に行ったりを繰り返した後、
表の小屋に落ち着いたが、既に授乳期を過ぎたのか、
親猫二匹も出かけてばかりで、あまりきちんと面倒をみていない様だ。
子猫用のミルクを与えたり、餌をいろいろ与えてみたりしたが、
数週間のうちに、一匹、また一匹と死んでいった。
その間、その死骸をみいみちゃんが食べているところを見てしまったり、
頭のない死骸を片付ける羽目になったりで、私は精神的にかなり参ってしまった。
最後に、白地にちょっとぶちの入った、豆大福のような一匹「豆千代」が、
なんとか危機を乗り越えて生き残った。
親猫たちに負けずにもりもりごはんを食べるようになり、
うちの前の道を渡ってお向かいの庭先でひなたぼっこをするまでになっていた。
私にもなついていたので、この子をうちの子にすることができるだろうか、
4匹目を飼うのは無理だろうか、と考えていた矢先。
夜帰宅して、いつものように勝手口にごはんを出すと、豆千代の姿がない。
弁慶、きさんた、みいみちゃんは、先を争ってごはんを食べている。
改めて家の周りを探してみると、裏の家と塀の隙間に横たわっている姿が見えた。
首から肩先にかけて何かの傷。カラスにやられたのか、まさか親にやられたのか、
人間か?ともかく、豆千代は死んでしまった。
それまで辛いことが続き、それでもなんとか心を支えていたものが、
この瞬間折れてしまった私は、夫に穴を掘ってもらって豆千代を埋めながら、
これまでなかったほど大泣きに泣いた。
豆千代を、もっと早く保護しておけば助けてやれた、という以上に、
猫と中途半端な関わり方を続けてきた自分を責めた。
私にはできないことなのだから、もう、やめよう。
この日、猫小屋の撤去を決めた。
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