生まれて初めての海外旅行で、韓国に行っていた。
父が所属しているロータリークラブと、姉妹関係のソウルのロータリークラブの間で
子弟の交流をしようということになり、中高生6~7人に大人の引率が付いて出かけたのだった。
少しは事前の勉強もしたはずなのだが、8月15日が彼の地では「独立記念日」であることに、
私は現地に着くまで気づいていなかった。
40年前の日本では、8月と言えば今とは比べ物にならないくらい、敗戦のこと、原爆のこと、
平和のことでマスコミの情報が溢れ、それも、現在よりはずっと
「被害者意識」に染まったものだったから、
ソウルに着いて、まったく逆の現実を目にしたときは、本当にびっくりした。
広場で民族衣装で踊る人々、日本を爆撃した「英雄」B29の展示、「加害者」としての日本。。。
日本の8月15日とはまったく逆の世界がそこにあった。
今にして思えば、この時の体験が、
「物事にはいつも別の面がある」「学校で教わることは一面に過ぎない」
という意識を私に与えたのかもしれない。
年配の方たちは、みなさん日本語ができるから日本語で話してくださるわけだが、
そのたびに、いちいちなにか後ろめたい気持ちがして、居心地が悪かったのを覚えている。
一方で、同年代の中高生や、お世話係を務めてくれた比較的若いロータリアンの方は、
日本語ができないし、私たちも彼らのことばは話せないので、英語を使った。
既に英語には強い関心を持っていた私だったが、
それまでアメリカ、あるいはアメリカ的なるものと強く結びついていた英語という言語が、
別の国の人々と交流するためのことばになりうることを身をもって知ったのも、この旅だった。
(こうしてみると、あの一週間は私の人生でかなり重要だったのかもしれない。)
朴政権下、韓国からの渡航はまだ難しく、結局韓国側子弟が日本に来ることはできなかった。
人もモノも、かつて禁じられていた流行歌や映画も、自由に行き来するようになった今、
日韓関係は、あの頃とは別な意味でぎくしゃくしているように見える。
戦争の記憶を受け継ぎながら、若い世代が交流することで新しい時代を拓こう、
そんな思いが親たちにあったかどうかはわからないが、
こうした地道な努力の継続が、やはり本当に未来志向の関係を築くのに必要なのではないか、
などと思ってみる、2013 敗戦の日。
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