新山下に買い物に行くついでに、山手の丘に久しぶりに行ってみた。
港の見える丘公園のバラがいい香りを放っているが、
このところの暖かさでもうシーズンも終わり、という感じだ。
それでも、こんなんとか
こんなんとか
ラベンダーとか
きれいだった。
奥の近代文学館では、井上ひさし展開催中。
「21世紀の君たちに」という副題で、
井上ひさし氏が作家となるまでの歩み、「吉里吉里人」などの作品に込められたメッセージ、
そして「過去から未来への中継走者」としての活動を紹介する展示となっていた。
私自身は「ひょうたん島」世代で、大人になって気付いたことだが、
「ひょうたん島」の世界、特に「ことば」の扱い方に大いに影響を受けている。
その後積極的に井上作品を読んだり見たりしてきた訳ではなかったので、「吉里吉里人」が生まれた背景には、高度成長にまい進する日本社会の矛盾があったことなど、井上氏が訴えてきた様々な問題意識について、今回の展示で初めて知ったことが多かった。
なにより圧倒されたのは、井上氏が読んできた文字の数であり、書いてきた文字の数である。
制作のために読んだ書籍で図書館が一個できているくらいだし、
読書や取材のメモやノート、プロット、下書き、原稿、編集者とのやりとりなど、
膨大な紙面に細かくびっしり文字が書かれていて、「ことば」がまさに井上ひさしであった、
と思わされる。
その上で、自らの役割を、過去に記録されてきたことをとにかく読み尽くして、
それになにがしかのものを加えて次世代に渡すこと、としていたのだ。
(このところ、読むことも書くことも、幼稚園児並みに減ってしまっている
自分が情けない。)
それにしても、東日本大震災と原発事故を井上氏が見ていたら、なんと言っただろう。
震災・事故をきっかけに、色々な人が社会をよくするために発言しているけれど、
きっと井上氏なら、誰よりも力のある言葉で、伝わる言葉で、
大切なことを次々に発信していたのではないか、と思うと、惜しまれる。
だからと言って、惜しんでいるだけではだめなので、
ひとりの大人として、次の世代に語るべきことをきちんと伝えていかなければ、と思う。
おまけ)
今日は暑かったので、公園の猫たちも姿を見せず、このコだけ。「楽園」ですって。
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