2013年9月25日水曜日

やっぱりお買い物が好き

きょうは久しぶりに、あまり時間を気にせず買い物に出かけた。

「何かを買いに行く」ことが「買い物」かもしれないけど、
私の場合、その合間に、ぶらぶらとお店を覗いて、
目に留まったものを手にして見たりする、
そして運よくちょっといいものに出合って、それが買えればいい気分、
というのが「お買い物」である。
きょうもいくつかの用事と、買わなければならないものもあったけど、
「お買い物」の余裕があって、気分転換になった。

思えば、夫が病気になる前、仕事のない平日は、食料品や日用品の買い物に出ると、
ぶらぶらして、お茶を飲んでひと休みしながら本を読んだりして過ごしていた。
今は長時間夫を一人にしておくのは心配だし、
そもそも買い物にあてられる時間が限られるのでいつも落ち着かない気持ちで、
商品をあれこれ迷って選ぶ、ということもなく、
あわただしく決まったものを買って帰宅する。

気分転換や気晴らしの方法は、人それぞれあるだろうし、
それに費やすことのできる時間によってもいくつかあるだろうと思う。
私の場合、最も手っ取り早いのが、たぶん「お買い物」なのに、
その一番手っ取り早いことにすら費やす時間が限られるのは、ストレスだ。

だから、きょうは気分がいい。
気に入ったパシュミナも買えたしね!

2013年9月16日月曜日

我が家の猫物語エピローグ みいみちゃん再び

猫小屋の撤去を決意したものの、冬間近だったため、
実際に撤去したのは翌春、2007年の春だ。

もともと、野良猫の多いこの地域で、
「一匹くらいうちに居ついてくれないかな」という思いと、
野良たちが台風に遭うのを見るに見かねて、という事情とで設置した猫小屋だった。

結局、二匹の目の不自由な猫を保護し、
一匹の可愛いだけが取り柄の子がうちの子になった。
彼らのエピソードは、これからも登場させると思うが、
猫物語はこれでひとまず終わる。

その後、外の猫との関わりは、来た猫にはごはんをやる、
ということにとどめていたが、みいみちゃんもきさんたも、
また、この物語をmixi日記に書き始めた2009年暮れに秋に来るようになったブッチーも、
この稿を書いていた2010年時点では、まだまだ毎日のようにやってきていた。


  
うちの三匹は、みんなみいみちゃん↑の子どもなのだが、
以前書いたようにみいみちゃんは 
3軒下のKさん宅の縁の下にいたのが、Kさんが引っ越してしまったために
うちに来るようになったのだ。
根っからの自由猫で、触らせないし、
かつてうちに上がりこんでいたときに勝手口を閉めたら、 大パニックして暴れたことがある。

だから、みいみちゃんは「Kさんちの子」で
うちとは元々関係ないのに、というつもりだった。
ところが、猫物語を書く前に古い写真を見ていてびっくりした。

 
 
我が家に最初にやってきたふーちゃんの子どもの中の
この一匹はみいみちゃんじゃないか!
があん。

我が家と縁もゆかりもあった猫だったのだ。どおりでいつも堂々・・・
今は自由を謳歌しているみいみちゃんだが、よぼよぼで動けなくなったら、
その時は面倒見てやらなきゃいけないだろうか、と思っていた。

その後、きさんたは2011年にシンバとレオを産んだあと
 
冬の訪れとともに次第に姿を見せなくなり、みいみちゃんもどこかにねぐらを移したのか、
ぱったりと来なくなった。
 
近所でも猫を見かけることはめっきり減った。
そんな中で、ポン太だけは、春の恋の季節になるとどこかからやってきて、姿を見せる。
どこで見つけてくるのか、毎年新しい彼女を連れていたりするから、隅に置けない。
 
そんな風に、これまで出会って去って行った猫たちとも、
またいつか再会できると嬉しいと思う。
 
(mixiから転載の猫物語は今回で終了です。
 その後のうちの猫たちのことをパート2で書く。。。かも。)


2013年9月9日月曜日

丑三つ時なんかこわくない

ニュースの仕事に行った日は、帰宅が11時ごろになる。

それから猫のご飯をやったり、台所を片付けたりしてから、
夫にシャワーを浴びさせ、寝かせ、自分が入浴して、日記を書いたりしていると、
寝るのはだいたい2時半か3時になる。

以前は、すぐに
あーもうこんな時間になってしまった、睡眠時間が足りない
と、焦っていたけれど、慣れというのは恐ろしいもので、
火曜日、訪問入浴サービスが来るので、夫のシャワーがない分早く寝られたりすると、
それだって1時半とか2時なのに、
きょうは早いわあ!と、喜んでそこから本読んだりしている。

先日、例によって階下の翌朝の準備を終えて、ベッドに入るべく二階に上がり、
3時か、と時計を見て、ふと思い出した。

子どもの頃、
午前3時に鏡を見ると、自分の霊が映って見える
とか
トイレに入って四隅を順に見ていくと、
4つ目にもう一人の自分がいる
とか、そういう話がいっぱいあったことを。

いくつくらいまでだっただろうか。
夜中にトイレに目が覚めても、
ゼッタイに鏡は見ないようにしたり、3時だけは避けるようにしていたのは。

それが今、気付けばまさに午前3時に鏡をのぞきこんでいたり、
トイレに入っていることはざらで、もちろん何事も起こらないのである。

子どもの私に教えてやりたいものだ。
丑三つ時なんてこわくないよ!


2013年8月30日金曜日

我が家の猫物語(17)豆千代


(ちょっといやな話です。気の弱い人は読まないでください。)
前回はこちら

数週間後、
それまで連れ立ってごはんを食べにきていたみいみちゃんときさんたが
一匹ずつしかやって来なくなった。
どうやら、うちではなく、どこか別の場所で出産し、一緒に面倒を見ながら
交代でごはんを食べに来たようだ。
その後しばらくすると、
日中3~4匹(よく覚えていない)の仔猫を連れてくるようになったが、
うちの小屋に落ち着くことはなく、またどこかへ行ってしまった。

ある朝、出かけようとした夫がとんでもないものを発見した。
「玄関の前に、猫の脚みたいなのが落ちてる!」
私はそれを見なかったのだが、どうやら仔猫の死骸の一部らしい。
なんなんだ?なぜ玄関前に、脚だけ?

その後のことは、実はあまり覚えていない。
記憶しているのは、食いちぎられたような仔猫の死体を二匹家の周りで見つけ、
片付けたことだ。
このころ私は、仕事のこと、実家の家族のこと、知人の病気など、
落ち着かないことが続いていたし、
例の困ったペットシッターの一件が起きたのは、この直後のことだったのだ。
そんななかで、いやな記憶はどこかに押しやってしまったのだろう。
そしてまた、みいみちゃんときさんた、弁慶がご飯を食べにくる日々が戻ってきた。


猫というのは、放っておくと年に4回妊娠可能なのだそうだ。
そのころはそんなことは知らなかった。
きさんたをなんとかしなければ、またどんどん子どもを産んでしまう、と思いつつも、
としはまだ何度も頻尿、血尿を繰り返していたし、そのほかのもろもろもあり、
手が回らないうちに、秋になると、またきさんたとみいみちゃんが妊娠、
そして、またどこかで出産し、二匹で交互にごはんを食べに来るようになった。

その日、家の中の猫たちが突然騒ぎ出して、窓の外を見ているので、
なにごとかと覗いてみると、なんと、 仔猫が6匹!
柄もばらばらなら、いったいどれとどれがみいみちゃんの子で、
どれがきさんたの子かもわからない。
どれも見るからに弱々しく、育ちそうもない感じだ。
表の猫小屋と裏の別荘は、死骸の一件以来、怖くてずっと放ってあったのだが、
これから寒くなるので今度は入居するかもしれないと思い、
勇気を出して掃除することにした。
幸い、仔猫のミイラが出てくることはなく、タオルも替えてやることができた。

とはいえ、外の暮らしは過酷である。
6匹のうち1匹は、すぐに死んでしまい、ハンカチに包んで埋めてやった。
残った猫たちは、うちの周りにいたり、他所に行ったりを繰り返した後、
表の小屋に落ち着いたが、既に授乳期を過ぎたのか、
親猫二匹も出かけてばかりで、あまりきちんと面倒をみていない様だ。
子猫用のミルクを与えたり、餌をいろいろ与えてみたりしたが、
数週間のうちに、一匹、また一匹と死んでいった。
その間、その死骸をみいみちゃんが食べているところを見てしまったり、
頭のない死骸を片付ける羽目になったりで、私は精神的にかなり参ってしまった。

最後に、白地にちょっとぶちの入った、豆大福のような一匹「豆千代」が、
なんとか危機を乗り越えて生き残った。
親猫たちに負けずにもりもりごはんを食べるようになり、
うちの前の道を渡ってお向かいの庭先でひなたぼっこをするまでになっていた。
私にもなついていたので、この子をうちの子にすることができるだろうか、
4匹目を飼うのは無理だろうか、と考えていた矢先。

夜帰宅して、いつものように勝手口にごはんを出すと、豆千代の姿がない。
弁慶、きさんた、みいみちゃんは、先を争ってごはんを食べている。
改めて家の周りを探してみると、裏の家と塀の隙間に横たわっている姿が見えた。
首から肩先にかけて何かの傷。カラスにやられたのか、まさか親にやられたのか、
人間か?ともかく、豆千代は死んでしまった。

それまで辛いことが続き、それでもなんとか心を支えていたものが、
この瞬間折れてしまった私は、夫に穴を掘ってもらって豆千代を埋めながら、
これまでなかったほど大泣きに泣いた。

豆千代を、もっと早く保護しておけば助けてやれた、という以上に、
猫と中途半端な関わり方を続けてきた自分を責めた。
私にはできないことなのだから、もう、やめよう。

この日、猫小屋の撤去を決めた。

2013年8月24日土曜日

E-mail fraud  インターナショナル「オレオレ詐欺」

(日本語は後半です)

Last week, I got an e-mail from my father's old friend in California whom I've known for many years as well.
It was titled, "Horrific Trip --- XXXX(his name)".

And the text read as follows:

I really hope you get this fast. I could not inform anyone about our trip, because it was impromptu. we had to be in Philippines for Tour.. The program was successful, but our journey has turned sour. we misplaced our wallet and cell phone on our way back to the hotel we lodge in after we went for sight seeing. The wallet contained all the valuables we had. Now, our passport is in custody of the hotel management pending when we make payment.
I am sorry if i am inconveniencing you, but i have only very few people to run to now. i will be indeed very grateful if i can get a short term loan from you ($2,390). this will enable me sort our hotel bills and get my sorry self back home. I will really appreciate whatever you can afford in assisting me with. I promise to refund it in full as soon as soon as I return. let me know if you can be of any assistance. Please, let me know soonest.
Thanks so much


It ended with his name and his e-mail address.

It was a complete hoax, of course.
First, including his name in the title is not what he usually does.
Second, not addressing me by name to begin the text is not his usual style, either.
Thirdly, I wouldn't be the person he would turn to even if he were really in trouble.
He's got great children and grandchildren.  He got relatives all over the states,
and even in Italy where he tracked down during his "finding his family roots trip" some years ago.
And fourth, even though the email address given in the text was the correct one,
the return address attached to the email was not.

Checking these points, I concluded that I just ignore the e-mail.

Then it occurred to me that my father might have gotten the same e-mail,
and might respond to it.  So, I e-mailed to my sister to warn him about it.

A couple of days later, my father telephoned me to say he did receive the same e-mail.
Now, the fact that we got a same e-mail without any reference to each other proves that this was a hoax.

I don't know something like this can happen to my readers.
But I do remember having received a very similar e-mail from a different person long time ago.
So, just be careful, my friends!


先週、父の古い友人で私もいろいろお世話になったことのあるアメリカ人の名前でメールが来た。
タイトルは「恐ろしい旅ーXXX(名前)」
本文は、フィリピンを旅行中、財布と携帯を失くしてしまい、
ホテル代を払わないとホテルがパスポートを渡してくれないので、
2390ドル貸してもらえないか。急に決めた旅行なので、事前に知らせていなかったけど、
他に頼る人もいないのでよろしく頼む、
との内容。

これ、メールによるオレオレ詐欺である。

第一に、タイトルに自分の名前を書くのは、この人の流儀ではない。
第二に、まともな大人なら誰でもそうであるように、本文の最初には私への呼びかけがあるはず。
第三に、この人は立派な息子も娘も彼らの孫もいて、全米に親戚が大勢いるばかりか、
何年か前に「ルーツを探る旅」でイタリアに行き、そちらの親戚も見つけ出して交流がある。
「他に頼る人」は山ほどいるのだ。
そして、第四に、本文に書かれたメールアドレスは本人のものだが、
メールをよく見ると、これに返信する為のアドレスは別物が入っている。

従ってこのメールは無視!と決め、PCを切ったあとで、
もしや父にもこのメールが行っているかもしれない、と思い当り、
携帯から妹にメールして、父に警告しておくように頼んでおいた。

はたせるかな数日後、父から電話で、やはり来た、と言ってきた。
そもそも、父と私に、それぞれに言及することなくこの知人からメールが来ることなどありえないから、それ自体が、こいつが偽物であることの証だ。

こんなことは滅多にないかもしれないけれど、
そういえば同じようなメールを何年か前に他の名前で受け取ったことがあるので、
誰かの身にも起こる話かもしれないと思い、書いてみた。

2013年8月19日月曜日

我が家の猫物語(16)きさんた

少し時系列は前後するのだが、
困ったペットシッター騒動(前回までのお話)の前年
静の避妊手術を考えているとき、市の助成の情報を見つけた。
犬や猫の避妊・去勢手術の半額を補助する、というもので、
うちのかかりつけの動物病院でも使えるようだった。
時期的に静には使えそうもなかったのだが、とりあえず申し込んでみると、
市から申し込み受付の紙が届いた。

この際、外にいるみいみちゃんに避妊手術をして、
これ以上猫を増やさないようにすべきか。

しかし、みいみちゃんはぜったいに身体を触らせない猫だ。
なんとか捕まえたとしても、その動物病院では、普通の飼い猫と同様に対応する、
ということなので、術後のケアはこちらがしなければならない。
一週間家の中でケージに入れておいて、留守にしたらどうなるか。
身体も触らせないのに抗生物質の投与などさせてくれるか。
どう考えても無理だったので、断念することにし、市の方にはその旨連絡をして
予算が無駄にならないようにお願いした。

その時点で、我が家にごはんを食べに来ていたのは、みいみちゃんのほかには
我が家の猫となった静といっしょに生まれた弁慶ときさんたというきょうだい

あとはポン太や、数匹のオス猫が季節になるとちらりと姿を見せる、
という具合だったので、メスはみいみちゃんだけ。彼女もいい歳だから、
もう子どもも産まないだろうから、まあ、いいか、と思っていた。

としの尿路結石も落ち着き、
餌の管理は大変ながらも「日常」というペースが戻ってきたある日、
ふと見ると、きさんたのお腹がふっくらしている
 
  
きさんたって、オスじゃなかったの?
信じたくなかったが、日に日にお腹は目立っていった。

そういえば、三匹が子猫で現れたとき、静と弁慶は目やにがひどかったので
捕まえて拭いてやったので、そのとき確認していたのだが、
きさんたはきれいだったし、すばしこくてつかまらなかったので、
そのすばしこさにてっきりオスだと思っていたのだった。

そしてこのころ、なんと、
みいみちゃんもいっしょにお腹が大きくなっていった
(つづく)

2013年8月15日木曜日

40年前のきょうは

生まれて初めての海外旅行で、韓国に行っていた。
父が所属しているロータリークラブと、姉妹関係のソウルのロータリークラブの間で
子弟の交流をしようということになり、中高生6~7人に大人の引率が付いて出かけたのだった。

少しは事前の勉強もしたはずなのだが、8月15日が彼の地では「独立記念日」であることに、
私は現地に着くまで気づいていなかった。
40年前の日本では、8月と言えば今とは比べ物にならないくらい、敗戦のこと、原爆のこと、
平和のことでマスコミの情報が溢れ、それも、現在よりはずっと
「被害者意識」に染まったものだったから、
ソウルに着いて、まったく逆の現実を目にしたときは、本当にびっくりした。

広場で民族衣装で踊る人々、日本を爆撃した「英雄」B29の展示、「加害者」としての日本。。。
日本の8月15日とはまったく逆の世界がそこにあった。

今にして思えば、この時の体験が、
「物事にはいつも別の面がある」「学校で教わることは一面に過ぎない」
という意識を私に与えたのかもしれない。

年配の方たちは、みなさん日本語ができるから日本語で話してくださるわけだが、
そのたびに、いちいちなにか後ろめたい気持ちがして、居心地が悪かったのを覚えている。
一方で、同年代の中高生や、お世話係を務めてくれた比較的若いロータリアンの方は、
日本語ができないし、私たちも彼らのことばは話せないので、英語を使った。

既に英語には強い関心を持っていた私だったが、
それまでアメリカ、あるいはアメリカ的なるものと強く結びついていた英語という言語が、
別の国の人々と交流するためのことばになりうることを身をもって知ったのも、この旅だった。
 (こうしてみると、あの一週間は私の人生でかなり重要だったのかもしれない。)

朴政権下、韓国からの渡航はまだ難しく、結局韓国側子弟が日本に来ることはできなかった。
人もモノも、かつて禁じられていた流行歌や映画も、自由に行き来するようになった今、
日韓関係は、あの頃とは別な意味でぎくしゃくしているように見える。
戦争の記憶を受け継ぎながら、若い世代が交流することで新しい時代を拓こう、
そんな思いが親たちにあったかどうかはわからないが、
こうした地道な努力の継続が、やはり本当に未来志向の関係を築くのに必要なのではないか、
などと思ってみる、2013 敗戦の日。