2016年12月27日火曜日

なんやかんやで

気が付けば前回の更新からひと月が過ぎ。。。

その間
*お気に入りの絵本にであったり
  
 
  (この本の死生観は必ずしもキリスト者である私と一致するわけじゃないけど、
  天国では「みんながほめてくれる」とか「じごくのせいふくはチクチクしていたい」とか、
  とにかくおもしろいのだ。)
 
 
*筋力がなく重い布団が掛けられない夫のために軽くて暖かい布団を探して
めでたくちょうどいいのにであったり
 
  (軽くて暖かいといえば羽毛布団なのだけど、
  中身は軽くても側が立派な素材だとその分重いしなあ、と探したところ
  某デパートオンリーに作られた軽量側の布団が見つかり、
  ラス1をゲットすることができた)
 
 
*何年ぶりかで海外向けのクリスマスカードを12月上旬に投函できたり
 
  (そういう年に限って、向こうから25日前に来たのは1通だけ)
 
 
*2年喪中が続いて、久しぶりにつくった年賀状の印刷が思いのほかうまくいったり
 
  (しかし夫は自分の分は来た人に出せばいいというので、
  何枚はがきをキープしておけばいいのか悩ましい)
 
 
*メキシコから一時帰国中のお友達から美味しいコーヒーを頂いたり
 
 
  

 
そして明日は仕事納め。
あとはどこまで掃除ができるか、だにゃ。
 
年内また更新できるかわからないので、ひとまず
 
 良いお年を!
 


2016年11月27日日曜日

カストロ逝く

キューバのカストロ前議長が死去した。
私が学校に行っていた時代は、まさに冷戦時代であり、
日本はとにかくアメリカこそがよい国だという教育をしていたから
キューバについては否定的なことばかり聞かされ、それを鵜呑みにして大人になった。

タンゴを聞くようになって、アルゼンチンやチェ・ゲバラを経由して中南米側からの視点を得ると、
今まで聞かされていたことがいかに偏っていたか、自分がいかに浅はかだったか気づかされた。

医療や教育を無料にするなどの施策が人々を「貧しく」してきたかもしれないが、
今、グローバル化という名のアメリカ化がもたらす「豊かさ」に疑問符が灯るとき、
果たして本当の豊かさとは何か、私たちの国はなにか間違っていないのか、
問うべき時なのだと思う。


この日にカストロさんが亡くなるなんて予想もしていなかったけれど、
昨日は我が家でいつもの餃子の仲間と「手巻きタコスパーティー」の日だった。
「ラテン成分が不足している」とK氏が言ったことから始まったものの、
途中たこ焼き会になりそうになり、なんとか軌道修正してタコスに。

とはいえ、キューバやメキシコに行ったことがあるメンバーもいるものの、
メキシコ料理すらろくに食べたことがないひとが過半の中で(私もそのひとり)
分担して食材を準備、持ち寄ったのでほとんど闇鍋状態で開催。


ラテンなのでやっぱりコロナビール。(撮影K氏)
瓶にささっているのは黄色いけどライム。この国産ライム、なかなかジューシーだった。


タコスの皮、tortillaはアマゾンでポチっとした。(同じくK氏撮影)
           



野菜スティックとディップは、ラテンかどうかわからないけど野菜が食べたいので作成。
手前のsalsa rojaは「料理は苦手」なバレリーナ製。(美味でした)
鶏肉はゆでたものとスモークチキンを用意。


牛肉は指示通り塩コショウで炒めただけ。
トランペット吹き製作の豚肉は二種類。どちらも手間かかかっててこれも美味でした。
右は「cevicheのようなもの」。
オーソドックスなレシピが見つからず、レモン汁ライム汁の量も、入れるべきハーブもまちまち、唐辛子はどの程度入れるのか、謎だらけだったので、とりあえずタコを2パック買い、それに見合う量の鯛を購入。まさに目分量でレモンとライムを絞り、たまねぎとトマト、コリアンダーと塩と投入。青唐辛子は種を念入りに取り除いて恐る恐る一本だけ。(だって辛すぎたら困るし)。
そんな感じでてきとーに作ったのに、けっこう美味しく出来てホッとしたのだった。


 バレリーナ調達の立派なチョリソー


ミロンゲーラ・ビオリニスタ製作のsalsa mexicana y chimichurri も到着して賑やかに。


salsa mexicanaはguacamoleにもなってこんな風に。(Tちゃん自作、撮影)
 
 
 
闇タコスパーティー、なかなか美味しく楽しい夕べだった。
さあ、次回はどこの国の料理になることやら。

2016年11月15日火曜日

銀行

先日、夫のところに銀行から定期預金の優遇金利の案内が来た。
3ヶ月だけだけど、いまは定期預金もほとんど金利がつかないので、
ちょっとでもつくなら利用したいというので手続きをすることにした。

案内を見ると、あらかじめ資金を普通口座に入れておいた上で
店頭のみでの取り扱い、とある。
この銀行の口座は、夫が日常の小遣い用に使っていたのでお金はあまり入っていない。
メインの口座の方からまず入金しようとしたのだが振込手数料が惜しいので、
カードで数回に分けて引き出してからこちらに入金し、
さて窓口で代理人が手続きするための委任状のフォーマットは?とウェブサイトを見ると・・・

窓口でのお手続きはご本人のみとさせていただきます。

そうなのか。
それなら、今回の優遇でなくても手続きができるもので金利が少しはいいものに充てておいて、
と夫が言うので、とにかく店舗に行ってみることにした。

道すがら思ったこと。
ある商品について店頭扱いに限るというのはたぶん許されるやり方なのだろうけど、
そうすると夫のように病気やその他の理由で店頭に来られない人は
はじめから除外されてしまうわけで、それって差別にはならないのかなあ?

店頭で待つこと10分弱。やっと順番が来て受付へ。

「このご案内を頂いたんですけれど、これは夫の口座で、夫は病気で来られないんです。
窓口では本人しか手続きできないと聞いたんですが、代理人はだめなんですか?」

  「申し訳ございません。そのようになっております。」

「それって障害者差別にならないんですか?」

  「えー、窓口のお手続きはご本人のみとなっておりまして。」

「つまり家を出られない人は利用できないから、差別することになりませんか?」

  「すみません、おかけになって少々お待ちください。」

おねいさん、小走りにバックオフィスに消えた。

しばらくして、バックオフィスからきっちりスーツを着た男性行員が登場。
  「担当を交代致します。いま、ご事情は伺いました。
  一応窓口ではご本人のみということになっているのですが、
  そういうことですし、またせっかくご来店頂いたのでなんとかしたいと思うのですが、
  こちらの口座はご主人様はご印鑑でご登録でしょうか、サインでしょうか?」

「カードは預かっていますが、それは聞いていませんでしたね。
 でもそれってそちらで調べて頂ければわかるんじゃないんですか?」

  「おっしゃる通りです。少々お待ちください。」

また消えた。

  「わかりました。サインでした。
  ですと、奥様にご印鑑お持ちいただいても手続きはできないので、
  なにか方法がないかといま検討しておりますので、もう少しお待ち頂けますか?」

「あの、別にできないのであれば、ほかの定期とかあればそれでもいいんですけど。」

  「いや、いまこれに勝るものは。。。すみません、もう少しお待ちください。」

しばらーくして。

  「お待たせして申し訳ございません。
  週明けのご都合の良い時にこちらからご主人様にお電話を差し上げて
  口座番号と暗証番号の入力で本人確認をした上でご意志を確認させていただければ
  今回のこの定期預金に振替の手続きをさせて頂けるのですが?」

なーんだ、言ってみるもんだなあ。

それとも、私ってクレーマーだと思われた?
確かに声はちょっと大きかったかもしれないけど、
素朴な疑問を口にしただけだったんだけどなあ。


なにはともあれ、昨日約束の時間に電話がかかってきて、無事に
(途中相手の通話ホールドミスで本人確認を2回することにはなったけど)
手続きをすませることができたのだった。

そして今日、メインの銀行から
「カードによる不審な取引はありませんでしたか?」
という問い合わせの郵便が来た。
振込と引き落としだけだった口座に急に動きがあったから怪しまれたのね。。。

2016年10月23日日曜日

蓄電池

夫の呼吸器には内蔵バッテリーがないので、停電になると困る、
というのは以前のブログに書いた。

バッテリ内蔵機種の静音化はいつまでたっても実現しそうにないし、
呼吸器以外にも吸引器や電動ベッドなど、電源を確保しないといけないものはあるので、
家庭用蓄電設備を付けることを以前から考えていたものの
伝手やとっかかりがないまま、手つかずでいた。

先の停電をきっかけに、やっぱり早急につけたほうがよい、ということになり、
九州でこうした設備の仕事に携わっていた友人に、こちらの業者さんを紹介してもらうことに。

お盆休み明けにメーカーさんから連絡をもらい、双方の都合が合って話ができたのが9月に入ってから。実際の設置は販売業者さんになるため、手配をお願いしたものの、通常頼んでいるところには、杓子定規に「医療機器につなぐものは請け負えない」と言われたそうで、個人的な知り合いの電器屋さんを連れてきてくれた。

うちは平日はナースやヘルパーが出入りしていて、夫の身の回りでいろいろやっているので、工事はどうしても週末で、ということになり、先週末の土日で設置工事、昨日22日土曜日で機器の設定をしてもらい、ようやく稼働するようになった。

うちでつけたのはこれ。

 
 
 
電力会社から買った電気を蓄電池に貯め、停電になったときは夫のいるリビングへの供給ラインがこの蓄電池からの給電に自動的に切り替わる設定にしてもらった。容量は8.4kwh。
うちの場合は、長期停電になる場合には東電が発電機を持ってきてくれることになっているので、何日間もこれでしのごうとは思っていないから、このくらいで大丈夫かと思っているのだけれど。
 
蓄電システムを太陽光発電と組み合わせて、貯める電気は太陽光で賄ってということもできるが、
うちは屋根の形状からちょっと難しかったのと、それ以前に太陽光パネルの廃棄物としての問題が気になるので、それはやらずに蓄電池だけにした。(発電して余った電気を電力会社に売って設備投資の元をとる、という考え方はもはや現実的でない。)
 
最初のメーカーさんのざっくりした話では、容量4.2kwhで150~200万、8.4にすると250~300万、ということだったけれど、最終的には190万ほどで収まった。(まだ払ってないけど)。
少し前から点かなくなっていた外階段のセンサーライトもついでに見てもらったら球切れだったというので、これもサービスで替えてもらったし、ちょっとお得感 (*゚▽゚*)
 
いやいや、そんなことより、「留守中、停電になったら・・・」の不安から解放されたのがよかった。
台風などの天災だけでなく、最近あったケーブル火災などでも停電になりうることがわかったところだったので、このタイミングで工事ができたのは幸いだった。
 
きょうはちょうどドクターにメールを送る日だったので、このことも報告したら、
「うちでも検討してるので、今度教えてください」だって。 おやおや(´・_・`)

2016年10月6日木曜日

Seamount 海山

I got an e-mail from my brother-in-law last week, saying that the Japan Coast Guard notified him that a newly found seamount north of Minami Torishima Island, which is the southernmost island of Japan, has been named after my father.  Well, it's not his full name, but only his last name, so the sea mout has got my maiden name.

Dad ran an oceanographic instrument maker that was founded by my grandfather and is now run by my brother-in-law.  The Japan Coast Guard was one of the firm's main customers.  My father was not a scholar or inventor himself, but he took part in various oceanology-related societies, and apparently was intent on meeting customers' requests in providing instruments.  I suspect somebody who knew my father's years of contribution to the field happened to be in the right position now, and took the oppportunity to name this seamount after him. 
It's very fortunate, and is a great honor especially after hearing that this is the first --- and probably the last--- case that the name of someone who's not a scholar has been chosen.

Dad only had us three daughters and no son.  My elder sister and I got married and took our husband's name, and my younger sister is not married with no child.  So, I was thinking that our family name will be lost after our generation.   But now I know that Dad's name will live with a mountain standing in deep waters in the Pacific.  It gives me a relief and a sense of happiness.



先日義兄からメールが来た。
海上保安庁から連絡があり、調査業務の一環で南鳥島北部で発見した海山に父の名前がつくことが決まった、ということだった。今後海底地形の名称を検討する海外で開催される委員会で決議されれば、国際的に承認される運びとなる、とのこと。

父は去年亡くなるまで、祖父が興し今は義兄が継いでいる海洋測器メーカーを経営していて、海上保安庁はじめ海洋調査に関わる内外の様々な機関を顧客としていた。父自身は学者でも発明家でもなかったものの、いくつもの学会に顔を出し、調査研究に携わる人たちが何を求めているかを知り、人々を結びつけ、機器を提供することでこの分野に貢献しようと努めてきたのだと思う。
海山に学者や機関ではなく一般人の名前が付くというのは、父が初めてで、おそらく最後だろうという話で、そうなったのも、父のこれまでの努力を知る人がいまそういうポジションにいてくれたというタイミングだったのではないか、と想像するのだが、背景がどうあれ喜ばしいことに変わりはない。

最近なにかにつけ「レガシー」ということが言われるけれど、人がそこにいた証としてもっともわかりやすいのは子どもだと思う。父には姉妹しかおらず、自分の子どもも私たち姉妹だけなので、残念ながら父の名もこの代で終わり、と思っていたけれど、海山命名のおかげで遠い南の海の底ではあるけれど、これからも生き続けることになり、ちょっとホッとして、嬉しく誇らしいニュースだった。

2016年9月17日土曜日

余韻 Trio Los Fandangos @El Choclo

今週は、なんとなく口元がほころんだまま過ごしていた気がする。
理由ははっきりしている。月曜日の晩、雑司が谷のタンゴバー エル・チョクロで聞いた
我らがトリオ・ロス・ファンダンゴスのライブ。
そもそもタンゴという音楽は、人を元気にする、生きていることそのものを喜ぶ気持ちにさせてくれる音楽だけれど、TLFの演奏は本当に楽しくて、愛があって、力強くて、聴く者を幸せにするのだ。

福岡・北九州を拠点とする彼らの東京首都圏へのツアーも、今や毎年恒例となった。
TLFもすっかり東京の愛好家達に認知されて、嬉しい限りである。
今回は、5日間6回のライブ、うち4回はミロンガ演奏というスケジュール。
踊らせる音楽はもともとの彼らの志向ではあったけれど、メンバー自身が踊るようになって、レパートリーも演奏スタイルもミロンガで歓迎されるものになってきたことが、この数からもわかる。

以前からミロンガに楽団が入ることはあったけれど、かつての演奏者たちは普段のコンサートやライブと演奏を変えることなく、ピアソラやステージタンゴ向きの楽曲を選んで「さあ、これで踊れ」とばかりに演奏し、テンポを揺らしたり、変わった編曲で終わりがわからなかったり、これではとても踊れないというケースが多かった。私はそのころはまだ初心者で、CDでかかる曲もあまり知らなかったから、ライブ演奏の方が息遣いがわかっていいなあ、くらいに思っていたけれど、長年録音で踊ってきた人たちは「ライブ演奏は踊りにくいですよ。CDが好き」とはっきり言っていた。
刺身より干物が好きな人はいるものだけど。

TLFが東京に来るようになって、東京の楽団でも特に若い人たちがミロンガでの演奏をするようになり、最近は踊り手たちもライブ演奏で踊ることを楽しみにするようになっている気がする。中でも特に楽しみにされているのがTLFだろう。
私も今回ライブミロンガに行くことも考えたけれど、楽しければ楽しいだけ夫の不在を思って寂しいし、それ以前に、自分が終電まで遊ぶために夫の見守りを誰かに頼むというのは気が進まないので、月曜日に仕事を休んでエル・チョクロに足を運ぶことにした。

夫の代わりにTLFに同行してブエノスに2回も行っているうさこを連れて行く。
  

最前列の席をゲットしてしばらく待っていると、谷本さん登場。
「うさこも来たの」と言うと、当然のように譜面台にセット。
そう、ブエノスではいつもこうして演奏してくれていたのだ。

今回のライブには歌手のKaZzmaも参加。
彼らが初めていっしょにやった横浜エアジンでのライブも最前列で聞かせてもらっていたけれど、その後TLFが毎年ゴールデンウィークに九州、山口、広島で行っている「タンゴの節句ツアー」に昨年KaZzmaが参加したのを経て、有機化学反応が一段と活発にエネルギッシュになって、とてもよいステージになった。


 
 
 
 


「40年代のミロンガ」から「Paciencia」」まで、ソロ、デュオも含めて19曲、選曲のバランスもよく流れもスムーズで、なにより生音で聞けたのが、身体に音がどんどん浸み混んでいく感じでとてもよかった。しかし、これだけ踊り手の好きなナンバーがレパートリーに入ってくると、ミロンガでライブとともにDJする人たちは泣かされるだろうなあ、と思うくらいだけど、きっとTLFは止まらないだろう。

そしてオートラに、私の大好きな Mariposita!  生で歌われるのを聞いたのは初めてだったかもしれない、KaZzmaの歌唱が素晴らしくて、幸せいっぱい。思わず「かっこいい!」と声をかけてしまった。そして、もひとつおまけの Vida Mia も会場をふんわりと優しく包んでみんなを送り出してくれるすてきな演奏だった。

音楽と良い時間を過ごすと、もっと、もっと、と求める気持ちが沸くのもわかるけれど、
今はこの余韻でもうしばらくニマニマとして暮らせそうな気がする。

そうそう、次回までに El Dia はちゃんと歌えるようにしておこう。

2016年9月7日水曜日

"Trumbo" 「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」 

(日本語は下です。)
(Just to keep record of a movie I saw this summer.)

The movie, Trumbo, is about screenwriter Daniel Trumbo who lived through the era of McCarthyism as a Communist sympathyzer.  He was convicted of contempt of Congress for not providing information about his or others' involvement in Communist activity, and served time.  He could not get work assignment after he came out of the jail, because he was blacklisted, so he supplied scripts under different names.  His Oscar winning works included Roman Holiday.

As a student of American Studies, I had common sense knowledge about McCarthism in Hollywood.  I knew such actors like Gregory Peck and Henry Fonda tried to help those who were expelled from the industry, while Ronald Reagan was among those who cooperated with the House Un-American Activity Committee. But I knew little about individual stories at the time, including one about Trumbo, so the movie was very informative and intriguing to me.

The movie centers around Trumbo, but gives close discription of people on both sides--- his family, friends, friends-turned-foes, sympathyzers, etc.  It does tend to make you sympathyze with Trumbo, but you can see things were not so simple as he vs. society as villain. 

Those who went after Communists and their sympathyzers did so not because they wanted to do harm on them or they were mean, but they were filled with fear that their footing might collapse.  They seriously believed that Communism on their own soil would damage democracy and freedom, and out of fear, they tried to eradicate Communists.

It was FDR who said the only thing we have to fear is fear itself.
I truly agree. 
Not having lived through the era myself, it's not easy to imagine how much threat the American felt with the developments on the East side of the world.  But if you had placed trust in unshakable, eternal being, you would not have felt that much fear to unfairly deprive your fellow countrymen of their rights.

Early in the movie, Trumbo's daughter asks her father if he was a Communist.
He says, Yes.  Then she asks if her mother was also a Communist.
He saysm No.  Now, she asks if SHE is a Communist.
The father returns a question:  if your mother made a good lunch for you, and, when you go to school, there is a friend who didn't bring any lunch.  What will you do?
She says, I'll share.  He asks, won't you tell him to go work to earn money?
She says, No,  I won't do that.  He asks, won't you lend him money at a high interest rate?
She says, laughing, Noooo.  The father says, well, you are a little Communist.

This is one of my favorite scenes from the movie.


少し前に見た映画について備忘的に。


トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は米マッカーシズムの時代を生きた脚本家、
ダニエル・トロンボを中心に、その時代が終わりを告げるまでを描いている。
マッカーシズムについては、ハリウッドの有名俳優たちが排斥される一方、
のちに大統領となるロナルド・レーガンなどは排斥に協力的であった
などの常識的知識はあったものの、詳しいことはあまり知らなかった。
トランボの名も、彼とその仲間が、偽名を使って作品を世に送り出し続けたことも、
アカデミー賞を獲った「ローマの休日」は友人の名を借りて出したものだったことも、
全然知らなかった。

映画では、必ずしもトロンボやブラックリストに載せられた人たちが被害者で、排斥する側、寝返る人が悪者、と言った単純な描き方ではなく、それぞれが、それぞれの立場で、時代を生き延びようと知恵を絞り、悩んでいた様子がよく表されていた。

そのせいか、見終わった時に私の頭に浮かんだのは「怖れ」という言葉だった。
確かにあの時代のアメリカで、共産主義は民主主義の対極であり、国内にその分子が存在することは、自分だちの依って立つ体制が揺るがされると信ずるに十分だったのかもしれない。アメリカをアメリカたらしめている価値観を危機にさらすものは許さない、というところがアメリカ的でもある一方、それを理由に同胞の基本的人権を否定するまでになるというのは、アメリカらしくないとも言える。結局のところ、彼らを突き動かしていたのは、自分の足元が危うくなるという「怖れ」だったのではないか。

近年地元県内では在日韓国朝鮮人を標的にしたヘイトスピーチ、ヘイトデモの問題が深刻になり、ネット上でもナショナリスティックな言葉が頻繁に飛び交っている。
オリンピックの報道では、大会の中では禁止されている国別メダル数ランキングを繰り返し言い立てて「国威発揚」に平和の祭典が利用された。
多重国籍の国会議員に対して、感情的な反応が堂々と披瀝されている。
いまこの国で醸成されている空気の中に、怖れとそれを利用する力とがあることを、改めて想起させられた映画だった。

怖れるべきは怖れそのもの、というFDRの言葉を思い出す。