2016年2月29日月曜日

2月

あっという間に2月が終わる。
11月頃から、収まりそうになってはぶり返していた夫の感染症が
1月末でようやく収まって、2月は久しぶりに落ち着いた日々になり、
ちょっと気持ちが落ち着いた分、文章を書くのが億劫になっているうちにもう月末だ。

  感染症がある間は、抗生剤の点滴だのなんだのがあり、
  さらにそれと重なって血糖値のコントロールのための測定やインスリン注射も加わり、
  慣れないことが続いていたので、けっこう大変だった。
  人の体に針を刺すことなど、未だに慣れないし、慣れたくもないけど。

何をしていたかといえば
確定申告の準備をしたり(去年もまた帳簿を全然付けないまま1年過ぎた)

お雛様を飾ったり


近所の梅を見たり











関西のひなあられが醤油味と知ってびっくりしていたら

  







実物をはるばる神戸からお友達が持ってきてくれたり









猫と遊んだり














猫をかまったり








猫に遊ばれたり














明日から弥生。
また数日寒い日が戻るそうだけど、春はもうすぐ。
穏やかな日が続くといいな。




2016年1月27日水曜日

Terracotta Warriors 兵馬俑を見に

 "Terracotta Warriors and Horses" of the first Emperor of China, Qin Shi Huang, were first discovered in 1974, and the excavation work is still under way.  More than 8,000 life-size sculptures are estimated to be buried in 3 huge pits.  There have been many TV reports and special programs made on the burial art as the excavation progressed over these years, which made me feel like seeing them one day even though I'm not a great fan of Chinese history.
The opportunity has now come around as Tokyo National Museum is now holding an exhibition, The Great Terracotta Army of the First Emperor of China.
There were 9 real terracotta warriors accompanied by many replicas, and each one was awsome.  The scale of the army only shows how powerful the first Emperor was.  Still, the empire collapsed only 3 years after the Emperor's death.  It only suggests that what we believe as "power" is not actually so lasting.


秦の始皇帝の陵墓の近くで兵馬俑が発見されたのが1974年。当時は本当にびっくりしたものだけど、以来発掘が進むごとにニュースに取り上げられ、特別番組も組まれていたので、「兵馬俑」と言われても「ああ、あれね」というくらいよく知られたものになっている。

昨秋から東京国立博物館で「始皇帝と大兵馬俑」展が開かれていると聞いても、特に気にしていなかったのだけど、年明けくらいになって「そういえば直接見たことはないよね、見てみたいな」と思うようになった。

寒さもちょっと緩んだ今日、久しぶりの上野へ。
公園口を降りると正面に文化会館、という景色は変わっていなくてホッとする。
  (すぐ横のカップルが「あれ、公園口なのに公園じゃないじゃん!」と言っている。
   いや、あの、上野公園というのはこのお山全体だからね。。。)


会場は奥の平成館


展示は秦王朝の軌跡、始皇帝の実像、始皇帝が夢見た「永遠の世界」、の三部構成。
お目当ての兵馬俑は第三部だけど、第一部の「秦王朝の軌跡」が興味深かった。
小国だった秦が戦国時代を経て統一国家を築いていく中で、異なる民族の異なる文化を秦の一部にしていく様子が、発掘された道具類からわかるのだ。
長い中国の歴史の中で、こうした営みが繰り返され、芸術や文化も練り上げられてきたのだなあ、と思うと、地続きで他の民族とのぶつかり合いをほとんど経験せずに来た日本との違いをつくづく感じるのだ。

さて、兵馬俑。
本物は9体。多くのレプリカと馬車2台のレプリカも来ていて、なかなか迫力のあるものだった。
一体一体顔も違う、とは聞いていたけれど、本当の軍隊同様、様々な階級、役割の人がいて、(雑技師までいるのだ!)それぞれの装束、髪型、持ち道具、靴の紐まで細かく再現されていて、いったいどれほどの権力がこんな仕事を可能にするのだろうと思わせるスケールだ。なにせ、8000体以上というのだから。
 
展示の終わりにある撮影コーナーはこんな感じ。



しかし、これほどの秦の帝国も、始皇帝が死んで3年で崩壊したのだという。
人間が頼みにする「力」とはしょせんそんなものなのだ。

2016年1月12日火曜日

寒中お見舞い申し上げます

父の喪中でもあり、正月はヘルパーなども来ない日が珍しく2日続き、
ひさしぶりに穏やかな時間を過ごした。

寒中となってもまだ寒さもさほどではなかった昨日の休日、
東京の寺に出かけた。
ここには夫の祖父の墓があるのだが、両親も私たちもクリスチャンなので、
義母が亡くなる前、永代供養の手続きはしてあるから心配ない、と言われており、
私たちも数回墓参したきり、夫が病気になってからは訪ねていなかった。

その寺の前の道路の拡幅工事が行われるにあたり、寺の本堂を建て替え、
敷地のレイアウトを変更して墓地もリニューアルする、というお知らせが来ていて、
ああ、そうなのか、とそのままにしていたら、暮れにまた手紙が来て、
うちのお墓のお骨は共同墓に移したい、という。
私たちの後もお墓をみつづけることはできないから、そうするとしても、
一度墓参して寺にも挨拶をしなければ、と思いつつも、
暮れは夫もまた感染症で点滴をしていたり、来客が続いたりして、
年末年始は寺も忙しいだろうから、と正月明けてから連絡することにしていた。

先週電話して、共同墓にするのは構わない旨を告げ、
夫が病気なので私が代わりに墓参とご挨拶に伺います、と話して昨日出かけたのだった。

墓参に行くと言ったって、うちには線香もないから
(先週来た妹に実家にあるのを分けてもらっておけばよかった)
線香とチャッカマン、花を買って、ハサミも雑布にくるんで用意。
手土産とともに携えて寺に向かった。

敷地の周辺には防護壁が建てられ、墓地の入口には
「敷地には入れませんので、この中の手桶に用意した水をお使いください」
の張り紙。
中に入ると確かに用意されているので、それを一つとって、
記憶を頼りに墓を探すと・・・ない。あれれ、こっちじゃなかったっけ?
と迷っていると、墓地の戸が開いて住職のお連れ合いと思しき女性が現れた。

「お約束した○○○です。暗くなる前に先に墓参りしようと思って・・・」
「ああ、工事の都合があるのでもう移しました。」
「え?そうなんですか?」
「ええ、仮本堂の方でお骨はお預かりしていますから、どうぞお線香を」

言われるままに仮本堂に行き、焼香して、住職としばらく話して辞去したのだけど、
きちんと区切りをつけた、という気分にはなれなかった。

確かにこちらもいろいろあって連絡が遅くなったりしたし、
お寺にはお寺の都合もあるだろうけど、
手紙にはいついつまでに返答が欲しいとか書いてなかったし、
電話した時も、返事があったからすぐ移すとも、もう移したとも言ってなかったし、
だいたい、私は「最後にお参りして、ご住職にご挨拶を」と言ったのだし。
いろいろ準備して行ったのに、肩すかしというのは、
なんとなく行き場のない思いが残る訪問になってしまった。

ちゃんと掃除してお花と線香をあげたお墓の写真撮って夫に見せたかった
というのもあるけど、「もの」であるお骨やお墓をどうしたかはあまり大事ではなくて
人の気持ちが関わるやりとりは、もうちょっと言葉を省かないでいて欲しかったと思うのだ。


、

2015年12月31日木曜日

リズムとメロディー

去年の初め夫がベッド生活になってから、
毎朝手持ちの音楽CDを片端から聞いていたのだが
秋にはほぼ聞き終わり、今度は落語のCDを聞いている。
談志の「ひとり会」のボックス4箱をやっつけ、八代目文楽を聞き、今は圓生だ。

私たちが子どものころは落語は身近で、私は当時寄席には行かなかったけど
志ん生、三平、談志、円楽、円鏡、歌丸といった人たちの声が
しょっちゅうラジオやテレビから聞こえていた。
とはいえその頃はうまい、下手など全然分かっていなかったのは当然のこと。

今改めて30代の談志の芸を聞くと、そのレベルの高さに舌を巻く。
そして、彼が圓生をよく研究していたことにも気がついた。
幸い、生の談志は夫と一緒に何回か聴く機会があって、
「簡単には笑わないぞ」という客との緊張感がすごいこととか、
あの強気の言動が目立つ談志なのに、お辞儀が誰よりも深々と心のこもったものだということに強い印象を受けた。

談志、文楽、圓生と聞いてきて、同じ噺も入っているのだが、
それぞれがそれぞれに面白く、知っている噺なのにやっぱり笑ってしまう。

一昨日の晩、そんな同じ噺の一つをラジオ深夜便でやっていた。
演者は現代の噺家だったのだけど、これが、悪いけど全然面白くなかった。
なんというか、人物がそこにいるように立ち上がってこない。
確かに今の人にとって、長屋の暮らしぶりをリアリティをもって語るというのは至難の業だろうけれど、談志だって江戸時代の御武家さんの様子は見たことなんかなかっただろうし、彼がそれを語ることができたのは噺の技として受け継がれてきたものによったのだろうと思う。

そんな折、TBSでドラマ「赤めだか」が放送された。
「赤めだか」は談志の弟子の談春が修行時代を書いた同名の本が原作。
その中で、弟子になったばかりの談春のけいこで談志が
「リズムとメロディーなんだよ。これからは俺のリズムとメロディーでやれ」
と言うシーンがあった。

落語に「リズムとメロディー」とは独特の言い方だから、これは本当に談志が言った言葉だろう。
ああ、そういうことかと私には腑に落ちるものがあった。
「間合い」とか「息遣い」とかいうものと、たぶんそれは重なっているのだろうけれど、リズムとメロディーをきっちり写して演じることが、噺を身につけるということで、それが人を楽しませる噺になる。それを談志自身が学んできて、伝えようとしていたのだろう。このタイミングでこのドラマを見ることができてよかったと思った。

それにしても、落語からは歴史や日本語について学ぶことが多い。
時代が変わってやりにくくなる噺もあるけれど、良い噺は語り継いでいって欲しいものだ。


2015年12月24日木曜日

At Christmas

On Christmas Eve, I passed our local shopping center, and saw many people forming looooong queues to buy... Christmas cake.  Yes, in Japan we have "Christmas cake," which is an essential part of Christmas for most Japanese.

It was not until when I was over 40 that I realized that, for average Japanese, Christmas is the day to put up Christmas tree and eat chicken roast and Christmas cake, and that they don't give a damn at the fact that what they think are indispensable to celebrate Christmas are actually accessories and have little to do with the essence of Christmas. 
I had assumed that people were just taking advantage of capitalism and the age of plenty, knowing the true meaning of Christmas.  But, No, they just didn't care.

When they import seasonal events from foreign culture, Japanese people tend to pick out only the things they feel "nice" and often turn their eyes away from their essence.
Valentine's Day is the day for women to buy chocolates for men (or, nowadays, more expensive ones for themselves), and Halloween is the day to wear strange costumes on the street.

This habit of turning one's eyes away from the essence of the matter reminds me of the fact that our people have failed to look straight at our defeat in the war in 1945.  Have we not faced up with our past because it is our habit not to look at the essence of the matter, or we tend to pick out only the accessories of events because we haven't come to terms with the defeat just yet?  I don't know which is which, but I cannot help thinking that there is some connection.

In the Christmas Eve service that I attended today, they read Luke 2:1-21.
This part is always read at Christmas, and I almost remember the verses.  (well, if you have ever sung Messaiah, you learn it by heart)  The most impressive verse to me since my childhood is"because there was no room for them in the inn."  Christmas for me has been the time to be questioned of what I have done to "the smallest of these" rather than pure celebration. 

I just made small contribution to WFP and UNHCR, thinking of Middle Eastern families deprived of the right to leading peaceful life, hoping His favor rests on my action.

Merry Christmas!

2015年11月30日月曜日

点滴とか血糖値とか

11月も終わり。今月は早く過ぎた。
 というのも、初旬から中旬にかけて夫に感染症が出たりしていたから。

尿カテーテルを入れているとどうしても感染症にかかりやすいため
抗生剤は常備して、熱が出るとできるだけ先手を打つのだけど、
今回は敗血症になったりした前回ほどではひどくはなかったものの、
耐性菌が出てしまったので、点滴の調剤が前回とは異なり、
薬剤は冷蔵しなければいけないし、これが生理食塩水に溶けにくく、
しかしビンを振って混ぜると泡立ってしまうのでNG。
よくなじませた上で10分放置して溶解を待つ、というちょっと面倒なものになり、
2週間けっこう大変だった。点滴針が手に入っていると着替えにも気を使うし。

それに加えて、その時の血液検査で血糖値が高いことが判明。
感染があるときは血糖値は上がるものだが、それにしてもこの値は、ということに。
人間の身体が糖を一番使うのは筋肉なのだが、ALSは筋肉が減っていく病気なので
うまく糖をとりこめなくなっているのが一因。
それから、計算してみると摂取カロリーが過多になっているのも原因では、とのこと。

それはそうだ。
前回の感染の後、栄養強化するようにと言われて温泉たまごを入れたりしていたけど、
それをいつやめるのか、一向に血液検査もせずフォローしなかったのは誰だ。ブツブツ

カロリーを見直した上で、服薬とインスリン、
そしてインスリン投与とセットでの血糖値測定が始まってしまった。
毎朝、である。

自分のことならいいけれど、人の身体に針を刺すというのはイヤなものだ。
平気な人もいるかもしれないけど、それは私ではないし、これに慣れたくも、ない。
そのこと自体も気分の良いことではないが、むしろもっと不愉快なのは
こういう私の気持ちに対する医療関係者の無頓着さだ。

今回に限らず、なにかにつけて
病気だから仕方ない、家族だからやって当然、という基本姿勢。
それがこちら側からどうみえるか、あの人たちは考えたりしないのだろうか。

それはともかく、血糖値、早く落ち着いて欲しいものだ。

2015年11月17日火曜日

カンバタンゴがやってきた! A surprise visit.

(English text to follow.)

夫が所属していたオルケスタYOKOHAMAのメンバーで同じバンドネオン奏者の平田耕治君がブエノスアイレスで結成したユニット、カンバタンゴ。ギターのアリエルとルーカス、歌手のエバが来日して2年ぶりの日本ツアーが始まったところ。その忙しいスケジュールを縫って、エバを除く3人が夫のために演奏しに来宅してくれた。



前日の打診でうまくスケジュールが合ったのは本当に幸運。
アリエルが挨拶もそこそこにすぐギターを取り出し、
ソロでバッハとフォルクローレを。
その後3人息の合った演奏で、ワルツ、タンゴ、ミロンガ、チャマメまで!
夫は外出できないので、生演奏の出前はなによりありがたい。
そしてタンゴほど人を元気にする音楽はないから、本当に嬉しかった。

カンバタンゴとは初来日の際、横浜のミロンガで演奏できるよう夫がアレンジしたことがあり、彼らのバイラブレな演奏に、生演奏で踊るのに慣れていない人が多かったはずなのに、とても盛り上がって良いミロンガになったのだった。きょうの演奏も自然と身体が動き出してしまう、ビート感溢れる演奏だった。

平田君は「このくらいしかできなくて」と言うけれど、
彼だから、彼とその仲間だからできることをしてくれて感謝している。

出来上がったばかりの平田君のCDも購入。

 



ポピュラーな曲、珍しい曲、多重録音、
いろいろ工夫された良いアルバムになっている。

このあとのツアーの成功を祈りつつ。


We got a surprise visit by CAMBATANGO, a tango unit that our friend, Koji Hirata, formed in Buenos Aires.  The group is now in Japan, and Koji brought his two guitarists, Ariel and Lucas, to play for my husband.

Considering the fact that the group is playing everyday in various places in Japan during their tour, it was almost a miracle that we could work out our schedule on a short notice (one day before).

Ariel played some solo pieces before the group played their repartoire---tango, vals, milonga and chamame. 

One thing that caught my attention was the good balance of the sound between the bandoneon and the guitars.  I had an impression that bandoneon is always loud and it's hard to adjust the volume level with other instruments.  But this trio was keeping good balance throughout their playing.  It was most notable when the bandoneon and the guitar play unison or same movements in harmony.  It was so nice to be soaked in their sound.  CAMBATANGO is such a good ensemble.

Koji has just released a new CD.
We asked him to bring 10 copies so we can share it with our friends.
It turned out to be an excellent collection of well-known and less-known pieces.
Koji selected them based on his memories with the maestros he worked with over the years.

We wish both the group's tour and the CD to be successful.