父の喪中でもあり、正月はヘルパーなども来ない日が珍しく2日続き、
ひさしぶりに穏やかな時間を過ごした。
寒中となってもまだ寒さもさほどではなかった昨日の休日、
東京の寺に出かけた。
ここには夫の祖父の墓があるのだが、両親も私たちもクリスチャンなので、
義母が亡くなる前、永代供養の手続きはしてあるから心配ない、と言われており、
私たちも数回墓参したきり、夫が病気になってからは訪ねていなかった。
その寺の前の道路の拡幅工事が行われるにあたり、寺の本堂を建て替え、
敷地のレイアウトを変更して墓地もリニューアルする、というお知らせが来ていて、
ああ、そうなのか、とそのままにしていたら、暮れにまた手紙が来て、
うちのお墓のお骨は共同墓に移したい、という。
私たちの後もお墓をみつづけることはできないから、そうするとしても、
一度墓参して寺にも挨拶をしなければ、と思いつつも、
暮れは夫もまた感染症で点滴をしていたり、来客が続いたりして、
年末年始は寺も忙しいだろうから、と正月明けてから連絡することにしていた。
先週電話して、共同墓にするのは構わない旨を告げ、
夫が病気なので私が代わりに墓参とご挨拶に伺います、と話して昨日出かけたのだった。
墓参に行くと言ったって、うちには線香もないから
(先週来た妹に実家にあるのを分けてもらっておけばよかった)
線香とチャッカマン、花を買って、ハサミも雑布にくるんで用意。
手土産とともに携えて寺に向かった。
敷地の周辺には防護壁が建てられ、墓地の入口には
「敷地には入れませんので、この中の手桶に用意した水をお使いください」
の張り紙。
中に入ると確かに用意されているので、それを一つとって、
記憶を頼りに墓を探すと・・・ない。あれれ、こっちじゃなかったっけ?
と迷っていると、墓地の戸が開いて住職のお連れ合いと思しき女性が現れた。
「お約束した○○○です。暗くなる前に先に墓参りしようと思って・・・」
「ああ、工事の都合があるのでもう移しました。」
「え?そうなんですか?」
「ええ、仮本堂の方でお骨はお預かりしていますから、どうぞお線香を」
言われるままに仮本堂に行き、焼香して、住職としばらく話して辞去したのだけど、
きちんと区切りをつけた、という気分にはなれなかった。
確かにこちらもいろいろあって連絡が遅くなったりしたし、
お寺にはお寺の都合もあるだろうけど、
手紙にはいついつまでに返答が欲しいとか書いてなかったし、
電話した時も、返事があったからすぐ移すとも、もう移したとも言ってなかったし、
だいたい、私は「最後にお参りして、ご住職にご挨拶を」と言ったのだし。
いろいろ準備して行ったのに、肩すかしというのは、
なんとなく行き場のない思いが残る訪問になってしまった。
ちゃんと掃除してお花と線香をあげたお墓の写真撮って夫に見せたかった
というのもあるけど、「もの」であるお骨やお墓をどうしたかはあまり大事ではなくて
人の気持ちが関わるやりとりは、もうちょっと言葉を省かないでいて欲しかったと思うのだ。
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