2016年12月27日火曜日

なんやかんやで

気が付けば前回の更新からひと月が過ぎ。。。

その間
*お気に入りの絵本にであったり
  
 
  (この本の死生観は必ずしもキリスト者である私と一致するわけじゃないけど、
  天国では「みんながほめてくれる」とか「じごくのせいふくはチクチクしていたい」とか、
  とにかくおもしろいのだ。)
 
 
*筋力がなく重い布団が掛けられない夫のために軽くて暖かい布団を探して
めでたくちょうどいいのにであったり
 
  (軽くて暖かいといえば羽毛布団なのだけど、
  中身は軽くても側が立派な素材だとその分重いしなあ、と探したところ
  某デパートオンリーに作られた軽量側の布団が見つかり、
  ラス1をゲットすることができた)
 
 
*何年ぶりかで海外向けのクリスマスカードを12月上旬に投函できたり
 
  (そういう年に限って、向こうから25日前に来たのは1通だけ)
 
 
*2年喪中が続いて、久しぶりにつくった年賀状の印刷が思いのほかうまくいったり
 
  (しかし夫は自分の分は来た人に出せばいいというので、
  何枚はがきをキープしておけばいいのか悩ましい)
 
 
*メキシコから一時帰国中のお友達から美味しいコーヒーを頂いたり
 
 
  

 
そして明日は仕事納め。
あとはどこまで掃除ができるか、だにゃ。
 
年内また更新できるかわからないので、ひとまず
 
 良いお年を!
 


2016年11月27日日曜日

カストロ逝く

キューバのカストロ前議長が死去した。
私が学校に行っていた時代は、まさに冷戦時代であり、
日本はとにかくアメリカこそがよい国だという教育をしていたから
キューバについては否定的なことばかり聞かされ、それを鵜呑みにして大人になった。

タンゴを聞くようになって、アルゼンチンやチェ・ゲバラを経由して中南米側からの視点を得ると、
今まで聞かされていたことがいかに偏っていたか、自分がいかに浅はかだったか気づかされた。

医療や教育を無料にするなどの施策が人々を「貧しく」してきたかもしれないが、
今、グローバル化という名のアメリカ化がもたらす「豊かさ」に疑問符が灯るとき、
果たして本当の豊かさとは何か、私たちの国はなにか間違っていないのか、
問うべき時なのだと思う。


この日にカストロさんが亡くなるなんて予想もしていなかったけれど、
昨日は我が家でいつもの餃子の仲間と「手巻きタコスパーティー」の日だった。
「ラテン成分が不足している」とK氏が言ったことから始まったものの、
途中たこ焼き会になりそうになり、なんとか軌道修正してタコスに。

とはいえ、キューバやメキシコに行ったことがあるメンバーもいるものの、
メキシコ料理すらろくに食べたことがないひとが過半の中で(私もそのひとり)
分担して食材を準備、持ち寄ったのでほとんど闇鍋状態で開催。


ラテンなのでやっぱりコロナビール。(撮影K氏)
瓶にささっているのは黄色いけどライム。この国産ライム、なかなかジューシーだった。


タコスの皮、tortillaはアマゾンでポチっとした。(同じくK氏撮影)
           



野菜スティックとディップは、ラテンかどうかわからないけど野菜が食べたいので作成。
手前のsalsa rojaは「料理は苦手」なバレリーナ製。(美味でした)
鶏肉はゆでたものとスモークチキンを用意。


牛肉は指示通り塩コショウで炒めただけ。
トランペット吹き製作の豚肉は二種類。どちらも手間かかかっててこれも美味でした。
右は「cevicheのようなもの」。
オーソドックスなレシピが見つからず、レモン汁ライム汁の量も、入れるべきハーブもまちまち、唐辛子はどの程度入れるのか、謎だらけだったので、とりあえずタコを2パック買い、それに見合う量の鯛を購入。まさに目分量でレモンとライムを絞り、たまねぎとトマト、コリアンダーと塩と投入。青唐辛子は種を念入りに取り除いて恐る恐る一本だけ。(だって辛すぎたら困るし)。
そんな感じでてきとーに作ったのに、けっこう美味しく出来てホッとしたのだった。


 バレリーナ調達の立派なチョリソー


ミロンゲーラ・ビオリニスタ製作のsalsa mexicana y chimichurri も到着して賑やかに。


salsa mexicanaはguacamoleにもなってこんな風に。(Tちゃん自作、撮影)
 
 
 
闇タコスパーティー、なかなか美味しく楽しい夕べだった。
さあ、次回はどこの国の料理になることやら。

2016年11月15日火曜日

銀行

先日、夫のところに銀行から定期預金の優遇金利の案内が来た。
3ヶ月だけだけど、いまは定期預金もほとんど金利がつかないので、
ちょっとでもつくなら利用したいというので手続きをすることにした。

案内を見ると、あらかじめ資金を普通口座に入れておいた上で
店頭のみでの取り扱い、とある。
この銀行の口座は、夫が日常の小遣い用に使っていたのでお金はあまり入っていない。
メインの口座の方からまず入金しようとしたのだが振込手数料が惜しいので、
カードで数回に分けて引き出してからこちらに入金し、
さて窓口で代理人が手続きするための委任状のフォーマットは?とウェブサイトを見ると・・・

窓口でのお手続きはご本人のみとさせていただきます。

そうなのか。
それなら、今回の優遇でなくても手続きができるもので金利が少しはいいものに充てておいて、
と夫が言うので、とにかく店舗に行ってみることにした。

道すがら思ったこと。
ある商品について店頭扱いに限るというのはたぶん許されるやり方なのだろうけど、
そうすると夫のように病気やその他の理由で店頭に来られない人は
はじめから除外されてしまうわけで、それって差別にはならないのかなあ?

店頭で待つこと10分弱。やっと順番が来て受付へ。

「このご案内を頂いたんですけれど、これは夫の口座で、夫は病気で来られないんです。
窓口では本人しか手続きできないと聞いたんですが、代理人はだめなんですか?」

  「申し訳ございません。そのようになっております。」

「それって障害者差別にならないんですか?」

  「えー、窓口のお手続きはご本人のみとなっておりまして。」

「つまり家を出られない人は利用できないから、差別することになりませんか?」

  「すみません、おかけになって少々お待ちください。」

おねいさん、小走りにバックオフィスに消えた。

しばらくして、バックオフィスからきっちりスーツを着た男性行員が登場。
  「担当を交代致します。いま、ご事情は伺いました。
  一応窓口ではご本人のみということになっているのですが、
  そういうことですし、またせっかくご来店頂いたのでなんとかしたいと思うのですが、
  こちらの口座はご主人様はご印鑑でご登録でしょうか、サインでしょうか?」

「カードは預かっていますが、それは聞いていませんでしたね。
 でもそれってそちらで調べて頂ければわかるんじゃないんですか?」

  「おっしゃる通りです。少々お待ちください。」

また消えた。

  「わかりました。サインでした。
  ですと、奥様にご印鑑お持ちいただいても手続きはできないので、
  なにか方法がないかといま検討しておりますので、もう少しお待ち頂けますか?」

「あの、別にできないのであれば、ほかの定期とかあればそれでもいいんですけど。」

  「いや、いまこれに勝るものは。。。すみません、もう少しお待ちください。」

しばらーくして。

  「お待たせして申し訳ございません。
  週明けのご都合の良い時にこちらからご主人様にお電話を差し上げて
  口座番号と暗証番号の入力で本人確認をした上でご意志を確認させていただければ
  今回のこの定期預金に振替の手続きをさせて頂けるのですが?」

なーんだ、言ってみるもんだなあ。

それとも、私ってクレーマーだと思われた?
確かに声はちょっと大きかったかもしれないけど、
素朴な疑問を口にしただけだったんだけどなあ。


なにはともあれ、昨日約束の時間に電話がかかってきて、無事に
(途中相手の通話ホールドミスで本人確認を2回することにはなったけど)
手続きをすませることができたのだった。

そして今日、メインの銀行から
「カードによる不審な取引はありませんでしたか?」
という問い合わせの郵便が来た。
振込と引き落としだけだった口座に急に動きがあったから怪しまれたのね。。。

2016年10月23日日曜日

蓄電池

夫の呼吸器には内蔵バッテリーがないので、停電になると困る、
というのは以前のブログに書いた。

バッテリ内蔵機種の静音化はいつまでたっても実現しそうにないし、
呼吸器以外にも吸引器や電動ベッドなど、電源を確保しないといけないものはあるので、
家庭用蓄電設備を付けることを以前から考えていたものの
伝手やとっかかりがないまま、手つかずでいた。

先の停電をきっかけに、やっぱり早急につけたほうがよい、ということになり、
九州でこうした設備の仕事に携わっていた友人に、こちらの業者さんを紹介してもらうことに。

お盆休み明けにメーカーさんから連絡をもらい、双方の都合が合って話ができたのが9月に入ってから。実際の設置は販売業者さんになるため、手配をお願いしたものの、通常頼んでいるところには、杓子定規に「医療機器につなぐものは請け負えない」と言われたそうで、個人的な知り合いの電器屋さんを連れてきてくれた。

うちは平日はナースやヘルパーが出入りしていて、夫の身の回りでいろいろやっているので、工事はどうしても週末で、ということになり、先週末の土日で設置工事、昨日22日土曜日で機器の設定をしてもらい、ようやく稼働するようになった。

うちでつけたのはこれ。

 
 
 
電力会社から買った電気を蓄電池に貯め、停電になったときは夫のいるリビングへの供給ラインがこの蓄電池からの給電に自動的に切り替わる設定にしてもらった。容量は8.4kwh。
うちの場合は、長期停電になる場合には東電が発電機を持ってきてくれることになっているので、何日間もこれでしのごうとは思っていないから、このくらいで大丈夫かと思っているのだけれど。
 
蓄電システムを太陽光発電と組み合わせて、貯める電気は太陽光で賄ってということもできるが、
うちは屋根の形状からちょっと難しかったのと、それ以前に太陽光パネルの廃棄物としての問題が気になるので、それはやらずに蓄電池だけにした。(発電して余った電気を電力会社に売って設備投資の元をとる、という考え方はもはや現実的でない。)
 
最初のメーカーさんのざっくりした話では、容量4.2kwhで150~200万、8.4にすると250~300万、ということだったけれど、最終的には190万ほどで収まった。(まだ払ってないけど)。
少し前から点かなくなっていた外階段のセンサーライトもついでに見てもらったら球切れだったというので、これもサービスで替えてもらったし、ちょっとお得感 (*゚▽゚*)
 
いやいや、そんなことより、「留守中、停電になったら・・・」の不安から解放されたのがよかった。
台風などの天災だけでなく、最近あったケーブル火災などでも停電になりうることがわかったところだったので、このタイミングで工事ができたのは幸いだった。
 
きょうはちょうどドクターにメールを送る日だったので、このことも報告したら、
「うちでも検討してるので、今度教えてください」だって。 おやおや(´・_・`)

2016年10月6日木曜日

Seamount 海山

I got an e-mail from my brother-in-law last week, saying that the Japan Coast Guard notified him that a newly found seamount north of Minami Torishima Island, which is the southernmost island of Japan, has been named after my father.  Well, it's not his full name, but only his last name, so the sea mout has got my maiden name.

Dad ran an oceanographic instrument maker that was founded by my grandfather and is now run by my brother-in-law.  The Japan Coast Guard was one of the firm's main customers.  My father was not a scholar or inventor himself, but he took part in various oceanology-related societies, and apparently was intent on meeting customers' requests in providing instruments.  I suspect somebody who knew my father's years of contribution to the field happened to be in the right position now, and took the oppportunity to name this seamount after him. 
It's very fortunate, and is a great honor especially after hearing that this is the first --- and probably the last--- case that the name of someone who's not a scholar has been chosen.

Dad only had us three daughters and no son.  My elder sister and I got married and took our husband's name, and my younger sister is not married with no child.  So, I was thinking that our family name will be lost after our generation.   But now I know that Dad's name will live with a mountain standing in deep waters in the Pacific.  It gives me a relief and a sense of happiness.



先日義兄からメールが来た。
海上保安庁から連絡があり、調査業務の一環で南鳥島北部で発見した海山に父の名前がつくことが決まった、ということだった。今後海底地形の名称を検討する海外で開催される委員会で決議されれば、国際的に承認される運びとなる、とのこと。

父は去年亡くなるまで、祖父が興し今は義兄が継いでいる海洋測器メーカーを経営していて、海上保安庁はじめ海洋調査に関わる内外の様々な機関を顧客としていた。父自身は学者でも発明家でもなかったものの、いくつもの学会に顔を出し、調査研究に携わる人たちが何を求めているかを知り、人々を結びつけ、機器を提供することでこの分野に貢献しようと努めてきたのだと思う。
海山に学者や機関ではなく一般人の名前が付くというのは、父が初めてで、おそらく最後だろうという話で、そうなったのも、父のこれまでの努力を知る人がいまそういうポジションにいてくれたというタイミングだったのではないか、と想像するのだが、背景がどうあれ喜ばしいことに変わりはない。

最近なにかにつけ「レガシー」ということが言われるけれど、人がそこにいた証としてもっともわかりやすいのは子どもだと思う。父には姉妹しかおらず、自分の子どもも私たち姉妹だけなので、残念ながら父の名もこの代で終わり、と思っていたけれど、海山命名のおかげで遠い南の海の底ではあるけれど、これからも生き続けることになり、ちょっとホッとして、嬉しく誇らしいニュースだった。

2016年9月17日土曜日

余韻 Trio Los Fandangos @El Choclo

今週は、なんとなく口元がほころんだまま過ごしていた気がする。
理由ははっきりしている。月曜日の晩、雑司が谷のタンゴバー エル・チョクロで聞いた
我らがトリオ・ロス・ファンダンゴスのライブ。
そもそもタンゴという音楽は、人を元気にする、生きていることそのものを喜ぶ気持ちにさせてくれる音楽だけれど、TLFの演奏は本当に楽しくて、愛があって、力強くて、聴く者を幸せにするのだ。

福岡・北九州を拠点とする彼らの東京首都圏へのツアーも、今や毎年恒例となった。
TLFもすっかり東京の愛好家達に認知されて、嬉しい限りである。
今回は、5日間6回のライブ、うち4回はミロンガ演奏というスケジュール。
踊らせる音楽はもともとの彼らの志向ではあったけれど、メンバー自身が踊るようになって、レパートリーも演奏スタイルもミロンガで歓迎されるものになってきたことが、この数からもわかる。

以前からミロンガに楽団が入ることはあったけれど、かつての演奏者たちは普段のコンサートやライブと演奏を変えることなく、ピアソラやステージタンゴ向きの楽曲を選んで「さあ、これで踊れ」とばかりに演奏し、テンポを揺らしたり、変わった編曲で終わりがわからなかったり、これではとても踊れないというケースが多かった。私はそのころはまだ初心者で、CDでかかる曲もあまり知らなかったから、ライブ演奏の方が息遣いがわかっていいなあ、くらいに思っていたけれど、長年録音で踊ってきた人たちは「ライブ演奏は踊りにくいですよ。CDが好き」とはっきり言っていた。
刺身より干物が好きな人はいるものだけど。

TLFが東京に来るようになって、東京の楽団でも特に若い人たちがミロンガでの演奏をするようになり、最近は踊り手たちもライブ演奏で踊ることを楽しみにするようになっている気がする。中でも特に楽しみにされているのがTLFだろう。
私も今回ライブミロンガに行くことも考えたけれど、楽しければ楽しいだけ夫の不在を思って寂しいし、それ以前に、自分が終電まで遊ぶために夫の見守りを誰かに頼むというのは気が進まないので、月曜日に仕事を休んでエル・チョクロに足を運ぶことにした。

夫の代わりにTLFに同行してブエノスに2回も行っているうさこを連れて行く。
  

最前列の席をゲットしてしばらく待っていると、谷本さん登場。
「うさこも来たの」と言うと、当然のように譜面台にセット。
そう、ブエノスではいつもこうして演奏してくれていたのだ。

今回のライブには歌手のKaZzmaも参加。
彼らが初めていっしょにやった横浜エアジンでのライブも最前列で聞かせてもらっていたけれど、その後TLFが毎年ゴールデンウィークに九州、山口、広島で行っている「タンゴの節句ツアー」に昨年KaZzmaが参加したのを経て、有機化学反応が一段と活発にエネルギッシュになって、とてもよいステージになった。


 
 
 
 


「40年代のミロンガ」から「Paciencia」」まで、ソロ、デュオも含めて19曲、選曲のバランスもよく流れもスムーズで、なにより生音で聞けたのが、身体に音がどんどん浸み混んでいく感じでとてもよかった。しかし、これだけ踊り手の好きなナンバーがレパートリーに入ってくると、ミロンガでライブとともにDJする人たちは泣かされるだろうなあ、と思うくらいだけど、きっとTLFは止まらないだろう。

そしてオートラに、私の大好きな Mariposita!  生で歌われるのを聞いたのは初めてだったかもしれない、KaZzmaの歌唱が素晴らしくて、幸せいっぱい。思わず「かっこいい!」と声をかけてしまった。そして、もひとつおまけの Vida Mia も会場をふんわりと優しく包んでみんなを送り出してくれるすてきな演奏だった。

音楽と良い時間を過ごすと、もっと、もっと、と求める気持ちが沸くのもわかるけれど、
今はこの余韻でもうしばらくニマニマとして暮らせそうな気がする。

そうそう、次回までに El Dia はちゃんと歌えるようにしておこう。

2016年9月7日水曜日

"Trumbo" 「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」 

(日本語は下です。)
(Just to keep record of a movie I saw this summer.)

The movie, Trumbo, is about screenwriter Daniel Trumbo who lived through the era of McCarthyism as a Communist sympathyzer.  He was convicted of contempt of Congress for not providing information about his or others' involvement in Communist activity, and served time.  He could not get work assignment after he came out of the jail, because he was blacklisted, so he supplied scripts under different names.  His Oscar winning works included Roman Holiday.

As a student of American Studies, I had common sense knowledge about McCarthism in Hollywood.  I knew such actors like Gregory Peck and Henry Fonda tried to help those who were expelled from the industry, while Ronald Reagan was among those who cooperated with the House Un-American Activity Committee. But I knew little about individual stories at the time, including one about Trumbo, so the movie was very informative and intriguing to me.

The movie centers around Trumbo, but gives close discription of people on both sides--- his family, friends, friends-turned-foes, sympathyzers, etc.  It does tend to make you sympathyze with Trumbo, but you can see things were not so simple as he vs. society as villain. 

Those who went after Communists and their sympathyzers did so not because they wanted to do harm on them or they were mean, but they were filled with fear that their footing might collapse.  They seriously believed that Communism on their own soil would damage democracy and freedom, and out of fear, they tried to eradicate Communists.

It was FDR who said the only thing we have to fear is fear itself.
I truly agree. 
Not having lived through the era myself, it's not easy to imagine how much threat the American felt with the developments on the East side of the world.  But if you had placed trust in unshakable, eternal being, you would not have felt that much fear to unfairly deprive your fellow countrymen of their rights.

Early in the movie, Trumbo's daughter asks her father if he was a Communist.
He says, Yes.  Then she asks if her mother was also a Communist.
He saysm No.  Now, she asks if SHE is a Communist.
The father returns a question:  if your mother made a good lunch for you, and, when you go to school, there is a friend who didn't bring any lunch.  What will you do?
She says, I'll share.  He asks, won't you tell him to go work to earn money?
She says, No,  I won't do that.  He asks, won't you lend him money at a high interest rate?
She says, laughing, Noooo.  The father says, well, you are a little Communist.

This is one of my favorite scenes from the movie.


少し前に見た映画について備忘的に。


トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は米マッカーシズムの時代を生きた脚本家、
ダニエル・トロンボを中心に、その時代が終わりを告げるまでを描いている。
マッカーシズムについては、ハリウッドの有名俳優たちが排斥される一方、
のちに大統領となるロナルド・レーガンなどは排斥に協力的であった
などの常識的知識はあったものの、詳しいことはあまり知らなかった。
トランボの名も、彼とその仲間が、偽名を使って作品を世に送り出し続けたことも、
アカデミー賞を獲った「ローマの休日」は友人の名を借りて出したものだったことも、
全然知らなかった。

映画では、必ずしもトロンボやブラックリストに載せられた人たちが被害者で、排斥する側、寝返る人が悪者、と言った単純な描き方ではなく、それぞれが、それぞれの立場で、時代を生き延びようと知恵を絞り、悩んでいた様子がよく表されていた。

そのせいか、見終わった時に私の頭に浮かんだのは「怖れ」という言葉だった。
確かにあの時代のアメリカで、共産主義は民主主義の対極であり、国内にその分子が存在することは、自分だちの依って立つ体制が揺るがされると信ずるに十分だったのかもしれない。アメリカをアメリカたらしめている価値観を危機にさらすものは許さない、というところがアメリカ的でもある一方、それを理由に同胞の基本的人権を否定するまでになるというのは、アメリカらしくないとも言える。結局のところ、彼らを突き動かしていたのは、自分の足元が危うくなるという「怖れ」だったのではないか。

近年地元県内では在日韓国朝鮮人を標的にしたヘイトスピーチ、ヘイトデモの問題が深刻になり、ネット上でもナショナリスティックな言葉が頻繁に飛び交っている。
オリンピックの報道では、大会の中では禁止されている国別メダル数ランキングを繰り返し言い立てて「国威発揚」に平和の祭典が利用された。
多重国籍の国会議員に対して、感情的な反応が堂々と披瀝されている。
いまこの国で醸成されている空気の中に、怖れとそれを利用する力とがあることを、改めて想起させられた映画だった。

怖れるべきは怖れそのもの、というFDRの言葉を思い出す。

2016年8月12日金曜日

夏休み

私は8月のいわゆる「お盆休み」の期間に休みを取ったことはない。
なぜかといえば
①実家ではお盆は7月にやっていたし
②父の会社は8月1週目が夏休みだったから子どもの頃から世間のお盆休みとは無縁だったし
③ずっとフリーランスで仕事をしているからわざわざこの時期に休みを取る必要もなく
④夫も一斉休業する職場ではなかったので、ずらして休みを取るのが普通だった。

夫が在宅療養になってからは私も仕事を減らしているので、敢えて夏休みなどとるつもりはなかったのだが、個別にこの日とこの日は休みで・・・とやった結果、ふと気づけば山の日から一週間が休みだと気づいた。

思いがけず、世間並の夏休み。。。

きょうはいつもならかかりつけ医に行く日なのだけれど医者も休みなので
「混んでるだろうけど、まあ一応平日だし」
と地元観光地の一つ赤レンガ倉庫に行ってみた。

近くまで行ってみると、全く平日の気配なし。完全に週末、お休み状態の混雑。
近くの駐車場は軒並み満車なのでちょっと離れたところに停めて歩く。
まあ、普段歩かないから夏休みくらい歩こう!


 こんなイベントをやっているけどこれを見に来たのではなくー


とりあえずお腹がすいたのでこちらでなにか食べようと思うものの長蛇の列。
暑いのでこちらを先に。


いつ見てもブルーナさんの丁寧な仕事ぶり、膨大なスケッチと下絵の上に作られている絵本の素晴らしさには感心する。
ミッフィーファンの夫のために少しお土産を購入してから外に出ると、
いよいよステージで催し物が始まるらしく、食べ物が買えそうになったので並ぶ。


キューバン・サンドとノンアルコール・モヒート。
どこがどうキューバンなのかわからないけど、美味しかった。

ぽっかり空いていたのでデッキチェアに腰掛けて食べたのだけど、図らずもピカチュウのショーを見ながら、になってしまった。笑


2016年8月3日水曜日

停電

私が天気の原稿を書くと当たらない

というジンクスがある。
「雨って書いてあるから当たらない方がいいからやってよ」
というデスクもいるくらい。。。

一昨日のニュースでは雷雨の原稿を書いていて、
北海道で大雨、このあと東日本、北日本では翌朝までところによって1時間80ミリの可能性も、という話だったのだけど、群馬県で記録された雨量の情報が追加されたために、「1時間80ミリ」のくだりはカットされたのだった。

午前3時、床に就こうという時に雨と雷がひどくなってきて、
「ああ、あれはカットしないでちゃんと注意喚起したほうがよかったのにな」
と思い出したときは、まだ雷雨は他人事だった。
それでも雷で停電すると困るので、少し起きていようかと思いながら眠ってしまった。

停電が困る、というのは夫の使っている呼吸器はバッテリーが内蔵されていないので、停電の場合は繋ぎ替える必要があるからだ。
バッテリー内蔵型の呼吸器はもちろん、ある。存在はしているし希望すれば使うことはできる。
しかし、我が家ではあえて使っていない。なぜか。
以前持ってきてもらって試したことがあるのだが、なにせ音がうるさいのだ。
音響メーカーでもある会社の製品とは思えないレベルの作動音。
要するに、彼らが「使用者」と考えているのは機械を操作する医療従事者のことであって、患者のQOLなんぞ二の次なのだろうと想像する。

午前5時20分。
聞きなれないアラーム音で目が覚めた。空気清浄機のパイロットランプが消えている。
停電!急いで階下に降る。いつも腰が痛くて起き上がるのに時間がかかるのに、こういう時はガバと起き上がれるのだから人間たいしたものである。
急いで呼吸器のケーブルを付け替えようとしたところで復旧。ほっと胸をなでおろす。夫の呼吸もすぐに落ち着いた。

しかし雷はまだ続いている。ぴかっとした瞬間にドドドドドと凄い音がしているから、安心できない。
30分ほど様子を見ながら、洗濯機のタイマーを設定し直したりして、ようやく遠ざかった感じがしたので、なんだか目が覚めてしまったけど、起きているのもしんどいので二階で横になる。

と6時直前、再びアラーム。
また急いで階段を駆け下りる。今度こそバッテリーの出番だ。すぐにケーブルを繋ぎ替える。
他にも電気を使っている器具はいろいろあるけれど、当面電源確保が必要なのは吸引器だ。
吸引器はスイッチボックスにつないで夫は足でスイッチを押して吸引を行っている。
スイッチボックスへの給電ケーブルをコンセントから抜き、ポータブル電源に繋ぎスイッチを入れる。これは初めてやってみたのだけれど、ちゃんと動作することを確認。よかった。

そうこうしているうちに停電も復旧すると思ったのにちっとも復旧しない。
スマホで調べてみると、停電しているのはうちの町内3丁目と2丁目、それに隣町の一部の計1000戸だけ。運が悪いのか。

以前聞いた話では給電系統には3系統有り、1本目がやられるとすぐ2本目が立ち上がるので、最初は一瞬の停電で気づかないこともあるくらい。2本目の時はもう少し時間が掛かり、3本目がやられると本当に修理が必要なので復旧に時間がかかる、という。
なるほど、それだな、と思った。

うちでは呼吸器を使っているので、停電の時には東電が発電機を持ってきてくれるように手配したと以前ケアマネが話していたのを夫を介して聞いていたのだが、具体的な手続きを聞いていなかったので実際どうなるのかわからないうちに今回の停電になってしまった。かれこれ30分停電が続いたところでケアマネに電話してみると、ちょうどいま東電から連絡があり、ただ今作業中でもうすぐ復旧するので発電機が来ることはない、という話だった。

呼吸器のバッテリーはたぶん2時間くらいは大丈夫だろうけれど、もし切れたらこれもポータブル電源の方に繋ぎ替える必要がある。ポータブル電源は使い方次第だけどまだ使ったことがないからどれだけもつかわからない。夫のそばに付き添いながら待つことさらに50分。
停電が始まってから1時間20分後、ようやく復旧した。

停電したら、ということは以前から考えていて、そのための準備をして頭の中でも何度もシミュレーションはしていたけれど、当座の対応としてはこの体制で乗り切ることができるとわかって良かった。しかし夫がひとりでいるときに起きてしまうと対応できないし、もちろん長時間の停電にはこれでは不十分なので家庭用蓄電設備を導入することも検討している。本当はこの雷の季節になる前に対応しておきたかったところだけれど、better late than never 近々手をつけることにしよう。

2016年7月20日水曜日

Un Tango Más ~ Our Last Tango ~ ラスト・タンゴ



Es una película sobre la vida de los bailarines legendarios de tango, María Nieves Rego y Juan Carlos Copes.  Ellos ya habian separado cuando empecé a tener interés en el baile, así que no los he visto en el tiempo.  La película me enseñó cómo ellos llegaron a ser los legendarios del baile de tango.  Me parece que María sigue caminando con mucho orgullo como artista, pero con sentido de tristeza tambien.


Enough for practicing Spanish...
Our Last Tango is a movie about legendary tango dance couple, Maria Nieves Rego and Juan Carlos Copes.  They are considered to be the pioneers of tango dace to show.  They danced together since their teens into 60s until they were separated in 1997.  By the time I got interested in dancing tango, they were in their separate ways, so I've only seen them in archive videos.  Copes starred in the 1998 movie Tango which I saw, not knowing much about his history with Maria.  It was quite interesting to learn about their career, love and hatred through this latest movie. 
The phrase goes, "it takes two to tango."  So, it canot be easy for Maria to move on by herself.   I give her biggest applause, and I'm sure many of my friends who dance without fixed partners feel encouraged by her words.


現在公開中の映画、ラスト・タンゴ。私も一昨日見に行ってきた。
私は大人の嗜みとしてタンゴを踊る程度で、ダンサーのことも曲のこともそう詳しくはないけれど、Maria Nieves & Juan Carlos Copes が伝説的なダンサーだというくらいは知っていたし、何度か過去の映像を見たこともあった。Copesは1998年の映画「タンゴ」に主演していて、そのときはあの「タンゴ・アルヘンティーノ」のショーの主要ダンサーだったんだってさ、と聞いて見に行ったのだった。
今回の映画のおかげで、彼らがどういう時代、どういう思いで踊ってきたのかというのを知ることができて興味深かった。
その若い頃の映像に、私の師匠ケンジ&リリアナさんたちが重なって見える時間があった。スタイルやテクニックどうこう、ではなくて、精神というか、タンゴのキモというような部分で同じものが見えたという感じ。嬉しかった。

     度々映るNueve de Julio の空撮で、大通りの真ん中にできたと聞いていたバスレーンを確認することが 
      できた。あーなるほど。でもつまんなくなっちゃったな。

この映画、原題はUn Tango Más なのに、なぜか英題はOur Last Tangoになり
それにつられたのか邦題はラスト・タンゴ、というところが私は気になっていた。
確かに内容としては One More Tango よりは Our Last Tango なんだろうな、と思うけど、
女ひとり、これが肝心、と唇を結び前を見るマリアには、「その先のタンゴ」なんてのが似合うんじゃないか、とひとりごちた。

ダンス部分も、インタビュー部分もカメラワークがとても洗練されて見やすい映画だったことも書き添えておこう。

2016年6月8日水曜日

誕生日で命日で

きょうは誕生日だった。
夫が元気だった頃は二人でディナーに行ったり、何か買ってもらったりしていたけど、
今はそれもなく、週末に友人を招いて、やはり6月生まれのTちゃんと一緒に
誕生祝いをするようになった。
今年は先週末、前回夫の誕生会に来られなかった人を中心に集まって、
私の拙い手料理を食べてもらい、Kさんのイタリア・クロアチア旅行報告を聞く集いをした。
 


 
 
 
 
 
 
ケーキはTちゃん自ら、私が好きだった朝ドラ「まれ」の監修をなさったパティシエのお店で買ってきてくれた。 
 







今回はイタリア旅行報告に合わせてイタリアン、と考えたのだけど、
好評だったのはパスタ。なかなかメインを決められず、
以前買った料理の本をあれこれひっくり返して見つけたのが、
タレントのジローラモさんの「マンマのラグー」。
分量も8~10人分とちょうどいいし、お肉は肉料理として食べ、
ソースをタリアッテレに絡めて食べる、というので二品できるので、採用!
シチュー用の肉とスペアリブを玉ねぎのみじん切りと共にパッサータで3時間煮込むだけ。
うまくできてよかった。

さて、きょうは休みを取っていたけれど、一人でどこかに行っても面白いわけでもなし、
さてどうしようか、と思っていた。
 去年の誕生日に父が亡くなり、土地をもらったので(抵当権付き原野 笑)
それを見に行って御殿場のアウトレットでも冷やかしに行くかなー、と思ったけど、
梅雨入りして箱根はとても視界が悪そうなので、墓参りに行くことにした。
先々週末の一周忌には私は行かれなかったことだし、
きょうならまだやぶ蚊も少ないから、行くなら今だ、というわけで。

うちのお墓は、山の上のお寺の墓地の一番上にある。

 
 
急な階段を上がって、狭い通路をずーっと右に行ったところ。
 
階段をうえから見ると 
 
墓からは海もかろうじて見える。それを狙って祖父が選んだ場所なのだ。
 
 
 
お盆でもお彼岸でもない水曜日の夕方のお墓は、さすがに誰もいなくて、
ときどきウグイスなどの声がして、落ち着いていて良かった。
 
 
母の実家のお墓も別の区画にあるので、いつも母がそうしていたように
そっちにもお線香をあげに寄ったら、近くにこんなお墓があった。
 
 
 
作家 西村京太郎氏、確かにこの地に住んでらしてまだご存命だと思うけど、
もう用意したのかな。





2016年5月22日日曜日

5月も下旬となり

この時期「いい季節になりましたね」と言い合うのが普通のようだけど、
私は「あとは暑くなるだけか」と思って、むしろ陰鬱な気分になってしまう。

そこへ持ってきて熊本地震である。
直下であれだけの強震があるとこういうことになる、というのを見せられれば、
自分のいるところで起きたらどういうことが起こりうるか、どう備えるか、ということを考えるので、それもまたさらに気分を沈鬱にしていった。

いや、そのことよりも、そういうふうに考えないで、脳天気にしている人がいたり、
今回の被災地の人たちが「地震なんか来ないと思っていた」と言っていて、
阪神淡路、中越、東日本の経験から何も学んでいなかったのを耳にしたりしたことのほうが気分を落ち込ませるのであった。
熊本県内各自治体も、大雨や台風による土砂災害の警戒は怠りなく、
さらには南海トラフで影響を受けるであろう宮崎県への支援体制は整えていたのに、
自分のところで大地震が起きた場合の備えは遅れていたとか。
残念なことだ。

まあ、国の対応、各地自治体からの協力、自衛隊、警察、消防の連携などは
過去の経験から学んで、ずいぶん効率よくなっていたので、それは心強いことだった。

この国に住んでいる以上地震はつきもの、過去の例から学んで備えをして、
被災した人たちに「あなたたちの苦労は無駄にしない」ということが大事だろうと思うのだ。

熊本市内のある動物病院は、ペットと一緒に避難する人々を受け入れ、
一時は200人以上が避難した、という報道があった。
ここの院長は、東日本大震災の際福島に入り、避難者とペットの問題を見て、
自分の病院を耐震構造にし、いざという時に飼い主とペットを受け入れることにしたのだそうだ。

行政でさえ、国が東日本以降指導していた地震対策を取れていなかった中で、
こういう人もちゃんといた、というニュースにホッとして、嬉しかった。


まだ九州新幹線も止まったままだった頃、
山口の大学で日本語学を教えている義従姉が、研究で横浜に来たついでに寄ってくれた。
昨年度卒論指導をした学生の中にスペイン人がいて、
その人は独学で日本語能力検定1級を取ってしまう実力の持ち主なのだが、
いざ論文となったら論理の流れがつかめない日本語になってしまっていて、
卒論を読むために義従姉は有給を3日とった、という話だった。
あんなふうになるのは、スペイン語の特性が背景にあるのではないか、
日本語と比べてどういうところが違うのか、と聞かれて、
私の限られた知識ではあるけれど、gustar型の動詞などいくつか思い当たることを上げてみた。しばし言語文化論を交わしながらつくづく思ったのは、
私はこういう話題、言語と思考の異文化比較、がやっぱり大好きだ、ということだ。
コミュニケーション学でvalue orientationという概念に属する領域なのだが、
学生の頃この概念に行きあたった時のワクワク感が久しぶりに蘇ったひとときだった。


職場の近くの道路脇に季節の花や木が植えられている場所があって今はバラだ。

 
 
 
 
先日通りがかったら、咲きはじめのせいか良い香りが漂ってきて、
ああそうだ、この時期はバラだよね、というわけで、
数日後、新山下に買い物に行くついでに港の見える丘公園に寄ってみた。
 
ここはバラに溢れてさぞかし芳しい香りが満ちているだろう、と期待していたのだが、
あれれ?
 
 
以前バラばかりだったエリアが、こんな感じ。
どうやらこの春から園内整備中だそうで、ほかのセクションもバラは少なめ。
 
 
僅かに香る種類もあったので、それをクンクンして満足することにして、来年に期待。
 
帰り道、みなとみらい地区の分離帯の草がなんだか可愛らしくなびいていた。
 
 



2016年4月13日水曜日

今年の桜と誕生会



今年の桜はきれいだった。
世間では、去年も一昨年も同じようにサクラ、桜と言っていたけど、
私の目には原発事故以来、本来の桜の美しさは失われ、
色も花の付きも大きさも、どうにも物足りなく思えた。
名所と言われる場所の木は、そろそろ寿命を迎えるものが多いとも聞いていたから、
もうこれまでのような桜は見られないのかもしれないと思っていた。

しかしあれから5年、今年は本来の桜の美しさが戻ってきたようで、
車で走っていても、あ、あそこ、今度はこっち、と
目に留まるのが嬉しい姿が多かった。
自然は強く、再生しているのだとあらためて感じた一週間余だった。

そんな桜ももう終わる頃、約一週間遅れで夫の誕生会をした。
ALSと診断されてから4回目の誕生日だ。
4年前はまだ動けていたから、日曜の午後野外ミロンガで友人たちと集まり、
みんなで中華街にあるシュラスコ屋へ行ったのだった。

その後はうちに集まってもらって、誕生会をしている。
今夫は口から食べたり飲んだりはしていないので、
みんなと食事をすることはできないけれど、
外出できない夫にとって、仲間と会って話すのは、楽しみな時間だ。

スペイン語圏の習わしに従って、食事はうちで準備し、
うちにはアルコール飲料はないので、各自持参してもらう、という形での開催。
なにかと時間が限られるので、作り置きできるものが中心だったけど、
みんな喜んでくれてホッとした。





Cちゃんが持ってきてくれたケーキに、
HちゃんがHAPPY BIRTHDAYの文字キャンドルを載せてくれたのを
私が代理で吹き消した。



この1年、また時々みんなと会う機会が与えられて穏やかに過ごせますように。

2016年3月16日水曜日

大九州展

九州は、好きだ。
修学旅行で行った、博多、臼杵、熊本、長崎、平戸に始まり、
仕事や観光などで福岡、長崎、小倉は何度か訪れた。
夫の母が鹿児島の人だったので、数回だが親戚を訪ねたこともある。
いまは、タンゴを通じて知り合った友人たちも福岡や大分にいて、
関東以外では、九州に身近な知り合いが一番多くなった。

今住んでいるところと違うどこか別の地方に住むなら、九州だろうと思う。
昔から他国との交易があったりして、人々の精神性が外に開いていて、
つまらない東京コンプレックスがないのがいい。

男尊女卑で保守的と言われるけれど、
なかなかどうして九州の女たちは、どっしり頼りがいがあって、
自分の足場をしっかり固めている。そういうところも好きだ。
普通に町で買い物などをして接する人たちもみんな優しくて、感じが良いし。

それになんと言っても
食べ物が美味しい!

だからといって、私はお取り寄せ、というのはあまり好まない。
土地のものをそこで頂くから美味しいのだし、
一番美味しいものは外に出してやしない、と思うからだ。

だが、毎年春に地元のデパートで開かれるイベント
「大九州展」は例外だ。地元の人達がいいものを持って来てくれるので
いつも楽しみにしている。
今年は初日のきょう、行ってきた。


まずはイートインで長浜ラーメンを。
とんこつは実はあまり得意ではない。
疲れている時に食べて胃をやられたことがあるのだ。
このラーメンは豚骨の下処理を丁寧にしているという触れ込み通り、
くせのない食べやすくコラーゲンとろとろのスープで美味しかった。

さてお買い物。美味しいものはたくさんあるけれど、
いまは食べるのは私一人なので、そういろいろ買い込んだりはできない。

冷凍しておけるきびなごやちりめん、干物


















からし蓮根



知覧茶


















などを買い込んだ。
残念だったのは、いつも来ていた老舗のつけ揚げ屋さんもかるかん屋さんも来ていなくて、つけあげもかるかんもあくまきも買えなかったこと。シクシク


この「大九州展」ここ数年4月に移動したりしていたのが、
今年はまた以前のように3月のこの時期に戻ってきた。

そうなのだ。5年前のあの日は「大九州展」の真っ最中だった。
あの日私はニュースの仕事で18時入りだったので、
いつもなら15時頃買い物に行って16時過ぎに戻って家に荷物を置き、仕事に行く、
というパターンなのに、何故かあの日は先に買い物に行って、
つけあげだの、からし蓮根だの、きびなごだのをうきうきと冷蔵庫にしまっているとき、グラグラときたのだった。

夫は公務員だからきょうはもう帰れないだろうが職場にいる限りは大丈夫、
こちらも仕事に行ったらいつ戻れるかわからないけど、行かねば。
「とりあえず、冷蔵庫に食べ物はある」
と安心したのを思い出す。

毎年楽しみなイベントだけど、あの日と被災地に思いを馳せる機会でもあるのだ。

2016年2月29日月曜日

2月

あっという間に2月が終わる。
11月頃から、収まりそうになってはぶり返していた夫の感染症が
1月末でようやく収まって、2月は久しぶりに落ち着いた日々になり、
ちょっと気持ちが落ち着いた分、文章を書くのが億劫になっているうちにもう月末だ。

  感染症がある間は、抗生剤の点滴だのなんだのがあり、
  さらにそれと重なって血糖値のコントロールのための測定やインスリン注射も加わり、
  慣れないことが続いていたので、けっこう大変だった。
  人の体に針を刺すことなど、未だに慣れないし、慣れたくもないけど。

何をしていたかといえば
確定申告の準備をしたり(去年もまた帳簿を全然付けないまま1年過ぎた)

お雛様を飾ったり


近所の梅を見たり











関西のひなあられが醤油味と知ってびっくりしていたら

  







実物をはるばる神戸からお友達が持ってきてくれたり









猫と遊んだり














猫をかまったり








猫に遊ばれたり














明日から弥生。
また数日寒い日が戻るそうだけど、春はもうすぐ。
穏やかな日が続くといいな。