友人であり、敬愛するミュージシャンであるトリオ・ロス・ファンダンゴスが、
タンゴの本場、アルゼンチンはブエノスアイレスで演奏旅行中だ。
3人のメンバー、同行カメラマンのぢゅんぼうさん、私のダンスの師匠でもあり、
TLFとはいつも一緒にステージを作っているケンジ&リリアナさん、
ツアーを仕切ってあれこれとお世話くださっているチノみほさん、
それぞれがライブ感いっぱいの現地報告をブログやFBに上げてくれているので、
こちらもいっしょにブエノスに行っている気分だ。
(37℃の暑さはNo, gracias.だけど)
今回のツアーの前に、ヴァイオリンの谷本さんが自身のブログで
「限界の外に向かう演奏について」メンバーで話し合った、と書いていた。
曰く
限界を、覆いを突き破ってその向こう側に突出したい、
その向こう側の音を出したい。
これで思い出したのが、「Johari's window ジョハリの窓」だ。
心理学やコミュニケーション学をかじった人なら、その入り口で必ず習ったと思うのだけど、
「自分」と言う存在は、自分に見えている部分と、他者から見えている部分、
両方に見えている部分、どちらにも見えていない部分、から成る、と考え、図式化したものだ。
私がこれを教わったのは、大学のコミュニケーション概論Iという講座だったのだが、
恩師のS教授はこの図を黒板に書いたあと、「未知の窓 unkonwn self」の部分の枠を、
黒板消しでちっちっちっ、と点線に変えた。
こんな感じ (拙い絵で申し訳ない<m(__)m> )
つまり、unknown self というのは、|未知、誰にもわからない部分なのだから、
それがどこまであるか、その限界もわからない、線は引けないでしょ、というのだ。
そして、教授は言った。
みなさんには無限の可能性があるんです!
この言葉に、これまでどれだけ支えられてきたかわからない。
もうだめ、無理、と思うとき、この先どうなるんだろう、と不安なとき、
この「窓」と教授の言葉を思い出して、顔を上げて前に進んできた。
夫が難病になって、いま身体能力という意味では限界が狭まっているといえるかもしれない。
けれど、一人の人間の存在としての限界は、必ずしも狭まってはいないと思う。
夫も私も、こうなって初めて見えてきたもの、病気がなければわからなかったことが多々あり、
新たな地平を見ている気がするからだ。無限の可能性がある、私にも、あなたにも。
ファンダンゴスのみんなも、今、三度目のブエノスアイレスで
14年前の結成時には思いもよらなかった景色を見ていることだろう。
それは、この間ひとつひとつ積み上げてきた努力の結果であり、
人と人との結びつきがもたらしたものであり、音楽がその力で産み出したものであるけれど、
限界と思えたところは、たぶんいくつもあって、
それを越えてきたのは無限の可能性があったからだ。
限界はある、けれど、可能性は無限。
だから、きっと、目指す「限界の向こう側」にあなたたちは行くだろう。
羽ばたけ、ファンダンゴス!¡Vamos, Trio Los Fandangos!
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