2013年3月30日土曜日

チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調作品35

いま、レッスンしている曲である。

ヴァイオリンは40を過ぎて始めた。
幼稚園から高校1年まではピアノ、高校から大学にかけては山田流筝曲、
大学時代は並行して長唄三味線、と楽器をやってきたけれど、
ヴァイオリンは
 お坊ちゃま、お嬢ちゃまがやるスノッブな楽器
だと思っていたので、自分がやるとは全然思っていなかった。

それを覆したのは、タンゴ・ビオリニスタのAntonio Agri である。
初めてブエノスアイレスに行った1997年、Agriを含むOrquesta Nuevo Quinteto Realが出演する
Club del Vino に行くことができた。
Quintetoの登場前、くらい客席の後ろからトコトコとアグリが登場。
ニコニコしながらソロ演奏を始めた。さまざまな奏法を駆使したその演奏に、やられた。
 ヴァイオリンってこんなに楽しい楽器だったんだ!

やってみたい。でも、やっぱり幼少のころからやってないと無理だろう。
いや、三味線だって、大学1年から始めて4年の夏には「鷺娘」のタテを弾いたんだし(←ちょっと自慢)
弦が一本多いだけだ、できるだろう、や、そんな簡単なものでは・・・
と、揺れるおりしも、NHKで「ヴァイオリンはともだち」と言う番組が放送された。
千住真理子と中西俊博を講師に、音大を目指す若者だったり、最近始めたおばちゃんだったり、
子どもの頃習っていて今は趣味で楽しんでいるサラリーマンだったり、
いろんな人が、それぞれにヴァイオリンを楽しむ姿を披露してくれた。

そうだ、自分なりに楽しむことはできるはずだ。
でも、楽器とか買っちゃってやっぱり駄目だとこまるなあ・・・
と思った矢先、夫が地元のカルチャースクールのパンフを持って帰ってきた。そこには
 「中高年からヴァイオリンを弾く」
と言う講座の案内が。楽器もレンタルしてくれるという。
いいじゃん、いいじゃん。これで試してみて、ちゃんとやれそうだったら個人レッスンにしよう。

この講座に行ってみると、楽譜も読めないような人、今まで何も楽器をやったことない人が、
50歳、60歳を過ぎて果敢にヴァイオリンに取り組んでいて、勇気百倍。
3か月通った後、並行して個人レッスンを始めたのだった。

タンゴを弾きたい、という思いは当時もいまもあるけれど、
自分の中にないものは表現できないので、もっぱらクラッシックを弾いている。
とはいっても、人前でソロで弾くことはない。
だから、レッスンするソナタやコンチェルトは音楽理解のためだ。
それにしても、チャイコのコンチェルトを弾くようになるとは、
去年この曲に手を付けるまで思っていなかったし、
始めてからも、ふたこと目には「3楽章が弾ける気がしない」と言っていた。

それがきょう、3楽章の最後まで音取りができた。
いくら練習しても、人に聞かせるようなものにはならないにしても、
よくここまできた、と自分に感心している。
 継続は力なり
 
とは、大学時代の恩師が繰り返し言っていたことだけど、
本当にそうだとつくづく思う。

 

2013年3月28日木曜日

スイセンとかハトとかカメとか

日本語のニュースを英語にする、という仕事をしていると、
この時期「どこそこで、○○の花が見ごろを迎えました」と言った話題がよく登場する。

少し前の2月ごろ登場するのが「スイセン」。
これを英語にするときは注意が必要。
ラッパスイセン、キスイセンならdaffodilだけど、白くて小さい日本スイセンはNarcissusと、
英語では違う単語になる。うっかり思い込みでdaffodils と書いてしまって、
読もうとしたアナウンサーが画面を見て愕然とした、ということも過去にあった。

同様に、「ハト」も鬼門だ。
たぶん学校では、ハト=pigeon と習うから、まず頭に浮かぶのはこの単語だろう。
しかーし!「平和の象徴、ハト」となると、pigeon ではマズイ。
そう、石鹸のブランド名にもなっている dove という言葉が、あの白い尾羽の多い鳥を指す。
こういうのが同時通訳中に出てくるのと、困る。
映像に映っていてくれればいいけれど、そうでない状況で
「ハトがたくさん集まって・・・」
と始まれば、つい
"We see many pigeons here."
とかやってしまい、そのあとで
「ハトは平和の象徴です」
と言われても、後の祭りなのだ。

ついでに言えば、「カメ」だって危ない。
tortoise か turtle か。
え、どう違うかって?
tortoise は陸生、turtle は水生の亀を指すとされているけれど、
実際の用例を見ると、どちらの語も「カメ全体」を指して使われることもある。
でも、ガラパゴスゾウガメは tortoise で、ウミガメは turtle なのだ。

私が修士をとったUniversity of Maryland のマスコットもカメだった。
それはterrapin で、縮めて Maryland Terps というと、大学のスポーツチームのことだった。
このterrapinは北米の淡水や半塩水に住む食用ガメのことだけど、
そんなことはMaryland に行くまで知らなかったのは言うまでもない。

2013年3月27日水曜日

鹿児島のこと

鹿児島が好きだ。
と言っても、二回しか行ったことはない。
義母の故郷で、今も親戚がいるので、一度は顔見せに、二度目は夫の病気がわかってから、
動けるうちに、と。

訪ねてみて歴史を知ったり、人と会って話したりして印象深かったのは、
「鹿児島は東京のことなんか全然気にしていない」
ということだ。
地方都市というと、東京をいつも意識しているような感じがあり、
「東京にあるものがここにもある」のが「よいこと」、あるいは「進歩」であるかのように、
開発したりしている様子がよく見られるが、鹿児島の人たちは、そんなものより、
自分たちがずっと培ってきたものに自信を持っているように見える。
何百年も前から、中央から独立して海外と交流してきた歴史のせいだろうか。
そういう土地に育まれた人たちもまた、とても懐が深く、肝が据わっていて魅力的だ。

そんなわけで、
毎年地元デパートで開かれる「大九州展」で鹿児島の物産を買うのを楽しみにしている。
きょうの初日は、まず、切らしてしまった知覧茶を購入。
お茶請けのかるかん饅頭、そして、めったに手に入らない「あくまき」も。
会期中にもう一度、きびなごやつけ揚げを買いに行くかな。

2013年3月26日火曜日

訪問入浴サービス

きょうは夫のところに訪問入浴サービスが来た。

夫はかなり呼吸機能が落ちているのと、上半身の姿勢を維持することが難しいので、
今はシャワーチェアに座ってもうダッシュで頭と身体を洗うのが精いっぱい。
湯船に入ることはできなくなっているため、訪問入浴サービスを利用することにし、
きょうがその初回だった。

ナース1名に介護スタッフ2名が通常の1チームらしいが、きょうは、先週下見に来た介護福祉士も来て、総勢4名。スタッフが浴槽の準備をする間に、ナースは夫や私から情報収集し、これをチームで共有したうえで手順を決め、全員が声を掛け合いながら、仕事に当たる。
ALS患者は、症状の進み方にかなり個人差があるし、そもそも数が少ないので、うまく対応してもらえるか少し不安があったのだが、これまでの経験を活かしつつも、その先入観に縛られるのではなく、今目の前の患者さんの状態をきちんと把握して適切な対応をしようとしている、良いチームだったと思う。

訪問入浴サービスが来てくれた日は入浴介助をしなくていいから、その分の私の負担は減るけれど、その時間任せきりにできる訳ではないし、準備や後始末もあるから、負担軽減のメリットには限度があるけれど、夫にとっては「久しぶりに湯に浸かってとても気持ちがよかった」という大きなメリットがあった。なによりもそれが大事。よかった。

初めて知ったこと

お風呂で聞いていたNHKラジオ深夜便で聞いた、驚愕の(!)事実。

福島第一原発は、50メートルの崖地を5メートルまで削って平たくしたところに建てたものだという。
麗澤大学教授 松本健一氏が語っていた。

インタビューの一部しか聞いていないけど、これはびっくりだ。

原発関係は、駆け出し通訳の頃結構仕事をした。
そのころは、核燃料サイクルやもんじゅのプロトタイプが動き出そうという時代で、
私があった人たちは、それが夢のようないいことばかりでないことをよく知っていた。
ふくいちの事故の後いろいろなことが表に出て、今の原発関係者はそうではないと知り、
かなりがっかりした。

だいたい、非常電源を建屋より海側に置くなんて!
そして、それがあの事故を招いた最大のチョンボだと思っていたら。


50メートルの崖地なら、せいぜい20メートルくらいにしておけば、津波が来ても大丈夫だったのだ。
本来の地形にふさわしい津波が来ただけで、なにもあの大津波が特別だったわけじゃないんだ。

なぜ平らにしたのかと言えば、建設や運用に際しての経済性が優先されたからだそうだ。

ばかみたい。

折りに触れて思うことだが、日本人はお金に魂を売ってしまっている。
情けないことだ。

2013年3月25日月曜日

ブログ始めました

毎日頑張ってる自分を、誰かに見て欲しいわけじゃないけれど、
今の自分の中にあるものを残しておきたいから書いてみる。


四半世紀余り続けてきた英語ニュースの仕事の裏話など、
そろそろ時効の話題をブログにして書いてみようか、と思っていたところに、
夫がALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたのは、去年(2012年)の3月16日。
急速に進行する病状と一緒に走る毎日もまた、どこかで記録しておきたいと思いながらも、
とてもそんなエネルギーも時間もないままに、1年が過ぎた。

なんでも順番に書こうとするから大変になるのだ。
構えないで、その日思いついたことをただ書き留めればいいのではないか、
それさえしなければ、みんな失われてしまう、誰にも気づかれずに終わってしまう、
と思い至ったのはつい、数日前のこと。

だからとりあえず、書き始める。

仕事のこと、猫のこと、夫のこと、音楽のこと、
いつ何が飛び出すか、どんな頻度で書けるかもわからないけれど