2015年11月16日月曜日

"You're not you."

Just saw the movie, "You're not you." with Hillary Swank.
I went to see it just because it's about a woman with ALS.
Swank is not necessarily my favorite actress, and I didn't do much research before going.

As the title appeared on the screen, I was a little surprised,
because, unlike me, I hadn't checked the original title,
and didn't know it was so different from the Japanese title.

In Japan, foreign movies are often given Japanese titles when they go on screen.
Sometimes, they are same as the original, such as Star Wars and Back to the Future,
but often---especially when neither the original as it is nor literal translation works---
distributors create titles that may be more appealing to Japanese audience.

So, this one was titled
"In place of a good-bye."

In a way, it was misleading.
With this title, I had imagined that the movie was about the woman's life with ALS,
and what impact she leaves on her private caretaker.

But, no, that was not the focus, and it was so expressed in the original title.

"You're not you." was about 2 women who were hiding their true self,
and came to rediscover and reveal it through their friendship.

So, it appeared to me ALS was just a setting in this movie, which I didn't buy.

ALS is a disease that affects patients quite differently from person to person.
Maybe Swank was doing a good job in her role of a woman described in the original novel and the scrip, but her condition was totally different from my husband's, or any other patients I've ever seen.
I only hope that people wouldn't assume that ALS symptoms always develop like that.

Another thing that bothered me was a stereotypical way of depicting rich people as pretentious and nice on the surface but not very caring, while people who are not established are more down-to-earth.  I don't think the world is that simple.

I liked the movie,  "The Theory of Everything",about Stephen Hawking and his wife.
Compared to that, "You're not you." was a disappointment.



2015年10月7日水曜日

タマゴのチカラ 

ふと気が付けば、このブログも放置したまま9月が過ぎ、10月ももう1週間。
何かがあったのというより、むしろこれまでになく淡々と毎日が過ぎ、
書きたいことはあっても言葉が溢れてくるという感じがなく、
むしろ書く事が億劫になっていた。

日々淡々と過ごせていたのは夫の状態が割合安定しているからだ。
この3年半、目まぐるしく変化する状態に対応するため、
ルーティンというものが定まらないままに、しかしやることは沢山あり、
かつそれを妨げる条件はどんどん変化し新たな問題も発生し続けてきたのとは大違いだ。

ひとつには、口から食べるのをやめ、すべて胃ろうからの経管栄養と水分補給にしたことで、
誤嚥がなくなり、しつこい痰に苦しめられることがなくなった。
食べる楽しみがなくなってしまったのは残念だが、誤嚥から起こるトラブルの苦しさを考えると
やはりリスクを排除したほうがよいと思う。

そしてもうひとつの要因と思われるのが、卵。
6月の敗血症騒動後、アルブミン値を上げるためタンパク質を強化するようにとDr。に言われ、
それまで半固形の経管栄養剤をお湯でのばしていたのを牛乳に変え、
さらに毎日卵1個を追加した。

卵は温泉たまごにして胃瘻からシリンジで注入する。量にしてちょうど1本50mllというところ。
夫はこれまで1,300kcalを経管栄養で朝500g、昼夜各400g摂っていたのだが(容量では100g=90mlくらい)だんだんお腹がいっぱいになってしまうようになり、5月ころから1,200に減らしていた。もしかするとそれで抵抗力が落ちて敗血症になったのかもしれない。

経管栄養1,200+牛乳+卵に変えてから、頑張って1,300入れていた時より体調はずっと安定している。卵は完全栄養体と言われるし、昔は病人にしか食べさせなかったくらいだし、アミノ酸スコア100の食品だということは承知していたけれど、これほどはっきりとその力を感じたことはない。

私はコレステロール注意報出されて服薬しているくらいなので、卵は積極的には食べないのだけれど、朝、夫の温泉たまごがシリンジで吸いきれずに匙にほんの爪の先ほど残ったのをペロっと舐めるのだけど(もったいないから)、それだけで調子が良くなったくらいだ。

だから
なんとなく体調がすぐれない人、食が進まない人には卵をお勧めしたい。

温泉卵は、卵をどんぶりに入れてたっぷりのお湯を注ぎ
ラップをかけて置いておけば20~30分でできる。
室温によってお湯の冷め方が変わるし、卵の固まり方も好みがあると思うので、
ティー・コゼを被せるなどして調節すればよい。

2015年8月24日月曜日

洗濯機

土曜日の朝、起きてみるとタイマーセットしておいたはずの洗濯が終わってない。
見ていると、脱水まで来てるんだけどその先に進まない模様。
洗濯物を出して、脱水だけやろうとしてみても、やっぱりダメ。

うーん、これは排水管の詰まりか、はたまた洗濯機の排水口の不具合か。

実は前夜、洗面所で歯磨きしながら思ったことがあった。

洋服とか、ちょっとした日用品とか、壊れるまで使ったりしないで、
そこそこのところで買い換えるよねえ。
車だって、壊れるまで乗る人もいるかもしれないけど、
大抵はその前に買い換える。

だけど、エアコンとか冷蔵庫とか洗濯機とかは
「もう~、急に壊れちゃってさあ」という話をよく聞くし、
私だって壊れて修理できなければ買い換える、でやってきた。
けど、これらの家電こそ、壊れたら困るものだし、
特に洗濯機はいま、病人のために毎日使ってるから壊れると困るよなあ。

ああ、私の心の声を聞いてたのね、洗濯機ちゃん。

排水管にしても洗濯機にしても、人に来てもらえば出張費で8千円とか、
それに技術料だなんだで2万円くらいはかかって、かつ直らないかもしれない。
やっぱり買い替えか。
そういえば、給水部のパッキンもゆるくなって洗濯終了後すぐ出さないとまた濡れちゃってたり、
以前排水部から水漏れもあったしね。

ネットで見てみると、いつも利用している家電店で
「今から1時間42分以内に注文で本日中お届け」
とある商品がある。よし、この中から選ぼう!

大急ぎで知人が運営する○○ク.comのクチコミをチェック。
今までのは乾燥機もついていたけど、ほとんど使わないから今度はいらないけど、
欲しいサイズと色が一致しないなあ、今年モデルはぐんと値段が上がるんだ、
など悩んでいるうちに刻々と時間が過ぎる。
やっと決めて購入手続きを始めたら、
まだ時間があるはずなのに「明日お届け」と出る!
なぜ~~?
再確認しようとすると今度はiPadのwifiが調子悪い。
閉じていたPCを慌てて起動してやり直し。
やっぱり「明日お届け」と出るけど、構わずポチ!
30分以内に電話確認依頼を選択して、先方からの電話を待つ。

20分ほどでかかってきた電話で当日配達可を確認して一安心。
これが14時前で、実際の配達は20時だった。

いやはやばたばたしたけど、店舗に出向かないで商品情報を比較して購入し、
こんなに早く届けてもらえるんだから便利な世の中になったものだ。




2015年8月12日水曜日

御巣鷹山

あのJAL事故から30年。
私が今の英語ニュースの仕事を始めて、3ヶ月目に入ったころに起きた事故だった。

当日の19時ニュースには私は入っていなかったのだけれど、
確かJAL機の機影がレーダーから消えた、という一報を入れて終わったのだった。
その後は夜通し錯綜する情報にマスコミも翻弄され、
事故機の行方が杳として知れないまま朝を迎えた。

当時私は、平日は民放の昼ニュースも担当していた。
7分間のニュースを、ネイティブのアナウンサー兼リライターと
我々ニュースライター2人(うち1人は同時通訳も兼ねる、私はその役割)
そしてディレクター1人という、とんでもなく省エネな人員で作っていた。
原稿が来るのはいつもギリギリで、放送が始まるとき終わりの方の原稿はまだ作業中。
それを書くライター1人を残して、あとの3人はスタジオに入って放送を始め、
ライターは原稿が書けたら後から突っ込み、アナウンサーはそれを読みながら英語を直していた。

普段からそんなだから、間に合わない原稿が同時通訳になることも多かったが、
あの日はそれ以上に事態が現在進行形だったから、書けるものがほとんどない状況だった。
墜落現場がようやくわかったものの、地上からの救助隊がなかなかたどり着けず、
様子がわからない。

あれもこれもわかりません、の繰り返しになってしまうのか、
と思いながらスタジオに向かう直前、
他局の画面がヘリに引き上げられる川上慶子さんの姿を映し出した。

生存者がいた!

この一筋の明るいニュースがあったことは、
この時の厳しい同時通訳を乗り切るのになによりの力になったのを覚えている。

その日の19時ニュースは、専門家の解説なども交えて2時間の長丁場になった。
私はライターで入っていたので、2人の先輩たちが生中継や解説だけでなく
流動的で書いてあった原稿が使えなくなってしまう場面も含めてカバーしていくのを
感心して聞いていた。

今なら、専門用語や背景情報の確認がインターネットですぐできてしまうが、
(不確実な情報も山のように入ってくるという問題もあるが)
30年前は原稿打つのもタイプライターだったくらいで、
「圧力隔壁」など航空機に関する用語を確認するのに
What's What や Oxford Pictorial Dictionary などが活躍し、
様々な専門用語や背景知識を確認するために、専門家に電話したりした。

当時は写真週刊誌全盛で、新聞などが載せられない痛ましい現場の写真を掲載するなど物議をかもしていた。私たちも、被害にあった方たちやその家族の心に配慮した表現の工夫など時間をかけて議論し日々報道に当たったのも、大切な経験だった。、
本当に、この事故のニュースを通じて多くのことを学んだ。

毎年この日が来ると、当時の緊張感が蘇ってくる。
改めて犠牲者の方々とご家族、そして搜索や捜査だけでなくさまざまな形で御巣鷹に関わった人たちに平安あれ、と祈りたい。

御巣鷹山へは Googleストリートビュー で行くことができる。
たまたまグーグルに入社したご遺族の一人が、会社に提案して実現したものと聞く。


2015年8月1日土曜日

熱中症注意

8月1日。
亡くなった父の誕生日である。今年はもう、おめでとうを言う相手がいないのだと
改めて思うけど、まあ、今までもちゃんと祝っていたわけではないので
偉そうなことは言えない。

32年前、同じく6月に同じく86歳で亡くなった祖父(父の父)も
8月1日が誕生日だったのだが、
葬儀の時、お棺に入れてくれと祖母が出してきた祖父のへその緒の箱を、
母がひょいと裏返して吃驚、誕生日は6月6日だったか、9日だったか、
とにかく8月1日ではない日付が書いてあった。
(私も見せてもらったけれど、びっくりしているうちにお棺に収められ
焼いてしまったから、正確な日付は雲の上である。)
なるほど、祖父は獅子座というよりはふたご座だったな、と思って、
ちょっと親近感を強くしたのだった。

それはともかく。

父の七七忌をすませるとともに梅雨も明け、一気に暑さが増してから、
なんとなく体調がすぐれずにいた。
朝起きてから夕方くらいまで、背中や脚がなんとなく痛み、動くのが億劫、
食も進まず、かといって風邪の症状があるわけでもなく、
とりあえず痛み止めと栄養ドリンクを飲み、仕事に行くとだんだん元気になり、
夜は気分も良くなるのだけど、翌朝はまた腰や背中が痛む。

数日それが続き、ふと熱を測ってみたら、37.3度あった。
私の平熱は35.8度くらいである。夏とはいえ高すぎだ。

「風邪なんか引かないぞ」

とツイートしてみたりしたものの、なにか違う気もしていた。
熱が37.6度まで上がった日も家事をしてどっと汗をかいたら36.6度まで下がり、
夕方仕事をしながら、ひさしぶりに買ったスポーツドリンクを2本飲み干したら、
身体のモヤモヤ感が取れてきた気がしたところで、はたと気づいた。

もしかして、熱中症?

私は夜中に2度くらいは目を覚ますのだが、
目が覚めたらうがいをしてついでに水を一口含むようにしているのだけど、
寝ている間に脱水しているとすれば、ただの水を飲むのはかえって良くなかったのかも?
それで朝は熱が上がっていたのかも?

そこで水やお茶が中心だった水分補給をスポーツドリンク中心に変え、
夜中目が覚めた時もスポーツドリンクを飲むようにし、
「塩分足りないなあ」と思いつつも手が伸びずにいた梅干を意識して食べるように変えたら、
3日ほどでそれまでの不調が解消した。

昨日、かかりつけ医にこの話をしたら、

「お年寄りだったら死んでたわよ」

と言われた。
やっぱり。これが室内でなる熱中症というやつか。

立秋に向かって、一昨日くらいから風が変わった気がするけど、
まだしばらくは「猛暑」らしいので、みんな、気を付けようね。

2015年6月27日土曜日

敗血症とか感染性ショックとか

6月13日、父の通夜から戻ると、留守を頼んでいたナースが
夫が熱があるようなので、抗生剤を始めておいたほうが良いと思う、
ドクターには報告しておくので、と言う。

夫は尿道カテーテルを使用しているため、時たま感染で発熱することがあり、
抗生剤は常備しているので、さっそくそれを夕食後の薬に加えた。
その後熱が38.9度まで上がったので解熱剤も投入して寝む。

翌14日、大汗かいて熱は下がり、尿量が少なかったりしたのも夕方までに改善し、
もう大丈夫だろうと思いつつ、その間4回着替えたものをせっせと洗濯。
夜はシーツも替えて、今夜は気持ちよく寝られるといいね、と話していた。

ところが私が寝ようとした午前3時、夫は寒気がすると言い出し、
布団を掛けたりしたものの、心配なのでソファで横になった。
朝までたびたび、水分補給やら、酸素を測ったりやらしていて、寝られたのは1.5時間ほど。

15日朝になっても熱が下がらず、酸素飽和度も下がっていたので、
呼吸器に酸素を流してみたが、思ったように上がってこないので、Dr.に往診を依頼。
尿に白血球が出ていたり、脇腹が張って痛みがあるので、
腎盂腎炎を起こしている可能性もあるとのことで、
通常3回に分けて服用する抗生剤を一括投与し、尿の培養検査をすることに。

その後、熱は下がったものの、腕から手の甲に汗をかいていること、
尿がミルクティーのように濁っていることという、今まで見たことのない所見があったので、
夫は大丈夫と言っていたけれど、寝不足でもあるし、仕事は休むことにした。

午後、訪問看護師が来たので2階で横になったら2時間寝てしまったていた。
降りてみると、感染性ショックが心配なので、先生を呼んでいます、と言う。
酸素飽和度と血圧がかなり下がっていたらしい。
改めて往診の結果は、敗血症の疑い。点滴の抗生剤を投与して、これが効けば、という。

効かなかったら、危ないのか?

本人は大丈夫だよ~、と言っているし、私も楽観的ではあったのだけれど、
一応妹だけには連絡してみたら、様子を見に来てくれた。

夜、経過を診にDr.が来る。やはり血圧が低く、ショック状態で、救急で運ぶ状態だと言う。
うちでは何があっても病院には行かない、と決めているし、
そのことは在宅療養に関わるスタッフ全員で共有しているはずなのに、
なぜまた、病院を持ち出すんだろう、とちょっとイラっと来る。

クリニックで手持ちの薬剤に限りがあるとか、いろいろ都合もあるんだろうけれど、
今が治療を急ぐ時なら、わかりきったことをまた聞かないでほしい、と思う。

血圧をモニターしながら、昇圧剤を少しずつ注射、さらにステロイド剤点滴でなんとか持ち直し、
昇圧剤の継続点滴をセットして、Dr.が引き上げたのが深夜0:30だった。
夫の様子を気にしながら、またソファで仮眠。

16日朝8時にDr.来訪。
抗生剤の点滴をし、血圧が上がっていて、尿も出ているので、快方に向かっているとのこと。
11時に同じクリニックの若先生が来るということなので、10時まで自分のベッドで休む。
若先生が来た時は、血圧も100以上になっていたので、ストップしていた内服薬や栄養を再開し、昇圧剤の点滴も普通のリンゲル液に替えて・・・としたところで、血圧急降下!
点滴に入っていた昇圧剤は、ダイレクトに作用するタイプのものだったので、
回復していたのは、それに頼ってのことだったのが判明。

これは身体の脱水がまだ続いている状態なので、急速輸液が必要。
点滴を全開にするも、これでは遅すぎる!と、
点滴液をシリンジにとってシリンジから押し込む策に出る、若先生の好判断で70台まで回復。

この日は訪問入浴だったけれど、お風呂は無理なので清拭をしてもらい、
その間血圧はなんとか70台をキープして終わり、
夜8時にDr.が来てくれたときは、80台後半まで戻っていた。
一応落ち着いて来たので、夜は2階で寝ることにしたのだけど、
朝8時には点滴を付け替えなければならず、起きられるのか不安。。

17日、点滴は続けているものの、全体的には落ち着いてきたようなので、
午後訪問看護が入ったところで、今度はさのすけを動物病院に連れて行く。
便秘である。このところのストレスが、さのすけにも伝染したのか?
うちの近所には2軒動物病院があるのだか、どちらも私が行ける午後の早い時間は休みのため、車で20分ほどの別の病院に行く。寝不足で運転は辛いが、しかたがない。
一旦帰って、夕方マッサージの人が来たところで、買い物と食事に出る。
うちには手首式の血圧計しかなかったので、上腕式の血圧計を買ってきて、ちょっと安心。

18日、だいたい復調、のはずが、今度は痰が取れなくて酸素飽和度が77とか出るし、
血圧が150台に跳ね上がるしで、カフアシストしたり、スクィージング、タッピングと、
点滴が繋がってる中でやるもんだから、もう大変。
もともと、血圧は高めで薬を飲んでいたのだけれど、
今回のことで中断していたところ、体調の回復とともにまた上昇傾向になったのでは、
ということで、血圧の薬を再開。
できるだけのことはして、どうしても取れないところはDr.とナースに任せて、
この日は仕事に行った。

帰ってきたら、すっきりしていたみたいで、それはよかったのだけど、
ナース達が使ったものが出しっぱなし、開けっ放しがいくつもあって、がっかり。
さらに、今頃になって点滴についての注意書きがテーブルの上に置いてある。
こういうものは3日目じゃなくて初日にいただければもっと有益だったでしょうね。
寝不足とイライラも極限である。

19日、感染症を起こしていた菌が特定され、抗生剤が変更に。
これまでのとは薬剤の合わせ方も変わって、ちょっと神経を使う。
この頃になると、輸液によるむくみが問題になってきたので、今度は利尿剤を使うことに。
体力の回復の為に栄養価を上げるため、通常の経管栄養に牛乳や卵などの追加を考える。


そんなこんなで、きょう27日現在、抗生剤の点滴は続け(あすまで)、
栄養強化は継続、投薬は最低限必要なものだけ再開、という対処で、
血圧は薬を使わず平常値、酸素飽和度、脈はまあまあ、というところ。

今回のエピソードが始まってからずっと声が出にくくなっていたのだけれど、
たぶん、それは脱水のせいだったようで、24日くらいからまた出るようになってきて、
おおよそ、以前の生活が戻ってきている。
ALSという病気はそれ自体「よくなる」ということがない病気だけれど、
それに伴って起きてくるトラブルは多々あり、その都度解決法を探しながらやってきたけれど、
今回はかなりシビアだった中で「よくなる」というシーンを見られて良かったと思う。

まあ、なにごともなく、淡々と、というのが本当は望ましいのだけれど。





2015年6月17日水曜日

Birthday 2015

(English text below.)

近年誕生日は、誕生日が近いタンゴ友Tちゃん夫妻といっしょに
ポルトガル料理なぞ食べに出かけて祝っていた。
夫が外出できなくなってからは、タンゴ仲間と家で餃子会をしているのだが、
今年は、Tちゃんが出産後間もない、ということもあったが、
それ以上に、なんとなくその気になれなかったので、
格別に行事は計画していなかった。

それはなにかの、「虫の知らせ」ってやつだったのか。

誕生日の早朝、妹から電話。
父が心停止となり、近所の病院に運んで処置中、と言う。

瞬間、思考停止状態になり、
きょうはナースが来るのが14時半だから、それまで出られないと思う、
また連絡する、と言って電話を切る。

階下に降りて夫に話すと、今、行ってくれば、と言う。
時計を見ると7時、普段夫の朝のルーティンは10時ころからだから、
夫がいつもどおり寝て待っていてくれれば、行ってくる時間はある。
幸い夫の体調はよかったので、出かけることにし、
妹に「今から支度して向かう」とメール。
そこらに出ていた服を身に着け、BBクリームだけ塗って家を出た。

車を出すときに妹からメール。

ダメだった

そうか。

カーオーディオから流れてきたのが、谷本仰 Solo Dialogues なのがありがたい。

病院に着き、処置を待つ間妹と話す。
どうも週末から体調を崩していたようで、痛み止めのせいでふらつくと言って、
妹の助けを借りて朝トイレに行き、妹が待ち構えていた車椅子に座ったとたん、
様子がおかしくなり、妹は心マッサージをしながら救急車を呼び、搬送したのだそうだ。
もともと心臓弁にトラブルを抱えていたところに、肺炎を起こし、力尽きたのだろう。

結局蘇生することはなかったけれど、
たぶん、一番びっくりしたのは本人だったのではないだろうか。
霊安室で会った父は、「あれ?来てたの」とうたた寝から起きそうな顔をしていた。

とりあえず、父を家に連れて帰らなければいけないのだが、
病院では、葬儀社を紹介することもできるし、
処置室から霊安室への移動を担当する葬儀社は、月ごとに交代で、
きょう入っている業者に頼んでも構わない、
もちろんもう決まっている場合はそちらに頼んでもらっても良い、という話だった。

妹と、去年母の葬儀をしてもらったH殿でいいよね、と話したのだが、
妹のスマホにH殿の電話番号の登録が、ない。

霊安室で待っていた、「今月担当の葬儀社」の人にこちらの意向を聞かれ、
H殿にお願いしようかと思ってるんですが、と言うと

「あ、そこに入ってるのがうちです!I橋です!」

スマホをいじる妹。。。 あ、あった、I橋で入れてたんだ。。。

来ていた人は別の支店の人だったので、連絡をとってもらい、
去年担当してくれた、I橋ではダントツだという女性が、
今回も担当してくれることになり、先週の土日で、無事葬儀をすませることができた。

母が亡くなった時は、妹から「危ない」と連絡をもらったのは、
火曜日午後の夫の訪問入浴の真っ最中で、
その後の時間帯も誰も入らない日だったから、病院に行くのは諦めたのだが、
姪のひとりが駆けつけるまでもたせたので、亡くなったのは夜になってからだった。
それならそこだけ、行けばよかった、と後悔したし、
その後も実家に行ったのは湯灌も済ませて、母の顔も作ってしまったあとになり、
私は一体何をやっているんだ、と、思った。

夫の病気のこともあり、親の死に目にはあえないだろうとは思っていたし、
実際、父のときも間に合わなかったのだけれど、
少なくとも今回は、人並みに知らせをもらって駆けつけ、
葬儀までの間も、実家で過ごす時間を持つことができたから、
気持ちは随分楽だった。

父は先週、母の遺したものの後始末を終えたところだった。
自分が逝ったあとのことまでは手がまわらなかったものの、
区切りをつけ、ほっとして逝ったのだろうと思う。
自分の父(私の祖父)も、同じ歳で亡くなったのが32年前の5日前だったことも、
意識のどこかにあったのかもしれない。

私は、性格ー特に欠点ーが父に似ているために、父が苦手で、
たぶん向こうもそうだったと思う。
だから、私たちは決して親密ではなかった。
それでも亡くなってみると、思い出すのは父の立派だったところ、
自分があれこれ楽しむことよりも、人助けを喜んでいたことなど、
長所と言えるところだ。
今年は戦後70年と言われるたびに、
父があまり話そうとしなかった戦争中のことを、一度聞いておきたいと思っていたのだが
それは叶わなかったのがひとつ、心残りだけれど、
いまは、先に逝った母に、
「え~?もう来たの?」
と邪険にされていなければいい、と思うのだ。

My father somehow chose my birthday last week to die.
Maybe it's for me to remember the day. (In Japan, the day of death is more important to remember than one's birthday.)

He had heart problems for many years. He suffered pneumonia over the weekend, and apparently his heart gave in just after my sister took him to bathroom in the morning.

I was never close to my father, largely because I inherited his shortcomings, and I hate to find them everytime I saw him.

In order not to disrupt my husband's daily routine, I only attended the vigil and missed the funeral ceremony.  Still, I could spend more qualify time with my family over last week than when my mother passed away last October.

My father just finished dividing what my mother left among us, so he must have felt relieved as he went to her side even though he didn't finish taking care of what he was going to leave behind.  We only hope that my mother is not too surprised at his joining her so soon.