あのJAL事故から30年。
私が今の英語ニュースの仕事を始めて、3ヶ月目に入ったころに起きた事故だった。
当日の19時ニュースには私は入っていなかったのだけれど、
確かJAL機の機影がレーダーから消えた、という一報を入れて終わったのだった。
その後は夜通し錯綜する情報にマスコミも翻弄され、
事故機の行方が杳として知れないまま朝を迎えた。
当時私は、平日は民放の昼ニュースも担当していた。
7分間のニュースを、ネイティブのアナウンサー兼リライターと
我々ニュースライター2人(うち1人は同時通訳も兼ねる、私はその役割)
そしてディレクター1人という、とんでもなく省エネな人員で作っていた。
原稿が来るのはいつもギリギリで、放送が始まるとき終わりの方の原稿はまだ作業中。
それを書くライター1人を残して、あとの3人はスタジオに入って放送を始め、
ライターは原稿が書けたら後から突っ込み、アナウンサーはそれを読みながら英語を直していた。
普段からそんなだから、間に合わない原稿が同時通訳になることも多かったが、
あの日はそれ以上に事態が現在進行形だったから、書けるものがほとんどない状況だった。
墜落現場がようやくわかったものの、地上からの救助隊がなかなかたどり着けず、
様子がわからない。
あれもこれもわかりません、の繰り返しになってしまうのか、
と思いながらスタジオに向かう直前、
他局の画面がヘリに引き上げられる川上慶子さんの姿を映し出した。
生存者がいた!
この一筋の明るいニュースがあったことは、
この時の厳しい同時通訳を乗り切るのになによりの力になったのを覚えている。
その日の19時ニュースは、専門家の解説なども交えて2時間の長丁場になった。
私はライターで入っていたので、2人の先輩たちが生中継や解説だけでなく
流動的で書いてあった原稿が使えなくなってしまう場面も含めてカバーしていくのを
感心して聞いていた。
今なら、専門用語や背景情報の確認がインターネットですぐできてしまうが、
(不確実な情報も山のように入ってくるという問題もあるが)
30年前は原稿打つのもタイプライターだったくらいで、
「圧力隔壁」など航空機に関する用語を確認するのに
What's What や Oxford Pictorial Dictionary などが活躍し、
様々な専門用語や背景知識を確認するために、専門家に電話したりした。
当時は写真週刊誌全盛で、新聞などが載せられない痛ましい現場の写真を掲載するなど物議をかもしていた。私たちも、被害にあった方たちやその家族の心に配慮した表現の工夫など時間をかけて議論し日々報道に当たったのも、大切な経験だった。、
本当に、この事故のニュースを通じて多くのことを学んだ。
毎年この日が来ると、当時の緊張感が蘇ってくる。
改めて犠牲者の方々とご家族、そして搜索や捜査だけでなくさまざまな形で御巣鷹に関わった人たちに平安あれ、と祈りたい。
御巣鷹山へは Googleストリートビュー で行くことができる。
たまたまグーグルに入社したご遺族の一人が、会社に提案して実現したものと聞く。
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