横浜美術館の「モネ それからの100年」。
夏休み期間は混むからそのあとで、と思っていたら
どちらも24日で終わってしまうではないか!
と気づいたのは先週末のこと。
慌てて調べたら、文学館は17時まで、美術館は18時まで。
ただし、美術館のほうは金曜と土曜は20:30までの日がある!
14日午後、かかりつけ医に行ったあと二つともやっつけることにした。
かかりつけがちょっと混んでいたので、文学館に着いたのは15時すぎ。
10年前に101歳で没した翻訳家・作家、石井桃子が本を読むことのよろこびと大切さを子どもに伝えてきた生涯を追った展示。
入り口に唯一の撮影スポット。
この人のことは、名前と「クマのプーさん」の翻訳をした、ということくらいしか知らなかったけれど、1907年~2008年という、まさに20世紀という時代に一定の環境を与えられた女性だったからこそのしなやかな生き方に、ちょっと圧倒された。「書く人」だったからということもあるだろうけれど、高度成長期以前まではみんな手紙で連絡をしていたから、たくさん手紙のやり取りがあって、それらが保存されていることで文字に現れる書き手の心や置かれた状況も伝わってきて、やっぱり手紙って大事なあ、と思った。しっかし、細かい字でいっぱい書いてること!
1時間ほどかけて展示を見た後は、元町に下りて一休み。
甘いものはできるだけ避けているのだけど、目の前に出現したパンケーキ屋があまりにおいしそうだったので、「甘くてもいっか」と入ってみたら、お食事パンケーキもあったので、サーモンとアボカドのパンケーキを注文。出てきたら全粒粉パンケーキだったので、嬉しかった。味のバランスもよく、満足。
小一時間後、今度は横浜美術館へ。
モネの絵画と後代の作家の作品(絵画・版画・写真・映像)を並べて展示することで、モネが追求した世界がどう受け継がれてきたかを浮き彫りにする展示。
正直そんなに期待はしていなかったのだけど、後代、特に現代の作家の作品をこんなに興味深く見ることができたのは初めてと思えるほど、よく工夫された展示だった。
こういうダイナミックなアイデアは、横浜美術館らしいところ。
少し前にメアリー・カサットとドガのことを書いた小説を読んで、印象派とサロン、モネの立場などのこともちょっとは予備知識があったので、その辺りの説明にはうんうん、とうなづく。
モネがジヴェルニーで日がな水練の池を見つめ、変化する光をキャンバスに捉えようとし続けたことは、その数々の(いったい幾つあるんだ?)「睡蓮」を見ればわかることだけど、後代の作家たちもさまざまな手法を使って、同じように光を捉えキャンバスー或いは別の素材ーに留めようとしてきたのだ、そもそも絵画をはじめとする視覚芸術とはそういうものだったのだと気づかされ、一点だけ別なところでポンと見せられたら「?」だったかもしれない作品からも、光が放たれているのをきちんと見て取ることができた。自分の視覚にそういう部分があったことを改めて発見したような、そんな気分で美術館を後にした。
みなとみらい線に乗って辺りを見回すと、さっきまで刺激を受けていた部分と違う視覚を使っている自分に気づく。ああ、普段はこんな風に「見て」いるんだな、と思う。「見る」と言う行為は光を捉えることなのに、そのことを忘れて「見た」気になっていることがずいぶんあるのだと改めて思う。モネのように、自然の中に身を置いて、「見る」ことを忘れないようにしたいものだ。
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