6月13日、父の通夜から戻ると、留守を頼んでいたナースが
夫が熱があるようなので、抗生剤を始めておいたほうが良いと思う、
ドクターには報告しておくので、と言う。
夫は尿道カテーテルを使用しているため、時たま感染で発熱することがあり、
抗生剤は常備しているので、さっそくそれを夕食後の薬に加えた。
その後熱が38.9度まで上がったので解熱剤も投入して寝む。
翌14日、大汗かいて熱は下がり、尿量が少なかったりしたのも夕方までに改善し、
もう大丈夫だろうと思いつつ、その間4回着替えたものをせっせと洗濯。
夜はシーツも替えて、今夜は気持ちよく寝られるといいね、と話していた。
ところが私が寝ようとした午前3時、夫は寒気がすると言い出し、
布団を掛けたりしたものの、心配なのでソファで横になった。
朝までたびたび、水分補給やら、酸素を測ったりやらしていて、寝られたのは1.5時間ほど。
15日朝になっても熱が下がらず、酸素飽和度も下がっていたので、
呼吸器に酸素を流してみたが、思ったように上がってこないので、Dr.に往診を依頼。
尿に白血球が出ていたり、脇腹が張って痛みがあるので、
腎盂腎炎を起こしている可能性もあるとのことで、
通常3回に分けて服用する抗生剤を一括投与し、尿の培養検査をすることに。
その後、熱は下がったものの、腕から手の甲に汗をかいていること、
尿がミルクティーのように濁っていることという、今まで見たことのない所見があったので、
夫は大丈夫と言っていたけれど、寝不足でもあるし、仕事は休むことにした。
午後、訪問看護師が来たので2階で横になったら2時間寝てしまったていた。
降りてみると、感染性ショックが心配なので、先生を呼んでいます、と言う。
酸素飽和度と血圧がかなり下がっていたらしい。
改めて往診の結果は、敗血症の疑い。点滴の抗生剤を投与して、これが効けば、という。
効かなかったら、危ないのか?
本人は大丈夫だよ~、と言っているし、私も楽観的ではあったのだけれど、
一応妹だけには連絡してみたら、様子を見に来てくれた。
夜、経過を診にDr.が来る。やはり血圧が低く、ショック状態で、救急で運ぶ状態だと言う。
うちでは何があっても病院には行かない、と決めているし、
そのことは在宅療養に関わるスタッフ全員で共有しているはずなのに、
なぜまた、病院を持ち出すんだろう、とちょっとイラっと来る。
クリニックで手持ちの薬剤に限りがあるとか、いろいろ都合もあるんだろうけれど、
今が治療を急ぐ時なら、わかりきったことをまた聞かないでほしい、と思う。
血圧をモニターしながら、昇圧剤を少しずつ注射、さらにステロイド剤点滴でなんとか持ち直し、
昇圧剤の継続点滴をセットして、Dr.が引き上げたのが深夜0:30だった。
夫の様子を気にしながら、またソファで仮眠。
16日朝8時にDr.来訪。
抗生剤の点滴をし、血圧が上がっていて、尿も出ているので、快方に向かっているとのこと。
11時に同じクリニックの若先生が来るということなので、10時まで自分のベッドで休む。
若先生が来た時は、血圧も100以上になっていたので、ストップしていた内服薬や栄養を再開し、昇圧剤の点滴も普通のリンゲル液に替えて・・・としたところで、血圧急降下!
点滴に入っていた昇圧剤は、ダイレクトに作用するタイプのものだったので、
回復していたのは、それに頼ってのことだったのが判明。
これは身体の脱水がまだ続いている状態なので、急速輸液が必要。
点滴を全開にするも、これでは遅すぎる!と、
点滴液をシリンジにとってシリンジから押し込む策に出る、若先生の好判断で70台まで回復。
この日は訪問入浴だったけれど、お風呂は無理なので清拭をしてもらい、
その間血圧はなんとか70台をキープして終わり、
夜8時にDr.が来てくれたときは、80台後半まで戻っていた。
一応落ち着いて来たので、夜は2階で寝ることにしたのだけど、
朝8時には点滴を付け替えなければならず、起きられるのか不安。。
17日、点滴は続けているものの、全体的には落ち着いてきたようなので、
午後訪問看護が入ったところで、今度はさのすけを動物病院に連れて行く。
便秘である。このところのストレスが、さのすけにも伝染したのか?
うちの近所には2軒動物病院があるのだか、どちらも私が行ける午後の早い時間は休みのため、車で20分ほどの別の病院に行く。寝不足で運転は辛いが、しかたがない。
一旦帰って、夕方マッサージの人が来たところで、買い物と食事に出る。
うちには手首式の血圧計しかなかったので、上腕式の血圧計を買ってきて、ちょっと安心。
18日、だいたい復調、のはずが、今度は痰が取れなくて酸素飽和度が77とか出るし、
血圧が150台に跳ね上がるしで、カフアシストしたり、スクィージング、タッピングと、
点滴が繋がってる中でやるもんだから、もう大変。
もともと、血圧は高めで薬を飲んでいたのだけれど、
今回のことで中断していたところ、体調の回復とともにまた上昇傾向になったのでは、
ということで、血圧の薬を再開。
できるだけのことはして、どうしても取れないところはDr.とナースに任せて、
この日は仕事に行った。
帰ってきたら、すっきりしていたみたいで、それはよかったのだけど、
ナース達が使ったものが出しっぱなし、開けっ放しがいくつもあって、がっかり。
さらに、今頃になって点滴についての注意書きがテーブルの上に置いてある。
こういうものは3日目じゃなくて初日にいただければもっと有益だったでしょうね。
寝不足とイライラも極限である。
19日、感染症を起こしていた菌が特定され、抗生剤が変更に。
これまでのとは薬剤の合わせ方も変わって、ちょっと神経を使う。
この頃になると、輸液によるむくみが問題になってきたので、今度は利尿剤を使うことに。
体力の回復の為に栄養価を上げるため、通常の経管栄養に牛乳や卵などの追加を考える。
そんなこんなで、きょう27日現在、抗生剤の点滴は続け(あすまで)、
栄養強化は継続、投薬は最低限必要なものだけ再開、という対処で、
血圧は薬を使わず平常値、酸素飽和度、脈はまあまあ、というところ。
今回のエピソードが始まってからずっと声が出にくくなっていたのだけれど、
たぶん、それは脱水のせいだったようで、24日くらいからまた出るようになってきて、
おおよそ、以前の生活が戻ってきている。
ALSという病気はそれ自体「よくなる」ということがない病気だけれど、
それに伴って起きてくるトラブルは多々あり、その都度解決法を探しながらやってきたけれど、
今回はかなりシビアだった中で「よくなる」というシーンを見られて良かったと思う。
まあ、なにごともなく、淡々と、というのが本当は望ましいのだけれど。
2015年6月27日土曜日
2015年6月17日水曜日
Birthday 2015
(English text below.)
近年誕生日は、誕生日が近いタンゴ友Tちゃん夫妻といっしょに
ポルトガル料理なぞ食べに出かけて祝っていた。
夫が外出できなくなってからは、タンゴ仲間と家で餃子会をしているのだが、
今年は、Tちゃんが出産後間もない、ということもあったが、
それ以上に、なんとなくその気になれなかったので、
格別に行事は計画していなかった。
それはなにかの、「虫の知らせ」ってやつだったのか。
誕生日の早朝、妹から電話。
父が心停止となり、近所の病院に運んで処置中、と言う。
瞬間、思考停止状態になり、
きょうはナースが来るのが14時半だから、それまで出られないと思う、
また連絡する、と言って電話を切る。
階下に降りて夫に話すと、今、行ってくれば、と言う。
時計を見ると7時、普段夫の朝のルーティンは10時ころからだから、
夫がいつもどおり寝て待っていてくれれば、行ってくる時間はある。
幸い夫の体調はよかったので、出かけることにし、
妹に「今から支度して向かう」とメール。
そこらに出ていた服を身に着け、BBクリームだけ塗って家を出た。
車を出すときに妹からメール。
ダメだった
そうか。
カーオーディオから流れてきたのが、谷本仰 Solo Dialogues なのがありがたい。
病院に着き、処置を待つ間妹と話す。
どうも週末から体調を崩していたようで、痛み止めのせいでふらつくと言って、
妹の助けを借りて朝トイレに行き、妹が待ち構えていた車椅子に座ったとたん、
様子がおかしくなり、妹は心マッサージをしながら救急車を呼び、搬送したのだそうだ。
もともと心臓弁にトラブルを抱えていたところに、肺炎を起こし、力尽きたのだろう。
結局蘇生することはなかったけれど、
たぶん、一番びっくりしたのは本人だったのではないだろうか。
霊安室で会った父は、「あれ?来てたの」とうたた寝から起きそうな顔をしていた。
とりあえず、父を家に連れて帰らなければいけないのだが、
病院では、葬儀社を紹介することもできるし、
処置室から霊安室への移動を担当する葬儀社は、月ごとに交代で、
きょう入っている業者に頼んでも構わない、
もちろんもう決まっている場合はそちらに頼んでもらっても良い、という話だった。
妹と、去年母の葬儀をしてもらったH殿でいいよね、と話したのだが、
妹のスマホにH殿の電話番号の登録が、ない。
霊安室で待っていた、「今月担当の葬儀社」の人にこちらの意向を聞かれ、
H殿にお願いしようかと思ってるんですが、と言うと
「あ、そこに入ってるのがうちです!I橋です!」
スマホをいじる妹。。。 あ、あった、I橋で入れてたんだ。。。
来ていた人は別の支店の人だったので、連絡をとってもらい、
去年担当してくれた、I橋ではダントツだという女性が、
今回も担当してくれることになり、先週の土日で、無事葬儀をすませることができた。
母が亡くなった時は、妹から「危ない」と連絡をもらったのは、
火曜日午後の夫の訪問入浴の真っ最中で、
その後の時間帯も誰も入らない日だったから、病院に行くのは諦めたのだが、
姪のひとりが駆けつけるまでもたせたので、亡くなったのは夜になってからだった。
それならそこだけ、行けばよかった、と後悔したし、
その後も実家に行ったのは湯灌も済ませて、母の顔も作ってしまったあとになり、
私は一体何をやっているんだ、と、思った。
夫の病気のこともあり、親の死に目にはあえないだろうとは思っていたし、
実際、父のときも間に合わなかったのだけれど、
少なくとも今回は、人並みに知らせをもらって駆けつけ、
葬儀までの間も、実家で過ごす時間を持つことができたから、
気持ちは随分楽だった。
父は先週、母の遺したものの後始末を終えたところだった。
自分が逝ったあとのことまでは手がまわらなかったものの、
区切りをつけ、ほっとして逝ったのだろうと思う。
自分の父(私の祖父)も、同じ歳で亡くなったのが32年前の5日前だったことも、
意識のどこかにあったのかもしれない。
私は、性格ー特に欠点ーが父に似ているために、父が苦手で、
たぶん向こうもそうだったと思う。
だから、私たちは決して親密ではなかった。
それでも亡くなってみると、思い出すのは父の立派だったところ、
自分があれこれ楽しむことよりも、人助けを喜んでいたことなど、
長所と言えるところだ。
今年は戦後70年と言われるたびに、
父があまり話そうとしなかった戦争中のことを、一度聞いておきたいと思っていたのだが
それは叶わなかったのがひとつ、心残りだけれど、
いまは、先に逝った母に、
「え~?もう来たの?」
と邪険にされていなければいい、と思うのだ。
My father somehow chose my birthday last week to die.
Maybe it's for me to remember the day. (In Japan, the day of death is more important to remember than one's birthday.)
He had heart problems for many years. He suffered pneumonia over the weekend, and apparently his heart gave in just after my sister took him to bathroom in the morning.
I was never close to my father, largely because I inherited his shortcomings, and I hate to find them everytime I saw him.
In order not to disrupt my husband's daily routine, I only attended the vigil and missed the funeral ceremony. Still, I could spend more qualify time with my family over last week than when my mother passed away last October.
My father just finished dividing what my mother left among us, so he must have felt relieved as he went to her side even though he didn't finish taking care of what he was going to leave behind. We only hope that my mother is not too surprised at his joining her so soon.
近年誕生日は、誕生日が近いタンゴ友Tちゃん夫妻といっしょに
ポルトガル料理なぞ食べに出かけて祝っていた。
夫が外出できなくなってからは、タンゴ仲間と家で餃子会をしているのだが、
今年は、Tちゃんが出産後間もない、ということもあったが、
それ以上に、なんとなくその気になれなかったので、
格別に行事は計画していなかった。
それはなにかの、「虫の知らせ」ってやつだったのか。
誕生日の早朝、妹から電話。
父が心停止となり、近所の病院に運んで処置中、と言う。
瞬間、思考停止状態になり、
きょうはナースが来るのが14時半だから、それまで出られないと思う、
また連絡する、と言って電話を切る。
階下に降りて夫に話すと、今、行ってくれば、と言う。
時計を見ると7時、普段夫の朝のルーティンは10時ころからだから、
夫がいつもどおり寝て待っていてくれれば、行ってくる時間はある。
幸い夫の体調はよかったので、出かけることにし、
妹に「今から支度して向かう」とメール。
そこらに出ていた服を身に着け、BBクリームだけ塗って家を出た。
車を出すときに妹からメール。
ダメだった
そうか。
カーオーディオから流れてきたのが、谷本仰 Solo Dialogues なのがありがたい。
病院に着き、処置を待つ間妹と話す。
どうも週末から体調を崩していたようで、痛み止めのせいでふらつくと言って、
妹の助けを借りて朝トイレに行き、妹が待ち構えていた車椅子に座ったとたん、
様子がおかしくなり、妹は心マッサージをしながら救急車を呼び、搬送したのだそうだ。
もともと心臓弁にトラブルを抱えていたところに、肺炎を起こし、力尽きたのだろう。
結局蘇生することはなかったけれど、
たぶん、一番びっくりしたのは本人だったのではないだろうか。
霊安室で会った父は、「あれ?来てたの」とうたた寝から起きそうな顔をしていた。
とりあえず、父を家に連れて帰らなければいけないのだが、
病院では、葬儀社を紹介することもできるし、
処置室から霊安室への移動を担当する葬儀社は、月ごとに交代で、
きょう入っている業者に頼んでも構わない、
もちろんもう決まっている場合はそちらに頼んでもらっても良い、という話だった。
妹と、去年母の葬儀をしてもらったH殿でいいよね、と話したのだが、
妹のスマホにH殿の電話番号の登録が、ない。
霊安室で待っていた、「今月担当の葬儀社」の人にこちらの意向を聞かれ、
H殿にお願いしようかと思ってるんですが、と言うと
「あ、そこに入ってるのがうちです!I橋です!」
スマホをいじる妹。。。 あ、あった、I橋で入れてたんだ。。。
来ていた人は別の支店の人だったので、連絡をとってもらい、
去年担当してくれた、I橋ではダントツだという女性が、
今回も担当してくれることになり、先週の土日で、無事葬儀をすませることができた。
母が亡くなった時は、妹から「危ない」と連絡をもらったのは、
火曜日午後の夫の訪問入浴の真っ最中で、
その後の時間帯も誰も入らない日だったから、病院に行くのは諦めたのだが、
姪のひとりが駆けつけるまでもたせたので、亡くなったのは夜になってからだった。
それならそこだけ、行けばよかった、と後悔したし、
その後も実家に行ったのは湯灌も済ませて、母の顔も作ってしまったあとになり、
私は一体何をやっているんだ、と、思った。
夫の病気のこともあり、親の死に目にはあえないだろうとは思っていたし、
実際、父のときも間に合わなかったのだけれど、
少なくとも今回は、人並みに知らせをもらって駆けつけ、
葬儀までの間も、実家で過ごす時間を持つことができたから、
気持ちは随分楽だった。
父は先週、母の遺したものの後始末を終えたところだった。
自分が逝ったあとのことまでは手がまわらなかったものの、
区切りをつけ、ほっとして逝ったのだろうと思う。
自分の父(私の祖父)も、同じ歳で亡くなったのが32年前の5日前だったことも、
意識のどこかにあったのかもしれない。
私は、性格ー特に欠点ーが父に似ているために、父が苦手で、
たぶん向こうもそうだったと思う。
だから、私たちは決して親密ではなかった。
それでも亡くなってみると、思い出すのは父の立派だったところ、
自分があれこれ楽しむことよりも、人助けを喜んでいたことなど、
長所と言えるところだ。
今年は戦後70年と言われるたびに、
父があまり話そうとしなかった戦争中のことを、一度聞いておきたいと思っていたのだが
それは叶わなかったのがひとつ、心残りだけれど、
いまは、先に逝った母に、
「え~?もう来たの?」
と邪険にされていなければいい、と思うのだ。
My father somehow chose my birthday last week to die.
Maybe it's for me to remember the day. (In Japan, the day of death is more important to remember than one's birthday.)
He had heart problems for many years. He suffered pneumonia over the weekend, and apparently his heart gave in just after my sister took him to bathroom in the morning.
I was never close to my father, largely because I inherited his shortcomings, and I hate to find them everytime I saw him.
In order not to disrupt my husband's daily routine, I only attended the vigil and missed the funeral ceremony. Still, I could spend more qualify time with my family over last week than when my mother passed away last October.
My father just finished dividing what my mother left among us, so he must have felt relieved as he went to her side even though he didn't finish taking care of what he was going to leave behind. We only hope that my mother is not too surprised at his joining her so soon.
2015年5月27日水曜日
二人羽織
夫は病気で手が不自由になってからは、
手のひら大のトラックボールを足で操ってパソコンを使っていた。
去年それも難しくなりベッド生活になってからは、
スペック・スイッチを足に一個ずつ付けて右クリック、左クリック、
そしてテーブルに取り付けたジョイスティック・マウスのスティック部分にストローをはめて延長し
これを顎で操作する、という「顎足マウス」方式で、PCを自分で使ってきた。
とはいえPCをセットしてしまうと日中ナースやヘルパーの作業の邪魔になるし、
セッティングがなかなか微妙で、私以外の人には難しいということもあり、
PCを使うのは夜寝る直前から、朝目覚めてから私が起きてくるまでの
限られた時間しか使うことはできなくなっていた。
これもいずれ使えなくなることを考えて視線入力ソフト導入の準備をしているのだが、
そのためにPCも新しくしなければいけなかったりで、まだそこにいたらないうちに、
顎足方式が使いにくくなってきたこのごろ。
それでもDrや友人とのメールのやり取り、SNSの投稿など最低限のことは続けていきたいので、夫のテーブルに置いたPCを私が後ろから操作する二人羽織方式をやってみた。しかし、こちらの立ち位置が難しいし、液晶画面を夫に合わせるとこちらは見えないし、なかなか思うに任せない。
そこでリビングのTVにディスプレイを映し出し、夫にそれを見てもらって、
私が本体で操作する、というのをやってみたのだが、
TVは夫から斜め方向に有り、画像は見られても文字を読むのは難しい。
それではとワイヤレスキーボードを入手し、
去年顎足マウスに到達する前に試しに購入したワイヤレスマウスと組み合わせ、
本体は夫の正面に置き、私がTV画面を見てワイヤレス機器で操作する、
という方式で、なんとか最低限の作業はこなせるようになった。
ほかにも雑誌記事等はスクロールすれば読める状態にセットして、
矢印のところにポインタを置き、足に左クリックのスイッチを付けて
自分でスクロールして読む、というのもできている。
パソコン操作を専門にしていた夫からすれば、なんとも歯がゆいし、
コメントなどの書き込みをする余裕もなく、ストレスが多いことだろうと思う。
準備中の視線入力が早く上手く使えるようになって、
また夫が生き生きと外の世界とコミュニケーション取れるようになるとよいのだが。
手のひら大のトラックボールを足で操ってパソコンを使っていた。
去年それも難しくなりベッド生活になってからは、
スペック・スイッチを足に一個ずつ付けて右クリック、左クリック、
そしてテーブルに取り付けたジョイスティック・マウスのスティック部分にストローをはめて延長し
これを顎で操作する、という「顎足マウス」方式で、PCを自分で使ってきた。
とはいえPCをセットしてしまうと日中ナースやヘルパーの作業の邪魔になるし、
セッティングがなかなか微妙で、私以外の人には難しいということもあり、
PCを使うのは夜寝る直前から、朝目覚めてから私が起きてくるまでの
限られた時間しか使うことはできなくなっていた。
これもいずれ使えなくなることを考えて視線入力ソフト導入の準備をしているのだが、
そのためにPCも新しくしなければいけなかったりで、まだそこにいたらないうちに、
顎足方式が使いにくくなってきたこのごろ。
それでもDrや友人とのメールのやり取り、SNSの投稿など最低限のことは続けていきたいので、夫のテーブルに置いたPCを私が後ろから操作する二人羽織方式をやってみた。しかし、こちらの立ち位置が難しいし、液晶画面を夫に合わせるとこちらは見えないし、なかなか思うに任せない。
そこでリビングのTVにディスプレイを映し出し、夫にそれを見てもらって、
私が本体で操作する、というのをやってみたのだが、
TVは夫から斜め方向に有り、画像は見られても文字を読むのは難しい。
それではとワイヤレスキーボードを入手し、
去年顎足マウスに到達する前に試しに購入したワイヤレスマウスと組み合わせ、
本体は夫の正面に置き、私がTV画面を見てワイヤレス機器で操作する、
という方式で、なんとか最低限の作業はこなせるようになった。
ほかにも雑誌記事等はスクロールすれば読める状態にセットして、
矢印のところにポインタを置き、足に左クリックのスイッチを付けて
自分でスクロールして読む、というのもできている。
パソコン操作を専門にしていた夫からすれば、なんとも歯がゆいし、
コメントなどの書き込みをする余裕もなく、ストレスが多いことだろうと思う。
準備中の視線入力が早く上手く使えるようになって、
また夫が生き生きと外の世界とコミュニケーション取れるようになるとよいのだが。
2015年4月27日月曜日
療養生活を支えるもの(4)スイッチボックス
夫は元気な時から比較的痰が多く出る方で、呼吸が弱くなるにつれて、
それを処理することが徐々に難しくなってきた。
仕事に行っているときは、スクリュートップの缶コーヒーの空き缶を携帯し
それを痰壷がわりにしたりしていた。
自宅療養に入る時に吸引器を購入。(1台目は公的補助あり)
始めは自分でスイッチを操作して使っていたが、手の力が衰えてきて
スイッチを押すのが難しくなり、フットスイッチ付きのものを新たに自費で購入。
日中椅子に座って過ごしていたときは、マイクスタンドの先に、
マイクの代わりに吸引用の「レディケア」という芯入のチューブを装着し、
口元にいつもスタンバイさせておいて、必要な時に足でスイッチを押していた。
その後足の力も弱くなってこのフットスイッチも使えなくなり、
ベッド生活に入ってからは、吸引が必要な時は人に頼まなければならず、
誰も近くにいない時に痰を誤嚥する心配があり、実際随分苦しい思いをすることもあった。
いま夫は足先はまだ少し動かせるので、
軽い力で押せる「スペックスイッチ」というのを足につけて
パソコンのマウスのクリックに使っているのだが、
同じようなスイッチで吸引器のON/OFFができればいいのだが、
そういう軽いスイッチではそこまでのパワーはない。
多少電気の心得のある夫は、「リレーを作ればいいと思うのだけど」と言っていたけれど、
いかんせん手が動かないので自分では作れないし、私などにはさっぱりわからない。
ところが先日、古い友人がそれを実現してくれた。
この人は電気や音響の仕事をしている人で、夫はその趣味を通じて知り合ったのだが、
後に、別の場所で知り合った友人の義兄にあたる、ということがわかったというご縁。
先月、その別の友人の方から、「義兄がなにか手伝えるのでは」という申し出があり、
久しぶりに連絡を取ってこちらの希望を伝えたところ、
あれよあれよという間に立派なスイッチボックスを作ってくれたのだ。
ウラ・オモテ
この写真の手前にあるのが「スペックスイッチ」というやつだ。
50g以下の力でON/OFFができる。
こういう障害者支援機器というのは通常、市の支援センターが対応してくれて、
うちでもパソコンに足で操作するトラックボールをつなぐ仕組みとか、
その後今も使っている、顎と足でマウスを操作する仕組みとか、作ってもらったのだが、
この人たちはとにかく仕事が遅い。
アポとって来るまで2週間、作成まで2週間、
できたものを試して、しかし実際に渡すものは改めて新品で作るから・・・
などとやっているうちにどんどん時間が過ぎてしまい、
進行性の病人をなんと思っているのかといつもいらいらさせられた。
今回作業してくれた友人は、脳梗塞やら癌やらの既往症があり、
今も手が震えるなど自身が不自由な身体なのに、
最初に連絡をとってから納品まで3週間、
打ち合わせに来宅してから2週間でやってくれたのだ。
感謝である。
おかげで夫はまた、自分が必要な時に自分で吸引器を作動させることができるようになり、
夫のストレスも、介護側の負担も減り、助かっている。
痰の吸引は、ALS患者に限らず様々な在宅療養者と介護者の課題になっていると聞く。
一人ひとり状況は違うものなので、ほかの人のことはわからないけれど、
もしかするとこの装置が助けになる人もあるかもしれない。
今回作ってもらったスイッチボックスの回路は公開して構わないと友人も言ってくれており、
それがあれば、おそらく工業高校の生徒さんでも制作できるだろうということなので、
関心のある方はコメントでお問い合わせくださればと思う。
それを処理することが徐々に難しくなってきた。
仕事に行っているときは、スクリュートップの缶コーヒーの空き缶を携帯し
それを痰壷がわりにしたりしていた。
自宅療養に入る時に吸引器を購入。(1台目は公的補助あり)
始めは自分でスイッチを操作して使っていたが、手の力が衰えてきて
スイッチを押すのが難しくなり、フットスイッチ付きのものを新たに自費で購入。
日中椅子に座って過ごしていたときは、マイクスタンドの先に、
マイクの代わりに吸引用の「レディケア」という芯入のチューブを装着し、
口元にいつもスタンバイさせておいて、必要な時に足でスイッチを押していた。
その後足の力も弱くなってこのフットスイッチも使えなくなり、
ベッド生活に入ってからは、吸引が必要な時は人に頼まなければならず、
誰も近くにいない時に痰を誤嚥する心配があり、実際随分苦しい思いをすることもあった。
いま夫は足先はまだ少し動かせるので、
軽い力で押せる「スペックスイッチ」というのを足につけて
パソコンのマウスのクリックに使っているのだが、
同じようなスイッチで吸引器のON/OFFができればいいのだが、
そういう軽いスイッチではそこまでのパワーはない。
多少電気の心得のある夫は、「リレーを作ればいいと思うのだけど」と言っていたけれど、
いかんせん手が動かないので自分では作れないし、私などにはさっぱりわからない。
ところが先日、古い友人がそれを実現してくれた。
この人は電気や音響の仕事をしている人で、夫はその趣味を通じて知り合ったのだが、
後に、別の場所で知り合った友人の義兄にあたる、ということがわかったというご縁。
先月、その別の友人の方から、「義兄がなにか手伝えるのでは」という申し出があり、
久しぶりに連絡を取ってこちらの希望を伝えたところ、
あれよあれよという間に立派なスイッチボックスを作ってくれたのだ。
ウラ・オモテ
この写真の手前にあるのが「スペックスイッチ」というやつだ。
50g以下の力でON/OFFができる。
こういう障害者支援機器というのは通常、市の支援センターが対応してくれて、
うちでもパソコンに足で操作するトラックボールをつなぐ仕組みとか、
その後今も使っている、顎と足でマウスを操作する仕組みとか、作ってもらったのだが、
この人たちはとにかく仕事が遅い。
アポとって来るまで2週間、作成まで2週間、
できたものを試して、しかし実際に渡すものは改めて新品で作るから・・・
などとやっているうちにどんどん時間が過ぎてしまい、
進行性の病人をなんと思っているのかといつもいらいらさせられた。
今回作業してくれた友人は、脳梗塞やら癌やらの既往症があり、
今も手が震えるなど自身が不自由な身体なのに、
最初に連絡をとってから納品まで3週間、
打ち合わせに来宅してから2週間でやってくれたのだ。
感謝である。
おかげで夫はまた、自分が必要な時に自分で吸引器を作動させることができるようになり、
夫のストレスも、介護側の負担も減り、助かっている。
痰の吸引は、ALS患者に限らず様々な在宅療養者と介護者の課題になっていると聞く。
一人ひとり状況は違うものなので、ほかの人のことはわからないけれど、
もしかするとこの装置が助けになる人もあるかもしれない。
今回作ってもらったスイッチボックスの回路は公開して構わないと友人も言ってくれており、
それがあれば、おそらく工業高校の生徒さんでも制作できるだろうということなので、
関心のある方はコメントでお問い合わせくださればと思う。
2015年4月7日火曜日
Happy Birthday!
Last Saturday was my husband's birthday.
As it fell on the Good Saturday, we waited until the Easter Sunday to celebrate.
Our tango (and Gyoza) friends came over, to eat, drink, talk and laugh.
Making Gyoza together is now a staple when we gather.
We make dumplings together, and Gyoza Maestro cooks them.
How lucky we are to have him in our circles!
A new feature of the party this time was a violin duo of me and T.
I have been working on Bach's doppel concerto in my lessons for the past few months,
and I wanted to have my husband hear me in a duo, so I asked T to help.
I rarely have a chance to play the violin in front of anyone, so I was very nervous and my heart was pounding like never before. But it was fun! And we managed to play better than ever. My husband had apparently been waiting for our play to fall apart, but , sorry!, we betrayed him.
We also had A who is a ballerina show off her skills with point shoes.
Amazingly, she told us her feet don't hurt because she is standing with her stomache and side muscles. Wow! It was really a special treat to see real ballet up so close.
For us, surviving to this birthday alone was special, and being able to celebrate it with close friends made us very happy. Thank you friends!
先週の土曜日、夫が誕生日を迎えた。
聖土曜日と重なったので、お祝いはイースターの日曜日にいつものタンゴの仲間と
餃子パーティーをすることに。
餃子はみんなにお任せ、うちではデパートの「大九州展」でゲットした辛子蓮根や、
鶏めしの具材で炊いたご飯、サラダなどを供し、あとは唐揚げやチーズやワインや、
みんなそれぞれ食べたいものを持ち寄って、美味しく楽しく、音楽談義に花を咲かせた。
今回は、最近レッスンしていたバッハのドッペルを夫への誕生日プレゼントにしたいと思い、
Tちゃんにお願いしてduoを決行。一回の合わせでどこまで合わせられるか不安だったけど、なんとかいい感じに合わせられて、心臓バクバクしながら、
でもアンサンブル楽しい!という幸せな時間を過ごすことができた。
もう一つ、バレリーナのAちゃんにお願いして、
トウシューズで踊るところを見せてもらった。
M氏のiPodでてきとーに選んだ曲で即興で踊ってくれたのだが、
見事な足さばき、バランス感覚、体の伸びで、素晴らしかった。
驚いたことに、 腹筋や脇の筋肉で立っているから、
トウシューズで立っていても足は痛くないのだそうだ。へええ
こないだFBに上がっていた英語の広告で、傷だらけのつま先とトウシューズの写真に
「~~のためなら苦労は惜しまない」みたいなキャプション付いたのがあったけど
あれはウソなんだな。。。
外出できない夫に、生の音楽と生のダンスを楽しんでもらえて、よい誕生日になった。
みんな忙しい中、ありがとうね。
Amazingly, she told us her feet don't hurt because she is standing with her stomache and side muscles. Wow! It was really a special treat to see real ballet up so close.
For us, surviving to this birthday alone was special, and being able to celebrate it with close friends made us very happy. Thank you friends!
先週の土曜日、夫が誕生日を迎えた。
聖土曜日と重なったので、お祝いはイースターの日曜日にいつものタンゴの仲間と
餃子パーティーをすることに。
鶏めしの具材で炊いたご飯、サラダなどを供し、あとは唐揚げやチーズやワインや、
みんなそれぞれ食べたいものを持ち寄って、美味しく楽しく、音楽談義に花を咲かせた。
今回は、最近レッスンしていたバッハのドッペルを夫への誕生日プレゼントにしたいと思い、
Tちゃんにお願いしてduoを決行。一回の合わせでどこまで合わせられるか不安だったけど、なんとかいい感じに合わせられて、心臓バクバクしながら、
でもアンサンブル楽しい!という幸せな時間を過ごすことができた。
もう一つ、バレリーナのAちゃんにお願いして、
トウシューズで踊るところを見せてもらった。
M氏のiPodでてきとーに選んだ曲で即興で踊ってくれたのだが、
見事な足さばき、バランス感覚、体の伸びで、素晴らしかった。
驚いたことに、 腹筋や脇の筋肉で立っているから、
トウシューズで立っていても足は痛くないのだそうだ。へええ
こないだFBに上がっていた英語の広告で、傷だらけのつま先とトウシューズの写真に
「~~のためなら苦労は惜しまない」みたいなキャプション付いたのがあったけど
あれはウソなんだな。。。
外出できない夫に、生の音楽と生のダンスを楽しんでもらえて、よい誕生日になった。
みんな忙しい中、ありがとうね。
2015年3月31日火曜日
退職
夫が今日付で退職した。
勤続34年、といってもこの2年半は休職だったけれど。
ALSと診断されたのが3年前の3月半ば。
私は、仕事なんかさっさとやめて旅行とか動けるうちに楽しめばいい、と思った。
しかし夫は、できる限り職場に通い、仕事を続けることを選んだ。
始めのうちはそれまで同様、自分で朝食の用意をして、
家の前の坂を上るだけで息を切らしながらも、なんとかバス・電車を使って通った。
6月に胃瘻の建造など自宅療養の準備のために入院したあとは、
朝は私が車で職場に送り、帰りは私が迎えに行けない時はタクシーを使っていた。
手の力が弱くなっていくために、毎週のようにかばんを軽いものに換えていったり、
一人で帰ってきて家の前で転んで立てなくなったこともあったっけ。
職場では色々と助けて頂いての半年だった。通院や入院のために休む日もあったし、
次第に身体が不自由になっていくのに合わせて車椅子を使わせてもらったり、
診療所で経管栄養の対応をしてもらったり、時短勤務の便宜を図ってもらったりした。
がんなど、診断された途端に「もう使えない奴」と決めつけられてしまう職場もあると聞く中、
とるべき対応をきちんとしてくれる職場と上司、同僚に恵まれたことに感謝である。
書類に判をつくのが難しくなった10月末、休職に入ったあとも、
職場の方たちがメールで連絡を取るだけでなく、度々訪問してくださり、
仕事の様子や同僚の近況など共有していたので
休みに入った途端にぷっつり途切れてしまう様な思いをしないで済んだと思う。
きょうは部長と課長が退職辞令を持って来宅。
そしてこんなのも。
こちらからは身分証明書と徽章を返却し、夫は正式に退職した。
私はずっと「フリーランス」という名の「日雇い季節労働者」をやっているので、
組織で勤め上げるのがどんなものか想像するしかない。
休職中と今日を境に明日からと、夫の中で何かが変わるのかはわからない。
夫が病気の診断を受けたのは、課長に昇進する直前だったから、
病気がなければ、責任ある立場でもっと貢献できただろうし、
体が不自由になってもアタマはしっかりしているのに、
この人を使えないのは社会にとっても損失だと思う。
そう考えると病気になって仕事が続けられないのは残念なことだけれど、
ひたすら残念なだけかというと、それも違う気がする。
こうなったから見えること、わかること、できることも、やはりあると思うのだ。
普通に定年退職したのなら、きょうはどこかでお疲れ様ディナーでもしていただろうか。
そういうことはできないけれど、夫にはありがとう、お疲れ様、と言おう。
オマケ(セルフィーで自分の顔が見えるのが嫌でイカ耳になってる)
勤続34年、といってもこの2年半は休職だったけれど。
ALSと診断されたのが3年前の3月半ば。
私は、仕事なんかさっさとやめて旅行とか動けるうちに楽しめばいい、と思った。
しかし夫は、できる限り職場に通い、仕事を続けることを選んだ。
始めのうちはそれまで同様、自分で朝食の用意をして、
家の前の坂を上るだけで息を切らしながらも、なんとかバス・電車を使って通った。
6月に胃瘻の建造など自宅療養の準備のために入院したあとは、
朝は私が車で職場に送り、帰りは私が迎えに行けない時はタクシーを使っていた。
手の力が弱くなっていくために、毎週のようにかばんを軽いものに換えていったり、
一人で帰ってきて家の前で転んで立てなくなったこともあったっけ。
職場では色々と助けて頂いての半年だった。通院や入院のために休む日もあったし、
次第に身体が不自由になっていくのに合わせて車椅子を使わせてもらったり、
診療所で経管栄養の対応をしてもらったり、時短勤務の便宜を図ってもらったりした。
がんなど、診断された途端に「もう使えない奴」と決めつけられてしまう職場もあると聞く中、
とるべき対応をきちんとしてくれる職場と上司、同僚に恵まれたことに感謝である。
書類に判をつくのが難しくなった10月末、休職に入ったあとも、
職場の方たちがメールで連絡を取るだけでなく、度々訪問してくださり、
仕事の様子や同僚の近況など共有していたので
休みに入った途端にぷっつり途切れてしまう様な思いをしないで済んだと思う。
きょうは部長と課長が退職辞令を持って来宅。
そしてこんなのも。
こちらからは身分証明書と徽章を返却し、夫は正式に退職した。
私はずっと「フリーランス」という名の「日雇い季節労働者」をやっているので、
組織で勤め上げるのがどんなものか想像するしかない。
休職中と今日を境に明日からと、夫の中で何かが変わるのかはわからない。
夫が病気の診断を受けたのは、課長に昇進する直前だったから、
病気がなければ、責任ある立場でもっと貢献できただろうし、
体が不自由になってもアタマはしっかりしているのに、
この人を使えないのは社会にとっても損失だと思う。
そう考えると病気になって仕事が続けられないのは残念なことだけれど、
ひたすら残念なだけかというと、それも違う気がする。
こうなったから見えること、わかること、できることも、やはりあると思うのだ。
普通に定年退職したのなら、きょうはどこかでお疲れ様ディナーでもしていただろうか。
そういうことはできないけれど、夫にはありがとう、お疲れ様、と言おう。
オマケ(セルフィーで自分の顔が見えるのが嫌でイカ耳になってる)
2015年3月18日水曜日
4年目
この3月16日で、夫がALSの告知を受けてからまる3年。
療養生活も4年目に入った。
去年ここにも書いてからの1年は、
その前の2年間に比べるとずっと穏やかに過ぎたと言える。
ベッド生活になったから、外出や室内の移動があったときより無理が少なく、
その分穏やかになったわけだが、
その中でもやはり身体を支える力は落ちてきているし、
嚥下もかなり慎重にしないと危なくなっている。
呼吸器を外していられる時間は1~2分、というところまで呼吸機能は落ちている。
痰が上がってきて処理できなくなることが多くなり、
一人でいるときはちょっと心配なこともある。
とはいえ、顎でジョイスティック・マウス、足でクリック・スイッチを操作してPCを使う、
という方法はまだ使えているし、呼吸器を付けていれば会話もできるし、
そういう形でコミュニケーションは維持されている。
普通に会話できるがために、相手が病人であることを忘れてしまうくらいだ。(汗)
そんな今日、アカデミー賞主演男優賞をとった
「博士と彼女のセオリー」を見てきた。
夫と同じ病気の患者であるホーキング博士夫妻の話なので見に行ったわけだが、
まず思ったのは、やはり同じ当事者だと、こういうものは見え方が全然違う、ということだ。
これまでにも、認知症とか白血病とか、事故で障がいを持った人とか、
いろいろな人が主人公の映画やドラマを見たことがあるけれど、
自分や身近な人が同じ経験をしていない設定のものを見ていた時は、
しょせん想像の域を出ていなかったな、と改めて思ったのだ。
診断を告知される時の心の動き
不自由ながらも動けている間の必死さと危うさ
重い車椅子を担ぎ上げてくれる友人の頼もしさ
その時の思いや感情の昂ぶりが蘇ってきて、涙が溢れた。
それはやっぱり、自分が体験していないストーリーに共感するのとは違うものだった。
中でも、ああ、これは、と思ったのは、
自分がケアするのがベストではあるけれど、
精一杯やってもやはり一人で全部はやりきれないという現実の前にジェーンが涙するシーン。
私も、「とにかく私が倒れるわけにはいかない」「風邪ひとつ引くことも許されない」
というプレッシャーの中で慢性的な寝不足でここまできて、
とうとう先週末から風邪を引き(花粉症だと思ったらやっぱり風邪だった)、
この3年間で体調が最悪というところだったので、
このシーンは特に心が共鳴してしまった。
発症からの平均余命が3~5年といわれる中、
既に50年生きているホーキング博士についてはALSではないのでは、との声もあるが、
病気の進み方発現の仕方が一人ひとり違うこともこの病気の特徴。
呼吸が担保されれば寿命を全うするのは珍しいことではないそうだから、
博士も生かされて有用な研究を人類にまだまだ与え続けてくれるだろう。
「命がある限り、希望があります」
という博士の言葉を力に、また明日へと歩を進めることにしよう。
療養生活も4年目に入った。
去年ここにも書いてからの1年は、
その前の2年間に比べるとずっと穏やかに過ぎたと言える。
ベッド生活になったから、外出や室内の移動があったときより無理が少なく、
その分穏やかになったわけだが、
その中でもやはり身体を支える力は落ちてきているし、
嚥下もかなり慎重にしないと危なくなっている。
呼吸器を外していられる時間は1~2分、というところまで呼吸機能は落ちている。
痰が上がってきて処理できなくなることが多くなり、
一人でいるときはちょっと心配なこともある。
とはいえ、顎でジョイスティック・マウス、足でクリック・スイッチを操作してPCを使う、
という方法はまだ使えているし、呼吸器を付けていれば会話もできるし、
そういう形でコミュニケーションは維持されている。
普通に会話できるがために、相手が病人であることを忘れてしまうくらいだ。(汗)
そんな今日、アカデミー賞主演男優賞をとった
「博士と彼女のセオリー」を見てきた。
夫と同じ病気の患者であるホーキング博士夫妻の話なので見に行ったわけだが、
まず思ったのは、やはり同じ当事者だと、こういうものは見え方が全然違う、ということだ。
これまでにも、認知症とか白血病とか、事故で障がいを持った人とか、
いろいろな人が主人公の映画やドラマを見たことがあるけれど、
自分や身近な人が同じ経験をしていない設定のものを見ていた時は、
しょせん想像の域を出ていなかったな、と改めて思ったのだ。
診断を告知される時の心の動き
不自由ながらも動けている間の必死さと危うさ
重い車椅子を担ぎ上げてくれる友人の頼もしさ
その時の思いや感情の昂ぶりが蘇ってきて、涙が溢れた。
それはやっぱり、自分が体験していないストーリーに共感するのとは違うものだった。
中でも、ああ、これは、と思ったのは、
自分がケアするのがベストではあるけれど、
精一杯やってもやはり一人で全部はやりきれないという現実の前にジェーンが涙するシーン。
私も、「とにかく私が倒れるわけにはいかない」「風邪ひとつ引くことも許されない」
というプレッシャーの中で慢性的な寝不足でここまできて、
とうとう先週末から風邪を引き(花粉症だと思ったらやっぱり風邪だった)、
この3年間で体調が最悪というところだったので、
このシーンは特に心が共鳴してしまった。
発症からの平均余命が3~5年といわれる中、
既に50年生きているホーキング博士についてはALSではないのでは、との声もあるが、
病気の進み方発現の仕方が一人ひとり違うこともこの病気の特徴。
呼吸が担保されれば寿命を全うするのは珍しいことではないそうだから、
博士も生かされて有用な研究を人類にまだまだ与え続けてくれるだろう。
「命がある限り、希望があります」
という博士の言葉を力に、また明日へと歩を進めることにしよう。
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