2020年1月28日火曜日

裏切らないもの


1月26日は所属しているオーケストラの年に1度のコンサートだった。
夫が病気になって私がお休みしてから始まったコンサートだったので、
参加するのは去年復帰してから今年で2回目。
普段自分だけでへらへらとやりたい曲をレッスンしているのと違い、
みんなに迷惑をかけないようにしなければいけない。
しかし40過ぎて始めた者ゆえの限界と、学生のように練習時間はとれない
という状況の折り合いをつけながら混ぜてもらっている。

今回の曲は、
ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」
チャイコフスキー「組曲 くるみ割り人形」
ブラームス「交響曲第2番」
と、「名曲コンサート」と銘打つだけのことはあるラインナップ。

日頃タンゴのようにビート感、グルーヴ感に満ちた音楽に浸ってばかりいるものだから、
ドビュッシーはすごく難しかった。
カウントに確信が持てたのはようやく本番でのことだったという。。。汗

チャイコフスキーは耳慣れている割に、構成が全然わかっていなかったことに気づき、
練習のたびに発見があったり、うまくいかないところを自分なりに工夫して練習した結果課題が解決できたりして、面白かった。曲の理解の助けになるかと、年末にはキエフ・バレエの公演も見に行ったし、本番はそのイメージを思い浮かべながら楽しんで弾いた。

ブラームスは集中力を試されてる感じで、どうなることかと思ったけれど、なんとか振り落とされずに最後まで行けてよかった。45分の曲の半分が1楽章ってどういうつもりなんだろう。。。勉強のために何度もCDを聞いたけど、いつも「まだやってるよ」と気持ちが途切れていたくらい。お客さんも疲れたんじゃなかろうか。

アンコールにはバレエの「くるみ割り人形」から「パ・ド・ドゥ」を。
単純なスケールをドラマチックに作り上げた名曲を、わーっと広がりすぎずに重厚にというのはなかなか難しかったけど、本番の出来はチェロ、ブラスのがんばりでよかったと思う。

去年は、本番ひと月前くらいの時点で、残された時間を
「弾けないところが弾けるようになるまで最後まで頑張ってみる」

「弾けないところは大事な音だけ抜き出して弾く練習をしておく」
か、で迷って、結局なんだかどっちつかずになって、
弾けたところもあれば落ちたところもある、みたいな結果になってしまった。

今年は早い段階からそれを避けるべく、弾けないところをまず重点的に練習していくことにした。音がつかめていなくて弾けないところは、まず口で言えるようにして(口で言えないものは弾けない)言いながら弾く、とか、弓がいい場所に持っていけない、左手のフィンガリングがうまくいかない、といったケースは、その前の動きを変えて修正する、などしてみた。苦労していたことが、ちょっとした工夫であっさり解決したこともあったり、これはなかなか面白かった。(もう何年もレッスンしてる割に、いまごろ?)

そして思うのは
練習は裏切らない
ということだ。
弾けないところをやみくもに何度もやっていると、それは弾けない練習になってしまい、
どこまで行っても弾けない、という意味でもあるのだけど、
ちゃんとした練習はちゃんと結果につながっている。
弾けるところまでやったつもりで本番では弾ききれなかった部分もあるけど、それでもただ落ちたりせず大事な音は弾けていて、あれだけやった意味はあったのだ、と思えた。

反省すべきは、アンサンブルへの意識が足りなかったことだ。
曲全体に対する理解を深める努力をもう少しするべきだったと思う。
今回は特にハープなど特別な楽器が入る楽曲もあり、そういうパートも含め全員そろっての練習機会は少なかったので、リハーサルの中だけでやりとりを体得していくには無理があった。スペースの都合で座る場所が変わると聞こえ方も全然違ってしまうし、もう少し自分で勉強しておくべきだったと思う。
次回への課題として、忘れないようにここに書いておくことにする。

なんにせよ、寒い中ご来場くださったみなさん、ありがとうございました。

3月には放送記念日の式典前座で、「葦笛の踊り」と「パ・ド・ドゥ」をやるらしい。
この2曲には、自分なりの課題解決に至らなかった箇所があるので、リベンジしたいものだ。

2020年1月16日木曜日

つれづれ

気が付けば年が明けて半月余り。
今月は26日にオケのコンサートがあるので、とにかく体調管理に万全を期すべく(実力は俄かにどうなるものでもないので)休養を取る、人込みには出ない、人と接触するミロンガにはもちろん行かない、で過ごしている。そういう時に限って楽しそうな企画が次々とSNS上に紹介されていて、ちょっと悔しい。

そして気が付けば、2020年ということは21世紀が五分の一過ぎた、ということだ。
20世紀後半に子どもから大人へと生きた身としては、あのころ「21世紀」という言葉が持っていた希望と期待とは、現実はかなり違っていると感じて悲しい。
よく言われるように20世紀は「戦争の世紀」だった。二つの世界大戦がそれを象徴している。東アジア地域ではその後も朝鮮戦争やベトナム戦争が繰り広げられ、21世紀は戦争のない世紀に、との思いを多くの人が持った。

しかしどうだろう。21世紀を五分の一過ぎた世界は地域間、経済圏間、世代間といったさまざまな局面での「紛争」に満ち満ちているのではないか。地域紛争は、その地域の人々にとってはまさに戦争だ。自分たちの頭の上に銃弾が降ってこないからと言っても、食物や生活の安全が密かに脅かされる結果をもたらす経済圏同士のせめぎあいも、やはり戦争なのだ。

そうなることは、わかっていたのだ。
「これが時代の分かれ目とでも言える契機になるのだろうな」と感じたことがあった。
1989年の年末、米ソ マルタ会談。
この時、夜帰宅したらテレビにパパ・ブッシュとゴルビーが並んで笑顔で会見するようすが映っていて本当にびっくりした。それまでの米ソサミットでは両首脳が一緒に会見するなどありえなかったからだ。
そしてこの時「冷戦の終結」が宣言され、ブッシュはこれからは「New World Order」だ、と語った。

New World Order 新しい世界秩序。
一体それは何なのか。おそらくアメリカは冷戦の終結とは(アメリカ的)民主主義が社会主義に勝利したことだと思いながらも、それは大っぴらに言いたいことではなく、そのために具体的にNew World Orderが何なのかを示すことなく、時が流れていった。すでに始まっていた東欧の「民主化」を見ればわかるように、彼らは別に「アメリカ化」したわけではなかった。しかし彼らは欧州の一部でありその価値観を共有していたから、アメリカの楽観が問題になることはあまりなかったと思う。

問題は、冷戦構造の重しが取れたことで、それまで抑えられていた対立や鬱屈が噴出することが予想された中東やアジアだった。新しい秩序とは何かが提示されない中で、政権の転覆、地域紛争が相次ぎ、アメリカを標的とした同時多発テロも起きた。このテロに対するアメリカの答えは「軍隊の派遣」だった。武力による紛争の解決、それは日本が憲法で永久に放棄すると謳っていることだが、日本はそのことを強く世界に訴えることをせず、アメリカの腰巾着のような振る舞いを今日まで続けている。故中村哲医師のようなごく限られた人々が、命がけで自分にできることをしてくれているだけだ。

21世紀、のちに何の世紀と言われるようになるか、私はそれを見届けることは、ない。
その先の世界が存在するのかどうかがそもそも危ういとは感じるけれど。
世界の秩序、などとマクロな話を書いてしまったけれど、もっと身近なところでも暮らしや社会の崩壊は進んでいる。ネット上で見ず知らずの相手にいきなり侮蔑の言葉を投げつける人々、意味もなくこまごまと定められた学校や職場のルール、気候変動に対処しきれない人間の知恵、などを思うと、かつて「Information Super Highway」を提唱し、映画「不都合な真実」を作ったアル・ゴアというのは、なかなか先見の明があったのだな、と思う。そういう人を指導者にできないで、今現在の自己防衛ばかり考えていては世の中よくなるはずがない。さて、どうするか。