メンターオは、夫と共にオルケスタYOKOHAMAに参加していたバンドネオンの池田達則くんとヴァイオリンの専光秀紀くんが、コントラバスの大熊慧くんと共にブエノス・アイレすに修行に行った時に向こうでもらってきた名前で、そこにピアノの松永裕平さんとヴァイオリンの宮越建政さん(「くん」づけと「さん」づけに深い意味はありません)が加わってキンテートとなっている。
オルケスタYOKOHAMAはいま活動休止になっているのだけど、主宰の齋藤一臣氏がOsvaldo Pugliese に心酔し、交流もあったことから、プグリエーセスタイルを基本にしてきた楽団。
私が初めてタンゴの生演奏を聞いたのはオルケスタYOKOHAMA(その頃はまだ、以前の渾名のシエテ・デ・オロを短くして、シエテYOKOHAMAと呼ばれていた)だったし、夫がダンスもやろうと言い出すまでは、耳から聞くのも楽団のレパートリーやプグリエーセの録音が主だったので、私の中のタンゴのベースはプグリエーセだ。
それが、ダンスからタンゴに入った人とも、戦後のタンゴ・ブームからのタンゴファンとも、90年代後半のピアソラブームからタンゴに触れた人とも、ちょっと違っている、ということに気づいたのは、ずっと後になってのことだ。
ピアソラブームを経て、いま日本でタンゴを演奏する新しい世代が随分育ってきて、ライブやホールでのコンサート、他の分野とのコラボ、ライブ・ミロンガと、彼らの演奏を耳にする機会も増えた。中には耳コピして古典と言われるタンゴを書き起して演奏する人もあるし、自分なりの新しい編曲にチャレンジする人も多い。しかしいかんせん、黄金期のオルケスタというのは10人からの編成で演奏するものだから、それをトリオやカルテット、キンテートでやろうとすると、どこか違うものになりがちなのも事実。それを認めないとか偉そうなことを言うつもりはないが、私が好きなのはやっぱり馴染んだスタイルの演奏になってしまう。
メンターオは、そのプグリエーセが大好きなメンバーが、ガチで王道の演奏をしようと志してやっている。前回聞いたのは、もう2年くらい前のことだと思う。きっとますます腕を上げただろうと期待して今日を迎えた。そして、その期待に応えて余りある演奏を届けてくれた。
しょっぱなのRecuerdo。2005年にオルケスタYOKOHAMAでブエノスに行き、Casa del Tangoでこの曲を演奏し、プグリエーセ夫人のリディアさんが涙していた様子が眼前に蘇ってきた。そう、この音だ。プグリエーセからシエテへ、そしていまメンターオへ、ちゃんと受け継がれている。それがはっきりわかったから、もうずっと安心して聞いていられる。メンバーも以前聞いた時よりずっと自信を深めて胸を張って演奏しているように見えた。「もしプグリエーセがリベルタンゴをアレンジしたら」という意欲的な編曲もあったりして楽しめた。(個人的には、プグリエーセ・ヴァージョンの「夏」も好きだ。)
一部の最後、A Los Viejos では、バンドネオンに夫の音が重なって聞こえた。息遣いというか蛇腹の使い方やフレージングがきっと同じになっていたのだろうけれど、なんだかとても嬉しかった。一緒に弾いてる、ここに生きている、そう思ってよいのだろうか。
二部では、よそではほとんど聞く機会はないだろうけれど、私にすれば定番の Bordoneo y 900 とか Seguime si podes とか A Evaristo Carriego が聞けて嬉しかった。特にA Evaristo Carriegoは、「タンゴこの一曲」を私が挙げるとしたら選ぶくらい好きな曲だ。
アンコールはプグリエーセの代名詞、La Yumba と La Mariposa とこれまたよい選曲だった。
ティピカ編成の楽曲を小編成に作り替えて見劣りしないように演るのはなかなか難しいことと想像できる。そこをどううまくもっていくか、それはタンゴの本質部分をきちんと学んでいるかどうかで決まると思う。バンドネオン1本で900みたいな曲をやるのは特に大変だろうと思うけれど、池田くんはもちろん、メンターオとしてよく考えて、また技術を磨きとても密度の濃い、優れた演奏をしてくれた。
夫が病気になって楽団を抜けてからは、実はほとんどオルケスタYOKOHAMAの演奏は聞いていなかった。どうしても夫の不在に目が行ってしまい、辛かったのだ。そうこうしているうちに、楽団は休止になったけれど、メンターオのライブに行けば、こういう演奏がまた聞けるのは本当に嬉しいことだ。そしてそこには夫の音も確かにつながって息づいていることに、心から感謝したい。ありがとう、メンターオ。