ふと気づけば、身体の真ん中に抱えていた空洞の存在感が薄くなっていた。
4月のタンゴ・オリジェーロに行ったとき、無意識にレッスンの予定を聞いていたり、
その2日後には、少し前にキャンペーンの折り込みチラシが入っていたスポーツジムに入会の申し込みをしていたり。
格別積極的になろうとか、新しいことを始めようという意識もなく、ぽっかり空いた時間と心の隙間を何かで埋めようというつもりもない。相変わらず毎日面白くないしやる気もないのだけど、私の気分だとか、面白いかどうかなど世の中にとってはどうでもいいことで、それなら自分にとってもどうでもいいことだということにしてしまえばいいのだ、とりあえずちゃんと生きていればそれでいいではないか、という気分で、ただ、「また」と「今度」はないものと心して後悔しないことにしようと。
もしなにかが、抱えていた空洞を埋めたとしたら何なのだろう、と考えてみた。
それは多分、本物のアーツの力ではないか、と思い当たった。
職場オケのつてで聞いたN響の響き、ビュールレ・コレクションやプラド美術館展で見た美しい絵画、オリジェーロでのケン・リリ師匠、そしてToki&Midori のデモ。本物に直に触れることが、知らず知らず生きる力を与えてくれていたのではないか。 若手タンゴ・ダンサーによるTANGO EL VIENTOのショー、そしてラ・フォルジュルネに行く頃には、この思いは確信になっていた。
Fine Arts にしろ Performing Arts にしろ、それが人を生かすものだと耳にしてきたし、だからこそ本物は何世紀にもわたって生き続けているのだけれど、これほどその意味を実感したことはなかったかもしれない。すっかり拝金主義になってしまった日本の社会だけど、大切にすべきことを見誤らず、ないがしろにしてしまわないようにしないといけないと思うのだ。
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