2017年9月8日金曜日

対話

dialogue 「対話」と訳されるこの言葉は、元をたどると「横切って」+「話す」というところから、主に二人あるいは二つの集団の間でやりとりする、という意味に使われるようになった言葉だ。

これに「一人で」を意味する solo を付けて、"Solo Dialogues"と銘打ったライブを続けているのが、タンゴのTrio Los Fandangosでヴァイオリンを弾いいている谷本仰だ。今の時代、対話が失われているのではないか、という思いから始まったライブは、演奏家だけでなく演技者やダンサーなどいろいろな人との対話とともに、谷本仰自身の中での対話やその「場」との対話の表現として続けられてきたものと聞いている。

Solo と Dialogue とは矛盾するように聞こえるが、そもそも谷本さんはタンゴだけでなくロックやジャズや即興や劇音や教会音楽や、いろんなところでヴァイオリンを弾いているし、歌うたいでもあるし、牧師だし、ホームレス支援活動者だし、音楽療法士だし、5人の子の父親だし、他にもあれやこれやいろいろ、それらの「対話」が音になったらと思うと、仕事の自分とそうでない自分くらいしかない我が身に比べたらどんなに多彩かとわくわくするではないか。

以前出た1枚目のCDを聞いたとき、多重録音ではなくライブ同様に演奏したものを録音したのだと聞いて、いったいどうやったらこんなふうにできるのか、一度見てみたいと思っていた。このたび出来たての2枚目のCDをひっさげて、関東での"Solo Dialogues"ツアーをするというので、横濱エアジンでのライブに行ってきた。
   

用意されたしかけはこんな感じ。
  
これらを素足で器用に操作して、先に弾いた音を残したり繰り返したり、効果音を被せたりしながら、エレクトリックとアコースティックのVnを持ち替えながら、ときには「今一番お気に入りの楽器=泡立て器(!)」を奏でての即興演奏。一人なのに、ヴァイオリン(泡立て器)一本なのに、分厚い音の渦。
音の面白さは確かにあったけれど、それ以上にやはり、そこに投げ出された谷本仰という存在が温かく、愛おしく、会えてよかった、神様ありがとう、という思いが満ちてくる時間だった。

即興以外にもAmazing Grace や演劇のために作られた自作曲など、私は家庭の事情で前半しか聞けなかったけど、秋の初めの夜にふさわしいライブだった。

対話といえば・・・
NHKの夏休み編成の中で、健常者と障害者がガチで対話するという番組があった。NHKはEテレでバリバラ=バリアフリーバラエティという番組をやっていて、この番組は某民放の24時間ナンタラの裏を出演した障害者自らが告発したことでちょっと話題になったりもしたのだが、今回の番組は総合テレビの方でバリバラのレギュラーの人も入って、健常者がこんなところで障害者のことを勘違いしているよ、と対話を通じて気づくような企画だった。


ゲストのタレントたちが、普段は障害者に聞きにくい、聞いては失礼だろうか、と思っているような質問をして、それに対して障害者の人たちがストレートに答え、やりとりしていくのがとても興味深かった。
その中で浮き彫りになったことの一つが、多くの健常者が障害をネガティブにしか捉えていない、ということだ。つまり、障害は不幸、あるのはよくない、と決めつけているのだ。そして、障害者は言うのだ、「障害は不便だけど、不幸じゃない。」


一番びっくりしたのは見えない人たちの以下のエピソードだ。
「見えなくても彼氏がイケメンとか関係ありますか?」
「もちろんですよ~ 彼氏がブサイクだったらやじゃないですか~」
「でも、わかるんですか?」
「わかりますよ、声で。」「わかるよね、ハゲとか」
!!
「ハゲがわかるんですか?」
「ええ。」「声が禿げてるもんね」「そうそう」
!!!
そして、ゲストの男性たちに一言ずつ発言してもらい、ハゲかどうか聞いてみると、彼女たちはことごとく正解したのだ!


見えない人たちは、私たちのようには見えていないけれど、見えている。
こういうことだって、対話してみれば、なあんだ、ってことなのに、話さないといつまでもミステリーで距離が縮まらず勘違いし合っていて、相手を思いやろうと思っても的外れになってしまったりするのだ。


対話といえば・・・
「対話と圧力」と言いながら、ICBMまで来てしまった某国との関係のこともあれこれ思うのだけれど、長くなるのでそれはまたの機会に。