2015年8月24日月曜日

洗濯機

土曜日の朝、起きてみるとタイマーセットしておいたはずの洗濯が終わってない。
見ていると、脱水まで来てるんだけどその先に進まない模様。
洗濯物を出して、脱水だけやろうとしてみても、やっぱりダメ。

うーん、これは排水管の詰まりか、はたまた洗濯機の排水口の不具合か。

実は前夜、洗面所で歯磨きしながら思ったことがあった。

洋服とか、ちょっとした日用品とか、壊れるまで使ったりしないで、
そこそこのところで買い換えるよねえ。
車だって、壊れるまで乗る人もいるかもしれないけど、
大抵はその前に買い換える。

だけど、エアコンとか冷蔵庫とか洗濯機とかは
「もう~、急に壊れちゃってさあ」という話をよく聞くし、
私だって壊れて修理できなければ買い換える、でやってきた。
けど、これらの家電こそ、壊れたら困るものだし、
特に洗濯機はいま、病人のために毎日使ってるから壊れると困るよなあ。

ああ、私の心の声を聞いてたのね、洗濯機ちゃん。

排水管にしても洗濯機にしても、人に来てもらえば出張費で8千円とか、
それに技術料だなんだで2万円くらいはかかって、かつ直らないかもしれない。
やっぱり買い替えか。
そういえば、給水部のパッキンもゆるくなって洗濯終了後すぐ出さないとまた濡れちゃってたり、
以前排水部から水漏れもあったしね。

ネットで見てみると、いつも利用している家電店で
「今から1時間42分以内に注文で本日中お届け」
とある商品がある。よし、この中から選ぼう!

大急ぎで知人が運営する○○ク.comのクチコミをチェック。
今までのは乾燥機もついていたけど、ほとんど使わないから今度はいらないけど、
欲しいサイズと色が一致しないなあ、今年モデルはぐんと値段が上がるんだ、
など悩んでいるうちに刻々と時間が過ぎる。
やっと決めて購入手続きを始めたら、
まだ時間があるはずなのに「明日お届け」と出る!
なぜ~~?
再確認しようとすると今度はiPadのwifiが調子悪い。
閉じていたPCを慌てて起動してやり直し。
やっぱり「明日お届け」と出るけど、構わずポチ!
30分以内に電話確認依頼を選択して、先方からの電話を待つ。

20分ほどでかかってきた電話で当日配達可を確認して一安心。
これが14時前で、実際の配達は20時だった。

いやはやばたばたしたけど、店舗に出向かないで商品情報を比較して購入し、
こんなに早く届けてもらえるんだから便利な世の中になったものだ。




2015年8月12日水曜日

御巣鷹山

あのJAL事故から30年。
私が今の英語ニュースの仕事を始めて、3ヶ月目に入ったころに起きた事故だった。

当日の19時ニュースには私は入っていなかったのだけれど、
確かJAL機の機影がレーダーから消えた、という一報を入れて終わったのだった。
その後は夜通し錯綜する情報にマスコミも翻弄され、
事故機の行方が杳として知れないまま朝を迎えた。

当時私は、平日は民放の昼ニュースも担当していた。
7分間のニュースを、ネイティブのアナウンサー兼リライターと
我々ニュースライター2人(うち1人は同時通訳も兼ねる、私はその役割)
そしてディレクター1人という、とんでもなく省エネな人員で作っていた。
原稿が来るのはいつもギリギリで、放送が始まるとき終わりの方の原稿はまだ作業中。
それを書くライター1人を残して、あとの3人はスタジオに入って放送を始め、
ライターは原稿が書けたら後から突っ込み、アナウンサーはそれを読みながら英語を直していた。

普段からそんなだから、間に合わない原稿が同時通訳になることも多かったが、
あの日はそれ以上に事態が現在進行形だったから、書けるものがほとんどない状況だった。
墜落現場がようやくわかったものの、地上からの救助隊がなかなかたどり着けず、
様子がわからない。

あれもこれもわかりません、の繰り返しになってしまうのか、
と思いながらスタジオに向かう直前、
他局の画面がヘリに引き上げられる川上慶子さんの姿を映し出した。

生存者がいた!

この一筋の明るいニュースがあったことは、
この時の厳しい同時通訳を乗り切るのになによりの力になったのを覚えている。

その日の19時ニュースは、専門家の解説なども交えて2時間の長丁場になった。
私はライターで入っていたので、2人の先輩たちが生中継や解説だけでなく
流動的で書いてあった原稿が使えなくなってしまう場面も含めてカバーしていくのを
感心して聞いていた。

今なら、専門用語や背景情報の確認がインターネットですぐできてしまうが、
(不確実な情報も山のように入ってくるという問題もあるが)
30年前は原稿打つのもタイプライターだったくらいで、
「圧力隔壁」など航空機に関する用語を確認するのに
What's What や Oxford Pictorial Dictionary などが活躍し、
様々な専門用語や背景知識を確認するために、専門家に電話したりした。

当時は写真週刊誌全盛で、新聞などが載せられない痛ましい現場の写真を掲載するなど物議をかもしていた。私たちも、被害にあった方たちやその家族の心に配慮した表現の工夫など時間をかけて議論し日々報道に当たったのも、大切な経験だった。、
本当に、この事故のニュースを通じて多くのことを学んだ。

毎年この日が来ると、当時の緊張感が蘇ってくる。
改めて犠牲者の方々とご家族、そして搜索や捜査だけでなくさまざまな形で御巣鷹に関わった人たちに平安あれ、と祈りたい。

御巣鷹山へは Googleストリートビュー で行くことができる。
たまたまグーグルに入社したご遺族の一人が、会社に提案して実現したものと聞く。


2015年8月1日土曜日

熱中症注意

8月1日。
亡くなった父の誕生日である。今年はもう、おめでとうを言う相手がいないのだと
改めて思うけど、まあ、今までもちゃんと祝っていたわけではないので
偉そうなことは言えない。

32年前、同じく6月に同じく86歳で亡くなった祖父(父の父)も
8月1日が誕生日だったのだが、
葬儀の時、お棺に入れてくれと祖母が出してきた祖父のへその緒の箱を、
母がひょいと裏返して吃驚、誕生日は6月6日だったか、9日だったか、
とにかく8月1日ではない日付が書いてあった。
(私も見せてもらったけれど、びっくりしているうちにお棺に収められ
焼いてしまったから、正確な日付は雲の上である。)
なるほど、祖父は獅子座というよりはふたご座だったな、と思って、
ちょっと親近感を強くしたのだった。

それはともかく。

父の七七忌をすませるとともに梅雨も明け、一気に暑さが増してから、
なんとなく体調がすぐれずにいた。
朝起きてから夕方くらいまで、背中や脚がなんとなく痛み、動くのが億劫、
食も進まず、かといって風邪の症状があるわけでもなく、
とりあえず痛み止めと栄養ドリンクを飲み、仕事に行くとだんだん元気になり、
夜は気分も良くなるのだけど、翌朝はまた腰や背中が痛む。

数日それが続き、ふと熱を測ってみたら、37.3度あった。
私の平熱は35.8度くらいである。夏とはいえ高すぎだ。

「風邪なんか引かないぞ」

とツイートしてみたりしたものの、なにか違う気もしていた。
熱が37.6度まで上がった日も家事をしてどっと汗をかいたら36.6度まで下がり、
夕方仕事をしながら、ひさしぶりに買ったスポーツドリンクを2本飲み干したら、
身体のモヤモヤ感が取れてきた気がしたところで、はたと気づいた。

もしかして、熱中症?

私は夜中に2度くらいは目を覚ますのだが、
目が覚めたらうがいをしてついでに水を一口含むようにしているのだけど、
寝ている間に脱水しているとすれば、ただの水を飲むのはかえって良くなかったのかも?
それで朝は熱が上がっていたのかも?

そこで水やお茶が中心だった水分補給をスポーツドリンク中心に変え、
夜中目が覚めた時もスポーツドリンクを飲むようにし、
「塩分足りないなあ」と思いつつも手が伸びずにいた梅干を意識して食べるように変えたら、
3日ほどでそれまでの不調が解消した。

昨日、かかりつけ医にこの話をしたら、

「お年寄りだったら死んでたわよ」

と言われた。
やっぱり。これが室内でなる熱中症というやつか。

立秋に向かって、一昨日くらいから風が変わった気がするけど、
まだしばらくは「猛暑」らしいので、みんな、気を付けようね。