夫が今日付で退職した。
勤続34年、といってもこの2年半は休職だったけれど。
ALSと診断されたのが3年前の3月半ば。
私は、仕事なんかさっさとやめて旅行とか動けるうちに楽しめばいい、と思った。
しかし夫は、できる限り職場に通い、仕事を続けることを選んだ。
始めのうちはそれまで同様、自分で朝食の用意をして、
家の前の坂を上るだけで息を切らしながらも、なんとかバス・電車を使って通った。
6月に胃瘻の建造など自宅療養の準備のために入院したあとは、
朝は私が車で職場に送り、帰りは私が迎えに行けない時はタクシーを使っていた。
手の力が弱くなっていくために、毎週のようにかばんを軽いものに換えていったり、
一人で帰ってきて家の前で転んで立てなくなったこともあったっけ。
職場では色々と助けて頂いての半年だった。通院や入院のために休む日もあったし、
次第に身体が不自由になっていくのに合わせて車椅子を使わせてもらったり、
診療所で経管栄養の対応をしてもらったり、時短勤務の便宜を図ってもらったりした。
がんなど、診断された途端に「もう使えない奴」と決めつけられてしまう職場もあると聞く中、
とるべき対応をきちんとしてくれる職場と上司、同僚に恵まれたことに感謝である。
書類に判をつくのが難しくなった10月末、休職に入ったあとも、
職場の方たちがメールで連絡を取るだけでなく、度々訪問してくださり、
仕事の様子や同僚の近況など共有していたので
休みに入った途端にぷっつり途切れてしまう様な思いをしないで済んだと思う。
きょうは部長と課長が退職辞令を持って来宅。
そしてこんなのも。
こちらからは身分証明書と徽章を返却し、夫は正式に退職した。
私はずっと「フリーランス」という名の「日雇い季節労働者」をやっているので、
組織で勤め上げるのがどんなものか想像するしかない。
休職中と今日を境に明日からと、夫の中で何かが変わるのかはわからない。
夫が病気の診断を受けたのは、課長に昇進する直前だったから、
病気がなければ、責任ある立場でもっと貢献できただろうし、
体が不自由になってもアタマはしっかりしているのに、
この人を使えないのは社会にとっても損失だと思う。
そう考えると病気になって仕事が続けられないのは残念なことだけれど、
ひたすら残念なだけかというと、それも違う気がする。
こうなったから見えること、わかること、できることも、やはりあると思うのだ。
普通に定年退職したのなら、きょうはどこかでお疲れ様ディナーでもしていただろうか。
そういうことはできないけれど、夫にはありがとう、お疲れ様、と言おう。
オマケ(セルフィーで自分の顔が見えるのが嫌でイカ耳になってる)
2015年3月31日火曜日
2015年3月18日水曜日
4年目
この3月16日で、夫がALSの告知を受けてからまる3年。
療養生活も4年目に入った。
去年ここにも書いてからの1年は、
その前の2年間に比べるとずっと穏やかに過ぎたと言える。
ベッド生活になったから、外出や室内の移動があったときより無理が少なく、
その分穏やかになったわけだが、
その中でもやはり身体を支える力は落ちてきているし、
嚥下もかなり慎重にしないと危なくなっている。
呼吸器を外していられる時間は1~2分、というところまで呼吸機能は落ちている。
痰が上がってきて処理できなくなることが多くなり、
一人でいるときはちょっと心配なこともある。
とはいえ、顎でジョイスティック・マウス、足でクリック・スイッチを操作してPCを使う、
という方法はまだ使えているし、呼吸器を付けていれば会話もできるし、
そういう形でコミュニケーションは維持されている。
普通に会話できるがために、相手が病人であることを忘れてしまうくらいだ。(汗)
そんな今日、アカデミー賞主演男優賞をとった
「博士と彼女のセオリー」を見てきた。
夫と同じ病気の患者であるホーキング博士夫妻の話なので見に行ったわけだが、
まず思ったのは、やはり同じ当事者だと、こういうものは見え方が全然違う、ということだ。
これまでにも、認知症とか白血病とか、事故で障がいを持った人とか、
いろいろな人が主人公の映画やドラマを見たことがあるけれど、
自分や身近な人が同じ経験をしていない設定のものを見ていた時は、
しょせん想像の域を出ていなかったな、と改めて思ったのだ。
診断を告知される時の心の動き
不自由ながらも動けている間の必死さと危うさ
重い車椅子を担ぎ上げてくれる友人の頼もしさ
その時の思いや感情の昂ぶりが蘇ってきて、涙が溢れた。
それはやっぱり、自分が体験していないストーリーに共感するのとは違うものだった。
中でも、ああ、これは、と思ったのは、
自分がケアするのがベストではあるけれど、
精一杯やってもやはり一人で全部はやりきれないという現実の前にジェーンが涙するシーン。
私も、「とにかく私が倒れるわけにはいかない」「風邪ひとつ引くことも許されない」
というプレッシャーの中で慢性的な寝不足でここまできて、
とうとう先週末から風邪を引き(花粉症だと思ったらやっぱり風邪だった)、
この3年間で体調が最悪というところだったので、
このシーンは特に心が共鳴してしまった。
発症からの平均余命が3~5年といわれる中、
既に50年生きているホーキング博士についてはALSではないのでは、との声もあるが、
病気の進み方発現の仕方が一人ひとり違うこともこの病気の特徴。
呼吸が担保されれば寿命を全うするのは珍しいことではないそうだから、
博士も生かされて有用な研究を人類にまだまだ与え続けてくれるだろう。
「命がある限り、希望があります」
という博士の言葉を力に、また明日へと歩を進めることにしよう。
療養生活も4年目に入った。
去年ここにも書いてからの1年は、
その前の2年間に比べるとずっと穏やかに過ぎたと言える。
ベッド生活になったから、外出や室内の移動があったときより無理が少なく、
その分穏やかになったわけだが、
その中でもやはり身体を支える力は落ちてきているし、
嚥下もかなり慎重にしないと危なくなっている。
呼吸器を外していられる時間は1~2分、というところまで呼吸機能は落ちている。
痰が上がってきて処理できなくなることが多くなり、
一人でいるときはちょっと心配なこともある。
とはいえ、顎でジョイスティック・マウス、足でクリック・スイッチを操作してPCを使う、
という方法はまだ使えているし、呼吸器を付けていれば会話もできるし、
そういう形でコミュニケーションは維持されている。
普通に会話できるがために、相手が病人であることを忘れてしまうくらいだ。(汗)
そんな今日、アカデミー賞主演男優賞をとった
「博士と彼女のセオリー」を見てきた。
夫と同じ病気の患者であるホーキング博士夫妻の話なので見に行ったわけだが、
まず思ったのは、やはり同じ当事者だと、こういうものは見え方が全然違う、ということだ。
これまでにも、認知症とか白血病とか、事故で障がいを持った人とか、
いろいろな人が主人公の映画やドラマを見たことがあるけれど、
自分や身近な人が同じ経験をしていない設定のものを見ていた時は、
しょせん想像の域を出ていなかったな、と改めて思ったのだ。
診断を告知される時の心の動き
不自由ながらも動けている間の必死さと危うさ
重い車椅子を担ぎ上げてくれる友人の頼もしさ
その時の思いや感情の昂ぶりが蘇ってきて、涙が溢れた。
それはやっぱり、自分が体験していないストーリーに共感するのとは違うものだった。
中でも、ああ、これは、と思ったのは、
自分がケアするのがベストではあるけれど、
精一杯やってもやはり一人で全部はやりきれないという現実の前にジェーンが涙するシーン。
私も、「とにかく私が倒れるわけにはいかない」「風邪ひとつ引くことも許されない」
というプレッシャーの中で慢性的な寝不足でここまできて、
とうとう先週末から風邪を引き(花粉症だと思ったらやっぱり風邪だった)、
この3年間で体調が最悪というところだったので、
このシーンは特に心が共鳴してしまった。
発症からの平均余命が3~5年といわれる中、
既に50年生きているホーキング博士についてはALSではないのでは、との声もあるが、
病気の進み方発現の仕方が一人ひとり違うこともこの病気の特徴。
呼吸が担保されれば寿命を全うするのは珍しいことではないそうだから、
博士も生かされて有用な研究を人類にまだまだ与え続けてくれるだろう。
「命がある限り、希望があります」
という博士の言葉を力に、また明日へと歩を進めることにしよう。
登録:
投稿 (Atom)