2014年10月14日火曜日

Goodbye, Mom. 母を送る

My mother passed away last week.
She had a bad stroke (subarachnoid hemorrhage) 20 years ago, lost speech and became mostly bedridden.  She lived at home until early September when she developed pneumonia.  She was taken to hospital where she died.  I could not come to see her off, but I was ready for that ever since my husband was diagnosed with ALS.
I wasn't even sad at the news of my mother's death.  Rather, I was relieved that my mother is finally free from all her difficulties.  Still, I had some unsettling feeling in my heart that I could not put a name on. 
When I came home from her vigil (I could not attend the funeral.) and was making bed for myself, I felt tears suddenly welling up.  The fact that my mother no longer existed in this world struck me, and made me cry.  I learned that it was her absence, or my sense of loss, was that strange feeling wobbling in my heart.  After some crying, it was gone, and I felt I could go on, looking straight ahead.

It seems to me that children or grandchildren are the best visible legacy of someone's life. I look very much like my mother, so it's obvious that I'm the testimony that she lived.
But my wish would be to be her positive legacy not only for my appearance but for who I am.

Thanks and Goodbye, Mom.


先週、実家の母が逝った。
母は、20年前クモ膜下出血で倒れ術後の処置が悪くて、結局半身不随となり言葉を失った。様々な問題はそれなりに経験しながらも、なんとか穏やかにくらしてきたのだが、九月の初め 誤嚥性肺炎を起こして入院し、一旦は良くなりかけたものの完治せずそのまま病院で亡くなった。

妹から「危ない」と連絡があった時は夫の訪問入浴真っ最中で、その後も誰も来ない日だったので、看取ることはできなかったが、私以外の家族が揃うのを待って旅立ったそうだ。

夫が病気になってからはこちらの生活で精一杯で、実家からも足が遠のき、この1年ほどは全く行かれていなかったのだが、7月末にやっと久しぶりに訪ねて私の作った料理を母にも食べてもらったところだった。入院してからも数回は顔を見に行けたし、そもそも夫が病気になってからは、親に何かあっても行けないだろうと思い、訪ねる度に「これが最後かも」と思いながら「またね」と言ってきたので、立ち会えなかったことについてどうこうとも思うこともなく、20年続いた不自由な状態から母が解放されたことには、むしろ安堵の思いがあった。

それでも、「悲しさ」でも「寂しさ」でもない、何とも言いようのない胸のつかえと言うか、もやもやした思いがあって、それが何か見極められずにいた。そういう気持ちの整理をするのが、葬儀のプロセスなのだろうと思うが、日程の都合で、私は通夜だけの出席になった。クリスチャンになったとはいえ、子どもの頃から法事などの機会に繰り返し聞いてきたせいか、「修證義~」と方丈さんが言った途端に「生を明らめ死を明らむるは佛家一大事の因縁なり・・・」と出だしのフレーズが頭に浮かんだのにびっくりしたり、久しぶりに見る親戚の名前を思い出そうとしたりしているうちに通夜は終わり、姉、妹と棺を囲んで寸時話し、母に別れを告げた。

就寝前、ベッドメイクをしているとき、不意に涙がこぼれた。
もう母はいないという事実、それを寂しく思う気持ちというより、「不在」そのものが迫って来る感じで涙が止まらなかった。そうだったのだ。ずっともやもやしていたのは、「喪失感」というやつだったのだ。そのまま暫く一人で泣いた。そして涙が収まった時には、胸のもやもやは落ち着きどころを見つけていた。

人がこの世に生きた、目に見える証は子や孫の姿だと思う。
私は、顔が母にそっくりなのでそのまま母の生きた証なのだが、
中身でも母の良き遺産でありたいと思うのだ。